第一四七話 「妙な人々、艦魂」
6月に入ると日本の気候は梅雨に率いられる大雨と、暑さも厳しい夏への扉を開く事になる。
終日、時には2日も3日も続く雨にお出かけの予定をキャンセルし、むしむしと湿度の高さがもたらす独特の暑さは一般市民にあっても余り気が乗るものではない。喜んでるのはいよいよ生気を帯びて結婚活動に赴きだす昆虫達と、虫が好きな少年達くらいであろう。犬猫ですら軒下の日陰にて時折流れていく風を待っているかのような光景も見られるこの時期であるから、艦隊訓練真っただ中にして鋼鉄の塊の中にて生活とお仕事を勤しまねばならない帝国海軍の者達には中々に大変な季節でもある。
三河湾にて訓練に励んでいた第二艦隊の面々も額に汗を浮かべる姿が多く、どうせなら全国への巡航とかこつけて北海道辺りにでも向かってくれない物かと考える者達も少なくは無かった。
もっともそんな淡い希望が叶う筈も無く、第二艦隊は方角を真逆に作業地を変更。しばしの間、錨を降ろしていた三河湾から、毎年お世話になっている帝国海軍最大の作業地の一つ、高知県南部の宿毛湾へと軍艦旗を進める事になった。
え〜、もっと暑いトコ行くの?
そんな一言を脳裏に過らせたのは、各艦乗組みの人間達にも各艦固有の艦魂達にも一杯居たが、悪い事ばかりでもない。
近隣、と行っても日本地図の縮尺での範囲になってしまうが、日向灘周辺の海域には戦艦兵力を結集した第一艦隊、空母戦力を結集して2ヶ月前に編制されたばかりの第一航空艦隊が遊弋してそれぞれ訓練を行っており、その内に他の艦隊と合同での訓練が行われる雰囲気が出てきたのである。
第二艦隊司令部の若手参謀の一部や艦魂達の中には、この機に乗じて向上した術力で他の艦隊の者を驚かせてやろうと色々思案し始める者達もちらほらと現れ、親しい間柄が向こうの艦隊に居る者は久方ぶりの再会に心を小さく躍動させた。
明石の近くでもそんな人物は居る。
流れ行く潮風に軍艦旗も踊り、曲線の効いた艦首で波頭を切り裂きながら宿毛湾へと向かう4本煙突の細長い艦上に、彼女達の声が木霊する。
『川内姉さんは佐世保が本籍だから、私は久しぶりに会うわ。神通姉さんは、前期訓練の終わりに佐世保に行ったわよね。どう? 川内姉さんは元気にしてた?』
『いや、あの時は海兵団の艦務実習か何かで、姉貴はちょうど留守だったようだ。まあ、私が来た事は金剛の親方辺りが伝えてはいるだろう。対抗部隊で三水戦と合同するくらいなら良いんだが・・・。』
『う? なに、神通。会いたくないの?』
三河湾から宿毛湾へと向かう道中、那珂艦の甲板上で折り畳み椅子を引っ張り出して腰を掛け、空の漬物樽をテーブル代わりにしてお茶を飲みながらの談笑をしていた、那珂と神通、そして明石。所属全艦が隊伍を組んでの航行をしている最中であるが、艦魂達の間では今日は二水戦、四水戦もお休みの日らしく、仲間達の健康に異常がない事で明石もまた時間を持て余していた。加えて3人とも普段からそれぞれが親しみを分かち合う間柄であるから休日を一緒とした時点で揃って憩いの場を設けようと話が弾み、本日の如くたなびく雲と麗らかな陽光、見渡す限りの水平線を望む露天甲板にてお茶会としゃれ込んでいたのだった。
ところがそんな中、行き先で第一艦隊の仲間と会えるかもという話題を出した所で、楽しいおしゃべりの場には神通の顔を表現の場として僅かに曇天が浮かび上がる。その声色にも少し曇った所が有ったのを明石はすぐに認め、普段から尊大で横柄な不人柄の友人が何に対して憂いだのかを臆せず尋ねてみた。
どうやら神通は第一艦隊の第三水雷戦隊にて同じく戦隊旗艦を務めている姉に対し、会うのに少し乗り気になれないらしかった。
『またどうせ私を何て呼ぶかで将棋の勝負をしろとでも言ってくるんだ。くそ、なぜ勝てんのだ・・・。』
『ああー、じんちゃんって奴だっけ?』
『その名で呼ぶな。忌々しい。』
『あぅ、そ、そう・・・? か、可愛いと思うけどなぁ・・・。』
相手は神通や那珂を含む川内型二等巡洋艦の一番艦である、川内艦の艦魂だった。
明石は見た事が何回かあるくらいだったが神通と那珂にとっては実の姉妹で、殊に大変な嫌われ者で交友関係が狭い神通には、同じ二等巡洋艦の仲間という意味に限っても那珂と並んで数少ない会話をできる仲である。決して姉妹仲も悪い訳では無く、3人揃って一線部隊の水雷戦隊旗艦を拝命している点でも境遇は皆同じ。お仕事の話も合うし会う事に億劫になる理由は普通に考えると見当たらない。
ただ一つ、姉妹の親しい間柄の中で起こる呼び名に関して、川内が用いるそれは神通にとっては大いに不満らしく、この10年来ずっと変わらぬ「神ちゃん」なる呼称を口に出した途端、彼女はまたぞろ短すぎる導火線に火を灯して眉を吊り上げている。椅子に浅く腰かけて腕組みをし、ふてぶてしく足を組んだ上で不機嫌この上ない表情を浮かべる神通はいつも通りと言えばそうだが、実の姉妹と言えどもここまで憤怒を向けてしまう辺り、どうも相当に「神ちゃん」と呼ばれるのが気に入らないらしい。可愛いではないかと言いかけた明石を僅かに睨み付け、それ以上声を漏らすなと無言の圧力をかけてきた。
大人げないなぁ、もぉ・・・。
神通の眼光に慄きながらも明石はそう思った。
姉妹がいない彼女にはよく解らない怒りであり、ビビりつつも一応は親友の認識は変わっていない事から、実の姉に対してはもっと親しみとか尊敬を持てと言おうかとも思ったがすぐに止めた。
神通のご立腹は爆発力が大きく延焼の尾も引くので質が悪い事この上ない。昨年のお話になるが神通は川内と会った際、先程の彼女の声に有った様に呼称を賭けての将棋の勝負を行って負けてしまったそうで、積もりに積もった腹立たしさは翌日になって部下達への教育の場に八つ当たりという形で発露したらしい。愚痴っていた霞や雪風の困り顔に明石も同情を禁じ得なかった程で、友人の困った所に改めて溜息を洩らしたものであった。
故に変におせっかいじみた言葉を口にしたなら、この人は変針したご機嫌のままで短くない時間をこの後過ごすのは疑い様が無く、明石にとっては年下の友達にも等しい間柄である神通の部下達を八つ当たりの餌食にする事になる。それを想像するだけでも忍びない気持ちでいっぱいになってしまった。
だからこれ以上この話題を引っ張る事はマズイと考え、明石はそれ以上口をはさむ事は無かった。
神通の隣で潮風に髪を揺らしながらニコニコと微笑んでばかりの那珂もどうやら明石と同じ思考を持つに至ったのか、静かに笑っているだけで神通の呼称の話をそれ以上口に出す素振りも見せない。二人から目をそむけて不機嫌そうな表情を海に向けている姉に淹れ直したお茶をそっと進め、傾いたご機嫌を撫でる様にして戻そうとしている。
せっかくの実の姉妹や仲間達との会合の可能性もこの人の癇癪にかかるとこの有様で、両手ばなしで有難がる事ができない。すっかり成熟した大人の艦魂であるにも関わらず、子供の様に感情を剥き出しにしてしまうその性格の困った所を、今更ながらに改めて明石は思い知る。
それと同時に先日まで翼を休めていた三河湾にて、一念発起した指揮官としての立場に向けたお勉強を、親友の仲を理由にして神通に頼まなくて良かったと内心安堵した。ちょうどお勉強を志した日に二水戦が三河湾から離れた洋上で数日間にも及ぶ猛訓練に励んでいた手前も有るのだが、よくよく考えてみれば愛想の良い高雄や愛宕らの様に和気藹々とした雰囲気の中で指揮官のアレコレを教えてくれる、という風な事がこの人にあっては有ろう筈もない。解答を間違えると怒鳴り、受講の態度が悪いとげんこつを用い、常に浮かべる教育者としての面持ちと心根が恐怖をたやすく連想させる所など、良くも悪くも非常に有名なその特徴を皆から忌み嫌われて「鬼」と呼ばれるのが神通という艦魂。気心知れた明石相手なら尚更、懇切丁寧、手取り足取りの勢いで教えてくれる訳がない。
いつぞやの様にまた夜も眠れぬほどに尻を存分に竹刀で引っ叩かれるのが同居する教育時間になるのだろうなと考えたら億劫になるし、そもあれだけ困った性格を前面に出しつつもそれでも16名に及ぶ部下達を日頃から完璧に統率するという神通の芸当は、自分の様な未熟者が数日くらいの勉強で身につけられる物ではないと、明石は感じてもいた。
全ては一日一日における血の滲む様な努力の積み重ね。
いつだったか神通自身の口からそんな言葉が出たのを耳にした事が有る。前期訓練の終わり頃に佐世保で会った敷島と、その愛弟子にして神通が唯一人認めた師匠である金剛より、散々に怒鳴られ、殴られ、時には罵声を浴びせられて過ごした数年に及んだ時間。それをこなすだけであっても達成者は帝国海軍艦魂社会では片手で数える程しかいないのに、神通は見事に務め上げた上に師の持つあらゆる面の術を体得し、師の金剛をして最も成功した教え子と豪語させるだけの存在である。
金剛の一際大きい身の丈と度胸満点の物言いに終始ビビり、まともにお話もできなかった明石とでは心や精神面、もっと言えば根性の土台の部分から根本的に違う。年齢が10歳近く離れているとは言え、神通には明石の何倍もの忍耐と屈強さが備わっており、簡単に真似できるような代物ではないと常々思っていた。
教えてくれの一言では絶対に身に着けられない物、という訳だ。
よって割と早期に神通へ指揮官の道を尋ねる事を放棄していた明石。
へそ曲がりな所を目の当たりにした事でその判断は正しかったかなと思いつつ、上司という括りの中であっても色んな在り方が有るんだなと、その奥の深さをそこはかとなくだが垣間見るのであった。
さてそんな明石達を乗せつつ6月の太平洋を駆ける第二艦隊は、三河湾出発から2日と経たずに宿毛湾の海上にその姿を現した。
するとそこには横須賀を発って陸奥艦より連合艦隊旗艦を再度引き継いだ長門艦を始めとする第一艦隊の各艦が集結しており、久々に目にする大戦艦の居並ぶ威容に艦魂、乗組員達の双方が目を輝かせる。巨砲もたくましい戦艦の姿はやはり海軍艦艇の花形と言った所で、操砲訓練の最中なのか旋回運動をしている大きな砲塔に目を見張る新兵さんが、第二艦隊の各艦で至る所に見られた。
ちなみにそんな作業地における大戦艦の絵は、彼にとってもまた久々に見る物であった。
『う〜〜ん、やっぱりデカいなあ。』
そこは明石艦の前檣楼直下に有る、上甲板より一段高くなった甲板である。
艦橋両脇に控える連装機銃座が設置されたこの甲板はセルター甲板とも呼ばれる所で、足元には艦長室や機関長室が控える為に、艦内でも一等に分類されるくらいに騒いではいけない場所でもある。今日は機銃の訓練も無いので人影はまばらで、真っ白な第一種軍装を身に着けた忠の立ち姿が良く目立っていた。
彼は両手で持った双眼鏡を目の前に掲げて、右舷に望む宿毛湾の光景を眺めている。雪国出身の彼には珍しい四国南端における海岸の風景、とくに蜜柑畑なんかは相応に目を引くと同時に、陸地の緑と海面の青に映える無数の軍艦には、海軍軍人というよりも彼自身の胸の奥に残る童心によって後ろ髪を引かれて視界を誘われてしまう。
得てして男の子達は皆強い物に憧れるもので、その権化こそが帝国海軍が有する大戦艦と認識する子供たちは非常に多い。彼もまた例外ではなかった。
『ほんっとデカイ主砲だ。艦橋からだと発砲の時はどう見えるのかなぁ。』
『もぉお。さっきからそればっかしぃ〜。』
そして双眼鏡を掲げたまま口元を綻ばせて呟く忠の隣には、そんな少年心を理解できない明石が居る。
今日は甲板士官の補助的なお仕事を仰せつかって前甲板が勤務場所となっている相方は、朝の甲板掃除と軍艦旗掲揚を終えた頃にはお仕事に余裕ができたらしく、見張りにかこつけて宿毛湾に集まった大艦隊の光景を堪能していた。ちょうど明石も今日はお勉強はお休みにして久々に会う第一艦隊の仲間達への挨拶回りでもしようかなんて考えていたから、何も無ければ上甲板で日がな一日待機しているであろう忠をちょっとからかいでもするかと思って今この瞬間と相成っている訳である。
もっともその先で双眼鏡越しに仲間の分身を眺めてばかりの忠が居る事は予想外で、独りぶつぶつと感想を漏らすだけで会話も弾まない彼に明石は呆れと退屈を隠せない。僅かに尖らせた唇とフグの様に膨らんだ頬に始まる表情の変化は結構大きいものの、残念ながら少年の心が鋭意燃焼中の相方がそれに意識を奪われる事は無い。菊の紋をあしらう天下の帝国海軍艦艇の花形、その主力中の主力とも言える艦船たる戦艦とは、それだけ彼には魅力的だった。
『おお、あれは第三戦隊かな。あっちもカッコイイなあ。』
『つまんね!』
もう何度目か解らない忠の呟きに合の手でも入れるように、ご立腹の明石が声を上げる。この間再会を果たしたばかりで彼の存在に有難みを感じていない訳ではないが、自分が隣に居るにもかかわらず他所の艦艇に目を釘づけにしている一点が、なんだか明石には無性に腹立たしかった。
ところがその刹那、突如忠はそれまで延々と続いていたの呟きの音色を一際高くし始めた。双眼鏡を一度外して小刻みに瞬きをするやすぐにまた両目の前にかざし、軍帽越しに疑問符をたくさん浮かべた頭をかしげて驚いた声を上げている。
『え・・・! な、なんだありゃ・・・!?』
『う?』
落ち着いた優男の相方が取り乱すのにも似た様な素振りの言動を放つのに明石も瞬間鬱憤を忘れ、何やらとんでもない物を視界の向こうに捉えたらしい忠の顔を覗き込んだ。しかしそれに続いて忠の視界の先を追ってみてもそこに在るのは、今しがた彼が眺めていた第一艦隊第三戦隊所属の戦艦群の至って変わらぬ停泊する姿。信号檣には別に変な信号旗が掲げられている訳でも無いし、甲板上で汗水流す乗組員の者達にもこれといっておかしな所は見られない。ひらひらと力無く宿毛湾の潮風に遊ばれる軍艦旗もいつも通りで、操砲訓練の最中なのか一部の砲塔が明石艦側を指向しているのも作業地なれば日常茶飯事の事である。
故に明石は忠が何に驚愕しているのかさっぱり解らず、思わず忠と一緒になって首をかしげる始末。
ただそれほど時を置かずして再び忠の横顔に明石が視線を向けると、ようやっと彼は双眼鏡を下して明石に顔を正対させてくれた。相も変わらず自分の事に心を動かしていない様なのは癪に障ったが、幾分興奮気味な声で尋ねてくる彼の問いにその心の波の震源地を窺い知る事が出来た。
どうやら彼は第三戦隊の一艦である金剛艦に目が留まったらしい。
『ちょ、あ、明石・・・! お、女の人って事はあの人も明石と同じ艦魂なの・・・? め、めちゃくちゃ綺麗な人だけど・・・!?』
『えぇ? ああ・・・。』
動揺著しい声色でそう言った忠が指さすのは、明石艦から50メートル程も離れた地点に投錨する金剛艦上甲板の一角。艦尾に近い4番主砲塔のちょうど真横辺り。そこには何某かの作業に従事する作業衣姿の乗組員2、3名が居るが、人物を尋ねられた明石は彼等に目を奪われる事は無く、忠もまた指し示した物は今の彼女と同じくそれらではない。
俗に言う軍艦色という名のねずみ色一色の艦影を背景に真っ白な作業衣でせっせと働く乗組員達は元より、艦尾旗竿に揚げられた軍艦旗よりも遥かに目を引くものがもう一つ甲板上には存在していたのだ。
一際目立つ雪の様な純白に金ボタンも映える第二種軍装に袖を通すのは、辺りの乗組員らと比較しても頭一つ飛び出た180センチ台の大柄な身体なれども、胸や腰の辺りに見て取れる流線の効いた身体つきは明らかに女性の物。折り畳みの椅子に腰かけて伸ばされる脚も非常に長くて日本人女性ではまず無理であろう8等身にも迫る勢いの体躯と、そんな大きな体の半分程も有りそうな真っ直ぐの長い金髪は、彼女を遠目からでも西洋人の女性であると確実に認識させてくれる。
そしてその顔立ちもまた整った上に彫の深さと高めの鼻が醸し出す独特の美しさは、どこぞの高名な美術館に収蔵されている女神像の彫刻がそのまま動き出したかと思わせるほど。街ですれ違ったなら間違いなく男子諸君はしばし視線を釘付けにしてしまうだろう。
17歳で海軍兵学校の門を叩いて男の世界たる海軍にて過ごしてきた忠にとっては、その24年の人生において初めて目にする格と言っても過言では無い程の、まさに超弩級の美人であった。
『うん、そうだよ。あれは金剛さん。』
『す、すげえ・・・。すげえぞ、艦魂・・・!』
割と顔立ちが整った者が多い艦魂社会の事はなんとなく忠も知っていたが、西洋人や東洋人の違いは有れどここまでの人物まで存在するのかと今更ながらに感じた。神通や那珂に長門、神通の部下に当たる霞や雪風なんかも人間の世界で見たら確かに容姿は良い方で、まだ秘めつつも想いを傾けている相方にして隣に立つ明石もまた中々の美人だと彼は思っているが、はっきり言って今視界に捉えてる金剛なる艦魂とは美しさの次元が違い過ぎる。容姿に見て取れる30代辺りと思わしき年齢も併せて大人の女性の魅力、もっと言えば色気の様な物が満ち満ちており、口にこそ出さなかったが明石と比べたら片や神話に出てくる女神様、片や田舎の農村の芋娘くらいの開きが有った。
健全な男子である忠が興奮を隠せないのも無理は無かった。
その一方、他の仲間に夢中になっている忠に明石はイライラが少し溜まりつつあったが、忠の金剛に対する絶賛と驚きその物は否定する気は無い。傍から見れば金剛は確かに美人でその煌びやかな容姿は日本の全てのお船の命達の中でも3本の指に入ると明石としても思うし、同じ艦魂にして同じ女性だと見ればその端麗さには決して小さくは無い尊敬の念も湧いてくる。加えて実力の面でも経験の面でも彼女は帝国海軍艦魂社会の高い位置におり、10隻が就役する戦艦の中でも最古参の親分として皆から一目置かれている。過去には連合艦隊旗艦として就役していた事だってあるのだ。
朝日や敷島といった師匠格の者達を除くと文句なしにその道の第一人者であり、駆け出し艦魂の明石にとっては目指すべき自身の将来像の一つと据えても問題無いと考えれるくらいだった。
もっとも、実際に金剛とお話した事のある明石だから、忠が抱いた衝撃的な第一印象と自身の将来像の一つとして捉えるには、必ずとある注釈が付くという事をすぐに頭に思い浮かべる。
世界に通用する美貌の持ち主。もし万人にその姿を見せたなら、世の男共の過半数の心を盗んでしまう事間違いなしの艦魂、金剛。
ただし、それは彼女自身が「黙っていれば」のお話である。
『お? あれは・・・神通か?』
『あ、ホントだ。霞達も一緒みたいだし、たぶん挨拶しに行ったんだよ。金剛さんて神通の先生なんだって。』
『へえぇえ〜、明石の場合の朝日艦の艦魂みたいな感じ?』
見知った顔を双眼鏡越しの金剛艦に見つけてそれまで渦巻いていた心の波高をやや穏やかにする忠に、明石は二人の関係を教えてあげた。あんな美人の弟子があの神通なのかと言いたげな彼の心理はすぐに解り、彼をして初めて目にする金剛の人柄をこれを機に少し話そうと思ったのだが、極めて特徴的な金剛のそれは言葉を連ねてくどくど説明するよりも見る方が早いし、容姿との落差も物凄いので黙っていても彼女の言動にはその辺りが勝手に滲み出てくる。
故に明石が口を開くより早く、忠の双眼鏡には椅子から立ち上がったのに始まる金剛の行動が早速映し出されるのであった。声こそ聞えぬ距離ではあるも、大柄な彼女の身体の動きと表情でなんとなくそこに交わされる台詞も頭に浮かんでくる。
『どうも、親方。・・・む、読書中でしたか。邪魔でしたか?』
『おー、吉法師。よお来たな。これか? なあに、これは三戦隊の教練成績や。ちゅーてもどうせ一か月分でしかないやさかい、大した事なんぞ書いとらんわ。かまへんわい。おお、チビ共。吉法師の言う事聞いて、ちゃんと訓練やっとるかぁ?』
『こんにちはー!』
『ご苦労様でーす!』
愛弟子の神通を迎えて金剛が椅子から立ち上がる。
彼女は神通と短く挨拶を交わした後、その背後にぞろぞろと居並ぶ二水戦の駆逐艦の艦魂達に声を掛けた。
霞や雪風、霰など、明石も良く知る者も含んだ彼女らは皆一様に水兵さんの軍装を身に着けた少女達で、年長者にして恩師のそのまた恩師に当たる金剛に同伴の上で挨拶に来たらしい。全員姿勢を律して敬礼しながら若者らしく元気の良い声を一斉に発した。ましてや神通より普段から厳しく躾けられているのだから、師匠筋の上位に位置する金剛への挨拶には抜かりはない。皆で昨夜の内に各々の服装まで確認し合って、不備が無いよう尽くしていたくらいだ。
整列する少女達の前に仁王立ちに立って腕組みをする金剛もまたすぐにその立派な振る舞いに気付き、若者たちの頑張りと愛弟子の教育者ぶりが極めて良好に行われている事を確認。西洋人の顔立ち故かどこか不敵に映る笑みを浮かべて流すように右手を挙げて答礼し、次いで小さく頷きながら来訪を労ってやった。
『ふむ。ガキ共にしちゃよお纏まっとるな、吉法師。まー、まだまだ尻は薄っぺらいが、ワレの教え方がええ証拠や。』
『はい。有難う御座います。』
どうやら金剛は二水戦の姿に成長を垣間見て満足しているらしい。
古参格のこの人に認められるのは素直に嬉しい事で、神通は勿論、まだこの世に生を受けて1年そこそこの者も多い少女達も胸を撫で下ろす。実年齢、容姿共々20歳以上も年上で階級も高いし、その分身は押しも押されぬ戦艦とくれば尚更で、連合艦隊旗艦を務める長門や陸奥だって金剛の声を無視する事は出来ない。そんな彼女にとにもかくにも「良し」の一言を頂けるのは、少女達にあっても株が上がる様な感覚が持てたからだ。
ただ、何事も無警戒に安心するのはよろしくない。
生来のへそ曲がりで10代後半の見た目の癖にタバコは吸うし髪も茶髪と、不良道まっしぐらの雪風は特に目を付けられやすい筈だが、当の本人はこの時、今日はお叱りはなさそうだと仲間達と共に安堵してしまっていた。
するとその直後、軍帽よりはみ出る彼女の茶髪は、あろう事か金剛の青い瞳につかまってしまう。
『おほ! おーおー、そう言うたら一人けったいなんがおったで。犬ぅー!』
『げっ・・・!』
大きく見開いて光らせる金剛の碧眼に敵意は全く感じられないものの、絶対に良い結果を招かないと瞬時に悟った雪風が肩を大きく震わせて戦慄を覚えている。ついついその際に漏らしてしまった悲鳴じみた声も具合が悪い事に金剛の耳に届いたらしく、大股でぐんぐん近づいてきて腕を伸ばしてくる彼女からは逃れる暇も無い。やがて襟首辺りを鷲掴みにされてクレーンの様に雪風は持ち上げられ、顔を間近に近づけた怖い怖い鬼教官のお声に早くも涙目になり始めた。
『ハッハッハ! 何がゲッや、コラ。ワレちゃんと吉法師の言う事聞いとるんやろな? こいつは言うたらワレのオカンやど。』
『ぐひ・・・! そ、そらもう・・・! き、聞いてるッスよ・・・!』
『何が聞いとるや、たわけ! まだこんな色気づいた髪しおってからに!』
『わああー!』
自慢の髪の色をダシにお叱りを放ったかと思いきや、片手で吊り上げられてた雪風の胴を金剛は小脇に抱える。片や180センチ半ば、片や140センチ半ばと大きな身長差が有る中ではさしもに雪風はどうする事も出来ず、抱えられながらもバタバタと両脚を振ってみるささやかな抗いも空しく宙を切るばかりである。
そしてもはや恒例の行事、すなわち金剛による尻叩きが始まった。
『おらあ! ワレ、ええ尻しとっても自分がマシな部類や思うとったら大間違いやぞ! ワシにしたらこりゃ糞のついでに小便できる程度の尻や、こんガキが!』
『ぎゃあああー! い、痛いー!』
ご立腹の声を荒げて平手を叩きこむ金剛。
実は怒りはそれほどでも無く、目を掛けている若者への折檻に楽しみを感じているという、なんとも困った嗜好を晴らしているだけだったりするが、一方でそれを受ける側の雪風には光栄だとかそういう気は微塵も起こらない。師匠の神通以上の体格とパワーでもってぶっ叩かれる尻の痛さは突き刺す様な激しさで、ズボン越しに早くも真っ赤に腫れて熱を帯び始める自身の尻にビービーと泣き喚いてしまう。
もちろん神通や仲間達が止めてくれる訳も無く、彼女は金剛の思う存分に尻を叩かれ続ける事になり、耐えがたい拷問の如き可愛がりを受ける中で珍しく髪を脱色した事への後悔を覚えるのであった。
そしてそんな金剛の容姿からは想像も出来ぬほどの双眼鏡越しに鬼っぷりを見てしまった、明石艦上の忠。その表情は金剛を初めて見た時以上の驚愕を浮かべたまま硬直し、顎が外れたかと思わせる程に空いた口も微動だにしない。ミロのヴィーナスをも意識させる程の美貌を持ちながら、ガニ股で少女を小脇に抱えてベッチンベッチンと派手に尻を叩く姿は、正直な所、忠の24年に及ぶ生涯で得た意識の中にある女性という存在への理想像を粉々に粉砕してしまう程の威力であった。
隣に居る明石が困った様な笑顔で半笑い気味に紡ぐ言葉も、その際に抱いているであろう気持ちも、忠はようやく理解する事ができたのであった。朝からの戦艦群観察の中で相方の気持ちを悟ったのは、企図せず今日はこの時が初めてだ。
『金剛さんてまあ良い人だし、確かに綺麗な人んだけど、そのぉ・・・、とっても怖いんだ。なんか、ほら、行動も結構大胆・・・でしょ? あ、あはは・・・。』
『そ、そうみたいだね・・・。』
双眼鏡を持つ手と表情を凍りつかせたまま、たどたどしい声で忠は応じる。自身の生涯の中で間違いなく一位に輝く金剛の美しさを目の当たりにすると同時に、絶世の美女が持つ容姿とはかけ離れた、まるで三国志にでも出てくる豪傑の如き荒々しい性格の差は極めて落差が激し過ぎ、女性その物への不信感の様な物までほんの僅かにだが抱いてしまう始末。
その意識は艦の命という奇妙な女性達に囲まれている現在の環境もあるので、やがて彼は思わず胸に湧いた言葉を率直に声へと変えてしまう。隣に立っている相方も含め、艦魂達に抱いた淡い期待を撤回するのだった。
『や、やっぱ艦魂て変なヒトばっかりだ・・・。』
『なにをこの野郎! 私、変なヒトじゃないもん!』
『あいて・・・!』
朝から一向に自分を見もせずまともに会話もしていない。すぐ隣に居るのに美人がいる等と取り乱した挙句の果てに、自分も含めた艦の命達は変人だとつい口走った忠に、明石の溜まったイライラがこちらもついつい爆発した。吊り上げた眉と叫び声に憤怒の表情で反応した明石は、両手に作った拳を忠の頭目がけてドアをノックする様に交互に振り落とし始める。呆然としていた忠もこれには堪らずようやく双眼鏡を下し、ずれた軍帽を直しつつも尚も続く相方の攻撃に防戦一方となってしまった。
久しぶりに艦魂なる者達への考察を得たと同時に、つい漏らしてしまった言葉を後悔するも、事がこうなっては分が悪い。ヘソを曲げた明石のご立腹は結構頑強で、お怒りを鎮める為にその日の晩は酒保のお菓子をたらふく食べさせる事になるのだった。