第一六八話 「修羅」
昭和16年9月1日。
帝国海軍は昭和16年度戦時編制の実施を発令。各兵力部署に対して欠の無い完全な戦闘配置に就くよう正式に命じた。
と言ってもこれはどこそこの戦隊をいずれかの艦隊に付けるとか、どの艦艇をどこの部隊に編入するか程度の簡単なお話では無い。先日来の戦備促進作業の流れに乗った膨大な諸工事をより迅速に完了する必要が有るからで、元来が工業系の資源が無い日本の国情を鑑みるとその進捗展望は決して楽観的に捉えれる代物ではなかった。
加えて7月の南部仏印進駐を政策として決めた頃より、戦争準備も視野に入れての国家運営を行ってきた余波で、海軍のみならず陸軍の方でもまた多量の物資の集積や諸物件の増産、新規調達を行い始めていたのも影響は大きい。民間船舶の徴傭も陸海共に一層の拍車が掛かり、その性急にして膨大な量に上る物資取得の手段は物動所掌機関の存在を無視していると陸海軍お互いに相手をなじる結果に陥る始末。当然国内の民需に回す船舶量はガタ落ちし、それが響いてさらに工業力発揮が低下するという悪循環に陥る状態にあった。
もっとも、そのおかげで明石艦は特務艦ながら引く手数多の売れっ子状態になっている。
翌日の9月2日には同じ瀬戸内海の中にあって呉からもほど近い因島の民間造船所へ移動を命じられた。資材と若干の陸上設備の支援があれば相応の工作力を発揮できるという強みを生かしての出張業務と言った所で、同じく因島で整備を行う予定にあった二水戦の早潮艦も同行する事になった。
ついでに明石艦としてもここで整備作業の一部を行ってしまうのだそうで、到着早々に呉のお隣の広海軍工廠と連絡を取り合っての工作機械の交換なんか始まる。
民間ではないれっきとした海軍自前の飛行機製造工廠として有名な広海軍工廠だが、実は海軍で扱う多様な工作機械の製造も手掛けており、明石艦装備の優秀な工作機械の殆どにはここの製造を示す刻印が記されているくらいである。故障した機械の換装や新製品の装備も工作艦にとっては立派な艤装工事で、錨を下ろす場所が変わっても明石艦の上甲板は大賑わいに変わりは無かった。
『ああ、これ。始業点検の時から変わったんですか?』
『ゼロ点調整の時にやるみたいだな。参考書の方も改定入ってるぞ。』
『さっそくボードに貼っておきますね、改定したトコ。間違っちゃうとマズイですから。』
『あー、待て。注意書きも併記した物貼ろう。さあ、さっそく作るぞ。』
ついさっき搬入されたばかりの新式の工作機械を前に、腕を組んだ何人かの工員さん達が難しそうな顔でそんな声を上げている。新しい機械だから仕事も捗るかと簡単に物事は進まないのは往々にして有る事で、旧来の物より取扱いが変わってたりするとその内容の周知徹底をしっかり図った上で使用するようにせねばならない物だ。精巧な機械ほど間違った使い方をすればすぐに壊れてしまうし、お船として移動する明石艦での使用を考えたらすぐに交換という訳にも中々いかない。故にこれから彼らは夜遅くになるまで、この新式工作機械における操作手順書や要領書の類を準備して万全の使用準備を整える事になった。
一方その間、艦の命である明石も一応の為、早潮の検診に勤しんだ。
霞や朝潮の様に気心知れた仲とまでは行かない早潮だが、二水戦に所属してそこそこ経つ事でお互い名前と顔は知っている。神通という共通の知人にて接点も得ているので会話に困るという事は無い。明石の部屋にて口や目を覗き込んだりして触診や問診も粗方済ませ、結果をバインダー上の紙に書き込みながら明石は声を弾ませていた。
『うーん、至って健康。お尻の傷は、あれたぶん神通のだよね?』
『ええ、まあ。でも、まだ私はマシですよぉ。雪風辺りは倍は有りますから。あははは。』
逞しい事に竹刀で尻をぶっ叩かれるのももはや笑い話か。早潮は怖い怖い上司の癇癪ぶりを笑ってみせた。割とお利口さんな彼女はもともと神通から目をつけられる人柄ではないし、今しがた口に出した雪風という被害担当者がいるならそれは尚の事なのも理解できる。相変わらずの二水戦に思わず明石も笑ってしまったが、その裏で先日の雪風と神通の一件をちょっと思い出していた。
どうやらその反応をみるに早潮は知らない様だが、いつも以上に荒くれた立腹を見せた後、どこか返答に窮した感じの有った神通の様子はやっぱりどう考えても変である。やはり彼女の身辺で何かが、それも普段から部外者の口出しを極度に嫌悪するという部下達に関する事での何がしかが起こったのではと勘繰りながら、早潮のお話に静かに微笑む。一応はそれとなく早潮にも聞いてみたが、その口からは予想通り明確な情報は得られなかった。
『戦隊長ですか? いやあ、別に。整備中でも勉強怠けるのは許さ〜ん、とかは言われましたけど、まあでもそれっていつもですから。』
『・・・うん、そっか。なら、良いんだ。』
結局何も解らずじまいであったが、まあ早潮一人から全てを聞ける程度のお話なら苦労も無い話だ。聞けばあの夜の翌日には二水戦でまた訓練だと集まったそうだが、神通も雪風も特に事を荒げたという様子は無いそうで、ひとまずは気を揉まなくても良い状態にある事に安堵。
9月10日までに及ぶ予定の因島での停泊と整備作業に、とりあえずは一息つく事にした。
もっともその最中、この国の最高統帥部は混乱極まる世界情勢への打破策として、決定的な外交施策を裁可。御前会議にて天皇陛下の裁断も仰いだ立派な国策なるも、その内容は明石の如くほっと一息なんて常人なれば言ってられない程の内容となっていた。なにしろ陛下の前に進められた、本国策を記した奉書の最初の部分にはこう書かれていたからだ。
帝国は自存自衛を全うする為、対米英蘭戦争も辞さない決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整する。そして十月上旬に至るまでに別紙記載の我が対外要求を貫徹する目処が立たなかった場合、直ちに米英蘭との開戦を決意する。
世界的な騒擾の中においてとりわけ米国との関係に暗雲が立ち込め、南部仏印進駐を契機として先月始めに石油資源の全面禁輸を発動された日本は、その打開策としてついに戦争を国策の方針の一つとして掲げ、国家元首たる天皇陛下の前で披歴する事態となった。無論、まだ方針としての決定に過ぎなかったが、その前提の論拠は各政府機関によって既に研究、討議された物であり、見通しとして成り立ったので奏上と相成った次第である。先月から海軍で始まっていた出師準備第二着作業もその前段取りとして計画に組み込まれていたのであり、明治の終わり頃に成立して以来、米国を主敵と定めて30年近く練り続けてきた戦争に、国家としていよいよ手を掛ける寸前の所に来たのだった。
時これ昭和16年9月6日、いわゆる「帝国国策遂行要領」が決議されたのであった。
因島から明石艦が軍艦旗を呉へと戻したのはその4日後で、工事の為の重機の音色もけたたましい軍港がその帰還を迎えてくれる。これでも軍港内の艦艇の数は僅かばかりは少なくなっているそうで、工事の終わった艦は瀬戸内海の広い海域へ進み出て単艦での訓練に励んでいるらしい。先月来の人員入れ替えの影響で低下した個艦としての練度回復が急務だからで、所属する隊の全艦が揃うのを待っていられない事情もあった。二水戦等の部隊でも配下の駆逐艦の何隻かは既に工事を終え、単艦訓練に赴いて不在となっていた。
同時にこれまで近隣の錨地で待機していた艦艇や、ようやく最近作業地から帰ってきた艦艇が軍港内に姿を現したのもあって、決して賑やかさが失われたなんて事は無い。
工廠の眼前の海上でポンツーンに挟まれる大和艦も、ほぼ全体が出来上がってきて煙突周りの足場もだいぶ外されてきた。時には稼働試験なのか作業スペース確保の為なのか、その大きな主砲に俯仰角を与える光景も目に付くようになり、歴史に残る大戦艦の完成が間近に迫っている事を見る者に悟らせてくれる。なにせ来月半ばには待ちに待った海上での公試、すなわち初となる出港を控えているのだ。
投錨直後から港内を一瞥していた明石もそんな呉軍港の光景に無言のままに頷いて感心していたが、その最中に彼女は呉軍港では普段あまり見かけない艦影が混じっている事に気付いた。
流麗で細長い艦体に、山のような格好で配された砲塔群。艦中央付近にまとまった上部構造物は比較的新しい軍艦の艦影に相違無いが、それらを超えて特に目を引くのは縦も横も煙突よりも太く大きな艦橋。艦幅いっぱいにまで土台の部分が延長された箱型の構造で、その立派で壮大な出で立ちは日本式城郭の大天守を連想させるのも容易い。線の細い流麗な感じと相反する力強さを両立したシルエットはどこか帝国海軍離れした感じも相応にするが、それは呉鎮守府所属艦としては珍しいながらも明石はこれまでの艦隊訓練で十分に見慣れていた。
『あれえ? 愛宕さん、だ・・・。』
その艦は横鎮籍の愛宕艦。第二艦隊の基幹戦力である第四戦隊所属艦にして、高雄艦と共に長く第二艦隊旗艦を交代で務めてきた一等巡洋艦であり、帝国海軍艦魂社会にあっては立派なお偉いさんに当たる人物の分身だった。
すぐに明石はその愛宕艦の上甲板へと移動して艦内に進んで行き、その命が自室として使っている小さな倉庫を訪ねる。
『愛宕さん、どうもこんにちは。呉に来るって珍しいですねぇ。もしかして工事明けの訓練とか?』
『ああ、明石。わざわざ有難う。いや、どうも横須賀の工廠が手一杯だそうでね。ちょっとした工事をこっちでやる事になったんだ。もう何日か居る予定だよ。』
頬にかかるくらいで切り揃えた黒髪を揺らし、椅子に座っていても常にピンと伸びた背筋が凛々しい愛宕は、明石の来訪に笑顔で応じてくれた。特徴的な男言葉とやや低めの声色は真面目でお堅い彼女の人柄をよく現しているが、決して怖い人物でも規則にやかましい面も持ち合わせない比較的柔和な人当たりがそこには有る。程よい感じにスマートで程い感じに柔軟な雰囲気の人物で、その在り方は実に分身たる愛宕艦の特徴と合致した物である。明石よりも一回りお姉さんな20代半ばの容姿と、実際に第二艦隊では最上級の上司としてこれまでお世話になってきた経歴も加わり、明石にとってはとっても頼りになる先輩艦魂さんでもあった。
ちょうど愛宕は自室で何がしかの書類仕事をしていたようで、机上には何枚かの紙と一緒に万年筆やインクの瓶、そしてこの間明石と一緒に作ったお手製のハンコが並んでいる。愛宕をして『カッコイイ!』なる衝動で作った逸品は字体は勿論、ニスと黒の塗料をこれでもかと重ね塗りして漆塗りをも思わせる光沢が実に綺麗であり、改めて事務仕事の最中に手元に置いてある姿を見ると確かに当人が公言するように格好が良い。同時に明石艦製という素性を知るが故に明石の鼻も多少は高くなるという物で、愛宕もそれを察してか早速ハンコの使い勝手に好評を与えてくれた。
『いやあ、最近こういう仕事好きになってきたよ、明石。このハンコのおかげで効率的になった上に、実に格好良くなれた気分だ。今じゃ高雄の分も進んでやっても良いくらいだよ。』
『あはは。有難うございまぁす。そう言えば高雄さんは使ってました?』
『うーん、どうも高雄は昔からこういうのに疎いんだ。使い所がまだ解らないのかな。受け取りはしたけど、あまり使ってない。あ、でも明石には有難うって言ってたよ。』
明石のを一目見るなりハンコに大変な執着を見せ、また自分の分を作ったら大いに気に入ってくれた様子の愛宕。その素晴らしさが解らないとは不幸だと実の姉妹の高雄を少し愚痴り、笑い話のタネにして明石と語らう気さくさと明るさに明石も思わず笑ってしまう。就役以来、ずっと第二艦隊の中核として頑張ってきた姉妹だというのに、お互い拘る方向性が少し違うだけで明石の頭上越しに熱弁していた両者の姿を思い出すと尚の事可笑しい。
きっと立場が入れ替わったら高雄も同じ事を言うだろうなと想像しながら笑い声に花を咲かせたが、その裏で明石は先日からちょっと聞いてみようと思っていた神通の一件の事も忘れてはいなかった。雪風や朝潮、ついでに那珂への当たり方もちょっと変だった点を考えると、おそらく神通の様子が奇妙な原因は普段のお仕事、すなわち彼女が頂く二水戦旗艦の立場に繋がる物が有るはずで、そういう側面ならば艦隊付属で別行動も多い明石よりも直属の上司になる愛宕や高雄の方が知ってる可能性も十分にある。
早速彼女はここ最近の疑問を声に変えてみるのだが、神通の名を耳にした途端愛宕の眉は小さく動く。
『そうか、そんな事が有ったんだね・・・。確かに、私も高雄もちょっとだけ神通中尉とは話してる事はあるんだけど、これ軍機扱いの話でね。今はまだ詳しくは言えないんだ。あー、変な心配させちゃって悪かったね。』
『あ、いえいえ。そ、そうですかぁ・・・。』
素直な愛宕は口出し無用とは決して言わなかったが、残念ながら事の真相を知りたかった明石に詳細を述べる事はしなかった。お偉方でしか知られていない秘密なのだそうで、新米艦魂な上にそも戦闘艦艇ですらない明石には食い入る隙もありそうに無い。丁重な接し方をする愛宕の態度に詮索する余裕も吸い取られ、早潮に続いてまたしても具体的な事は何も聞き出せないままとなってしまった。
日付は変わって9月13日。
この日、先の多重衝突事故によって沈没事故に繋がらなかったのが不思議だったくらいの大損害を被り、しばらくの間呉工廠で修理工事を受けていた二水戦の夏潮艦が、ようやくその工事を完了。久方ぶりに錨を揚げて自力で海上を進み、修理箇所の点検や乗組員の訓練、その他のちょっとした整備工事を兼ねて佐世保までの航海を行う事になった。
その命である夏潮は勿論、二水戦の仲間や神通らも待ちに待った復帰で、合流こそまだ少し先だがこれで晴れて二水戦所属駆逐艦は全てが行動可能状態となる。大事をとって出港前日の診断は特に入念に行ってくれと神通にも頼まれ、明石も二つ返事で応じて夏潮のの健康を確認。一応の為に何事も無理は禁物、睡眠と食事を中心に据えた病み上がり状態での諸注意を与えてあげた。その場を同じくしていた神通も夏潮の復帰には少なくない憂いが有るようで、明石に続いて航海中や佐世保にての注意事項を一つ一つ紙に書き、次いでそれらを己の口で丁寧に説明してあげていた。
『広報で確認した程度だが、佐世保には呉と同じく相当の艦艇が待機している。だが挨拶回りなぞせんで良い。金剛の親方もまだ艦隊訓練中で不在らしいが、もし何か解らなければ前に一度訪ねた敷島の大親方を頼ると良い。これを持っていけ。』
『あ、はい。えと、戦隊長、これは・・・?』
『昨日の晩にしたためた敷島の大親方への手紙だ。お前の事故と今回の佐世保巡行の件を書いてある。軍港内での困り事なんかがあっても、必ずや大親方が良く取り計らってくれるだろう。大丈夫だ。私の部下に当たるお前になら、あの方はきっと力を貸してくれる。ある面では妹に当たる朝日軍医中将以上にお優しい方だ、あの艦魂は。』
まだまだ青二才にして病み上がりな夏潮は、これまで常に一緒に行動してきた同じ駆逐隊の仲間すらも付き添わない、たった一艦での航海をこれから行わねばならない。復帰直後の久しぶりの船出と言えども孤独と寂しさが隣り合わせの航海であり、送り出す神通や駆逐艦の仲間達は皆一様に少々の不安と抱えていた。当の夏潮も自分一人で大丈夫だろうかと心配が払拭できないでいたが、神通だけはそれを既に見越して色々と諸注意に盛り込み済みである。16名を数える部下達の中、夏潮一人の為にわざわざ手紙まで用意してくれた心遣いに彼女も大いに胸を撫で下ろせた様で、やがて先頃の大怪我が嘘だったかのように意気揚々としながら呉軍港の波間に舳先を進め始めた。
『行って参ります!』
微速で港内を縫うように進み行く夏潮艦の軍艦旗が、ちょうど港入口近くでブイに係留されていた神通艦の真横を通り過ぎていく。その際に舷側の甲板に出た夏潮は、軍帽を被って綺麗に洗濯してしわも消した一種軍装に袖を通し、強く結んだ唇で凛々しい表情を作りながら挙手の敬礼をする。彼女が向く先には神通艦の甲板にて整列する仲間達と上司、そして呉に戻ってからの療養に協力してくれた明石の姿が有り、再びの船出とその前途を祝ってくれている。
『総員、帽振れー!』
『夏潮ー! 気を付けてけよー!』
『頑張れよー!』
わーわーと歓声を上げて帽子を振り回す姉妹や仲間達の横では、神通が対照的に寡黙を貫いてゆっくりと帽を振っている。明石も精いっぱい声を張り上げて夏潮の出港を見送り、訓練が上手くいって一日も早く二水戦へ合流できる事を願うのであった。
一方同じ頃、呉軍港と並んで規模も大きく所属艦艇数も多い横須賀軍港は、これまた呉と同じく所属各艦に対する戦備促進作業の為の各種工事で大忙しの状態となっていた。本邦近海で先頃まで艦隊訓練に励んでいた第一、第二艦隊、第一航空艦隊等の各艦が戻ってきてるのは勿論、千島列島付近を担当する北の大湊要港部の艦艇群も殆どが横鎮籍であるし、南洋方面担当の第四艦隊も配下の多くは横鎮籍。これらの工事を全部行わねばならないのだからその多忙さは筆舌に尽くし難く、近隣の浦賀造船や横浜船渠と言った民間造船所まで含んで海軍艦艇の工事に動員されている。そこには軍艦ではなく一般の貨客船のシルエットが混じっているもその九割方はつい最近徴傭された特設艦船で、海軍と無関係な艦船の工事は皆無と言って等しい物であった。
だから横須賀軍港の海面は所狭しと、それこそ数珠繋ぎの如く艦艇が停泊し、曳船の助けを借りねば駆逐艦と言えども自由に航行できぬくらいの有様となっている。まるで行列のできるお店の門前よろしく、案内の交通船や曳船を港外で待ってる艦もいるくらいであった。
そしてその中には、変な意味で帝国海軍も一番に名の知れた、誰もが認める親分艦魂さんの分身、金剛艦の姿もある。
『なんやなんや、ワシの分のブイ有るんかいな? 観艦式ん時かてこないにごった返しとらんかったでぇ。』
180センチ半ばと男性に混じっても目立つくらいに極めて高い身長の持ち主である彼女。肩幅や腰回りも日本人女性に比べると広いが、小顔でとても長い両脚が織りなすそのスタイルは八等身に迫る勢いで、ファッションの最先端を行くパリのグラフ誌を読み漁ってもこれほどのモデルはそうは見つけられないだろう。癖も無く真っすぐに垂れた白とも黄色ともつかない煌びやかな長い髪は背を覆い、日本人女性では絶対に持てない特有の白い肌は雪を思わせる儚げな美しさを与え、その姿を格好の別なく彩る。
周囲に臨在する艦艇群の艦魂達と同じ真っ白な二種軍装を着ていても、とかく彼女は中身のおかげで目立ち具合も甚だしい。もっともそれ故に用事がある際にこの金剛を探すのは苦労が無く、まだ繋船作業も終わらぬ内に早速彼女の下には帝国海軍一の長老様のお呼びがかかった。
言わずもがな、それはここ横須賀軍港にて20年近く重鎮として君臨している富士艦の命の事を意味する。
『あー、富士さん。こりゃどうも。なんや、ティーご馳走や聞きましたで。』
『ふふふふ。金剛、よく来たわ。さあ、そこに座ってちょうだい。』
富士艦内部のお部屋にて金剛を招き入れた後、富士は細く枯れた手で椅子を進めている。
彼女の160センチそこそこの背丈は車椅子に腰かけた事で金剛との差をさらに如実にし、真っ白に色褪せた長い髪はまるで白黒写真に映った人物がそのまま動いているようだ。身に着ける服も真っ白な着物状の服で、白人女性という共通点もまたさらにその白の色合いと、富士が持つ独特な病弱そうな老婆の弱々しい雰囲気を濃くさせる。銀縁の眼鏡もお洒落の為の道具ではなく老眼を補助する為にかけられている物で、四方をしわに囲まれながら灯る淡い翡翠色の瞳は、蝋燭の灯りが揺らめく様な感じで細々とした輝きでしかない。
ただ金剛と富士はもう知り合って20数年の間柄な上、艦隊に属している金剛は頻繁に横須賀へと来る機会も有った為に、そんな富士の特徴的な容姿にいつぞやの朝日の様な心配や憂慮をとりたてて金剛が抱く事は無かった。
普段の荒い言動を意識して抑え込み、勧めに応じて着座しながら富士の言葉に笑みを浮かべる。
『聞くまでも無く元気そうね。髪も全然変わらない綺麗なまま。羨ましいわ、金剛。』
『へへへ、どうもおおきに。せやかてもう堪忍して下さいや。綺麗云々は朝日の叔母御とか陸奥の方がお似合いやで。』
『ふふふ、ダメよ。持って生まれた美しさは大事になさい。欲しいと思っても手に入らない物だから。』
金剛の分身は現在就役中の帝国海軍の戦闘艦艇の中でも最古参で、艦魂さんとしても最年長。現役で艦隊勤務に励む皆からは親分の様な存在と一様に捉えられており、階級の上下を別にできるなら誰に対しても肩の上から話をしてみせる事の出来る立場にある。実際に現連合艦隊旗艦の長門が相手でも、第三者の目が無いなら敬語も一切用いず声を交えたりもしているのだが、相手が富士ならそうはいかない。
一線配備の戦闘艦艇という括りを除き、現在帝国海軍に籍を置く艦艇の全てを統括しても最年長というのが、この富士の立ち位置。朝日や敷島、出雲ですらも昔から先輩の敬称を付けて必ず呼ぶ程に高位にあり、その分身が進水してから今年でもはや45年に至る。これは現役の海軍大将とほぼ同じくらいの軍歴だ。
それ故に富士は、金剛がそれこそ英国で進水して日本にやってきた当日から面識を持っている。幼少期から見守ってきたという言い方にはまさに微塵の差異も無く、艦魂社会の慣例として師弟関係を持つという点に関しても当初は敷島ではなく、金剛の極めて美しく麗しい容姿に一目で惚れ込んだ富士が面倒を見るつもりでいた。色々と事情があってそれは叶わなず、外見は文句無しながら中身の方は天下一品の問題児であった所に最初の頃は面食らったが、自身と同じ英国生まれの出自を持つ者として富士は長年に至って特に目をかけてきた。またその等身が極めて高い長躯な体格と長くくすみの無い美しい金髪は、早くに亡くした実の妹の八島を彷彿とさせる点も富士にとっては大きい物だった。
『もうちょっと丁寧にマフィンは頬張って。ティーももっとゆっくり飲むと香りが味わえるのに。』
『あ〜、せっかちなん富士さんも知っとりますやろぉ。それにちゃーんと香りは楽しんでまっせ。富士さんのニルギリはホンマたまにしかご馳走になれんさかいな。あ、そや。聞いてくださいや、富士さん。このごろまーた親方がワシの淹れるティーにケチばっかりつけてくるんですわ。ワシがあんまり上手やないの、とっくの昔に知っとるやろうに・・・。』
『ふふふふ。あれで朝日の姉だもの。自分で淹れないくせに結構ティーには口うるさいのよ、昔から。けれど今からでも遅くないわ、金剛。ティーの腕を磨くなら私が教えても良くてよ。』
年長者らしく、というよりもお姉さんぶる様な接し方が色濃い富士。
同年代の仲間達相手でも見せず金剛だけに披露するその態度は、亡き妹と過ごした僅かな往時を懐かしんでいるのか、それとも殆どしてやれなかった自身の姉という在り方を改めて楽しんでいるのか。いずれにせよ富士の楽しそうに奏でるおせっかいやお小言に、さしもの金剛も抗う事はできなかった。姐御肌や親分気性もこのお方にはなかなかそう簡単に発揮する訳にもいかず、師匠や朝日らと同様に幼い頃から世話になってきたので頭も上がらない。
荒く後頭部を掻いて困ったような笑みを浮かべ、富士に言われるがままティーを進めるばかりであった。
『堪忍してくださいや、富士さん〜。昔みたいなアホな事なんぞしてませんてぇ。』
『ふふふ。そうは言ってないわよ。でももう少し品が有って欲しいわ。もったないのよ、そんなに綺麗なのに。』
『かなんなぁ。ほんなん直々の教え子の陸奥にでも言うてやったらええやないですか。』
『ダメ。貴女は最後の英国生まれ。私や敷島の世代から見れば最後の愛弟子なの。これまでも、そしてこれからも、特別な子なのよ。ふふふ。』
一方その頃、同じ横須賀軍港の工廠地区のど真ん中付近に位置する大きな桟橋では、戦備促進工事を受けてる真っ最中の大空母、赤城艦の姿が有る。帝国海軍航空母艦の最古参にして最大級の巨体を誇る本艦は、お役目の上でも第一航空艦隊の艦隊旗艦を拝命する栄誉を独占。帝国海軍航空母艦群の第一人者みたいな立ち位置にあり、艦の命という面でも彼女の存在感は結構大きなものである。
未だ海軍上層部のごく限られた者にしか知られていないハワイ作戦の詳細を、最も身近にて知る事の出来る境遇も手伝い、ここ最近は会話する相手の殆どがどこぞの艦隊旗艦級の艦魂ばかり。連合艦隊旗艦の長門とも頻繁に連絡を取り合っており、部下の帯同も許さず極秘会談の様な打ち合わせをする事も多い。
本日も赤城艦艦内の一室には陸奥と長門が朝から訪れ、赤城が新たに取得した情報を皆で共有する機会を得ていた。第一航空艦隊司令部から書写してきた資料や小さな海図を机上に並べ、時折それらの一部を指さしたりしながら赤城が説明を行っている。
『やはり商船航路を避けた、北緯40度線を東進する案となりそうです。大圏航路からも、このミッドウェー島の哨戒圏からも十分に外れるので、発見の恐れはだいぶ小さくなるでしょう。ハワイには空襲前日午前より北方から一気に接近し、当日黎明時にフォード島北200浬の発艦地点に至る計画みたいです。』
『北緯40度線・・・。北海道から真東に行くような航路だわ。赤城、これって・・・。』
『ええ、陸奥さん。一航艦航空参謀の雀部中佐が現在専属で調査と研究をしているんですが、実はこの海域は太平洋高気圧、極地高気圧が居を構える厄介な地帯です。天候は相当に荒れる事が予想されます。特に11月、12月は天候も海上も大荒れ極まれりと言った所です。哨戒機を発艦させるどころか、満足な天測だってできるかどうか。』
現状の帝国海軍艦魂社会の中で最もハワイ作戦に精通した赤城の弁は実に詳細で、立場も年齢も上の筈の長門と陸奥が完全に聞き手になってしまっている。
日頃から熱心に艦隊司令部の情報を集めてきた赤城の努力の一端であり、決しておごらずひたむきに励む姿勢はその端正な顔立ちと物腰からは意外と受け取られる事も多い。短めの黒髪を後ろに流すようにしてヘアーピンで上手に纏め、右目の目尻下に位置するホクロが印象的にして、精悍な女性、麗しい男性の見分けに悩む中性的な顔立ちは、仲間内でも随一の高貴さと威厳を漂わせた物。どこぞの皇族みたいな雰囲気が備わっていて、こつこつと努力するという姿をそこから導き出すのは難しい。生まれながらに文武両道、何でもできてしまうような感じが満ちている。
むしろ努力なんて似合わないと思われてるくらいなのだが、そこはさすがにかの有名な「海軍砲術学校金剛艦分校」の卒業生である。努力なんて無縁などとでもホザこうものなら問答無用で鉄拳が飛んでくるという教育環境に浸ったおかげで、何事にも八文目程度で良しとしないように育てられた。夜遅くまで資料とにらめっこするのも結構多く、面倒な事は何でも嫌いな長門とはハッキリ言って月とスッポンくらいの開きがある。
もっともそのおかげで赤城の説明に長門も陸奥も訝しむような気持ちは一切湧かず、来るハワイ作戦の細かな部分に少しづつ理解を深めていく。なにせこの作戦、空母を集中運用した上で長躯進撃させ、あろう事か米海軍太平洋艦隊の本拠地を奇襲するという前代未聞の作戦で、今しがたの赤城の言にも示されている通り、進撃航路の面でも既に大きな憂慮と懸案が発生しているらしい。
長門と陸奥は思わずため息をついてしまう。
『あーあー。なんてこったい。という事は洋上給油の方もできるかどうか解らないんだね。』
『先月からGF司令部気象長の大田中佐が北太平洋の気象研究をしてたのも、間違いなくこの件ね。それでも給油成功率を上げる為には、一航艦で洋上給油の訓練もする必要が出てくるわ。・・・あれ? でも姉さん、給油船って今そんなには・・・?』
『うん、支那方面艦隊と第四艦隊向けで殆ど手一杯だね。それに陸奥、一航艦だけでみても航海中の経済速力は14ノット。平均実速として12ノットとしても、荒天での遅れを取り戻す時の事も考えたら、最低でも14ノットは出せる給油船が必要じゃん? そんなの大手の汽船会社が所有してる最新鋭タンカーだよ。ちょっと今の海軍には無いんじゃないかな。』
ここ最近はお仕事に真面目な長門の言葉に、凛々しい顔立ちの赤城もため息をつきそうになってしまう。連合艦隊司令部と間近に接している長門と陸奥は、当然の事ながら海軍全体の情勢に精通しており、赤城も知りえない情報を色々と持っている。その中の一つとして述べた給油船の事情を鑑みるに、ハワイ作戦充当用の船舶が現状海軍では持ち合わせていないらしく、作戦遂行の目処以前にこれでは給油の訓練すらもできない。いきなりの大問題発生に赤城は眉を顰め、しばし続いていた一航艦側の状況説明もちょっと止まってしまった。
ただ一応はこの善処策は既に実施されつつあるようで、やがて長門はいつもの様に袖だけ通して羽織った上衣の内側から一枚の紙を取り出し、額に手をかざして苦悩の波に打たれる赤城に持ち前の柔らかい口調で語りかける。
『赤城。そこは言い出しっぺの山本長官も考えてあったみたいだよ。今週くらいだと思うけど、優秀タンカーの徴傭始まる手筈になってるの。これ、今解ってる段階での船舶一覧。』
『ああ、どうも。・・・なるほど、どれもこれもここ数年でできた新鋭船舶ですね。速力も十分だし、積載力もある。しかしこれから特設艦船としての工事を受けた後での配備ですから・・・。』
『すぐって訳にはいかないわね。でも、工事の優先順位も高くなってる筈だから、ここは少し待ってね、赤城。』
『・・・ふぅ、仕方ないですね。解りました。考えてみれば給油船だけじゃなく、大型艦船である私ら空母から巡洋艦や駆逐艦に給油する事もあるでしょう。そっちの訓練ならすぐにでもやれるでしょうから。』
決して卑屈ではない性格の赤城はそう言って顔を上げ、長門と陸奥に順に目を配りながら自身が考えついた現状で取り得る最良の道を披露。むしろ給油船の有無に関わらずやれる事もあったじゃないかと前向きに捉え、早速自らが率いる一航戦麾下の駆逐艦を使っての洋上給油訓練のアレコレを思考に巡らせ始めた。
もっとも駆逐艦という単語が出た所で訓練考察は即座に止まり、それと同時に赤城の左上腕には瞬間的に痛覚が走った。今しがたの給油船云々以上の大問題が転がっているのを、赤城どころか長門や陸奥も先日目の当たりにしたばかりだからである。
長門と陸奥もふいに赤城が表情を曇らせ、左の二の腕辺りを軍装の上からそっと抑えた仕草を目にして、彼女が脳裏に過らせたのと全く同じ光景を記憶より蘇らせる。
『・・・その階級章と立場で二水戦の駆逐隊を出せというのなら、アンタの新編の艦隊でも、ふん・・・、第一艦隊でもかまわん・・・。 戦隊旗艦以下17隻・・・、第二水雷戦隊所属全艦で相手になってやる・・・! その度胸が有るなら、いつでも砲門をこちらに向けて来い・・・。』
年齢は赤城と同じくらい。立場は艦隊旗艦に対して戦隊旗艦で、階級は艦魂社会の物ながらも将官と尉官と大きな差があるにもかかわらず、この3名の制止を腕づくで吹き飛ばした末、そう喝破した神通の形相。吊り上がって裂けた目に牙を剥いた口など、童話や絵本でしか見た事のないと形容できるほどだったその表情は、まさに鬼と呼ぶに相応しい物だった。
そしてそうまでしても神通が拒否したのが、ハワイ作戦の兵力として隷下の駆逐隊を出すという案件であった。
『ハァ・・・。』
再び大きなため息が室内の全員から漏れる。給油船の配備が遅れて喫緊の訓練が不可能なら、参加兵力として候補に挙がっている艦船の面でも未だに決定を見ていないというのだから無理もない。ましてやあんな修羅場から明るい展望を見つけるなど、積乱雲の真下で星座を探すようなお話であった。
普段はお気楽で能天気な長門もさしもに冗談は出てこないようで、煩わしそうに頭を掻きながら口を開く。
『一応なんだけど、いま第二艦隊の愛宕が呉で工事になっててね。なんとか神通と話してみてとは言っておいたんだけど・・・。』
『でも、姉さん。愛宕の方がずっと年下だし、向こうは気が立ってるから・・・。』
『結果は同じでしょうね。ああなっては聞く耳なぞないでしょうから。』
長門に続いて陸奥、次いで赤城と声を放つも内容はどれも悲観的な物ばかり。皆が神通の気性を知っているからで、軍刀まで振り回すという暴挙に出た事に3人とも殆ど方策を打ち出せずにいる。向かってくるなら戦うまでと覚悟も見せつけられ、もはや反乱にも等しい勢いで抗おうとする彼女に、ハワイ作戦の機密性から事を荒立てたくない長門らの事情も合わさって、困った事に対応の選択肢の幅が狭くなっていた。
その中で陸奥は今回の騒動の渦中にいる赤城、神通の関係を考慮し、この二人に対して肩の上から話の出来る人物にやはり協力を仰ぐべきなのではと赤城に質した。強い巻き癖の効いた前髪を一度指で流した後、彼女は肩を落とす赤城の横に進み出て声を放つ。
『赤城、やっぱり金剛さんに話を出すべきだわ。』
やはりと言うのは事件直後から陸奥は何度もこの案を長門、赤城の両名に提案していたのだが、二人ともそれを拒否して続けてきたからである。言わずと知れた帝国海軍艦魂社会の親分である金剛は、陸奥や長門らと比べても10歳近く艦齢は上の先輩。戦闘を本職とする艦艇の命としては最古参に当たる人物で、真正面から物を言えるのは敷島や富士といった重鎮さんばかり。加えてこの赤城と、渦中の神通の直接のお師匠様に当たるなら、普通に考えれば今回の騒動を抑え込むのにこれ以上の適役はいないとも言える立場にあった。
だが愛弟子として身近に接してきた赤城と、師匠同士が姉妹という事で昔から胸襟開く間柄であった長門に言わせれば、それはただ人物相関の上から見た捉え方であって実現性は低い。なぜなら本来、金剛という艦魂はその気性が神通と比較にならない程に激しい物であるからだ。
『陸奥さん。金剛の親方はきっと今回の一件、耳に入れたなら間違いなく激怒して神通を殴りつけるでしょう。形としてはあいつが軍令を蹴った訳ですし、まずい事に親方は立場の上下にはとても厳しいお方です。相手の言い分を聞かず、有無も言わさず暴れるのは、陸奥さんも何度も見てきたでしょう。それに神通の同意を得れぬままでの兵力招集は、私としても本意では有りません。』
『陸奥、赤城の意見にアタシも同感なんだ。あれで神通は二水戦の駆逐艦の子達からは相当慕われてる。仮に神通を抑えつけたとしても、肝心の駆逐隊の子達の士気を削ぐ事になっちゃ困るんだよ。ハワイ作戦、南方作戦のどちらにも影響が出かねない。神通の了解をどうにかして取るべきだと思うよ。金剛を間に入らせたんじゃ、余計メンドい事になるだけだよ。』
『でも、他に神通を説得なんてできる艦魂いる? 那珂の言葉だって聞かないのに・・・。』
長門と赤城は今回の騒動に金剛が参画するのを避けたいとの事。しかし解決策として代替案の無さを陸奥に指摘されると言葉を詰まらせる。
実の妹の那珂の声に逆上したのを皮切りに、現状の帝国海軍艦魂社会では最も偉い役目を頂く長門を蹴り飛ばし、同門の姉弟子で唯一対等に話の出来る赤城にすら切りかかった神通。直属の上司に当たる高雄と愛宕は驚愕したまま何もできなかった始末で、鬼の性分を覚醒した神通にまともにお話しできる人物なぞ、金剛を除いてしまったら簡単には思いつかない。
一応、赤城は一人だけ脈が有りそうな大先輩に既に助力をお願いしているのだが、手紙の形で出した要請に残念ながら未だ答えは返ってきていなかった。
『敷島さんなら、あるいはと思ったんですが・・・。』
『どうだろうね。何もしないままとは思えないけど、でも難しい話には違いないんじゃないかな。敷島さん、神通の事はだいぶ可愛がってたみたいだし。』
『ハァ・・・。軍医中将や富士様ではまず話も聞かないでしょうね。性格が正反対だもの。本当、神通の暴力沙汰には困るわ。これじゃ反乱も良い所よ。』
師匠格を含めてもなかなか人選は適当とならず、今更ながらに神通の特殊な性格に皆が肩を落とす。師匠譲りの峻烈さで大多数の仲間達から忌み嫌われる彼女が、階級も命令も一切考慮の対象とせず、弓矢にかけても応じないという姿勢を強固に打ち出したのだから無理もない。明石など数少ない友人はいても、普段から自身が率いる二水戦への口出しを事の外嫌って彼女らにすら許さないのは周知の事。説得なんてできる訳がない。やっと20代に及んだくらいの顔立ちの朝潮が最年長なら、部下から言わせるという手段も成功は限りなく低いだろう。第二艦隊旗艦の高雄や愛宕らでは到底言って聞かせるなんて芸当はできないだろうし、ならばいま部屋を共にするこの面子でもう一度話すにしても、誰も神通を首肯させる自信が持てないでいた。
いったいどんな策を用いればいいのかと半ば途方に暮れる赤城らであったが、ここに至って今回の騒動が最悪の事態に突入してしまった事に彼女らは一瞬気付くのが遅れた。そしてそれが致命的な遅れであった事を、扉の向こうから聞こえてくるバリトンチックな女性の声から察してしまう。
『・・・・・・おい、コラ。そりゃどういうこっちゃ?』
幾分低めの調べに荒い感じの関西訛りが乗った声色の主を、3人とも一斉に思い当てて戦慄した。陸奥と長門が動揺を隠しきれない表情で扉の方に身体を捻り、少しの覚えて机に寄りかかっていた赤城が反発するバネの様な動きで向き直る。
次の瞬間3人の眼前で弾け飛ぶ様な勢いで扉は開かれ、勢いの余り壁にぶつかり耳をつんざくような金属音が響き渡った。そして大股に踏み出した長い脚を先頭に、彼女はゆっくりと部屋に入ってくる。吊り上がった眉に圧されてか長い金髪をほのかに宙に浮かび上がらせ、純血の白人女性故に持つ凍り付くような白い顔に射貫くような鈍い輝きが碧眼に溢れていた。
それは、帝国海軍艦魂社会で最恐を皆が認め、骨折や挫傷を厭わず剛腕を振るって相手を殴打し、怒り狂ったら最後、噴火した火山ですら吐き出した溶岩をしまい込みかねない憤怒の権化。あの神通をしてこれ以上の鬼はいないと言わしめた、禁断の激情についに火が灯ってしまった事を如実に物語っていた。
怒り心頭、逆上、怒髪天を衝く等と言った言葉では到底形容できず、その恐ろしさを身をもって知る赤城が一瞬の内に顔を青褪めてしまう程に、金剛は激怒していた。
『このガキどもがあ! こりゃどういう始末やねん、コラァアッ!』
咆哮と同時に宙に上がった長い右足が、3人の真ん中程に位置していた机を天井で跳ね返るくらいに蹴り上げる。長門や陸奥はその覇気に完全に表情を失って大きく開けた口を閉じるのも忘れ、雪の様に宙を舞いながらそこらじゅうに散らばっていく資料の紙片に微塵の意識も誘われなかった。
『こ、これは・・・! 金剛の親方・・・!』
その顔立ちよろしく、紳士と淑女のちょうど真ん中くらいで整った人柄と雰囲気を常とする赤城も、さしもに絶対の師にして随一の鬼教官が現れた事に焦りを隠せない。冷や汗をダラダラと流して金剛の下に駆け寄り、なんとかその凶暴性が発露する前に怒りを鎮めようと両手をかざして話しかけるが、金剛はそんな甘い人物ではなかった。一言目を発する前に金剛は赤城の頭部に右手を伸ばすと前髪を鷲掴みにして捻りあげ、苦痛に歪む顔を覗き込むようにして白い顔を近づけてくる。
『ぐ、ぐああ・・・!』
そこにはまるで般若の面が生きているかの如き表情が浮かび上がっており、片目でそれを認めた赤城は歯を小刻みに噛み鳴らすだけでもはや何も言えなかった。その経験上でも最上位に位置するくらいに憤慨した師の顔はこの世で最も恐ろしく、地響きのような音色で漏れてくる声はできるなら今すぐに耳をふさいでしまいたい物であった。
『おう、赤城ぃ・・・。神通が反乱っちゅーのはなんや・・・? 誤魔化すんは身の為にならんで。ワレ、ワシが今どない機嫌悪いか、よお解っとるやろなァ・・・!?』
『は、は・・・、はいぃ・・・!』
こうして神通の起こした一騒動は、あろう事か全員が危険視した金剛の耳に入る事になった。
【MMD艦これ】三笠先生の戦国夜話⑥今川氏真伝(上)【ゆっくり解説】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28774206
久々に見つけた超素晴らしい動画。
いやー、歴史系エンターテイメント極まれりな内容で、是非拙作もこんな感じで書き上げたいと心を新たにしました。戦国武将云々ではなく、そういう時代に生きた一人の人間のドラマとして、なんと重厚な事よ。そして人だけではなく、往時の軍艦達にもそういうのがあったら、というのが拙作のそもそもの趣旨です。歴史ちゅう学問はこれだからやめられません!
・・・え、なに、神通? お前も出たいの?
神通『信長公が、したいです・・・。』
ちゃんちゃん