第二八話 「正直になってみた」
昭和15年2月17日。
有明湾では連日の火の出るような猛訓練で疲れ果てた艦隊各艦が、肩を寄り添うように密集して錨泊していた。事故も無く各艦の損傷も無く、今日も無事に訓練が終わった事に安堵してその身を休める第二艦隊の各艦。
月明かりがひっそりと照らす各艦の甲板からは、時折部下に難癖をつけては尻を叩く闇裁判の刑の執行音が響く。おかげで尻には青いアザが消える事が無い水兵さんの艦隊勤務であるが、そのアザを艦隊マークとして認知し、逆にそれが無い者は風呂や洗濯を憚らなければならないという世界的に見ても一風変わった雰囲気を持つ軍隊が帝国海軍であった。矛盾と理不尽以外の言葉が見当たらない闇裁判にもただひたすら我慢して耐える下級水兵達だが、こうして鍛えられた我慢強さが後の戦争で帝国海軍の底力を支える原動力となっていく。
そして上司からのイビりにも近いこうした仕打ちに、その心の内とは別に鍛えられていく部下、という構図は実は艦魂でも同じであった。
悲鳴と罵声と、樫でできた精神注入棒が振り落とされる音が響く夜の有明湾。そして甲板で繰り広げられるその光景を遠目から見る限りは微塵も感じさせない程に、静かにその身を波間に浮かべる第二艦隊の各艦。
その中の1艦である神通艦の艦長室。
その部屋と隣接した艦長用浴室では、小難しい題名の本を読みながら湯船に浸かる神通の姿があった。いつもは首の後ろで小さく結った髪も今は解き、軍帽からしだれ桜のように伸びる長い前髪も今は後ろに向かって流している。あらわになった神通の額には大粒の汗が浮いており、湯船から舞い上がる湯気とは逆に汗は彼女の肌を伝って落ちていく。連日の訓練に彼女の身体にも疲労が溜まっているのだが、彼女の機嫌はそれに反して悪くはなかった。
最近は部下達の動きもだいぶ板についてきたし、訓練の成績だって良い。今日も今日とて艦隊司令部である第四戦隊が直卒していた防御軍を、二水戦はコテンパンに叩きのめしてしまったのである。お褒めの言葉を発しながらも眉をピクピクと動かして悔しさを滲ませていた愛宕の顔を思い出し、神通は不覚にもニヤリと口元を緩めてしまう。
さらに嬉しい事にはつい先日、彼女の部下にまたまた新しい顔が加わった。去る2月15日に、陽炎型駆逐艦の23番艦である初風が、雪風率いる第16駆逐隊に合流したのだ。第二艦隊屈指の大所帯となってきた自分の部隊の事が、彼女の心をさらにくすぐった。
彼女の表情の動きにあわせて、額に浮かんだ汗がツーと伝っていく。神通は湯船から出して組んでいた足を組みなおし、本を掲げる腕とは反対の腕で顔の汗を拭った。吹き出る汗が目に入りそうになって少しだけ彼女をイラつかせるが、もくもくとあがる湯気と動作の度に浴室内に木霊する水音がそんな彼女を時間を置かずに宥める。
汗だくで熱めの風呂に入って読書するのが最近ではすっかりマイブームになった神通。一度軽く肩を上下させて呼吸を整えると、彼女は再び平常心を取り戻して本に視線を戻した。
湯船の水面が静まっていくと同時に、今度はオルゴールのように天井やシャワーから落ちた水滴の音が響きだす。そして以前、明石に勧められて湯船に入れてみた蜜柑の皮が、なんともいえない甘酸っぱい香りを浴室内に充満させて神通の心をさらに和らげて行く。いつもは三角定規のように角ばった彼女の釣り目も、今は丸みの帯びた優しい目になっていた。
これは良い。
そう脳裏で呟いた神通は、再びニヤリと微笑んで楽しい一時を堪能した。
一方、浴室の扉の向こうの艦長室では、神通の従兵の霰が浴室の扉の前に座り込んで、上司の着替えの用意と洗濯物となる物を折り畳んでいた。
帝国海軍の従兵の仕事は甘くはない。
当然、神通の着る服の洗濯だって彼女のお仕事だ。今日も昼の訓練では神通に大いにどやされて、お尻に竹刀の一撃を食らった霰。激しい訓練と怖い上司に、彼女も例に漏れずにヘトヘトに疲れている。汗でゴワゴワとした着心地になっている水兵服が、霰の疲労感をさらに倍増させる。役得として神通の次に湯船に浸かる事が出来るのは解っているが、さすがの霰にもその服の着心地が上司への不満を抱かせてしまう。
『お風呂入りたいわぁ・・・。早う、あがってくれやらんかいな・・・。』
ちょっと口を尖らせて呟く霰は、背後にある浴室へと繋がる扉に振り返って恨めしそうな視線を向ける。水滴の音が微かに響いてくるその扉は霰の心を少しだけざわつかせていく。だが彼女は決してのんびりと入浴している神通の人柄を疑っている訳ではない。
二水戦の隷下には3個駆逐隊があり、配備されている艦艇数は神通を除いて11隻。精強を誇るその部下達の中で、最も戦隊長を尊敬しているのがこの霰であった。最近は鬼の戦隊長である神通に、『でも』と切り出して意見する事が出来るようになった唯一の部下である霰。何事も波風を立てないように自分を押し殺す性格だった霰も、この頃はこうやって一丁前に文句の一つもでるようになった。それは紛れも無く神通の下で頑張ってきた成果であり、彼女自身もその事を理解して神通には人並み外れた強い尊敬の念を抱いていた。
背後の浴室の扉から顔を戻し、小さく溜め息をして尖った口を戻した霰はすぐに休めていた手をまた動かし始めた。身体のすぐ脇に置いていた籠に洗い物を放り込み、真新しい着替えを畳んで扉の前にそっと添える。後は上司が上がってくるまで待つだけとなった霰は、床から立ち上がって小さな艦長室の中央にある机に歩み寄った。部屋の主は帝国海軍一の変わった性格の持ち主であるが、霰の目に映った机は良く整頓されている。すっきりと片付けられた机の上には、読みかけの戦隊日誌がポツンと開かれているだけであり、鉛筆すら転がっていない。その机の様子に上司の相方の隠れた真面目さを感じとり、微笑んだ霰は日誌のページをおもむろにめくっていった。仲間達の名前と供にあれこれと書かれる日常での出来事が、流し読みする霰の表情を少しだけ明るくさせる。
何か自分の事は書いてないかと興味を湧かせて目を通す霰だったが、やがて浴室とは別の扉から聞き慣れた声が近づいてくる事に気づく。霰が日誌から顔を上げてその扉に視線を向けると同時に扉は開かれ、そこに仲間と姉の姿を見た彼女は笑顔で二人を迎えた。
『あ、霞姉さんに雪風やないか。』
『おう、霰。ここにいるって事は、やっぱり戦隊長はお風呂かぁ。』
『よお、霰。』
そこにいたのは霰の実の姉である霞と、同じ戦隊所属の雪風であった。
犬猿の仲である二人だが、まあどういう訳かこの二人は身体の波長が合うらしい。いつも口論の末に殴る蹴るの大喧嘩を始める霞と雪風だが、何かしようと思い立ったりした時の二人のタイミングは寸分の狂いも無い。大抵、霞が上司に声を掛けるときは雪風も一緒に声を発し、逆に雪風が前に進み出る時は霞も前に一緒に進み出る。艦型が全く違うこの二人なのだが、その行動パターンは双子の姉妹のように似ているのだった。
『二人ともどないん?』
ニッコリと糸目になって笑う霰がそう声を掛けると、両手に真っ赤な果物を抱えた霞が口を開いた。
『面会に行った私んトコの乗組員が、りんご貰ってきたんだ。だから烹炊所で余ってた分を、ちょっと失敬してきたんだよ。』
そう言って前に出した彼女の両腕には、涼しげな感じの真っ赤なりんごが抱えられていた。手毬のように大きく育ったりんごは室内の電灯の光りでピカピカと輝き、霰の口の中に唾液を湧かせる。思わず生唾を飲み込んだ霰だったが、彼女の目の前のりんごをどかすように今度は雪風が割り込んできた。その腕の中には常夏を感じさせる橙色の果物が抱かれており、ほのかに発する清涼感溢れる香りが霰の鼻をくすぐる。
『アタイんとこでも、蜜柑を貰ってきた乗組員がいてさ。ちょっとだけギってきたんだよ。猿のりんごなんかよりはウマイぞ。』
いつもの憎まれ口を吐きながらも、そう言った雪風はニッと片方の口元を吊り上げて笑った。
霞とは仲が悪い事は言うまでも無いのだが、決して雪風は誰にでもそうではなかった。いつもちょっと口をへの字に曲げてぶっきらぼうな物言いをする雪風だが根は優しくて素直であり、朝潮型の艦魂を格下と言い切る事はあってもそれを理由に蔑む様な事は無かった。口の利き方に関しては厳しい神通にはいつもその事でげんこつを貰っている彼女だが、その姉御肌でやんちゃな性格は決して仲間内では嫌われていない。霰にとっては元気のいい友達であり、雪風にとってもまた神通のそばで常に笑いながらも真面目に励む霰は大切な友人であった。
ただ一つ、霰を始めとした二水戦の艦魂達の悩みは、そんな雪風がどうしても気を許せない人物が同じ戦隊にいた事だった。笑みを交える雪風と霰だったが、先程の雪風の言葉に眉を吊り上げた霞が雪風の尻を蹴っ飛ばす。
『いって!』
『アンタの腐った蜜柑よか、だいぶマシだよ!』
『なにを、猿め!!』
見開いた瞳でお互いに睨み合う二人はどちらからという事も無く、それぞれの腕の中にあった銀バイしてきた品を霰に押し付けた。いきなりの物持ち役になってしまった霰は腕に山盛りに積まれたりんごと蜜柑を溢さぬ様にと、小さな悲鳴を上げて身をかがめる。だがそんな霰を無視して、手が自由になった雪風と霞は取っ組み合いの大喧嘩を始めた。お互いの髪を引っ張り、頬に爪を立てて掴み合う二人。
いつもこの喧嘩をげんこつで黙らせる神通は、今はお風呂に入っていて対処不可。身体を二人の間に入れて止めても、どちらからという事も無く止めようとする者のお尻に蹴りが飛んで来るのを、霰を含めた二水戦の所属の艦魂達はこれまで何度も見てきた。
霰は騒がしい二人を前にして小さく溜め息を放つと、とりあえず腕の中にあるりんごと蜜柑を背後に有った机の上に置いた。ボカスカと殴りあう音と醜い二人の怒号を背に、机の上で転がろうとするりんごを押さえる霰。さて、どうやって止めようか?と、頭を捻る霰だったが、残念ながらトロい思考回路の持ち主である彼女には一向に策が閃いてこない。
右手の人差し指の先を唇に当てて、『う〜ん・・・。』と声を発して天井を仰ぐ霰だったが、そこに助っ人が現れた。先程雪風と霞が入ってきた扉がまたしても思い金属音を響かせて開くと、そこにはこの部屋の主である木村大佐が目を丸くして立ち尽くしていた。
「自分の部屋の扉を開けたら2人の少女が取っ組み合いの喧嘩をしてました。」等という経験がある人など、世界広しと言えどもどこにいよう物か。木村大佐は自慢の口髭を指先で撫でながら、頬に汗を浮かべて部屋に入った。取っ組み合う二人はそんな彼をチラっと横目で認めるも、すぐに目前にある憎き天敵の顔に視線を戻してドンパチを再開する。床で転がるその二人を視界の端に入れながら、木村大佐は壁に背を貼り付けるようにして横歩きで部屋の奥の机の前にいる霰の下へと歩み寄った。
『木村大佐、お邪魔しとるどす。』
『お、おう・・・。またやってんのか、こいつ等?』
二水戦所属の艦魂達と同様につぶさに二人のこれまでを見てきた木村大佐は、呆れ顔で二人を見下ろしながら霰に話しかけた。
スケベジジイの名で神通から蔑視される木村大佐だが、その人柄の良さは最近では駆逐隊の艦魂達から気に入られている。訓練の合間に神通艦の艦上で輪を作って休む少女達の中に彼は陽気な挨拶を伴って入って行く事が多々有り、当の少女達も彼を仲間外れにするような事はしなかった。顔を合わせる度に一緒に風呂に入ろうだの、部屋に来て酌をしてくれだのと言い出す彼であるが、それを冗談と受け取る事が出来るようになった少女達からすれば、彼は楽しいオジサン以外の何者でもなかったのである。
ただ彼の性格に関しての困った所に、その冗談の矛先が神通にまで向いてしまうという所が有った。生真面目な神通は彼の言葉を冗談と受け取らず、すぐに自慢の竹刀を振り回して彼を追い掛け回す。そして帝国海軍でも随一の癇癪持ちである神通はすぐには怒りが治まらず、その怒りの捌け口は彼女の部下達になってしまうのだ。彼を退治した後は必ずと言って良い程ただでさえ厳しい神通の教育が恐怖を伴ったシゴキへと変わってしまい、その事が霰を含めた二水戦の駆逐艦の艦魂達における悩みの種だった。
元々相手に対して蔑むような接し方を知らない霰は、そんな木村大佐にちょっと眉をしかめながら微笑んでみせる。実の姉と仲間の諍いを見せてしまった事に対する恥ずかしさを覚える霰であったが、木村大佐は霰の心の内を悟って笑みを返してやった。
今更恥ずべき事なんかない。艦魂と人間であっても、同じ二水戦の仲間じゃないか。
同じ言葉を脳裏に浮かべた二人は、お互いに笑い合いながら会話を始める。
『今日はどうしたんだ、霰。おじさんになにか用か?』
木村大佐は腰に両手を当て、背中を軽く曲げて霰と視線の高さを合わせた。上下の唇よりもまだ厚さがある立派な彼のカイゼル髭が、霰にはまるで彼の口の形の様に見える。ピンと立った髭先は鼻の高さ程にまでそびえ立ち、彼が笑顔である事を充分過ぎる程に霰に伝えた。
やがて霰もまた垂れた糸目を瞑るようにしてニッコリと笑い、木村大佐に向かって口を開く。
『はい。お風呂どす。』
『な、なにい!? 霰、ついに決心してくれたのか!?』
霰の声耳にするや、木村大佐はすぐに霰の両肩を横から掴んで言った。予期しなかった彼の行動に、霰は目を点にして引きつった声を返す。
『は、はい・・・?』
『そうか! 一緒にお風呂入るか! うん、いいぞ!』
木村大佐はそう声を上げるなり鼻の下を伸ばして、いかがわしい事この上ないといった感じの目を輝かせた。
そしてそれとなく二人のやりとりを耳にしていた霞と雪風は、お互いの顔に向かって叩き込もうとしていた数度目になる拳を止める。ふと見た先には、木村大佐に両肩を掴まれて顔を近づけられている霰の姿があった。先程耳に響いてきた木村大佐の声と、獲物を捕らえたような木村大佐の腕。それを認めた霞と雪風は立ち上がると、すぐさま木村大佐に背後から飛びついて羽交い絞めにした。
『な、なにやってんですか、木村さん!!』
『オッサン、霰から手を離せよ!』
『のわっ! お前達、何をする・・・!?』
雪風に両手の自由を奪われて霞に首を絞められる木村大佐は、霰から離されると2秒と経たないうちに床に組み伏せられた。戦隊内の柔道の武技教練においては常に1位を奪い合う雪風と霞にかかっては、大の男である木村大佐も抵抗のしようが無い。大切な妹、仲間を守ろうと瞬時に憎しみを忘れて一致団結した二人の捕り物劇は、まるで映画の1シーンのように鮮やかだった。木村大佐を完全に制圧した二人は、お互いにキッと力の入った目を合わすと小さく頷く。
二人の活躍により、お互いにとって大切な存在である霰の貞操の危機は救われた。良かった、良かった。
呆けた顔で一連の光景を見ていた霰は、そこに抱いた姉と友人の想いを無視するかのように一度首を捻る。トロい性格の彼女には二人の危惧した未来が予想できなかったのだが、とりあえず先程木村大佐の言葉を受けて彼の勘違いを正す事にした。
『ウチやないどす。戦隊長がお風呂に入ってやはるんどす。』
『え? あ、神通が風呂に入ってるのか。なんだ、そうか・・・。』
彼がそう言うと同時に、いかがわしさを纏っていた表情が彼の顔から消えていく。力なく頷く木村大佐を認めた霞と雪風は、彼の変化に安堵してそれぞれが掴んでいた手を離した。蔑むような二人の視線を背に受けてゆっくり立ち上がる木村大佐。立ち上がって服のしわを正す彼と3人の少女達の耳に、浴室へと繋がる扉から霰が言った事を証明するかのような神通の入浴で放たれる水の音が響いてくる。
ほらね?と言わんばかりの顔で、霰は木村大佐に僅かに首を傾げて微笑んでみせた。彼の背後で両手を頭の後ろで組む霞と雪風も、同じような思いを込めて蔑むような視線をおくりながらも小さく口元を緩ませる。元より雪風と霞にも彼を神通のように完全にやっつけてしまう気など無く、やっと面白いおじさんに戻った事に喜んだのである。
ところがこの木村大佐という男は自分に対して非常に正直に生きる人であり、その場の空気など露知らぬといった感じで髭をピンと立てると再びいかがわしい目つきで浴室の扉に顔を向けて言い放った。
『おほ! 神通、そこか!』
そう叫ぶなり彼はその人となりからは想像も出来ないほどの素早さで、浴室の扉に跳びつこうとする。だが当然の様に控えていた雪風と霞、そして霰までもが彼の身体に纏わりついてそれを止めた。
『あ、あかんや、木村大佐!!』
『うわあ!!! 勘弁してくださいよ、もお!!!!』
『ふざけんな、オッサン!!!』
木村大佐の身体を全力で拘束する3人の表情には鬼気迫る物がある。だがそれも当然だ。彼女達の上司の危機である以前に、なによりそれを許したらその上司に自分達が何をされるか解った物ではないからだ。
ただでさえ癇癪持ちの上、霞と霰には荒れていた頃の神通の記憶もある。下手をしたら神通は彼女達の艦の火薬庫に入って放火しかねない人物であり、そうなればもちろん艦は轟沈する。すなわち艦魂である彼女達にとっては、死の制裁を食らってもおかしくないのである。必死の形相で止める彼女達の顔も、無理の無い事であった。
ところが木村大佐はそんな彼女達の憂う心など、文字通り眼中に無かった。彼の目の前にある扉、手を伸ばせばすぐに届くそのドアノブを開いた先には、彼が望む神通の入浴姿がある。日ごろから短気ですぐにげんこつを振り回す等、決して優しいとは言えない性格の神通だがみてくれはスラっと長身な美人のお姉さんである。正常な男子ならばその裸体を一度は拝んでみたいというのは決して口に出せない夢と希望のような物だが、こと彼に至ってはそんな恥じらいも謙虚さも全く無い。そこに美人が入浴している、その事実だけが彼を浴室へと突貫させる衝動に駆らせた。なんとも困った人である。
『くっそお、頼む! 離してくれえ!!』
両手両脚に海草の様に纏わりついた少女達を、なんとか振り払おうとする木村大佐。だが命の危機に発展するかもしれない彼の行動は、とても彼女達には容認できる物ではない。木村大佐と扉の前に割って入り、正面から彼の胴体にしがみついて止める霰はなんとしても彼の行動を阻止する為に、究極の自己犠牲を払うこと決めた。歯を強く噛んで木村大佐の胸に顔を埋めるようにして彼の身体を拘束していた霰は、少しだけ顔を上げて勇気を振り絞って声を上げる。
『ウ、ウチが一緒にお風呂入ってあげまっしゃろから、ここは勘弁おくれやす・・・!!』
『何を言ってんのよ、霰!!』
『こら、オッサン!! いい加減にしろよぉ!!!』
涙ぐましい霰の決意の言葉に霞と雪風は声を上げ、彼を掴んだ手にさらに力を込める。だが未知なる物への探究心に火がついた木村大佐には、霰の必死の願いも届かなかった。霞が押さえる右腕を必死にドアノブに伸ばそうとしながら、しかめっ面となった彼は声を返す。
『風呂に入ってるのは神通だぞ!? お前達みたいなチャチな身体の女の子じゃないんだ! 離してくれえ!!』
バキッ!!
木村大佐の背後にいた霞と雪風、そして正面から圧していた霰もが、彼女達の気苦労など鼻にもかけない彼の声を受けてその頭部目掛けて無言で同時に拳を放つ。せっかく勇気を振り絞って言ってみた霰もさっきまでの泣き出しそうですらあった表情から、今は眉を吊り上げて怒りの色を明確に出しながら木村大佐を睨みつけている。露骨なスケベ心と失敬な物言いの彼には、さしもの霰からも今だけは尊敬の念が消えうせた。
それでも一瞬だけ歪んだ表情をした木村大佐は苦痛に歪めた表情を持ち前のタフさで正すと、すぐにまたいかがわしい目つきに戻ってドアノブに手をかけようとする。だがこのままでは埒が明かない事を悟った彼は、彼女達に普段使っている餌をネタとして使う事を思いついた。
彼の名を出せば、この3人も沈黙してくれるに違いない。
そう考えた木村大佐は腕から力を僅かに抜いて、白い歯を見せて微笑みながら口を開いた。
『な、なあ、頼むよ・・・。こっそり覗くだけだよ・・・。そうだ! 上手くいったら、森少尉をお前達の艦に出向かせてやる!』
もちろん神通艦艦長である彼に、明石艦乗組みの忠をどうこうできる権限は無い。佐官の最上級の立場にあるとはいえ、彼の権限は神通艦の艦内に限定されている。ハッタリである。
だが帝国海軍歴がまだまだ浅い3人にはその事が良く解らない。木村大佐が言い終えるとすぐに、そのハッタリに見事に騙される者が現れた。
『おい、オッサン! マジか・・!?』
雪風はそう言うと、木村大佐の左腕を掴んでいた手からゆっくり力を抜いた。まずは第一の関所を破った、と木村大佐は悟られないようににんまりするも、いつぞやの銃剣術の武技教練で忠に淡い憧れを抱く雪風はそんな彼の表情に気づかずに、甘い一時の可能性を得て心を揺れ動かしてしまう。何より忠は明石と常に一緒にいるし、明石の親友である上司をカヤの外にして彼と二人っきりとなれる事など、駆逐艦の艦魂である彼女達には滅多に無い。それを踏まえた上でその機会を作ってくれるという艦魂ではない木村大佐の言葉は、雪風の動揺を誘うのには充分だったのだ。
『おお、おじさんに任せなさい。良し、とりあえず雪風のトコには、今度行かせよう。』
いけしゃあしゃあと先程の「上手くいったら」という言葉を覆す事を口にする木村大佐だが、彼の言葉に雪風は『その話、忘れんなよ・・・?』とだらしなくニヤけた表情で言うとその嘘には気づかずに彼の左腕から手を離した。
仲間の裏切りを目の当たりにした霞と霰は、少しだけ自由を得た木村大佐の身体を抑える為、さらにその手に力を入れながら雪風を糾弾する。
『ア、アンタ、何言ってるのよ!?』
『ゆ、雪風! 戦隊長をナメたらあかん!』
二人の声にも雪風はニヤけた表情のまま、僅かに頬を赤くして波打ったクセ毛の髪を撫でている。『フヒヒ・・・。』と危ない声で小さく笑う雪風だったが、その姿は木村大佐の作戦を大いに助ける事となった。
先程雪風を糾弾した霞だったが、よくよく考えるとこのまま木村大佐を抑えても、雪風には神通のげんこつと引き換えに忠と二人っきりになる時間が与えられてしまうであろう事を悟った。霞も忠には憧れを抱いてしまっているが、館山沖で雪風と彼が随分と距離を縮めた事を思い出した彼女は焦った。
ただでさえあの時の一件で忠のお互いに対する距離には差がついてしまっている。この上さらに差を引き離されては、もはや勝負にもならないかもしれない。
そんな事を思った霞は手に込めた力を緩め、それに気づいて視線を向けてくる木村大佐に少し震えるような声で言った。
『の、覗くだけですよね・・・?』
『か、霞姉さんまで、何を言うとるの!?』
『もちろんだ! バレないようにするさ!』
実の妹の必死の形相を無視するかのように、霞もまた木村大佐の言葉に頷くと掴んでいた手を離した。
こうなっては霰も分が悪い。
朝潮型駆逐艦十姉妹の末の妹である霰艦だが、その艦魂である霰の身の丈は150センチあるかないかの小柄な体格である。自分よりも体格の良い男性の木村大佐を止める事はできないし、当の木村大佐もその気になれば彼女を振り払う事など容易い。
だがさすがに彼もか弱い少女をぶっ飛ばすという行為を良しとはしなかった。既に妻も子供もいる木村大佐は、それぐらいの節度は守ろうとする理性もまた残っていたのである。しかしそこまで思いやる心があるものの、しっかり初期の目的を忘れていない木村大佐はそっと霰の肩に手を置いて話しかける。
もう一押しだ。
そんな彼の心の内は霰にも伝わり、彼の声が出る前から霰は首を左右に振っていた。
『霰、頼むよぉ。森少尉もちゃんと連れてってやるからさ、な?』
『あかんどす!!』
首を勢い良く振った霰は、言い終えると再び木村大佐の胸に顔を埋めた。彼の左右で不気味な笑い声を上げてニヤニヤしている姉と友人を、視線に入れないようにする為にわざとそうしたのだった。霰にとって忠は初めて話した若い人間の男性にして、いつもおいしい食べ物を用意してニコニコと接してくれる気の良いお兄さんであった。姉妹はいても兄弟がいないという艦魂社会の一員である霰には、その言葉通り彼は兄のような存在である。
しかし普段は明石の傍らに常にいるし、二人で話すことなど滅多に無い。木村大佐の提案は、そんな彼女の叶わぬであろうと諦めていた願いでもあった。ただ霰はそれを表に出す事も無ければ、口にする事も無い。それが誰かの迷惑に繋がる事を、極度に恐れているからである。
そしてこんな性格の霰の事は、木村大佐と実の姉の霞には良く解っていた。神通の恐ろしさがすっかり頭から抜け落ち、忠が訪ねてきたら何の話をしようか等と考えを巡らしていた霞は、そんな妹の心中を察して声を掛ける。
『霰ぇ。森さんとゆっくりお話しとか、してみたくないの?』
腰を少しだけ折って顔を近づけてくる霞に対し、霰は顔を木村大佐の胸に埋めて両手で彼の胴体を抑え込んだまま声を返した。
『せ、戦隊長に怒られるわ!』
『バレなきゃ大丈夫だって。それに森さんも、霰の事は気に入ってるみたいじゃん?この間も、嫁にするなら霰が良いっていってたしぃ。』
『う・・・・。』
霞の言葉を受けた霰は短く呻き声を出すと、木村大佐の胸に正面から貼り付けていた顔を離した。視線を足元と霞の向にむけて不規則に配りながら、木村大佐の腰の辺りを掴んでいた手からちょっとだけ力を抜く。霰にしても、その機会があるなら味わって見たいというのが正直な所なのである。しかし戦隊長を尊敬する気持ちもまた同じであり、霞や便乗して説得してくる雪風の言葉を受けても、霰からはすぐには迷いが消えなかった。
ところが霰が迷って力を抜いた隙に、木村大佐はついに制止を振り切ってドアノブに手を伸ばしてしまった。横を通り過ぎていった彼の背中に、未だに迷いが消えない霰は止める事も躊躇ってしまう。現れ方は違えど、自分に対して正直に行動する彼を霰は間違っているとは声を大にして言えない。なぜなら自分に正直に行動した事が、霰にはないからである。
すでに全てを忘れて見返りの前途を想像し、自分の世界に入ってしまっている霞と雪風を視界に入れていた霰は事ここに至って意を決し、事の顛末を見届ける事を決めた。
もし上手くいけば、あれやこれやと相談に乗ってもらえるだろうか?
姉と仲間の例に漏れず、霰もまたそんな言葉を心の中で呟いて無意識に小さく口元を緩ませる。
だがそこにいた全員の願いは、自分勝手なわがまま以外の何者でもない。そしてそれがまかり通る程、世の中というのは甘くなかった。
木村大佐がドアノブに手を掛け、ゆっくりと開こうとした刹那、ドアは射撃する艦砲のような音を立てて内側から勢い良く開いた。その音に続いて開いたドアが木村大佐の頭を打ち付ける鈍い音が響き渡る。木村大佐は悲鳴を上げる間も無く、頭から軍帽がポトリと落ちると同時に目を回してその場にひっくり返った。
霰、霞そして雪風の3人は状況が理解できずに呆然としながらも、床で気絶する彼からドアの向こうに視線を移す。そこにあったのは、胸元のラインでバスタオルを巻きつけた神通の、日本刀のようにギラついた瞳を浮かべる顔だった。僅かに右足をつま先立ちさせて明らかにご立腹の表情で睨みつけてくる彼女に、3人は木村大佐を止めた時に憂慮した事態を再び思い出した。同時にサーッと3人の顔色は青くなり、首筋には冷や汗がダラダラと流れていく。
どうやら今までのやりとりは、全て神通の耳に入っていたらしい。
その事を思い知り、ついさっき誤った判断をしてしまった事を激しく後悔する3人だったが、残念ながらもう遅い。
『・・・・・・。』
神通が怒った時に見せる、顎を少し引いて上目遣いで睨みつけるクセ。それを嫌と言うほどに身体で教えられてきた彼女達は、まともに神通の顔を見ることが出来ない。定まらない視線で俯く3人だったが、やがて霰は力の入らない脚をなんとか動かし、転びそうになりながらも床に置いていた神通の着替えに飛びついた。目に付く埃を手でふき取って両手で上司の足元に向かって差し出す霰。
だがふと視線を神通に合わせてしまった所で、彼女の表情は引きつったまま凍りついた。
『せ、戦隊長・・・。あう・・・、あ、おき、お着替え─。』
『ゼンイン、ソコニナオレ・・・・・。』
まるで戦艦の主砲の旋回音のように低い声で神通は言った。その声にはもはや感情が篭っておらず、怖い上司である神通が完全に殺戮を目的とする機械に変貌してしまった事を3人に伝えるのは充分だった。霞と雪風は、床に腰を落として俯いている霰の両横に力の入らない足どりで歩み寄ると、へたり込むようにして座った。その間、彼女達は神通の顔を見ることは出来ない。あまりの恐怖にガチガチと歯を鳴らし、肩を震わせるながら神通の足元を視界の端に入れるのが関の山だった。
泣き顔の3人は激しく自分の誤った判断を心の中で自己批判していたが、残念ながらそれは状況を好転させてくれる事は無い。もう遅いのだ。
刹那、神通の怒号と供に彼女達の頭に怒りの鉄拳が振り下ろされた。
『こんの馬鹿がああ!!』
夕闇がその濃さを増し、煌々と輝く月が空の色を濃い青紫色に変化させる今日の夜空。キラキラと輝く星々と波間に照らされる中、神通艦の艦尾旗竿の辺りには常人には見えぬ淡く白い光りが収束する。大きく輝いたかと思うと、すぐに弾けるようにして散乱していく白い光り。そしてその中から現れたのは、一升瓶を抱えた那珂だった。
有明湾のある地ならではの芋焼酎を調達できた那珂の機嫌はすこぶる良い。
以前一度飲んだだけだが、その独特の濃厚な味わいと香りは那珂と神通を唸らせた。二人は酒癖こそ大人しいが、こと焼酎には目が無いという根っからの酒好きでもあった。お湯割りは序の口として、時にはお水で割った状態で数日放置してから飲むという通振りを発揮する程である。
さらに今日は七戦隊、そして姉が率いる二水戦と共同して防御軍を叩きのめした訓練の事も、那珂の機嫌を良くさせていた。静かな物腰の大人の女性像が色濃い那珂も、今はダンスを踊るかのような軽やかな足取りで甲板を歩いてく。
久々に今日は水雷談義とでもいこうか、と鼻歌混じりで早くも話題探しに夢中だった那珂だが、自分の分身と同じ位置にある艦尾主砲に奇妙な光景を目にして歩みを止めた。
そこには姉の部下である3人が、左腕を後ろで縛られて横一列で正座させられている。膝の前に水兵帽を置き、上着を胸が見えない程度に捲り上げて紐で結んでいる3人は、すすり泣きながら墨汁のついた筆を右手にしているという、なんとも奇妙な光景だった。
そして3人の横では、筆を剣先に縛り付けた竹刀を持つ姉の姿があった。
さっぱり状況がつかめない那珂は、床で正座する3人を横目でチラチラと見ながら姉に歩み寄って声を掛ける。
『じ、神通姉さん・・・?』
『おう、那珂か。』
幸か不幸かこの人と姉妹を組んで10年以上に及ぶ那珂は、姉の向けてきた顔と発せられた声に彼女が事の他ご立腹である事をすぐに察した。
どうやらこの3人は何かしでかしたらしい。
そう考えた那珂は両腕で抱いていた一升瓶を一度持ち直し、神通の顔色を窺うように顔を近づけて言った。
『こ、この子達、どうかしたの?』
『ふん・・・。この馬鹿供は、仲間を売った。』
『え・・・?』
『武人としてあるまじき行為だ。だから腹を切らせている。』
神通は那珂に視線を移さず、床で俯いたまま涙を流す部下をギラリと睨みつけたまま答えた。
ふと那珂は神通から視線を落とし、彼女の足元に近い位置で正座する霰を見る。
霰は大きなタンコブを頭の上に作り、捲り上げた服があらわにする霰のお腹にはぶっとい墨汁の線が真横に走っていた。霰の前に置かれた筆で書かれたにしては線が太すぎ、恐らくそれは何度もやり直しさせられたのであろう事を那珂は察する。そして霰は首の付け根にも真横に走る墨汁の線が走っている。神通によって介錯されたのであろう事は明白だった。
この光景が繰り広げられる理由が解らないが、神通の機嫌を含めると聞かない方が身の為だと判断した那珂は大きく溜め息をするのみだ。ただ昔なら即座に半殺しにしていた神通が怒り心頭であってもこのように軽い罰で済まそうとしている事は、那珂には少しだけ喜ばしかったりする。
そして実はこの光景、那珂も自分の艦内で何度も見てきており、それが帝国海軍において人間達が行う刑の一つである事を彼女は知っていた。
日本男児に伝わる責任の取り方、戦国の世から伝えられるそれは切腹に決まっている。もっとも陛下の赤子である同胞を、上司という立場と権限で本当に自刃させることは出来ない。だから墨を使って切腹させるのだ。
その内に霰を成敗した神通は、その隣で同じくタンコブを作って涙する雪風に歩み寄った。
視界に入った上司の足元に身体をビクンと震わせた雪風は、まだ縛られていない手で膝の前に置いていた筆を取る。筆先を腹に向けるようにして筆を握った雪風、ごくりと生唾を飲み込んで決意を決めるとその筆を自らの腹に向けて突き立てた。冷やりとした墨汁の感触に目を瞑って耐える雪風。すぐに首筋にも同じ感触が襲ってくるはずだが、先に果てた霰の時と同じように神通はすぐには介錯をしてくれなかった。
『なんだそのツラは?もっと悔しそうなツラをしろ。やり直し、基い。』
『ぐすっ・・・。はい〜・・・。』
雪風はそう言うと手に持っていた筆を膝の前に置いている硯につけて墨汁をたっぷりと湿らせ、再び逆手に持って自らの腹に突き立てた。先程よりも表情に力を込め、強く歯を噛んで切腹してみせた雪風だったが、またもや神通は竹刀を振り落とそうとはしなかった。
『そんなに肩に力を入れてたら首を刎ねれん。切腹の仕方も知らんのか、馬鹿者が。やり直し、基い。』
3人はこんな調子で、難癖と恐怖に苦しみながら切腹の儀を続けさせられた。
那珂は心配そうにその光景を眺めるものの、彼女達の上司が下した判断である事を思って敢えて口は出さなかった。なぜならこれこそが帝国海軍艦魂の世にも名高い私立神通学校の一端であり、違反した者は容赦の無い厳しい罰則を受ける事になるのだ。
だがその実、神通の教育を受けた者達にとかく優秀な者が多いのも事実である。那珂の隷下にいるすっかり型遅れになった吹雪型駆逐艦も、艦隊運動や襲撃運動では若い二水戦には決して負けていない。その土台を築いたのは、荒れていながらもしっかり教えを授けてきた神通の功績が大きいのだ。足元で何度も腹を掻っ捌く少女達には申し訳ないが、那珂はその光景に無意識に微笑んでしまう。
頑張れ。
そう脳裏で短く呟くと同時に、最後の霞の首を刎ねた神通が話しかけてきた。
『那珂、いくぞ。』
神通は足元で墨まみれになった少女達には目もくれず、短くそう言うとスタスタと立ち去ろうとする。それはつまり、許しがあるまでそのまま馬鹿面を晒せという、神通の無言の命令なのであった。
ちょっと可哀想に思う那珂だったが、上司の命令では仕方ない。俯いて咽び泣く3人に歪んだ笑みを向けると、那珂も神通の後を追って去っていった。
晒し首となった3人は、結局朝までそこに繋ぎとめられた。神通艦の甲板が見える艦からはその艦の艦魂達が双眼鏡片手に大笑いする声が響き、3人は翌日には「ハラキリ三人衆」という惨めなレッテルを貼られてしまった。特に霞は第18駆逐隊の、そして雪風は第16駆逐隊の司令駆逐艦であった為、両駆逐隊のメンツは丸潰れとなった。しばらくは四水戦や第8駆逐隊の面々から笑い者扱いされる二人であるが、霰にも不運な事があった。
お腹と首筋に伝わる墨汁の冷たさと、遠くの艦から聞こえてくる笑い声、頭のてっぺんにズキズキと残る激痛、そしてベトついた服の着心地。
雪風と霞が謝るものの、滅多に泣かない霰もこの時ばかりは声を上げて泣いた。結局この日、霰はお風呂に入ることが出来なかった。その場の流れに任せたとは言え、自分の気持ちを正直に出してみた彼女への、高い高い代償であった。