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第一三四話 「from 37 years ago/其の一」

 昭和16年4月5日。

 春の暖かな陽光を注ぎ続けるお天道様がちょうど南の空に輝く頃、明石(あかし)艦の麗らかな潮風に撫でられる軍艦旗は、佐世保湾北の最奥部に位置する佐世保海軍工廠の繋船池の中にあった。

 艦隊訓練も終わって籍を置く艦艇が一斉に戻って来ている佐世保軍港は大賑わいの状態で、さながら盆正月を迎えて家族が全国より帰ってきたどこぞの実家の様。巨大な戦艦、航空母艦はもちろん、駆逐艦や潜水艦も工廠前の入り江を圧する程の数が集結しており、その合間の波間を通る工廠の雑役船舶は長い時間真っ直ぐな針路を取れないくらいである。雑役船舶を操る艇員さんは若干の汗を浮かべながら舵を取っており、その他の操舵に当たらない艇員さんは艇の端に陣取って周りの危険を察知するべく目を凝らしている程だ。

 山桜のピンク色と萌ゆる緑に染まる佐世保の波間は色鮮やかの一言であったが、こんな風に羽を休める多数の艦艇のお世話で超が付くほどに多忙である。その上で佐世保海軍工廠では既存艦への改修工事や新造艦の建造工事に追われているからお勤めの方々の過密業務ぶりは尋常ではなく、「月月火水木金金」と歌われる各艦の乗組員らも今だけは傍から見ると余裕有る日々を送っている様に見えるだろう。


 その一方、艦の命達はようやく艦隊訓練も一段落し、その分身も我が家たる所属鎮守府へと戻って来たという事もあって、彼女たちなりのお仕事とは距離を離した時間を過ごしている。明石や神通(じんつう)が都度送っている様な呉軍港での日々と同じく、この佐世保にも先輩後輩、姉妹、もしくは師弟なんかの仲を結ぶ者達が当然存在し、それぞれが親交をより深くする機会をあちこちの艦上にて花咲かせていた。


 その意味では計画上は未だ上陸演習中である明石艦と二水戦の各艦は完全な外来者で、艦魂達の中での事とは言え今の佐世保海軍工廠の中では少々肩身が狭い立場である。

 繋船池を囲う桟橋に繋がれた明石艦の上甲板で明石は周りを見てみると、そこかしこの艦上では久々の再会を得て笑顔での会話に夢中になっている者達ばかりで、明石も知る加賀(かが)などの第二艦隊の仲間を目にしても訪ねていくのがなんだか邪魔するようで悪いような気がしてくる。だから明石はしばしの間その場を動かず、挨拶回りに代わって自らの生まれ故郷たるこの佐世保軍港の風景をゆっくりと拝見する事にした。


『う〜〜ん。そういえばあの丘、なんだか見覚えがある様な気がするぅ。たしかあの方向の岸には集落が有ったと思うんだけど・・・。ぬ〜〜、こんだけお船がいっぱいだと見えないかぁ。』


 今現在明石艦が繋がれる桟橋より西方に位置する工廠の中枢区画。

 そこには船台や船渠がいくつも並んでいて、整備補修や改装作業、もしくは鋭意建造中の艦艇がまさに軒を連ねる如き形で工事を施されているのだが、そんな中にあるとある船台こそ明石の分身が建造された船台である。艦の命である彼女にしたらまさしく生を受けた現場であり、生れ落ちて最初に得たベッドと形容しても差し支えない程に思える代物だ。もっとも色々と彼女の個人の想いが巡るのを他所にその船台上では早くも新造艦艇の艦体が設置されていて、自分にとっての特別な場所が既に他の者に占有されてしまっている事への暗い気持ちと、まだまだ新米である自分の下に当たる者がまた一人生まれようとしている事に湧く嬉しい気持ちが混ざってなんだか落ち着かない。

 ましてこの佐世保で進水、艤装を施した後、公試を終えて呉鎮守府に回航されている最中に自我を得た彼女は、実の所佐世保の湾に自身の分身が浮かんでいた際の記憶は殆ど無く、周囲の風景を目にしても口から出てくる言葉は先程の物の様に非常に抽象的で不確定な内容ばかり。それ故に自分が生を受けた船台を目にしてもそこに湧く気持ちを説明する理屈という物が備わっておらず、うまく纏めれない心の揺らぎに彼女はちょっとまどろっこしさを覚えた。


 そんな事から10分程も経った頃に明石は風景観賞を切り上げ、どこか挨拶回りに行けそうな艦が無いかと甲板から湾内のアチコチを一瞥する。




 すると明石はここで自身の分身からもほど近い繋船池付近の甲板に、なんだか見覚えの有る艦影を持つ船を一隻発見した。


『ぬお? あれ、朝日(あさひ)さん?』


 思わず呟いたのは、常に自身の道を諭してくれる尊敬する師匠の名前。

 生誕から40余年も経た艦体を分身とする師匠は言わずもがな明石の大先輩で、元々は押しも押されぬ大戦艦であったその経歴は工作艦となった今でも師の分身に垣間見る事ができる。ズングリと幅広で艦首と艦尾の上甲板に主砲塔を撤去したが故の大きな平面を持ち、煙突を挟んで前後に位置する対称的な長さの直立マストは天を衝く勢いも感じれる程に高く、それでいて上甲板に設置された上部構造物には明石を含めた近代海軍艦艇では必ず有る櫓楼が全く無い。明治生まれの古めかしいスタイルのお船であるから当然なのだが、本日明石が佐世保にて目にした艦はなんとそんな師匠の分身とうり二つだった。

 ただ、やや混乱も薄らと被る思考をそのままによく目を凝らすと、その艦は朝日の分身とは別物であるという事を段々と明石は理解していく。今からおよそ4年前に外装だけに及ばぬ大改装を受けた朝日艦は、その大きな艦影に比して持ってる煙突は一本のみ。それはちょうど船体の中央に位置しており、艦首か艦尾のどちらかに寄る事が多い海軍艦艇にあっては極めて珍しい姿であるが、明石が目に映す艦影は直立型の煙突が縦に三本も連なっていて朝日艦とは明確に違う。加えて過去に主砲塔が備わっていたであろう艦首の艦橋真下の甲板には、小屋と言うにはやや大きい家屋状の建物が据えつけられ、世にもけったいなシルエットを持つ艦艇であった。


 おかげで帝国海軍最新鋭の艦を分身とする、もとい艦魂としては完全な現代っ子である明石の目にはいやに目立って映る艦だったが、多くの不思議を抱く前に彼女の脳裏にはそんな眼前の艦の正体が既に検索されていた。


『うわ・・・! こ、これは挨拶の順番なんて言ってられないや!』


 やや焦った様な表情を浮かべてそう言った後、大急ぎで軍帽を被りながら明石は淡く白い光を伴って自身の甲板を後にする。もちろん行先はそのけったいな姿の艦だった。







隧道(トンネル)つきて(あら)はるる

横須賀港の深みどり

潮に浮ぶ城郭は

名も香しき敷島(しきしま)




 世界的にも有名なマーチに歌われるその名は、今日も艦尾のスタンウォークにて些かくすんだいぶし銀の輝きを放っている。穏やかな春の潮風によって艦尾に翻る軍艦旗も力無くしだれ、繋留されたまま海兵団の練習艦という使われ方をしている故に乗組員の姿なんか殆ど無い本艦。海兵団による教育が無い本日などは、甲板に居る人間よりもマストにて羽を休めるカモメの姿の方が多いと言っても過言ではなく、艦隊訓練も終わってのんびり教養をとる者が多い軍港内にあっては閑散とした空気がその甲板に漂う。


 しかしそれは人間だけのお話だ。

 なぜならこの敷島艦の命は現代の帝国海軍艦魂社会でも一、二位を争うほどに教育者としての名を轟かせている人物だからで、年長者という面でもその存在感は事の他大きい。

 明石や長門(ながと)が弟子入りした朝日、弟子さんの数が非常に多い磐手(いわて)八雲(やくも)吾妻(あづま)浅間(あさま)、そして未だ現役で励む常盤(ときわ)出雲(いずも)など、日露戦役で名を馳せた後に現代では大御所と目される艦魂達を、この敷島は頭ごなしに叱ってみせる事の出来る数少ない人物である。明石も含めて今では知らぬ者も居るが、かつてはあの日本海海戦の際に帝国海軍の全艦隊を率いて勝利を得た三笠(みかさ)ですら、敷島の怒号と眼光の前には震え上がった程で、唯一肩を並べて話をできるのは横須賀にて同じく定繋されたままに海兵団の練習艦とされている富士(ふじ)くらいだった。まさに現代の帝国海軍艦魂社会では最長老、生き字引の筆頭とされているのであり、大きな尊崇と人望を集めるのも当然と言えば当然。現連合艦隊旗艦の長門だって、この人には頭が上がらない。


 だから明石が敷島艦の甲板へと来訪した際、艦尾の甲板に人間には聞こえぬ声での喧噪が有るのも別段変な事では無い。いわゆる黄色い歓声とも言える若々しい声がそこには折り重なっていたが、きっと自分よりも先に挨拶に来たどこぞの駆逐隊、潜水隊とかの者がいるのだろうと思い、一度軍帽を被りなおして身なりを正した明石はさっそく俄かに賑やかになっている敷島艦の艦尾甲板へと向かって歩を進めた。


 ところが砲郭の中を通って艦尾甲板へと続く入口を抜けた直後、明石の表情は驚きを小さく得て少し固まる。そこには水兵さんの軍装で身を包んだ少女達が十数人程も集まっていて、明石の予想通りどこぞの駆逐隊の艦魂達が揃って来訪していた様であったが、彼女達の顔には全て見覚えがある。帝国海軍に有る数多くの駆逐隊の中、目に入れた瞬間に気付ける程に彼女が見慣れている駆逐隊は、他のどこでも無い第二水雷戦隊の駆逐隊の他は無い。佐世保に入港したついさっきまで護衛してくれていた大潮(おおしお)朝潮(あさしお)は勿論、明石とは極めて仲の良い(あられ)(かすみ)雪風(ゆきかぜ)なんかもそこには居て、まるで艦隊訓練の間はほぼ毎日と言えるくらい神通艦の甲板で見れた私立神通学校の授業の場に来た様である。


『およ? みんなここにいたんだ?』


 ちょうど艦尾甲板に出た辺りで一番近い所に居た霞と雪風、霰の傍に行き、偶然にも目にした仲良し達に明石は話しかけた。気の良い3人は振り返るとすぐに笑みを浮かべて明石を歓迎してくれたが、その笑みにはやや引きつった感が一様に見て取れる。日に焼けた様な麻色の肌に丸い目を輝かせる霞も然り、波打ったクセ毛の前髪より大きな釣り目を覗かせる雪風も然り、長めのおかっぱ頭に独特の京訛りで声を放つ霰も然りで、何かちょっと恐ろしい物でも目にしたのか声も若干震え気味だった。


『あ、明石さん。明石さんも、あ、挨拶ですか?』

『うん。敷島さんは朝日さんのお姉さんだから、前から会いたいって思ってたんだ。みんなも?』


『ウ、ウチ達は戦隊長に連れられて来はったんどす。敷島さんは、こ、金剛少将の先生やから、挨拶がてら顔見せに行こかぁ言われはって。』

『そ、そッス。戦隊長も昔から世話になってるらしーんで、戦隊のみんなで、き、来たんスけど・・・。』


 3人揃って小さな身の丈の彼女達に順番に顔を向けつつ、なんだかよく解らないそれぞれの表情に明石は理解が及ばない。一応は彼女達の声に応じて首を縦に振ったりしてみせつつも、次いでそんな友人らがここに居る理由を彼女達のただ一人の上司、神通にあるのだと明石は察した。以前にも聞いた事はあったが、親友の神通は艦魂社会の例に漏れず金剛という名のお師匠様を得ており、さらにその金剛のお師匠様がこの敷島艦の艦魂であった。神通と金剛は明石も知る顔であるがその性格は大変な問題児である事に変わりは無く、短気、乱暴という二つの側面が傑出し過ぎて女性ながら男勝りという形容ではきかない程の荒くれ者であるのは誰もが知る所である。帝国海軍の人間達の中に有る人柄を大別する言葉で「ドカタ」という物があるが二人はその典型で、敷島は言わば帝国海軍艦魂社会におけるドカタと呼ばれる人柄の始祖とも位置づけられる人物に当たり、艦隊訓練前に明石もそのおっかない人柄を実の妹である朝日より聞かされていた。

 そんな敷島に彼女達が既に会った故なのかと、明石は霞達の小さな慄きの原因をなんとなく予想するのだが、事実はそんな程度ではなかった。


『ぐ、ぐああぁあ・・・!』


 突然に敷島艦の甲板上には明石や周りの少女達の物とは違う叫び声が響き、それに続いて甲板を打つ事で発せられる大きな衝撃音が放たれる。同時に敷島艦全体には二水戦の少女達の大きなどよめきが木霊し、工廠の船渠や船台、起重機が有る区画よりなり続ける何重もの機械音が一瞬途切れてしまう程であった。そして明石のすぐ傍に居た霞らも先程聞こえた苦しそうな叫びに一瞬肩を大きく震わせて生唾を飲み込むと、一様に背後の明石から視線を前方へと流してそれぞれが首筋に浮かべていた冷や汗の量を多くする。

 何事かと明石は思ってすぐに霞達の視線を追う様に顔を向けた。小さな身の丈の友人らに比べて割と長身な体躯を持つ故に、10数人もの人数が集まる中で明石の視線はその向こうを望むのに際して支障は抱かなかったが、そこにはかつて見た事も無いような光景が広がっていた。


 まず目に飛び込んできたのは、敷島艦の艦尾甲板中央に位置する辺りに敷かれた何枚かのマット。畳より少し厚いながらも布団の様な柔らかさは感じない麻の生地の上に、柔道着を身に着けた人物が横たわっている。やや捩じりながら背後を交差してマットとは逆の真上へと向かう片腕を見るに、どうやら先程の衝撃と絶叫はこの人物が激しく甲板に投げつけられて生まれた様なのだが、汗で湿って一際鋭くなる毛先も不揃いな前髪の隙間より覗いたその顔に、明石はビックリ仰天した。いつものどこか不機嫌そうな表情を苦悶に歪め、唇の隙間より覗かせた力む歯と刃の如き鋭い目に普段の尊大さが微塵も感じられない様子となっているのは、なんとなんと明石の親友である神通であったのだ。


『え、えええっ! じ、じんつぅ・・・!』


 思わず飛び出る明石の絶叫も、この佐世保へとやってきて見られるとは予想だにしなかった神通の制圧される姿に最後まで続かず途切れる。

 いつもの二水戦での絶対的な上司像もさる事ながら、柔道を始めとする武技の腕前は現代の帝国海軍の艦魂達の中でも相当な猛者に当たる彼女。持ち前の超が付くほどに短気な性格と強面の風貌、そしてその分身の排水量をそのままにでも勘定できるであろう度胸を武器に、部下達の教育や躾はおろか上司や先輩にだって食って掛かる事も日常茶飯事であった事は、明石を含めた第二艦隊の艦魂達では周知の事。誰にも媚びず誰にも負けず、誰にも遠慮せず誰にも屈しないというその姿は、時におおいに問題児としての側面を強く残してきたものの、決して乱れぬ不動の信念、人柄に備わる精強さの権化として誰もが認めてきた物でもある。霞や雪風のようなやんちゃ極まりない部下は元より、明石だって正面切っての殴り合いをした事はあってもそんな神通の強く猛々しい所は、ちょっとした尊敬すらも意識できるくらいに立派に見えていた。


 まるで洋画の女優さんの如きスラリと長身なその身体に、不敵にして絶対に負けの二文字を纏わせないという、気高く猛き女性。


 そんな神通を二年程も間近にしてきた明石にとって、こうもまた苦痛を塗布された友人の姿は極めて衝撃的な光景である。それに伴って明石の心の隅では良い所も悪い所も含んで成り立つ堅牢な神通の人物像が土台から揺らぎ始めており、驚愕の表情を浮かべたまましばし思考と四肢に硬直を得てしまう程であった。


 ところが彼女の視界に収まり続ける神通の姿は、数秒後にはなんと別の者の顔で遮られる。再び甲板上に誰かの絶叫が響くや否や、神通とは別の人物が彼女のすぐ近くに投げ落とされたらしく、まるで大波を真横から被った時の衝撃を思わせる音が轟く。


『のわああ・・・! ぐへぇっ・・・!』


 神通のすぐ傍に倒れた人物は同様に柔道着を身に着け、倒れる様子も同じなら片腕を捩じり上げられて組み伏せられるという構図も全く同じ。しかし身体つきは170センチ少しと女性ながら長身である神通よりもまだ大きく、春の陽光を受けて綺麗に輝く長めの金髪は明らかに日本人の物ではなかった。同時に神通の悶える様子に続くそれは明石の驚きによって停滞する思考に更なる障害を与え、一体この敷島艦上にて何が起こっているのかを完全に把握できなくなってしまう。疑問を抱いた時によくする首を捻る仕草すらも、今の彼女には出てこないくらいだった。

 だが不意に耳に入ってきた二水戦の少女達による戦慄に染まった声を耳にして、彼女の思考は緩やかに回転を再開し、そして未だくすぶる驚愕をより一層深い代物とする事になる。

 なぜなら神通に続いてマット状に組み伏せられた者もまた、明石にとっては顔見知りにして、その身体つきに劣らぬ精強さを普段から皆に尊崇されている艦魂だったからである。


『し、信じらんない・・・! 2対1でこれって、じょ、冗談だろ・・・!?』

『お、おい、マジかよぉ・・・!? こ、金剛少将までやられちまったぞ・・・!』

『ウソだろぉ・・・! せ、戦隊長と二人がかりだったのに・・・!』

『あ、あはは・・・。さ、さすが戦隊長と金剛さんを教えはっただけあるわぁ・・・。え、ええ、エラいお人がいたもんやなぁ・・・。』


 なんと驚いた事か、神通の真横にて同じような這いつくばる格好となったのは、神通の師にして極めて気性が荒い事で有名な、あの金剛であった。

 180センチ半ばと非常に大柄で英国生まれの完全な西洋人の容姿を持つ彼女は、奥まった目と高い鼻、そして広い肩幅にスラリと長い手足等、独特の体型や顔立ちが神通の横に並ぶ事で一際際立ち、それを目に映す者に自身が何者であるかを意図せず示している様な物だった。加えて切らす吐息を混ぜつつも独特の関西訛りの荒い声を放てば、おそらく一度、二度くらいしか会った事が無い人でもその正体は察する事ができるだろう。無論、明石もまたその一人で、すぐ傍で震え上がる霞や雪風らの声を聞いた事もあり、師弟揃って何者かに柔道で挑戦した末にマットの上に転がる、という今の構図をようやく把握する。


『うぐぅ・・・! く、くそ! 吉法師(きっぽうじ)! わ、ワレ、手ぇ抜いとるんとちゃうんか、コラぁ・・・!』


 無様に組み敷かれながら放つその声には彼女だけが用いる愛弟子への呼称が含まれ、どうやら彼女は正真正銘の金剛艦の命であるらしい事を明石は確信するも、体躯に見合ったその怪力は明石も初めて会った際にベッドの上へと片手で放り投げられた事で知っている。現在の帝国海軍の艦魂の中でも随一の体格壮健、度胸満点の力自慢、喧嘩自慢として知られる金剛は、鬼教官という概念を具現化したような人柄を持つ超一流の猛者であり、普段から雪風や霞をぶっ叩いて鍛えている神通ですら、この金剛には手も足も出ないと恐れている人物である。人間達が用いる「鬼の金剛」、または「蛇の金剛」という恐怖に染まったあだ名もそのままに、前線部隊配備とされている艦艇の命達にとっては心底おっかなさと強靭さを意識として纏われた女性である筈だった。


 しかしそんな金剛、そして金剛が手塩にかけて育て、彼女の教え子たちの中でも最優秀の成績を収めたという神通が揃って投げ飛ばされているというのだから、明石や二水戦の少女達が絶句したまま顎を外したかのように開口し続けているのも無理は無い。明石らは完全に呆気にとられ、口内に湧く生唾を飲むのも忘れてしまう程だった。


『・・・情けない。キサマら、外戦部隊配属でとっくに引退した私に負けるとはどういう了見だ。ああ?』


 するとマットに突っ伏す金剛、神通の頭上より、二人の物とは違う調べを持つ声が静かに、だが確かな鋭さを失わずに放たれてくる。明石にとっては初めて耳にした声で、その深く響きの良い声色に意識を誘われてマットの知人らから視線をゆっくりと上げていった。

 すると互いに捩じり上げられた片腕に這わせるように2本の足がそこには立っており、これまた柔道着を纏っている点を見るに神通と金剛はこの人物によって投げ飛ばされたらしい事が解る。背はそれほど大きくない様で明石の目線が水平となる頃にはその顔が視界に収まったが、そこに有る足元に向けた鋭い碧眼、非常に強いカールを備えた金髪、金剛と同じく西洋人女性のつくりながらも幾分見覚えの有る顔立ちに、明石は思わず小さな声でぼそりと呟いた。


『あ、朝日、さん・・・?』


 頭部に見られる容姿の特徴が極めて酷似したのは、明石が日頃より敬う師匠の姿。時に見せる険しい表情の朝日とうり二つの顔がそこには有り、明石は一瞬師匠が眼前に居る様な感じさえも抱く。

 もっともそれは意識の上での瞬間的な錯覚であったようで、やがて緩い潮風が甲板を流れ、それに伴って眼前の人物の前髪を揺らす事でその顔をより鮮明に明石は目にする事ができ、非常に背格好が似た別人である事をすぐに察した。

 よく見れば身体のラインは見慣れた朝日よりもどこか細くて堅い様な感じを纏い、ひし形の青い目は朝日のそれよりも角ばった感じが強い。髪質も特徴としては似ているが、紅茶を思わせる独特の琥珀色ではなくやや黒みがかったブロンドであり、しかも髪の長さは頬を隠すか隠さないかくらいの短さ。肩を覆うくらいに伸ばしている師匠よりは断然に短かく、落ち着いてゆっくり視線を這わせるとそこそこに差異が存在する。

 そして何より、足元にて弟子に文句をつける金剛の顔を横から緩く踏んづけるという大胆な行動と、それに伴って唇から洩れてくる声と言葉使いが、彼女が朝日とは違う者であるという事を明石に教えてくれた。


『ぐ、ぐあぁ・・・!』

『バカタレがぁ。本来ならキサマ一人で挑んででも私を倒す物だ。もう40も過ぎた艦魂に勝てんなぞ、もし三笠にでも聞かれてたら懲罰物だぞ。ガキの頃はもう忘れたか?』


 神通、金剛という親分肌の艦魂をコテンパンにし、こうまでも不敵にして遠慮の無い物言いを浴びせるというのは、現代の帝国海軍艦魂社会の一員では極めて珍しい。否、唯一である。それどころか今では横須賀にて記念艦となり、現代の帝国海軍の艦魂達にとっては由緒ある神社や寺院にも等しい感覚で見られる艦の名すら、尊称も無くいたって普通に言葉に織り込んでしまう所に、明石はようやくその正体をハッキリと認識する。




 まさに明石がいるこの艦の主にして、以前より一度挨拶しておこうとビビりつつも決めていた艦魂。

 生誕から40余年を経て尚、弟子達と1対2の柔道を行ってどちらも組み伏せてしまうという、衰えを感じさせない眼前の女性こそ、元帝国海軍一等戦艦、敷島艦の艦魂、敷島その人であった。




 しかしながら老いという物が有る艦魂社会の中にあって、一線配備の者達を相手に平気で勝ってしまう辺りは、もう既に「元気」とか「健康」等と言ったレベルではない。

 30代半ばの女性の顔立ちを備える金剛よりは確実に老けている筈の敷島。朝日よりはちょっと若さが肌を染めている様に明石には見えるも、それが運動、ましてや武技教練の実力に出るとはその場にいる者達にとっても完全に予想外の事である。

 それはそんな敷島の愛弟子である金剛にとっても同様で、未だ腕を捻り上げられて上体を起こす事も出来ず、恐るべき師の踵に頬を圧されて自由に口を動かす事もできないまま、苦痛に悶える小さな声で心の奥底より湧く脅威に驚きの言葉を述べるのであった。


『な・・・、なに、食うとん、のや・・・、このオバハン・・・!』

『フン。』




 「上には上がいる」という言葉は人間も艦魂も無くあちこちで垣間見る事が出来る物ながら、金剛にあってはまさか20年ほども昔に遡る自身の師弟関係にてこれを見るとは夢にも思わなかったであろう。その横で突っ伏す神通としても当に戦闘艦艇としての現役を終えた艦の命に負けるとは意外中の意外で、いつも尊大に振る舞う部下らの前で久々に格好悪い所を見せる事になってしまい、やがて解放されて立ち上がってもその表情は晴れには中々なれない。

 帝国海軍の艦魂達の中でも鬼と形容される事を自他共に認め、それに違わぬ人柄で上官と喧嘩する事も日常茶飯事なこの二人であったが、彼女達にとって不幸だったのは本日柔道の相手とした敷島は、帝国海軍、否、この地球上に数多生きる艦魂という存在の中でも3本の指に入ると言っても過言では無い程に、それはそれは喧嘩が強いお人であるという事だった。




『ム?』


 柔道の試合を終えるや不甲斐ない教え子達に正座させての訓示を与え、次いで罰直の腕立て伏せを命じた敷島が、突如として短い声を放って突然二水戦の少女達の方へと視線を流してきたのは、神通と金剛らが華麗にノックアウトされてから数分程経った頃である。

 一様に戦慄に陥っていた少女らは生涯で初めてこれほどまでにおっかない視線に突き刺された事はないであろう故に、敷島の青い瞳を認めるや一斉に身体を硬直させてしまい、中にはブルブルと肩を震わせる者もでてくる始末。蛇に睨まれた蛙その物であり、今年度より二水戦配属となったばかりの天津風(あまつかぜ)時津風(ときつかぜ)なんかは今にも泣きだしそうな勢いであった。

 だがあろう事か、敷島はそんな少女達が集まる甲板の一角へと突然歩みを進め始たのだから、さあ大変。全身の震えからくるカチカチと歯を鳴らす音も折り重なる中、小さな身の丈の彼女達は小声で悲鳴を漏らし始める。


『お、おお、おい、猿・・・! や、ヤベーよ、こっち来るぞ・・・!』

『わわ、私に言うなよ・・・! あ、アンタ何か言いなさいよ・・・!』

『そ、そーだよ、雪風・・・! 金剛さんとかに可愛がられてるなら、は、話もできるでしょ・・・!?』

『そ、それがええわぁ・・・! あ、赤城(あかぎ)丸さんかてばっちゃんて呼べてたやないかぁ・・・!』

『ちょ、む、無茶言うな、コラ・・・! 相手がバケモン過ぎんだろ・・・!』


 その姿はまるで鷹に上空を占拠され、飛び出す機を失って慌てふためく雀の集団である。皆気の良い少女達で仲間意識も強い二水戦の面々も、ただ一人の上司を鮮やかにブッ飛ばした者が迫るに際して完全なパニックになってしまい、日頃よりやんちゃで問題児っぷりと並み以上の度胸を示す雪風を集団の前面に出そうと押し合いへし合いを始めた。対してさしもの雪風も生贄はごめんだと抗い、天下の二水戦は統制もクソも無い烏合の衆となって敷島艦の甲板に姿を現すのであった。


 しかしその一方、明石はそんな騒がしい愚か者達の輪には入らず、正面に視線を向けたまま不思議そうな表情をただ浮かべるのみである。

 それは決して神通や金剛が無様に敗れた柔道の試合によって得た驚愕の続きではない。ゆっくりとした足取りで近づいてくる敷島をもちろん明石も見ているのだが、先程まで弟子達に向けていたおっかない敷島の顔が何故か今は呆けた様な表情を浮かべている事に彼女は気付き、しかもその視線の焦点は他の誰でもない自分へと合わせられていたのだ。


『およ・・・?』


 愛弟子も含めて多くの艦の命が集まる敷島艦の艦尾甲板。

 その中でじっと見つめる敷島の相手が他ならぬ自分であるのは意外だった。まだろくに挨拶もした事も無いし、親友の様に師匠筋の流れに位置する者でもなければ、金剛の様に戦艦という分身の類別でその嫡流に相当するという訳でもない。明石と敷島の接点は明石の師が敷島と実の姉妹という事だけにしかなく、初対面の反応としてはその表情の意味が理解できなかった。

 だが敷島の歩みは全く止まる気配を見せず、もはや誰を生贄に捧げるかという論点での内紛状態に夢中になっている少女達の横を素通りし、やがて明石の真正面、それも腕を伸ばせば触れる事もできそうな距離まで近づいてくる。その直後、歩みを止めるや僅かに見開いた目で敷島は明石の目をじっと見つめつつ口を開いた。


『あかし・・・。・・・明石、なのか?』

『ほよっ・・・。あ、あの、え〜っとぉ・・・。』


 突如として自身の名を口にした敷島に、明石はまたまた驚きを得て応答を拙くする。一度も会った事も無く、戦闘艦艇ですらも無い自分の名を何故に敷島は知っているのかと大きな疑問を抱いた。昨年の観艦式前に金剛と知り合っている事もあるから、恐らくは金剛伝いに自分の名前くらいは聞いたのかと考えるも、人間と同じで性格、顔立ちは十人十色な艦魂事情を考えると、名前を知ってても顔を知らないと人物の判定はできない筈だ。

 おかげで敷島艦に来てからというもの、驚きの連続ばかりで新米艦魂としての挨拶が全然捗らなくなってしまった明石だったが、名を問いかけるという至極簡単な大先輩の言葉に答えるのはそう難しい事では無い。微小な深呼吸でちょっと息を整えた後、明石は右手の指先を軍帽の庇に添えて言った。


『は、はい。こ、工作艦のあ、明石ですぅ。そ、その、佐世保回航で初めて来ましたので、あい、挨拶にきました。』

『工作艦・・・? 初めて来た・・・?』


 僅かに眉をしかめて敷島が声を返してくる。

 神通や金剛に対しても苦言を真正面から呈してみせれるほどの豪胆さは折り紙つきで、間近にするその表情は朝日と顔立ちが似つつも非常に怖さを感じ取れる代物である。おかげで明石は自分の挨拶の口上に何か不備か失礼でもあったのかと冷や汗を浮かべて焦り始めるが、何も言わせぬと言わんばかりに敷島は明石の両肩に手を乗せるや、今度は突然になんとも朗らかな笑みを覗かせてくるのだった。


『そうか・・・、明石・・・。』

『えっ? あ、およっ・・・う、は、はいぃ・・・。』

『・・・は、ハハハ! お前、明石か!』


 小春日和の本日を現すような綺麗で心地良い笑顔が、明石の眼前にある。

 敷島の笑みはさすがに姉妹といった所か、朝日の物とよく似ていて明石にはなんとも安心感を湧かせてくれるのだが、どうにも堅苦しそうな人柄を持つらしいと以前より聞かされていた敷島にしては、コロコロと表情を変えるのが不思議で不思議で仕方ない明石。一緒に笑えたならきっと楽しい一時になるだろうと薄々思いながらも、よく解らない大先輩との初見に彼女は大きく戸惑うのであった。

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