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第一六二話 「行き交う手紙」

 昭和16年8月15日。

 九州南端の有明湾は夏の真っただ中で、海岸線一帯に見える陸地の緑は黒さも滲むほどに濃い。日中の気温も30度は優に超え、曇天や雨天でも蒸し暑さが増すだけという苦しい気候の下で、湾内には数隻の箱型の巨艦を始めとする艦隊が錨を降ろしていた。

 軍艦とくれば誰もが想像する大きな砲塔や天衝くマストは見当たらず、山の如く聳えた前檣楼も広大な長方形の甲板の端っこに小屋みたいな規模でぽつんと鎮座するのみの幾分寂しい艦影ながら、その実では帝国海軍最新鋭にして、最精鋭の座も奪わんとする程に力を着けてきているという帝国海軍空母部隊の歴々。すなわち第一航空艦隊の諸艦が有明湾に錨泊していたのであった。


 まだ艦隊創設から半年と経っていないがここ最近は空母部隊独自の航空機による訓練に明け暮れており、海軍では明石艦と並んで在籍数が極めて少ない特務艦である標的艦をほぼその為に独占的に使用している有様。連合艦隊旗艦の長門(ながと)艦よりも、軍艦としての古風さがまだ残るシルエットを持つ標的艦の摂津(せっつ)艦を目にする機会の方が乗組員にとっても多いくらいである。おかげでヘトヘトに疲れて休息の一時を迎えていた第一航空艦隊の皆様方であるが、特に艦隊司令部のお偉いさん方にあっては呑気に休んでいる訳にもいかない事情があった。

 海軍内部でも極秘中の極秘扱いとされるハワイ作戦の綱領を彼らは鋭意作成中だからで、月末頃までにはほぼその中身は固まるくらいまでの進捗具合。前代未聞の作戦の構築も大詰めの段階にあり、独特の肩章を着けた参謀の者達は連日作戦室にこもって口論乙迫の熱い討議を重ねていた。


 そして同じ議題に同じく偉い立場の者が頭脳をフル回転させるのは、一航艦所属の艦魂達の中でもまた変わらない。当然、その筆頭は南雲(なぐも)一航艦司令長官の将旗を掲げる赤城(あかぎ)艦の命であった。

 艦内のとても小さな、それこそベッドの縦の幅ギリギリくらいしか奥行が無く、引出も無い執務机と椅子を置いたら足の踏み場も無くなる程の狭いお部屋にて、彼女は部下から一通の手紙を受け取っていた所だった。





『それでは艦隊旗艦、私はこれで失礼します。』

『ああ、ご苦労様。それじゃ。』


 水兵さんの格好をした艦魂が部屋を後にするのを、ヘアピンで上手にまとめた髪型も含めて士官の軍装がよく似合う赤城が席上から見送っている。左目にややかかるくらいに垂らした前髪とその影に見え隠れするほくろが飾る、男とも女とも一見して解らない中性的なその顔立ちも軍装とよく適合し、着座ながらもマストに背を掛けたみたいに真っ直ぐと伸びた背筋も手伝って、その姿は海軍艦艇艦魂かく有るべしといった雰囲気がとても濃い。

 日本海軍初の巡洋戦艦である金剛(こんごう)艦の後釜として設計され、長門型戦艦と同じ410ミリの巨砲を引っ下げて登場するはずだった、という分身に相応しい秀麗な彼女の容姿は仲間内でも有名で、普段から男言葉を用いるのも合わさって怒ると確かに怖いのだが気性の激しさはそれほどでもなく、紳士と淑女を合わせてちょうど良い具合に収まった人柄と見てくれはそこそこ人気を集めてもいる。綺麗だとも言われるし格好良いとも言われるしで、赤城の向う所、さながら銀幕スターでも来訪したかのように年下の艦魂達の黄色い声が響くのも珍しい光景ではなかった。


 勿論、休養中の今日とて身だしなみは完璧な赤城。

 男装も映える凛々しさを一時も失わぬまま、彼女は手渡されたばかりの茶色い封筒に目を落として早速宛名の綴りを瞳に映すが、そこには交友関係よりもお仕事の方で関わりの深い者の名が有った。


 発 第二艦隊兼第四戦隊旗艦 高雄(たかお)

 宛 第一航空艦隊兼第一航空戦隊旗艦 赤城様


『おお、高雄か。』


 そう呟くと同時に赤城は思わず左の二の腕辺りをさする。目立たないながらもそこに縫い目が有った軍装の下には、先日神通(じんつう)によって斬りつけられた際に出来た刀傷が潜んでおり、修羅場と化した記憶を呼び起こしてその表情は僅かに曇った。白くて艶もある肌には似合わない深いしわを眉間へと寄せ、僅かに唇を噛んで封を破っていく姿に嬉々とした気持ちは感じられないが、有難い事に手紙の内容はここ最近懸案となっていた事柄において一歩前進できた事を示す物であった。


 高雄の手紙によると現在、赤城艦作戦室において参謀連中が作成を進めているハワイ作戦に関し、これより前にその参加部隊の一つとして第八戦隊が指名されていたのだが、彼女達艦魂側の事情としてであるが内々に高雄が同戦隊の利根(とね)筑摩(ちくま)にそれを伝えたとの事である。

 この両名の分身は帝国海軍最新鋭巡洋艦で、二等巡洋艦という類別になっているが主砲は一等巡洋艦と全く同じ20センチ連装砲。魚雷も片舷6射線と強力で速力も35ノット超。アメリカの最新鋭巡洋艦に対抗すべく艦の後ろ半分を航空艤装とした事で搭載する水上機もこれまでの巡洋艦に比べて多い上に、航続距離の点でも帝国海軍巡洋艦中で最長を誇る等、走攻守の全ての項目で良好な性能を叩き出した極めて優秀な戦闘艦艇であった。

 今回のハワイ作戦についてもその高い実力を買われ、特に航続距離と搭載機の多さにおいては長駆進撃する空母部隊の護衛と索敵役として好都合で、一航艦司令部による参加兵力の選定においても割合早い段階でその名は上がっていたのだ。


 赤城もこの考えには賛成しており、内々に八戦隊を統べる第二艦隊旗艦の高雄にも連絡していた次第。その上で参加に当人達の内諾も得たとあって、まずは一歩前進と言える所か。着座のまま僅かに状態を仰け反らせながら彼女は溜息を洩らし、とりあえずの目処が立ったという事でその姿勢を維持しながら一休みへと入る。

 それに卓上の手紙の文面の最後に短く有った一文から目を背けたい、という心理も働いた。


 二水戦ノ件ハ暫シ待タレ度。


 休息と安堵の吐息をつく中、赤城の脳裏には先日軍刀で斬り付けてきた神通の顔が浮かんでくる。鬼の形相以外に言葉が見つからぬ憤怒に染まった顔は、同門の出でもある赤城をしても初めて目にした程の狂気じみた代物で、殺気も感じられた勢いも合わせると師の金剛以上かもと思えるくらいであった。

 年頃も近いし背丈もほとんど変わらない。お互い屈託ない物言いで意思疎通できる間柄であったし、随一の嫌われ者である神通がよく自分に懐いてくれているのも解っていた。

 だからこそ、あれ程の怒りを明確に示した神通が赤城には衝撃的だった。器用ではない人柄で何事かを言おうとして、でもそれをそのまま言葉に変えれずにいたのではと考えもするのだがハッキリとはせず、理解したところでハワイ作戦の構想の前進に寄与してくれるとも思えない。互いに直接教えを受けた金剛に相談してみようかとも思ったのだが、神通以上に気性が激しくて頑固な金剛の耳に入ったら、先日の修羅場の5割増しくらいの危険な事態になってしまう恐れも相応に有る。上官への反抗、命令不服従なんかが帝国海軍艦魂社会では厳禁である事を、いわゆる「海軍砲術学校金剛艦分校」にてげんこつと怒号でもってこれでもかと叩き込まれた経験が、この赤城にも有るからだ。


『ふぅー・・・。これは困った・・・。』


 栄えある艦隊旗艦、それも帝国海軍最新鋭の艦隊のそれだというのに、ここ最近こうして頭を抱える時間が長い自分が不甲斐なく思えてくる。同じ艦隊の加賀(かが)とか蒼龍(そうりゅう)とか、いっそ今月進水するという新鋭空母の新米艦魂にでも旗艦を譲れないかと一瞬だけ考えてしまうも、蒼龍や飛龍(ひりゅう)は明石と同期の若手だから経験面で不安が有るし、空母の艦魂としての知識も赤城からすると教える事がまだまだ多い。一方の加賀は赤城と姉妹同然の関係で励んできた経歴を持つも、どうも人当たりが特殊で帝国海軍艦魂社会ではなんだかよく解らない人物と捉えられている節がある。話すと良い人なのだが会話が突然止まってしまうのもしばしばで、部下を統率したり他の艦隊旗艦なんかと協議する上で意思疎通にひと手間かかるのは、彼女とは「あっちゃん、かっちゃん」の仲で10数年付き合ってきた赤城が最も知っていた。

 自惚れるつもりはないが、そう考えるとやはり自分が艦隊旗艦として踏ん張るしかない。疲労感に塗れた心にそう言い聞かせて喝を入れた赤城は反らせていた状態を戻し、卓上に置いた高雄からの手紙をちょっと脇に寄せると、今度は執務机の逆側に纏めていた新しい便箋と万年筆を手繰り寄せた。

 次いで手にした万年筆を上下に振りながら、短い休息を終えて律した気持ちを吐露する。


『・・・私が投げてはいけないな。部下を持つなら私も同じなんだ。』


 そう言い終える前に赤城の手に握られた万年筆は紙面に走り始めていた。高雄への返信をしたためる為で、流麗な風貌に見合う達筆さを流れる様な筆さばきで次々に記していく。神通の一件に対して良案と言える物はまだ無いが、とりあえず彼女は自身の分身の中にて一航艦司令部の人間達が考え出し、それを積極的に耳に入れようと行動していた末に新たに入手できた情報を、相談がてら高雄にも内々に教えようと思った。なぜならそれはまさに、懸案の核であるハワイ作戦参加部隊における駆逐隊の候補の情報であったからだ。


『一水戦の一七駆。四水戦の四駆。そして二水戦の一六駆と一八駆か。やはり人間の参謀達も、二水戦の駆逐隊の重要性を理解している。・・・まさか同意見になるとはね。』


 ややしかめっ面になりながら赤城は筆を走らせ、今しがた囁く様に口に出した隊の名を書き連ねていく。ほぼ全て陽炎(かげろう)型の駆逐艦で編成された駆逐隊ばかりなのは、先日の神通との一件の際に示していた意見、考察に則っているからに他ならず、それも就役からそこそこ日も経っている艦が多いのも乗組員達の練度や習熟性を加味したからだった。艦魂でも人間でもその事情は同じだったのであり、候補の4個駆逐隊にて第二艦隊所属の駆逐隊が4つの内、3つも占めているのは、最新鋭型の駆逐艦で構成されると同時に、その中で最も練度が高くて最も成績が優秀な隊を選んだ事を如実に物語っている。

 中でも二水戦に至っての候補は赤城としても特に熱望する所であったのだが、ほぼ艦魂独自の事情で希望していた者達の名が、彼女らを知る由も無い人間達の手で出てきたという事にはちょっと驚きを覚えていた。


(ましら)(かすみ)に、野犬(のいぬ)雪風(ゆきかぜ)・・・。まさかよりにもよって人間達もこいつらを選ぶとは、偶然とは恐ろしいな・・・。』


 手を止めずに再びつぶやくと、赤城の表情は一際曇る。

 修羅の権化と化して拒否をぶつけてきた神通にあって、その両名は一番に手をかけている弟子で、当人はおくびにも出さないが懸ける想いも他の部下達と比べると図抜けて大きい。その意味では例え100歩の譲歩が有ったとしても絶対に首を縦に振らないであろう存在だと、赤城にはすぐに察する事が出来た。

 よって表情の曇り模様が進行するに従いその筆の走りも緩慢になり始めていくが、諦めの気持ちだけは決して受け入れない強さを赤城はまだ持っている。件の修羅と同じ源流に艦魂としての全てを学んだのが自分なら、引くわけにはいかない。神通が押しも押されぬ華の二水戦旗艦なのなら、赤城は帝国海軍最新鋭部隊たる一航艦の旗艦。唇を強く結んで筆圧を徐々に上げ、高雄に宛てた手紙に彼女なりの不退転の決意を滲ませるのであった。






 さてその頃、未だ猛訓練続行中の第二艦隊は四国南西の宿毛湾から本拠を移しておらず、それに付随して明石(あかし)艦の主錨も南部仏印からの帰還よりずっとこの地の海底にて横たわっているままであった。ただ艦上は第二艦隊の訓練支援で大忙しで、訓練弾頭の魚雷の調整やら大小様々な標的の組み立てやら、ちょっとした故障品の修理なんかで大繁盛。艦の中ほどに有る工場区画用の煙突からはもくもくと煙も上がり、主に工作科の乗組員さん達に寄る活気溢れる声が艦全体に響き渡っている。

 宿毛湾から少し離れた太平洋上で訓練に打ち込む各戦隊を支えるべく、工作艦としては負けじと艦長さん以下皆が一致団結。引けを取らぬお仕事ぶりに励んでいる訳だが、艦魂の方でみると明石にとっては口には出さないがちょっと退屈でもあった。

 少し前の二水戦と四水戦における多重衝突事故みたいな大事故は起こっておらず、それに伴って重傷を負った仲間が担ぎ込まれる事態も発生していない。たまに艦内で怪我した兵員さんが出た時、貴重な医学や治療術の実践の場という事で文字通り人知れずその様子を見学する事もあるが、そう日常的に機会は訪れたりはしないので、彼女自身のお勉強が一段落すると、その実はここ最近の日々において結構明石は暇であった。相方を冷やかして面白がるのも悪くは無いものの、第二艦隊の仲間達が真剣に訓練に励んでいる傍で自分だけが遊んでばかりいるのも如何な物か。


 そういう訳で、今日は朝から甲板で働く乗組員達のお仕事ぶりを見学して回っている明石。とりわけ人数と甲板を占める作業現場の多さから工作科の物をよく目にし、木材から鉄材にまで至る多様な材料でいろんな物品を作ったり、はたまた大小様々な機械や設備を使って魚雷も含めた器具の調整を行ったりなど、訓練の支援という名目であっても大忙しである乗組員達の状況を間近からつぶさに観察していた。

 するとその最中、明石は聞き覚えのある濃い京訛りの声で呼びかけられる。


『あ、明石さん。ご苦労様どすー。』

『およ? おお、(あられ)〜。』


 機械音もけたたましい甲板上の工作現場の傍にいた明石に駆け寄ってきたのは、明石と同じ白い服ながらも特徴的な大きな襟が目立つ水兵さんの軍装に袖を通した、10代後半ぐらいの小柄な少女。長めのおかっぱ頭に乗せたペンネントも巻いた軍帽を落とさぬように手で押さえ、もう片方の手で肩から下げた革鞄をこれまた押さえながら走り、その走り方もまた内股が効いて見るからに頼りない感じが印象付けられるが、付き合いがそこそこ長く人柄も知ってる明石にしたらそれはそれで実に彼女らしいなとついつい納得してしまう。

 その内に手の届くくらいにまで近づいてくるや、明石は目線を同じくすべく僅かに屈みながら笑みを作って霰を迎えた。ここ最近の宿毛湾での訓練はやっぱり熾烈を極めてるようで、普段は市松人形みたいな容姿をしている彼女なのに、その肌はすぐ上の姉である霞を思わせるほどに陽に焼けて真っ黒であった。


『今日は訓練参加してないんだ? 二水戦は湾にいないって思ってたよ。』

『ああ、ウチの小隊だけ今日は湾にいる予定どす。せやから霞姉さんも一緒なんどすけど、ちょうど特務艦の艦魂(ひと)からお手紙もろたんで、二人で届けて回っとるんどす。これ、明石さん宛てやったし。』

『う? 珍しいな、誰だろ。朝日(あさひ)さんか長門さんかな?』


 あいさつもそこそこに霰は肩から吊り下げていた茶色の革鞄に手を突っ込み、一通の麻色をした封筒を差し出してきた。鞄の口から僅かに覗いた封筒の束を見るに、霰の郵便屋さん業務は他にもまだあるらしく、長話に付き合わせては迷惑がかかるかもと思って、とりあえず明石は封筒を受け取ってひとまずこの場での霰のお仕事を終えさせる事にした。


『ふ〜む。ま、いいや。霰、ありがとね。』

『はい。あ、ほんなら、えーと・・・。あ、有った。ここに受領のサイン、お願いしますぅ。』


 再び鞄に手を突っ込んで紙切れを差し出してきた霰。

 手紙を本人が確かに受け取ったという証明をその紙上で管理しているようで、よく見ると明石以外の第二艦隊の仲間の名前が表の形にして上から下まで記されている。明石の名前は一番下の部分に確認できたので、彼女はすかさず手近な隔壁に手で押し付けるともう片方の手でポッケから何やら取り出す。しかしそれはペンの類ではなく、てっきり受領のサインを書いてくれると思い込んでいた霰を少し驚かす物であった。


『わぁ〜。明石さん、それハンコやないどすかぁ。ウチら艦魂が使てはるの、初めて見たどすえ。戦隊長かて持ってないんやないかな。』

『えへへー。良いでしょ? 私も使うの初めてだよ。作ったかいも有ったなぁ。』


 明石の手に握られた小さな木製の筒状の物は真ん中辺りからがま口みたいに開き、くり抜かれた中には朱肉と黒塗りのハンコが鎮座していた。

 人間の界隈では社会人なら誰もが持っている物であるが、印を押さねばならぬ書類なんかがそもそも無い艦魂達の間では、昔からそれを持つ事に大きな必要性を見出していなかった。お金なんて物もないし、契約なんてする事も無い。ましてや戦うお船の集合体である帝国海軍艦魂社会では狭い分身が生活環境である事から自室すら満足に持てない者も多く、それが転じて昔から基本的に無駄な物を持たない主義が美徳の一つとされている手前もあって、所持しているのはほぼ現状では明石一人と言っても過言ではない。

 それに当の彼女のハンコだって調達できたのはつい一昨日の事で、以前より相方の(ただし)がお仕事で使っていたのを見ていて羨ましく思い、物珍しい物を手に入れておきたいという幾分の衝動もあって入手を決意。工作艦を分身とするのが功を奏して木具工場等の設備をフル活用してお手製のハンコを作り、明朝体の字体に拘って彫刻刀で真円の断面に「明石」の二文字を削り出したという力作であった。

 それが霰に認められたとあって嬉しさが湧き、テンションも大いに上がって押印したにも関わらず、今度はポッケからペンを取り出してその隣に自筆で名前を書くという、つい今しがたの押印の意味があったのかどうか解らない行動に出てしまう始末。俄然、受け取りのサインにおける筆圧も厚くなった。表の枠からもちょっとはみ出していて一瞬霰は困惑の表情を浮かべたが、極めて気分が良くなっちゃってる明石には知ったこっちゃない。お手紙をゆっくり読もうと霰に背を向けて既に歩みを進めていたので霰は声をかけるタイミングを完全に失し、生来のトロい思考回路も手伝って遠ざかる明石にサインの書き直しを求める声を上げれずじまい。まだまだ束で残っているお手紙の入った革鞄を一度肩に掛け直し、困り顔で明石艦の甲板から去っていくのであった。





 さて、そんな明石へのお手紙。

 珍しい事も有る物だと思いながらも綻んだ顔はそのままで、自室へと歩いていく道中にて早くもその封を彼女は破っていく。便箋数枚程度にしては随分と分厚いと思っていたが、なんとそのお手紙は封が二重、つまり封筒の中に一回り小さな封筒がまたしても入っていた。不思議そうに中身を取る明石はその際に、一枚の紙というよりカードと言った方が正しいくらいの小さな物が添えられている事に気づき、ちょうど到着した自室の扉を開けながらまずそのカードに綴られた筆跡に目を通してみた。

 するとどうだ、そこには思いもかけない者の名が書いてあった。


 第四艦隊第一九戦隊 常盤(ときわ)


 『おおお? ときわ、さん・・・?』


 同じ艦隊所属ではない上に、仲間と類別しては相当に畏れ多いとも思えてしまう程の相手である。なぜならこの常盤とは明石の師匠である朝日らと同世代の大先輩であり、生誕40余年の老艦にも関わらず現在でも最前線でその舳先に白波を立て続けている、帝国海軍艦魂社会の重鎮の一人。往年の装甲巡洋艦から敷設艦へと今は分身の役割を変えているが、艦魂としての豊富な経験と知識、次いでその気さくな人柄はそこらの艦隊旗艦級の者でも太刀打ちできぬ能力として広く認知されており、現連合艦隊旗艦の長門ですら常盤のお説教により泣く一歩手前まで追いつめられてしまうというのを、昨年の観艦式前の宴会にて明石もその目で見ている。朱色がかった赤毛に青い瞳と日本人には馴染みが薄い色合いを容姿と、大の酒好きではしゃぐような飲酒ぶりを富士からたしなめられていた姿が、明石の脳裏にはありありと蘇ってきて思わず笑みを得てしまう。

 だからカードの文面に訝しむ様な見方はせず、その内に部屋の扉を閉めるやベッドに腰掛けてなんとも楽しそうな顔をしながら読んだ。


 どうもそれによると、常盤はとある艦魂さんを明石に紹介したくて筆を取ったらしい。


『実は私の所属してる第四艦隊に、今度新しく艦隊付属として特設工作艦の子が配備されて来たんだ。春に工事を済ませて5月頃からはこっちで任務に就いてるんだけど、工作艦の仲間や先輩がいなくて大変みたいでさ。だから朝日と明石を紹介してあげたいんだ。何とか一つ、よろしく面倒見てあげて。頼むよ。』


 カードの文面の内容は大体こんな感じで、堅苦しい文語体にもかかわらず常盤の気さくな人柄がなんだか伝わってくる。ましてや待ちに待った特設工作艦、明石にとっての初めての直接の後輩に関する事となれば、その心は有頂天と形容しても差し支えないほどに上昇するのに時間はかからなかった。

 明石は爆発するかの如く爛々と輝かせた目を見開き、おもわずベッドから飛び上がって頭上に掲げた封筒とカードに叫ぶ。


『おおおーー! や、やった! 工作艦の子がついにできたんだ!』


 結構前に長門からも聞かされていた、工作艦の艦魂としての明石における次なるステップ。まだまだお船の命としてのお勉強は未熟だし、師匠の朝日に肩を並べたなんて思ってもいないが、自分より新参の者に対して上の立場となるというのは、最新鋭工作艦を分身とする彼女に竣工時より約束されていた宿命とも言える事。将来は数多くの工作艦達の先立ちとして歩むのであり、艦の命である明石の使命、もしくは最大の義務にも等しい物だった。ようやくその入り口が自分を迎えたのだと思うと挑戦の気持ちが高まってくる上、なにより師匠以外に見る事の出来なかった工作艦の仲間が増えた事が彼女には凄く嬉しい。姉妹艦が存在しない環境にてもそれは尚更で、もはや明石は童心に返ったぐらいのはしゃぎ様である。

 おかげで些か乱暴な手つきで彼女はもう一つの封筒の上部をちぎり、その中に有った数枚に及ぶ便箋を片手にすると、封筒やカード等をベッドの上に投げ捨てる様に置いて、明らかに常盤の物とは違う筆跡で書かれた文面に輝く両目を這わせていった。




 手紙の主の名も早速その一行目にて知る事が出来たが、徴傭された民間船という事で例に漏れず「丸」がつくご様子。その名を松栄丸(しょうえいまる)というらしいが、他の特設艦船で勝永丸(しょうえいまる)という船がいて呼び名が混同しやすいという理由から、部内限りで「まつえまる」と呼ばれる事になってるそうで、女性名により近い事から当人も気に入って明石にも是非そう呼んで欲しいとの事。常盤のカードに書いてあった通り、既に彼女は日本を遠く離れた内南洋のヤルート環礁という所で同じ第四艦隊配属の他の特設艦船達に対し、修理や整備に汗を流しているんだとか。その最中、第四艦隊のお偉方の一人である常盤と知己を得て、仮に任地が離れていても自分以外に工作艦の仲間や上司がいるのなら紹介と口添えをして欲しいと頼んだ所、快く旧友の一人にして帝国海軍工作艦の大家である朝日、そしてその愛弟子で飲み友達みたいな感覚もある明石を紹介してくれたのだという。

 また、お船としての年齢の面でも松栄丸は昭和12年の進水という事で明石と同じであり、同世代のよしみで親近感が一層湧いた。海軍に徴傭されたのも今回が初めての事らしい。


『海軍には同じ工作艦の仲間はそうはいないようですので、なんとかよろしくお願いします。』


 本当はもっともっと長い文章が丁寧に綴られているが、ご機嫌の明石が手紙越しに受け取った松栄丸の意思は大体こんな感じ。要約し過ぎた側面も有るが別段間違っている訳でもなく、彼女は手紙を2回も読み直しながら何度も大きく頷く始末。大事な大事な工作艦の仲間にして、部下であり後輩でもある松栄丸に、神通を始めとする友人らに向ける物とは一味違う熱い気持ちと愛おしさを覚えた。


 俄然、明石の燃えやすい胸の内では炎が激しくなり、手紙を手にしたまま飛びつくようにして自室の端に位置する執務机の椅子に手をかける。荒い手つきで椅子を引くやその細身で長身の身体を机との間に滑り込ませ、机上に置かれた看護術とかの本達を腕一本で端に押しのけた。


『え〜と、便箋、便箋・・・。う〜〜・・・、あったー! それから万年ひ・・・。いや、待った待った。ちゃんと下書きしないと。鉛筆、鉛筆出てこーい!』


 机の左右に忙しなく視線と手を伸ばして大声を放ちながら進めるのは、もちろん松栄丸への返信だ。

 手紙を読む限りでは現地の第四艦隊の仲間達は努めて松栄丸に友好的で、そもこの艦隊では歳を重ねて落ち着いた大人の女性像を備える旧式の海軍艦艇や民間出身の特設艦船が結構多い点で、むしろ内地の第一艦隊や第二艦隊よりも親交を持つのは容易いのかもしれない。だが同じ艦種の仲間がおらず、相談や参考になる情報交換とかができない境遇の悩ましさや苦しさ、もっと言えば寂しさすらも時折日常で感じられる辺りは、まさに明石が一番に知っている所だ。故に放っておく事はできない。とにかく早い内に折り返しの手紙を松栄丸の手に届け、決して自分が帝国海軍にて一人、否、孤独なのではないのだという事をまず最初に明石は教えてあげたかった。


 期待感と使命感が高揚した上で入り混じった不思議な感覚が、思考も含めて明石の身体を支配する。踊るように紙上を走り出す鉛筆の動きにもそれは現れており、始めたばかりにもかかわらず焦りと熟慮で時に止まる事もしばしばとなりながらの返信作成になっているが、明石の表情だけは台風一過の空模様を思わせる程に変化が豊かだった。


『ぬ〜。いきなりこんな事書いちゃマズいよね。ちゃんと自己紹介からしないと。え〜〜と・・・、お手紙を有難う御座いますぅ、私は工作艦のぉ・・・。』


 彼女は時折、鉛筆の逆側を頬に押し当てて頭上に目をやりながら、脳裏に横切る言葉をそのまま独り言として声に変えて文章を考える。思えば他人に手紙を書いた事なんて生まれて初めてで、国語のお勉強なんて満足に受けた事がない明石が出だしの一文目から考え込んでしまうのも無理も無かった。

 もっともやってみると結構楽しい物で、己が一文をどう相手が受け取るだろうかと考えながら頭を捻るのは、なんだか嬉しいような軽やかなような感じの、明るい色合いが備わる悩ましさを覚える。素直に面白かった。


『ふ〜む。なんか書きたい事いっぱいあるんだけど、文章にするのってすごく難しいなぁ。おしゃべりできたら楽なのにな〜。いきなり趣味とか書いちゃったら変かな? う〜ん・・・。』




 こうして明石は夜遅くに及ぶまで、返信にあたるお手紙をしたためるのに没頭。相方の忠にお菓子をせびりに行く日課も忘れ、一日の最大の楽しみでもある夕飯を食べるのも忘れ、挙句の果てには日付が変わるのも気付かずに、ひたすらに書き物に打ち込むのであった。

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