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第一五三話 「試練/其の六」

神通(じんつう)姉さん・・・。あの子達もいつまでも雛ではいられないわ・・・。』

『なにい? どういう意味だ、ああ?』


『私だってあの子達をまだ手元には置いておきたい。長良(ながら)さん達や夕張(ゆうばり)が率いている他の水雷戦隊に負けるつもりは私もないし、この間事故を起こした峯雲(みねぐも)もまだ未熟だったからと思っているのは同じよ。でもあの子達なりに頑張ってきたのは、神通姉さんも知ってるでしょ。以前に台湾近海で海域警戒の戦務に着いた時だってそう。私達の手元で鍛え、戦わせるのが一番だとしても、それ以外の形で事に当たるのも駆逐艦のあの子達にとっては重要な局面よ。あの子達は私達と同じ巡洋艦じゃないんだし、私や神通姉さんと同じ生き方をずっとさせる訳にはいかないわ。親鳥の後ろに付いていくのは雛だけ、あの子達もいつかは巣立つの。飛び方を教わればあの子達だって・・・。』


 そこまで言いかけた所で、那珂の独特なハスキーな声は止まった。

 神通の袖を掴んだ手は小刻みに震え、他人に眉を吊り上げるなんて真似は全くと言って良い程しない彼女の気性は激しい戦慄と動揺によって今にも崩れ落ちそうな形になっており、神通に自分の考えを解いてみせるのは物凄く勇気の要る事である。なんとかそれでも語りを続けれたのは、ほんの小さな勇気と共に、那珂自身もまた姉と同じ道を歩んで来た上で抱いてきた、彼女なりの部下達への想いが有ったからだ。

 その想いのたけを面と向かって神通に話した事は無かったが、共に美保ヶ関事件の惨状を発端として培ってきた物は偽りでは無いし、ましてや神通より劣るなんて那珂は微塵も思っていない。


 自らを含めた艦の命達はどう生きるべきか、水雷戦隊旗艦として励む道はどうあるべきか、部下として縁を持った駆逐艦の者達にどのような道を示してみせるべきか。


それらは発露しやすい性格の神通の方に普段は目立ちつつも、那珂だってちゃんと持っているのである。

 その観点から赤城(あかぎ)の申し出にも一理あるのだと、長門(ながと)らと打ち合わせた言い方も混ぜて那珂は訴える。




 だがそれが神通の逆鱗に触れた。


『・・・那珂、貴様ァアアー!!』


 大砲の発砲もかくやの怒号で一喝するや否や、大きく口を開けて目も見開いた神通は那珂の手を振り払うと左腕一本でその襟首を鷲掴みにし、抵抗どころか声を発する間も与えずに持ち上げて壁に彼女の身体を激しく打ち付けた。


『あぐっ・・・!!』


 鋼鉄の壁が一際大きく打ち鳴らされるのに続き、鈍器で殴られたのにも等しい衝撃を受けた那珂の悲鳴が響く。那珂と同じスラリと長身な背格好で胴も四肢も細さが目立つ体型なのに、利き腕でもない神通の左腕の威力は相当な物で、壁に那珂の身体がぶつけられた際の音はまるで艦同士が衝突したみたいな轟音であった。

 だが神通の暴挙はこれで終わらず、間髪入れずにその右腕は机に立て掛けてあった軍刀に伸び、一瞬にして白刃を抜くやその切っ先をまだ目を瞑っている那珂の眼前に掲げてみせたのである。それと同時に神通が放った絶叫もまた、構えた刃が威嚇の枠で収まらないであろう可能性を示す物だった。


『それ以上能書き垂れるなら! その口切り裂いてやるぞ!! この野郎ぉおー!!』


 神通は完全に頭に血が上っている。

 (かすみ)雪風(ゆきかぜ)といった部下達や仲の良い妹分の明石(あかし)にげんこつを落とす事は有っても、実の妹である那珂に対してはここしばらく手も上げた事も無い。明石と出会ったあの夜を最後として見なくなった狂気を思わせるほどの激怒ぶりが、あろう事かこの時の神通には再現されていた。獣を髣髴とさせる表情と逆立つ髪に、震えるほどに強く握った軍刀は一層の危険性をその姿に纏わせ、興奮が極まって大きく肩を上下させながら荒く息をする様子が一層の恐怖と狂気を醸し出している。


 そのあまりに明確で激しい憤怒に那珂と神通以外、全員が目を見開いて口も開けたまましばし呆然としていたが、その中で最も立ち直りの早かったのはやはり赤城である。唯一絶対の師である金剛(こんごう)、そのまた師匠である敷島(しきしま)という極めて怖い人物達と神通以上に長く接してきた彼女はこういうのに幾分の慣れが有り、それら激しい気性の師匠筋において嫡流と赤城をしても思わせた神通が、那珂の応答如何によっては軍刀を本気で振り下ろしかねない状況にある事をすぐに察知した。


『いかん! くそっ・・・!』


 咄嗟に叫ぶとその身体を長机の上に滑らせる様にして飛び越えて神通の背後に降り立ち、稲光の如き素早さで軍刀を握る神通の右腕に両手を伸ばす。もっとも赤城が放った声や物音は元より、そして右腕を掴まれても神通の吊り上った目は微動だにせず那珂を睨み付けたままで、赤城の制止に応じるどころか障りと捉えるつもりも無いらしい。ならば神通の腕がそれ以上を動かない様にと、赤城は一層の力を手に込めて拘束を強めた。


 しかしその刹那、横顔を覗き込む赤城と、壁に押し付けられたまま苦悶の表情を浮かべていた那珂は、共に眼前の相手の顔にある極めて色濃い憤怒に浮かび上がる、意外な物を目にする。

 肩を上下させるほどの荒い息遣いにも段々と歪みが混ざり、一つ、また一つ、と頬を伝って流れ落ちる輝きが見て取れたのだ。鬼の形相と言動に混じって決して怒りだけではない本心が溢れ出たのか、音も聞こえてきそうなくらいに強く噛んだ歯を唇から覗かせつつも、神通は泣いていた。

 そしてその嗚咽と怒りに打ち震えるのが入り混じった声色で強く、だが言葉の一つ一つをゆっくりと紡ぐようにして言う。


『・・・お前、は・・・! この、私を・・・、こんな私、を・・・! 戦隊長、戦隊、長、と呼んで、懸命についてくる・・・! あの・・・、あの! 哀れな、奴らを・・・!』


 決してその鬼の面相は変わらず、根源である極度の怒りの感情も劣えていない。軍刀を握る腕を赤城に制止された姿勢もそのままだが、那珂を睨み続けて躓く様な口調で放った神通の言葉には、怒りの際によく見られる罵倒や脅しといった類の物は無かった。

 ましてや自分を蔑むような言い方もさる事ながら、議題の中心でもあった己の部下達の事を哀れだと自らの声で表現する辺りは、実の妹である那珂をしてもこの時初めて耳にする。襟首と身体を壁に圧されて苦痛に浸かりつつ、一体姉は何を言わんとしているのかと脳裏に過らせる那珂だったが、その疑問を尋ねる前に神通の真横へと回り込んでいた赤城が声を大にして叫んだ。


『神通! 何のつもりだ、貴様! 駆逐隊の連中の話を出されて実の妹に刃を向けるなど、それが貴様の磨いてきた水雷戦隊の姿だとでも言うのか!? それが金剛の親方から教えられた、貴様の海軍艦艇の命としての精神か!?』

『そんな安いモンで・・・!! アイツ等の面倒を見て来たんじゃないっ・・・!!』


 神通は赤城に対してようやく反応を示しつつも、返した声の怒号具合は負けず劣らずである。怒鳴り返した事で赤城の怒りがさらに激しくなるのもお構いなしで、引っ張ろうとする赤城の両手に対しても左腕をまったく下げず、同門の先輩であっても抗うという行為を全面に押し出している。

 ところがそう神通が言い放った直後、それまでほろりほろりと滴る程であった彼女の涙は堰を切った様に滂沱の涙へと変わった。それに気づいて赤城が一瞬押し黙って作った僅かな間隙を縫い、神通は終始一貫して通してきた怒りの根元にある心情を、さっきと同じように紡ぐようなしゃべり方で吐露していった。


『・・・共に、死ねる者に、なれ・・・と・・・!』

『な、なに・・・?』


『自らの意志で、将来を決め・・・! 使命を選んで、海軍に来る事のできる、人間どもと同じだとでも・・・、思っているのか・・・!? あいつ等は・・・! 駆逐艦の艦魂であるあいつ等は・・・! その一言を・・・、生まれたばかりの、幼心に叩きつけられ・・・! 私の様な・・・、上官を得ても尚、仰け反る事も・・・、踵を、返す事も、この世に生れ落ちた時から、許されていなかったんだ・・・! そんな・・・、そんなぁーっ!! 哀れなあいつ等に! 今更になって嘘をつけと・・・! 一緒に死んではやれん、勝手に死ねと言うのが・・・! アンタの言う、海軍艦艇の精神だって言うのかぁあー!!』


 神通の絶叫は怒りに満ちた反面、とても悲しげな音色も混ぜて室内に木霊した。

 水雷戦隊旗艦を長く務めてきた彼女のとても荒々しい生き方は周知の事だが、その中で部下達を怒鳴り、叱り、手を上げて接するのを常套手段としてきた裏にあったのは、決して部下達の不手際に腹立って憎いと思った訳でも無いし、ただ単に駆逐艦の艦魂として優秀になれという意味合いの期待感なんかでも無かった。

 いずれ水雷戦隊として戦場に赴いた際、神通も含めて全員で行おうとした戦い方と、それに伴う海軍艦艇の艦魂としての生き方を、神通はあの美保ヶ関の夜以来ずっと追い求めてきたのである。


『あいつ等は・・・、私と共に、死なねばならんのだ・・・! そして私は、あいつ等と共に・・・! 17人全員の、戦闘旗の下にぃーッ! 死んでやらねばならんのだあー!!』


 不器用で口下手で、短気な暴れん坊である彼女の口からそれを悟るのは、慣れた人物でも難しい。怒りに染まった顔が手伝って、陸奥(むつ)高雄(たかお)らからすると狂気じみた死に方に他人を道連れにするかの如き感覚で捉えてしまうのも無理も無かったが、襟首を圧せられて苦しむ那珂だけは姉のそんな考えをなんとか正しく察する事が出来ている。獣みたいな凶暴な表情となりながら滂沱の涙を流し、同門の先輩で帝国海軍艦魂社会の仲間内では数少ない心許せる人物の筈である赤城に対しても公然と抗う神通の姿は、那珂なりに同じくあの事件より抱いてきた強い想いの、言うなれば違った形での発露であるのだと思えた。

 だから苦悶と戦慄が続く最中、一度強く声を圧された直後であっても尚、那珂は再び口を開いて神通を説得し始める。決して嘘や世辞で飾った言葉で翻意を促す事無く、自分の胸にしまう想いを率直に表し、神通と付き合う中では禁句に等しいとある人間の名前までも出して、あくまで本心をぶつけ合わせようと試みた。


『そんな、あの子達だからこそ・・・、皆が選んだ、のよ・・・。』

『なにい・・・!?』


『神通姉さん。うぐっ・・・。わ、私だって、知らない部隊に率いられ、知らない戦闘海域で戦う、四水戦の子達なんか、見たくない・・・。でも、でも私達は、海軍艦艇なのよ! 命を賭して守るのは部署のメンツでも、面倒を見てきた体面上の事でも、各々の軍艦旗でも、ましてや可愛がってきた子供たちでもない。・・・この国よ。姉さんが居て、私が居て、あの子達が居るこの国その物よ。その為に修羅になるのは、民間船には無い私達海軍艦艇の使命じゃない・・・!? 人間・・・ぐ、人間達だって、親や子、兄弟がいつも見ている訳でもないのに、いつだって懸命に頑張ってる。訓練であっても、その責に命を賭してきた人もいっぱい居る・・・。それを、それを一番知ってるのは、あの時に水城(みずしろ)艦長を間近で見てた、神通姉さんじゃないの・・・!?』

『黙れぇえええー!!』


 苦しみながら諭す那珂の言葉に、神通は逆上して咆哮。

 同時に軍刀を握る彼女の腕は僅かに振りかぶられ、咄嗟に赤城が身体を覆い被せる様にして止めなければその切っ先は那珂の顔に突き刺さっていたであろう。長門と陸奥もここに至って席を立つや大急ぎで神通の下に駆け寄り、赤城に続いてその両腕や胴体に絡み付いて怒りに打ち震える彼女の動きを封じる。


『こら! やめろ、神通!』

『やめなさい、神通中尉・・・! なんの理由で那珂を傷つけるっていうのよ!』


 まさに羽交い絞めの状態となった神通であるが、その四肢に溢れる膂力は尋常ではない憤怒の感情で倍加しているのか、3人がかりであっても神通の姿勢は微動だにしなかった。襟首を鷲掴みにした那珂を壁に強く押し当て、振りかぶった軍刀の先を彼女の顔の寸前で止める格好に、せいぜい赤城や長門らがぶら下がっているくらいにしか映らない程であった。


 何故にこれ程までに神通が激昂するのか、もはや室内の誰にも解らない。幾度もの咆哮で息を一層荒くし、吊り上った目と強く噛んだ歯を覗かせる裂けた口が織りなす化物じみたその表情に誰もが悟れる物を失ってしまい、那珂への暴行を寸での所で抑止する以外の行動を赤城や長門ですらもとれなくなっている。

 転じてやめろやめろと周りから口々に言われても神通の反応は視線に及ぶまで皆無で、その耳に声が届いていないどころか、3人がかりで自身の四肢を制されている事自体にも気付いていない様である。次いで神通は妹の必死にして思いのたけを織り込んだ説得に、またもや嗚咽も混じった大喝でもって真っ向から否定してみせるのだが、その言は室内の全員に対してもちゃんと向けられた物であった。


『それがなんだ、・・・このガキがぁあ!! 人間どもと・・・、同じだと言えば、何でも分かったつもりか!? この2年の間・・・、私の下で、ただ・・・、頑張るしかなった、あいつらを見て・・・! 誰も! 誰も何とも思わないのか!? 二水戦の名を捨てて・・・、戦えなど、と言うのが、あいつ等にとって、どれほどに・・・、残酷な事なのかぁ・・・!?』


 その言葉には、共に死ねの一言の裏に常に抱いてきた神通の心根が述べられていた。

 締め上げら得て苦しむ那珂も、必死になって神通の腕を押さえつける赤城も、長門も陸奥も、そして椅子から転げ落ちそうになったまま身体が硬直しっぱなしだった高雄と愛宕(あたご)も、皆が今の神通の声に何故にこうまでして彼女が抗おうとするのかの理由をようやく垣間見る。


 一人の艦魂として、部隊を率いる者として、神通は決して死ぬ事に拘っているのではない。

 周知である極めて厳しい、それこそ怒鳴るのも叩くのも日常茶飯事である彼女と部下の日常の裏で、神通が優先してきた物はいつだって部下達であり、それもただ単に未熟な彼女らを自身と同等なくらいの力量にしようという構図で考えていた訳ではなかった。お世辞にも褒められた人柄では無い事に加え、かつて部下を事故とはいえ己が分身で殺めてしまった過去を持つ所も踏まえれば、駆逐艦の艦魂達からすれば最も忌諱されて然るべき存在である自分。それを誰よりもよく解っていた神通は自らの意志や希望では無く、人間が勝手に決めた配属先如何で自分達の運命を変えざるを得ず、否応なしに従って付いていかねばならない自分の部下達が不憫で不憫で仕方なかった。艦の命である彼女達が「ここではやりたくない。」とか「この人の下では励めない。」なんて言葉を例え出せても何も変わる筈も無く、毎日毎日怒られながら、その中で時に笑顔を作る機会を得たりしたとしても、もっともっと楽しく充実してやりがいのある道を艦の命として歩めたらどんなに良かったろうと、率いる側の神通が人知れず一番思っていた。だが所詮は同じ艦魂である神通にも、それを実現してやれる術は無い。

 演習なんかでよく見る神通艦の後に続く10数隻に及ぶ駆逐艦の姿は、ともすれば海軍艦艇だったら当たり前な光景かもしれない。だが彼女なりに必死に考え、一生懸命用意した道ではあったとしても、有無を言わず泣きながらでも付いてくるしかない、そしてそれが誰からも当たり前だと思われる様な、二水戦の中核である駆逐艦の者達の歩む姿が、神通にはただただ哀れだった。




 怖い上司の怒号に気圧されてベソを掻き、実の姉の初風に腕をつかんで立たされていた天津風(あまつかぜ)が。


 最年長のメンツを躊躇無しのげんこつで幾度も潰されつつ、所属の駆逐艦の者達を常に纏めようと頑張り、全駆逐隊中で最優秀をいつも狙おうとする朝潮(あさしお)が。


 戦隊全員からトロい奴だと半分呆れられ、仲間よりも一番に近い場所、長い時間で怖い怖い上司に接せねばならない中で、それでも懸命さと笑顔を絶やさず従兵として励む(あられ)が。


 現状の仲間内では最古参で、かつての神通が持つ凶暴さと短気の牙を受けて明石に泣きつきつつも、今では同じ戦い方で呉鎮最強の駆逐艦の称号を狙うまでに想いを燃やしてくれる程になった(かすみ)が。


 鼻っ柱の強さと反骨精神で一番に殴られて叱られながらも一向に懲りる様子は無く、顔立ちと負けん気の強さが幼い頃の自分とそっくりな問題児の雪風(ゆきかぜ)が。




 神通には哀れでならなかった。

 当の本人達が半ば自分の使命だくらいに、それこそ当然の様に受け入れてついてきてくれるのが、痛いくらいに彼女には辛かった。ただついてくる事しかできない、それしか許されていない、艦の命という物の在り方が可哀想で、理不尽で、そして憎かった。だから日頃から彼女は二水戦への口出しを大いに嫌っていたし、部隊としての意見を述べる際は先輩上官であっても食って掛かった。

 同時にそれ故に、那珂や他の水雷戦隊の戦隊旗艦らを遥かに凌ぐ程に、彼女は教え子達に強い愛情が抱けたのだった。


『先駆けの巡洋艦に、導かれ・・・、雨と降る、砲弾の合間を、突進する・・・水雷戦隊を、10年以上も生きた、貴様らの内・・・、誰一人として、見ていない・・・! ベテランの、顔をして口から、垂れるのは・・・、人間達と同じ、感覚で、つむいだ言葉、だと・・・!? 艦の命としてぇ・・・、貴様ら、どれだけの想いをそこに込めたんだー!! それも・・・、あんな年端もいかん、ガキどもに・・・!! その上で、戦場(いくさば)に立たせるだと!? こんな・・・! こんな酷過ぎる話が有るかぁああー!!』


 生きる上での全てを他の誰でも無い部下達の為に捧げようとする彼女の姿勢が、そしてそれ故にこの場で激しく発露させた怒りの根本が、金切声にも似た音色のその叫びに表されていた。それは作戦がどうとか、艦の性能がどうとかでは無い。自分も含めた艦魂という命の在り方の中で、縁を持った部下である駆逐艦の者達の事を第一に考え、生まれながらに自由も容赦も妥協も皆無であった彼女達に対して誰もそこに気付かなかった事に、神通は大いに憤慨した。当たり前のように誰かの指揮下に入り、そこで当たり前のように各々が励めばよい、という認識がお偉方どころか実の妹にすらも蔓延している事が許せなかった。




 だから彼女は抗う、否、戦う事に決めた。

 かつて師が自分を守るべく、先輩上官同僚、果ては姉妹や師匠の全てに至る仲間達を相手に、ただ一人立ち上がってくれた様にだ。


『ウオォオアアアァアーー!!』


『ぐあ・・・! こ、コイツ・・・!?』

『わああ!?』

『がはっ・・・!』


 すると神通は突如として獣を思わせる凄絶な咆哮を放つや、不退転の決意と火勢の衰えぬ怒りに任せ、有らん限りの力を込めて四肢を振るい始める。最初に手中にあった那珂が床へと投げ飛ばされ、腰や背中に纏わりついていた長門と陸奥は体捌きのみで二人の姿勢を崩すや否や、間髪入れず強烈な蹴りと膝をそれぞれの腹部に打ち込んでその場に崩れ落ちさせる。一瞬の内の流れる様な動きであったが流麗さよりも荒々しさが目立ち、これ以上は我慢ならんと殴りかかってきた赤城に対しては顔を覆う様に鷲掴みにして突き飛ばすと同時に、ついに軍刀を握った腕を仰け反る彼女目がけて振り下ろしたのである。


『あがっ・・・!! こ、このガキィ・・・!』


 床に尻もちをつきつつ、赤城は右肩のやや下あたりを抑える。指の隙間からは真っ赤な血がボタボタと流れ落ちる彼女のその姿は、もはや見境なく仲間に牙を剥き始めた神通の狂気を物語っていた。

 部屋の隅では高雄と愛宕がいよいよ顔を青ざめて悲鳴を上げ、室内には会議の場とは思えない、それこそ豪華な調度品が並ぶ長官公室には全く似合わない騒然とした空気が一挙に充満していく。

 その中で神通に次いで強健な身体と度胸を持つ赤城はもはや話し合いを諦め、負傷した右腕を引き摺りながらも手近にあった椅子を手に取って立ち上がり、刀を向けてくる神通に応戦する意志を鮮明にした。陸奥と長門も未だ腹部を抑えながらも赤城の背後につき、普段の表情が嘘に思えるほどの眼光でもって神通の姿を瞳に映す。那珂は息絶え絶えの風体で、全身を伝わる激痛と恐怖に慄く歪んだ顔をすぐ傍で軍刀を構える姉に向ける事が出来ない。

 興奮と狂気と憤怒が一斉に火を噴き、神通の激しく肩を上下させて大きく裂けた口から吐く息は、高温蒸気の噴出音の様な耳触りの悪い音を放つ。またその口にはやけに犬歯の大きさと鋭さが目立つ噛んだ歯を覗かせ、凶暴さを最もよく表す見開いた鋭い釣り目など、神通の顔は実の妹である那珂でもこれまで見た事が無いくらいの凄まじい形相となっていた。


『ハア・・・! ハア・・・! クソどもがぁ・・・!!』


 ギリギリと歯を噛みつつ、その隙間より漏らした声には敵意のみしか無い。足元ではようやく顔を上げ始めた那珂が神通の片脚に腕をからめ、すがる様にして気を静めてくれるよう懇願し始めるが、神通は蹴り飛ばす勢いでそれを振り払う。敵意の矛先から妹すらも除外するつもりは無いらしい。

 怒りの感情のみで染まった今の神通は、視線を変えた隙に椅子を盾にして向かってきた赤城にも驚きもせず、大きく振りかぶった軍刀を力任せに一閃。赤城の手から椅子を弾くと、長机の反対側まで及ぶ程に吹き飛ばしてみせた。


『ぐっ!? くそ・・・!』

『ハア・・・! ハア・・・!』


 負傷しているとは言え、神通と同門の赤城の応戦が失敗し、再度軍刀を向けられた光景を目にし、室内に居る全員がもう誰にも止められない状況であると思い知る。同時に各々が自身の生涯の中で最大の修羅場だと一様に認識し、どうすればこの場を収められるのか方法を思いつけずに、神通の荒々しい吐息が木霊するだけのしばしの沈黙の時が部屋に流れた。


 ただそんな中、神通の足元に突っ伏す那珂はこれまでに無いくらいの姉の人外じみた表情に、それと同等なくらいのとてつもない悲しみが浮かび上がっている事に気付く。頬を伝う涙以外、目も眉も口も激怒の模様しか帯びておらず、那珂自身もどこがどうと説明できる程に正確に捉えられている訳ではないのだが、15年近い生涯の中でいつも一緒だった姉妹故か、なんとなくという感じながら理屈抜きにその色合いには確信を抱けた。


 独りで背負うような、誰かと分かち合おうなんて絶対しないような、孤独感と寂寥感で彩られた、神通が持つ独特の悲しみ。実の姉妹にも、師匠格の人間であっても自ら語る事無く、いつも己の力のみでそれを拭うべく、人一倍ぶっきらぼうにして不器用な人柄のくせに懸命になる神通の姿が、今日ほど那珂には際立って見えた時は無い。


 狂ったように荒々しく、見境なく激しい怒りをぶつけまくるその裏で、なにをそんなに悲しんでいるのか。


 苦悶に沈んだままでそう脳裏に過らせた那珂だったが、声へと変える機会はまたもや神通によって潰された。

 大股で構えて赤城に切っ先を向け続けていた神通は、やがてゆっくりとした動作で身体の向きを背後へと向けていく。顎を引いて上目づかいに睨み付ける顔はしばらく赤城を捉えたままだったが、次第に身体の捻りに従って視線を外していき、最後まで宙に掲げていた軍刀も小刻みに震えながら降ろされていく。次いで腕を一度だらりと真下にぶら下げ、ずっと見せっぱなしだった強く噛んだ歯も唇の向こうに隠れ始めるも、それは決して悋気を収めた証などではない。


 刹那、全員が呆気にとられて視線を注ぐ中、思い立ったように彼女は素早く軍刀を鞘に納めるや、室外に通じる扉に向って大股に歩みを進めだした。突如として退出しようとする神通に皆何が起きたのか解らず、赤城の流血を契機とする修羅場が現れるだろうと戦慄していた手前もあって、誰もその背に声を掛ける事ができない。


 そしてそんな誰にも止められないという在り方を一番に感じ取り、噛みしめ、決意を改めたのは他ならぬ神通であった。

 ドアノブに手を掛ける直前、神通は背後にした者達に横顔を覗かせ、無機質な機械音を髣髴とさせる低い声色で口を開く。既に顔からは涙が消え、声からは嗚咽が失せていた。


『・・・その階級章と立場で二水戦の駆逐隊を出せというのなら、アンタの新編の艦隊でも、ふん・・・、第一艦隊でもかまわん・・・。 戦隊旗艦以下17隻・・・、第二水雷戦隊所属全艦で相手になってやる・・・! その度胸が有るなら、いつでも砲門をこちらに向けて来い・・・。』


 対決の姿勢をあらわにし、稲光の如き鋭い眼光で一瞥しながらそう言った神通。

 荒ぶる狂犬、猛き虎の横顔に牙を収めた様子は見えず、今しがた白刃を鞘に収めたばかりだというのに逆撫でするような言動をとったら間違いなく再び切り付けてくるであろうと誰もが思う。短気で暴れん坊な所は周知の事であるもここまで危険な人物なのかと息を呑み、恐れ慄く感情を抑える事が出来ずに声を失っているのを背後に、神通は不気味な程にゆっくりとした動作で扉の向こうへと去って行った。




 こうして後のハワイ作戦に及ぶ帝国海軍艦魂達による思惑は初歩の段階で躓き、不服従や命令不履行では収まらない、内紛、もしくは反乱と言っても等しいくらいの大事件となってしまうのであった。


 陸奥艦の艦内を甲板に向かうのと同時に、その渦中を歩む神通であったが、彼女の足取りはどちらの意味においても覚束ない代物とはなっていない。


 彼女は決めた。心に決めた。

 師匠や友人、姉妹にどう思われようと構わないし、この後に生きていく中にあってどんな障害が来ようと知った事では無い。自分はどうあるべきか。次いで自分の下で哀れにも励まねばならない運命を架せられた部下達に、どのような針路を用意してやるべきなのか。




 戦ってやる・・・!


 私は絶対に嫌だ・・・! 私だけは絶対に嫌だ・・・!

 米国だの、同じ帝国海軍だの、クソだの有るか・・・!

 相手が誰であろうと何だろうと・・・!


 私は・・・、最後まで戦ってやる・・・!





 僅かに息を荒くして大股で歩みを進め、燃え盛るあまりの憤怒に、その姿を瞳に捉えられない筈の通路ですれ違った幾人かの陸奥艦乗組の兵員が思わず振り返る中、そう誓った神通。

 帝国海軍の艦の命として、二水戦旗艦として、一人の上官として。

 すべての意味において、これから始まる戦いは己の生涯を賭けた最大の試練であると独り悟り、絶対に退いてたまるかと強く胸の内に唱えるのであった。

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