表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/171

第四四話 「背を合わせる物/其の三」

 唇を噛み締めるグローリアスは両目の前に添えていた双眼鏡を下ろし、表情をそのままに身体を僅かに捻って背後に顔を向ける。そこ並ぶのは航空母艦たる彼女が載せているのに相応しい単発の航空機であるが、彼女はその光景に希望を見出す事はない。それは航空母艦で運用する為の機体ではなく、陸上基地での運用を目的とした機体なのだ。ノルウェー国から撤退する事に併せてつい昨日積み込んだばかりの航空機達を眺めながら、グローリアスは必死にこの危機的状況を潜り抜ける為の策を練り始める。


 遥か南の水平線から突き進んでくる敵影を横目に、彼女は脳裏で敵味方お互いの条件を比較させていく。だがそれは彼女が表情を一段と曇らせると同時にあっけなく終わった。脳裏に浮かんだ不利な条件を確かめるように、グローリアスは自らの分身の中央にて艦橋と供にそびえる大きな煙突に目を向ける。縦長で艦に対して垂直に立つ煙突からは曇天の空に溶け込んで行くかのように黒煙が立ち上っているが、彼女が知る上ではその煙は充分な量ではない。

 旧式巡洋艦からの改装空母である彼女だが、実は刻々と迫りつつあるシャルンホルスト艦と同等の30ノット以上の速度を出せる。ところが現在、グローリアス艦の18缶のボイラーの内で稼動している物は12缶しかなかったのだ。風雲急を告げるドイツ軍による攻勢は英国海軍にも焦りを生んでおり、グローリアスを含めたノルウェー方面行動の艦隊各艦は、充分な補給も出来ないという無理な状態で作戦に臨まねばならなかった。そしてその事は燃料の節約という行動上の制約を架し、グローリアス艦が全ボイラー使用での行動が出来ないという今の状況への引き金となっていたのである。

 今更ながらその事に尽き果てない後悔の念が湧くグローリアスであったが、すぐに彼女はその事に諦めをつけて左舷の海原に再び視線を戻す。残りの6缶を全力発揮可能な状態にまでするには、どんなに急いでも1日はかかる。つまり彼女は12缶のボイラーのみでこの状況を切り抜けなければならないのであり、同時にそれは敵が自分達へ追いつくのは時間の問題である事を明確に彼女に伝える。


『まずいわね・・・。』


 険しい表情を崩さぬままグローリアスはそう呟き、足元に光を放って黒い無線電話機を出現させる。何一つ希望が持てぬ今の状況が苦しめる胸に左手を当てながら、彼女は右手で無線電話機の上に置かれたヘッドフォンを握り、軍帽の上から自らの頭へと嵌め込む。相変わらず乗組員達の叫び声が木霊する甲板の上。彼女の耳にもそれはずっと流れていたが、右手に持ったマイクに向かって声を発するとすぐにグローリアスの耳には先程まで聞こえていた部下達の声が返ってきた。


『アカスタ、アーデント、聞こえてる?』

『ア、アカスタ、聞こえます。』

『アーデント、せ、戦闘用意良し。よ・・・よく聞こえます。』


 部下達の声から別れた時よりも少しだけ震えが消えている事にグローリアスは僅かに安堵の吐息を放つが、続けて放たれてきたアカスタの問い掛けによって彼女は表情を変える事ができなかった。悔しさを飲み込んでいる事を示す低く唸る様な声で、グローリアスはそれに答える。


『グローリアスさん、艦載機での支援は行えるんですか・・・?』

『残念だけど、できないわ・・・。格納庫にある5機の雷撃機にしても、6缶のボイラーが運転休止中で速力が出せないから、風向きも考えると発艦させる為の十分な合成風力が得られそうにないの・・・。』

『そう・・・ですか・・・。』


 落胆を隠せないアカスタの声にグローリアスは心の中で何度も謝りながら、自らの身体全体に淡く白い光を纏わせて甲板から艦橋天蓋の上に当たる部分にその身を移した。甲板よりも幾分は見晴らしが良い艦橋天蓋に足を付けると同時に、彼女は足元から響いてくる艦橋内にいる乗組員達の声を耳にする。そしてすぐさまその内容を部下達へと教えてやった。


『いま緊急電を放ったわ。味方の増援が来るまで、なんとか私達だけでこの状況を凌ぐしかないようね。』


 足元から響いてくる喧騒を他所に、グローリアスは胸に手を当てながら落ち着いた声を放つ。彼女の背後には缶圧が上がり始めた事を示す一層の黒煙が煙突より天に向かって昇ってゆく光景があるが、それでもまだ彼女が全力の速度は出せない事に変わりはない。グローリアス艦の背後からその光景を目にしていたアーデントは、恐怖感に今にも押し潰されそうな心を滲ませた声でマイクに向かって口を開く。


『グローリアスさん、て、敵の兵力は解らないんですか・・・?』


 キッと左舷の海原に視線を向けながらその声を耳にしたグローリアスは、その声に一瞬の間だけ迷いを抱く。部下の士気を思うならば適当に誤魔化す事もまた一つの方法であったが、彼女は先程まで部下が話していた光景の記憶によって、彼女達に嘘を伝える事に抵抗を覚えてしまう。

 アーデントとアカスタが艦魂として生きる上で大事な物と位置づけていた、騎士たる者の三大美徳の一つ「誠実」。もしかしたらここで命を落とすかもしれない二人の部下の事を思った時、グローリアスは自分や彼女達が含めた英国海軍の全ての艦魂達が信じる、艦魂としての大事な事を自身もまた貫こうとこの時に決心する。自分達の命が失われるかもしれないからこそ、絶対的な危機に瀕している極限の状態である今だからこそ、彼女はそれが必要であると考えたのであった。

 部下達の絶望にうちひしがれる姿を見たくないと良心を苦しめながらも、グローリアスはマイクを口元に近付けて極めて冷静に声を放つ。


『・・・敵はドイツ軍のシャルンホルスト級巡洋戦艦。』

『・・・!!』


 僅かに低い呻き声を放つアカスタとアーデント。その声はヘッドフォンを伝わってグローリアスの耳にもはっきりと聞こえていたが、彼女は構わず含んでいる事を言葉に変える。


『私がさっき見た時は一隻だけだったけど、これまでのドイツ軍との戦闘記録を踏まえると、単艦で行動している事は考えられない。まだ見えていないだけで、すぐ近くにもう一隻の姉妹艦がいる筈だわ。あ、待って・・・。』


 そこまで言ったところで、グローリアスは足元から響いてくる艦橋の中での乗組員達のやりとりに耳を傾ける。すると一際大きな声で報告を行う水兵の声が彼女の耳にも届き、グローリアスは今しがた部下達に教えた敵戦力の可能性を確信した。噛んだ奥歯に力を入れつつも、彼女は再び口を開く。


『間違いない・・・。左舷に認めた艦が電波を放っているのを私の艦でも傍受したわ。きっと僚艦に通報したのね。敵は最低でもシャルンホルスト艦と、その姉妹艦であるグナイゼナウ艦よ。』


 信じるままに行動するといえば聞こえは良いものの、今のグローリアスに限ってはそれを誇れるような気が微塵もしない。彼女が部下達に伝えた物は、より増した絶望感以外の何者でもなかったからだ。その証拠にアカスタもアーデントも言葉を失ってしまい、彼女の耳につけたヘッドフォンからは二人の吐息すらも聞こえてこない。

 しかしグローリアスの胸の奥には、小さいながらもまだ一縷の望みがあった。大英帝国海軍の艦魂として長く生きてきた彼女は、つい3ヶ月前の3月まで地中海やインド洋での作戦に従ってきた実戦経験があり、その経験上でいろんな戦い方を目にしてきた。さらに彼女は空母として改装される以前は巡洋艦として生きていた過去もあり、水上戦闘においてはまったくの素人ではない。グローリアスは眉をしかめて左舷を睨んだままだが、その脳裏にはこれから取るべき自分達の行動に関して一つの可能性を見出していた。

 そして幸運な事に彼女の分身の指揮をとるヒューズ艦長もまた、その考えは同じだった。

 昨年の8月からの付き合いとなるヒューズ艦長の声が足元から響き始めると同時に、グローリアスは先程脳裏を過ぎらせた部下達の言葉を再び思い出す。如何なる時も捨ててはいけないそれを、彼女は足元から響く艦長の声が自身の考えと全く同じであった事によってなんとか見出した。


『アカスタ、アーデント、落ち着きなさい。』


 接敵から既にかなりの時間が経っているが、そう言ったグローリアスの瞳に移る左舷の向こうの敵艦はまだまだ粒のようにしか見えず、敵の射程圏に入るまではまだ少しだけ余裕がある事を彼女に伝える。いつの間にか首筋に滲んでいた冷や汗を袖で拭いながら、グローリアスは一度呼吸を整えてから部下への語りかけを続ける。


『二人ともよく聞きなさい。確かに私達にとっては危険な事態だけど、敵と私達では戦闘においての目的が明確に違う。そこを上手く利用できれば、勝算はあるわ。』


 それぞれの艦橋天蓋の上で文字通り声を失って呆然としていたアカスタとアーデントだったが、グローリアスの落ち着いた声は二人の心を撫でるかのようにその耳に届き、それまで凍りついていた二人の喉を解放する。その中でも3人の内で最も恐怖を募らせていたアーデントは、グローリアスのその落ち着きにすがる様な想いを込めて声を返す。


『勝算・・・? か、勝てるんですか・・・?』

『アルファベット作戦における私達の任務は、奴等と戦う事ではないわ。私の甲板に積まれた航空機と、私達3人が無事にスカパフローまで辿り着く事よ。敵に遅滞行動を展開しつつ味方の支援が貰えれば、充分に勝算はある。そして敵には駆逐艦や巡洋艦の補助艦艇が無い。つまり敵からの砲撃回避のみに専念すれば良いだけ。運頼みの面もあるけど、上手く砲撃さえ凌げれば逃げ切れるわ。』


 グローリアスの静かな声をヘッドフォンから耳に響かせていたアカスタとアーデントは、その声に撫でられるかのようにしてざわついていた心を静めていく。ヘッドフォンと耳の隙間から漏れてくる波と風の音に二人が気付くと同時に、それまで小刻みに震えていた二人の膝は動きを止める。しばらく振りに戻った自身の身体の重さをアカスタもアーデントも感じ取り、その事によって二人は自身が冷静さを取り戻しつつある事を自覚し始めた。今のアカスタとアーデントの目に映るのは先程よりも少し色合いが増した海と、その遥か向こうに小さく見える敵の艦。今まで直視できなかった敵の姿であるが、二人はそこに何の感情も湧かせなくなっていた。危機的な状況という点では変化は無い今という瞬間だが、二人の心には小さいながらも「希望」という名の光りが灯り始めたのである。

 その姿はグローリアスからは見えていないが、耳に添えたヘッドフォンの奥から響いてくる二人の心の変化を示す言葉に、彼女は部下達のそんな様子を窺い知る事が出来た。


『そ、そっか・・・、正面から撃ち合いをしなくてもいいんだ。大袈裟にターンして魚雷を撃つだけでも、敵にしたら回避行動を取らざるを得ないんだ・・・。おい、アーデント!』

『解ってるよ、アカスタ。私の艦長も水雷戦の用意を指示したよ。それと煙幕の用意もね。』


 覇気が伴い始めた二人の声と自身が意図した事を理解してくれた事を示すそのやりとりに、グローリアスは僅かに口元を引きつらせる。集団戦において最も大事な意思の統一。24年に及ぶ戦闘艦艇の艦魂として過ごしてきた経験から学んだそれを、戦闘が始まる前に実らせれた事にグローリアスは安堵したのだった。

 まず一つ敵に対しての武器を得た事を噛み締めながら、彼女は再び双眼鏡を両目の前に添えて敵の姿を窺う。そしてそこに認められた敵情の変化を、グローリアスは声色を変える事無く言った。その変化は、先程からグローリアスも予想していたからである。


『左舷の敵は増速して緩く取舵をきったわ。私達の針路を塞ぐつもりね。あっ・・・!』


 グローリアスが小さく驚きの声を上げる中、彼女の足元から乗組員達の声が響く。矢継ぎ早に艦橋のあちこちから放たれる報告を天蓋の上に立っているグローリアスが耳にしたその時、ヘッドフォンの奥からは同じ様な言葉を放つ部下達の声が木霊してきた。


『アカスタ、もう一つの敵性艦を確認!』

『アーデント、こっちでも視認! 先頭の回頭した艦と艦影がほぼ同じ、やっぱり・・・!』

『ええ。どっちがどっちかまでは解らないけど、シャルンホルスト艦とグナイゼナウ艦で間違いないわ。』


 部下の声に被せる様にしてそう言ったグローリアスが睨みつける左舷の向こう。そこには浅く取舵をとって側面を僅かに見せる艦の背後に、同じ艦影を持つ艦が濛々と排煙を昇らせて突撃してくる姿があった。

 3人と時を同じくしてグローリアス艦のヒューズ艦長もそれを認めており、彼は兼ねてから考えていた取りえる策を実行に移すべく、護衛のアカスタ艦とアーデント艦に向かってとある行動の要請を行うよう命じる。その声を足元から聞いていたグローリアスは敵艦を睨みつけたまま、すぐに右手に握ったマイクを口に近づけて同じ内容を部下に伝えた。


『アカスタ、アーデント、煙幕展開用意。』


 自身の声に続いて部下達の返事が彼女の耳に響いてくる。敵に先駆けて行動を開始した事はグローリアスの心に少しだけ安堵の色を浮かべてくれるが、眼前の敵影は彼女のそれをすぐさま失わさせた。まだまだ肉眼では粒の様にしか見えない敵影であるが、双眼鏡を通して見るその様子にグローリアスを始めとした彼女の分身の乗組員達は思わず声を失う。


『来る・・・!』


 やっとの事でそう呟いたグローリアスが視線を向ける海原。そこにあったのは相も変わらず艦首を海中に突っ込ませたように高くそびえる白波を伴って接近してくる敵艦2隻だが、取舵をきって艦の側面を晒した方の艦上にある砲塔は艦首と同じ方向を向いていない。その砲塔から生えている主砲は高々と仰角を与えられ、グローリアスの視線に対抗するかのようにして彼女を睨みつけていた。

 アカスタとアーデントはグローリアスの呟きを受けて生唾を飲み込む音をマイクに響かせるが、グローリアスはその音を耳には入れていても頭には入れていない。

 そして彼女達とその乗組員達は目測にして約26000メートルの向こうに、粒のような黒い艦影からパッと赤い炎が一瞬だけ放たれる光景を目に映す。刹那、唇を真一文字に結んで眉をひそめるグローリアスの足元からは、静寂を切り裂くようにして観測していた乗組員の叫び声が響いてきた。


『敵艦発砲ー!』






 乗組員の声に続き、グローリアスもまた声を発して部下達への指揮を始める。


『取り舵をきっていま発砲した敵を一番艦、それに後続する艦を二番艦と仮定!』


 グローリアスの言葉にアカスタとアーデントは了解の意を含んだ声を返したが、言い終えると同時に視線を向ける先から響いてきた轟音によってグローリアスはその声を聞き取る事は出来なかった。自身もその昔は放っていた発砲音というなの轟音。その事を悟ったグローリアスの耳には、続けて破裂したパイプから高圧蒸気が断続的に漏れるのと似た音が届いてきた。それは彼女が生を受けて以来初めて耳にする音であったが、その音の正体もグローリアスには解っていた。耳を劈くその音を確かめるようにして、グローリアスは空に視線を向ける。聞こえ始めてからすぐに一段と大きくなったその音は段々と小さくなっていくが、その音はやむ気配がない。そしてふとグローリアスは敵のいる方向とは逆の右舷に顔を向ける。するとそこには数十メートルにも及ばんとする水柱が突如としてそびえ立ち、すぐさまそこから生まれた爆音と爆風がグローリアス艦の右舷に襲い掛かった。

 滝の様に降ってくる巻き上げられた海水を頭から被るグローリアスは、僅かに表情を歪めて頭に乗せた帽子が落ちないように手で押さえる。顔の横をすり抜けていく生暖かい風は彼女の濡れて重くなった前髪を強引に靡かせ、同時に真正面から彼女の顔へと海水の塊をぶつける。

 全身ずぶ濡れになるグローリアスだが、彼女はそんな事を気にも留めずに再び敵のいる左舷に顔を戻した。


『1632。敵一番艦、試射開始。次は左舷手前よ。』


 グローリアスが何事も無かったかのように落ち着いて声を発する最中、彼女の正面からはまたしても発砲音が響いてくる。そして再び特徴的な蒸気が漏れるような音が続くと同時に、グローリアス艦の左舷数百メートルの辺りには水柱が高々とそびえ立った。その直後には再び生暖かい風と轟音に包まれ、グローリアスは僅かに身を屈めてそれに耐える。二度も頭上から浴びる滝のような海水によって、彼女は上着所か靴の中まで濡れてしまうが、それでもグローリアスは表情を変えていなかった。敵が行おうとしている攻撃がまだ本格的な物ではない事を知っているからである。僅かに首を左右に振って水気を切り、治まり掛けた海水の山の向こうで霞んで見える2隻の敵艦を再び視界に捉えるグローリアス。その耳にはアカスタとアーデントが自分を心配する声が聞こえてきていたが、同時に敵の一番艦がその主砲の全門を同じ仰角に揃えている事を認めたグローリアスは、騒がしい部下達の声をかき消すかのようにして叫んだ。


『本射!! 来るわよ!!』


 マイクを握った手に力を込めてそう叫ぶグローリアスの向こう。彼女が叫ぶと同時に、そこにあった一番艦は艦尾にある分も含めてグローリアスに向けていた3基9門の主砲を一斉に発砲し、その身を一瞬の赤い炎で包む。するとグローリアス艦の辺りは落雷でもしたかのような猛烈な爆音が響き、次いで幾重にも重なった漏れた高圧蒸気に似た音が木霊していく。だが先程とは違い、グローリアスを含めたその艦上にいる者達は、その独特の音が今度はほとんど静まらずに鳴り響いていく事に気付く。

 そしてその音が鳴り止まぬまま、グローリアス艦の左舷中央部のすぐ近くには、水柱が連なった事によってできた海水の山脈が隆起した。


 襲い来る轟音と海水の大滝、そして乗組員達の足元を揺らす激しい振動。低く短い呻き声を放って背後の壁に捕まりそれに耐えるグローリアスだったが、彼女はその水柱の位置が思いの外近かった事に顔をしかめたまま驚く。


『初弾でこれ・・・!? な、なんて正確な砲撃精度なの・・・!!』





 自分の艦の艦橋天蓋でその悲痛な上官の声を耳にしたアカスタは、左舷で火を噴き始めた敵艦から背後を後続するグローリアス艦に視線を流した。グローリアス艦は先程の轟音と爆風が嘘だったかのように霧雨となって散っていく水柱の壁を左舷に伴いながら、うねった波に大きく上下に揺れられて続いてくる。自分よりも20倍も大きい上官の分身であるグローリアス艦だが、今のその姿は川を流されて行く木の葉の様にフラフラと波間に浮かんでいるようであった。アカスタは思わず握っていたマイクを口に近づけ、大きな声で上官の安否を問う。


『グローリアスさん!! 大丈夫ですか!?』


 声を放ったその間際にも、グローリアス艦の左舷近くには再び凄まじい爆音と熱風を伴って海水の壁が隆起する。その光景に最後尾として後続する妹も我慢ならなかったのか、アカスタの耳に添えたヘッドフォンからはアーデントの叫びが木霊してきた。


『グローリアスさん・・・!!!!』


 二人の悲鳴にも似た声が響いているであろう上官だが、アカスタの耳に孵ってきた上官の言葉はそれを制止する物であり、それはアーデントもまた耳にしていた。


『余計な事を口にするのはやめなさい!!!』


 グローリアスの一喝に僅かに身を震わせるアカスタであったが、彼女はそれによって上官のその身には何一つ損傷が無い事を悟り、顎の先端に滴る汗を袖で拭って荒い息を落ち着かせる事が出来た。そして自身が取るべき行動の用意がまだ終わっていない事に今度は腹立たしさを覚え、決してその声が届く乗組員がいない事が解っているにも関わらず、アカスタは足元にある自身の艦橋を睨みつけながら声を荒げる。


『くっそー!! 煙幕の用意はまだかよ!!!!』


 地団駄を踏んで彼女は怒りをあらわにするが、直情的なアカスタのその言葉を耳にしたグローリアスはそれをなだめる為に今度は静かな声で指示を伝える。激しい動揺に耐えながら声を発している事を示す苦しげな上官の声を、未だに指示通りの行動ができていないアカスタとアーデントは歯を食いしばりながら耳にした。


『落ち着きなさい、アカスタ。ぐっ・・・、敵の射撃精度が思ったより良いわ・・・。お互いの間隔をもう少し開けて─。』


 足元を睨みながらグローリアスの声を耳に入れていたアカスタだったが、上官の声が途切れると同時に、アカスタは視線をむけている足元が一瞬だけ背後から照らされるのを認めた。そして彼女はその奇妙な光景に怒りを忘れて一瞬だけ呆然となるが、すぐに背後から鉄が軋んだりぶつかり合ったりする音が混じった大音響が襲い始める。その爆音に思わずすくみ上がったアカスタの耳には、僅かに遅れてグローリアスの悲鳴が届いてきた。その声に気付いて後ろを振り返ったアカスタの瞳には、両舷に林立する水柱の中で、艦中央から黒煙とそこにあったであろう鉄材を勢い良く巻き上げられたグローリアス艦の姿があった。







『ぁ・・・、あがっ・・・。』


 グローリアスは背後にあった隔壁に身体を打ち付けられ、崩れるようにしてそこに倒れていた。

 身を突き刺すような激しい痛みに左脇腹を襲われ、彼女は苦しみながらも無意識に患部に手を伸ばす。彼女の手に伝わってきたのはそこら中に降り注いでくる海水ではない別な何かを示す、生暖かくドロドロとした液体の感触だった。同時にそこにあった自分の身体の一部が無くなっている事を彼女は悟り、自分が陥った状況を理解する。いつの間にか苦しくなっていた呼吸を噛んだ奥歯に力を込めて整えようとするグローリアス。その横になった視界には、自分の身体の一部だったであろう鉄の残骸が空を示す方向から無造作に落下してくる光景が広がっていた。

 苦痛に呻き声を上げながらも、グローリアスは倒れている床の下から響いてくる被害報告によって自身の損傷の詳細を知る。その報告に対して折り返して指示を出すヒューズ艦長の声に、グローリアスは自身もまた指揮官である事を思い出し、目の前に転がっていたマイクを震える手で手繰り寄せて口に近づける。


『グ、グローリ・・・ス、ひ、被弾ッ・・・!』

『グローリアスさん!!!』


 部下の声を支えにするかの様にして、彼女は真っ赤な血と肉の切れ端がぶら下がる脇腹を押さえながら立ち上がる。いとも簡単に体重を逃す両の脚は当てにならず、グローリアスはマイクを握った腕を壁に引っ掛ける様にして立ち上がる。身体のどこかに力を込めるその都度放たれる、グローリアスの苦痛に歪んだ呻き声。それを耳にした部下達が必死に彼女の名前を呼んでくるが、グローリアスは立ち上がった事で目にした自身の分身の惨状を甲板に認め、部下達の声を無視して自身の状況を伝える。


『ひ、飛行甲板、貫通・・・! 格納、庫で、炸裂! はあはあっ・・・! ボイラーケーシ・・・、グ、は、破損・・・! き、機関出力・・・、低下ある、も、航行に、くぁッ・・・、支障無し・・・─!』

『1638! グローリアス艦、機関出力低下あるも航行に支障なし!! アカスタ、アーデント供に了解!!』


 それ以上グローリアスの痛々しい声を聞く事が出来ず、アカスタは無礼を承知で強引に上官の言葉を遮った。そしてグローリアス艦の後ろを続くアーデントもまた、眼前の光景とそれまで響いてきた悲痛なグローリアスの声を受けて、上官に無理をさせまいと敵情の把握に努める。

 グローリアスは部下の気遣いに感謝しつつも、気が抜けて崩れそうになった両脚に再び力を込めて甲板を見下ろす。黒煙を噴出す大穴を作った甲板ではその付近にあった積荷の航空機が燃えており、塗料の焼ける強烈な匂いが黒煙と供に甲板を支配していた。耳を澄まさずとも勝手に聞こえてくる絶え間ない連続した轟音と、その発信源である自身の周辺に林立する水柱。グローリアスはさらにその向こうに霞む敵影を捉えようとするものの、立っているのも辛い彼女にはそれを探す事が出来ない。だがそんな彼女を全力で助けようとする部下達の声によって、彼女は敵情を知る事が出来た。雑音混じりとなったヘッドフォンから漏れてくるアーデントの声に、グローリアスは強く歯を食いしばりながら耳を傾ける。


『敵一番艦、針路330度、29ノットで航行しながら斉射続行中! 敵二番艦は針路同じで未だ増速中、但し一番艦より優速!!』

『グ、グローリアス、りょ、了解・・・! んぐッ・・・!』


 なんとか声を返すグローリアスであったが、彼女はその時、喉まで出掛かった事を口にするのを良しとせず、バックリと切り裂かれた左の脇腹を押さえる手に力を込めて口を噤んだ。

 「煙幕展開急げ」

 その言葉を口にすれば幾分は痛みも和らいだのかもしれないが、そんな事は百も承知であるアカスタとアーデントの心の内が彼女には無難に想像できたからである。そしてさらに彼女の脳裏を過ぎったのは、そんな二人が話していた艦魂として生きる上での大事な言葉の内の一つ。他人を見返り無く慈しむ事の出来る「慈愛」であった。何時如何なる時にも捨ててはならないとされるそれらの言葉を胸に秘め、グローリアスは苦しみと痛みに耐えながら彼女等と戦う事を心の中で自分に言い聞かせる。やがて彼女は歪んだ表情のまま顔を上げ、黒煙の隙間に見える曇天の空に向かって祈る。



Our Father which art in heaven,

Hallowed be thy name.

Thy kingdom come,

Thy will be done in earth, as it is in heaven.

Give us this day our daily bread.

And forgive us our debts, as we forgive our debtors.

And lead us not into temptation, but deliver us from evil,

For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever.

Amen.


 (天にまします我らの父よ。願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。御国(みくに)を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが(ゆる)す如く我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン。)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ