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第一四九話 「試練/其の二」

 演習中の多重衝突事故発生の報は、発光信号や無電等の各種信号によって洋上の全艦艇に直ちに知らされた。

 発生現場よりやや距離を置いていた第一艦隊も例に漏れず、長門(ながと)艦上の山本連合艦隊司令長官の耳にも届けられてすぐさま集結命令が発令。日向灘洋上に位置している第二艦隊の下へと急行する事になった。


 一方、事故現場では訓練と演習は即刻中止。

 ようやく東の水平線より上り始めた朱色の陽光に照らされながら、第二艦隊の各艦は洋上で行き足を止め、被害に遭った黒潮(くろしお)艦、夏潮(なつしお)艦、峯雲(みねぐも)艦の3艦を取り囲む様な形で救助作業に当たっていた。




 事故は薄明時、第二水雷戦隊第十五駆逐隊、および第四水雷戦隊第九駆逐隊がお互いに近い距離でそれぞれ単縦陣で航行していた中、両隊が一斉に右舷に舵を切った際に起こった。

 上から見ると4隻縦に連なる列が二つ平行に走っていた形であり、左を走る列は十五駆で右が九駆。ちなみに夏潮艦は一五駆の司令駆逐艦として左列の先頭にあり、黒潮艦はそのすぐ後ろ。峯雲艦は右列の一番後ろを航行中であった。この様な状況で両隊、先頭から順番に右に針路を変更するのは特に水雷戦隊に有っては日常的な物で、戦隊旗艦を先頭にその背後左右斜め後ろを子隊とも呼ばれる駆逐隊が続くのが帝国海軍水雷戦隊の典型的な襲撃態勢の一つである。何時いかなる時もこの形を保ち、隊列先頭を行く戦隊旗艦の運動にさながら蛇の様に追従する訳だ。

 今回の事故はその最中、変針を始めた左列に右列最後尾の峯雲艦が突っ込んでしまい、まず夏潮艦の右舷ど真ん中に峯雲艦の艦首が突き刺さった。するとその直後に夏潮艦のすぐ後ろを進んでいた黒潮艦には峯雲艦の横腹が迫る事になり、慌てて舵を切るも間に合わず峯雲艦の艦尾付近に舳先からぶつかったのである。

 幸運な事に各隊はそれほど速度を出していなかった上に、峯雲艦も黒潮艦も咄嗟に後進一杯をかけていたので衝突時の存速は随分と緩和され、美保ヶ関事件の様に艦を真っ二つにしてしまうような大惨事は避ける事が出来ており、3艦ともとりあえず沈没の心配は無い様であった。




 ただ死者も含めて乗組員に被害を出した点を喜ぶ事は勿論なく、3艦の甲板上では上へ下への大騒ぎとなっている。


 特に最初の衝突を被った夏潮艦の被害は甚大だ。

 艦右舷中央部に峯雲艦の艦首がぶつかった際、峯雲艦の艦首は上甲板の一段下の甲板である中甲板まで潰れつつも一部の構造物が夏潮艦の艦側に突き刺さる様な恰好となり、峯雲艦の艦首は僅かに上面を残すのみでその殆どが圧潰。外鈑の一部が右舷側に垂れ下がるばかりで、しかもまた衝突直後の両艦の惰性によって夏潮艦の艦尾方向に峯雲艦の艦首はかなり引き摺られてしまった。夏潮艦にしたらどてっぱらに突起物を突き刺された上に傷口周りの肉を削がれた様な物で、真上から見ると夏潮艦の最上甲板はその4分の1を引き剥がされた如き姿となっているのだ。おかげで夏潮艦は後部煙突辺りの上部構造物や艦の構造材たる肋材の一部、果ては魚雷発射管まで無残に大破しており、天井や側壁を亡くした上甲板の部屋で怪我人や遺体を運び出す乗組員の姿がその右舷艦側に文字通り露見していた。

 次いで峯雲艦は見る影も無く圧潰した艦首と、黒潮艦に激突された際に艦尾への損害を被り、艦尾近くに設置されている同艦の主砲も根本から損壊。脱落する程では無かったが砲塔の覆いが大きくへこんだ有様であった。

 黒潮艦は咄嗟に掛けた後進一杯の指示がかなり功を奏したか、衝突時の存速はかなり低かったのだが、それでも艦首はちょうど乾舷の真ん中くらいの所で引き裂かれて右舷に大きくひん曲がり、フェアリーダーの有る舳先の部分も潰れて下に垂れ下がる状態。主錨と所属駆逐隊を示す白抜きの「15」のマーキングが無事なのが不思議なくらいであった。




 3艦を含めて洋上の各艦では手旗信号を行う信号員の姿が在り、そんな大事故に対する処置を行うべき頻繁な連絡が取られている。応援の人員や工作科員、機材の要不要や段取りは現在艦隊旗艦を一時務めている比叡(ひえい)艦も対象とされ、檣楼から惨状を目の当たりした古賀第二艦隊司令長官も部下に矢継ぎ早に指示を飛ばし、事の収拾に当たっていた。




 艦の命達もまた状況は同じであった。


『うわあ・・・! な、夏潮・・・! しっかりしろ!』

早潮(はやしお)、もっと強く抑えて! 血が溢れてる!』

『ううっ・・・!』


『くっそー・・・! おい、初風(はつかぜ)! オメー黒潮の方についとけ! 猿にも言っといたけど、怪我軽いからっつっても黒潮に無理させんなよ!』

『わ、わかった!』


 最も被害の大きかった夏潮艦の艦尾甲板に、人間達には耳にできない少女達の悲鳴が渦巻いている。

 行き足も停止してはためくの止めた軍艦旗にも近い場所で、大きく裂けた脇腹から血の池を広がらせながら倒れているのは夏潮。真っ白な水兵さんの軍装も鮮血で染まり、蒼白の肌に苦痛に歪む表情を浮かべているその10代半ばの少女の顔の半分にも及んで、血の飛沫が僅かにこびり付いている。


 事故発生直後から近くを航行していた仲間達がその周りを囲み、四つん這いになった何人かは夏潮の傷に自前のシャツを押し当てて懸命に出血を止めようとしていた。

 たまにこれまでの教育の場でも有った鼻血、切り傷、擦り傷なんかで目にした類の流血とは比べ物にならず、耳元で大きな声で名を呼んでも意識が有るのか疑ってしまう仲間の応答に皆戦慄と動揺を隠せていない。血を止めようと必死に努力する傍ら、夏潮とそれほど変わらない年頃の顔立ちでしかないその場にいる少女達は、全員がその両目の端に涙を浮かべて慟哭と悲鳴が入り混じった悲痛な声を掛けていた。


 するとその時、そんな少女達の中で自分達が居る甲板上にとある変化が起きた事を察知した者がいた。顔に比して目の大きいあどけない顔で嗚咽しつつも、彼女は甲板の一角に目を向けるやすぐさま再び夏潮へと視線を戻し、土下座するような恰好で夏潮の耳元に口を近づけて告げる。自分達がこの世で最も信頼する者の名。混濁する意識の中であろうか、ハッキリとした返答が無い中であっても尚、その名を告げてやれば少しは気が安らぐのではと、幼いながらに考えての事だった。


『ああ・・・! な、夏潮! 戦隊長だ! 戦隊長が来てくれたよ・・・!』

『どけえ! 夏潮ー!』


 少女達の輪を目がけて甲板を走ってきたのは神通(じんつう)だった。

 航行する陣形上、やや離れた位置に居た故に遅れた彼女であるが、他の誰でも無い自分の部下が事故に遭遇した事にその目の色はすっかり変わっている。ましてや自分自身がそれこそ今この場に居る少女達と同じくらいの年頃だった頃に、同じく衝突事故に遭って未だに心に傷を抱える彼女であるから、転移できる距離に分身が近づくやすぐにやってきて一目散に駆け寄ってくるのも当然であった。

 手前に居た少女の何人かを突き飛ばしながら道を開け、仰向けに倒れる夏潮に覆いかぶさる様にして顔を近づける。


『夏潮、夏潮・・・! 私が解るか!? 夏潮!』


 取り乱しているのが傍目にも明らかな神通の顔には、涙こそなかったものの悲しみの色合いが満ちていた。視線を合わせた者を圧倒するひし形の目にも威圧の効果は全く無く、夏潮の頬に添えられた僅かに震えるその指先に、唯一絶対の上司、鬼と形容される神通という艦魂であってすらも尚、戦慄を隠せないのだと、その場に居る皆が感じ取る。

 どうやらそれは小刻みに触れる指先の感触によって、当の夏潮も知ったらしい。薄らと開いた力無い瞳に映るのは、いつも尊大で些か横柄で、げんこつと竹刀と怒号が一絡げとなった恐怖を常に絶やさぬ上司では無い。不機嫌そうな表情しかほぼ見た事が無かった夏潮にとって、間近で見る今の神通の顔は焦点が定まらぬ意識も手伝って、船の命達では絶対に持つ事の無い筈の母という存在を思わせる物だった。


『す、せん・・・たい、ちょ・・・。 も、申しわ、け・・・あ、ありま・・・。ううっ・・・!』

『しゃべるんじゃない、夏潮! 大丈夫だ! 私がついてる!』


 かすれた声で言葉を紡いだ夏潮。その両頬に強く手を押し当てながら神通は声を荒げ、夏潮の怪我を押しての発声を抑えた。

 眼前の重傷者は10年くらい前、あの美保ヶ関にて闇夜に導く事ができなかった部下だったのだろうか、それとも他の誰でも無い自分自身が重なったのだろうか。神通の夏潮に向ける表情と気持ちは、これまで部下に接してきた中では見る事が出来なかったくらいの緊迫感と、何よりも相手の身を案じる念の尋常ではない強さが実に際立った代物になっていた。




 だがその刹那、神通と夏潮を中心に少女達が作った輪の外側より、戦隊部外者なれども神通と部下達を含めてかなり聞き慣れた、関西訛りの声が響き渡ってくる。立派な体躯が放つ足音に沈痛の面持ちである皆が顔を上げると、そこには先程の神通と同じ様な姿で駆け寄ってくる金剛(こんごう)の姿が有った。

 何もしなければ真下に流れる長い金髪を真横へと靡かせ、8等身の身体が持つ長い脚で稼ぐストライドはオリンピックの競走選手もかくやの走りで、その勢いに少女達の何人かは思わず仰け反ってしまう程だった。


 だがそんな事はお構いなしの金剛は夏潮に覆いかぶさる格好の神通の真後ろへと来るや、なんとその襟首を鷲掴みにして一喝。


『たわけぇーい! 吉法師! ワレ、そこどかんかい!』

『ぐお・・・!?』


 そう咆哮を上げるや神通を夏潮から引き離した。

 片手で軽々と40キロ近い重さの物を持ち上げるその腕力に、さしもの神通も四つん這いの格好からもんどりうって尻もちをつき、少女達をして初めて目にする金剛の立腹模様にその場は一時の静寂を得た。

 しかし金剛は神通をどかすと追撃を入れる訳でも無く顔を正面へ戻し、それまで必死に神通が声を掛けていた夏潮に今度は腕を伸ばした。なまじ手の形が神通をぶっ飛ばした時と同じだったので全員が凍りつくも、金剛の手は夏潮の襟ではなく鮮血でもはや地の白色を判別できぬ脇腹の辺りへと一直線に向かっていく。次いでその手は血に塗れるのもお構いなしに夏潮の服をごく小さな動きで破り始め、やがてあらわになる裂傷を目にして呟く様な声で金剛は夏潮へと語りかけつつ、同時に懐から手拭を取り出して傷口の手当てをし始めた。


『・・・よおし。辛抱やで、チビ。心配あらへん。沈みもせんし、死にもせんわ。気ぃしっかり持ちいや。』

『・・・は、はぃ・・・。』

『他のモンの心配もせんでええ。ワレが一番重傷やさかいな。』


 師匠以上に峻烈で過激、怒った時の迫力も折檻の度合いもケタ違いな金剛の事は夏潮も知っているが、すぐ傍でぼやけた視界に捉えた高い鼻と碧眼の顔はどう映ったであろうか。決して優しげとは誰も思わないものの、神通を怒鳴りつけて突き飛ばしたのと比べて言動の落差は非常に大きく、幾分手慣れたような感じで夏潮の傷口を処置してみせた事も含めて皆驚きを隠せない。破天荒で激情家な所とは裏腹に、修羅場に対しては豪胆でするべき事を即座に思考し物怖じせず実行できる所は、30代半ばの西洋人女性の容姿を持ちつつも結構子供っぽい人柄が多分に有る金剛にしては少し意外な事であった。


『これでとりあえずは血も止まるわい。おい、犬。こいつが水欲しがってもしばらくはやったらアカンど。飲ましたら死ぬで。ええな?』

『う、うッス・・・!』


 金剛は別な手拭を出して手の血を拭きながら、一番近い所に居た雪風(ゆきかぜ)に処置の完了とこの後の夏潮への注意事項を述べた。岩山の如き険しい表情は変わらないので夏潮の容体はまだ予断は許せない様だが、旗竿にまで続く血の流れが止まった事は少女達の縮み上がった胸の内をとりあえずの安堵に浸してくれる。おっかないながらも親分肌で師匠以上のベテラン格である彼女の言なれば疑う要も無く、未だ尻もち状態で一連の様子を目にしていた神通も含めて、やがて皆が落ち着きを取り戻し始めていくのだった。




 その後10分もすると夏潮艦の艦尾甲板はようやく騒擾も納まり、事故発生時よりその場に横たわっていた夏潮は仲間達の手による担架で艦内の無事な区画へと運ばれて行く。天気はやや雲の多い晴れで陽光も暖かいものの重傷者を野ざらしにはできない。夏潮の身体を大きく動かさない様に細心の注意を払って担架に乗せ、仲間達が4人がかりで彼女を艦内へと移動させた。


 すぐに神通もその後を追うべく足を進めたが、しかしその肩に手を置いて金剛は言う。


吉法師(きっぽうじ)、大丈夫や。それにワレが傍におったら変に気ぃ使うやろ。チビ共にしたらそれだけワレの存在は大きいんや。ええ加減気付かなアカンで。』

『む・・・。』


 ただひたすら部下の身が心配なだけだった神通。

 一応の手当てを受けているとはいえ眼前で瀕死の重傷だった姿を見ては簡単に大丈夫だと思う事は出来ず、美保ヶ関事件の記憶がありありと今でも瞼の裏に蘇らせる事ができる彼女なれば、今の部下に向ける心配と憂いはこれまでになく強く巨大な物となっているのも不思議ではない。肩を触れた事で手に僅かに伝わってくる微細な震えも、衝突事故の恐怖を最もよく知る神通の身体が無意識の内に反応している事を金剛に教えてくれている。

 しかしそれでも金剛には、教え子の足を進めさせる気は毛頭無い。むしろそんな神通の震えを感じ取った故に、これ以上進めさせてはならんという気持ちを改めて固めた次第だった。


 一方、そんな師の抑制を受けた側の神通は、僅かに顎を引いて長い前髪の隙間から端を尖らせた目でやや上目づかいで視線を投げてくるという、彼女の怒った際の癖が出てくる辺りも鑑みて相当不満であるらしい。

 普段から上司にすらも食って掛かる所もある彼女。ましてや自分の部隊の事に口出しするのは親友でも実の妹でも許さないのは周知の事で、この世で最も畏敬する絶対の師匠であってもこの時の神通は湧きあがる感情を抑えずにはいられなかった。一応はいつもの如く開口一番『黙れぇー!!』と絶叫して部外者の口出しを圧する事こそ無いものの、その台詞は喉にまで達して口から出かかる寸前らしい。元々が表情の寒暖がすぐに現れやすい性格であるのも手伝い、神通の顔はあからさまに金剛の言葉に不服である事を示していた。


 ただ金剛とてそんな教え子の事は百も承知だ。

 数ある教え子の中でも一番に手を掛け、歴代随一の成績で送り出してやった神通において、金剛は知らぬ事なぞ無い。それこそ言動の癖は元より、軍装の下にある彼女の身体にホクロが何個有るかまで全て把握しているくらいだから、神通がまだ何も言わぬ中であってもその心情を完全に読み取っている。

 甲板に集まっていた少女達がぞろぞろと担架の上の夏潮に従って艦内へと入っていく後ろで、金剛はしばし置いていた神通の肩から手を下して腰に添えると、頬の横にて真っ直ぐに垂れた金髪を小さな溜息で揺らしてから語りかけた。


『・・・あんなぁ、吉法師。ワシは犬も含めたチビ共にウソ教えとる訳ちゃうで。』

『は・・・?』


『こないだかて言うたやろ。ワシら艦魂にとっての師匠ちゅうモンは、人間で言うオカンみたいなモンや。ワレ、夏潮運んだ後、一息つけたなら間違いなく所構わずほたえるやろがい。ワシが言うのもなんやけどな、こういう事故知っとるワレだからこそ、そういうのはアカンのや。オカンと言えへんやろ。』


 神通にしても怖い怖いお師匠様を相手にした手前、鉄拳の一発くらいは貰うのを覚悟した上で睨んだつもりだったが、彼女達が一生かかっても持つ事は無い母という存在を口にしてきた金剛の語りを受けて僅かに戸惑う。鋭い目つきを泳がせる事こそなかったがいまいち意味が把握できない突拍子の無い物言いには、肯定否定の以前に理解が及ばなかった。

 なので神通はしばらく黙ったまま金剛に怒りの表情を向けていたが、ふと金剛の険しい表情の中に10年ほど前に毎日見ていた色合いの顔が有る事に気付く。それは艦魂として唯一絶対の厳しい師匠、という誰もが知る金剛の特徴的な人物像の事ではない。あの美保ヶ関の地獄から神通に手を差し伸べ、厳しいながらも絶対に教え子の非を第三者相手には認めず、誹謗中傷を知ったなら自ら進み出て師匠格相手の艦魂であっても大戦(おおいくさ)をしでかしたという、恩人としての顔を神通はこの時垣間見たのである。

 そしてそれを意識した故か、噛み砕く様に再び語ってくれる金剛の声と、久々に師の口でもってあだ名では無く名で自分を呼ばれた事が、神通には今度は事の他重く感じるのだった。


『神通、よお聞けや。ワレ、こうせい言うて従うだけが下のモンの本分思うてるんとちゃうやろ? どれだけ今回の事故がワレにとって辛いかは・・・、ふっ、ワシかてあの美保ヶ関にいた上にワレを教え子にしたんや。よお解っとるわい。散々口酸っぱくして言うてきたんにこないな事になって、許せへんと思うとるのも否定するつもりは無いんや。・・・せやかてな、何が原因でどういう事象に繋がったのかも解らん。どないする事が教訓なのかも見えてへん内に吠えても、夏潮も含めてチビ共の為にならんやろが。明石の奴と会ってから、ワレは特にそれをよお心得てこれまで必死に頑張ってきた筈や。・・・ワシは決してドツくな言うてる訳やない。怒鳴るなとも言わん。せやかてこういう時だからこそ、これまでワレ自身が通してきたその姿勢を変えてはならんちゅうとるんや。』

『・・・・・・。』


 目上を良い事にあたら弟子の領域を踏み荒らそうという気は、金剛には無い。

 思えば神通をして、仲間を殺した惨劇とその衝撃に泥沼の如く囚われてしまい、しゃべる事も食事もできない程に傷心を受けて部屋に閉じこもったままの10年前の自分に手を差し伸べてくれたのは、いま眼前にて教えを諭してくれる金髪碧眼の師、金剛。新鋭巡洋艦は仲間殺しかと訝られ、元々のヘソ曲りな性格故に関わるなと煙たがられ、誰一人として近づこうとしなかった中で現れた、容姿も人柄も他と一線を画すこの人に鍛えられて這い上がってきた修練の日々は、彼女の身体面でも精神面でもその全てを形作ってきた血であり、肉である。きっと出会わなければこうして生きてはいなかっただろうといつも胸の内で感謝する神通にとって、そんな金剛の言葉は例えどんなに理不尽で不服な事であっても無視する事は出来ないし、己の感情でもって上書きする事もまた不可能であった。

 もし自由に発言してよいのなら今すぐにでも『黙れ。』と一言言い放ちたいのが本心であるも、金剛だけは、金剛にだけは絶対にそう立ち振る舞ってはならないと理性が彼女の頭の中で必死に衝動を拘束してくる。同時に神通の激しい気性は睨む仕草と小刻みに震える強く握った両手の拳に垣間見え、強面の外見に反してこれ以上ないくらいの葛藤に陥っている彼女の心を如実に物語っていた。


 周りから鬼と呼ばれ、自らもまた鬼だと何度も思った事の有る金剛の声は、それだけ神通には影響が強い。じっと青い瞳で見つめる前で過ごしてきたこの10数年の日々、次いで今この瞬間もまた、神通にとってはあらゆる意味での人生における誠その物なのだ。師の前に立つという事はそれだけ大きい事だった。

 そしてそんな師によって授けられた物を他の誰でも無い師より諭されると、非常に珍しい事に神通は唇を噛んで憤怒の炎を自ら燻りへと具合を鎮める。鎮めずにはいられなかった。


『覚えとるか、神通? ほれ、敷島(しきしま)の親方の部屋に昔から有る額縁や。』

『・・・堅忍、不抜・・・。』

『せや。忍ぶ事堅く、抜く事あたわず。ドえらけりゃドえらい状況ほど、鞘に白刃を納めとく。絶対に抜刀したらアカン。つまりは我慢する事、辛抱する事なんや。それが敷島の親方からワシが、そしてワシが赤城(あかぎ)やワレに教えて来た強さちゅーモンや。言うなりゃ敷島一家の最も崇高な家訓や。普段の体たらくや人柄なんちゅう細かい事なんぞどーだってええねん。ここぞという正念場や修羅場の時こそ、あらゆるモンに耐えて己の姿勢を保てるかやで。』


 金剛の静かな語りを受けた神通は表情をそのままに僅かに俯き、飲み込む様にして胸の内にほとばしっていた物をしまっていく。決して金剛が怖かった訳でもないし、虫の居所が悪いのを忘れた訳でも無い。彼女の脳裏を支配するのはただ一つ、記憶より金剛の下で修行していた数年に及ぶ日々を思い起こすのみだ。

 すると一日一日を思考の中に蘇らせる度に、今しがた師が口にした事こそ、この世でただ一つだけ信じれる万物の真理にすらも思えた。


 全てにおいて耐える事。

 それが金剛と神通の間を繋ぐ教えの集大成だった。


『ええな、神通。今回はチビ共をワレの感情だけで怒るんやないど。こういう時だからこそ、鬼が付く教官かオカンでいたれや。いつもの様に、な。』

『・・・・・・はっ。』




 訓練中の衝突事故という災難に遭って初日。

 神通はこうして師匠より諭され、持ち前の短気と粗暴な所を爆発させるのを止めようと決した。夏潮、黒潮の両名をその直後に改めて見舞った際も平静を保ちながら自身を律し、床に臥せた部下に無理をせぬようにと告げてとりあえずはそれ以上言わずにおく。


 さらにその後には同じく峯雲という負傷者を出した戦隊の指揮官にして、実の妹である那珂(なか)の所にも顔を出して現状を確認し合い、その内に艦隊旗艦の比叡艦より、艦隊所属艦から派遣した応急班が損傷艦3隻においては速度は大きく出せないものの航行自体に支障が無い事、次いで損傷艦は全て最も近い工廠を抱える呉軍港へと回航させる手筈になった、という旨の連絡を受けてひとまず胸を撫で下ろした。


 神通と全く同じく美保ヶ関にて大事故に遭遇した経験を持つ那珂もこれには安堵し、いつも冷静で大人しい彼女が珍しく見せていた動揺を隠せない姿もようやく落ち着く。那珂艦の一室にて倒れる様にして那珂は椅子に座り込み、神通も疲労感を表情に浮かべて壁に寄りかかって溜息を漏らした。どちらも痩せ形ながら170センチ台と女性にしては大柄な身体の為、二人の疲労感に卒倒するかの如き様子は狭い室内でも極めて目立つ。お互いに部下がその場に居なかったのは幸いであった。


『はぁあ・・・。よ、良かった・・・。峯雲と黒潮は軽傷だったのは解ってたけど、夏潮だけは最悪の場合を考えちゃったわ・・・。』

『ふぅ・・・。うむ、そうだな・・・。航行に支障無しか、とにかく良かった・・・。那珂、悪いが・・・、少し横にならせてくれ・・・。』




 今回の事故で最も気を揉んだのは、怪我を負った3名よりもこの二人だったに違いない。

 気苦労の大きさが遅れて襲ってきたせいか神通と那珂はそのまましばらく立てなくなり、損傷艦が再び行き足を取り戻し、非常にゆっくりとした速度で艦隊から遠ざかって行き始めるのを虚ろな目で見送るのみであった。






 ところがこの時、同じ海域に居る別な艦の舷窓から同じ光景を眺めている仲間達が居た事を二人は知らない。そしてその仲間達があろう事か他の誰でも無い自分達の話をしている事もまた、神通と那珂は知る由も無かった。


『・・・なんやねん、長門。なんぼ三戦隊言うたかて、艦隊旗艦はワシやのうて比叡や。GF旗艦として今日の事故の話するちゅうんなら、相手が間違うてるとちゃうんか?』

『やー、そりゃそーだけどさ。ホラぁ、二水戦の神通辺りとは金剛が一番話しできるじゃん。またあの時みたいにショック受けちゃってさ、昔みたいに若い子叩いたりし始めないかなーって心配だったの。』


 山本長官の中将旗を檣頭に翻す長門艦のとある一室で声を放っているのは、艦の主である長門と神通を諭し終えた後に呼び出されてきた金剛。金髪と黒髪の差異は有りながらお互いにクセの無いしなやかな長髪をトレードマークにし、容姿に見る年代もやや金剛の方が年上ながらどちらも呼び捨てで名前を呼び合えるのは、この二人が胸襟を開いて話をする事が出来る親友であるからに他ならない。連合艦隊旗艦を頂く長門は艦魂とは言え立場では上なるも、艦の命としての先輩格という意味では金剛の方が上。普通ならお互いに敬語と敬称を備えた言葉遣いを用いる物で、そも性格の面でもこの二人はかなり違いが大きい側面もあるが、それぞれの師匠が姉妹で、お互いにネームシップ、すなわち艦型という括りの上でどちらも長女であるといった境遇から、金剛と長門は20年以上の親しい付き合いをしてきた極めて仲の良い友人同士でもあった。

 故に他人の部屋にいるにも関わらず金剛はだらしなく浅く椅子に腰かけ、長い脚を組んで肘掛けに頬杖を突きながら青い瞳を舷窓に投げており、長門もまたいつもの様にホックを掛けず羽織る様に着た軍装の上衣を着直す事も無ければ、シャツの襟もとから手を突っ込んで痒みを覚えたその豊満な胸を掻くという、人前でははしたない行為も止めるつもりも無い。黎明時から起きていたので眠気も有るらしく、やがて長門は猫の様に口を大きく開けての大あくびまで披露する始末。もし朝日の前であったならお叱りとお説教をしこたま浴びせられる事間違いなしの行動も、金剛の前でなら憂いなくできる。

 それだけ遠慮も気遣いも無用な付き合いができるのが、金剛と長門の友人関係だった。


 言うまでも無く二人がしゃべる内容にも例外は無く、偉い筈なのに立場相応の締まりがない長門の声にも、金剛は顔色と姿勢を変えずに殆ど考えもせず声を放つ。


『ほんだら心配いらんわい。アイツんトコには、いの一番で言ってきたで。ちゃんと怒り方も考えやぁ言うて聞かせてきたわ。』

『ありゃりゃ、そうなの?』


 どこかふざけた様な言葉で長門が短く答えるが、金剛は別に心を動かしたりはしない。この20年近く変わらない彼女の言動に悪気が無い事は知っているし、正直今の金剛にとっては傍に居る友人よりも先程甲板で別れた教え子の方が気にかかるからである。

 今しがたの自身の台詞や艦魂社会で周知される強面に反し、金剛は教え子への憂いが消えていないらしい。半ば独り言を呟く様に呆けた感じの口ぶりで、彼女は声を漏らす。


『・・・神通はのう、敷島の親方やワシとは違うんや。ワシも親方も生来のヘソ曲りや。周りから鬼やら何やら言われるんはクソ程も怖ないし、半分面白がってるくらいや。せやかてアイツはちゃう。ホンマは那珂や叔母御みたいにいつもニコニコしとって皆から慕われて、人間の女どもみたいに花でも愛でながら男に惚れた、惚れられた言うて頬赤くしとるくらいが、神通の本当の姿やねん。が、アイツはそれを曝け出すだけの器用さが、人柄としての器用さが生まれつき無かったんや。おまけにあの大事故で仲間殺しの汚名まで上塗りやったしな。・・・せやからああしてワシや親方を真似て、自分に催眠術でもかけた様に鬼を振る舞っとる。・・・そう振る舞うしか生きてく道を見つけられんかったんや。普段から過負荷かけとる機関と一緒や。だもんでこういう修羅場で無理が利かなくなる。・・・ホンマ、可哀想なやっちゃで・・・。』


 低い音色の関西訛りである金剛の声には僅かに震えも有る。

 誰よりも可愛がってきた神通を思うその心にあって大きく占めるのは、姉弟子である赤城よりも優秀な成績を収めた事や、師匠である金剛への変わらぬ忠誠なんかに対する感謝ではない。本来の自分を完全に否定し、むしろこう生まれて来たんだと意識の奥底から無垢に信じきっている鬼としての自分。振る舞っている事にすら気付かずに、師を真似て日々怒鳴り、叩き、仲間達と喧嘩も辞さず、蔑まれて陰口を叩かれるのも平気だと歩んでいたその経歴が、金剛にはただただ哀れでならなかった。

 だからこそ彼女の声には本当に薄らとだが嗚咽の息遣いが混じる。


 果たしてそうして今を生きる教え子を、初めて弟子とした時より自分は救えたのだろうか?

 喉が枯れるまで罵倒を浴びせ、倒れた所を踏んづけるのが日常茶飯事であった、あの修練の日々で・・・。


 剛毅で猛々しい女性像を自他共に認める彼女の脳裏には、そんな問いも浮かんでくる。同時に金剛の尖った青い瞳には湿り気と滲みも僅かに浮かび始め、荒い動きの指で目を擦ってそれを拭っていた。


 一方、長門はそんな友人の姿と舷窓の向こうにて遠ざかっていく損傷艦を何度か交互に視界に捉え、少し困った様な表情を浮かべて溜息を放つ。続いて後頭部を荒く掻きながら口を開くのだが、出てきた言葉に金剛の消沈しつつあった気持ちは今度はざわめきを得ていく。


『また昔みたいに駆逐艦の子達が縮み上がっちゃっても困るしねぇ。まーでも、一時隊から離脱してるんなら都合が良い、かな?』

『・・・なんやと? ワレ何言いたいんや、コラ?』

『怒んないでよ、金剛。』


 どこか寂しそうであった金剛の青い瞳に、炎の如き揺らめきと鈍い輝きが瞬時に宿る。元より友人を怒らせるつもりは無い長門はすぐにそれを抑えるべく応じるも、脳裏に湧いたとある意図を変えるつもりも無ければ、彼女相手に隠すつもりも毛頭なかった。




 やがて金剛に膝を詰めて語り始めていったその内容は、長門をしてこれ以上ないくらいに悩み、考え、あちこちに根回しをした末の物で、彼女なりに真剣になって辿り着いた一つの答え。連合艦隊旗艦である長門自身の大事な大事なお仕事にも関する物であったが、同時にそれを帝国の存亡もかかる事業に関する事とも捉えていたので、長門の語りには普段のふざけた口調が一切混じってはいなかった。

 そしてそれ故に金剛は長門の語りにしばし耳を傾け、お気楽でマイペースでぐーたらな普段の人柄を完全に消して話す彼女の言を、自らもまた一旦感情を捨て去って聞く事にした。




 しかし、全ての会話を終えた後に金剛が友人に向けた気持ちと言葉は、決して良い方向の代物にはなっていなかった。


『・・・・・・ワレ、卑怯やと思わんのか? こないな事にかこつけてそないな話を持ち出すなんぞ、那珂も神通も承知せんぞ・・・。』

『那珂はあたしの言う事なら聞くだけは聞く。でも神通は絶対にしない。人間が決めたからって言っても、納得なんかしないよ。それは金剛が一番解ってる筈。』


『・・・・・・。』

『でもそうも言ってられない。来月にはたぶん連合艦隊で行動に出る。そうなると遠い話じゃない。原隊、派遣先、担当の隊、全員が納得してなきゃ失敗になる可能性もあるし、それはそのままこの国が亡くなる事を意味してる。あたしはそうはしたくない。みんなが居るこの海軍を、この国を、何としてでも維持したい。その為には必要なの。今言った事が・・・。』


 既に夕刻も迫って空が朱色に変わり始めた洋上には、そんな二人の声が波音に紛れて流れていた。お互いに低く、抑揚が極めて小さく、重苦しい音色で紡ぐ声色には高揚する物が何一つ含まれておらず、きっと乗組みの人間達が耳にできたとしても長門艦の巨大な機関の奏でる回転音くらいにしか聞こえなかったであろう。

 なぜならそれは彼女達海軍艦艇が成す最大のお役目の場にして、最も凄惨な国家事業でもある、戦が迫った事を示す物だったからだ。


『親方や叔母御の読みが当たってもうたか・・・。ワシも半分悪ふざけで出した一手やったが、ホンマにやるとはのう・・・。』

『アタシもお母さんから言われてたよ。ここ最近ずっと悩んでいろいろ考えてたけど、前に出るしかない。その準備を始めないと、今の内から。山本長官の腹も十中八九決まってると思う。相手の一番は、米国。・・・帝国海軍の全力を投じてやる大戦(おおいくさ)の初手は、ハワイの強襲で行く事になる。金剛、力を貸して。』


『・・・ホンマ、エラい事になってもうたで・・・。』

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