表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
152/171

第一五二話 「試練/其の五」

 温かさから暑さへと変わり始める初夏の日差しに照らされる中、この度の寄港で一旦艦隊から外れる事になった陸奥(むつ)艦の甲板は、他の横須賀在泊艦船と比べれば静かだった。


 艦隊訓練中の休養であっても在泊艦艇の多くは訓練や諸作業が休まる事は無く、未だ第一戦隊にして山本連合艦隊司令長官の将旗を継続して掲げる長門(ながと)艦でも、砲塔を旋回させたりなどして各種訓練を行っている。空母でも飛行甲板上には格納庫から艦載機を上げて並べ、その周りでは担当の乗組員達が達整備や点検作業に汗を流しているし、巡洋艦や駆逐艦でも甲板上には同様に多くの乗組員達の姿が有った。


 翻って陸奥艦は軍艦旗こそ掲げているが甲板上の乗組員の姿はまばらで、何某かの作業が行われている様子も無ければこれといった用具すらも置かれていない。巨大な前檣楼、艦橋構造物にも人の気配はさほど感じられず、艦橋前面の空中線の付け根辺りには普段は寄り付かない筈のカモメが止まって羽を休める有様である。

 しかもまた大胆なこのカモメはその内に海の男達の姿が少ないのを良い事に尻から爆撃を一発お見舞いし、毎朝のお掃除でピカピカな輝きを絶やさぬ陸奥艦の木甲板を汚してみせた。

 なんと失敬な奴だ。


 もっともその直後、このカモメ君は弾着点付近からこれまでにないくらいの刃の如き鋭利さを持つ殺気と眼光が自分に向けられているを持ち前の野生で察知。余程怖かったのかどこか悲鳴じみた鳴き声を放つと翼を広げ、一目散にそこから飛び立っていく。抜けた羽毛を舞い落ちらせながらの猛烈な羽ばたきはもはや完全な逃走の格好で、陸奥艦の人気の少なさから発揮した大胆さなんて微塵も無くなっていた。




 なにせ弾着地点のすぐ傍を偶然彼女が通りかかっていたのだから不幸である。


『ふん。』


 眼光一閃で野生を駆逐したのは、陸奥艦への招集に応じて到着したばかりの神通(じんつう)だ。

 白い二種軍装に袖を通し、これまた白い覆いを被せた軍帽を頭に乗せ、両手には白い薄手の手袋を施したその姿は、人間達でも同じ栄えある帝国海軍士官の外行き用の格好である。靴もまた白のエナメルでできた物で光沢は眩く、美しさが際立つ服装であるのだが、中身がこうでは彼女を綺麗なお姉さんと捉える事はその人柄を知らぬカモメであっても不可能だったようだ。

 ましてや当人にそのつもりが無いから尚更で、自慢の軍刀を片手に再び甲板を歩いていく様は本物の人間の海軍士官と遠目からでは見分けがつかない。後頭部の軍帽の下に小さく結った毛先の不揃いな後ろ髪と、服越しに浮かぶ身体の流線だけがその性別を教えてくれる。


 神通はそのままスタスタと歩いて陸奥艦の天守閣の様な艦橋構造物を通り過ぎ、やがて後部の構造物の辺りから艦内へと降りて行った。自分を待つお偉方が居るであろう陸奥艦長官公室は艦尾先端の一層目、上甲板に有り、ベテラン格の彼女は所属も違う巨艦の中でも迷う事無く目的地へと向かい、時を経ずして長官公室に通ずる木製のドアの前に到達する。


『二水戦の神通です。呼集と伺いました。』


 ノックをしてからそう声を上げると木目も美しい眼前のドアは内側から開けられ、緑のカーペットやニスで輝く家具など美しい調度品がならぶ光景がそこに広がる。艦長さんのお部屋以上に豪華なそれらは艦魂達にとっては中々使用できない物ばかりで、高価な物にはさほど興味を示さない神通であっても少しだけ気分を高揚させてくれる。

 ただそんな長官公室の中に一瞬だけ見惚れた直後、ドアの陰からヒョコっと出てきた顔に彼女は目を丸くした。


『やあ、神通。』


 神通より僅かに低い背丈に同じ白を基調とした第二種軍装を身に着け、顔立ちに見る年頃も同じくらいの人物が、ドアの陰から進み出て神通に正対する。

 短めの髪を前髪も含めてすべて後ろに流し、やや垂れた感じの目じりの片方に小さなホクロを持ち、整ってはいながらも強面の神通以上に男性にも女性にも見える中性的な顔。声にはすぐに女性と解る独特のオクターブが備わりつつも、帝国海軍艦魂社会にはよく見る男の様な言葉遣いが有り、顔と声だけならば初対面の人はその性別を識別するのにしばし戸惑うであろう。

 ただそんな眼前の相手を神通はよく知っていた。なぜならその人は、周りから嫌われ者とされて交友関係も狭い彼女にとって、同じ師の門下にて修練を重ねたという数少ない経歴の持ち主だったからである。故に神通はすぐに声を返した。


『おお。これは、赤城(あかぎ)さん。』

『休養中だったのにすまないね。でも中々機会が無くてさ。まあ、入ってくれないか。』


 神通に応対した人物は第一航空艦隊旗艦の赤城艦の艦魂で、師匠金剛(こんごう)の門下における姉弟子。身長も顔立ちに見る年齢も僅かに神通の方が上だが、弟子入りした期と艦魂社会における階級では赤城の方が目上に位置する関係で、かしこまった態度をとりながら神通は赤城の招きに応じて公室内へと一歩進んだ。

 よく見るとそこには赤城以外の顔ぶれも有り、室内中央に鎮座する大きな長机の上座の位置にて、長門と陸奥が並んで椅子に腰かけている。すぐ傍の右側には第二艦隊でお世話になっている艦隊旗艦の高雄(たかお)愛宕(あたご)が、ついで左側の方にも椅子が2個並んでその片方に誰ぞが座っていたが、それはなんと神通の実の妹の那珂(なか)だ。


『神通姉さん。』

『む、お前も呼ばれてたのか?』


 肩の辺りで切り揃えた黒髪と神通に似た顔立ちに、ハスキーな声で姉さんと呼んでくる所を鑑みても、那珂に間違いは無い。どうやら長門や陸奥が呼集したのは自分だけでは無かった様だとこの状況を理解すると同時に、神通にはまだ席にも着かぬ内に疑問が何点か湧いてくる。

 長門や陸奥、赤城は所属外の他の艦隊の旗艦であり、艦隊訓練中これまで何度も有った直属の上司たる高雄や愛宕からの呼び出しとは意味合いが違う。それに同じ場に呼ばれていながらも那珂や高雄らが自分に声を掛けずに、打ち合わせの場で顔を合わせたというのもこれまで無かった事だ。大体が連合艦隊旗艦の御前で話し合いをするのに、何故にこのメンバーなのかも考えてみれば不思議であった。ましてや航空艦隊を率いる赤城がこの場に同席しているのは、特に変であった。


『・・・はて?』


 ドアから少し進んだところで立ち止まり、表情を少し歪めて思わずそう呟く神通。参集した面々を訝しんでこの人本来の不機嫌そうな顔となり始め、しばしの無言の時間も影響して室内の空気も緊張感を帯び始めていく。それでも那珂や赤城といった顔見知りが背を押した事で神通はやがて歩みを再開し、那珂の隣の椅子へと腰を下ろした。

 同時に机を挟んでその正面では高雄と愛宕の横の席に赤城が座り、それを機に上座の陸奥が咳払いをしてから声を放ち始めると、ようやくこの場は艦魂達による打ち合わせの光景へと変わる。


 神通はその内容が、自分と那珂を主に水雷戦隊における何かを艦隊旗艦の皆が知りたがっている、または水雷戦隊としての意見を求めているのではないかとぼんやり考えていた。彼女も那珂も帝国海軍最精鋭の部隊を率いる身だし、神通自身も二水戦こそ帝国海軍最強の戦隊だという自負がある。夜間や曇天といった悪条件も問わず強襲雷撃を敢行する使命は一時だって疑った事は無く、その為に血の滲む様な努力を自分と部下達に課し続けたというのが神通の生涯と言っても過言では無い。

 きっと連合艦隊の総力に雷撃を主として据えた何らかの施策、例えば新たな雷撃戦術の構想だとか、いつぞや加賀による空母のアレコレについて講義を受けた際に話題に出た、戦隊単位を超えた特大規模の雷撃戦とか、そういう類のお話になるのだろうと彼女は予想していた。





 だが、その後陸奥の語りをずっと聴き続けている内に、神通の表情は傍目にも不機嫌がすぐに解る様相へと変化していく事になる。なぜならベテラン格の艦魂たる神通をしてもこれまで聞いた事も無い構想が、長門艦艦内、もっと言えば連合艦隊司令部という海軍上級部署の一つにおいて、かなり現実味を帯びて現在練られているという事を知らされたからである。


『・・・そのハワイ作戦とやら、赤城さん達の艦隊でやるんですね? となると、日中に空母で減らした敵艦隊に対し、第二艦隊で間髪入れず夜間に強襲をかけるとかですか?』

『あ、いや。そうじゃないよ、神通。山本長官の考えは、あくまで一時的に太平洋方面の敵主力を麻痺させる事にある。いきなり決戦を強要する訳じゃないの。その間に南方方面の要地確保をするのが主眼になるかな。』

『ふむ・・・。』


 以前より数えるほどとも形容できる規模の一部の海軍軍人達、艦魂達の間で話されていた、前代未聞のハワイ作戦。

 空母を主軸に据えた艦隊を長躯、太平洋のど真ん中に位置するハワイ近海まで進ませ、そこに在る太平洋の米海軍戦力における一大拠点を搭載する飛行機でもって強襲。在泊の敵主力艦船を錨も揚げぬ内に叩き潰してしまおうという大作戦である。

 帝国海軍の歴史上どころか、研究や実績、近く予想される種だねの将来像なんかも加味して毎年度作成されている海戦要務令にすらも盛り込まれた事が無い代物で、神通は最初は耳を疑う勢いだった。末端部隊の旗艦でしかない彼女は立場上では人間社会で言う所の一部長とか係長くらいでしかなく、前進部隊の雷撃専門部隊という部署で長く務めてきた経歴上、空母艦隊による大海戦なぞただの一度も聞いた事が無かったからだ。

 それでも陸奥や長門、高雄に赤城らが懇切丁寧、そして冷静に話していく中で、これも時代の流れで生まれた新たな海軍戦力の一面なのかとある程度の理解は得る事ができており、この段階で別段やめるべきだとか尚早だなどと否定的な意見を神通は抱いた訳ではない。むしろそんな艦隊航空戦力の趨勢に、雷撃専門である自身はどの様に関わって行くのかを早速考察している次第だ。


 だがどうもこのハワイ作戦の内容はまだまだ骨子の段階でしかないようで、攻撃方法の詳細は勿論、航路すらも研究途中の有様ならしく、空母部隊が主役という事も有って中身についてはいまいちピンと来ない。彼女は浅い角度で首を捻ったまま、司会役となっている陸奥に再び疑問を投げた。


『私や那珂が呼ばれたという事は、前進部隊の水雷戦隊が何かこの作戦行動に参画する要が有る、もしくはその可能性を人間どもが考えてるという事ですよね? 姉貴・・・、失礼、川内(せんだい)中尉の三水戦や阿武隈(あぶくま)中尉の一水戦がこの場に居ないのも、その証左かと思うのですが?』

『うむ。神通、ここからは私が話そう。その方がフェアだ。』

『赤城さん・・・。』


 机の上で手を組んだ赤城が神通の疑問に答えるらしい。話題に出ていた空母艦隊を率いる彼女なれば陸奥を差し置いての申し出は当然で、件のハワイ作戦であっても兵力部署中で旗艦を務めるのは赤城だという事である。その当人の意見を聞けるのならば説得力は一番強いし、ましてやこの室内に居る者の中で彼女は那珂に次いで最も神通とは親しい間柄。話をするのに慣れている相手だ。

 だから赤城の発言を抑えるつもりを神通は少しも持たず、赤城もまた荒くれた人柄の神通に対する語りに遠慮など無い。


 この時、神通以外の室内に居る者全員が赤城の発声を合図に一瞬の内に緊張の糸を張り巡らせ、小さく視線を動かすのみでお互いの顔を見合わせる中、赤城は席上で僅かに身を乗り出しつつ神通を真っ直ぐに見て声を紡いでいった。

 

『この作戦部隊の兵力は私の一航艦の航空戦隊を主軸に、それを護衛する為の複数の戦隊で構成される公算が強い。実は作戦の詳細は連合艦隊司令部では無く、私の所の一航艦と陸の一一航艦司令部で練られててね。まだ上級部署に上げる第一案のまとめ作業をしてる段階だが、恐らくは大きな変更も無いと思う。その一端としてだけど、護衛部隊の任に索敵と通信能力の有る一等巡洋艦戦隊、それから二個駆逐隊程度の水雷戦隊くらいが適当と人間達も考えてる様だ。その水雷戦隊隷下として、・・・二水戦と四水戦の駆逐隊を出してほしい。』

『・・・は?』


 抑揚を抑えて早口気味に述べた赤城の語りに、神通は遮る様にして呆けた声を返した。その表情も驚きが出たのか独特な釣り目を見開き、声を通した後の口も薄らと開かれたままだ。

 だがこの時、腕を組んで椅子に腰かけた姿勢を変えぬまま、神通の頭部がゆっくりと前に垂れていくのに室内の全員が気付いた。赤城へと向けた視線も若干の上目づかいとなり、顎を引いて毛先も不揃いな前髪の隙間から鈍く瞳を光らせたその顔が、帝国海軍艦魂社会でも一番の鬼の立腹を示しているのは周知の事で、室内には一挙に緊張と凍りついた雰囲気が流れ込んでくる。

 神通は明らかに赤城の語りに首肯するつもりは無い様だ。


『神通。検討段階とはいえ、この作戦の正否は一に企図秘匿に掛かっている。その為にハワイへの航路も東京湾から一直線という訳にはいかず、貨客船の太平洋航路や予想される米国の哨戒圏を極力迂回する道程となるだろう。それにその条件に適当な海域は、気象条件の面でも悪条件になると思われるから、給油作業だっていつでも実施できるとは考えられない。そこで部隊各艦における航続力が重要になってくるんだが、それを駆逐艦に当て嵌めた時、最も性能が良いのがお前達の隷下の駆逐隊なんだ。』

『・・・・・・。』


 持ち前の強面がみるみる表面へと浮かび上がってくる神通を制する様に、赤城はちょっと力を込めた声で申し出の理由を述べる。それに対してもはや睨む様な視線へとなった神通は少しの間何も言わない時間を得ると、赤城に向けていた鋭い釣り目を横に僅かに流す。

 そこには高雄と愛宕が着座しており、食い入るようにしてこれまでの赤城と神通の会話を聞いていた。おかげで二人はご立腹気味の神通とモロに目を合わせてしまい、直属の上官という立場を持っているにも関わらず彼女の強面にちょっと驚き、次いでほのかに慄きの感情を得てしまう。

 もっとも神通はそんな高雄と愛宕に遠慮も配慮もせず、目つきと同様の鋭利さも感じらる声色でもって何事かを尋ねてくる。


『艦隊旗艦。第二艦隊はハワイ作戦には全く関与しないのですか? それとも私と那珂の両水雷戦隊を分遣するという事ですか?』

『い、いや、少し違うかな。なあ、愛宕・・・。』

『神通中尉。第二艦隊は南方方面での作戦行動になると思う。長門さん、お願いできますか?』


 冷や汗も浮かべて狼狽えた末に高雄と愛宕は上座に位置する長門へと向き直り、神通の質問に対する回答を彼女の口から貰おうとした。もちろんそれは部下ながらも非常におっかない神通の矛先をかわしたいという企図も有ったが、回答の内容が帝国海軍全体に及ぶ規模の大きなお話になると思った手前、この室内、否、帝国海軍艦魂社会では最も偉い立場にある長門より述べてもらうのが適切だと判断したからでもある。

 するとやがてそれまで静かに赤城らの話を聞いているばかりだった長門は、回答を促してきた愛宕に視線を送って小さく頷くと、一度椅子に腰を掛け直して咳払いを一つ。その後すぐに神通の不機嫌そうな顔に目をやり、普段の能天気な所を完全に押し殺して語り始めていく。一応は神通も知るその人柄が今日は嘘の様に思えるほど発揮されておらず、「メンドイ」の口癖が全く放たれそうにないその様子を、神通は表情をそのままに口には出さず驚いて捉えていたくらいだ。


『うん。・・・神通。ここから話すのは、あくまでここだけの話にして欲しい。ほぼこの部屋に居る顔ぶれ以外には、アタシも話してないんだ。口外は厳禁とするから、そのつもりで。』

『・・・は。それで?』


 この会話を皮切りに長門が話していくのは、以前から彼女が多方面に相談し、連合艦隊司令部を最も身近に知る事が出来る自身の境遇も生かして得た、来るべき対米戦の展望である。一昨年より始まったドイツによる欧州での騒擾も加味したそれは、明治の末頃から帝国海軍が仮想的の筆頭と目してきた米国との戦争状態を主眼としつつも、資源確保という大目的の為に南方方面全域に勢力を伸ばすという局面が有り、それに伴って今現在南方に旗を立てるイギリス、オランダとも戦争に入るという非常に大規模なお話で、挙句の果てには今現在続いている支那との戦争状態もそのまま持越しとなる物でもある。人口一億がせいぜいの島国が行う国家事業としては身の丈に合わないのは誰の目から見ても明らかで、神通は勿論、それを話す当の長門だってここ最近までは夢にも思わなかった事態だった。

 そして長門の言によれば、この南方方面侵攻の際の矛として今現在は第二艦隊と支那方面艦隊の一部辺りが考えられているらしく、第二艦隊隷下の二水戦もまたその例に漏れないのだと言う。


『二水戦も四水戦も練度、能力の上でやっぱり海軍では一番だよ。南方方面ではアチコチでほぼ同時に上陸作戦を行う事になるし、イギリスやオランダの艦船部隊も馬鹿になんないの。アメリカのアジア艦隊もいる。一線級の艦隊が必要な状況だから、二水戦や四水戦は南方方面での兵力部署で行動になると思う。連合艦隊司令部の参謀のオジサン達の話じゃ、3月辺りから軍令部でこの手の戦争計画は煮詰められてるみたいなんだ。』

『・・・では、そのハワイ作戦とやらには、一部の子隊だけ出せと。そういう事ですか?』


 神通の応じた声にはこれまで以上の険しさと鋭利さが備えられ、室内に居る神通以外の全員が一斉に息を呑む。

 彼女だけに知らせぬままに皆が本日の議題の核心と位置付け、以前から密かに連絡を取り合って繕った今日のこの打ち合わせの場は、参加者全員に来るべき戦争の展望を説明する訳でも無ければ、何かの意志を整合しようという物でも無かった。

 今しがた神通が述べた事を、他の誰でも無い神通に理解させるために催された一幕なのである。


 荒くれ者でへそ曲がりな彼女の人柄に色々と配慮し、例え艦の命達という人外の存在の中での事であっても尚、なるべく円滑に物事を進めて来る国家事業に望もうとする長門らの意向が働いての事であったのだが、当然の事ながら簡単なお話ではなかった。

 大方の者達が予想していた通り、神通はムスッとした表情のまま机の下で足を組み替えると口を開き、何事かを再確認。そしてその回答を赤城から受け取った瞬間、彼女はにべも無く否と返してきたのだ。


『人間達が決める編制に私達が関与できる余地は殆ど無い。せいぜい見られてない時に資料に一筆入れる程度でしょうが、私が推した隊をそこに書くという事ですか?』

『ああ、そうだ。実際、二水戦も四水戦もほぼ朝潮か陽炎の姉妹達で構成されているんだ。艦の性能は似通ってるし、隊毎に大きな問題が有るとも聞いていない。後は神通と那珂の推薦で構わないと思っている。それぞれ一個駆逐隊で良いんだけど・・・。』


『断らせて貰います。』


『・・・・・・なに?』

『じ、神通姉さん・・・。』


 切り裂く様に拒否の意志を示した神通の横で、予想はしていたもののあまりにもハッキリと言った事に那珂が狼狽え、思わず姉へと向き直って冷や汗を浮かべた。

 また赤城もそれまで浮かべていた薄らとした笑みを顔から消し、片方の眉を僅かに吊り上げて眼光に鋭利さを纏わせていく。元々彼女はいわゆる「海軍砲術学校金剛艦分校」において神通の姉弟子に当たり、上下関係と礼儀に極めてうるさいその校風によって本来は口答えなぞ許されない関係である筈。金剛の木刀でそれを文字通り身体に叩き込まれた二人の間で、今しがたの神通の態度は決して長くは無い赤城の導火線に早くも火を灯し始めたのである。

 それを知る故に那珂が慌てるのも無理は無く、高雄や愛宕、陸奥辺りも凍りついた顔に冷や汗を滲ませていた。


 その中で神通に対して物怖じしない赤城が、低めの声に一層の低音を重ねて再び口を開く。師匠さながらの怒号はまだ無く、彼女は片方の目元にあるホクロの辺りを擦りながら冷静にその裏を問い質してきた。


『なぜだ、神通。理由を言ってくれないか。』


 赤城の不機嫌ぶりを久しく見ていなかった神通。上官や先輩でも怒ると食って掛かる彼女も姉弟子と師匠の前には多大な敬意を払い、いつも自分から赴いて挨拶をするなど行動の上で神通はいつも下手の立場で接してきた。古参の駆逐艦の者達から「仲間殺し」と忌み嫌われ、同じ二等巡洋艦の仲間からは「解体候補の残りカス」と蔑まれ、第二艦隊の同僚らの一部からも「呉鎮の大うつけ」と煙たがられてきたという鬱屈した対人関係の中、眼前の赤城は神通にとって親しく接する事の出来る数少ない人物であり、お互いへの理解の深さは親友の明石すらも凌ぐ。

 だがそんな赤城を相手にしても、この時の神通は怒りと共に拒否の意思を明確に示した。なぜなら自身の心血を10数年も注いできた二水戦、しかもまたその中核である自分の部下達に関する事にして、そこに培ってきた核の部分を根本から覆さねばならない内容だったからだ。

 だから神通は間髪入れず赤城に声を返した。


『二水戦は前進部隊たる第二艦隊の先鋒です。砲術水雷術は勿論、襲撃運動に至るまでその全てを特化させて訓練しています。護衛の役に不足は有りませんが、戦術運動関連となると、空母の隊伍の脇で行うような物は未実施です。また航空戦隊配属の駆逐隊で行う救難任務もズブの素人です。大体が二水戦所属の駆逐隊が全部揃ったのは今年に入ってからですから、練度その物がまだまだ低過ぎる。肝心の雷装ですら4月に変えたばかりですよ。水雷戦隊所属として、統制雷撃等の訓練が私から見ればまだ足りない。恥を掻くのも承知ですが、先日私達が衝突事故を起こしてるのも全員がご存知でしょう。この様な状況下で子隊を他部隊に出す事なぞ、考えられません。』


 神通は理路整然と理由を述べて赤城と対する。

 不機嫌そうな態度は変わらないがその気性に任せて罵詈雑言を吐く様な真似はせず、彼女は指揮官なりに見てきた上での分遣拒否における要因を反射的にと言えるほどの素早さで複数上げてみせた。それは神通が極めて現在の自分の立場に精通しているという所を物語っており、戦隊の主力である部下達の事など殆ど考える間もなく回答できてしまう芸当は、今現在場を同じくしているお偉方ですらも持っていない。血の滲む様な努力と、それを支える強靭な熱意、使命感に裏打ちされて成り立つその言動を目の当たりにし、神通の直属の上司である筈の高雄や愛宕も改めて彼女の指揮官としての立派さに息を呑んだ。

 もちろんそれは長門も陸奥も、そして一触即発の空気を交える赤城にしても同様で、ましてや妹のいない赤城にとっては神通の立派さにその成長ぶりも感じる事が出来て、口には出さないがほのかな嬉しさも滲んでくる。もっともそんな気持ちに簡単に流されず赤城は神通を正面から睨み続け、鋭さを一層研ぎ澄ましたその眼光は中性的な顔立ちも相まって猛禽類もかくやの勢いである。

 おかげで今にも喧嘩に発展しそうな場の空気はいよいよ強くなってきたので、物怖じしない陸奥は少しだけ息を整えてから赤城と神通とはうって変った静かな語りで意見を述べていく。二人を落ち着かせるのと同時に、赤城の言った事にもまっとうな理由が有るのだと、その申し出を補足していった。


『神通の言い分は解ったわ。理由も貴女が把握している実情に沿った物で、少なくとも私は疑ってなんかない。それで、今度は赤城の理由も聞いて欲しい。』

『ふん。そのハワイ作戦とやらに、ウチの駆逐隊が欲しい理由ですか。』


『ええ。まずこの件に関してはさっき赤城も言った通り、航続力と航洋性に優れた艦艇が是非とも必要なの。大きな艦ならそれほど問題じゃないけど、小さな艦艇は特に凌波性能が死活問題よ。第四艦隊事件の例も有るし、かつての世界大戦時に太平洋方面を行動した金剛に聞いた所だと、進撃路である北部太平洋は基本的に波が荒く暴風雨も多くてとても危険な海域らしいわ。企図秘匿第一の作戦行動中に貨客船の常用航路なんて使える訳も無いんだから、荒天は尚の事覚悟しなきゃならない。駆逐艦無しも考えたんだけど、何でも屋の彼女らが相応の規模でいないとやはり護衛に融通がきかないと思う。途中で分派したりする補給船舶の護衛とか、潜水艦1隻を追い回すのに戦艦1隻を割いたりするのも変でしょ? それらを鑑みて、最も適当なのが神通と那珂の所にいる子達なの。陽炎や朝潮達みたいな大型駆逐艦は、まだ前進部隊の水雷戦隊にしか配備されていないからよ。』


 巻き癖の強い前髪を揺らして席上の陸奥が述べる間、神通は顔を正面の赤城に向けたまま視線だけを横に流して静かに耳を澄ましていた。ただ顔に出る憤怒の色合いが薄くなった様子は無く、腕組みの端で人差し指を上下させている辺りを見てもイライラは継続中の様だ。僅かに引いた顎も変わっておらず、陸奥の説明に納得できないという内心が無言であっても室内の全員に示される。

 すると今度は長門が椅子から少し身を乗り出し、再び神通に理解を求めるべく声を上げる。その内容もまた、先程の陸奥の陳述よりも神通の拒否の理由に関してもっと核心に迫った物となっており、普段からこんな話を面倒だとか難しいとか言って逃げてばかりの彼女にしてはなんとも珍しい姿だった。


『神通。分身の性能の良さだけじゃないんだ。確かに経験って面では二水戦、四水戦の子達はまだまだ若いかもしれないけど、錬度の面で決して劣っているとはアタシは考えてないかな。ほらあ、呉鎮最強の駆逐艦も二水戦所属だし、那珂の四水戦だって今じゃ吹雪達と同程度の演錬が、まー前進部隊特化かもしれないけどできてるじゃん。第一艦隊のも含めて、他の水雷戦隊ではこうはいかないよ。吹雪や白露達も十分頑張ってるけど、長躯進撃作戦にはどうしても陽炎や朝潮達が必要って言うのが赤城の、そして人間達の考えなんだ。数がいるなら一航艦専用でちゃんと配属してあげれるんだけど、神通も言った通り、揃ったのが今年に入ってからでしょ? そうもいかない事情も有るんだよ。』


 真剣な表情ながら比較的大きな身振り手振りを伴って長門は話す。

 師匠である朝日の癖をそのまま受け継いだ彼女は、表情以外は言葉遣いも含めてどこか楽しげにさえ見え、実際普段の人柄は極めてお気楽で能天気。わざとらしくとぼけて笑いを誘うのも日常茶飯事で、誰からも慕われているその陽気で気さくな所は今みたいな張り詰めた場の空気を解すのに役立つ。

 ましてや自身の言い分を補って貰えた赤城はそれによって表情も僅かに柔らかくなり、神通へ向けっぱなしにしていた視線からは睨むという色合いが薄らいでいく。姉妹弟子という括りで親交を深めてきた神通を元より赤城は憎いなんて思っておらず、姉妹艦が存在しないという自身の境遇からもそれは尚更である。階級や姉弟子という立場で神通の意見を封じ込め、有無を言わせず決定してしまう選択肢は赤城としてもとりたくないし、実際に配備される駆逐隊や南方方面に行動する二水戦本隊にしこりを残すのも意図する所では無い。

 なんとかその仲をも考慮して申し出に首肯して貰える様、赤城は長門に続き声色を改めて再び懇願の言葉を並べてみた。


『なぁ、神通。私も艦隊に護衛部隊が揃うか、それこそお前の二水戦が軍隊区分ででも私らの護衛に付いてくれるんなら文句は無い。しかし情勢も戦備状況もそれに追いついていないのが実情だ。その中で山本GF長官は勿論、ウチの艦隊司令部でも必死に考えて本作戦を練ってる。ああなってれば、こうなってればと理想像を求めるのは私も同感なんだけど、現実という状況下で考えれば方策は限られる。針路が一つしか無い時だってある。私ら海軍艦艇の命は、そこに生きるしかないだろ。たらればがまかり通る様な甘い世界じゃないんだ。』


 陸奥に長門、そして赤城まで揃って説かれるとなると、そこいらの艦魂さんではその回答に抗いの形を成せない。言わずもがな陸奥と長門は長く連合艦隊旗艦を務めてきた最上級のお偉いさんだし、空母という艦艇がこの世に生まれた時より独自の努力と工夫を積み重ね、気品と博識さと凛々しさを備えた人物像を備えた赤城もまた、今や次世代艦隊とも言える空母艦隊の旗艦。神通とそれほど容姿に見る年齢は変わらないがこちらもお偉いさんに変わりは無く、神通は一般的な人間の社会で言う所の、主任クラスでありながら社長や専務らから一斉に説得されている様な状態である。


 それは終始姉の態度も相まっておどおどしていた那珂が一番敏感に察してしまい、冷や汗も浮かべた困った表情でとりあえず3人の声に応ぜねばと口を開く。


『は、はい。あの、作戦はともかく実情の面での理解はできます。護衛部隊ともなれば新鋭の駆逐か・・・。』

『──アンタら。人間達もそう考えているとの事だが、本当にそれを解ってるつもりなのか?』


 だがその刹那、隣で荒っぽい言葉遣いが目立つ声を上げた神通により、那珂の言動は遮断された。と言うよりもむしろ、彼女を含めた室内の全員を黙らせる為に言葉を荒げたらしい。神通の顔はみるみる内にどす黒い憤怒の色で染められていき、咄嗟に横を見た那珂は一瞬にして幾分青ざめた感も有る戦慄と驚愕の顔を浮かべる。


 御三方の説得を受けて神通は納得せぬどころか、持ち前の短気をいよいよ発言にも滲ませ始めたのだ。椅子に腰かけて腕組みした姿勢を僅かに横に傾けて、吐き捨てる勢いで彼女は言う。


『ハッキリ言わせてもらう。所要の駆逐艦が赤城さんトコに配備されてないのが現実だと? 必要な部署に必要な兵力を配備できてない状態なら、そもそも作戦の前提が間違ってるだろうが。ハワイ作戦とやら、やるべきではないんじゃないのか? GF司令部の人間どももここまで馬鹿だとは思わんかった。』


 なんと赤城らに対して真っ向から、しかも議題の中枢にある作戦その物を神通は否定する。

 陸奥や長門も顔に出てくる驚きを隠せず、高雄と愛宕は今の今まで続いていた緊張感溢れるこの場にてあまりにもバッサリと否定の意志を述べた神通に、お互い口を開けたまま唖然としている。こうなっては宥めきれないと経験上解っていてもお偉方に楯突き、しかもまた敬語で言葉を飾るのもやめてしまった姉に、那珂は視線を泳がせて狼狽も極まった。

 そしてもちろん、この神通と同じ強面ぶりを恐れられる赤城は彼女の無礼さに大いに怒りを燃やした。瞬時に赤城は鋭角になった眉と尖らせた目じり、次いで顔の前で組んでいた手を解くや長机に鉄拳を打ち込んで憤怒を示すのだが、それらを目にしても神通が引く事は無い。

 これまで話を聞きながら人知れず色々と思案した末に、神通は今回のハワイ作戦その物の裏側までも見通し、そこにこれ以上ないくらいの強い不満を覚えたからだ。同時に導火線に火が灯った彼女は、怒り心頭の赤城の咆哮を受けるとすぐさまそれを怒号の音色で声に変えてみせ、室内に居る面々の中で唯一真相を知る長門を大いに驚かせてみせる。なにせこれまで長門が水面下で話を進めてきた赤城や高雄、陸奥らでも、このハワイ作戦の裏をここまで予見できていなかったからだ。


『神通! なんだその口ぶりは! いつから帝国海軍の上級部署の話を否定できる身分になった!? 長門さん達が必死に調べて来た事だぞ!』


『そうか! なら物のついでだ、言ってやる! 今回の一件、ハワイだか比島だか知らんがな、帝国海軍も関わった国政の上で対米関係と戦争計画に切羽詰ったからヒリ出した一手だろうが! 人間どもの言う政治や外交に、米国を仮想敵としてずっと想定してきた海軍の見栄が積み重なったモンだ! 今更米国には勝てないとは言い出せないからとな! どうせ艦にも乗らん様になった海軍省や軍令部のバカ共が、自分達の範疇で止めれもせずに騒ぎ始めただけだろうが! そういう国家全体としての状況のツケを、なぜ私ら末端部隊が都合してやらねばならんのだ! そんなに小型船舶の護衛が欲しいならな、遠洋漁船でも改装して日清戦争の時みたいに自分らで決戦海域に行け!』


 先輩上官は元より、姉弟子にあたる赤城に対しても公然と怒鳴り返した神通の立腹は、ここ最近めったに見られなかった程の勢いである。荒くなった語気に合わせて椅子を蹴る様にその場に立ち上がり、半身になって鬼の形相となっている赤城に顔を迫らせる姿も、後は鉄拳が飛び交うのを待つだけの状態。

 帝国海軍艦魂社会にてトップクラスを誇る強面同士がほぼ喧嘩になりかけている有様であり、二人の間に置かれた長机がそれを寸での所で止める防波堤の役目を果たしているが、長く持ちこたえられそうも無いのは誰の目にも明らかである。

 なぜなら赤城もまた神通の行動を受けて椅子を倒しながら立ち上がり、再び机上に拳を叩き落してすぐそこにあった軍帽が衝撃で僅かに跳ね上げながら叫び返したからだ。


『貴様ぁ! 国の存亡を掛けた戦に向かう者達へ、漁船を護衛に付けろとは何事だ!』


 金剛の一番弟子というだけあって、赤城の中性的な顔立ちに浮かび上がる見開いた目と逆立った眉、大きく開いて咆哮を吐いた口、低いトーンにドスを効かせた怒声らが織りなす怖さは筋金入りで、ちょうど隣で席に付く高雄と愛宕は一瞬だけ大きく肩を震わせた後、みるみる顔から血の気が引いていく。那珂も狼狽が戦慄へと変わり始めて来たので神通の袖を取り、小声で着座を何度も促してみるも効果がは出ず、長門と陸奥も瞬間的に「マズイ」と脳裏に呟いて席上で少し腰を上げた。

 特にいつもおふざけ気味な長門もここに至っては表情に余裕は無くなり、神通の乱暴な言い方に怒る赤城に視線のみで抑制を促しつつ、その言い分に理解を示してくれと再度説得の声を上げた。

 あくまで連合艦隊旗艦の立場としては元より、それ故に長門のみが最も知る帝国海軍全体に渡る裏事情は大体において神通の言葉通りであったので、否定はせずになんとか飲んでくれと理を解いてみせたのだが、不幸にもそれは神通の憤怒の炎に揮発油を注いだだけだった。


『神通、聞いてよ。対米戦の戦略、戦術の両面で本作戦は重要なんだ。ハッキリ言って、30年以上前から磨いてきた帝国海軍の根本戦策、漸減要撃構想に代わると言っても過言じゃないくらいだよ。確かに準備や実施要領が未確定で無理があると言われると否定できない側面もあるけど、米英蘭、とりわけ米国を相手にするにはそれだけのリスクを背負わないと、とても実行は不可能なんだ。その大事な一番に、二水戦の力を貸して欲しいって話なんだよ。』

『ふざけるな! 他人のふんどしを借りる前提のどこがリスクだ! アンタがさっき言った南方方面行動の私達はどうなんだ! リスクだと!? 戦力を引き抜かれる水雷戦隊側のリスクはどうした! 南方方面の制圧で私達二水戦が必要だと言うなら、戦隊戦力の取り上げなぞ断固として断る!』


 ついに長門にすらも面と向かって拒否を叫んだ神通。

 大声を連発して怒りに震える彼女の細長い身体は荒い息によって肩を上下させており、興奮気味の中で軍刀を強く握った片手はその後の行動が威嚇の枠で収まりきらないであろう事を全員に知らしめていた。

 赤城や長門は瞬時に身構え、高雄と愛宕は凶暴さが際立ってきた神通の言動に驚いて、仰け反ったと同時に椅子から転げ落ちる。

 唯一、那珂だけは先ほどから掴んでいた神通の袖をまだ手中にしていたが、それは毎度毎度目にしている姉の癇癪には平気だという意味では無く、久方ぶりに見せた逆鱗に触れられた状態の神通に震え上がり、恐怖のあまり手が硬直しきって動かす事が出来ないからだった。その横顔には鋭い目と共に、薄く開いて荒い息を漏らす唇の隙間からはやたらと大きく見える犬歯が覗くなど獣もかくやの面相が表れ、本当にこの人物がよく知る実の姉なのかと疑ってしまいそうにもなる。なんとか静めねばと思うのだが如何せん凶暴さも意識できる程の姿に喧嘩相手が目前に居るとなると、何をどう話したらこの場を収める事が出来るのか那珂には解らない。


 実の所、今日この場でこういう展開になる事は薄々ながら予測しており、その際は室内の面々と協力してなんとか上手く立ち回ってくれる様、長机の上座の位置にいる長門より前々から頼まれていた那珂。神通とは実の姉妹にして第二艦隊の水雷戦隊旗艦という立場を同じくする彼女は、抗いを示す神通を抑えるべく役割を与えられており、最初から今日皆の前で話された事は知っていた。もちろんそれを神通には知らせておらず、姉に先駆けて既に長門や赤城に自身の隷下駆逐隊の分派を承認する意を伝えている事も秘したままである。

 するとその時、怯えながら瞳に入れていた神通の横顔は、あろう事かその向きを前触れも無く那珂の方に突然変えてきた。文字通りの鬼の形相を正面から見る事で席上ながら仰け反りそうになるのを堪える那珂に、機関の音色みたいな低い声で呻く様に神通は口を開くのだが、その言葉に那珂は胆を握られた。何回にも及ぶ協議と慎重に慎重を重ねた動きで本日只今まで持ち続けてきた秘を、なんと怒り心頭でとても冷静に物事を考えていないと思われる状態の神通が看破してきたからだ。



『那珂ぁ! お前、さっきからなぜ何も言わん!?』

『そ、そんなに叫ばないでも・・・。とりあえず落ち着いて、神通姉さん・・・。』

『四水戦戦隊長のお前のその態度! 私が気付かないとでも思ったか! 最初からこいつらと組んでただろう! 私に子隊供出の返事をさせる為に!』


 その咆哮を真正面から受けて、那珂のたどたどしいながらもなんとか発した声が封殺される。有無を言わせずというよりも自分以外の全ての物音を威圧するかの如き叫びで、長門や赤城に平然と向けたこの矛に大人しい性格の那珂が太刀打ちできる訳が無い。なんとか理解を得ねばと脳裏に唱えるも、彼女の顔は恐怖に引きつって唇から自由が奪われ、思考もまた四肢同様に極度の硬直に染まってしまっていた。

 対してそんな彼女を神通は気遣う素振りも見せず、まるで子供を頭ごなしに叱りつける様にして怒号を吐く。雷鳴の如く轟く声と鬼の形相その物である顔に気圧されて何も言えないのを、重い罰だとでも言わんとするが如き勢いであり、胸の内を問い質してくる姉に那珂はしばし応える事が出来なかった。


『まともに計画も出来ていない、前提すらなっとらん作戦に、なぜ私達が戦力を割いてやらねばならん!? お前はそんな戦をしろとこれまで四水戦のガキ共に教えて来たのか!? 自分の知らぬ所で命を懸けろと!?』


 張り上げる大声は耳をつんざき、身体から蒸気が上るように放たれる覇気は室内の者達の殆どをすくみ上らせる。赤城や長門が色々と思案し、もちろんその裏では帝国海軍でも最上級格の偉い人間達が必死になって考え出した事案も屁一つくらいにしか思っていない言いぐさは、もう失礼とか反抗的だなどというレベルではない。

 何がそこまで鼻にかかったのかと聞けるものなら聞きたいくらいの那珂であったが、一番長く、次いで傍で彼女を見続けてきた故か、荒い言葉に神通が二水戦その物よりも部下達の事に拘っているらしい事を察する事が出来た。

 性格も姿勢も違えど那珂と神通は美保ヶ関事件という惨事を経験して以来、二人は人物の根本の段階からその影響が与えられており、海軍の言葉で言う典型的な御嬢さん気質、ドカタ気質で分かれていても、殊に水雷戦隊旗艦として日々を生きる姿勢に変わりは無い。普段からそれぞれの部下達、すなわち駆逐艦の艦魂達に接する上でも教える事の基は一緒で、幼い彼女らに向ける真心もまた同じである。今しがた神通は那珂を咎めるべく四水戦の事を口にしたが、それは同時に姉が自身の部下の事に色々と懸念を抱いている証左でもあるのだ。


 もっとも、この点は会議が始まる前に赤城や長門らからも注意してくれと言われ、上手く言い方を操って肯定の意志へと傾ける様にと、那珂は返す声を事前に決めておく事が出来ている。逆にそれを払拭さえすれば神通もなんとか首を縦に振る筈だと相談し、慎重に言葉を選んで決めた回答を、この時、那珂は慄きつつも口にしてみる事にした。




 だがこれが引き金となった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ