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第一三〇話 「任務を終えて」

 日本でも指折りの南国の地である宮古島の海辺は、白波が白い砂浜へと寄せては返すを繰り返すだけの静寂を取り戻していた。

 珊瑚礁を映して透き通った独特の緑色を湛える波に洗われた椰子の実が砂浜に転がり、本州では見る事ができない程の大きなカニがノシノシ歩いてきてその椰子の実を突き始める。上空では多くの鳥達が風と舞いながら賛歌を歌い、見渡す限りの水平線に聳える積乱雲を背景にして集団舞踊を披露。暖かい潮風は強弱の具合も程良くて、貝を拾って走り回る現地の少年らの姿も良く映える。

 絵に描いたような夏休みの海辺、と言えなくも無い光景を体現している南国の地、宮古島。




 おかげで灰色一色となんとも殺風景極まりない明石(あかし)艦とその真横に繋がれた潜水艦は、宮古島の風景にとっては非常に目障りな色彩の持ち主として際立ってしまっている。救援に来てくれた由良(ゆら)艦も佐世保へと慌しく帰ってしまっているからその寂しさは一際目立ち、旗竿に靡く軍艦旗も周囲の風景に自分の主張する場が無い事を悟ったのか、今日は一日中しなだれて勇壮にはためく様子は無い。力無く風に揉まれて旗竿に纏わりつくのみで、先程まで続いていた潜水艦救難作業にまるで全ての精力を使い果たしてしまったかのようだ。


 そしてそれが転じたのか、救難作業をこなしたばかりの明石艦ではちょっとした騒ぎが起こっていた。


『特別救難短艇員、集まれー!』


 甲板に響いた声に続いて、艦内のアチコチから今まさに呼ばれた水兵達が走って集まってくる。まだ救難作業の為に準備された資材がそこかしこに置かれている明石艦の甲板は狭く、作業に当たっていた乗組員も一緒にその場にいる中では走り難い事この上ないが、彼らは皆、躓いてもぶつかっても一目散に集合場所へと駆ける。艦における緊急の艦外活動をこなす専門の兵として気概と誇りを胸に、強健な身体と人一倍の度胸を買われた選りすぐりの彼等。その中には明石のかつての相方の弟であり、少し前に小松島の猛吹雪の中で短艇救助に奮闘した森正志(もり まさし)海軍二等水兵の姿もあった。


『艇長、やっぱ例の錨ですか? オレらが呼ばれたって事はそうだと思うんですけど。』

『馬鹿野郎、それを今から説明すんだ。黙って整列しとけ。』

『はいはいっと。』


 顔や細身な体型は同じながらも兄とは大違いの人柄を持つ、この森二水ことマサ。艦内でも最も怖いと評される下士官を前にしても臆する様子は微塵も無く、海兵団でしようものなら鉄拳制裁を受ける事間違い無しの緩い口調で返事をする。これでも4年以上も海軍軍人として励んでいる経歴を持つのに、未だに明石艦における上陸なんかで喧嘩沙汰が起こったりすると9割方はこいつのせい。非常に喧嘩っぱやくて鼻っ柱が強く明石艦きっての問題児と誰もが認めている彼であるが、武技も強く水泳も達者で足も速いと大変な強健さを備え、人並み以上の度胸が売りであるこの人柄は同じ水兵、そして水兵から階級を上げていった下士官らからも一目置かれている。

 故にマサを怒鳴りつけた下士官もそれ以上声を荒げて邪険にする事は無いし、マサもマサで上官の高圧的な態度に腹を立てるような様子は無い。せいぜい今週いずれかの日の夜間に行われる「整列」という名の闇裁判において派手に尻を叩かれるだろうくらいにしか考えず、やがてその場に集まって来た十数名の同僚らと共に横一列に並んで、先程彼自身が聞こうとしたこの集合に関する説明に皆で一緒に耳を傾けた。


 それによるとマサの考察はどうやら大正解だったようで、下士官より通達された命令は特別救難短艇員による明石艦の錨の捜索であった。

 つい先程まで行っていた潜水艦の救難作業にその原因は有り、機関の最大出力によって潜水艦を離礁させた際、明石艦は急激な推力の増加に伴い海上において急発進の状態となったのだが、その時に両舷に展開していた牽引姿勢保持用の小錨2個の内、なんと1個を紛失してしまっていたのだ。どうにも錨部分と錨鎖を繋ぐ連結金具が急発進の衝撃で壊れてしまったようで、引き揚げ時の予備索、或いは投錨位置の調整用として繋いでいた細目の鋼索も残念ながら海中でプツンと切れてしまっていた。その証拠にマサらが集う甲板のすぐ傍にあるダビッドには錨鎖のみが巻揚げられており、行方不明のアンカーに対する慕情を船の動揺による左右への揺れにて表現しているみたいだ。


 ただ錨鎖の寂しい姿は別としても、国民の尊い血税を用いて作られた明石艦の装備品をむざむざ紛失しっ放しの状態でいる訳にも行かない。そこでマサを含む特別救難短艇員が出動しての捜索となったのだが、急発進による走錨距離が長かった故か、それともアンカーに錨鎖の慕情へ応えるつもりがサラサラ無いのか、海中に没した小錨は一向に見つからなかった。


『おい、投錨位置は間違ってないよな?』

『おかしいな。進んだ距離も計算すると確かにここなんですが・・・。』

『ん〜〜〜、なぜ見つからない・・・。』


甲板で捜索作業の指揮を取る士官連中が顔を見合わせてそう言い、お互いに頭上へ疑問符を浮かべて首を捻っている。小錨は位置や深度も詳細に決めて降ろした筈で、海底の勾配も比較的緩やかな砂浜の沖合いにて見失うとはなんとも予想外。万事上手く運ばなかった救難作業の余韻となってしまい、中央部の甲板で人間達に混じって捜索を見守る明石も思わず首を捻った。


『あるぇえ〜? 無いぃ〜・・・。』


 すぐに見つかるとタカをくくってたらこの有様で、一生懸命に特別救難短艇員の者達が探してもその痕跡すら見つからない。やがて手空きの乗組員達で構成した増援を他の短艇に乗せて送ってやるが、それでも迷子の小錨の行方は杳として掴めず、海岸に野次馬として集まりだした島民らの視線を受けながらの気まずい錨探しとなってしまった。




 だがしかし、心優しき宮古島の民は明石艦の軍艦旗にも臆せず、その内に一艘の漁船に島駐在の巡査さんと役所の人を代表として乗せて明石艦へとやって来るや、なんと島の漁船を出しての捜索の手伝いを自ら申し出てきた。


『軍機密とかに触れるのでしたらお控えしますが、何やらお探し物程度で御座いましたら、私らでの方でもご協力致しますが・・・?』

『おお、いや、これは願っても無い事で。軍機でも何でもありません。実は錨一つが無くなっちまいましてね。この辺りの海に沈めておいた筈なんですが。』


 明石艦最高責任者たる伊藤特務艦長と艦長公室にて話す島民の方々。

 軍事施設どころか岸壁を備えた港湾だって小さな物が数える程しかない宮古島であるから、その申し出の奥底には海岸の野次馬と同じく物珍しさへの単なる好奇心が抱かれているのかとも思えるが、この宮古島に住む人々にあってはそんな安い気持ちでわざわざ明石艦に来てくれた訳ではない。それはもちろん我等が日の丸と日本における四方の海を守る第一人者として、彼等が多大な畏敬の念を持って明石艦に接してくれているからでもあるが、一億に上る帝国臣民の中でもその心意気を糧に勇気ある行動を起こした過去を持つという点で、この宮古島の人々は帝国海軍にては覚えがめでたい。教科書にも載る美談として有名な久松五勇士がそれで、あの日本海海戦に先立って危急の大事を必死に伝えんとした5人の男達は全て、かつてこの宮古島にて生きた島民らなのである。その末裔、と言ってしまうと些か大げさであるかもしれないが、伊藤特務艦長の下を訪ねてきてお手伝いを買って出た住民らの姿は、奇しくも今から30数年前のあの時と大きく重なるのであった。


 そしてそんな島民らの情熱と厚意を伊藤特務艦長も嬉しく思い、かつ救難を終えて本来の目的地である有明湾への出発する日取りも迫り始めた状況であった事から、彼等の助力を言葉に甘える形で受け取る事にした。申し出を認められた宮古島の人々は早速漁船を出して明石艦の周囲に群がり、甲板や付近の装載艇から指示を受けての捜索補助を開始。ご近所や親戚にも声をかけて芋づる式に増えたその数は明石艦の装載艇を凌ぎ、図らずも明石艦の軍艦旗を中心に据えた官民合同の一大祭りの如き光景となる。もし夕方より僅かに暮れた頃で舷灯が多く灯っていたなら、さながら真夏の盆踊り会場の様にも見えたであろう。


『錨やーい。錨やーい。』

『見つからねーら〜ん・・・。』


 同時に小さなお船に囲まれる明石艦には、人間達には聞こえぬ船の命達の声も響いている。真っ黒に焼けた肌に白い鉢巻をし、寒さなんか皆無である気候故かシャツ一枚で元気な声を上げる彼女達は皆、明石艦の危急の事態に集まってくれた漁船の艦魂さんらで、随分と訛りが強い言葉で明石に揃って挨拶すると蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの分身へと転移。漁師に混じって海面に目を凝らし、この辺りの潮の流れや海底の地形を確かめ合ったりして、彼女達なりに明石艦の小錨を探そうと躍起になってくれていた。


 その一方、海軍艦艇である明石には漁船の艦魂らがちょっと見慣れない存在で、間近で見る事は非常に希であった事からしばし小錨捜索の事は忘れて彼女達の姿を眺めてみる事にした。


『う〜ん、漁船の艦魂(ひと)達って格好は別としても私達とあんまり変わらないよねえ。若い艦魂(ひと)も大人びてる艦魂(ひと)もいるしぃ。』


 甲板の一角で日向ぼっこよろしくしゃがみ込んでいる明石が、まじまじと眺めながら呟いた言葉。身の上から軍艦は勿論、海運を担う民間の貨客船や港湾の作業船舶なんかにも何度と無く会った事はある彼女だが、実はこの漁船の命というのは明石の知る艦魂事情とはちょっと違う在り方でこの世に存在している。

 確かめるまでも無く漁船とは太古の昔から存在したお船で、種族として見るとその歴史は明石を含めた十六条旭日旗を背負う者達よりも抜群に長いのだが、なぜかしらこの種族は分身に伴う艦魂としての実体を持っていない者が実は多数居る。現に明石の眼前にて右に左に進んでは海面とにらめっこする漁船群の中には、艦魂である明石の目から見ても人間以外に命を持つ者を乗せていないお船が6割くらいも占めているのだが、別にそれらの船は同じ船の命たる女性が乗っていなくとも沈む訳でもないし、必要以上に人間の扱いに従順ではない様にも見えない。明石の分身に備わる装載艇にも艦魂は宿っていないから決して頷けないお話ではないが、そうなると残りの船上にて沖縄弁を奏でながら汗を流している女性達は何者なのだろうか。

 その事を同じ船の命ながら、明石はこの時大変に疑問に思うのだった。


『ぬぅ〜〜〜・・・。なんでだあ?』


 いつぞやの入渠以来、久方ぶりに得た艦魂の不思議。

 お船の命と自他共に認めているのに全てのお船に適用される訳ではないとは、些か理解に苦しむのも無理は無い。当然ながらその真相に皆目見当はつかず、元気な声を上げて小錨捜索に頑張る宮古島の漁船達をしばしの間傾げた視界で眺めた。

 そして何とも良いタイミングで明石は、以前に自身が体験したもう一つの艦魂における不思議をもこの時に垣間見る事になる。顎にて手を当てて首を捻る彼女の背後よりかけられた声が、まさにその報せであった。


『ぐ、軍医少尉ぃい〜・・・・。』

『およ? あ、起きたの? 大丈夫?』


 尽きぬ艦魂への疑問から意識を開放されて振り返る明石の前には、ちょっと顔面蒼白気味で水兵さんの軍装を身に着けた女性が立っている。僅かに油が滲んでボサボサとした髪の毛で頬の側面を隠し、うつろな感じの半開きの目には元気の良さが全く感じられないが、それもその筈。彼女はつい先程分身が浮揚した事によって数日振りに覚醒した、あの座礁潜水艦の艦魂なのである。

 明石よりもやや背は低いが顔立ちに見る年齢は若干上で、女性である点を除けば若手の中でも親分格となり始める頃の人間の水兵さんに紛れる事もできただろう。やや吊り上った目と細かな生傷の痕もいくつか残る手を見るに元々の人柄はとても活発で元気な女性像を持つ様だが、それが完全になりを潜めて見るからに具合が悪そうな状態になっているのは、何もついさっきまで昏睡に陥っていた事による病み上がりだから、という単純な理由だけではない。

 お船がその底を陸地に着けて無意識に眠るのと同時に、やがて浮力を得て再び水面にその分身を浮かべた際にその身を襲う猛烈な腹痛と倦怠感。いつぞや明石もその餌食となった際、師である朝日(あさひ)が人間の女性にも見られる「女性の日」と例えたそれが、今まさに明石の眼前の者を蝕んでいるのだった。


『うぎぎぃ・・・。く、苦しい・・・。』

『あはは・・・。む、無理しないでね。どう? ご飯とか食べたいかな?』

『お、お腹は空いてるんですけど、お、お腹が痛いぃ・・・。』


 明石にしても理不尽極まりないと思った、艦魂におけるこの腹痛。その苦痛といったら尋常な物ではなく、黙っているだけでも辛い。おまけに味わった事の無い倦怠感は無性に力む衝動を湧かせるので、入渠明けの時の明石は一日中布団に包まりながら枕をガジガジと噛んで耐え難きを耐えていた始末。決して古くは無い記憶でもあった手前、明石は患者たる潜水艦の艦魂の気持ちと身体の状態をすぐに察する事ができ、彼女の言葉を受けて無理に食事を勧めずに付き添う形で部屋へと戻してやった。




 小錨紛失に次ぐ潜水艦の艦魂の不調。

 救難作業をなんとかこなしたもののその後の後味はいまひとつとなってしまい、宮古島の住民らも協力して探してくれた小錨は結局発見される事は無かった。同時に患者の容態も命に別状は無いながらも回復の傾向は無く、残念ながら明石にとっての初めての救難任務は順風満帆な結果とはならなかった。

 唯一救いがあったとするなら、宮古島の心優しき住民らが大量の黒砂糖を潜水艦と明石艦に差し入れてくれた事だろうか。潜水艦を護衛しての内地帰投日時が迫って捜索打ち切りとなり、伊藤特務艦長を始めとする乗組員全員が気落ちする中でのささやかな贈り物で、南海の波間に疲れた海軍軍人らを慰めてくれるような心遣いである。おかげで宮古島を旅立つに当たり、明石艦とそれに続く潜水艦の甲板では多くの乗組員達が、宮古島の海岸から木霊する島民らの万歳に手を振って応えていた。


『海軍さ〜ん、ばんざ〜い!』

『お元気で〜! ばんざーい!』


『ありがとー! どうもありがとー!』

『皆さんもお元気でー!』


 この宮古島にやってきて僅か数日間の慌しい日々だったが、そこで得た思い出の最後を飾るにはふさわしい別れである。島民の中には小錨捜索のお手伝いをしてくれた漁師の方々も漁船に乗って混じり、それに伴ってお船の命同士でも同じやりとりを見る事ができる。患者さんたる潜水艦の艦魂は相変わらず体調が優れないので寝かせたままであったが、その分だけ明石は精一杯に声を張り上げて宮古島の漁船達にお礼を述べるのだった。





 こうして明石艦と座礁状態から救助された伊号潜水艦は晴れて宮古島を軍艦旗の向こうに望み、その舳先を北東へと向ける。潜水艦は救助成功と言えども艦底の僅かな傷や構造材の屈曲等を直さねばならないし、明石艦もまだ第二艦隊にての艦隊訓練の途中にある。潜水艦は手近な佐世保海軍工廠という名の大病院に向かい、明石艦は九州南部の有明湾という新たな職場に赴く訳であるが、幸いにも両地は九州という事で宮古島からは航路が非常に似通っている。まして病み上がりの潜水艦をいくら航行に支障が無いからと言って単艦で航海させるのも心配であるから、九州沿岸まで明石艦が先導する形で一緒に航海する事になった。

 事情が有るとは言えども、立派な戦闘艦艇を特務艦艇が護衛するとはなんだか皮肉であった。







 それから少し経った、昭和16年3月20日。

 佐多岬の近くまで前進してきた明石艦はようやくここで潜水艦と別行動となり、既に桜色が滲んでいる沿岸を遠方に望みながら両艦の乗組員達は甲板にて互いに棒を振る。ここまで来る途中、航路は大時化に見舞われて僅か100メートルの距離を走るお互いの姿を波の渓谷に見失ってしまう事も何度か有ったくらいだが、幸いにも潜水艦の艦体には全く被害は無く、予定通りの護衛解除、次いでそれぞれの目的地へと単独で向かう運びとなったのである。

 まだちょっと潜水艦の艦魂は腹痛が止まず顔色も冴えない感じではあったが、座礁からの救助以来ずっと親身に看病してくれた明石に何度も頭を下げてお礼を述べてくれ、万事順調とは行かなかった事を内心残念に思っている明石をほのかに喜ばせる。


『どうも有難う御座いました。さ、佐世保にいらした時、改めてお礼をさせて頂きますぅ。』

『ううん、気にしないで。無事で良かったよ。また会ったらその時はよろしくね。』


 そんな声を交えた後、二人はお互いの艦影が見えなくなるまで甲板にて手を振り、共に過ごした短い時間で成る一期一会に大きな感謝と尊ぶ気持ちを抱くのだった。





 そして同日、初めての救難作業を終えた明石艦の軍艦旗は、第二艦隊の各艦が勢揃いして湾を圧している有明湾へと到着。この頃の有明湾は岸のほぼ全周に渡って桜の花が咲き乱れ、陽光もポカポカとし始める気温も手伝ってまるで桃源郷の如き様子となっており、帝国海軍海上部隊の作業地と言うには随分と派手にして極楽模様の色鮮やかさに満ち満ちた場所となっている。もうすぐ艦隊訓練も終わりが近づいている手前もあって乗組員達は有頂天で、士官の連中の一部では最終日に合わせて付近の旅館か料亭を貸しきっての打ち上げを企画している者もいる始末。兵下士官もこの時ほど上陸を切望した事は無かったであろう。散歩上陸の令が飛ぶやその甲板への集合の早い事はどの艦でも同じで、それぞれの幹部連中も思わず苦笑を漏らしていた。


 当然お船の命だって例外ではなく、姿も女性なら感性も女性という事で桜色の陸地に囲まれる停泊状態に全員が目を輝かせている。毎年この時期にこの地へと来るのは外地を任地としない第一艦隊や第二艦隊等の、いわゆる本邦方面活動の外戦部隊にのみ与えられる至上の特権で、ましてや艦魂社会においては比較的若手の者達が多い部隊である第二艦隊だから、浜辺に臨む桜の花に黄色い声を上げて騒ぐのも無理の無い事であった。




 そのおかげで普段からムスっとしていて不機嫌そうなこの人も今日は至ってご機嫌。部下である(あられ)(かすみ)雪風(ゆきかぜ)らにとっても、友人である明石にとっても何よりな事で、久々の再会として明石がその分身を訪ねて来た際、彼女は陽光で温まる甲板にどっかと胡坐をかいて桜を遠く愛でながら、以前に明石が贈った愛刀の手入れを行っていた。


『死のう〜は〜、いち〜じょう〜・・・。しのび〜、草〜に〜は〜、何をしよ〜ぞ〜・・・。』


 何か大河の如き流れとうねりを思わせる歌声を低めに奏で、神通(じんつう)は辺りの桜色も映る抜き身の刀身に専用の油を塗る。その切っ先に良く似た目はいつもより弓なりの加減が多少滲み、黒い瞳を染める刀身越しの桜の色のおかげで、普段絶える事の無いいつもの鋭い眼光はどこへやら。刀さえ片手にしていなければ季節の色を楽しむ、スラリと長身で釣り目の綺麗なお姉さんになれたであろうに、またぞろ大好きな織田信長公に縁のある古風な小唄を口ずさみつつニヤニヤと軍刀の手入れに勤しんで、自らそんな女性としての美しい姿を破棄してしまう。

 もっともそんな所が実に神通らしいと言えば神通らしく、ちょうど背後より歩み寄っていた明石は友人の普遍な特徴に思わず笑みをこぼして、久々の友人との会話に楽しげな気持ちで望む事ができた。


『あはは。神通、軍刀の手入れ?』

『む? おお、明石。帰ってきたか。聞いたぞ、座礁艦が出たそうだな。』

『へへーん。ちゃんと治したも〜ん。』


 ウェスで念入りに塗油をしていた神通は振り返り、原隊へと戻って来たばかり明石の笑みに応える。

 顔つきに見る歳の差は10歳以上はあってもこの二人は親友。性格も大いに違う、と言うよりは神通の短気さと粗暴さが極めて特殊な形故に、一般的な物とは相反してしまいがちという事に過ぎないのだが、ともかく無邪気で明るく前向き思考な物言いが特徴の明石と彼女は馬が合う。きっとそれは通い合う心の他に、明石が精根込めて作ってくれた末に終始大切に扱われている軍刀の存在も大きいだろう。よっぽど念を入れて磨いてくれてるのか、明石がふと視線を流した神通の手に握られる軍刀は贈った時と輝きが全く一緒で、刃こぼれも波紋のくすみも一切見当たらない。それだけ友情の証を大切に使ってくれていると思うと、明石にしても手を切ったりしながら頑張って作った甲斐が有ったという物で、例え艦魂社会でも指折りの嫌われ者とされる神通に対してでも、親しみが止め処なく湧いてくるのだった。

 対して神通も抱く感情は明石と同じで、やがて神通の隣に腰を下ろしてきた明石と他愛無いお互いの近況報告を弾む声で始める。


『へえええ〜。台湾の高雄は第一艦隊も集結してたんだぁ?』

『うむ。艦艇数はかなりの数に登ったが、錨泊地設定や補給設定なんかの司令部要員による訓練も兼ねてたらしくてな。長門(ながと)さんも高雄(たかお)さんもひいこら言ってたな。』

『あははは。 あの長門さんが真面目にやってたなんて珍しい〜。』

『ふん。そうだな。お前の緊急任務も上手く行ったようだな。』


 刀の手入れをしている姿は極めて物騒な姿この上無いが、今の神通は終始口元がV字型に角度を帯び、声の荒々しさも完全になりを潜めている為にとても話しやすい。無愛想でそれほど口数も多くない地の性格から明石が一方的に話題を振る事も多い中、今日は珍しく話し相手の明石の様子を自ら尋ねてくる。もちろん明石にとって収穫一杯、でも課題も一杯だった宮古島での一件がその主で、明石は隠す事無く有りのままの経過を友人に教えてやった。そも艦魂としても帝国海軍の者としてもすっかりベテランである神通だから二言三言の苦言は覚悟の上だったが、この艦魂(ひと)の上機嫌とはある意味予想できない物である。

 明石の語りに何度となく頷きつつ、彼女はなんとお褒めの言葉を掛けて来たのだ。


『事故現場に急行しての救難、か。さすがに明石だな。懸案も解ってるなら、後は修正すれば良いだけだ。上出来じゃないか。』

『えへ、えへへ。そ、そうかな? 本当ならその場で完全修理するくらいにできれば良かったんだけど・・・。』

『ふん。』


 自惚れる訳ではないが期待の軍医さん、同時に最新鋭工作艦としてもっと手厚く処置したかった願望の有る明石。彼女なり、乗組員なりに懸命に頑張った結果を低く見積もるつもりはないが、より高みを望みたかったという本心を後頭部を掻いて少し照れながら言った。しかしその話を聞く神通はどうやら希な微笑で聞きながらも、その裏で自身における最も大きな衝撃を受けた体験と明石の活躍を仮想の形でちょっぴり重ねていたらしい。鋭くも弓なりとなった瞳を僅かに伏せつつ、少しだけ寂しそうな音色を混ぜた声で呟く。


『・・・生きていてさえくれれば良いんだ。』


 どうしても意識の内から離れぬ惨劇は、こんなに楽しく麗らかな時を過ごしていても神通の長身な身体に纏わり付いているようだ。岸辺にて咲き乱れ、水面に映ってより綺麗さを増す桜の花に囲まれても拭えないその記憶は、直接彼女の口から聞いた明石には現実感の点で些か薄い印象を与える。しかし近い将来に特設工作艦という類別の部下を持つらしい自分の事を思うと、自らの手でそんな部下を殺してしまったという神通の過去が、これまでよりもなんだか大きく、そして重く感じた。生きているというただただ単純な在り方で十分だと、あの日頃から短気で苛烈で八つ当たりも甚だしい立腹模様を示す神通が口にしたのである。そのせいか今の明石の胸の中には、何か浮かれつつある気分を戒めるような重い気持ちがほのかに湧き出でてくるのだった。


『そ、そうだよねぇ・・・。初めての実戦みたいな物だったけど、なんだかそういうの考えたりする余裕、全然無かったなぁ。』


 任務を終えて仲間の下に戻り、親友の言動を受けて改めて思い返す自分の様子に、明石はまた一つ何かを学ぶ。理想の上での姿勢、取組み方に近いそれは言葉にするのは難しいが、この先自分が軍医として、工作艦の艦魂として生きていく上で大きな糧になりそうな物だと、明石は神通の横顔をやや上目遣いで見ながら考えていた。

 その一方、神通はややトーンが下がりかけた明石の声に気づき、何気ない自身の一言で持ち前の明るさが薄くなってしまった事を察知。一度僅かにその刃の形に似た目を流してすぐ横の明石の表情を見た後、すぐさま正面の軍刀に戻して明石に声をかけてやる。

 だがその語りの中には、ちょっと明石には疑問を抱かせる部分が含まれていた。


『ま、そういう物だろう。2、3回場数を踏んでどうにかなる役目なんてどこにもない。明石、気は落とすなよ。それに、まだまだ訓練は終らんのだ。』

『およ?』


 毎年この時期、この有明湾に集うと大体は艦隊の集結は解かれ、所属の全ての艦はそれぞれの本籍地へと帰って休養や整備補修を受けるのが恒例の筈なのに、どうも今回は違うらしい。つい先程合流したばかりの明石には初耳な事であり、彼女は思わず目を丸くして呆けた声で応じる。

 同時にそんな明石の様子に早くも神通は彼女がまだ何も知らない状況にある事を確かめたようで、その内に傍らに置いていた鞘に軍刀をゆっくり納めながら、まだ声として上げられていない明石の疑問に答えてやるのだった。


『やはり知らんか。正確にはお前の艦と私達、二水戦だけが訓練行動を続行する。近々、陸軍と合同での着上陸演習がこの九州であるらしい。それに帝国海軍部隊として参加するんだそうだ。あと数日の間に一緒に出発して、支那沿岸で陸軍の徴傭船舶部隊と会合する事になる。』

『おおお〜。陸軍さんとぉ? またまた初めてだぁ。』




 初めての救難作業を終え、次に舞い込んできた予定は初めての陸軍との会合。帝国海軍と共に帝国の繁栄を武でもって支えるもう一つの組織、大日本帝国陸軍。究極まで還元した組織の役割は同じでありつつも、これまで全くといって良い程関係が無かった者達であり、全国の作業地へ巡航する折に見る機会が有った民間船の方が、明石にとってはまだ馴染みがある。


  一体どのような者達がそこにいるのだろうか。


 猫どころか虎すらも殺しかねない明石の好奇心が、早くもそんな言葉を彼女の脳裏に過ぎらせているのだった。

 http://www.asagumo-news.com/news.html


 キターーーーーヾ(@⌒▽⌒@)ノーーーー!!!

 ついに待ちに待った平成の戦史叢書が作られるようです。新たに発見された資料、そして公開が続いている諸外国の資料を基に再構成されるとの事で、より旧版からの信憑性UPが期待されます。ちなみに旧版は将来ネットで全て公開される準備も進んでるようですね。さながら明治三七・八年戦史の現代版か?

 なんにせよ完成が待ち遠しいです。


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