第四一話 「夏季艦隊訓練開始」
昭和15年5月29日。
穏やかな晴れ模様の呉軍港では、舫いを解いて桟橋から離れていく朝日艦の姿があった。
載炭作業によって文字通りの黒船になっていた朝日艦も、その後すぐに行われた清掃作業によって再び雪の様な純白のその身を波間に映す。それを担当した乗組員達の苦労はしのばれるものの、こうして新たな任務地へ向かわんとする歴戦艦の勇姿はそれを目にする者たちに威厳と誇りという物を良く伝え、乗組員達は自らの汗を伴った化粧直しの成果に胸を張った。
今日も工廠内のあちこちから響く重機の音に包まれ、まるで別れを惜しんでいるかの様に艦の上空で旋回するカモメの群れの直援を受けて、朝日艦は陸地を背にして艦首に白波を起こし始める。
かつては連合艦隊の旗艦も務めた事がある朝日艦であるが、既に世は彼女の生誕から41年を迎えている。昔の様に大勢の歓声と、草原に隙間無く咲いて風に揺られる花の様だった日章旗に見送られて出航する光景はそこには無く、その様子を目にした若い工員達にとってはただ旧式の特務艦が出かけていく様にしか思えない。
時代の流れとそこに生まれる寂しさ。常に冷静で優しげな笑みを浮かべる朝日も、その寂しさには少しだけ笑みを歪ませてしまう。彼女自身、何度もその身に傷を帯びながら戦い続け、妹の死を始めとした辛い思いも嫌と言うほどに味わいながらこれまで帝国海軍にご奉公してきた。その働きの末にある姿が今のような光景だというのは、朝日にとっては少々口惜しい感覚を覚えさせてしまう。
スタンウォークから少しずつ遠ざかる呉の風景を眺めながら、朝日は小さく溜め息をした。視界に入る岸壁には手を振る人の姿は見えず、耳に届いてくるのは回転数を上げ始める自らの機関と足元から響いてくる波の音だけ。すぐそこにあった教え子の分身である明石艦も昨夜の内に泊地を変更しており、明石とのお別れももう済ませた朝日。しばしの別れを明石は惜しみ、再会を期すまでの分を今ここで一気に伝えると言わんばかりに彼女は朝日に抱きついてきた。そんな明石の事は朝日には嬉しかったし、今日ここで見送ってくれなかったとしても彼女を責めるつもりは無い。ただ、朝日の心にはほんの少しだけ、今の自分を恨めしく感じる気持ちが湧いていた。
諸行無常の響き有りとは、こういう事だろうか?
そんな言葉を自嘲気味に胸の奥で放った朝日。瀬戸内の潮風が彼女の朱い髪をフワフワと靡かせるが、その髪の隙間から覗く朝日の表情からはすぐに歪みが消える。
寂しい事この上ないが、これで良い。古い者がいつまでも幅を利かせて崇められるのは間違いであり、新たな時代に主役として生きるのは新たに命を授かった者達の当然の権利なのだ。そこには人間も艦魂も無く、命の在り方とはそういう物なのである。だから『こんなボロ船、いらねえよ。』と言われるぐらいが、年老いたお船にとってはちょうど良いのだ。そして命のバトンを次代に渡し、解体されて再び鉄屑へと戻っていくのが艦の在るべき姿であり、同時にそこで生涯を終えるのが艦魂の在るべき姿なのだ。その時期を自分で選ぶ事ができないのが残念ではあるが、妹の様に薄幸の生涯を送る者が多い艦魂の一員として、今もこうして生きる事ができる私はとても幸せだ。これ以上の贅沢などあるまい。
言い聞かせる様に胸の中で呟いたその言葉。それが朝日の出した答えであった。今日も青い空を瞳に映せる事、今日もカモメ達の囁きを耳に入れる事ができる事、今日も仲間や後輩達と一喜一憂できる事、そしてなにより、今日もこの世を生きれる事。かつての栄光をすっかり失いつつある姿であっても、例えそれが格好悪い事であったとしても、考えを改めた朝日は心から今という瞬間を喜んだのである。いつもは老いという物を冷酷に伝えてくる41年の記憶も、今の朝日には可笑しく笑う事のできる物でしかない。彼女は僅かに笑い声を漏らしながら、今日も変わらずそこにあった呉の景色に別れを告げた。
『軍医中将に対し敬礼!! 捧げ〜、銃!!』
呉の街並みに朝日が手を振ろうと右手を肩の高さまで上げたところで、朝日の耳にはそこに響く全ての音を一刀両断するかのような精悍な声が届いてきた。すでに艦首に白波を立ててから10分は経過している。突然の声に朝日は何事かと思い、声が響いてきた右舷に顔を向ける。そこにはかつて朝日も掲げた事のある中将旗を高々と翻した長門艦がその身を浮かべており、その艦首付近の甲板には後輩達が整列して直立不動の体勢で敬礼をする姿があった。
それは連合艦隊旗艦による絶対命令で集められた呉在泊の艦魂達が整列する姿であり、その中には明石もまた混じっていた。
普段は滅多に話す機会すらない中将や少将の襟章をつけた先輩艦魂達を後ろに連ね、純白の第二種軍装を珍しくちゃんと着た長門は軍刀を斜めにして朝日に敬礼をとる。長門の心遣いで彼女の隣で師匠を見送る事を許された明石だったのだが、右手を額に当てたまま横目でチラっと長門の表情を覗いてみる。そこにはまるで別人と思わせるような精悍な表情で朝日艦を見送る長門がいた。真一文字に結んだ唇と、少し眉をしかめるようにして正面に向けた彼女の眼差し。真っ直ぐに伸びた腕や脚、背中は剥製かと疑ってしまう程に微動だにしない。それは明石が今まで見た事の無い長門の姿である。
「メンドい」という言葉をこよなく愛し、上着を羽織るように袖だけ通して着る姿は最早彼女のトレードマーク。挙句の果てには公務を嫌って、毎度の様に自分の艦から脱走してくるというぶっ飛んだお姉さんである長門。常にそんな彼女を見てきたのは、なにも明石だけではない。だがそこにいるのはまるで絵に描いたかの様な麗しい帝国海軍艦魂の姿であり、長い黒髪は風に揺られてまるで彼女の背に翼を生やす様。時折軍刀が反射させる光は、それを目にした者には天に輝く太陽ではなく彼女の身体から放たれているのかと錯覚させる程である。
師匠の見送りが目的なのは明石も解っているのだが、そのあまりの見事な長門の姿に明石は思わず視線を釘付けにしてしまう。そしてその場にいた仲間達も、明石と同じような思いを込めて長門の姿を視界に入れていた。「やればできる子」どころの話ではない。今まさに彼女達の目の前をゆっくりと進んでいく大先輩を凌駕する程に、長門とは艦魂としての理想的な姿を持った艦魂なのである。同時にそこに込められた長門の想いを、明石を始めとしたその場にいる全員が悟る。朝日とは軍医という同じ立場で師弟の関係を持つ明石以上に、長門は誰よりも朝日という艦魂を心から尊敬していたのだった。
そして同じ様にその姿を目に入れた朝日もまた、軍医としての教え子である明石の事を気にかけながら、そんな後輩の凛々しい姿に口元を緩める。41年に及ぶ彼女の帝国海軍生活において、この長門ほど艦魂という存在の理想を体現できる者はいなかった。美しくあると同時に力強さをも兼ね備えたその姿は、先輩として彼女を導いてきた朝日に対して、艦魂としては完全に自分を超えた存在となった事を明確に伝える。自分よりも強く、自分よりも美しい。しかし不思議な事に、それに対しての嫉妬や悔しさといった邪悪な物は朝日の心にはまったく湧いてこない。朝日はただ、嬉しさからくる笑みを向けて肩の高さで手を振ってやった。
艦魂としてはあんなにも究極な姿を持つ者に、私は命のバトンを渡せた。私が教えた事の集大成として、彼女はあんなにも素晴らしい姿を持つに至った。あの長門の姿こそ、私が追い求めた艦魂として生きる者の理想の姿。
手を振って後輩達に別れを告げながら、朝日は嬉しそうに微笑む。そこには別れを惜しむとか、仲間達の心遣いで寂しさを紛らわそうとする様な朝日の姿は無い。41年に及んだ海軍生活の果てに辿り着いた今という瞬間。それは朝日に無上の喜びを与えると同時に、今はもう老朽艦となった自分の事を励ますようでもあった。
私の過ごしてきた41年は、決して無駄ではなかった。
私は、・・・間違ってはいなかった。
これまでの艦魂としての彼女の生き様。時に笑い、時に迷い、時に泣きながら駆け抜けてきた41年だが、そこで自身は舵取りを誤らなかった事を悟り、朝日は心の底から喜んだ。既に艦尾の方向に遠ざかり始める長門艦に向かって手を振りながら、彼女はその場を通り過ぎていく潮風に託すようにして小さく言葉を発する。
『ありがとう・・・。』
緑が濃くなった瀬戸内の島々を背に、暖かな日差しとカモメの直援を受けながら朝日艦は呉の海を旅立っていった。
昭和15年6月3日。
この日、しばしの間静かだった愛宕艦には、古賀長官の久々の覇気が篭った声が響いた。そしてそれを待っていたかと言わんばかりに、呉の波間に身を浮かべていた艦艇群は続々と抜錨を開始する。
佐伯湾を作業地としての夏季艦隊訓練が始まるのであり、母港でのんびり錨を下ろしていた第二艦隊所属の全艦には佐伯湾を目標とした集結命令が発令されたのである。艦体への定期塗装も済ませた各艦はピカピカに輝き、前日までに済ませた物資搬送によって各艦の喫水線は赤い艦底を見せる事は無い。
例に漏れず明石艦も錨を揚げ、第二艦隊の単縦陣隊形の最後尾として随伴。
しばらくはなりを潜めていた彼女の軍医としての生活が再び始まった。
同6日、第二艦隊の内、呉在泊だった各艦は佐伯湾に到着。横須賀や佐世保を母港とする所属の艦の到着を待ちながら、歴史豊かで海軍との縁も深い佐伯湾の光景を楽しむ。
豊予海峡を過ぎて南下した九州南東部沿岸にあたる佐伯湾は、戦国時代末期に建築された佐伯城の城下町として栄えてきた歴史のある土地だ。山がちな地形から必然的に農業が発達せず、石高も2万石とお世辞にも肥沃と言える土地ではないのだが、佐伯湾がもたらす豊富な海産物と、遠浅で波が静かな港としての好立地条件を生かし、小さな土地ながらも江戸時代には佐伯藩として歴史に名を残している。特に海産物の恵みはつとに有名であり、「佐伯の殿様、浦で持つ。」と人々にはその名を知られてきた。
また、幕末において異国船への防備として砲台を設置された事を皮切りに国防の歴史を歩み始め、昭和9年には湾中央の女島に呉鎮守府隷下として佐伯海軍航空隊が置かれた地でもある。豊後水道哨戒を主任務とする為に水上機や偵察機を多く配備していたが、佐伯海軍航空隊の特色は、同じく東京湾防備を任務とする館山海軍航空隊と同様に爆撃機の部隊を配備していた事である。「東の館空、西の佐空」といえば海軍航空界でもその名は知れており、支那事変勃発に際しては所属の爆撃隊で臨時編成部隊として第21航空隊を組織。上海を拠点として活躍してきたという、輝かしい栄光を持った航空隊である。
そして2千名の基地職員を抱える航空基地の存在は、所在する佐伯町に軍人向けの商売と雇用をもたらしており、当地は九州でも指折りの軍都として栄えていた。
第二艦隊の各艦は、湾の奥側に当たる地点で大入島を北に望む様にして錨を下ろした。一ヶ月ぶりに集結した各艦が湾を圧する中、呉以外の地から馳せ参じてきた駆逐艦達が所属の戦隊へと合流する。
艦隊屈指の大家族である神通の第二水雷戦隊には横須賀を母港としていた第8駆逐隊が戻り、那珂が率いる第4水雷戦隊にも第6駆逐隊が戻ってきた。特に二水戦の第8駆逐隊は、呉を母港とする第18駆逐隊の霞と霰の姉達で編成されている為、彼女達は久々の姉妹の再会を喜んだ。そしてその二水戦の主でもある神通にとっても、第8駆逐隊は普段から人間達と同じ様に「ボロハチ」と呼んで可愛がる部下であり、決して表情には出さないまでも彼女達が再び元気な顔を見せた事を喜ぶ。同じ様に那珂にあっても、自分を慕ってくれる部下達とお互い元気に顔を合わせれた事を祝った。
また、部下のいない明石にあっても、この佐伯湾では嬉しい事があった。
陽に照らされた艦橋真横の甲板に整列する十数名の乗組員達。真っ白な半袖と長ズボンの作業衣に身を包み、頭には白い手拭いを巻いた彼等は、明石艦の乗組員達から選りすぐりの者を選抜して編成された特別救助短艇員。いわゆるボートクルーである。
これまで明石艦には編成されていなかったのだが、帝国海軍艦艇では各々で必ず編成されているのが彼等である。戦闘艦では兵科、機関科と別々に編成されるのが常であるボートクルーだが、明石艦の場合は兵科、機関科の合同編成で組織された。役割は読んで字の如く、海上に投げ出されたりした兵員を救助する事。大時化であろうが台風だろうが荒れ狂う波の上にカッターを進め、時には海に飛び込んで仲間を助ける事が任務である。その為に彼等には並以上の勇気と水泳の技量が求められ、その構成がほとんど二等水兵の者達であったとしても、艦の中では善行章を着けた者の次に崇められるようになる。
荒海に飛び込んで仲間を救う、命知らずな奴ら。
そんなボートクルーの役割から明石は最初の内は彼等の事を心配していたが、選抜された兵達の中にかつての相方とよく似た顔を持つ人物を見つけ、その言葉を妙に納得する。
明石艦きっての喧嘩屋、森正志二水。忠の実の弟である。彼は兄と違って明石の姿を見る事はできないが、彼の従兵として仕えていた事から明石もその人物評はよく知っている。顔は似ているのに落ち着きのある兄とは違って、気性の荒い無鉄砲さが大きな特徴。これまた兄とは大違いで水泳が上手く、おまけに相手の人数を気にせずに喧嘩を始める典型的な芋掘りである。だがその爽快な程の鉄砲玉っぷりは、まさに命知らずなボートクルーにピッタリである。兄とは違って逞しくて頼りがいのあるその性格と、明石も沖縄で目にした彼の水泳の技量は明石艦でも有名であり、鼻っ柱が強いながらもお仕事での失敗をした事は一度もないのである。故に明石の心配はすぐさま消え失せ、『これなら大丈夫だろう。』の言葉と供に、気持ちを新たにする彼等を見て素直に喜んだ。
そしてなにより、また一つ仲間達と同じ物を持てた事も彼女には嬉しく、明石は編成初日からのカッター操艇訓練を日が傾くまで微笑んで見守る。作業地で時折行われる各艦対抗のカッターでの競技会は有名だが、参加する者達はみんなこのボートクルーである。今までは遠巻きに誰の所のボートクルーが優勝するかを眺めているだけだった明石だが、この日を持って彼女はその競技会に参加できる自らの駒を得たのだった。
6月8日。ようやく第二艦隊全艦の集結が完了。明日から始まる戦技訓練を前にして、第4戦隊の高雄艦にある使用されていない長官公室では所属艦魂による戦隊長会議が行われた。
戦隊に所属していない明石も軍医少尉としての立場で出席を促され、他の仲間達と供に豪華な造りの高雄艦長官公室の内装に表情を明るくさせる。座り心地の良い椅子に、真っ白なテーブルクロスが掛けられた長机。部屋の壁に沿うように置かれた棚はニスによって木目を輝かせ、テーブルの上には陶器製の灰皿まで置かれている。いずれも自分の艦では中々お目にかかれない代物で、さすがに艦隊旗艦は違うと明石はその豪華さを納得する。
その内に長官公室の扉が開かれ、それを合図として明石も含めた席に着いていた艦魂達が一斉に立ち上がって両手を身体の横に添える。彼女達が視線を集中させる中、扉を開けた高雄に続いて第二艦隊を束ねる愛宕が入出してきた。彼女は明石よりも年上ではあるものの、長門や朝日といった先輩達と比べればずっと年代は彼女に近い。20代前半であるその外観は、明石の隣にいる神通や那珂よりもまだ若い。それでも愛宕には伸びた背筋と跳ねる様に歩く姿があり、明石が師匠の下で苦労して身に付けようとした物をちゃんと持っている事を明石に伝える。未だに猫背が治りきっていない明石は、その愛宕の歩く様を羨みを持って眺めた。
愛宕が長机の上座に当たる部位まで歩き、身体の向きを部下達に合わせた所で、すぐ脇にいた摩耶が声を上げる。
『艦隊旗艦に敬礼。』
摩耶のそれは決して叫ぶような号令ではなかったが、耳にした他の艦魂達は一斉に右手の指先を額に添え、無帽の者は腰を折って頭を下げる。そして愛宕は室内の全員が敬礼をとった事を確認し、僅かに口元を緩めて自身の右手の指先を額に添えた。そのまま一人一人の表情を確認するかの様に視線を左から右へとゆっくりと流し、愛宕は手を下げながら呟くように言った。
『みんなご苦労。休み中は各戦隊とも、何事も無かったようで良かった。』
『直れ。』
姉に続いて摩耶が号令を掛け、室内の全員を直立不動の体勢から解放する。愛宕は良くやったと褒める様にして号令を掛けた摩耶に向かって一度頷くと、頭に被っていた軍帽を取り、もう片方の手で部下達に着席を促しながら音も立てずに椅子へと腰掛ける。それを認めた明石達も、頭に乗せていた軍帽をテーブルの上に置きながら席に着いた。
些か堅苦しい雰囲気が部屋の中を包むが、会議の最初の話題は新たな仲間の紹介であった為に彼女達の表情は明るい。艦隊司令部を置く第4戦隊の摩耶、新たに戦闘序列に加わった第5戦隊の那智と羽黒、第7戦隊の最上と三隈が順を追って挨拶し、拍手と供に仲間達は迎えてやった。
特に第5戦隊は第4戦隊の愛宕達にとってはすぐ上の先輩達に辺る妙高型一等巡洋艦で編成されており、上海方面や華北方面において実戦経験を積んできたベテランである二人を指揮下に入った事は第二艦隊にとっても大きな喜びだった。また帝国海軍が最も重視する夜戦において、第5戦隊は第一水雷戦隊の支援部隊としてこれまで務めてきた経歴がある為、第二艦隊の水雷戦隊を率いる神通と那珂にとってはコンビを組む支援部隊が一つ多めに持てた事になる。それはつまり彼女達が敵艦隊に向かって突撃強襲に出る際、以前にも増して強力な砲撃支援が受けられるという事を意味する。故に神通と那珂は第5戦隊の加入を心から歓迎した。
続いて昨今の世界情勢ではまさに注目の的である欧州の情勢が、愛宕の口から伝えられる。
5月10日より始まったドイツ軍による西部侵攻は電光石火の勢いであり、開戦から4日でまずオランダが降伏。その前日には既にドイツ軍はフランスへの越境も開始しており、防備の薄い所を突いて急速にイギリス軍やフランス軍を包囲する戦線を構築。ジリジリと敵軍の勢力地域を圧迫し、その傍らでは28日になってベルギーを降伏させたという。
馴染みが無い陸戦での戦況ながらも、彼女達はドイツ軍のその機動力に驚きを隠せなかった。
次いでイギリス軍とフランス軍の撤退作戦が説明され、総数860隻に及ぶ艦船を用いた大作戦に彼女達は真剣に耳を傾ける。海上での作戦行動は例え地球の裏側での出来事であっても、艦魂である彼女達にとっては決して他人事ではないのだ。愛宕の言によると海上での戦闘ではイギリスやフランス側に損失があったようで、主に潜水艦による雷撃と爆撃によって兵員回収作業に当たっていた駆逐艦が被害にあったとの事であった。
艦体同士の撃ち合いが起きなかった事で、その話は特に紛糾する事もなくすんなりと終わってしまったが、そこにあった英独による熾烈な航空戦の結果とその効果を、彼女達は後年になって身をもって知る事になる。
『Uボートやらは帝国海軍の潜水艦に比べれば小さいらしいけど、結構頑張ってるじゃないか。』
至って気にも留める事無く軽い口調でそう言った愛宕も、その潜水艦の脅威を後年になって身を持って知る事になる。そしてそれを知った時、彼女は水漬く屍となるのであった。
そして今この時、明石の親友である神通と那珂にとっては大変重要な意味合いを持つ海戦が、この西武戦線が展開される地より遥かに北の海で繰り広げられていた。