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第五四話 「まだまだ修行中」

 昭和15年8月7日。

 積乱雲の壁を水平線に浮かべた晴天に、蝉の鳴き声が木霊する横須賀海軍工廠。

 

 部屋の中に充満する空気を退ける為に開けた明石(あかし)の部屋にある唯一つの舷窓も、熱せられた鉄の塊である明石艦の艦内ではその用を余り成していない。じとじとと汗が滲むほどの熱気が立ち込める室内は、ベッドの端で椅子に腰掛ける神通(じんつう)も少し煩わしさを覚えてしまう。


 相方である木村大佐が四日市にて調達してくれた団扇で顔を仰ぎながら、彼女はふと自身が身に纏う帝国海軍の軍装にあれやこれやと考察を巡らす。

 彼女が身に付けているのは帝国海軍の夏服とされる、純白の生地に金ボタンが眩しい第二種軍装。神通のそれは麻生地仕立てであるが、30度以上にも及ぶこの時期にあってはいくらなんでも詰襟の長袖という軍装は暑い事この上ない。しかも帝国海軍においては戦闘時の服装は冬は第一種で夏はこの第二種と決められており、例えそれがトラックやサイパンといった南洋方面であっても適用されるというのだから酷い話である。

 部屋の主である明石などは暑いとすぐに胸元を開けて風を送り込んだりしているが、あまり肌を見せる事が好きでは無い神通にはそんな暑さ対策は選択肢に浮かんでこない。そうなると彼女に残された選択肢は風通しの良い日陰でじっとしているか、今の様に団扇を顔の前で左右に振るしかないのであった。


 しかし汗が滲む神通の表情はそれほどまでに不機嫌そうではなく、いつもは三角定規の様に角ばった釣り目を丸く細めて口元を僅かに緩ませている。それは彼女が椅子に腰掛けて顔を向けているベッドの上に、新たに自分と同じ軍艦旗を背負う事になった友人の姿があるからである。

 最近は顔色も良くなって声の強弱が明確になってきた宗谷(そうや)に、神通はちょっと尖った感じがしながらも明るい声色で声を返す。


『なんだ、お前のトコの特務艦長は山田中佐だったのか。』

『え、ご存知なんですか・・・?』

『ふははは。ご存知も何も、ついこの間まで私のトコで副長をしていたんだよ。』

『え、そうなんですか?』

『あの男は中々に応急指揮が上手かったし、艦内の乗組員への気配りも大したもんだった。きっとお前のトコでも上手くやってくれるさ。』


 なんとも不思議な偶然を知った二人は、お互いに暑さを忘れて爽やかな笑みを交える。

 宗谷は未だにベッドの上に身を横たえる日々を送っているが、最近ではその頬や腕にそれまで目にする事が無かった張りが出てきている。青紫だった唇も今は赤色を充分に帯び、上半身を起すだけなら一人でも出来る程に回復していた。相方である木村大佐に頼んで神通艦の艦長用浴室を貸し切り、艦の主である神通と明石の手助けを受けながら埃まみれだった身体も綺麗にする事が出来た宗谷には、毛先の部分で丸くなろうとする綺麗な黒髪が頬や首の横に垂れている。そして垢と汚れを落とした事で鼻頭にあるそばかすをあらわにした彼女には豊かさをを取り戻しつつある表情と声色が備わっており、その事は見る者に彼女の回復ぶりをよく理解させるのだった。

 予期せぬ偶然を笑い合いながら神通もまた宗谷の元気な姿を喜び、同時に彼女のこれからに対して安堵を覚えてそれを遠慮なく声に乗せる。


『その分なら、近々の出発も大丈夫そうだな。』

『・・・はい。』


 ちょっとだけ宗谷は笑みを曇らせて返事をする。だが神通は彼女のその変化を不思議に思う事はなく、むしろそれは少しだけ嬉しかった。なぜなら宗谷が笑みを歪めた原因は、親しみを持ってくれている自分との別れが近いからだと察しているからである。神通はそれまで右手で握っていた団扇を左手に持ち替え、背もたれに掛けていた背中を少し折り曲げながら口を開いた。


『あと一週間くらい、だったか?』

『はい。15日に出航します・・・。』

『ん。そうか。』


 病み上がりの宗谷ではあるが、元々彼女の分身は既に改装も終わっている事から出航が近い身であった。そんな大事な時期に健康管理を自ら放棄するのは帝国海軍の艦魂としては許される事ではないが、そこにあった彼女の理由と苦しみを分かち合おうと決めた神通にはその事を咎めるつもりなど毛頭無い。まして彼女が向かう任地を知った神通は迫りつつある宗谷との別れをそれほど絶望的には捉えておらず、ほんの少しも笑みを崩さぬままで彼女にその理由を教えてやった。


大湊(おおみなと)に錨を下ろすのは初めてかもしれんが、仕事は北方海域での測量だそうだな。あの辺の海は慣れたモンだろう?』

『はい・・・。』

『ふん。それに来月には、私達第二艦隊も函館と青森への巡航の予定なんだ。すぐに会えるさ。』


 神通の言葉に宗谷はすぐに笑みを浮かべ、彼女の心遣いに対する感謝の意を表情だけで伝える。

 初めての職場に単身で出向くというのは艦魂でも人間でも緊張と不安の極みであるし、まして宗谷は民間からの移籍という境遇がある。いくら神通や明石の様に心を通わせる事が出来た友人がいたとしても、帝国海軍の艦魂社会全体がそうという訳ではない。例に漏れず宗谷もまたその事に緊張と不安を胸の中に渦巻かせているのは、当然といえば当然であった。そして神通が払拭してやったのも、まさにそこなのであった。

 おっかない風貌に似合わずに優しさを向けてくれる神通。聞けば帝国海軍でも最強の異名を冠する第二水雷戦隊の旗艦であるという彼女の心遣いは、宗谷のざわつこうとする心を赤子の手を捻るように静めていく。やがて元通りの笑みを浮かべた宗谷は感謝の意を込めて『はい。』と声を返し、神通もそれを瞳に入れて頷いた。




 すると神通の背後の方向に位置する部屋の扉からは重苦しい金属音が響き、宗谷と神通はその扉へと視線を流した。


『ふぅう、ただいま。』


 扉を開けたのは部屋の主である明石。その手に握られた取っ手の先には、彼女と宗谷の分の朝食が入った運搬函(うんぱんはこ)がぶら下がっている。

 宗谷と出会った夜の翌日からこうして明石は宗谷の分の食事も用意してやっているのだが、基本的に腹に入れば何でも良いというグルメスタイルの明石は普段から調達する食料は結構適当である。しかし栄養失調からの回復を企図する宗谷の食事はそうも行かず、味が薄いながらも栄養がしっかり補給できる食事を調達しようと明石は色々と考えを巡らせた。そして主計科の食事献立にあったカロリー等の数値と軍医らしく栄養学の知識を参考にして、宗谷の食事を用意する事にしたのだ。


 海軍の食事は一日3410〜3600カロリーを摂取するように作られているのだが、これでは布団の上で安静にしている宗谷はあっという間に肥満体質になってしまう恐れがある。しかし海軍の設定しているこのカロリー摂取量は別に間違っている訳ではなく、このぐらいの食事をせねば艦隊勤務という物は決して務まらないのである。一日6合、一食に付きどんぶり2杯のご飯が食べれるという艦内での食事は、それだけ重労働である艦隊勤務の実情をよく表した物なのだ。

 明石はこの事から調達する量を減らす代わりに、ビタミンや鉄分といった栄養素がバランス良く備わっている食事を用意する事に決めた。だが人間には姿が見えていないとは言え、これをバレないように烹炊室の中から拝借するのは中々に難しい物である。銀バイできそうにないからといって品目の妥協が出来ないからだ。既に皿に乗っていようが、烹炊所勤務の乗組員が調理代の周りを占領していようが、明石はなんとしても規定の品物の銀バイを完遂しなければならないのだった。


 一日3度の事ではあるが、そんな事から部屋に戻ってきた明石はいつもの明るさを湛えつつも、ちょっと疲労の色を顔に滲ませていた。だがそれを受け取る立場である宗谷が声を返すにも関わらず、明石はまるで苦い物を食べたかのようにみるみるその表情を歪めて行く。


『おかえりなさい、明石さん。』

『ううぇえ〜・・・。』


 唇の隙間から不協和音を漏らす明石だが、彼女はその声を宗谷の言葉に対して返すつもりで放った訳ではない。その理由を知る宗谷が苦笑を浮かべると同時に、彼女が横たわるベッドの脇にある椅子に腰掛けた神通が不敵に笑う。


『ふん。遅かったな。』

『ちくしょぉ〜・・・。』

『グダグダ言ってないで、さっさとメシを用意しろ。』


 先程の宗谷までとはうって変わって荒っぽい言葉を明石に返す神通。明らかに含みを持った不敵なその笑みに、明石は扉を閉めて宗谷の元へ歩み寄りながらも富士山のように口を尖らせる。決して不機嫌ではない神通と彼女が含んでいる事を、明石はよく知っているからだ。

 床に腰を下ろして運搬函の蓋を開けながら、明石は憎たらしい事この上ない神通に向けて言った。


『神通こそ、艦に戻ってご飯食べてくればいいじゃない・・・。』

『心配いらん。もうすぐだ。』


 邪険に接してくる明石の心情を小馬鹿にするように口元を緩める神通がそう言った刹那、彼女の言葉が正しかった事を示す声が部屋の扉の向こうからノックする音に続いて響く。


『明石さん、(あられ)どす。戦隊長のお食事を持って来たどす。』

『ん。入れ。』


 部屋の主である明石の返事を待たずに神通は声を放ち、部下である霰を部屋の中へと招き入れる。その事に不満げな表情を浮かべながら、お盆に宗谷の食事を用意する明石。時折、神通に怒りの色を湛えた眼光を向けているが、神通はそれを鼻で笑うだけである。ちょっと険悪になった部屋の空気に宗谷が困ったように明石と神通に視線を配るが、ご機嫌な神通は彼女に対して笑みを向けてその心の支えを消し去ってやった。


『おし、4人でメシを食うぞ。霰、お前もここで食って行け。』


 気心の知れた3人に宗谷を加えた食事はいかにも話の花の咲く楽しい食事になりそうであるが、明石の表情はやっぱりどこか曇りがある。その原因は、この食事が終わった後に彼女が過ごさねばならないここ数日の生活にあるのだった。





 それは宗谷が涙ながらに決意を決めた夜の翌朝の事。

 まだまだ力が入らないながらも頑張って食事する彼女の姿は、明石と神通の彼女に対する心配を大いに払拭してくれた。しかしそれによって神通は昨夜から胸の内に引っかかっていた事を思い出し、明石にその事を尋ねたのである。


『お前、なんで甲板で宗谷を抱きかかえてたんだ?』

『いやあ、病人を運ぶのって結構大変なんだね。あはは、途中でバテちゃったんだ。』


 神通ほどでは無いにせよ女性にしては長身の明石であるが、神通やその部下達の様に普段から身体を鍛えている艦魂達に比べれば非力なのは当然である。まして自身の体力を削るようにして日常から艦魂用の医薬品をちょっとづつ揃え、その上で軍医としてのお勉強もしているのだから、彼女に身体を鍛える時間が無いのは当然といえば当然であった。しかし仕事に対して時間の余裕が無いからといって妥協する事は、人間であっても艦魂であっても許される事ではない。頑張る姿勢だけでご飯が食べれるのなら苦労はしないし、そこに掛かるのが日本の命運と命である帝国海軍の艦魂にあっては尚の事だった。

 すると神通はいつもの口癖と供にげんこつを明石の頭に向けて振り下ろし、それを受けた明石はびっくりして彼女にその理由を問う。だが帝国海軍の艦魂として既に15年以上もお仕事をこなして来た神通の言葉に、まだまだ新米の艦魂である明石は反論できなかった。


『怪我人が自分のトコに来るまで放っておくのか、お前?もちろんその時は私も手を貸してやるつもりだが、動けない奴を自分の力で治療が出来る所に運ぶのも軍医であるお前の役目だろうが。』

『う・・・。』


 神通の言いたい事は明石もよく解っていた。

 あの時、彼女が明石の前に現れなければ、宗谷は手遅れになっていたかも知れないのだ。そしてそれは軍医として生きていく上では何度も遭遇する事になるであろう事態であり、その場に力持ちの神通という友人が常に控えている事など有り得る筈もない。宗谷を自身の艦にまで運んだ際に神通がいた事はただの偶然にしか過ぎず、それを結果良しとして顧みない事はダメだと神通は言いたいのである。

 明石は激痛の走る頭を撫でながらも、自分の不甲斐なさを思い知らされて今にも泣きそうな顔で俯く。だがそれを教えた神通とて、ただ彼女をしょんぼりとさせる為に叱ったつもりは無い。心の底から慕う友人の明石であるからこそ、神通はあえて自身の脳裏に浮かんだ言葉を極めて率直に伝えただけなのだ。故に彼女はその事に対しての解決策、すなわち明石の体力をどうすれば鍛えられるかという懸案に対しての解答を既に導き出していた。

 やがて神通は明石の肩に手を乗せて、先程のげんこつを謝るかのような笑みを浮かべながらその事を明石に伝える。しかし明石はその言葉に対して、喜びも嬉しさも湧かせる事は無かった。神通がさらっと口にしたそれは、帝国海軍艦魂社会において最も辛い身体の鍛え方に他ならなかったからである。


『今日から二水戦の訓練日課に参加しろ、明石。』

『ええええええええっ!!!!!』

『心配するな。2週間で主砲弾を担いで走り回れるようにしてやる。』


 気心が知れた仲である彼女ならと思って誘った神通だが、予想していた通り、明石は神通の言葉を受けて悲鳴が混じった声で絶叫した。それもその筈。当の神通ですら帝国海軍でも最も厳しいと自負している二水戦の訓練日課は、「私立神通学校」と艦魂の仲間内でも恐れられる筋金入りのスパルタ教育が繰り広げられる場なのである。気絶しそうになって思わず足元がふらついてしまう明石の反応も、決して無理の無い事であった。もちろん嫌がって逃げようとする明石は神通によって首根っこを掴まれて強制連行され、自身の不甲斐なさを身を持って叩き込まれる2週間が始まったのであった。唯一の救いは同窓の仲になった者に(かすみ)雪風(ゆきかぜ)朝潮(あさしお)に霰といった見知った顔があった事であり、最大の不幸はただ一人の教官がこの人である事くらいであった。





『・・・・・・。』


 部屋の主であるにも関わらず、明石は部屋の隅っこで口を尖らせながら頬を上下させていた。既に彼女の膝元にあるお皿の上からは調達してきた料理も消えかけており、迫りつつある恐怖の一日を憂いで肩を落とす。ふと視界を床から上げると、そんな明石の気など屁とも思っていない神通と部下の霰、そしてベッドの上で明るい表情をする宗谷が笑い声を伴って食事している光景が瞳に写る。本当は明石だって3人のように弾む声で話しながらの楽しい食事と行きたいのだが、一食に付きどんぶり2杯のご飯を食べないと身が持たないという海軍生活を地で行く二水戦の訓練日課の事を思うとその気も萎えてしまう。

 そしてこの時、明石はついに辛いここ数日の生活で蓄積していた衝動に駆られて、どうすれば訓練日課に参加しなくて済むか考えてしまう。やがて彼女は視線を眼前の3人から右に流し、そこにあった扉を瞳に入れて最も安易な回避術を思いつく。


 そうだ、逃げてしまえば良い・・・。


 師匠から教えられた一流の淑女という言葉も、残念ながら今の明石の脳裏には浮かんでこない。連日に及ぶ激しい訓練から逃れられるというささやかな希望だけを胸に秘めた明石は、未だに談笑しながら箸を進める3人を確認してそっと立ち上がる。やがて抜き足差し足で扉へと向かう明石だが、残念ながら彼女の最愛の友人たるこの人は既に明石がそろそろそんな行動を取るであろう事は予測済みであった。

 完全に足音を消して爪先立ちで歩く明石だが、すぐに彼女の耳には神通の声が届いてきた。


『猿! 犬!』

『『はい!』』

『げっ・・・!!』


 背後から響いた神通の声を認めるや、明石が視線を投げていた扉は開かれる。そこにいたのは神通の部下である霞と雪風であった。二人とも銃剣術の武技教練で使う木銃を片手に持ち、その肩には参謀飾緒(しょくしょ)と見紛うばかりの縄の束が引っさげられている。明石は眼前にて仁王立ちするそんな二人の姿を見た後に今度は背後へと振り返り、そこで水の入った碗を唇に傾けながら横目でこちらを見てくる神通を確認する。それは彼女が成そうとしていた訓練回避の策が、既に見破られている事を意味していた。脱走失敗だ。

 だが諦めの悪い彼女はすぐさま正面へと顔を戻し、ちょっと腰を屈めながらも両手を顔の前ですり合わせて呟くようにして雪風と霞に話しかける。


『み、見逃してよぉ・・・。と、友達でしょぉ・・・?ね・・・?』


 その言葉通り霞と雪風は明石にとっては神通に次ぐ友人であり、当の二人にとっても明石は階級こそ違うものの大切な友人であった。そしてそんな明石と一緒に頑張る事が出来るここ数日の訓練日課は、霞と雪風にとっては私立神通学校というおっかない日常における大きな楽しみでもある。もっともそこで疲労困憊の状態に陥る明石の姿は可哀想だとも感じているし、こうして目の前で頼まれるとちょっと彼女の行動を容認してやりたくもなってしまう。やがて霞は明石から視線を外して困ったような表情を浮かべながら頬を指先で掻き始め、雪風もまた明石から視線を外して口をへの字に曲げながら後頭部を掻き始めた。しかしすぐにそこには、二人の迷いを消し去る上司のお言葉が響いてきた。


『ひっとらえろ。』

『霞ぃ〜・・・、雪風ぇ〜・・・。』


 明石は小さな声で胸に抱く願いを訴えてくるが、絶対的なカリスマを持つ上司の声を受けた二人はそれに誘惑される事は無かった。霞と雪風の心の中にある天秤はいとも簡単にバランスを崩し、そこで重いと判断した物もまた同じであった。

 その刹那、二人は明石にその非礼を詫びながらも縄を取り出して飛び掛る。


『すいません、明石さん! とりゃあっ!』

『うはっ! 裏切り者〜!!』

『申し訳無いッス! 大人しくお縄を頂戴して下さい!』

『わあっ! は、離せ〜〜〜ッ!』


 二水戦の中で行われる柔道の武技教練では常に1位を奪い合う霞と雪風にかかっては、体格の差こそあれど明石には手も足も出ない。みるみるうちに明石の身体には縄が巻きつけられて行き、腕どころか脚までも彼女は縛り上げられてしまった。なんとか明石はそれを解こうとして身体を揺らしてみるものの、きつく縛られた縄はびくともしない。

 その内に明石の正面では、足元にて後片付けに精を出す霰を従えた神通が首を左右に捻りながら立ち上がった。コキコキと音を響かせてその首筋を撫でる神通は、一度明石に澄ました表情で視線を投げると、すぐにベッドの上にて上半身を起す宗谷に視線を戻して声を放つ。


『後片付けはこの霰がやるから、宗谷は早く体調を整えるんだ。』


 その言葉を受けた宗谷は、神通の後ろにてカチャカチャと物音を立てながら運搬櫃に手を伸ばす霰に目を向ける。やがて霰は自身と神通の分に併せて宗谷の分の食器をもしまい込んだ運搬櫃を担ぎ上げ、宗谷の視線に笑みを返しながら立ち上がった。すると神通もまた宗谷に笑みを向ける。


『昼にはまた来る。じゃあな。』

『はい・・・。』


 礼儀正しい宗谷は神通の優しさにお辞儀を伴って声を返した。それを認めた神通は小さく頷いてみせると、扉の前で仁王立ちする霞と雪風に視線を流す。そして彼女が顎で合図をすると同時に霞と雪風は縛り上げた明石の身体を担ぎ上げ、訓練日課の舞台である神通艦へと向かうべく部屋を出て行った。しかしこんな状態で連行される明石が大人しくしている訳もなく、彼女は二人に担がれながらも怒りの篭った声をあげる。


『神通のバカー! アホー!』


 霞や雪風は口が裂けても言えそうに無い神通を罵倒する言葉は、彼女の親友である明石ならではである。もちろん神通だってそれを理解しているので、その声が耳に入ったとて眉を吊り上げるような事は無い。

 しかしそんな言葉を何の遠慮もなく余りにも連呼する明石に、担ぐ霞と雪風は神通がご機嫌斜めになる可能性を憂う。機嫌が悪い神通による教育が如何に厳しいかを身を持って知っている二人。故にどうすれば明石の声を神通に届かないように出来るかと頭を捻るが、犬猿の仲なのに思考回路が双子の姉妹の様にソックリな二人はとある策を思いつく。


『雪風、歌う?』

『そうすっか。』


 そんなやりとりをした二人は頭上にて放たれるうるさい声を掻き消すべく、大きな声で軍歌を歌いながら歩いた。


『『月は〜隠れて海暗き〜! 二月〜四日の夜の空〜!』』


 兵学校にても歌われるその軍歌は、霞と雪風も含めた駆逐艦の艦魂達が誇る魚雷による戦闘を歌った物で、水雷戦隊においては人間達も頻繁に歌う物。そして私立神通学校の校歌とも言える物である。

 ワーワーと罵声を放つ明石を担いだ二人は、通路にその歌声を響かせながら神通艦へと向かっていった。


『嫌だー!! 離せー!!』

『『闇を〜しるべに探り入る〜! 我が軍九隻の水雷艇〜!』』

『私は魚雷なんか持ってないーー!!』


 こうして明石は二水戦へと強制連行され、今日もまた神通によってベッチンベッチンと尻を叩かれる一日を過ごすのだった。

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