第六一話 「迫る足音」
昭和15年9月20日。
第二艦隊が錨を下ろす函館の地よりもずっと南、宮城県石巻市の金華山沖合い。
辺り一面に広がる視界が僅かに数十メートル程しかない濃霧の隙間に覗く波間は、地元の漁師達の船すらも港から出る事を躊躇わせる。ぼんやりとした白い光りで包まれる海上はかろうじて陽が昇っている事を教えてくれるが、そこにある白一色の空は太陽が今どこにいるのかを見る者に教えてくれる事は無い。時間も方位も文字通り喪失した、この世の物とは思えない海原と化している金華山沖合いの波間。
その波間を見下ろしながら野生の本能を頼りに飛んでいく一羽のカモメが、ふとそこに現れた絶好の足場に降り立って翼を休める。足場は踏み慣れた木ではなく堅い鋼鉄で出来ていたが、疲れたカモメはそんな事を気に留める様子も無く文字通り翼を休め、自身の羽をくちばしでつついて手入れし始める。眼下に薄っすらと見える十六条旭日旗を視界の端に入れ、カモメは小刻みに首を捻りながら束の間の休息を取る事にした。
そしてカモメから見える十六条旭日旗が翻った旗竿の下、断崖絶壁のように一直線に波間へと続く鋼鉄の壁の一角には、白い文字で「あかし」と書かれていた。
僅かな波間と真っ白な空を映す舷窓。そこから漏れてくる灯りによってぼんやりと照らされる明石艦艦内の明石の部屋。
そこでは卓上スタンドの灯りで顔の半分ほどを照らしている明石が、薄っすらとクマが出来た両目を擦りながら机に向かっていた。えんぴつを握ったまま目を擦る明石は僅かに充血した目を何度かパチパチと瞬きさせると、疲労の色が混じった声を伴って溜め息を吐く。しかし机上にある書類の束を認めるや、彼女はすぐさまそれに覆い被さるようにして顔を近づけ、再び右手に握った鉛筆を走らせていく。
それは彼女のお仕事である患者のカルテと報告書。だが明石がこうして眠気や疲労と戦いながら一生懸命に書類仕事に励んでいる事には、それが自身のお仕事であるという事以外にもちょっと別な理由があった。そしてその理由とは、彼女が第二艦隊の仲間達と行動を供にしていない事の理由でもある。
時は遡る事、1ヶ月ほど前の8月25日。
明石艦を含めた第二艦隊が横須賀を出港したその日。明石とは同じ第二艦隊の仲間である五十鈴率いる第三潜水戦隊は、南鳥島沖の海域で行われている第一潜水戦隊との合同訓練に向かう為に第二艦隊本隊とは別行動となっていた。仲の悪い神通は姿を見せる事は無かったものの、明石や那珂も含めた第二艦隊の幹部クラスの艦魂達に手を振って見送られた三潜戦。戦隊長の五十鈴も帽子を振ってくれ、友人とは違ってそんなに彼女の事を嫌っていない明石もまた笑みを伴って三潜戦の仲間達に帽子を振る。それは何気ない仲間との一時の別れの光景で、艦隊勤務においては珍しい事ではない。
しかしこの4日後、彼女達を含めた帝国海軍を揺るがすとんでもない事件が起こった。
三潜戦に先駆けて南鳥島沖に集結していた一潜戦において、なんと訓練中に急速潜行をおこなった隷下の第30潜水隊所属である伊−67潜水艦が潜行の際の艦の不仰角操作を誤り、そのまま沈没してしまったのである。もちろん艦長を含めた約70名にも及ぶ乗組員達は、誰一人として救助される事は無かった。
この事故を受けて海軍の潜水艦を隷下に持つ各艦隊には緊急の点検と運用の一時停止が通達され、当然それは明石の仲間である三潜戦でも同じだった。すぐさま三潜戦は出発地である横須賀へと回航され、所属の潜水艦はすべて桟橋に繋留されての徹底的な点検と整備補修が行う必要が出てきた。しかしこの当時の横須賀海軍工廠は最新鋭の艦艇の建造でその能力に余裕が無く、横鎮隷下の潜水艦に対しても同様の処置をせねばならないとあって、三潜戦の全艦艇に及ぶ点検や整備補修は人員の面でも設備の面でも対応が難しかった。
そこで最新鋭工作艦である明石艦に白羽の矢が立った。
第二艦隊司令部を通して明石艦には三潜戦の点検と整備補修任務が言い渡され、それまで第二艦隊と行動を供にして来た明石艦は津軽海峡の入り口を目前にして反転、南下。良好な桟橋といった港湾設備を持つ石巻港を拠点に設定し、三潜戦と合流するやすぐさま所属の潜水艦への点検を始めたのだ。
もちろん艦魂である明石も同様に彼女達への念入りな健康診断を実施したが、沈んだのは同じ海大型の潜水艦であったと知った三潜戦の潜水艦の艦魂達は、身体はなんとも無くとも精神面での大きなダメージを受けていた。
『潜るのが、怖い・・・。』
そんな言葉を漏らして泣き出す者も出る始末で、9人の潜水艦の艦魂を元気付ける為に明石は戦隊長の五十鈴と美味しい食べ物を調達してやったり、夜遅くまでかけて一隻一隻の潜水艦に対しての点検を彼女達自身で行ったりと多忙な日々を過ごした。幸いにして全員の身体、及び分身に異常を認められず、なんとか元気を取り戻した三潜戦の者達はつい今日の朝になってようやく訓練に戻っていったのである。
連日夜遅くまで続いた点検に加え、仲間を失ったショックで眠れなくなった者の傍に一晩中付き添ってやった事もある明石。やっとの事で取り戻した笑顔を伴って旅立っていった三潜戦の艦魂達を思い出すと安堵の温もりが胸の中に広がっていくが、それに反して彼女の身体は全身綿の様に疲れきっている。僅か一時間だけの睡眠で朝を迎えた日もあったし、おにぎり二つと一皿のおしんこだけで一日の食を終わった時もあったし、お風呂は最長で3日間も入れなかった事もあった。明石にとっては文字通り激動の日々だった。もっともその時は仲間の死という現実とそれに伴う恐怖に怯える仲間達を救う為に必死であったからか、明石はそんな日々を過ごす中で疲労を覚える事はあっても辛いとか苦しい等と感じた事は無い。
だが彼女はこの時、身体に残った膨大な疲労感にその記憶を思い出すと、それまでの苦労を少しずつ感じ取り始めた。
『ううぅ〜〜ん〜・・・。』
身体の節々の叫びを代弁するかの様に声を上げた明石は右手に持っていた鉛筆を机の上に転がすと、椅子に座ったまま大きく身体を仰け反らせて再び両手で目をぐりぐりと擦る。感覚の薄い瞼に刺激を与えるも瞼の重さは変わる事は無く、改めて触れた今日のお肌はろくに洗面もしていないからかどこかぬるぬるとした感触。お腹の中から骨を伝って響いてくる空腹の音も、今だけは明石の瞼を軽くしてくれる事は無い。目を擦る両手を額に当てるとさらにその欲求は高まり、明石は額の上に手を乗せたまま瞼を閉じて深い眠りへと落ちていった。
顔も洗わず歯も磨かず、服も脱がずに真昼間から眠る明石。
決してそれを嫌だと思う事は無かったが、この石巻での数週間で明石は帝国海軍における艦魂のお仕事の辛さを身を持って思い知ったのであった。
その後、明石艦は第二艦隊司令部から函館方面にいる艦隊への合流中止を命ぜられ、10月の観艦式の日程が差し迫っている事もあって単艦で出発地である横須賀へと帰る事になった。
北方海域にて新たな友人である宗谷と会う事が適わなかったのは残念であったが、それでも明石艦の到着に遅れて3日後には第二艦隊の仲間達が横須賀へと戻り、明石はさっそく友人である神通から宗谷が元気に頑張っていた事を伝えられて喜ぶ。まして宗谷の観艦式への参加が決まったとの知らせは彼女とのそう遠くない再会を明石に伝えるのには充分で、神通や那珂の不参加を残念そうにしながらも観艦式への期待を大きく膨らませる。もっともその話しの最中に霰がついつい口を滑らせて、明石には黙っておこうと二水戦の中で決めていた宗谷から貰ったローストビーフの缶詰の事を話題に出してしまい、神通はせがんでくる明石を宥めるのに一苦労してしまう。舌打ちを放って霰を睨みつける神通に明石は腕を引っ張って自分の分の缶詰を問うが、やがて観念した神通が全て食べてしまったと言うと明石は眉を吊り上げて怒り出す。
『それでも友達かあ!?』
食べ物の事に関してはすぐに怒る明石。元より彼女は神通を怖がるような事は無い為にその怒り方も半端な物ではなく、二水戦の艦魂達は明石に対して総力を挙げたご機嫌取りを行うハメになってしまうのであった。
そして月も変わった10月1日。
第二艦隊の艦魂達の中では、四戦隊の高雄艦の長官公室を用いて毎月恒例の戦隊長会議が行われた。整備入渠の予定を入れられた四戦隊の摩耶や七戦隊の三隈、まだ訓練から戻っていない五十鈴を含めた三潜戦の面々など、ちょっと所属する仲間の顔が少ない中での会議であったが、そこで艦隊旗艦の愛宕から伝えられた議題に彼女達は仲間の欠員を忘れて顔色を険しい物にする。なぜならそれは支那事変という有事の下、日本が国際社会における新たな一歩を踏み出した事を示す物だからであった。
まず9月23日をもって日本は、欧州での情勢に伴って軍事的、政治的な権力の空白を生じていたフランス領インドシナ、いわゆる仏印への進駐を行った。といってもこの仏印への進駐に関しては、いずれ軍を向ける事になるだろうという認識を持っていたのは一般人どころか艦魂達も同じであった。
なぜなら仏印への進駐は昨年の9月から始まった欧州戦線でのドイツによる破竹の進撃でヨーロッパ屈指の大国であるフランス国が降伏した事がそもそもの契機で、欧州から遠く離れている事から宗主国であるフランスの仏印に対する影響力が弱体化する事を見越していた日本は以前からここに軍事的、政治的橋頭堡を築こうと画策していたのである。6月にフランスが降伏して以来、日本は仏印に対して熱い眼差しを送り続けており、降伏した翌日に駐日フランス大使が「自発的に中国との国境線を封鎖した。」という通達を行ったにも関わらず、西原一策陸軍少将を団長とした総勢40名の監視団を派遣して国境線の封鎖状況を監視すると供に、仏印内での日本軍の通過や航空基地の使用、軍事物資の集積貯蔵、仏印経済の日本経済への統合といった協定の交渉に当たらせていた。
もちろんその理由は一向に終わりが見えない支那での情勢だ。
国共内戦に代表されるように国としてはまだ纏まっていなかった中国の事情を良い事に勇んで海を渡ってみた日本軍であったが、広大な大陸の中程まで攻めてみてもそこに白旗が翻る事は無かった。各戦場での状況はいずれも日本軍の圧倒的な勝利が目立ってはいるが、支那の軍は負けても負けても決して諦める事無く、どこまでも続く支那の地平線を背に装備の新旧や老若男女をも問わずに敢然と立ち向かってくる。自分の国が他国に蹂躙されているのだから当然だった。
そして自分達の未来と国の存亡を賭けた支那人達の飽くなき抵抗に、そもそもが貧乏な島国である日本は次第に息切れを始めた。国内の経済はみるみる内に疲弊し、支那事変の解決を口実に行った物品の流通に対する統制はそれに対して一層の拍車をかけた。主食の米や調味料どころか、果ては炊事や暖を取る為に用いる木炭まで規制しているという銃後の実情。国民はそれに対して声を大にして叫びを上げるような事は少なかったが、陸軍と海軍を含んだ政府首脳はそんな国内の事情に一抹の不安を覚えていた事も事実であった。
このままではせっかく手に入れた近代国家たる体裁と繁栄をむざむざと失うかもしれないし、南方にて顕著な列強による植民地化という現実も日本にとっては決して絵空事ではない。
そこまで考えた政府首脳は、早急にして、何一つ捨てる事無く日本が生き残る事ができるという方策を考えねばならなかった。
既に国連を脱退して国際社会の中でも孤立していた日本。まして戦う相手であった中華民国には西洋列強の強力な支援が行われており、間接的に日本は列強との戦いに挑んでいる状態である。そんな中で日本が何一つ失う事無くこの情勢を乗り切る為には、支那事変の早期解決を是が非でも果たさねばならなかった。その切り札が仏印への進駐である。
仏印は地形的にも支那南部へと陸続きであり、中華民国に対する列強の支援ルートの一つである雲南鉄道はこの仏印の首都であるハノイが出発地であった。その為にここに橋頭堡を構える事が出来れば支那への強力な支援を絶つ事が可能で、それはそのまま支那での膠着した戦線に影響を与える事は必至。故に仏印は何が何でも日本にとっては抑えておきたい地域であったのだ。
しかし当の仏印の統治を本国より任され、さらにフランス海軍極東艦隊司令長官をも兼ねていたドクー総督はそんな日本の真意を見抜いており、窮余の策として日本との交渉に関しては時間をかけて引き伸ばしを行なう事に決めた。故に彼は交渉にあっては幼児が描いた水彩画の様に滲んだ回答を返すばかりで、本国が降伏したというのに二ヶ月ほどが経っても、正式に進駐する事を約束した松岡・アンリ協定が8月30日に成立しても、進駐の実現に関しては一向に目処が立たず埒が明かない状態であった。
これに業を煮やした軍部の強硬派である陸軍参謀本部作戦部長の富永恭次少将や南支那方面軍参謀副長の佐藤賢了大佐らは、進駐における交渉と部隊の現地指導を名目に仏印に入り、9月22日を期日とした武力進駐をチラつかせての強談判を行う。もはやそれは脅迫であった。
そして9月23日の午前零時、南支那の鎮南関を発った陸軍第五師団は仏印との国境を越境。現地軍との銃撃戦を展開しながら目標であるドンダン、次いでラーソンへと進撃した。軍事衝突という既成事実が起こってしまった以上、日本軍は自衛処置と位置づけて退く事はせずに一挙に敵の殲滅を目的とした行動を起す。満州事変、支那事変の勃発の際にも用いたお得意の作戦である。
こうして仏印への進駐は武力進駐の様相と化し、2日後の9月25日になって仏印は降伏。日本軍は北部仏印への進駐を完了させたのだった。
しかしこの仏印への進駐には支那の政府以外に、もう一つ別な国の政府へもメッセージを送る意味を含んでいた。それは日本がこの仏印への対処をしつつも、蘭印に対しても13品目に及ぶ原料資源の買い付け要求を突きつけていた事からも明白だった。日本とは広大な太平洋を挟んで対峙する国にして、最大の資源輸入国でもあるアメリカ合衆国である。支那事変の終息が近い事と資源が豊富な南方への足がかりを得た事を悟らせ、これまで引き出せなかった外交上での譲歩を引き出すというのがその狙いである。アメリカとの関係は満州事変の時より火種を抱えており、これに対して如何なる手段を用いても明るい前途を示すという事が、近代日本における軍部も含めた政府首脳達の悲願であった。
だがその効果は、日本が思い描いていた物とは全く逆の物であった。
実は日本が南方進出を企図していた時期、米政府の中ではモーゲンソー財務長官、スチムソン陸軍長官などの高官が『直ちに日本への経済制裁として石油、くず鉄、鋼鉄の資源における対日全面禁輸を行うべき。』と鼻息を荒くしていたのだが、これに対してハル国務長官は『悪戯に日本を刺激して南方進出に駆り立てかねない。』と応じていた。日本と同じ様に、米政府の中もまた決して一枚岩ではなかったのである。しかし程なくしてそんな慎重な姿勢であった彼の元には日本軍による仏印進駐の報が寄せられ、ついにハル国務長官もくず鉄と鉄鋼に限った対日禁輸処置に同調する事になる。
そしてその決定が紙面に大きく報ぜられた翌日の9月27日。日本はドイツ、イタリアと供に世界に新秩序を打ち立てる事を目的として、お互いに同盟を結ぶ。日独伊三国同盟の誕生であった。
もっとも政治のお話には疎い艦魂達にとって、ドイツやイタリアとの同盟の事が良い事なのか悪い事なのか良く解らない。とりあえず仏印という地域が新たに日の丸を掲げたという事ぐらいしか彼女達には理解できず、興味を示す事も無かった。その代わりに仏印での進駐に関しては、会議室の中にいる一部の者達が熱心に耳を傾けて声を荒げる。
『じゃあ、武力進駐に関しての協議もしないまま、陸軍の部隊は勝手に上陸を行ったという事ですか?』
不機嫌な心の音色を声に乗せて奏でるのは五戦隊の戦隊長、那智であった。彼女と妹の羽黒は愛宕よりも歳上ながらも、上司に当たる愛宕に対してはしっかりと敬語を用いて会話する。神通や那珂に比べると僅かに歳下である二入だが、20代半ばのその外見に似合わずに冷静沈着で落ち着き払った性格は仲間内でも評判は良い。しかしあからさまに怒りを込めている彼女の声は会議室の空気を一刀両断するかの如く切り裂き、明石を含めた室内の者達は思わずその迫力に息を飲む。明石にとっては普段から怒りんぼの神通の怒号よりもさらにおっかない声であった。
やがて静まり返る部屋の中に那智の声と険しい表情の余韻が広がりかけるが、艦隊旗艦である愛宕はそんな室内の空気にも表情を変えずに口を開く。
『うん、鳥海からの報告ではそうらしい。護衛していた隊への相談もなく、明け方の午前4時に上陸用舟艇を発進させたんだそうだ。』
『これだから陸助は・・・。』
愛宕のいつもと変わらぬ声を受けても、那智はその身体全体から発せられる怒りの色を静めることは無い。呟くようにして陸軍に対しての愚痴を吐きながら頭に乗せていた軍帽を取ると、彼女は机の上に投げつけるようにしてその軍帽を放り、腕を組んでしかめた眉と視線を机の上へと投げる。第二艦隊の艦魂達の中でも大の陸軍嫌いで有名な彼女だけに、仏印進駐の際に起きた陸海軍のとあるすれ違いにはかなりご立腹の状態になったらしい。
明石にとっては大人しくて経験も豊富で、それでいて落ち着いた物言いを常に変える事無く接してくれる優しいお姉さんである那智。そんな彼女がこうも怒りの色を明確に放つ事に、那智とは長机を挟んで向かい側の席に座っている明石は驚きの表情を隠せなかった。
そんな中、愛宕は小さく溜め息を放つと、仏印進駐に際して陸軍の上陸を支援する役目にあった実の妹から上がってきた報告をさらに皆へと教える。連合艦隊とは完全に指揮権が違う支那方面艦隊の出来事は普通なら一介の艦隊の旗艦である愛宕の元まで来る事は無いのだが、愛宕は直接その出来事を体験する事になった当事者から情報を得ていた。実は仏印進駐に際しての陸軍部隊の支援を行っていたのは、明石も廈門で一度だけ目にした事のある鳥海率いる第二遣支艦隊の隷下部隊だったのだ。
『出雲中将も苦労しておられるだろうな。さすがの鳥海も、鳥海の中に居る2CFの艦隊幹部も怒ったらしくて、陸軍の部隊を放り出した後、護衛の隊をさっさとドーソン沖からハイフォン港に戻しちゃったんだそうだ。』
『私でもそうしますよ、艦隊旗艦・・・。』
『まあ、そう怒るな、那智大尉。この件はすぐさま出雲中将のCSF司令部を通して、東京の軍令部に伝えられたそうだ。そしたら軍令部の人間達どころか、天皇陛下においてもお怒りになったらしい。すぐに大海令が出て、今回の仏印進駐に関する海軍としての協力は、今後一切しない事になった。』
『それは・・・、仏印に近い海南島や広州の海軍管轄の基地が、陸軍にとっては使用できなくなったという事ですか・・・?』
『うん。仏印における陸軍の物資の調達やらなんやらは陸路でやるか、独自に港と船を手配してやって貰う事になるだろうな。』
『・・・ざまあみろ。』
愛宕の微笑を伴った説明を受けた那智は吐き捨てるように言った。
まだまだ艦魂としても海軍のお船としても新参である明石は何故に那智がこのように陸軍を毛嫌いしているのか解らなかったが、恐れ多くも天皇陛下の御裁可を受けて伝達される大海令が出たという事に、今の那智と同様に海軍を統べる偉い肩書きの人間達が余程怒ったのだろうと考えを巡らす。それは健軍以来長きに渡って繰り広げられてきた、同じ皇軍を成す陸軍と海軍のすれ違いの一端。帝国海軍と帝国陸軍の間に存在するマリアナ海溝よりも深い溝なのであった。
また、明石は愛宕が口にしたアルファベットの羅列を記憶の中からなんとか引っ張り出し、彼女が言った事の内容を解読しようとする。それは人間も用いる帝国海軍の中の名称符号であり、以前に廈門で鳥海と会った事から明石はアルファベットの羅列の意味を片方だけはふと思い当てた。すると明石はちょっと身を屈めて隣の席にて会議のやりとりに耳を傾けている神通の腕に手を伸ばし、服の袖を小さく引っ張って思い当てた符号の意味を確認する。
『神通、神通・・・。』
『ん、なんだ?』
『2CFって鳥海さんが旗艦やってる第二遣支艦隊で合ってる?』
まだまだ海軍の者としてはひよっこである明石らしい質問。神通は笑みを浮かべると、会議の邪魔にならぬよう静かな声でその問いに答える。
『うむ、正解だ。CSFは解ってるか?』
『う〜〜んと・・・。しぃえすえふ〜・・・。』
『支那方面艦隊だ。第二遣支艦隊の上級部隊。』
『支那方面艦隊かぁ、ありがと。』
明石はお礼を言うとすぐさまポッケに忍ばせていた小さなメモ帳を取り出し、神通より教えてもらった名称符号の意味を書き記していく。しっかり今日の日付も書いてから内容を書く辺りに、神通は明石の頑張り屋な性格を察して小さく笑った。まだまだ自分は青二才であると、明石は十分に身の程を理解しているのである。その為に生まれた明石の学ぶ事に対する貪欲さと謙虚な姿勢は、普段から夜遅くまでもくもくと二水戦の戦隊長として勉学に励んでいる神通にとっては何か親近感が湧くのであった。
私立神通学校の小さな課外授業が行われている一方、会議室の中ではそれまで響いていた愛宕と那智の物とは違う声が響き始めた。
『今頃は陸軍の偉いさんが陛下の前でベソを掻いてるさ、きっと。だから怒るなよ、那智。』
『・・・良い気味です。』
まだちょっと怒りが治まっていない那智に、愛宕のすぐ横の席に着いていた高雄が声を掛ける。愛宕とは違って陽気で冗談好きな彼女の明るい声は硬直していた部屋の空気を柔らかい物にし、次第に那智の吊り上がっていた眉もだんだんとその傾斜角を浅くしていく。やがて高雄は那智のそんな変化に笑みを湛えて頷くと、得意の冗談を飛ばしてそれまでの会議室の雰囲気をガラリと変えてみせる。
『そうかい?わたしは陛下に何度かご乗艦して頂いた事があるから解るけど、陛下のお説教は結構長いから陸さんのお偉いさんが可哀想に思えるなぁ。軍医中将と良い勝負だよ、ありゃあ。』
高雄の声が響くと同時に、長机の両脇に並んで座った者達から一斉に笑い声が上がる。日頃からムスっとしている神通も顎を引きながら小刻みに肩を動かしているくらいで、それは那智も例外ではない。さっきまでの静かな怒りを滲ませていた顔が嘘かと思えるほどに、那智は口に手を当てて笑っていた。
もちろんそれは明石も同じで、まして高雄が冗談として口にした「軍医中将」とは彼女も良く知る自分の師匠であったのだから無理も無なかった。その説教癖の根本にある心遣いは有難い物ながらも、決して叫ぶ訳でも頭ごなしに怒る訳でも無いその人のお説教の持つ迫力と怖さは尋常ではない。連合艦隊の全ての艦艇を統率する長門が尻尾を巻いて逃げ出し、師匠として心の底から彼女を尊敬している明石ですら辛さを覚えてしまう程のそれは、帝国海軍の艦魂社会においてもかなり有名だった。無論、それは朝日の事であり、経験豊富で日露戦争での華々しい活躍を持つ彼女に抗う事など、明石を含めた現代の艦魂達には逆立ちしても出来ない。今この場にはいないが、声を上げて笑う明石の横に座っている神通の師匠で、帝国海軍の中でも最も顕著なドカタ型の性格を持つ金剛艦の艦魂が、朝日の説教を前にして泣いて詫びを入れたという伝説もある。
そんな朝日のお説教は第二艦隊の戦隊長級の艦魂達にとっては身近にある恐怖の代名詞のような物であり、目を閉じるとありありと瞼の裏にその光景を蘇らせる事が出来る代物。仏印では勝手な行動をしたとは言え、それと同じ様なお説教を陸軍が受けるという高雄の冗談は、会議室にいる面々には容易に想像できて可笑しい事この上なかった。言った本人である高雄もつられて笑い、愛宕もそんな室内を一瞥した後に静かに笑い声を上げる。そしてふと高雄が放った陸軍を気遣う言葉にも那智は機嫌を悪くする事無く、むしろ何度も頷きながら表情の笑みの色を増していくのだった。
『はははは、気の毒にねぇ。』
『『『ははははは。』』』
『あっ!明石、軍医中将にチクんないでよ!?わたしまで陸軍と同じ目に会う事になるんだからね!解ってる!?』
高雄は朝日と親しい明石の存在を思い出して急に声を張り上げるが、彼女の声により会議室内の声は更に音量と音階を上げてしまう。なぜなら高雄が放った言葉の最後の辺りは件の朝日の口癖を模した物で、しかも高雄はまるで朝日の話す際の癖を模すかのように両手を大きく動かして明石に声を放ってみせたからだ。もちろん高雄のそれが朝日のモノマネである事は明石を含めたその場にいる全員が知っており、皆一様に痛みを帯び始めたお腹を抑えて笑い声を上げた。
こうしてその日の戦隊長会議は明るい雰囲気を維持したまま閉会し、彼女達は会議終了後に愛宕と高雄が調達してくれたお菓子を頬張って抱腹した戦隊長会議の余韻を楽しむのであった。
ちなみにこの日の事は何故だか上海方面行動中の朝日の耳に入っており、高雄を含めた第二艦隊の艦魂達は二ヵ月後の11月になって整備の為に戻ってきた朝日により、穏やかながらもとてつもない恐怖と迫力を兼ね備えたそのお説教を十二分に味わう事になる。帝国海軍に嫁いで41年。その経歴で培ってきた先輩の地獄耳の程に、彼女達は軽々しい先輩への言を大いに反省する事になるのであった。