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わだつみの向こう ─明石艦物語─  作者: 工藤傳一
第一章 巡り合わせ
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第三話 「忠の歌」

 白々と夜の闇から色合いが引いていく早朝。

 まだ重さが残る(まぶた)を擦りながら、(ただし)は早朝の最上甲板を艦尾から艦橋に向かって歩いていた。

 工作スペースを得るために水平甲板で幅広に建造された明石(あかし)艦は歩きやすい。艦の中からは目覚めを促すラッパに応えるように起床し、一日の始まりを迎える乗組員達の声と生活の音が僅かに聞こえてくる。さすがに起床してすぐ艦の外に出る人はいないのか、700人以上乗っている明石艦なのだがそこにいるのは忠だけだった。

 歯を磨き、伸び始めた髭を剃った顔に当たる潮風はサッパリしていて気持ちが良い。目を東に向ければ、瀬戸内の島々の間から朱色をした朝日の光がキラキラと辺りを包んでくる。空の所々に小さく浮かぶ雲に遮られたその光はさながら十六条旭日旗だ。思わず合掌して目を閉じ、立派に海軍少尉になった今の自分を迎えてくれる朝日に彼は心の中で感謝した。

 だが忠はすぐに眉間にしわを寄せ、大きくため息をして口を開く。


『願わくばもう少しマトモな海軍生活を送らせてください・・・。』


 忠が明石艦に乗り組んで既に二週間程が経つ。

 『あ〜さ〜だ、夜明け〜だ!』と毎朝、多少の迷惑など屁とも思っていないブッ飛んだ同居人に布団を剥ぎ取られて叩き起こされるという自分の境遇を、忠は無意識に声に出して訴えた。そんな事を知ってか知らずか、旭が変わらぬ優しい光で輝いている。神々しいその光景に忠は大きく息を吸い込んで胸を張ると、ちょっと不憫にも思える自身の境遇を励まそうとする。


 頑張れ、オレ。


 そう言い聞かせて、忠は艦内に戻った。





 7時の朝食までのちょっとした時間。新兵さん以外はこの時間は貴重な午前中の自由時間だ。

 部屋に戻った忠はベッドに腰掛け、自前で持ってきた本を読んでいた。忠の正面の床では制服の上着に蒸気アイロンをせっせとかける明石がいる。

 綺麗好きという点ではこの二人はウマが合った。アイロンとアイロン台は明石が毎朝、艦長室から失敬してくる。堀田特務艦長はズボラな人でたまにしかアイロンをかけないのだ。実際のアイロンかけは忠と明石の当番制でその日の当番が二人分をやる事に決めており、今日は明石が当番だった。その上で決して乱暴な性分では無い明石のアイロンかけはとても丁寧な仕事だったりする。

 事実、今まさに『できたよ〜。』と忠に手渡してきた彼の制服はしっかりとヤマが折られ、しわが一本もない。


『お、ありがと。』

『ふふ〜ん。』


 お礼を口にする忠に、どうだ見たかと言わんばかりに胸を張って微笑む明石。


 こういう所は可愛いんだけどなあ。


 光るモノを持っているが全体的に難のある彼女の性格を、この二週間でそこそこに知る事ができている忠は少し引きつった笑みを返す。だがここに至って忠はアイロンを夢中でかけている彼女を見て、ふとコイツはなかなかいいお嫁さんになるのではないかと思った。


 献身的で朗らかな人当たりで美人だよな。

 だが一日の始まりに毎回あんな起こされ方をしてはたまらんわい。基本的に人の話聞かないし。


 そこまで考えた所で、忠による明石の嫁像考察は終了。結論、ならない。

 小さな懸案を解決した忠は上着を着ると再び本を読み始めた。


『砲術士! 食事用意よろし!』

『おう! 今行く!』


 部屋の扉の向こうから響く正式に忠の従兵に任命されたマサの声に、すっかり艦内の生活にも慣れた忠はすぐさま返事をする。やがて開けた扉の向こうで笑みを交える仲の良い男兄弟の姿に、姉妹のいない明石は少し羨む視線を向けながらも、部屋を出る忠に手を振って見送った。





『おはようございます。』

『おう。』


 士官食堂での忠は、直属の上司である青木大尉の向かいの席が自席だった。

 大柄な体格を持つ青木はどっかと腰を下ろして朝食を食べている。米粒がついた口髭が上下する青木の顔は、食事の雰囲気を明るくさせるのに十分だ。帝国海軍広しと言えども、艦隊勤務の中で数少ない楽しみの一つである食事を無言で二倍三倍と楽しくさせる事ができる人物はなかなかいない。毎朝それを特等席で堪能できる事に忠は感謝し、自然と作られる笑顔で朝食へと箸をつけた。

 すると青木は部下である忠に、今後の予定を含んだ話題を振る。


『森、明日からの訓練航海で砲術科も航行中の操砲訓練をする事が決まったぞ。』

『お、やっと出番ですね。』

『ああ。二水戦の駆逐艦の(かすみ)艦、それから姉妹艦の(あられ)艦との合同訓練だそうだ。』

『あ~、新設される駆逐隊ですか?』

『そうだ、向こうも訓練航海を兼ねてる。ウチと同じで、今年に入って竣工したばっかりだからな。』


 何気ない上司との朝のやりとりであったが、耳にした内容に忠はちょっとだけ胸の内を明るくした。忠としては初の訓練航海でもあり、明石艦としても初めての本格的な砲術科の訓練である。砲術士として配属された彼の腕が試される初めての機会なのだ。


 よおし、やったるか。


 そんな言葉を脳裏に過ぎらせた彼の肩に、自然と力が入る。


『相手が駆逐艦でも関係ねぇ。二水戦の鼻を明かしてやるぞ。』

『はい!』


 若い部下の血気盛んな感じが良く伝わる忠の返事に、青木は白い歯を見せて笑った。







 その後、主砲発令所にてお仕事に励む忠の前に明石が現れたのは、8時の課業開始からしばらく経ってからだった。朝食に続いて明日の訓練航海での砲術科に関わる業務内容の打ち合わせを砲術長の青木としていた忠は、主配置の発令所で教練要領の確認をしていた。一端の士官である忠はまだ艦内幹部としては若いが、いつまでも新人でいる事などできない。明石艦に備えられる二基の主砲を指揮するこの発令所は、忠の持ち場であると同時に彼が責任者でもある。故に忠はぶつぶつと独り言をつぶやきながら要領書と各種計器や艦内電話、伝声管に指差し点検を行なって、明日の訓練にて失態を演じぬように注意深く業務の確認をしているのであった。

 そして真面目に励む忠の姿を目にした明石は、小さく微笑んで彼へと声をかける。


『砲術士。お仕事の進捗は如何?』


 忠が気づいて声がした方を見ると、踵を揃えた敬礼をしながらもイタズラ好きの少年のように笑う明石がいた。艦魂にも仕事はちゃんとあるとは彼女の言い分だが、どう見ても暇だから邪魔しに来たという感じにしか忠には見えない。自分の事を役職で呼んだ先程の彼女の言葉も、忠が抱いたそんな思いを明確にする。


『馬鹿にして。これでも─。』

『努力に(うら)み勿かりしか!』

『あのね、今やってる最中─。』

『不精に(わた)る勿かりしか!』

『・・・。』


 いつもの様に忠の声を遮るようにして声を放つ明石。だがそんな彼女の声に対して、忠は最近では沈黙する事で対処できる事を学んでいた。しばらく忠は口を閉じたまま明石の方を眺めていたが、その沈黙に堪えきれない彼女はすぐさま先程までとは違う話題で声を放つ。


『あ〜、朝ご飯、おかわりしとけばよかったなぁ。お腹減った。』

『・・・お前、五省全部覚えて─。』

『腹が減っては戦ができないよぉ。なんかない?』


 アンタ、そもそも戦闘艦じゃないだろ。

 豆鉄砲みたいな高角砲しかないのに第一戦隊にでも入るつもりなのか?


 そっと心の中で明石の言葉にツッコミを入れ、額に手を当てて大きくため息をつく忠。ところがこんな会話のやり取りでもしばらく一緒に生活していると全く怒りは沸いてこない。むしろ最近は笑顔で我が道を行く彼女の姿が、忠には微笑ましく思えるというのだから慣れとは怖いものだ。本人は気づいていないが、額を覆った手を下げると忠の表情はどこか居心地の良さそうな笑顔になっていた。


『あ、良いお知らせがあるよ。』

『ほ?』


 忠の言葉に敬礼をそのままに首を傾げる明石。直立不動の姿勢を維持していた明石の身体は、糸が切れた操り人形のようにしなる。


『明日の訓練航海だけど、二水戦の霞艦と霰艦との合同だってさ。』

『ホント!? やった!』


 彼女は拳を握り、チョンと小さく跳び上がって喜んでいる。仮とは言えやっと自分の旗竿に軍艦旗を掲げれる事に喜んでいるのか。それとも彼女自身、初となる他艦との合同訓練に喜んでいるのか。少し高い所にある発令所の窓に明石は駆け寄ると、つま先立ちになって舷窓越しに広がる呉の波間を見回す。


『うんと、朝潮(あさしお)型だから・・・。あ、あれだよ、霞と霰!』


 忠は明石の傍まで歩み寄るとその隣に立ち、彼女が指差す舷窓の向こうを眺めた。

 呉の潮風と今日も天高く昇った陽の光に包まれて、帝国海軍最新鋭の一等駆逐艦2隻がそこに浮かんでいる。周りに巡洋艦や戦艦がいる呉の波間では小さく見えてしまうが、帝国海軍自慢の水雷戦の中核として存在するのが彼女達だ。そしてその中でも二人が眺める2隻は最新鋭の駆逐艦である。

 力強い2隻の姿を瞳に映して感心する忠だが、その横で悲哀が少し滲んだ表情の明石が口を開く。


『いいなぁ・・・。』


 そう呟いた明石の視線は2隻の艦尾に向かっていた。そこには少し強めの瀬戸内の風に靡く軍艦旗がある。さすがに帝国海軍最新鋭の駆逐艦、竣工と同時に2隻とも連合艦隊に編入されているのだ。もっともそれは未だに帝国海軍には正式に編入されていない自分の事を明石に思い知らせるのには十分であり、彼女の表情からは笑みが少しだけ欠けてしまう。そしてそれに気づいた忠は、優しくゆっくりした口調で明石に声をかけた。


『焦らない。』

『・・・うん。』


 明石は忠の言葉に、無念さが僅かに残った笑みで頷いた。

 するとその時、ふわっと白い光が窓に反射した事に二人は気づく。


 あれ、今のって?


 白く淡い光に心辺りがある忠は自身のすぐ隣に立っている明石を見るが、彼女も忠と同じ様な表情で忠の顔を見ている。私じゃないよ?と明石が思っているのが忠にもすぐ解った。


『あの・・・、明石少尉でしょうか・・・?』


 刹那、明石より少し幼く高い女性の声が後ろから聞こえた。二人が振り返るとそこには水兵の軍装を身に纏った、短髪の少女が驚いた表情で肩を張って立っていた。彼女の格好は忠や明石と同じ濃紺の色合いを持つ第一種軍装と呼ばれる物だが、その開襟の上着には大きなジョンベラがぶら下がっている。ひじりの無い独特の形にペンネントを巻いた水兵軍帽を被り、その下にある顔は日に焼けたような浅黒い肌に大きな丸い目を光らせている。僅かに強張った様な表情を浮かべている少女だが、そんな彼女を明石は自分の仲間であるとすぐに察した。故に明石は彼女の心に張りつめる緊張の糸を解すかの如く、口元を緩めて彼女へと声を返してやる。


『そうですけど・・・?』

『だ、第18駆逐隊の霞二水です! 明日の合同訓練航海にあたって、ご挨拶に来ました!』


 肩に力の入った素人っぽい敬礼でそう言う少女。

 歳は明石よりすこし下くらいで背も明石より低い外見を持ち、元気に日に焼けた様な麻色の肌を真っ白な水兵服の隙間から覗かせている。帝国海軍が誇る水雷戦闘の申し子である駆逐艦の艦魂と言うにはちょっと相応しくない、くりっと丸い目の可愛い水兵さんだった。


 そういえば明石以外の艦魂は初めて見るな。


 そんな言葉を脳裏で呟く忠を横に、明石は名を名乗ってくれた霞に対して一歩進み出て声を返す。


『ああ、霞艦の艦魂さんですね?お世話になります、明石です。』


 珍しく自分を訪ねてくる艦魂に明石は満面の笑みで敬礼する。どういう基準なのか解らないが、人間と同じく帝国海軍の艦魂もまた階級を頂いている物らしく、明石はその襟に少尉の襟章をつけている。身につけている服も忠と同じ士官用の第一種軍装で、水兵の格好をしている霞に続いて敬礼する明石の姿はお互いの軍装だけを見ればそれ程変な光景ではない。

 今更ながら明石が士官である事を確認した忠なのだが、そんな明石が士官たる者としての人格を持っていない事を憂い、ついつい額に手を当ててため息をついてしまう。


 人の話は聞かない、酒癖も悪い、ゴーイングマイウェイな性格。こんな変な人が士官でいいのか、帝国海軍の艦魂達よ。


 口にこそ出さないが、忠はそう心の内でつぶやいて未来の艦魂社会を憂いだ。

 その一方、当の明石のなんとも優しげで朗らかな人当たりは、上官と向き合う事で霞の心に生まれていた緊張の色を段々と滲ませていく。まだちょっと硬さの残る物言いを伴いながら、霞は明石に対して声を上げる。


『あ、ありがとうございます。』

『ちょうど霞さんの事を話してたんですよ。』

『は・・・?』


 呆けた返事をした霞は手を下ろすのも忘れて視線を明石から横に流し、そこにつっ立っている忠と目を合わせる。だが霞にとって、彼と目が合う事自体が理解不能でならない。なぜなら彼女を含めた艦の命たる者達の中には、そこに乗組んでいる人間達の瞳には自分達の姿が映らない常識があったからだった。

 そして驚きを隠せない霞に反し、忠は初めて目にした駆逐艦の艦魂の姿に色々と考えを巡らせていた。まだまだ下手な敬礼をする霞だが、その言葉遣いは上官への接し方において彼女が気を使ってくれている感じがよく表れている。他人に対しての気遣いなど屁とも思っていない同居人と暮らしている手前、彼にはそんな霞の姿がどこか微笑ましかった。


 ウチの相方に比べれば随分マトモそうだな。


 そう思った忠の口元が緩む。だが霞としては、人間である彼が先程から自分の姿を妙にその視界に捉えている事に困惑していた。やがて霞は混乱と紙一重の騒がしい状態となっているその思考の中で、この人間が自分達の常識を覆している可能性にふと気付く。


『あ、明石少尉・・・。こ、この方は艦魂が見えるんですか・・・?』

『そうですよ。砲術士の森さんて言うんですよ。』

『あ、オレは森忠少尉。よろしく。』

『は、はい・・・。』


 なにか緊張感がヒシヒシと伝わる霞の態度。可愛らしさも放たれる霞の姿に忠は笑みを向けるが、いくらなんでも明石に敬礼してからずっと右手を下ろさないのは辛そうに見える。まして微妙に霞の右腕は、先程からプルプルと震え出してきた。見かねて忠は声をかける。


『手を下ろしていいよ。無理しないで。』

『す、すいません・・・。艦魂が見える人間さんは初めてなので・・・。』


 そうか、彼女も明石と同じくらいに若い艦だもんな。


 艦魂達の常識なぞ露と知らない忠は、霞の表情に充満していた緊張の色の原因がそこだった事を察して安堵した。実はその内心ではオレ、そんなに自分の顔は酷い顔してるか?」と思い始めていた忠なのだが、ここに至って彼の自身の容姿に関する憂いは救われる。艦魂だろうがなんだろうが、女子にドン引きされるような容姿を持ってしまうのは世間一般的な男子の一人である忠には辛い事この上ない。顔に出さぬように、しかしそれはそれは真剣に憂いでいた彼の懸案だが、ようやくここに解決を見たのだった。良かった、良かった。


『う〜〜〜ん・・・。』


 そんな中、明石は突如として呻き声をあげながら口元に手を当てて眉をひそめる。そしてその明石の急な行動に霞は自分がなにか粗相を犯したと思ったのか、板バネのように体を伸ばして直立した。定まらない視線でうつむき、冷や汗をかいている。

 しかし明石は相変わらずの表情で、やがて気をつけする霞の周りをゆっくりとした足取りで歩き始めた。


『明石、どうし─。』

『えいっ!!』


 忠の声が響く中、霞の背後までまわった明石は小さく振りかぶったかと思うと、そこにあった霞の小さなお尻に平手打ちをした。霞のお尻からはパチンと乾いた感じの音が鳴り響き、彼女はいきなりお尻を襲って来た鈍痛に思わず悲鳴を上げる。


『ふわぁ!』


 背後からの奇襲というなんとも理不尽かつ卑怯な明石の攻撃に、霞は前のめりに膝から崩れる。

 驚きながらも忠は慌てて倒れる彼女をなんとか受け止めた。あまりの急な出来事に、霞は四つん這いの姿勢でお尻を押さえながら呆然と明石を見上げる。


『お、おい!なにして─!』

『ごめんね。私、もう少し仲良くお話したいんだ。ごめんね〜。』


 明石はしゃがみこんで崩れた霞に、顔の前で両手を合わせて謝った。彼女は何度も謝りの言葉を発しながらも少し歪んだ笑みで霞に頭を下げている。

 そして忠は明石のその言葉に、彼女が霞に対してさっきから秘めていた想いを理解して少しだけその表情が緩ませた。そう、彼女に上下関係や敬語なんて似合わない。せっかく縁あって知り合った同じ艦魂と彼女はそんな俗世的な付き合いなんかしたくないのだ。天真爛漫にしてちょっと非常識な行動をもとってしまう明石だが、その実は彼女なりになんとか霞と仲良くなろうと必死になっているのである。彼女の心の奥底には常に、誰とも話せず、誰にも相手されない寂しさを知っている悲鳴にも似た叫びがある。明石と初めて会った日に彼女が見せた涙の事もあり、忠はそんな明石の胸の内を手に取る様に理解する事ができた。

 もっとも明石はそんな忠の自分に対する理解に感謝する事も無ければ、お礼を言う事も無い。寝起きすらも供にしている彼にすっかり気を許しているが故に、明石はいとも簡単に彼を新たな友人を得る為の犠牲にしようとする。


『ごめんねえ。痛かったらその人ぶっていいから許してね。』

『お、おい! オレ何にもして─!』

『目の前に倒れてる水兵を見捨てるの!? 一言一行い〜さぎよく〜!』

『誰のせいだよ!? お前が叩いたから─!』

『海軍精神、ただ一献だぁ〜!』


 霞には平謝りしていた明石だが、忠に対してはケラケラと笑いながらまた訳の解らない発言をする。


 なんで助けたオレがお前への報復を受けにゃならんのだ。


 口喧嘩では負けるつもりの無い忠なのだが、いつも彼女はその土俵にすら上がってこない。結局、いつも通りにため息をして良い様に明石に笑われる忠だった。


『あは、あっはっはっ!』


 そしてその二人の夫婦漫才さながらのやりとりに、霞は口に手を当てて大笑いする。初めて見せた大きく口を開けて笑う霞の表情に、明石は満面の笑みで応えた。どこか安堵した感じがある明石の表情に、忠もまたつられて微笑みを浮かべる。


 よかったな、明石。


 目の前で誕生した友情を、忠は心から祝福してやった。






 時間は流れて夕食後。

 明日の準備に憂いを無くし、新たな友人も増えた今日の忠の足どりは軽い。酒保でお菓子と飲み物を買うのはいつもの事。その買っていく量にすっかり甘い物好きと艦内では有名になっていた忠だが、その九割は明石が平らげてしまうと言うのが真相だったりする。甘納豆や羊羹、甘栗、最近始めた煙草とお酒、ジュース、仕事用の鉛筆2本と竹の定規を自前の紙袋に詰め込んで忠は自室へと向かった。


『来た〜〜〜〜!』

『森さん、お邪魔してます!』


 すっかり仲良くなっている明石と霞。部屋には宴会でもしているような独特の空気が流れている。上機嫌な明石は扉を開けた忠を見るや、両手を挙げて走り寄る。


『袋の中身をだせ〜〜〜!』

『おいはぎか、お前は。ほら。』


 忠は自分の分を少しとってから紙袋を明石に手渡した。


『霞が来てると思ったよ。少し多く買ってきた。』

『有難うございます。森さん。』

『さっすが森さん!』


 忠は買ってきた鉛筆や定規を机にしまい、椅子にどっかと腰掛けて小さな煙草盆をたぐり寄せる。明石と霞は帽子を置き、ベッドに腰掛けて紙袋の中身を分け合っている。気を利かせてラムネを2本買った事に、忠は自身の判断が正しかった事を悟って安堵した。


『明石さん森さん、聞いてよぉ。』


 霞はすっかり心を開いてくれたようで、自分が所属する予定の戦隊の長である二等巡洋艦神通(じんつう)艦の艦魂の愚痴を言い始めた。新兵である霞と妹の霰に対して厳しい訓練を毎日課すのだそうで、今日は不幸にも妹の霰は夕食後に神通に拉致されてシゴかれているらしい。艦魂同士の付き合いと言えども人間のそれと同じ様な苦労がある事を考えながら、忠はクイっと日本酒を勧めながら煙草をふかす。


『明石さんは工作艦だから、私達にしたらさしずめ軍医さんだよね?』

『あはは、軍医さんかあ。』

『私が負傷したらきっと助けてね!』

『どうかなぁ、ヤブ医者かもよぉ?』

『え〜〜!』


 笑いあう明石と霞。


 なるほど、艦魂にしたら修理は治療になるわけだ。


 忠は一人会話の内容の妥当性に頷く。しかし、明石の最後の一言が余りにも想像に難くないのは困り物である。


『明石さんは全然偉ぶらないよねぇ。いい人だなぁ。』


 そう言って明石の腕にもたれかかる霞と、笑顔でその霞の頭を撫でてあげる明石。こうしてみると本物の姉妹のようだ。微笑ましい光景だが、それを誰よりも喜んでいるのは当の明石ではなかろうか。


『あはは。そうかなぁ、普通だと思うんだけど。』


 あんたが普通というタイプの人種ならお釈迦様が半裸の変態に見えてくるわいと、罰当たりなツッコミを心の中でしながらも、話に花を咲かせる二人に忠は笑った。



 そんな調子で和やかな会話が部屋の中をしばらく賑やかにする。艦魂である明石にとっては同じ仲間である霞は忠とは違う話し易さがあったのか、明石は次々と言葉をまくし立てて霞とのやりとりに花を咲かせて行く。元来がおしゃべり好きな明石にとっては、何よりの欲求のはけ口となった。

 するとその時、それまで明石にのみ向けられていた霞の声が、今度は忠に向けて放たれた。


『ねぇねぇ、森さんはどうして明石さんトコに乗る事になったんですか?』


 明石に抱きつきながら、大きい瞳を輝かせて忠を見つめる霞。


『そういえば聞いた事無いなあ。ねえ、なんで?』


 明石も甘納豆の包みを片手に、時折包みの中から甘納豆を一握りしては口に放り込みながら忠の回答を待っている。


 この人、なぜ毎日この調子で食って細身の体型を維持できるんだろう。うらやましい胃袋だ。


 そんなちょっとした雑念を湧かせるも、すぐにそれを振り払って忠は霞の質問に答え初めた。


『オレはそう命令されただけさ。大体はハンモックナンバーで艦種が決まるんだよ。成績がいい人程、大型の軍艦の傾向が強いかな。』

『それで配属が特務艦ですかぁ。じゃあ、お勉強は苦手だったんですか?』

『なんだとぉ! 馬鹿にしてるでしょ!?』


 「馬鹿が集まる特務艦」とも取れるその言葉を聞いて霞に飛びかかった明石は、霞の奥襟から彼女の背中に手を滑り込ませてくすぐり始めた。悲鳴をあげて笑う霞は必死に弁明する。


『ひ、ひい! ごめ、ごめーん!!』


 ラムネの瓶と甘納豆の包みで両手が塞がっている霞はそれに抵抗できずに辛そうだ。だが明石も本気で怒っている訳ではない、ただじゃれていたいだけなのだ。そしてそんな相方の胸の内を察していた忠は、明石のお仕置きを軽く笑いながら続きを話し始める。


『ははは。まあ、間違っちゃいないよ。成績は下から数えた方が早かったかな・・・。』


 少しうつむいて頭を掻きながら忠は苦笑いした。その脳裏には懐かしいながらも、ちょっと思い出すのが辛いという彼の兵学校生徒時代の記憶が蘇ってくる。

 田舎ではそこそこの優等生ぶりを輝かせていた忠だったが、全国各地から集う夢見る少年達の中で、彼は自分が井の中の蛙だという事を身をもって教えられた。「男の中の男」を自負する4000名の志願者から選ばれた220人の一人であっても、それまで田舎でお山の大将をそれとなく自慢としていた自分の身の程は全国から集まった文武両道の少年達の中ではその輝きも失せてしまい、決して仲間内から外されていた訳でも何でも無いが彼は多少の劣等感を持って兵学校の生活を過ごしたのだった。現実という物を初めて味わいながらも、同じ釜の飯を食いながら同期の仲間と供に頑張った兵学校第66期としての3年9ヶ月の時間は彼のほろ苦い青春でもある。


『子供の頃から田舎が嫌でさ。外に出たい一心で兵学校に入ったんだ。元々、軍艦が好きだったしね。』

『やっぱり、戦艦とかに乗りたかった?』

『うんにゃ、そういう訳でもないよ。ただ親不孝したかっただけさ。』


 明石の問いに笑みを伴って忠は応えているがその声色も笑みの曇り具合も些か自嘲気味で、どことなく歯切れの悪い物言いをする忠の珍しい姿に明石は強く興味を引き付けられる。


『でも子供の頃に憧れた船とかあったんでしょ?』

『まあね。伯父さんが海軍だったからってのもあるけど。』

『今は? 私に乗れて・・・、楽しい?』

『ああ、随分と奇妙な海軍生活だけど。』

『そっかぁ。』


 なんとまあベラベラと話した物だ、と忠は我に帰ってうつむいたまま額に手を当てて目を閉じた。見習い士官の時に酒は鍛えた筈なのだが、酔いが回った事に忠は自分を少し情けなく思う。


『普通の海軍生活がよかった?』


 だが少し間を空けた後、明石が口を開いた。ふと彼が顔を上げると、明石は寂しそうな笑みで静かに忠を見つめていた。そして忠はふと、今日はいつもとは違う会話がお互いの間に成り立っている事に気づく。


『今日は珍しく人の話、聞くんだな?』

『ふふ・・・。初めて聞いた。森さんの事・・・。』

『あはは。そうだっけ?』


 忠の笑みにつられるように明石も微笑んだ。大切な探し物が見つかったというような、優しい笑顔だった。


『あ、あの・・・。自分は艦にもどりますね・・・。』


 明石の横で顔を赤くして慌てている霞を二人はすっかり忘れていた。


『あ、ごめん。つまんない身の上話だったね。』


 苦笑いしてその場を繕う忠の言葉が終わる前に彼女は立ち上がり、ベッドの上から水兵帽をとって被った。


『いいえ、楽しかったですよ!』


 そう言いながら霞は服のしわを直し、軽く手で服を叩いて服についたお菓子のカスを振り落とす。キッと表情に力を入れて、霞は踵を合わせて直立不動の敬礼をとった。


『もう、遅いので戻ります。明日の訓練航海、頑張りましょう。』


 明石と忠も立ち上がって帽子を被り答礼をする。


『ああ、またいつでも遊びに来てくれ。』

『今日は楽しかったよ、霞。明日は頑張ろうね。』


 忠と明石の言葉に霞の表情が緩んだ。無垢な笑顔でそれに答える。


『はい、有難うございました。では。』


 言い終わって敬礼していた腕を下げると同時に彼女の体を白い光が淡く包み、炎が消えるようにスッと消えた。


『はぁ、軍医さんかぁ。明日の訓練、ちゃんと─』

『今日は気分が良いな。』


 珍しく突拍子の無い言葉を発する忠に明石は少し驚いた。忠はベッドに腰掛けて目を閉じている。どうしたのかな?と明石が隣に座り込んで忠の顔を覗き込むと同時に、忠は目を閉じたまま微笑み、ゆっくり歌を歌い始めた。



火筒の響き遠ざかる

跡には虫も声たてず

吹きたつ風はなまぐさく

くれない染めし草の色


わきて凄きは敵味方

帽子飛び去り袖ちぎれ

斃れし人の顔色は

野辺の草葉にさもにたり


やがて十字の旗を立て

天幕をさして荷いゆく

天幕に待つは日の本の

仁と愛とに富む婦人


真白に細き手をのべて

流るる血しお洗い去り

まくや繃帯白妙の

衣の袖はあけにそみ


味方の兵の上のみか

言も通わぬあだ迄も

いとねんごろに看護する

心のいろは赤十字


あないさましや文明の

母という名を負い持ちて

いとねんごろに看護する

こころの色は赤十字





『・・・いい歌だね。』

『軍医なんて言われて、少し尻込みしただろ?』


 完璧に自分の心の内を見透かしている忠に明石は言葉を詰まらせた。だが彼の歌声はとても優しく、その歌はこれからの自分を励ますように聞こえた。なにより初めて忠の歌を聞いた。それも自分だけに対して歌を歌ってくれた。なんともいえない温かい物が胸の中に宿るのを感じる明石は頬を赤く染めてうつむいた。


『疲れた。寝る!』


 どこかで聞いたセリフを吐いて、忠はそのまま後ろに上半身を倒し布団に潜り込んだ。明石は忠の背中を少し見てため息をつくと、右手から白い光を床に放った。いつもの自分の布団が光につつまれて出現する。


 今日はこの人に引っ張られたな。たまにはいいかな。


 そう思って微笑みながら寝床に入った。結った髪を解き、上着を椅子にかけて扉の脇のスイッチに右手をかざす明石。

 電気を消す間際、ベッドに横になる忠に小さく声をかけて明石は消灯した。


『ありがとう。森さん。』

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