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第一三六話 「from 37 years ago/其の三」

 壁も天井も灰色一色で塗られ、室内に有る物は机と椅子、部屋の隅にて畳んだ布団、そして人一人が座れるほどの筵を敷いた一角があるだけと、なんとも質素な敷島(しきしま)の部屋。赤や白のカーテンも無ければ木目の美しさを意識できる棚も無い等、殊に室内における色の貧相ぶりは一際激しい。おかげで部屋の主である敷島のやや黒みがかった感もある金髪と、遥かに続く大洋の海面を思わせる碧眼はその輝きを倍加させ、闇夜の中に忽然と灯る光の如く室内に浮かび上がっている。

 しかし瞳にそんな敷島を映したまま瞬きも忘れて表情を固まらせるという今の明石(あかし)にあっては、心身共に硬直する理由はそれだけではない。僅かに顎を引いて目つきを鋭くしながら静かに放たれたさきほどの敷島の声は、他の誰でもない敷島当人より受け取ったエールに応じる明石の意気込みを否定する様な内容で、甲板での初見からずっと受けてきた歓迎の心遣いは今は欠片も見られない。加えてそもこの敷島という艦魂は、黙っていれば神通(じんつう)と同じく極めて不機嫌そうな面持ちとなる。年齢とそれに付随する経験を積み重ねれば顔のおっかなさはもちろん神通以上で、その眼差しが持つ圧倒するような力に明石は声を失ってしまっていた。


 その為に二人が居る室内は一時の間静寂に支配され、彼女達の頭上に位置する甲板にて展開されている、超が付く程に激烈な学び舎での生徒達の声が遠く聞こえてくる。




『うお!? ワレ、犬! なんやその頭は!?』

『ぐひっ・・・! ば、バレた・・・!』


『ワレぇ! そらワシもこん髪の色変えよ思た事もあるがのう、ワレみたいなガキが髪なんかイジるなんざ10年早いわい! こないな薄い尻の分際で色気づきおってからに! おらぁ! うらぁ! クソ垂らすだけの尻が! こないな尻で男でも惹く言うんか! これでエロい尻とでもホザくっちゅうんか、ああん!?』

『ぎゃ、ぎゃぁああーっ! い、いって! 痛いぃー!』




 帝国海軍でもナンバー1と目される鬼教官を迎え、今日は敷島艦艦上という古き校舎にて繰り広げられているであろう、二水戦の艦魂達による修練の時間、もとい私立神通学校。その中で鬼教官に目をつけられて散々に尻を叩かれる事で放たれる雪風(ゆきかぜ)の絶叫は、彼女とは長く付き合ってきた者であっても初めて聞いた程の代物である。





 しかし甲板上の者達とは変わって、明石は例えそんな遠い声を耳にしていようとも雪風の身に起きている修羅場を想像する事も無ければ、頭上の方角へ意識を誘われる事も無い。何の前触れも無く突如として豹変した様な敷島の顔をみつめたままで、先程かけられた言葉の意味を確かめるという選択肢もすらも成せずに黙るばかりであった。

 すると対する敷島はほんの小さく溜息を放った後、鋭角で構成した切れ長の目を閉じて再び口を開く。


『明石よ。お前が工作艦として、艦魂における軍医として日々励んでいるのは私も知っている。それに(もり)という人間がかつて傍に居て、普通の乗組員である男共に向けるのとは違った心が有る事もな。だがお前は腐っても軍艦旗を掲げる艦を分身とするんだ。私や金剛(こんごう)、神通、そして神通のトコのチビ共と同じくな。別に日本に限らず、海軍艦艇という物は世界中の海を旅する貨客船とは違う。私もお前も、その至上命題は戦に赴き、そこで文字通り旗色の違う奴らを殺す事にある。』


 敷島の言葉はこれまで明石が信じてきたある種の目標を真っ向から否定する内容であった。言わずもがな、明石は敷島が言う様に戦場に赴いて敵艦船の撃沈をしたいとは思った事は無いし、むしろそんな事をする為に自身の分身が建造された訳では無いという事を、いつぞやの第二艦隊における勉強会で彼女は深く知った。分身たる明石艦で目立つ多くの起重機を始め、艦内の殆どを占める各種工作室なんかは他の艦への修理補修の為だけに存在し、逆にどう捉えようとしても他人の命を奪う為の機能なんかそこに見つける事はできない。

 故に明石は敷島の青い眼光にちょっと尻込みしつつもやや胸を張るのと同時に声を張り上げて、今しがたのお言葉は自分に対する物としては適当とは言えないと主張した。


『し、敷島さん! わ、私は工作艦が分身です! 乗組員の人達もみんな一生懸命になって磨いてるのは、その・・・、修理とかに必要な工作技術と機械の使い方とか、受け渡しで生じる手続きとか段取りとか・・・! いざ被害を被った艦がでた時の為の大切なお仕事なんです! 私も含めて、誰かを殺そうって考えじゃないんです!』


 ずっと以前、呉にて駆逐艦の艦魂達による柔道の大会があった際、仲良しの神通にすらも食って掛かった事が有る程に工作艦の艦魂としての自負を得つつあった彼女である。己の未熟さを思い知らされる中で必死に頑張ってきたのはお勉強だけではなく、昨年の宗谷(そうや)という名の友人や何隻もの潜水艦への事故対応に始まり、ある時は小松島の猛吹雪の中に、ある時は宮古島の真っ白な砂浜と海岸の緑の中に得てきた、他の命を救うべく奮闘したという明石なりの体験だってそこにはあった。その度に汗を掻き、寒さに挫けそうになり、憂う心に惑い、貧弱な知識で悩みながらもなんとか潜り抜けてきた彼女は、それなりと言えども全くの第三者には否定し尽くす事の出来ない自負と信念を備える様になったし、当人としてもそのつもりである。

 敷島の冷徹な声に一瞬だけ憤りにも似た感情を覚えて抗おうとするのも決して無理の無い事なのだが、対する敷島とて日露戦役を皮切りに伊達に40余年も修羅場を潜り抜けてきた経験の持ち主ではない。今から2年ほど前にようやく進水した明石に反し、敷島は硝煙と血の匂いに塗れる戦闘海域のど真ん中で、頭から敵味方問わぬはらわたと糞を被りながら生き残ってきた古参中の古参。血糊で滑る甲板を這いずり、顔に飛び散ってきた血肉を食いちぎり、眩いばかりの金色の髪と白い肌を鮮血で洗ってきたというその経験は、直の教え子の金剛ですらも覆す事のできない敷島の強靭さの根本なのである。

 明石が言い終えるや返された敷島の短い声にはそれが満ち満ちており、いつも同じような事を友人から言われたりしているにも関わらず明石は刹那、胆を鷲掴みされた様な感覚を覚えて身体と表情を強張らせた。


『・・・こんのバカタレがぁ。』

『ひぅ・・・!』


 強いカールを備えた前髪から見え隠れする鋭く尖った青い瞳は、今しがたの凄絶な一言と一緒になって明石の細い身体を突き刺す。甲板での初見以来何度も耳にしている筈なのに、いざ正面切って食らうとその重みと鋭利さは尋常では無く、元来が朝日(あさひ)と似た顔つきももはや明石の浮足立った心を撫でてはくれない。目を合わせるのも苦しくなるくらいの恐怖と衝撃で圧してきて、思わず膝元に落した視線を明石は上げる事が出来なかった。まして敷島に比べればまだまだちっぽけな自負と信念を盾に声を荒げたさっきの自分の事を思うと、あの神通や金剛ですら平伏する程の眼前の先輩をいよいよ怒らせた感も強い。もうちょっと冷静になればよかったとほんの数秒前の自分に後悔を覚えつつ、やがて明石はやや赤の色合いが薄まった唇の向こうからガチガチと歯を震わせる音を鳴らし始める。


 ど、どどど、ど〜しよお〜・・・。


 次第に歯どころか両肩もブルブルと震える中、そう胸の奥で呟く明石。もともとそんなに気が強い訳でもなければ度胸が有る訳でもない彼女は今にも泣きだしそうな顔となり、落した視線を左右に泳がせるばかり。

 やがて静かに吐息を整えて再び敷島が語りだしても尚、明石はしばらく顔を正面に掲げる事は出来なかった。


『明石よ。お前の艦首や艦尾についてる主砲や機銃の向く先に在る物はなんだ?』

『あう・・・、そ、その、ぅえ〜とぉ・・・。』


 たどたどしい声でぼんやりとした応答をし、戦慄に圧し掛かられながら敷島の極めて簡単な質問に対する答えを彼女は探す。自分の分身に備え付けられた銃砲は意識せずとも毎日目にしている代物で一見すれば正解は簡単だろうとも思えるが、理屈ではなく敷島が放つ迫力が満ちた雰囲気によってそんな単純な事を問い質されてるのではないのだと、なんとなく明石は思った。もっともそも実戦の場になんか赴いた事のない明石は、主砲や機銃の向く先なぞ何もない空か曳航標的である以外に目にした事は無い。もちろんいざ戦となれば飛行機や敵艦船を睨むのだろうと明石は思考のすそ野を広げ始めたが、敷島の言わんとしている事は彼女の考える事よりももっともっと本質的な所に焦点が当てられていた。

 そわそわとしながら無言の間をしばし守っていた明石に対し、やがて足を組み替えると同時にゆっくりと語られ始める敷島の言葉がそれを示していく。まだ恐怖にざわめきつつある心ながらも明石はそれに懸命に耳を傾けた。


『・・・かつて私の分身にあった多くの砲門が睨んだのは、誰かの父、誰かの兄弟、誰かの子、そして誰かの友だった。人間も艦魂も無い。違いは私には旭光の軍艦旗が有り、相手にはセントアンドリュークロスの軍艦旗が有っただけだ。』


 短く述べると敷島の語りは唐突とした感じで途絶え、深呼吸するような息遣いが聞こえて来た事もあって明石は恐る恐るといった感じで視線を上げていく。すると敷島はさっきまで鋭い眼光を輝かせていた瞳を細め、方向は大体合っていながらも焦点としては明石を捉えずにどこか遠くを見ているような目つきへと変わっていた。金髪碧眼という極めて彩り豊かな彼女の頭部だから明石はすぐにそれを察し、次いで自身を捉えていない敷島の青い瞳に何が映っているのかにも早速気付く。なぜならその目を彼女は師の朝日にも見た事があるからで、その際の話題も敷島が語ろうとしているであろう過去と全く同じである。


 日露戦争。

 そしてそこにあった数多の海戦。


 師や敷島らが経験した壮絶な1年の記憶が、今の敷島の瞳には蘇っているのだ。

 転じて言わずもがな、その時代を知らない明石に対して敷島が語ろうとしてしているのは、敷島個人というよりもその時代を経て生きてきた海軍艦艇の命達全てからの問いかけの様な物。人間に比べても決して楽をした訳ではない、船の命なりに目にしてきた現実その物であり、簡潔ながらも深く重い意味を感じると新米艦魂の明石なんかにはどだい答えれぬ様な代物であった。


『お前にとっての朝日はなんだ? 姉弟子に当たる長門(ながと)はなんだ? 同じ艦隊に属して友情を得た神通はなんだ? さっきも話したその人間の士官とやらはなんだ? 旗が違うだけのそれらを、富士(ふじ)先輩も、朝日も、そして私も、自らの手に血をしたたらせながらかつて奪ったんだ。旅順沖に、黄海や日本海のど真ん中でな。時代が変わって、私はこの通り佐世保の岸壁にしがみついている事しかできない老いぼれになり、その代わりに金剛や神通、そしてお前が生まれてきた。今度はお前達が奪う番になったのだ。』


 敷島の透き通った声により一層の鋭さが備わる。

 風に帆を膨らませて進んでいくかのようなゆっくりとした調べと相反するような響きで、怖いとも優しいとも判別できない独特の響きを持ち、ただでさえ回答を模索して惑い始める明石の胸の奥にさらにざわめきを与えてくる。大先輩の前で懸命に思考の回転を一杯まで上げている彼女にしたらちょっと迷惑にも思えるが、おぼろげながらも敷島が言わんとする事が見え始めてもいる明石はそんな事に気を取られはしなかった。


 もちろん明石はいま敷島が述べた様な壮絶な戦の場に行きたいとは思わないし、人間も艦魂も無く他の命を奪うという行動など一時だって願った事なんか無い。仲良しの神通の手ほどきでそのか細い身体を鍛えたり武技の初歩を学んだり、時には艦砲や魚雷の知識、戦闘中の個艦運動なんかのお勉強をしてきた事もあるが、その全てにおいて明石が精神的な根源としてきたのは、艦魂における医者としていかなる類別の艦であってもその命を救おうとする事である。戦闘艦艇の群れに紛れて生きなければならない帝国海軍の工作艦だから当然だし、ましてや自分と師匠の2人しか存在しない環境ではその決意は尚の事であった。

 だが同時にそんな自分も、仲間も、敬愛する師匠の朝日ですらも、一様にその身に帯びている物は、煙突にマスト、十六条旭日旗、そして大小様々な種類に及ぶ銃砲の類。確かに戦艦や巡洋艦とくらべたら明石の分身に備わる主砲はずっと小さいし、そも対艦用ですらもないのだが、その姿に敷島色とか明石色等という違いは無い。先の尖った堅鉄を後ろに詰めた火薬で瞬間的に加速させて飛ばすというしくみにもなんらの違いは無く、間違ってもその飛び出していった先に綺麗な光景なんか無い。敵艦敵機の全てに在るのは自分と同じ船の命、もしくは人の命なのであり、魚雷や爆弾なんかも含んで武装の性能とはそれをいかに効率良く殺傷できるかの一点のみを最先端技術でもって追求した物。その意味では確かに敷島は今から30数年前に殺傷する役目を負わされた船であり、一方の明石は制定から10年も経たない機銃と高角砲を装備している事でも示される通り、現代において殺傷の役目を負わされた船であった。


『わ、わたしの番・・・。』


 他ならぬ師匠と血筋を共にする大先輩の言葉だっただけに、明石の受けた衝撃は大きい。やや泳ぐような視線でもって無意識の内に彼女は自身の手を宙に掲げ、細く肌の艶も美しい自身の両のてのひらを見つめる。眼前の相手に比べて苦労も知らぬしわが無いその手で成そうとした軍医としての道は、帝国海軍艦艇という見えない鎖に繋がれて自由になる事は無いのかと思うと、かつて師も経験したらしい血肉に染まった手の様子がなんだか明石の目にはありありと蘇ってきた。

 もちろん恐ろしいという気持ちしかそこには湧いてこず、次第に明石の指先は定点に留まらず宙で震え始め行く。


 同じ十六条旭日旗を背負う艦を分身とするなら誰もが定められ、誰もが通らねばならぬ、そして誰もがそれを使命に生まれてきた、一切の情けも持たない殺戮の運命。


 まがりなりにも工作艦としての、軍医としての道に邁進してきた彼女にとって、他ならぬ自分にもそんな業が適用されるのが現実と知るのは、晴天の霹靂という言葉では表現できぬほどのショックだった。


 だが、明石の身体にはその内に左の肩より優しげな温もりがじわじわと広がり、まだまだ若い心を侵食していく己自身への恐怖を抑制し始める。まるで急上昇と急降下を繰り返すような変化に明石も気付いて目をやると、彼女の左肩には眼前より伸ばされる真っ白な肌に包まれる手が乗せられていた。


『フン。迷った・・・、いや、怖いと、なんて嫌な物なんだろうと尻込みしたな、明石よ。』

『あぅ・・・。あ、そ、そのぉ・・・。』


 本日敷島と会う中で幾度もある落差の大きい感情の間隙は、今度は衝撃と温もりという形で明石に混乱を与えてくる。飴と鞭とはちょっと違うが敷島の怖い人柄を意識すると、すぐ後には今の様になんとも優しげな笑みが必ず在り、顔立ちと共に人柄としての物静かさも手伝って師匠の笑顔とそっくりである。明石にとっては大いに慣れ親しんだ笑みであるのと同時に、それ故に先程までの戦慄との差がまたしても一際激しい物となってしまう。おかげでズバリ自分の思った率直な気持ちを敷島に述べられても彼女は相槌すらも返せずにオロオロするばかりだったが、彼女の師である朝日の心情すらも察する事の出来る大先輩にとっては、無言の中で若人の心や考えを把握するのは造作も無い事だった。

 小さく何度か頷きながら敷島は明石の肩に伸ばすのとは別な手で髪をかき上げつつ、まるでさっきまでの鋭利さが嘘だったかのような声色でもって明石の心を撫でてくれた。


『それで良いんだ、明石。何度も言ってるが、艦魂も人間も無い。殺す事に迷いや戸惑いを得るのは、それが極めて残酷で如何に卑劣な行為であるかを、お前の心、精神、魂が知っているからだ。そうでなければただの異常者だ。誇れる殺戮なんかこの世に在りはしないし、在ってはならない。だが悲しいかな、それは私やお前を含めた海軍艦艇の艦魂の事実であり現実でもある。時期を得て私達がやる事は、この世で最も最低にして醜悪な行為なんだという事をよく覚えておけ。工作艦という自分の身の上を大事にするのは結構だが、絶対に自分の本質を着飾る為に用いるな。それを知って初めて、戦という物がどんなに不条理で、どれほどまでに禁断な物なのかを知る事が出来る。さっき甲板で神通やチビ共にも言ったが、それが麻痺した奴は自分の周りの者から失っていくんだ。まるで道連れにするようにな。』


 柔らかな笑みで語る敷島には、どうやら若い明石に彼女なりに得た艦魂という存在の在り方を教えようとする腹積もりが有ったらしい。手を振り上げられた訳でも怒鳴られた訳でもないのにやたらと戦慄が走る声に明石もビクビク物だったが、それを経て声に詰まる彼女に対し、敷島は甲板上で直の教え子達にも語っていた一貫した戦に対する心構えにも結びつく答えを示してくれ、質素な部屋にそっと咲く小さな花の如き微笑で明石を見つめていた。そこには叱ろうとか、敵対しよう等という雰囲気は微塵も無く、明石の来訪を喜んでくれた優しい伯母の風体に完全に収まっている。

 同時に有った歓迎の気持ちも、やがて明石のオドオドする表情を横目にしつつ椅子の近くの小さなテーブルからやかんを手に取り、ポッケから取り出した真っ白な布巾で湯呑を拭きながらお茶の用意を始める敷島の姿で現されており、なんだか部屋の雰囲気における意味で台風が過ぎ去ったかのような感覚を明石は覚えるのだった。


 もっとも明石の気持ちはまだちょっと台風明けの青空、とまでにはなっていない。

 きっと一生懸命考えて自分に教えよう、伝えようとしてくれた敷島の語りに彼女は一切の偽りも誇張も無いだろうと思うのだが、そうなると余りにも衝撃的だった自分の潜在的な役目に理屈の面では抗えなくなってしまうのである。


 国家としての混沌の時に修羅の場へと赴き、旗の模様が違うというだけで自分達と変わらぬ誰かを殺さねばならない。


 まるで童話や昔話に出てくる鬼の如きそんな所業を明石は当然素直に受け入れる事はできず、ましてやそこに正義や理にかなうというお題目は一切無いという事も今しがた敷島は言ったばかりである。嫌な事でも何かの大義名分が有ればそれを盾に妥当性を見出してみせる事は、それこそ艦魂であろうが人間であろうが誰しも一度は経験する事もあるであろうに、ハナから全くの道理が無いのでは独り悪を尽くすだけの極めて不快な姿にしかならない。まるで血潮の旋風の中で狂喜乱舞する殺人鬼以外の何物でもなかった。

 そしてそれが自分も含めた海軍艦艇の命としての本質的な役目だと理解するのは、そも自分の分身を戦闘艦艇であると意識した事すら少ない明石にとっては天と地がひっくり返るくらいの規模のお話であった。


『わ、私も・・・、いつかやんなきゃ、いけない・・。この手で・・・。』


 ややハの字になり始めた眉をひそめながら、明石は自分の両手を見てそう呟く。

 男性の様に力強さを備える輪郭も無く、師匠の様なペンだことしわが見て取れる訳でもない細い自分の指を改めて目にすると、若さ、未熟さ、弱さといった言葉がついつい連想されてしまうが、今だけはさすがに彼女もそんな意識にすがりたい。どうせなら長くて鋭い爪でも生えてた方がまだ救いがあったとすらも思えてならず、次第にその顔、特に目の辺りには段々と湿り気が滲んでくる。

 するとその刹那、彼女の眼前でちょうど湯呑にやかんから茶を注ぎ始めていた敷島が、またしても明石の思考を無言のままに悟って声を上げる。しかしそこには明石の意識を強力に誘う語句が有り、思わず彼女は顔を上げて敷島の青い瞳と視線を交錯させた。


『その手・・・。相変わらず細くて長い指だ。日本生まれでは珍しいが、いかんせんマッチ棒みたいでいかんな。』

『え・・・? あ、相変わらず・・・?』


 声を返すような形で尋ねたその言葉は、本日が初対面である人物の口からは普通なら出てこない代物である。自分の手の特徴を捉えて何故にその語句を声に連ねたのかと至極当然の疑問を浮かべる明石に対し、微笑をそのままに敷島は湯呑を明石に差し出しながら、これまでの明石とのお話の根本に触れる驚くべき事を述べた。


『明石よ。今の話はな、かつてお前が私にそう言ったんだ。その細い指と非力な腕で、それでも渾身の力で私を殴りながらな。』

『へう・・・!? わ、わたしぃ・・・?』


 突如として過去に敷島が他ならぬ自分に殴られたと言われ、明石はビックリして奇妙な調べの声を放ってしまう。金剛や神通を組み伏せてしまう程の武技の腕前に加え、ついさっきも垣間見た様な特級のおっかなさを持っている敷島に立ち向かえる艦魂なんて見当もつかないし、本日初対面の明石にはもちろん全く身に覚えは無い。幾度も銃弾飛び交う実戦の海を潜り抜けた中で研ぎ澄ました根性も朝日以上に鋭そうで、とてもとても新米艦魂の彼女では実行できない仕業だ。

 おかげで明石は自分を殴ったと述べた敷島を前にして大いに焦りの色合いを表情に浮かべていくのだが、ふと当の敷島は鋭い瞳ながらも柔らかな笑みを崩していない事に気付く。会話している雰囲気と人柄を考えると嘘でその場を和ませようとしている風には見えず、眼前の慌て始めた若人を前にしてその内に静かにお茶を一口飲むという落ち着きぶりにも、殴られた事に起因する恨みつらみの類は見いだせない。

 故に敷島の一言を理解するのに大いに戸惑う明石は再び声を詰まらせかけた。


 しかしその時、明石はふと、以前にとある場所で敷島の同年代に当たる先輩とお話しした際の事を思い出す。

 確かに身に覚えのない敷島への鉄拳なれども、実は彼女は以前にそれを一度耳にした事が有った。自分と同じ名前の艦魂が、この敷島に握った拳を打ち込んだであろうと思われる過去をだ。




『あんたの先代は私ら巡洋艦の誇りだったなぁ。敷島さんと本気で殴り合いまでするようなトコもあって、仕えてた駆逐艦の子らからも特に信頼されてたよ。だからこそ朝日さんもあれだけ慕ってたんだろうね。』




 それは昨年の思い出にして、明石が経験した中でも帝国海軍中最大のイベントとなった観艦式の前日、常盤(ときわ)という名の大先輩が口にしていた台詞である。当時、本日の敷島と同じように初めて顔を合わせた明石を見るや、その顔立ちが先代と酷似している事からついつい昔話に花を咲かせて語ってくれた常盤。それによって明石も自身に繋がる先代の足跡に僅かばかりの親しみを持ち、意外にも思い立ったら殴り合いまでやっちゃうという一面を知ってなんだか興味深かった。大親友の神通と初めて出会った際、あの腕っぷしと度胸に怯みもせず殴りかかった自分を照らし合わせると尚の事だったからである。

 そして明石はすぐさま、敷島が言う明石という名の人物の正体を察した。

 敷島が言おうとする明石とは本日初めて目にした若輩の自分では無く、かつて敷島と同年代に生きたもう一人の明石艦の命。須磨(すま)型防護巡洋艦二番艦にして、まごう事無き艦魂としての自分の先代である、初代明石艦の艦魂の事を敷島は言っているのだった。


『そ、そっか。わ、私の先代・・・ですね?』

『うむ。私も長いこと艦の命として生きてきたつもりだが、こうも似ている奴がいるのは初めて見た。だがそうであって嬉しいよ、明石。この私に真正面から堂々と殴りかかってきたのは、金剛と出雲(いずも)、そしてお前の先代の三人だけだった。・・・あ〜、金剛というのは先代の方だ。いま甲板でギャーギャー吠えとるバカタレの方じゃない。』


 ようやく会話の焦点を探り出した明石に、青い瞳を細めて笑みを深くした敷島が応える。

 明石を始めとして現代の艦魂達からすこぶる恐れられる自分の人柄を彼女は十二分に承知しているようで、その上で対抗せんとする相手にはある程度の敬意と信頼を得る性分らしい。なんだか昔気質の武闘派な渡世人を思わせる感じも有るがそこに恨みや憎しみが無いのは、まさにそうやって拳を交えてきた三人の名前を出した際の敷島の表情ですぐに明石には解った。

 きっと懐かしい気持ちを込めてその名を声に変えたのだろうと思うと、これでとっても友情を大事にする敷島の一面が感じとれる。加えてふいに右手の人差し指を頭上に向けて言った最後の言葉は、彼女なりに用意したちょっとした笑う所だったらしい。

 真っ白なその人差し指に誘われるが如く灰色の天井を目にすると、そこからはなんとも熱血な指導が行われている事を確信させる声が遠目に響いてきている。次いで耳を澄まして甲板の光景を想像するや、思わず明石は綻んだ唇より小さく息を吹きだしてしまった。




『こんの、たわけがぁ! ヘバってチンタラ走っとる奴は気合が足らんのや、気合が! 吉法師(きっぽうじ)もワシもこん甲板の上で歯ぁ喰いしばって耐えに耐えたんや! なんぼ駆逐艦や新米や言うてもこん甲板の上やったら許されはせえへんで! もう走れん言いたい奴は何も言わんと、今すぐワシん前にきてその薄っぺらいケツ出さんかい! ワシがこん木刀で気合入れたるわ! オラァ、走らんかぁい!』


『わぁああぁーっ!』

『うわぁっ・・・! おい(あられ)、転ぶなぁ! 立てえ!』

『と、とまってんじゃねーっ! 早く走れ、バカヤロー!』



 姿は見ずとも容易に想像できる、極めて騒々しい敷島艦の最上甲板。

 木刀片手に追い掛け回す鬼を背後にこれ以上無いくらいの恐怖を覚えて全力疾走する少女達の足音がけたたましく響き、ただでさえ古さに傷んだ木の甲板はその足音をより一層倍加させて下層に当たる艦内へと響き渡らせる。その場に居なくて良かったと一安心すると共に、予想された通りの地獄に友人達が引きずり込まれてしまった事を明石は笑ってしまう。神通の師である金剛だって本気で憎い気持ちで木刀を振り回している訳ではないだろうし、今日も修行、明日も修行と己を鍛える毎日は彼女自身だって同じである。その際の教師が金剛という名の艦魂であった事は不幸と言えば不幸だったろうが、その先にて他の誰でもない、今追い掛け回されている少女達の将来を支える物となるのだと思うと可哀想だとはそんなに感じなかった。

 かつては親友の神通があの様に追い掛け回され、その師の金剛もまた相対する敷島によってこっ酷く尻を引っ叩かれながら駆け抜けたのであろう、その修練の道。


 時代が移り変わっても不動の在り方となっているそんな一幕は、過去より途絶える事のない一筋の流れに備わる素晴らしさを明石に意識させ、意図せずなんだか自身へと繋がる分身の名に温かい期待を湧かせてくれる。他人を殴るという行為自体はとても褒めれた物じゃないが、そんな所にも及んでいるという先代の血が彼女には正直なところではちょっとだけ嬉しい。

 そこで明石はようやく持ち直した笑みと心をそのままに敷島の出してくれたお茶を口にし、次いで敷島が秘めている先代のお話を聞かせてほしいとせがんだ。対して敷島も己の口から出した明石の先代の事は聞かれなくても教えてやろうという腹積もりだったようで、『そうかそうか。』と微笑の中に呟きながら明石の懇願に首肯し、今となっては戦慄を微塵も感じさせぬ声色でもって語り始めていく。





 それによるとやはり敷島と明石の先代による殴り合いは嘘偽り無い事実であったそうで、しかもそれはあの日露戦役たけなわの明治37年に起こった出来事だったらしい。


『いや。私もあの頃はまだまだ若かったのもあってか、血の気が多くてなぁ。今考えてみると、・・・我ながら恥ずかしい。』


 そう言って些かの自嘲を垣間見せている敷島。

 甲板で出会ってよりずっと柔道着姿であるのを見ると、年齢と共に落ち着いたと言いたげな彼女の言葉にはやや説得力が感じられなかったが、同調する様に明石もまた笑みを浮かべつつ、その胸の奥で師匠と初めて会った時の語り合いを思い出す。

 朝日はその際に明石の先代との良き関係を教えてくれるのに加え、日露戦役の初戦たるとある海戦に明石の先代が赴き、そこで得た事を仲間達に伝えるべく奮闘していたという過去を述べていた。同時にその奮闘は当時戦争が始まって鼻息を荒くしていた一部の艦魂達からは相当な顰蹙を買い、大いに訝られていたという実情もやんわりと愛弟子に教えてくれている。

 また語り始めた敷島の言からも、当時はまだ帝国海軍艦魂社会も現代とは違って日本生まれよりも外国生まれが多く、派閥と例える程に大層な規模ではなかったものの出自の違いによるグループが形成されやすかった当時の雰囲気が、容易に想像された。ましてや戦争という極限の緊張状態の真っただ中に飛び込んでいたのだから、安直にお互いの差異をもって違いを必要以上に意識してしまう事が多く、明石の先代に対する疎外は友人である神通の嫌われぶりよりも遥かに激しい物となっていたそうである。


 そして当時あったそんな明石の先代に対する疎外の圧力の急先鋒こそ、他の誰でもない明石の眼前にて優しげに微笑を浮かべている敷島なのであった。




『四戦隊の明石は阿呆か。私達よりも数が多い人間達でも、そんな事気にしているバカタレなんぞおらん。旅順沖で駆逐艦の奴らが死にもの狂いで戦っているという時に、こんなバカな記録なんかしてどうするというのだ。自分の生まれた国を守る気が無いのか、まったく。おい朝日、邪魔な上に時間の無駄だ。残りカスの茶葉でも包んで甲板から捨ててこい、そんな物。』


『し、敷島姉さん。で、でも・・・。』


三笠(みかさ)、富士先輩と八島先輩をお呼びしろ。それと初瀬(はつせ)は旅順沖の海図を持ってこい。イワン共は隙を見て港外に出てきては、付近で間者との連絡をとったりしてるらしい。東郷(とうごう)のジジイ共も封鎖をもっと固める腹積もりだから、今の内に一戦隊で整合をとるぞ。』




 ただでさえ戦争状態に陥った海に赴き、そもそもの性格も一般的な女性と比べて極めて重く堅い人柄であった敷島は、そんな風にして明石の先代の声には一切耳を傾けなかった。それ故に面と向かい合った際に大きな騒動を起こし、仲間や姉妹が止めようとする中で渾身の力で殴り合ったのがこの二人だった訳で、首肯しながら黙ってその話を聞く明石もようやく朝日が教えてくれた先代の過去を、次いでその過去を潜り抜けた末にこの老練な敷島をして大いに後悔を覚えたのだという事を知る。


『明石はな・・・。フン。あいつは戦の持つ不条理さ、理不尽さに誰よりも早く気付いた者の一人だったんだ。もっと早くあいつの言葉に耳を傾けていればな・・・。そうすればあの時に死ぬと解っていても私は、初瀬にもっと姉らしい事をしてやれたし、八島(やしま)先輩なんかとも色んな話ができただろうに・・・。』


 朝日よりも聞いていた日露戦役の話を改めて敷島の口から聞くと、戦勝国としての誉れも強い側面も有るあの戦争は、決して楽で平坦な時間のみが流れた訳ではない事を明石に強く意識させる。大小合わせて何隻もの艦艇が水漬く屍となったのは帝国海軍も例外ではなく、その中には横須賀で知己を得た富士の妹の八島、そしてこの敷島、朝日の実の妹であった初瀬も含まれており、40余年の生涯の中でも最も悲しい時間を過ごしたであろう事は想像に難くない。

 転じて先代の話をせがんだ事でそれを思い出させたのは明石にはちょっと悪いような気がし、甲板上で目にした姿からは思いもよらぬほどに寂しそうな表情となった敷島に声を詰まらせてしまう。

 ただ、敷島はゆっくりと目を閉じて小さな溜息を放って呼吸を整えると、やがて再び青い瞳を覗かせてその悲しみの時間の中に彼女達が見出した事、それが他ならぬ明石の先代に繋がっているという事を話し始めた。


『・・・あの頃の事は金剛や神通にも何度も聞かせてきた物だが、正直な所、アイツらが思っている以上にひどい戦だったよ。あの戦争はな。だが・・・、今更ながら一つだけマシだったと思えるのは、あの対馬沖での戦の前にようやく皆で気付き、明石が言わんとしていた生と死の在り方を拙いながらもなんとか見据えた上で臨めた事かもしれん。・・・戦なんだから誰かが死ぬのは当然、殺すのも当然なんて考えで割り切れる物じゃなかった。特に初瀬の死はな。一番自分に似た妹を失ってから私は気付いたんだが、まあ、私があのままなら朝日や三笠までも失っていただろう。それにこれは決して私だけじゃないぞ。出雲も富士先輩も浅間も、あの頃はみんなが明石の言葉に耳を塞ごうとしたんだ。しかしそれでも、多くの仲間から疎まれても、私に殴られても、絶対に声を押し殺さなかった明石に、私は今でも心の底から感謝している。決して人間達の記録には残らないだろうが、日本海海戦における帝国海軍の艦魂達の心と精神は全て、お前の先代、すなわち初代明石艦の艦魂が作ったきっかけによって形となった物なんだ。』

『ぜ、全部、私の先代が・・・?』


 それまでおぼろげながらに見ていた自分の先代の後ろ姿。

 以前から先輩方より聞かされていた所では性格や容姿は瓜二つだったそうで、自然と明石の脳裏に浮かべられるのは未だ新米艦魂として頑張る自分の姿以外には無い。お勉強も運動も武技もてんで満足な値にはなっておらず、見るもの聞くもの全てが教訓になってしまう自分を凄い奴だと思った事はない彼女だが、そのおかげで自身の先代に明石は尊敬とまで呼べるような感情をあんまり抱いた事は無かった。

 まだまだ未熟っぷりを日々痛感し、仲間内では最も知識の量が浅く、てんで英語の発音が身に付かなくて、テーブルマナーすらも覚えきれていないという自分が、今から30数年前に居たんだろうというくらいの認識である。全く嫌っている訳ではないが、師匠の朝日等に向ける程の敬いが生じないのがこれまでの先代に対する彼女の意識的な感覚。違うのは分身の艦影と生涯で積み重ねた年の功くらいだと思っていた。


 だが、事実はそうではない。

 戦争という国家としての危機と極限の緊張の坩堝に巻き込まれつつ、それでもそこに見た物、信じた物を懸命に皆に説こうとしたその姿勢は、他人に論戦を挑める程の知識とそれに伴う勇気がない現代の明石にはどだい無理な所業である。ましてやその相手が若りし頃とは言え自身の師匠クラスに当たる者達であった事を考えると、先代の備えていた勇敢さと極めて強固な信念が、今更ながらに明石には見あげるほどに高い所に在るのだと思えた。

 もっともそれによって先代と自分の間に大きな隔たりが在るのではなく、むしろ唯一現代においても繋がっているのだと敷島は諭す。明石の揺らぐような発言から間を置かずに敷島は口を開き、どこか撫でつける感じも思わせるゆっくりとした口調で続けた。


『良いか、明石よ。名前も容姿も、そしてその性格も。記録と記憶以外の全てを引き継いだのは、他の誰でも無いお前なんだ。それはあと5年も無いくらいの近い将来、必ず我らが帝国海軍の艦魂達の中で必要になってくる。』


 室内にただ一つある舷窓より差し込んでくる陽光を青い瞳に映しながら、敷島は心の中で先代の後ろ姿を捉えようとしている明石の顔を覗き込んで言う。間近に迫ったその顔はこれまで以上に師匠を思わせる特徴が至る所にあったが、それに明石が気付く前に敷島はスッと音も無く立ち上がって顔を背け、西に傾いた太陽が望める舷窓へと歩みを進めていく。色褪せた感のある身に着けた柔道着はいち早く陽光の朱色を取り込んで彼女の金髪と混じり、舷窓の真下へと位置するや鮮やかな輝きを敷島の身体に纏わせた。

 その美しい姿に誘われるように明石は視線を流し、今しがた教えてもらった先代と自分との繋がりがじきに必要になるという事態を問おうとする。全ての帝国海軍の艦の命達に対して成したという、今の自分には到底できそうも無い行動の根源を持てていると思うと悪い気はしないのだが、気がかりな事にそれが発揮されたのは、本日こうして大先輩に教えられて極めて恐ろしい物だと改めて思った、戦争の最中。この猛々しくも優しく、それでいて強い女性である敷島をしても、親しい者を失った程の惨劇の時間が今の自分に近づいていると思うと、明石は声を発せずにはいられなかった。


『あ、あの・・・、敷島、さん。そのぉ、せ、戦争になるかも知れないんですか? あと5年も無い、近いうちに・・・。』

『フン。明石よ。ぼんやりとだがお前自身、感づいている筈だ。お前の仲間の第二艦隊でも、この間、仏印方面に展開した者達が居ただろう? 特設艦船の連中が増えるという話に何故という観点でその裏を考えてみろ。この佐世保に来たのすらも、これまで無いような着上陸演習の末だという事を知っているだろう? 歯車は既に回っている。ロシアと国交を断絶する直前のあの頃と同じだ。私から見ればな。』

『・・・・・・!』


 思わず声を詰まらせて唇を噛み、明石はしばし見開いた目から瞬きを失ってしまう。

 朝日以上の年長者にして戦をよく知る敷島の言は、その全てが正鵠を得ていた。同期の仲間である利根(とね)飛龍(ひりゅう)らによる仏印での行動、長門より教えられて教官役になるだろうと淡い期待を湧かせた特設艦船の増勢、艦隊訓練の居残りに近い形で九州沿岸を駆けずり回った陸軍との共同演習。どれもこれもその裏に控える真相を拙い考察ながらも想像すると、帝国海軍による外国に対する軍事行動という結果に図らずも考えは行きついてしまう。もちろん自分達が分身に背負う軍艦旗が赴く先々で、すべての行動と思惑が思い描いた通りに進捗するなんて未熟者の明石ですらも考えられない。それに加えていつぞや知った工作艦としての明石艦の本当の役割、希に自身の分身の士官室や第二艦隊の艦魂達で打ち合わせを行う際にチラっと目にしたりもする新聞記事の事を思い返してみると、明石の思考には新米艦魂であってもとある国との戦を示す言葉が必ず浮かんでくる。


「対米戦」


 太平洋を挟んで位置する超巨大国家、アメリカ合衆国との戦争。艦の命の仲間達、そして艦隊司令長官なんかも含んだ人間の海軍軍人達が一様に主眼として備える事態ではあるが、裏を返せばそれだけ大きい脅威がそこには潜在している。戦闘艦艇ではない分身を持つ故に何がどう不利だとかは明石には解らないながらも、以前の勉強会で加賀(かが)が最も警戒せねばならぬ相手と断じていた相手は、今になって敷島に指摘された憂いを示すかの如く、確かにアメリカ海軍であった。

 転じてそんなアメリカとの戦争となった場合、一体どの様な時間を過ごさねばならないかという実例は、先刻眼前の敷島によって語られた内容で明石は知っている。旗が違うという単純な差異を口実にして誰かにゆかりを持つ者を奪う、または奪われるという戦争の醜い現実である。その餌食になるのは母と慕う朝日かも知れないし、姉と慕う長門かもしれないし、親友として友情を育んだ神通かもしれないし、それらとは全く違う色の心をただひたすらにこの一年近く傾け続けてきた相方、(ただし)なのかもしれない。


 考えたくない忌むべき、憎むべき戦。


 しかしそれが迫っているのが現実だという事を、明石は堪える気持ちを激しくして認める。きっとそんな戦の中を先代は必死に駆け抜けたのだろうという事を、今日敷島より教えてもらったからだ。


『私は・・・、それでも私は・・・、戦わなければいけないんですよね・・・? 皆や、神通や、昔の朝日さんや敷島さん、それに先代の様に・・・、殺すという手段に関わって・・・、使って・・・。』

『・・・・・・そうだ。だがそこにある重さと真の姿を見出せるのは、今の帝国海軍ではお前しかいない。朝日にだって不可能だろう。だから絶対に死ぬな。いや、絶対にすぐ死ぬような実力でいるな。生きて生きて生き抜いて、臨終の間際まで伝え続けるんだ、明石よ。決して怯まずこの私に真正面から挑み、人間達からも不死身とまで形容された事も有った、今から37年前のお前がそうであったように。』


 今一つこれが自分の成す事だと割り切れない事で明石の声の歯切れは悪かったが、おぼろげながらも胆に銘じようとするのは、敷島に説いてもらった海軍艦艇の命としての現実と宿命。明石の分身の艦首と艦尾に備えられた大砲はまぎれもなく自分以外の命に向けて死を運んでいく道具に過ぎず、それが例え自身の身を守るためであっても本質は決して変わらない。自分と同じく仲間を持ち、家族を持ち、特別な想いを注ぐ者も持つかもしれないという誰かから、その全てを奪うべく作られた剣であり、盾なんかではない。転じてその剣を帯びるという事は好むと好まざるとに関わらず、明石に自分以外の誰かの命をいずれ奪わせる事をあらゆる意味で約束させている。

 軍艦旗を背負う限りは絶対に逃れられないであろう。


 その事を震えも滲む心に言い聞かせると胸の奥が苦しい明石だったが、胸に当てた右手に拳を作って苦痛を真正面から受け止めようと念じる。今だけは他の誰よりも、それこそ親友の神通や師匠の朝日以上に戦に対する嫌悪感を抱いていると自負できると同時に、彼女はそんな苦しみの坩堝の中に真実を見つけたという先代の後ろ姿から目を逸らしたくは無かった。容姿も性格も極めて似たと伝えられるのなら、きっと今の自分と同じ苦しみを得て、且つその末にあの戦争を掻い潜ってみせたのだろうと深く実感できるからだった。


 晴れ晴れとした気持ちではなかったが明石はやがて顔を上げ、言い終えてじっと目を見つめてくる敷島にゆっくりと首を縦に振ってみせる。40余年の月日を過ごした後に本日こうして教えてくれた敷島の想いに応じ、それと一緒に敷島の口を伝って今より37年の昔に生きた、もう一人の明石という名の艦魂から送られた教訓をしかと受け取ったという重みを噛みしめながら、彼女はこれまでより僅かに改めた決心の意を声へと変えていった。


『・・・はい。とっても怖くて、想像するのもイヤですけど・・・、でも、でもそう感じる事の出来る所。そこを絶対に変えずに、見方を自分に合わせたりなんかせずに、今後は頑張っていきます。工作艦として、軍医として、そして海軍艦艇の命として・・・。 ・・・・・・あ、あれ?』


 刹那、明石は頬に妙な違和感を覚える。

 輪郭を伝って顎の方に向かっていく感覚は虫でも這っているかの様で、反射的に明石は両手を頬に当てて違和感の正体を探ろうとする。すると指先には湿り気と微量の水が付き、無意識の内に両目から止め処なく涙を溢れさせていた事に彼女は気付いた。

 だがしかし涙の根源となる感情の昂りを覚えていない明石は、何故に自身がこれ程までに泣いているのか理由がさっぱり解らず、とても大事な教えを授けてくれた大先輩を前にしている手前もあって大いに戸惑う。もちろんこれまでの語り合った内容とその末に出た答えは、明石としても両手を上げて歓迎できるとは言えない物だし、深く心に刻んだばかりの殺すという手段を自分も行使せねばならない事は、悲しいと言えば確かに悲しい。ただ、そんな悲しいの一言で終わらなかったという先代の話はとても勉強になったし、新米ながらも培ってきた決心をより一層堅く、そして正しい方向に改めれたきっかけでもあるから、涙を流す程に感情を下降させたつもりは彼女には無かった。


『な、なんだろ? あ、すいません敷島さん。な、なんか急に涙が出ちゃって。おかしいなぁ。』


 笑っている訳でもなければ嬉し泣きですらもない正体不明の涙を袖で拭いながら、なんだか話の腰を折ってしまって悪いような気がした明石は敷島に視線を流して軽く謝る。とりたてて今は敷島の人柄と風貌が持つおっかなさを意識する事も無く、自分でも何で泣いているのか見当が付かない明石はちょっと困ってしまい、誤魔化そうという気こそないが沈黙の間隙を繕おうとやや引きつる様な笑みを浮かべた。

 対してそんな明石の前で未だ舷窓からの陽光を背より浴びている敷島は、少し見開いた碧眼に陽光の残余を取り込みながら一瞬だけ驚きの表情を浮かべ、同じく急に涙した明石に無言のままで疑問を抱くのだが、どうやら彼女は当人に先だってその答えを察したらしい。再び唇の端を吊り上げて微笑を作るや、その顔を明石とは真逆の位置にある光で満ちた舷窓へと向けて小さく呟くのだった。


『・・・あの時耳を貸さず、老いぼれになった末にようやく悟れた程度の私に、そんな私に・・・、君は喜んでくれるのか。明石よ・・・。』

『え? い、いま呼びましたぁ・・・?』


 明石はどうにも止まない涙を拭うのに意識が傾き、背を向けたまま舷窓の向こうへと放った敷島の声を聞き逃してしまう。それでも自身の名前が織り込まれていた事に気付いて確かめようとする彼女に、敷島は僅かに横顔を覗かせて口元を吊り上げる。青い瞳に陽光を映し、日本人には持ちえない独特の輝きも手伝ってその表情はとても綺麗であり、思わず明石も涙を拭く手を止めて見惚れてしまう。

 もっともその笑みは自身への嘲笑だった様で、再び舷窓へと顔を戻した敷島からはなにやら自嘲する声が響いてきた。


『これは私の見落としだったな。どうやら心はしっかと受け継いだ・・・、いや、今も生きているのだな。お前の心の中に、魂の中に・・・。』


 なにがしか先代の面影をもう一つ自分に見つけてくれたらしい敷島。

 形や言葉で表すには難しいそれをどう喜べばいいか明石はちょっと戸惑うも、噛みしめる様に何度も頷く眼前の敷島の姿が、素直に喜んで良い物なんだと無言で明石に教えてくれる。どうも今しがたの若人への発見は相当に嬉しい様で、敷島は一度明石のはにかむような笑みに視線を流した直後、いきなり背を僅かに反らし、大口を開けた顔を天井に向けて高笑いし始めた。


『フハハハ! いやあ、良い国に嫁入りしたものだ。』


 怒りっぽく怖そうな点が非常に顕著な人柄なるも、それでいて実は結構静かな物言いが特徴だった敷島。甲板で会った時も大声を上げる姿は無く、突如として声量を上げた彼女に明石は少しだけ驚くが、やがて部屋の中を歩き始めて明石の肩をポンと叩いていく敷島には嬉々とした表情の他は認められる物が無かった。

 そして当の敷島は明石の横を通り過ぎると、部屋の隅にて床に敷かれている筵に足を運んでその上に正座する。

 細身の彼女が座してちょうど良いくらいの小ささで、真っ白な数枚の和紙と筆に硯が揃っている所を見るに、そこは書道をやる為の場所らしい事を明石は察した。高笑いの後は今度は一体何をやるんだろうと興味津々で目を見張る明石の前で、敷島は嬉々としたその心、次いでそれを得れた本日を示す良き言葉を表そうと、次の四字を流れる様な筆さばきで紙上に記すのだった。


「転生輪廻」

 読者皆様、更新遅くなり申し訳ない限りです。

 今回は


・拙作の艦魂の設定

・作中に一貫して織り込みたい所


 以上の二点をどうしても組み合わせたい意思があった手前、リテイクが重なりました。次回より通常ペースの更新としたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。


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