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第二二話 「恋敵という好敵手」

『ふぅ〜ん、艦魂にもそういうのあるんだなぁ。』


 その日の夜、大福やきなこ餅等のお菓子を持って艦に戻った(ただし)に、明石(あかし)(かすみ)雪風(ゆきかぜ)の一件を相談した。その言葉通り艦魂同士の(いさか)いである事から人間である彼に相談して巻き込むのはちょっと気が引けたが、勝手知ったる相方の顔を見た明石からはそんな考えは消えていた。

 彼女はいつものようにベッドの上に寝転がり、飲み込みづらい和菓子をラムネで喉に流し込んだ。爽快な喉の通りと和菓子特有の柔らかい甘さが舌の上に残る。良い気分である事この上ないが、二人の仲を考えると明石のその笑みも少しだけ消えてしまう。

 一方、椅子に腰掛けてお菓子を頬張る忠は、普段の自分の生活から解決策を模索していた。

 というのも、彼は明石艦砲術科で構成される分隊の幹部である事がその理由である。当然、分隊長は砲術長の青木大尉だが、その補佐を彼は行っていたのだ。民間人も含めて明石艦には700人以上の人間が乗組んでおり、そこには多種多様な人間関係がある。もちろん良い奴もいれば悪い奴も居るし、彼はおくびにも出さないが好きな奴もいれば嫌いな奴だっている。彼はそんな中で、分隊内の揉め事等の面倒を見る事が間々有った。大半は明石艦きっての問題児である弟のマサの懸案が多いが、組織の一員としての経験が浅い明石よりはあれこれと策が思いつくのである。

 きなこ餅をゆっくり噛みながら、忠は天井に視線を向けて口を開いた。


『なにか一緒にやらせてみるのはどうかな?』

『う〜〜〜ん、一緒になって教育しようとした結果があれだよ?』

『あぁ、そっか。ダメかあ。』


 第一案は速攻でボツとなった。あまり深く考えずに出したありがちな案であったが、お互いの複雑な関係には効果が無い。残念。

 忠は肩を少し下げて、机の上からラムネの瓶を掴んで一口飲んだ。チクチクと喉を刺す炭酸の刺激が、今日はどことなく痛みのように感じる。

 『ふうむ〜・・・。』と頭を捻る彼に、明石もまた両手で頬杖をついて天井を眺めた。煌々と光る電灯の光りがどこか虚しい。


『どっちかを悪者にしちゃって怒るのは簡単なんだけど、それはちょっと悪いよねぇ。神通(じんつう)も嫌がってたし。』

『う〜ん、そうだなぁ。』


 これ程二人の会話が弾まないのも珍しい。忠は僅かに眉をしかめて机に頬杖をついた。


 どうにか二人を仲直りさせる方策はないものか。


 彼の脳裏に浮かぶのはその言葉だけで、その内容は皆目思いつかなかった。力の無い溜め息が忠の口から漏れる。

 だがそんな彼の姿も明石にはどこか微笑ましかった。普段、こうして二人で一つの事についてあれやこれやと頭を捻る事はあまりない。彼女にとってのそれは貴重な時間であり、答えが出ないながらもこうしてあーだこーだと話し合う一時は楽しかった。


『お、そうだ。』


 せっかく必死に考えてくれている忠に悟られないようにと明石は俯いて笑みを隠していたが、突然忠がどこか明るい声を発したので顔を上げた。


『なあに? なにか、思いついた?』

『うんにゃ。でもこういう事を相談できる人に、心当たりがあるじゃないか。』


 ニコニコと笑う忠だが、明石にはその人物が全く思い当たらない。先程とは逆に今度は彼女がその表情を歪める。


 誰かいたっけ?


 唇に指を添えて天井を見上げながら、明石は思いつく名前をあてずっぽうに挙げた。


『う〜〜ん、宮里(みやざと)艦長?』

『まっさか。ぺえぺえのオレには艦長に相談出来る程の度胸は無いよ。』

『じゃあ、青木(あおき)さん?』

『ハズレ。それに艦内の人間で艦魂が見える人はオレだけだよ?雪風や霞の事を伝えるのは無理だよ。』


 焦らしてばかりで答えを教えてくれない忠に、明石はちょっとだけ口先を尖らせて声を返す。


『勿体つけずに教えてよぉ。だあれ?』


 その声に忠はなにか明石を哀れむような瞳で見つめてきた。明石は益々訳が解らなくなって首を捻る。


『ははは。艦魂が見える人間で、オレより人生経験豊富な人が一人いるじゃない。』


 楽しそうに笑う忠だが明石はその言葉を受け、やっとの事でとある人物の記憶に辿り着いた。彼はその人に対して特に気後れを持っていないようだが、明石にしてはとんでもない話であった。今日も勝手に恋仲にされそうになったその記憶が、明石の身体に悪寒を発生させる。首からつま先にかけてゾワゾワと伝わっていく震えに彼女は身体を擦りながら、引きつった表情で声をあげる。


『も、もしかして、木村(きむら)さん・・・?』

『うん、あの人に相談するのが一番良いんじゃないかな。明日はちょうど非番直だから行ってみようよ。』


 月夜の横須賀に浮かぶ明石艦。静かな波音と人の暮らしを示す街の灯りが支配する中、その艦から彼女の慟哭(どうこく)が響いたのは言うまでも無い。






 翌日、朝の顔出しと業務の引継ぎを済ませた忠は明石に連れられ、沖合いに錨泊(びょうはく)する神通艦に向かった。



『と、言う事なんですよ。』

『ふむ、あの二人がねえ。』


 神通に頼んで彼女の部屋に集合した忠と明石、そして部屋の主である神通に艦長の木村大佐。部屋に入ってすぐに明石に抱きつこうとする木村大佐だったが、さも予想していたかのように神通が一睨みすると大人しくなった。今も彼女は机に腰掛けて、椅子に座る木村大佐に時折殺気だった瞳を向けている。

 これではどっちが年下なのか解らない。おかしなコンビであった。

 神通の厚意により彼女のベッドに腰掛けた忠の後ろには、彼の肩に手を乗せて半分だけ顔を覗かせる明石がいた。朝一番から木村大佐の餌食になりそうになった彼女は、ビクビクと震えて忠の背中に身体を隠している。

 だが当の木村大佐は忠の相談を受けるや、急に真面目な表情になって自慢の髭を撫でて考え込んでくれている。意外にも真面目な人だった。


『木村大佐、どうです? 何か良い方法ってないですかね?』


 忠の声を受けた木村大佐は、右の髭、左の髭と交互に髭先を指で摘んで形を整えながら、すぐ脇の机に足を組んで座った神通に視線を向けた。神通も彼のその視線に気づいて顔を向ける。


『う〜〜ん、神通よ、今まではどうだったんだ? 型式が違う艦での編成は、二水戦じゃ珍しい事じゃないだろう?』

『まあ、そうだが・・・。ただ、あれだけ険悪になる奴等は初めてだ。』


 神通は木村大佐の言葉を聞き、頭を掻きながら目を閉じて言った。

 それは誇り高い二水戦の内輪揉め。故に他所の艦魂どころか人間である忠や木村大佐にそれを相談する今という瞬間は、彼女の二水戦の長としてのプライドに少しだけ傷をつける。だがそれを無碍にする事も彼女はまた良しとしなかった。微塵も敬う事が出来ない木村大佐であるが、懸命になってこうして頭を捻ってくれている。目の前のその事実が神通には少しだけ嬉しかったのだ。

 その事から彼女の機嫌は特に悪くはなく、時折組んだ長い脚をブラブラと動かす。


『いっそトコトン争わせてみるか?』


 なるほど、押してダメなら引いてみるか。


 木村大佐の柔軟な発想に、忠は軽く手を叩いて大きく頷く。明石も忠の肩からやっと顔の全部を覗かせた。だがそれとは逆に、神通は唇に手を当てて難しい顔をしながら声を上げる。


『ううむ・・・。それだとどっちかに優劣をつける事にならないか? 霞辺りは負けたら泣き出すぞ。』


 せっかくの木村大佐の提案だが、神通はそこに抱いた懸念を率直に述べる。その言葉はただひたすら部下を気遣う物で、鬼として認知される彼女にしては優しさが滲み出た言葉であった。木村大佐もその声に同じ事を考えたのか、ちょっと苦笑いしながら彼女に声を返す。


『ははは、そうだな。決着がつかないままの状態を、維持できれば良いんだがな・・・。』

『ああ、あの二人は個々においては優れた素質がある。お互いに刺激しあっていけば、良い兵隊になると思うんだがな。』


 神通と木村大佐はそう話すと、揃って顎に手を当てて首を捻った。『う〜ん・・・。』と唸って難しい事を考える二人の表情は心なしか似ており、それはまるで血の繋がった親子の様である。普段の二人の関係を考えると、可笑しなくらいによく似た姿だった。忠と明石は二人に気づかれない様に笑みをあわせたが、すぐにどちらからという事もなく溜め息を発して答えが出ない霞と雪風の懸案を憂いだ。



『戦隊長、武技教練用意良ろし!』


 その時、鈍い金属音のノックに続いて扉の向こうから(あられ)の声が聞こえてきた。本人にしたら気張って出している声なのであろうが、京訛り独特の鼻から息を抜いたような発音である彼女の声はどこか緊張感がなくてすぐ解る。

 霰の言葉から察するに、どうやらこの間の競技会のように所属艦魂を集めての武技教練を行うらしい。やがて部下の声を耳にした神通は机から降りて床に脚をつけると、すぐさま声を返した。


『うむ、解った。今行く。』


 神通は溜め息をしながらもその表情に力を入れ、少し丸い感じになっていた瞳をキッと尖らせる。長いまつ毛と鋭いつり目といういつもの鬼の二水戦戦隊長の顔に戻った神通は、今日もまたどこか怖い雰囲気をその身に纏わせ始めた。

 そして普段の仲間達の生活を良く知らない明石は、その神通の顔に表情を明るくさせて声を掛ける。


『ねえ、今日も柔道?』

『いや、柔道じゃない。今日は銃剣術だ。』


 何気ない二人の会話に出てきた銃剣術という言葉。海軍でも相撲や柔道、剣道と並んで銃剣術はよく行われる武技である。今年、すなわち昭和15年の内に銃剣術は銃剣道と名称を変えるが、それはこの後の事である。

 そして忠はその言葉を耳にしたと同時にある事が心の内に湧き、艦魂が行うという銃剣術に強い興味を抱いた。


『へぇ、神通。オレ、見ていっても良いかい?』






 空は今日もまたどんよりとした曇り空で雨こそ降っていないが、時折吹く冷たい風が神通艦の艦尾甲板にある軍艦旗を寂しく靡かせる。

 そこには白い中袖の運動衣に運動靴、軍袴という所謂体操服に身を包んだ二水戦所属の艦魂達が集まっていた。忠も兵学校時代に同じ格好で青春の汗を流した事を思い出し、懐かしみながらも少し年老いた事を感じて苦笑いする。

 彼女達の周りには各々の防具、剣道用の面、木銃などが置いてあり、その長さや造りも人間が使う物と大差が無いようだ。小柄な彼女達では少し身に余る大きさであるが、実力の程はどうであろうか。

 戦隊長の神通が来た事で姿勢を正す彼女達だが、後ろの方ではそれを忘れて睨み合うあの二人が居る。天に広がる曇り空から雷でも発せられそうな勢いさえ感じるその険悪な空気が、整列した少女達の顔を引きつらせていた。咄嗟に霰が声を掛けようとしたが、彼女よりも上司の拳の方が速かった。

 それが艦魂だからかなのか、理屈はわからないが物凄く鈍い音が二回鳴ると、霞と雪風は昨日と同じように頭を押さえながらその場に崩れる。警告無しで振り落とされた神通のげんこつとその瞳が、霞と雪風の戦意を一旦終息させる。激痛に顔を歪めながらも怯える表情の二人に、神通は口を開いた。


『さっさと並ばんか、馬鹿者。仲間を待たせるな。』


 そういうと神通はサッと身を翻し、整列している少女達の前に向かって歩きだす。相変わらず怖い人だと同じ言葉を脳裏に浮かばせた忠と明石は苦笑いしながらその光景を見ていたが、木村大佐は神通の台詞に笑顔で大きく頷いていた。なぜなら怒った理由はいつぞやの柔道の試合の時の様に神通の気分に対しての物ではなく、「仲間」に関係する事だったからである。

 完全に牙を折られた霞と雪風の泣き声の滲んだ返事だけが、空しくその場に響いた。


 最近は人数も増えてきた二水戦では、武技教練に際して相手に困ることは無い。本日の神通はいつもの第一種軍装のままで、武技教練の監督だけをするようだ。もっともこの人なら銃剣術の腕前がなくても、拳骨一つで相当強いので問題は無いだろう。

 座り込んだ少女達が見守る中、数人の少女達が交代で甲板中央に出てきて神通の掛け声と供に突きを繰り出している。


『まえ、まえ、あと。』


 上司の掛け声に、木銃を構えた少女達が半身で前後に素早く動く。彼女達はさすがに帝国海軍艦魂だけあって、幼い顔立ちの女の子ながらもその動作はキビキビとしていて女性特有の滑らかさが微塵も無い。動作の端々で時間が止まるかのように動きを止める少女達の動きは、忠や木村大佐から見てもなかなか様になっていた。


『まえ、あと、まえ、まえ。突けぇっ!』

『『『でやあ!!』』』


 銃剣術の攻撃動作である「突き」が繰り出される。不釣合いな程に身体より大きい木銃を突き出す彼女達だが、その剣先(※タンポとも呼ばれる)は良く体重が乗っており、風切り音すら聞こえて来そうな程の速さだった。そして剣先の白い部分が空中でピタッと静止している。 それはまるで砲塔から生える長い砲身のようだ。


『おお〜、かっこい〜。』


 甲板の脇で座り込む忠の横では、明石がその勇姿に感動している。彼女は銃剣術なる物を初めて見たらしく、興味が湧いた今の彼女からはさらにその隣に座る木村大佐への警戒心が無くなっていた。明石が至って普通に彼と会話できている事が、忠にとっては大いに平和を感じる事が出来る。


『よおし、明石。おじさんが教えてやろうか。これでも兵学校と水雷学校じゃ、そこそこ強かったんだぞ。』

『え〜。木村さん、できるのぉ?』


 笑いあう二人に忠も微笑みながらも、彼は目の前で汗を流す少女達をマジマジと眺めていた。実は彼も銃剣術に関しては多少の心得があり、口には出さないながらも心の内では一人一人の動きに講評をつけているのだ。

 だが大の男がニヤニヤしながら少女をみつめる、という構図は捉え様によっては危険だ。

 座り込む少女達の中でも、彼の気味の悪い表情に静かにどよめきが起きつつあった。一同に眉をしかめる少女達の中、雪風は初めて見る彼の事を姉に尋ねる。


陽炎(かげろう)姉さん。誰だよ、あの男?』

『明石さん所の砲術士さんだって。』

『へぇ〜。』


 雪風が不思議そうな顔をして視線を向けるのにも気付かずに忠は少女達を食い入るように眺めていたが、その顔を横から木銃がコツンと突付いた。


『いてっ・・・!』

『あはは、変態めぇ。』


 木銃の持ち主は霞だった。

 小麦色の肌に白い歯を光らせるその笑顔が、今日は顔を覗かせていない太陽の代わりのようだ。悪ガキのように悪戯っぽく笑う霞に敵意は無いが、その言葉は忠としてはちょっと心外だった。故に彼は苦笑いしながら、隣に座り込んであざ笑う霞に声を返す。


『変態ってなんだよ。』

『あはは。ニヤニヤしながら女の子見てたら変態じゃないですか。』

『銃剣術を見てたんだよ。オレも少しやってたからさ。』

『森さんが? うっそ〜っ!?』

『あはは、ホントだって。』


 ちょっと失礼な物言いの彼女だが、忠にとっては歳の離れた妹のような物でその言動に腹が立つ様なことは無かった。むしろ明石に比べて元気のいい彼女の笑顔は、忠の心から疲れを癒すには充分な程である。喧嘩の渦中の人物である事を忘れ、忠は霞に笑みを返した。

 すると霞はケラケラと笑って立ち上がり、壁に掛けた木銃を手に取ると忠に手渡してきた。ちょっと驚いた表情の彼を無視するかのように霞は笑うと、その右手に白い光りでもう一本の木銃を出現させて声を上げる。


『よおし、森さん勝負!!』


 そう言うと彼女は壁から甲板中央に向かって、後ろ向きで歩き出した。やがて数歩下がった後、霞は不敵に笑いながら木銃を交互に持ち替えて腕をグルグルと回し始める。

 勝手にやっていい物かと忠は神通に顔を向けたが、彼女は小さく口だけで笑って頷いた。その動作で神通の許可を読み取った忠は、腕捲りをしつつ帽子を座っていた所に置いて甲板中央に進み出た。

 人間と艦魂の競技は彼女達にしても珍しかったらしく、辺りで汗を流しいた少女達も脇にどいて二人の様子を見守ろうとする。明石や木村大佐、神通までもが固唾を飲んでいる中、霞は涼しい顔をして面と防具を身につけていく。

 その霞の表情に、先の競技会での彼女の身体能力を忠はふと思い出した。軽く腰を下げた状態から一瞬にして相手に詰め寄るそのスピード。バネのようにしなやかで、それでいて体勢を安定させる強靭さをも併せ持つ彼女の細い脚。銃剣術で用いる突きに最も必要な物を霞が持っている事に、忠はこの時になってやっと感づいた。可愛い顔つきながらも面の奥で不気味に光る彼女の大きな瞳が、彼に相手の強さをヒシヒシと伝える。


 だが忠には恐れ等という感情は湧いてこなかった。面白いじゃないか、そんな思いを抱く余裕すら彼にはある。普段は笑って物事を誤魔化す頼りない青年だが、銃剣術に関しては彼はそれほどまでに自信があったのだ。明石が出してくれた防具と面を纏い、甲板中央にお互いが進み出ると辺りの少女達が歓声を上げる。当然、霞への応援が大半である。また、常に明石や神通に振り回されてきた忠という人間を、彼女達もまた遠巻きにこれまで見てきた。だから彼に対してはどこか悲観的な立場からの歓声が飛んでくる。


『森少尉、止めといた方が良いですよ〜!』


 鼻で笑う忠だが彼の背後からも、明石の隣に来て座った神通との会話が響いてくる。


『おい、明石。森は大丈夫なのか?霞は弱くはないぞ?』

『さあ〜。森さんが武技やるのを見るのって、初めてなんだよねぇ。』

『おじさんもたまに見てるが、霞は強いぞ。森で相手になるかどうか・・・。』

『私もジジイと同感だ。』


 二人に悪気は無いのは解っているが、明石は相方について好き勝手に言われた事に少しムッとした。ただ彼を心配してくれているだけなのだが、自然と明石の唇が尖っていってしまう。

 そんな背後からの会話に少し苛立ちつつも、忠は木銃を構えた。膝から力を抜き、僅かに腰を落として剣先を霞の喉の高さで向ける。その構えから神通と木村大佐は、彼の銃剣術がかなり洗練された物だと理解して驚きを隠せない。


『ほう・・・。』

『おお、あれなら砲術学校でもいけそうだな。』


 神通に続いて声を発する木村大佐だが、二人ともその表情からは忠に対する哀れみが消えている。銃剣術の事は何一つ解らない明石は二人の表情の変化に首を捻りながら、甲板中央で構える相方に視線を戻した。


 霞も構えてお互いの剣先が相手に向けられると、忠にしては珍しい言葉がその口から発せられた。


『おし。どっからでもかかってこい。』


 目の前に居るのはいつも冴えないお兄さんだが、今は面をつけているからかその声も別人のように感じる。その事から少し驚いた彼女だったが、根っからの熱血な性格が霞の闘志に火をつけた。


 おもしろいじゃん。


 そう頭の中で呟くと彼女は忠に突きかかった。


『いきます! てぇい!』


 霞は勢い良く甲板を蹴って突きを繰り出す。忠の左胸を目掛けて伸びてくる霞の剣先だったが、乾いた樫の木独特の音を放って忠は払った。刹那、忠は半身の状態から、前に出していた左足で霞の腹を蹴った。


『・・・むっ!』


 霞は小さく唸るように声を上げると、すぐさま後ろに跳び退く。

 流れるような忠の攻防一体となった動きに、周りの艦魂達から一同にどよめきがあがる。その柔軟な動きに神通も目を見張っていたが、その袖を明石が引っ張って話しかけた。


『神通、蹴りっていいの?剣道ではダメでしょ?』

『いや、あれが本来の銃剣術さ。木銃を振り回すだけで相手は倒せない。銃剣術ってのは銃剣を用いて相手を制圧する武術なんだよ。』


 日本の銃剣術は西洋式の銃剣術を基に古来からある日本の槍術を組み合わせた物で、特徴はその突き技にある。銃剣術と聞くと、銃床を相手の頭部に向かって叩きつける絵を思い浮かべる人も多いが、日本式の銃剣術は西洋人のように体格が大きくない日本人の体型を考慮して作られている為に多用される事はない。その代わりに左手の中で木銃を滑らせて勢いのある突きを繰り出す事が認められている。その為に銃剣術も少し前までは「銃槍」と呼んでいたし、銃剣を用いた格闘術と言うよりは刺突術と言った方が正しいくらいであった。

 もっとも神通の言う通り、その本質は如何に勝つかではなく、如何に相手を戦闘不能の状態に陥らせるかである。故に銃剣術の技の中には蹴りの他にも、投げ技のように相手を倒し込む技、脚に銃剣を引っ掛けて転ばせる技、中には腕に引っ掛けて間接を極める技もある。明治の初期に導入されて以来、全国各地で相次いだ幕末の内戦、日清と日露等の戦争体験、そして当時の銃の性能上からそこで発生した幾多の白兵戦での前例が、それに磨きを掛けた事は言うまでも無い。

 ちなみに陸軍でも海軍でも上等兵の階級になる者は一時間早起きしてこの銃剣術の猛特訓を課せられるという程に、皇軍では使用頻度の高い格式ある格闘術だった。


 神通の説明に明石は成る程と納得しながらも、そんな物騒な格闘術を相方が用いている事が不思議でならなかった。普段はナヨナヨとして物事を笑って誤魔化す青年なのに、今日の彼は実戦慣れした陸軍の歩兵のようである。

 驚きの視線を向ける明石を他所に、忠は跳び退いた霞を追ってすぐさま前に進み出て距離を詰めた。摺り足で前に出ながらもその剣先や彼の頭の高さが常に一定である事に、神通と木村大佐は同じ様な思いを巡らせて眉を潜ませる。


 こいつ、只者じゃない。


 二人が脳裏に浮かべた言葉。それを彼が証明するのに時間はかからなかった。

 霞は腹に受けた衝撃に僅かに体勢を崩していたが、ふと視線を上げた所でピタリと自分に追随してきた忠を認めて驚く。牽制の為に咄嗟に剣先を伸ばすが、忠はそれを払うとがら空きの彼女の右胸の辺りに突きを繰り出した。ドンと鈍い音が響くと同時に、霞の体が後ろに吹き飛ぶ。霞は1メートル程吹き飛んだ後に、大きく尻餅をついた。


『ぐっへ・・・!』


 苦痛に顔を歪めながらも目を開くと、そこには今しがた自分の胸をえぐった剣先があった。木銃から伸びる腕の先、面の奥で忠がニヤリと小さく笑う。諦めを知らない霞はもう一度木銃を握った自らの手に力を込めるが、その場に響いた木村大佐の声に勝敗を悟った。


『霞、そこまでだ!もう死んでるぞ、だっははは!』


 ちょっと口をへの字にしながらも霞は素直に負けを認めて、差し出してきた忠の手を取って立ち上がる。いつもの健やかな笑い声を上げながら面を取ってあらわになる忠の表情に、霞も面を取って悔しさを滲ませた歪んだ笑みを返した。


『くっそ〜・・・。なんだよぉ、森さん強いじゃん〜。』

『へっへっへ。これでも海兵66期じゃ、四天王だったんだぜ。』


 忠は自慢げにそう言ったが、ちょっと格好つけ過ぎたかなと俯いて頭を掻いた。

 実は勉学であまり優秀でなかった彼の唯一の自慢が銃剣術だった。220人の卒業生がいた66期の中でも屈指の銃剣術の使い手だった事は、彼の兵学校時代の数少ない甘い思い出である。

 照れ笑いする忠だったが、周りの少女達は一様に尊敬の念を込めた視線を送っていた。『かっこいい〜〜・・・。』と、溜め息交じりで聞こえてくる彼女達の言葉。人間ではないにしろ、女子からの視線を釘付けにできた事は忠も素直に嬉しい。だがそんな彼女達と目を合わせる事にちょっと気が引けた彼は、木銃を自身の両肩に真横に掲げて顔を空の方向に向ける。もっとも彼は心の中では、先程彼女達から押されかけた烙印を払拭できた事に安堵して胸を撫で下ろした。

 とりあえず変態の疑惑は解けたらしい、良かった良かった。





『へぇ、やるじゃないか。』

『森さん、すご〜い!』


 そう言って神通と明石が歩み寄ってきた。小走りで近づいてきた明石は、忠の肩に手を乗せてニコニコと笑みを向けてくる。


 喜んでいると言うよりはどこか嬉しそうなその表情だが、そんなにオレの銃剣術を見れたのが嬉しかったのだろうか?


 忠は明石の笑顔にちょっと疑問を抱いたが、整った顔立ちである彼女の綺麗な笑みがそんな事を忘れさせる。そして彼女の隣にいる神通もまた、普段から短気で怒りっぽい彼女にしては随分と柔らかい笑顔を向けてくる。鬼の戦隊長である彼女に褒められるのは、忠としても光栄な事だった。やがて始まった神通との会話が弾む事も彼には新鮮で、ついついその話に花が咲く。


『兵学校ではそこまで教える物なのか?』

『うんにゃ。オレのは祖父さんからの叩き込みでね。おかげで銃剣術は、当日修正より自信があるくらいだよ。あははは。』

『ふははは。気に入った。』


 何時に無く上機嫌な神通はそう言うと、木村大佐に顔を向けて声を上げる。


『おい、ジジイ。森をウチの砲術士で引っこ抜こう。私達の武技教練の教班長にちょうどいい。』

『おお、そうだな!』


 いつもの様子など露知らぬと言った風にして、変な所で意気投合する二人。人の気も知らずに好き勝手言うその様は困り物である。そしてその会話に眉を吊り上げた明石は、神通の腕を掴むと彼女の身体をグラグラと揺さぶった。


『神通、ダメ!! 絶対ダメ!!』

『あ〜、解った解った。揺らすな。』


 冗談のつもりだったのか神通は珍しく苦笑いして明石に視線を送っているが、明石は頬を風船のように膨らませて怒鳴りつけている。どちらの反応も忠には嬉しいのだが、この後になって明石の機嫌を戻す苦労を引き受けなければならない自らの前途を想像して軽く溜め息をついた。


『も、森さん、もっかい勝負!』


 霞の声を受けて喧騒を背後に彼女に向き直ると、彼女は大きな目を輝かせて忠の顔を覗きこんできた。小麦色をした彼女の肌であるが、心なしか頬がうっすら赤みを帯びているように見える。早く再戦したくてウズウズしているのか、小脇に抱えた面を小刻みに動かしていた。


『おっし、やるか。』


 敢闘精神旺盛ながらも彼女のその愛くるしい表情が可愛く思えた忠は、彼女の頭に手を乗せて言った。霞はちょっと顎を引いて目を瞑りながらも、ニッと歯を見せて笑う。するとすぐに元気な彼女らしい返事が返ってくる。


『うす! ・・・うわあっ!!』


 突然、霞は後ろから受けた衝撃で前のめりに崩れると、忠の脇を通り抜けた所で顔を甲板にぶつける様に派手に転んだ。そして霞が消えた忠の目の前には、霞のお尻があったであろう高さに脚を伸ばす少女が立っている。先程神通に怒られた霞の喧嘩相手であった彼女は、脚を下ろすと手を後ろで組みながら忠に笑みを向けてきた。大きい瞳ながらも釣り目だからか、神通や那珂の笑顔とちょっと似ている。


『あ、どうもス。ア、アタイ、雪風ッス。』


 その波打った長めのクセ毛は、幼い顔立ちの彼女にほんのりと色っぽさを与えている。なにか飲み屋の姉さん的な言葉遣いもあるが、頬を赤くしてちょっとモジモジしているこの雪風もまた忠からすると可愛い物であった。霞との睨み合いを見ていた忠はその差にちょっと驚きつつも、わざわざ自己紹介してくれた彼女に笑みを見せてやる。


『雪風か。オレは明石艦の森忠少尉。よろしくな。』


 忠の笑顔で少し気が緩んだのか、雪風は定まらない視線で口元を緩めると右手に木銃を出現させた。


『森さん。アタイに銃剣術を教えて欲しいんスけど、良いスか?』


 彼女は髪型に常に気を使っているらしく、そう言いながらも頭のあちこちに手を当てて髪形を整えている。


 お洒落に気を使うのは女性なら当然か。


 艦魂であるという彼女のことを考えならがらも、忠は雪風のその動作にとても人間臭くて近しい感覚を覚える。それは悪い意味ではなく、むしろ彼にしたら親しみやすい感じさえあった。そんな雪風に、自然と浮かんでくる笑顔で忠は声を返す。


『おし、じゃあ構えは─。』

『とおりゃあ!!!』


 その刹那、彼の声を遮るように叫んだ霞が、雪風の肩に跳び蹴りを打ち込んだ。


『いってぇ!』


 雪風は二、三歩仰け反って尻餅をついたが、すぐさま立ち上がって霞を睨みつける。右手に持っていた木銃を甲板に投げつけると、雪風は眉を吊り上げて叫ぶ。もっとも蹴りを放って戻ってきた霞も雪風と同じくご立腹の表情だった。あんなに可愛さが溢れていた二人の顔も、今では天敵と遭遇した動物のような顔になっている。そしてすぐに口論が始まった。


『邪魔すんな、猿!!』

『アンタが邪魔してきたんでしょ!!』

『森さんに銃剣術を教えてもらおうとしただけだ、バ〜カ! 猿じゃ棒も使えねえだろうが、引っ込んでろ!!』

『なにを、この野郎!!!』


 次の瞬間、霞が飛び掛った。

 ボカスカと殴りあう二人は忠が止めても、一向に喧嘩を止めようとしない。彼はなんとか喧嘩を止めようと二人の間に身体を割り込ませてみるも、どちらからと言う事も無く忠のお尻に蹴りが飛んできて弾き出されてしまった。甲板に倒れ込んでお互いの頬を引っ掻いたり、髪を引っ張り合う二人。完全に目の前の敵しか見ていない。


 これは上司に止めて頂くしか手は無いな。


 そんな思いで神通に顔を向ける忠だったが、彼女はまだ明石によってガミガミと怒鳴られていた。適当に返事をしながらも神通は耳を小指でほじり、時折その小指を口の前に運んでは息を吹きかけている。怒らせると面倒な明石にかかっては神通ですらも手が無いようで、忠が雪風と霞を指差して視線を送っても溜め息をして俯くばかりだった。

 仕方が無いので忠は霰に助けを求めた。


『霰、止めるぞ!』

『はい! みんな、二人を止めるんや!』


 唯一の味方である霰の指示の下、二水戦所属駆逐隊の総力を挙げて雪風と霞を引き離す。随分と怒っているようで、二人はお互いに引き離される間際でもお互いの腹や顔を狙って足を伸ばそうとする。


 やれやれ、困った奴らだ。


 喧騒の中で今日も一人、徒労の溜め息をつく忠。

 そして唯一、その光景を遠巻きに観察していた木村大佐は髭を撫でながら考えを巡らす。


 森を肴にあの二人はお互いに競い合えるのではないか?


 ふと浮かんだその策にだが、木村大佐はニッコリと笑って大きく頷いた。


 うむ、これは森に一肌脱いでもらわねばなるまい。


 当の忠の気持ちなど他所に、一人満足そうに笑う木村大佐。迷惑極まりない話であった。

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