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第一三九話 「横須賀の密談」

 昭和16年4月10日。


 春の訪れに酔うこの時期。

 帝国海軍が有する中でも最大の規模を誇る部隊、すなわち連合艦隊は前期訓練を終了し、隷下部隊の所属の艦の殆どがそれぞれに籍を置く母港へと帰って休息と整備に浸る予定が組まれる。これは例年通りとも言える事で、世間一般の国民の意識で言う所の盆休みとか正月休みにも近い代物である。


 軍隊という体裁から想像するとのんびりとした長期休暇が毎年有るとはちょっと意外だと思う人も少なくは無いが、その理由は帝国海軍の組織としての計画の一部に毎年12月1日から始まって翌年の11月30日を終わりと定めた年度計画が有るからで、これは「軍隊教育規則」という立派な帝国海軍の法規によって明確に規定されている物だ。

 連合艦隊に限って言うと、毎年12月1日に彼らは計画上の仕事始めを迎え、今年度も例に漏れなかった様におおよそ4月までを区切りとする基礎訓練に従事する。これを「前期訓練」と呼び、おおむね5月以降からは「後期訓練」と称して基礎訓練の結果等を踏まえての総合訓練、応用訓練なんかが行われ、10月頃に年度締めくくりの大規模な演習を実施するのが通例である。昨年に行われた「紀元二六〇〇年記念特別観艦式」も、年度締めくくりの総仕上げと位置づけた一大イベントである上、その年の年度訓練計画をなるべく崩さぬ様にする為にも、その開催時期は10月であったのだ。


 大まかに過ぎる物だがそんな帝国海軍の毎度の計画上、この4月は訓練に追われる事があまりないとても気楽な日々を過ごせる月である。

 北は千島列島沖の北洋から南は常夏の南洋まで、出払っていた艦艇の殆どは本籍地の波間に里帰りしており、それこそ艦の命達にあってはおよそ半年ぶりとなる分身の垢落しと化粧直しをしつつ、久々に目にする仲間や、姉妹、恩人らと積もる話に花を咲かせる日々を送れるという貴重な時間。乗組みの人間達も同じく殆どはお休みの日々となり、「月月火水木金金」の勢いで忙しいのは整備補修に当たる各海軍工廠の工員さん達の方であった。




 もっともそんな時期の中でも、帝国海軍という巨大な組織が休暇に入った訳ではない。現にこの日、連合艦隊に対して新たな艦隊編制が発令されており、しかもその内容は世界の海軍事情を考慮しても非常に珍しく、また画期的な物であった。

 毎年全訓練を終了した11月15日に出される艦隊編制と違い、内容としては新たな艦隊を二つ連合艦隊の隷下に創設するという物ながら、昭和14年11月以来の復活を果たした第三艦隊を置いて非常に注目を集めたのは、帝国海軍史上初めて航空母艦を結集して創設された第一航空艦隊である。これまで第一、及び第二艦隊随伴として行動していた航空戦隊を完全に引き抜き、龍驤艦を主に据えた第四航空戦隊をも加えて成り立ったこの艦隊は、これまでの「艦隊に随伴させる形での運用」が「空母を主に据えて艦隊を運用する」という方向に切り替えられたという事を示しており、帝国海軍の中でも特に下級に当たる者達の中では決して少なくないどよめきを生んでいた。


 もちろん当の艦の命達にとってもその範疇からは外れておらず、新たな艦隊編成の通達を耳にした者達はこぞって身近に居る空母を分身とする者に話しを聞きに行く。明石(あかし)とは同期の様な間柄で、同じ第二艦隊をこれまで組んできた飛龍(ひりゅう)蒼龍(そうりゅう)らは仲間達の質問攻めにちょっと回答に困ってたりもしたが、空母の黎明期より長年励んできた加賀(かが)鳳翔(ほうしょう)龍驤(りゅうじょう)辺りは上手く受け答えをして、近代海軍航空戦力の理解を周囲に得ていこうと頑張っている。






 そしてもう一人、そんな帝国海軍の空母を分身とする者にして、加賀や鳳翔らとも肩を並べる程の経歴と実力を有し、かつ今回の艦隊編制で創設された第一航空艦隊において堂々初代旗艦の栄誉に浴した艦魂が、東京湾の入り口に位置する横須賀軍港に居た。




『いやあ、これからは私も艦隊旗艦ですか。22日で進水15年も迎えるというのに、なんだか遅咲きの大命で恥ずかしいような嬉しいような・・・。』




 ちょっと灰色の雲も多少は目につく横須賀の空に、やや低めの旋律を持つ女性の声が響く。地上で発せられたならばそれはそれは大きな声であろう筈だが、その口調には宝塚歌劇団のトップスターを連想させる男の様な言葉遣いがあっても叫ぶ色合いは全く滲んでいない。

 その理由は海面から40メートルもの高さにて声が発せられたからで、そこは横須賀鎮守府の波間に浮かんだ長門(ながと)艦の前檣楼の頂点に位置する、射撃指揮所の外。目も眩む様な高さの割に海軍艦艇お決まりの細い鉄棒と鎖でできた手摺が囲んでいるだけで、面積としても円筒状の指揮所の周りを人一人歩くのが精いっぱいな程で設けられたに過ぎない所である。実に狭く窮屈で、命綱でも無ければ世間一般の人どころか乗組みの水兵さんでも御免被る場所だ。


 しかしこの様な危険な所でも声の主である女性は凛々しいその表情を変えず、真っ直ぐに横須賀の波間を眺めるのみ。鋭いながらもやや垂れたその目は泳ぎもせずに静かに辺りの青い光景を瞳に映し、長門艦のマストの如く真っ直ぐ縦に伸びた背筋も微動だにせずと、女性ながらもベテランらしい力強さと静寂が同居する立ち姿が彼女には見て取れる。濃紺の第一種軍装がこれ程までに似合う女性は、人間達の中でも居ないであろう。短めの前髪や頬の横の髪も全て後ろに流して黒髪に目立たぬ黒色のピンで留め、首の付け根に及ぶか及ばないかの長さの後ろ髪へと合流させた髪型もまた、女性らしいおしゃれと言うよりは如何に軍帽を無駄なく被れるかに重点を置いた機能美の追求に寄る所が大きい様で、言い終えた後に軍帽を頭より取る仕草の中で彼女の黒髪は高所の潮風にも荒れる様子が無い。


 まさに実直にして流麗な出で立ち。

 そんな容姿に見る20代後半の年の頃は、整った顔立ちと160センチ半ばの身の丈と共に大人の女性の一言に尽きない独特の魅力を与え、男の様な言葉遣いを差し引いても何か上流貴族の婦人の如き風格が満ち満ちている。帝国海軍の艦魂社会の中でもこの様な高貴な雰囲気を持つのはかつて一部の者達から「女王」と形容された事もある富士くらいで、やや垂れた感じの右目の脇にある小さなホクロも顔立ちの中の汚点なぞではなく、どこかアクセサリー、装飾の様な類の意識を持てる程に美しさへの貢献を果たしていた。


 きっと男性であってもその中性的な顔立ちには多くの好意が寄せられたであろう、彼女。

 もちろん帝国海軍連合艦隊旗艦の長門艦の、それも作業が無い時は危険な為に中々立ち入りができない前檣楼頂上に居る事から示されるその正体は、れっきとした帝国海軍艦艇の命である。

 同時に彼女こそ、本日4月10日に発令された艦隊編成の中心にて、注目の的である第一航空艦隊を艦魂の側で纏める事になった人物であった。




 するとやがて凛々しいその背より、早くも名を呼ぶ声が響き渡る。


『や〜や。正直、人間達が赤城(あかぎ)に決めてくれてほっとしてるよ、アタシは。加賀はどうしても無口で愛想が薄いから連携でちょっと不安が有るし、飛龍や蒼龍じゃ若すぎるって。鳳翔や龍驤だって分身の方で主役にはなれないんだしさぁ。』


 女性ながら眉目秀麗という言葉も連想できる赤城と違って、声色も口調もだいぶ軟派な印象を受けるそんな声を上げたのは、薄らと微笑を浮かべる赤城の背後にて筒状の射撃指揮所にもたれ掛かる様にして立っている長門であった。

 まだちょっと肌寒い横須賀の気候に対してはさすがにいつもの様に上衣を羽織るだけの格好はできないものの、潮風に誘われて宙に舞っている腰まであろうかという長い黒髪、30代にも手が届いたくらいの女性の容姿に反して表情や仕草が子供っぽい所なんかは、帝国海軍艦魂社会広しと言えどもこの人しか持っていない人物としての大きな特徴。日に三度は「メンドイ」と口にし、連合艦隊旗艦という極めて重要な分身のお役目も屁とも思わず、お説教と愚痴とお仕事からは逃げてばかりの能天気なお姉さんとして有名人な彼女は、きょうもどこか真面目な話をしようという気は感じられぬ雰囲気でその場に居る。

 ましてや赤城の高貴さ、麗人ぶりと場を同じくしているのだからその具合は際立ち、栄えある帝国海軍軍人の一張羅たる第二種軍装の似合う、似合わないが随分と明確に見て取れる光景となっていた。


 しかしながら当然の様に長門はそんな自分の人柄を気にはしていないし、背を向けたままの赤城も背後の人物に対して堕落という感じの言葉を連想したりはしない。

 お互いに持つ成人女性の容姿に大きな差こそ無いが、赤城にとって長門は帝国海軍艦艇の命として先輩に当たるし、傍からはそうにしか見えない日がな一日中ふざけている長門の姿が真実では無い事を知っているからである。加えて年代の離れた師はもちろん、年下の明石なんかともとっても仲が良い長門には元来人当たりの良さが有り、数多い先輩艦魂の中でも彼女は赤城にとって最も親しい者の一人。話が有ると呼ばれてこうして長門艦の前檣楼頂上にやって来た本日も二言返事でその召喚に応えており、自身を褒める言葉を連ねられても振り返らないのは、例えそれがお仕事に通ずるお話であっても決して長門が自分の行動に眉を吊り上げたりはしないのだとの確信が有るからだ。

 故に赤城は長門には正対せぬまま、おもむろに上げた右手で後ろ髪を柔らかく撫でつつ声を返す。


『別に尻込みしてはいませんよ。艦隊復帰に合わせて、よもや艦隊旗艦を拝命するとは思っていなかっただけですから。かっちゃんにほっちゃん、それに龍驤は付き合いも長いし、二航戦の蒼龍や飛龍とは観艦式の時に知己を得てます。上手くやってみせますよ。』


 低めの声でそう述べ、赤城は長門がその台詞の裏に込めていた一抹の心配を拭ってみせた。それはもちろん赤城がこの度史上初めて帝国海軍に誕生した部隊を、艦魂なりにとは言え率いる立場になった事に理由が有る。なにせ航空母艦は現代の海軍艦艇の中では潜水艦以上に運用の日が浅く、その身に帯びた大砲や魚雷等の水雷兵器でもって敵艦を攻撃する訳ではないという、とても珍しい艦種。それでもこれまではずっと戦艦主体、巡洋艦主体の艦隊に配属されて相応の運用経験も積み重ねてきた中、保有する空母のほぼ全力を集めて新たに艦隊を創設した所に対して、期待以上にどうしても不安が積もってしまうのは20年近く帝国海軍一の戦艦として励んできた長門であっても例外ではなかった。


 それに対して赤城は至って穏やかな声を返してみせ、先輩の長門の心配を受けても動揺は得ていないらしい。ゆっくりとした動作で踵を返してようやく長門に顔を向けるや、泣きボクロを控えた流し目で彼女は不敵な感じの笑みを作る。

 空母による艦隊編成は確かに初の試みではあったがそれに近い構想は数年前から一部の人間の海軍軍人達の中で話題になっており、それをずっと菊の御紋を頂いた空母の第一人者として彼女は耳にしてきたからだ。なにせ赤城の分身は帝国海軍初の大型航空母艦なのであり、三段の飛行甲板を持つ改装前の頃より所属する航空戦隊では常に戦隊旗艦を務めてきた。同じ空母というだけでなく海軍艦艇としてもベテランの域に入っている古参の鳳翔や加賀だって、今しがたの台詞の様に愛称で呼べる仲で、お船の界隈では珍しく揃って姉妹艦が居ない境遇に共鳴して3姉妹をそれぞれが認める中であっても、その筆頭は最年長にして最先任の鳳翔ではなく彼女であったりもする。端麗な容姿に似合わず胆が据わり、言動は女性らしさこそ薄いものの高貴な雰囲気を纏わせ、その心もなんとなんとあの「海軍砲術学校金剛(こんごう)艦分校」で鍛えたという下積み時代で精強さはお墨付きであるのだ。




 蛇足ながら実は赤城はあの超が付くほどの鬼教官たる金剛の一番弟子であり、明石と仲の良い神通(じんつう)にとっては姉弟子の関係。部下に手を上げる様な真似は幸運にも受け継がれず、元々の出自が同じ巡洋戦艦という事から得た金剛教授による猛勉強の日々は、人間である艦隊司令部の参謀達の話もすぐさま理解し、戦艦の艦魂相手に砲術の話題で主導権すらも取れ、洋上で行き交う外国船籍の客船の艦魂に英語で話しかけ、180センチ台と大柄な体の金剛との柔道では4回ほど引き分けに持ち込んだ事も有る等、赤城の超一流の知勇兼備ぶりを支える土台となっている。

 彼女は割と天才肌の艦魂であるのだ。





 だがしかし、そんな彼女にも解らない事が有る。

 それは今さっき上手くこなしてみせると自信を覗かせたばかりの空母を主とした艦隊の事で、確かに自分以外の空母の艦魂達と協同する事に関してはその言葉通り憂いは無い。長年第一艦隊において第一航空戦隊を組んできた加賀が副官や参謀の如き役割となって助けてくれるのは解っているし、第二航空戦隊の飛龍や蒼龍も初対面ではない上、その運用方法から多様な任務をこなす事が考えられてきた龍驤艦の艦魂は、上手くすれば戦艦部隊配属の一航戦、巡洋艦部隊配属の二航戦の者達の間で良き橋渡し役にもなりうる。分身の規模こそそれぞれ違うが速力も皆おおむね20ノット後半は出せるし、最近は搭載機に関しても新世代の零式艦戦、九九艦爆といった最新鋭機が揃えられ始めており、皆一様にその分身の甲板からは古めかしい複葉機のシルエットが消えつつある。それはすなわちそれぞれの分身におけるお船としての性能はもちろん、装備の更新状況においても皆が同一になるという事で、後期訓練で行う多くの演習や操練なんかでは練度以外のバラつきは各艦に生じないという意味にも繋がるのである。

 しかしこれは本日より始まる第一航空艦隊の順風満帆の航海を示すものではないと、背後の長門より話を聞いた時から赤城は考えていたのだった。


『ですがねえ、長門さん。今回の編制は、正直訓練や研究に重きを置いた物でしょう? とても実戦向きとは思えません。既存の航空戦隊を集約しただけでは、戦力という意味合いでの艦隊と言えるのですか? 艦隊航空戦術という括りで統一した訓練が全空母でできる、くらいの利点しか見えないのですが。』

『あはは。さすがは赤城。・・・ご名答。』


 やや苦笑するような歪んだ笑みで疑問を投げた赤城に対し、長門はさも予想していたかのように落ち着き払ったままそう答える。現代の帝国海軍艦魂社会で超一流の鬼を師に持つのが赤城なら、この長門だって帝国海軍艦魂社会の重鎮、朝日(あさひ)の英才教育を受けて育った秘蔵っ子。普段は多少お気楽で能天気な所が目立つもそんな皮に覆われた姿は頭脳明晰な事この上なく、戦備の面での帝国海軍内の最新事情なんかにも割と精通していたりする彼女であるから、赤城の言わんとしている事にはすぐに察しがついた。

 すぐさま長門はふいに片腕を緩く上げたのを合図として回答の続きを返し、赤城の疑問を明確化していく内容で話しを進め始めた。


『赤城の言う通り。航空戦隊を集めただけじゃただの空母の集団。隷下の駆逐隊だけじゃ直衛部隊には心細いし、それだって結局は統一指揮下に無い駆逐隊の寄せ集めだからね。護衛部隊としてはちゃんとした戦隊を組ませてあげようって、人間達も考えてるみたいだよ。』

『ふむ・・・。軍隊区分で他の戦隊を付随させる、って所ですかな。本来ならちゃんと艦隊に組み込んでおきたい所なんでしょうが。』


 自らも務める空母艦隊における護衛部隊の談義となるにつれ、だんだんと赤城はその精悍な表情に辺りの空とはうって変わった曇り模様を陰らせ、難しそうな顔を僅かに傾けて腕組みをする。そも空母による艦隊という物がこの度初めて創設されたのであるから、既存の艦隊と比べて色々と揃っていない事柄が有るのは仕方ないにしても、作戦を想定して艦隊が用いられる際には絶対必要な支援部隊が本日より彼女の隷下となった部隊に配備されていないのは、長く海軍艦艇の命として生きてきた赤城をして極めて不安な材料であった。

 今しがたの長門とのやりとりにもあった通り、適当な数の艦艇を揃えるだけの集団では部隊としての戦力的価値は案外低い物であり、綿密な連携体制、協同体制、一元的な意思の下に統率された行動を行う等の点は、別に海軍に限らず歴史の授業で学ぶ遥か古代の戦の頃より非常に重要な位置付けにある。中身や質の面での違いとしては非常に明確かつ基礎的な所であるが、精強な「部隊」と軟弱な「烏合の衆」はとかく形の面では意外に紙一重であったりもするのだ。


 そしてもちろん、赤城は自ら率いる事になる第一航空艦隊には烏合の衆なぞ必要ないと考えている。自身の分身も含めて主役の空母が縦横無尽に駆け回って航空機を使った戦闘を展開する最中、突如として波間に覗いた潜望鏡や遥かに遠くの空を飛んでいく飛行機なんかを見つけて右往左往する巡洋艦、駆逐艦の類は殊に発着艦行動の際はとっても邪魔だし、周辺への警戒をする中にあっても全方位一隻一隻に指示を出していたのでは空母の運用に集中出来る訳がない。人間の海軍軍人にも言える事ながら、艦魂達なりにも赤城の指揮下で航空戦隊が艦隊航空戦を専門的に行うなら、護衛部隊も護衛部隊として旗艦隷下に系統を設けた上で航空戦隊の四方をがっちりガードする事を専門的に行うべきである。基幹機能を独自にある程度自衛する事で、一つの艦隊としての航空戦能力を憂いなく十二分に発揮できる様になるからだ。

 その意味は長門も承知していて赤城の声に何度か小さく頷いてみせるのだが、おしむらくも懸案解決を迎えての満面の笑みとその表情がならなかったのは、これまた艦隊運用にも十分に精通した赤城の一言であった。


『しかし長門さん。空母の艦隊に付けるとなると、そこいらの水雷戦隊という訳にも行かないのでは? これだけ空母が揃って、まさか第一艦隊の後ろに張り付いて艦隊決戦をするなんて話じゃないでしょうに。むしろやるなら漸減に関わる第二艦隊に近い運用をした方が効果的。となれば、護衛役の艦は随分と限られる筈ですよね?』

『や〜〜、そこまで考えちゃったか。陸奥(むつ)だってまだまだ、う〜んって頭捻ってるくらいだったのに。ご名答その二、だよ。』


 些か笑みを薄くして真面目な表情へとなりながらそう言った赤城に対し、今度は長門がちょっと困った様な笑みを浮かべ、長い黒髪で埋め尽くされた後頭部を右手で掻きながら声を返した。極めて鋭い赤城の考察力に今更ながら感心してしまい、なんだか放つ言葉が全て先読みされてしまっているかの様な会話の雰囲気に、ほんのちょっとだけ長門は苦手意識を覚える。思わず歪んだ笑みの中で舌を覗かせたくなる衝動に駆られながら、赤城の頭の中に浮かんでいる懸案を誰かに披露するかのような口ぶりで述べ始めた。


『赤城の言う通り、一航艦の作戦行動は主力部隊よりも前進部隊の方が近いかな。陽の出てる日中の運用が飛行機には一番だし、第二艦隊の夜戦の前の段階だとなおさら漸減攻撃には効果的だからね。何にしても本隊からは相当前方、遠距離での行動になると思うけど、そうなると一番大事なのは艦としての航続距離と行動可能日数だよ。長けりゃ長いほど都合が良い事になるんだけど、物資の搭載力に余裕が無い中小艦艇の子達にはどうしてもキツイんだよねぇ。特に駆逐艦は。』

『確かに・・・。』


 元々の面倒臭がり屋な人柄では小難しい話をするのが煩わしいのか、話している最中にも時折眼前の赤城から視線を逸らして荒く後頭部を掻く長門。メンドイと日がな一日中口にする彼女には似つかわしくない話題で、口に残るその残り香を吐き捨てる様に大きく溜息をついた。しかしながらその言葉は彼女の分身に座乗する、山本長官を始めとする連合艦隊司令部の面々が頭を捻っている部分と同じ所に焦点が当てられており、言わば連合艦隊という組織の上層部で真面目に検討されている懸案その物でもある。

 その対象が駆逐艦である事を頭の良い赤城はすぐさま理解し、そして同感の意を持った。


『航空戦隊に配備されてる駆逐艦は旧式ばかり。吹雪(ふぶき)達辺りなら凌波性も良いし兵装の面でも申し分は無いのですが、より航続力の優れた一線配備の最新鋭は水雷戦隊に優先して振り分けられるのが常です。まあ、それだって漸減作戦に関わっているんだから無理も無い事ですね。アメリカ海軍の様に同型艦を100隻以上も揃えれるだけの国力に支えられていれば、話は違うんでしょうが。』


 腕組みしたままで呟く様に赤城は声を放ち、再び長門を背後にして顔を洋上へと向ける。やや残念そうな口ぶりと共にその表情もやや垂れた目と眉が同じ角度となっており、お世辞にも精悍とは言い難い顔つきとなっていた。

 もっともその理由は、今しがた彼女自身が口にしたアメリカ海軍に見られる豊かな国力に裏打ちされた軍艦の整備事情のみに有る訳ではない。ここまで話してきた空母艦隊の運用、その為に必要な物、そしてその対象たる護衛の部隊と考えを巡らしてきた彼女は、わざわざ長門が呼び出してまで自身と語らいをしようとした事の真相に早くも気付いたのである。それは悲しいとか寂しいというよりも、困惑に近い心を赤城の胸の奥に燻らせ、凛々しい態度での返事ができない有様へと彼女を追いこんでしまったのだ。


『ふぅむ、これは弱った・・・。攻走守が揃い、それでいて航続力の最も優れた駆逐艦は、現有の最新鋭駆逐艦だ。となると・・・。』

『う〜〜ん、残念ながらご名答その三。考えてる通り、第二艦隊の水雷戦隊に所属した駆逐艦、ってなっちゃうのよねぇ・・・。』


 横須賀の青空に苦笑を覗かせる赤城の背後にて、長門は指を三本立てながら同じ様な表情となって赤城に続いて声を上げる。ちょっとした言い難さもあったのか段々と声をすぼめ、僅かに背を丸めつつ苦笑の顔を赤城に近づけて表情を窺うかのような仕草を長門は見せた。海軍艦艇としては後輩、帝国海軍艦魂社会でも部下に当たる赤城に長門がここまで気を使う必要は日常では全く無いのだが、それをせずにはいられない事情がついさっき彼女の口から出たばかりのとある言葉に存在する。

 それをなぞる様に、背を向けたままで赤城は呟くのだった。


『第二艦隊の水雷戦隊・・・。洋上給油の成績は置いといても、練度の面ではやはりアイツの所に白羽の矢が立つなぁ。ん〜、弱った弱った・・・。』


 知り合いへと向ける様な口ぶりも含め、第二艦隊の水雷戦隊という物に対して一方ならぬ思いがあるらしい赤城は、眉の角度を先程までよりも更に下向きにして苦笑の度合いを深くする。緩く両端の吊り上った唇だけがかろうじて笑顔を意識させるばかりで、女性ながらトーンの効いた低めの声ももはや宝塚のスターを思わせる美しさは失われていた。

 なぜなら第二艦隊の水雷戦隊という言葉を連ねた瞬間、ほぼ同時に赤城の脳裏には一人の艦魂の名が出てくるからである。それは彼女と同門の系譜の果てに極めて暴力的で粗暴な人柄を有し、帝国海軍艦魂社会随一の嫌われ者にして厳しい教官としても知られる者。乗組みの帝国海軍軍人達ともども、我こそは帝国海軍中最強の部隊と自負する戦隊の長。遠目から見るとすらっと長身な女性ながら、刃物を思わせるその鋭い眼光が印象的なその人となりを、赤城は長門以上によく知っていた。

 上官相手でも周りからの介入には烈火の如き怒りで抗い、戦隊旗艦たる自分その物が掟だと些か横暴な態度をとりつつも、日頃から『私と共に死ねる者になれ。』と部下を叱咤して厳しいながらも大切に育てようとしている所も含め、全てだ。


『や〜。赤城の方が歳は下だけど上官だし、それに金剛んトコじゃ先輩でもあったんだから、なんとかなるかもってアタシも思ったんだけどさぁ。そんなに簡単だったら、やっぱそんな顔しないよねぇ〜・・・。』


『アイツは手放さないですね・・・。皆で揃って戦闘海面を疾走し、何年も磨き上げてきた水雷戦でもって猛々しく戦う。いつ実現するかもわからない、もしかしたら一生の内で立ち会う事は無いかもしれないその一瞬の為に、その為に全身全霊を賭けて駆逐艦の連中の面倒を、ああやって鬼を振る舞いながらずっと見て来た奴なんです。私には解りますよ。あの憤怒と狂気をも思わせる厳しさは、個人の性格なんて物じゃない。間違いなく敷島(しきしま)さん、そして何より金剛の親方から受け継いだ物。後継者という意味では後弟子であっても分身が巡洋艦であっても、アイツこそが嫡流なんですよ。敷島さんから始まる、私達の血筋では。』


 長門に続いて何やら否定的な言葉を漏らして語ると、思わず赤城は長門に背を向けたまま額の辺りに手をかざして大きなため息をつく。本日より始まったばかりの彼女が率いる艦隊に関する事なのに、まるで四方を陸地に囲まれた様な手詰まり感を彼女は覚えたからだ。無論、それはお互いが「第二艦隊の水雷戦隊」という言葉から連想したとある艦魂の事に他ならず、項垂れた呟きにて赤城はその障害の大きさを示す。


『正直、アメリカ海軍よりもよっぽど手強いですよ・・・。例え私が責任者だとは言え、他所の部隊に手塩にかけて育てた部下を貸してくれるかどうか・・・。』

『ん〜〜・・・、アタシも色々と考えたんだけどさぁ。でもやっぱここは避けて通れないのよね。人間達も同じ事考えてるみたいだから。』


 気落ちしきった赤城に長門は苦笑を浮かべながらそう言うと、背後より近づいて彼女の肩にそっと手を乗せる。なんとか元気を取り戻させようとする長門の心遣いが見て取れるが、受けた側の赤城は額に手をかざしたまましばしの間姿勢を変えなかった。なぜなら優しさを感じると同時に、彼女は肩に手を乗せるという小さな行動に長門が違う意味合いを込めた事を察したからである。

 やがて僅かな沈黙に長門が顔を覗き込もうとしてくる頃合いを見計らい、赤城はやや垂れた瞳をちょっとだけ鋭くして長門に向け、本日4度目となるご名答を述べる。それに対して長門は焦る様子も無くゆっくり頷いてみせるや、赤城の眼光に対抗するようにして表情を正し、極めて珍しい真面目な顔つきとなって赤城の声を肯定するのだった。


『長門さん・・・。最初からこれを言う為に呼んだんですね? 私の立場から上手く話を進めてほしいと?』

『そういう事、かな。アタシとしてはあの子の事は買ってるんだけど、知ってのとおりでなにせあの性格だからね。マトモにお話しできる艦魂(ひと)が中々いないのよ。高雄(たかお)愛宕(あたご)だってたまに尻込みするくらいなんだもん。だから赤城からも説得して欲しいんだ。最精鋭の補助艦艇部隊として、第二水雷戦隊の一部の駆逐隊を一航艦に付けてほしいってね。』


 普段の凛々しく精悍な人柄から一転、文字通り頭を抱える状態となった赤城の真横まで長門は進み、檣楼頂上から付近に広がる青空の下の横須賀軍港を一望して言う。本来、見晴らしの良いこの場所は展望台ではなく、遥かに水平線の向こうにマストだけが見えるか見えないかくらいの姿で敵艦影を捉える場所で、現帝国海軍中最大口径となる長門艦の主砲において射撃を掌る為にある場所。その眺めは絶景ではあるが風景を楽しむ目的はそもそもなく、さっきまで長門が背を預けていた筒状の射撃指揮所配備の乗組員達も含んで、全ては長門艦が相対した敵を睨みつけ、牙の狙いを定める為に在る。

 そしてこの時の長門はまさにそんな敵を眺めるかの様な険しい表情を浮かべ、お気楽で能天気な三十路のお姉さんという普段の風体とはうって変わった姿を現していた。


『四水戦の那珂(なか)ならアタシから言えば聞いてくれると思うけど、あっちはそうもいかない。アタシも一緒に話すからさ。上手く雛が巣立つみたいな言い方すれば、まんざらでもないと思うんだけどね。』

『・・・神通、か。子離れできない親鳥、と言えなくもないんですが・・・。』


 神妙な面持ちの中、ようやくその名を口にした赤城。

 決して神通を怖いとは思ってこそいないが、鬼とまで形容される心の内が人並み外れた己への、部下への、自分達が成す二水戦への情熱である事を知っている赤城は、長門から打ち明けられた事を履行する為の返事を即座に返す事が出来ない。事故とは言え自身の四肢にも等しい分身でもって部下を殺めるという業を背負い、その苦悩を振り払うが如く金剛から足蹴にされて育てられた神通が持つ心の芯を、その親友の明石や直接の師の金剛以外で知るのは彼女なのである。

 それは本日より頂く第一航空艦隊旗艦の責務よりも赤城の心に重く圧し掛かり、現連合艦隊旗艦たる責務を負う長門の応援を貰ってもちっとも晴れる物ではなかった。




 こうしてなんとも苦悩ばかりの船出となってしまった赤城。

 弓なりにならぬ垂れた目の奥に燻る本音では艦隊旗艦の任を御免被りたいと思っていたが、そんな彼女の隣にて凛とした面持ちを浮かべる長門の声を受けると断る事も出来ず、結局彼女はその後、『解りました・・・。』と苦悩に塗れた声で了解の意を示すのだった。


『赤城、頼むよ。ただ単に新しい艦隊を作ろうなんて勢いで一航艦ができた訳じゃないんだ。空母中心の艦隊はこれからの帝国海軍の戦略、戦術の両方の意味で必要不可欠になってくる。もちろん朝日さんや敷島さんの世代から積み上げてきた、対米戦の中でね。後で加賀と一緒になった時に赤城にも話すけど、もうその算段は人間達の方でも検討され始めてるし、今年中に就役する新鋭の空母の子達も配属がほぼ決まってるんだ。艦魂のアタシらが知らぬ存ぜぬなんて言ってらんないのよ。』




 やや雲も散在する横須賀の晴れ空の下、晴れぬ顔の者達の間に響いたその言葉を合図に、この日、帝国海軍の船の命達の間には新たな艦隊が発足。以下の様な内容の編制となり、彼女達にしても初となる空母を主に据えた艦隊が姿を現した。


 そしてこの艦隊こそ、この8ヶ月後に日本史上最大の戦争にして最大の悲劇の幕を切って落とす事になるのであった。



第一航空戦隊

赤城艦 加賀艦


第7駆逐隊

(あけぼの)艦、(うしお)艦、(さざなみ)



第二航空戦隊

飛龍艦、蒼龍艦


第23駆逐隊

菊月(きくづき)艦、三日月(みかづき)艦、望月(もちづき)艦、夕月(ゆうづき)


第四航空戦隊

龍驤艦


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