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第一二七話 「台湾海峡異常無シ」

◆お詫びと注意◆

 読者皆様、いつも拙作を拝読下さり有難う御座います。

 さて初回掲示の際に本話の時間軸を3月6日としておりましたが、調べた所、第二艦隊は3月3日付けで高雄に集結しておりましたので、日付をその前日へと修正させて頂きました。

 作者勉強不足に伴う拙い構成となってしまい、大変申し訳ございません。それに伴い前々回も含めての修正を施しますので、何卒ご了承の程をよろしくお願い致します。


2011年12月29日 明石艦物語作者・工藤傳一

 明石が馬公に来た日からちょっとだけ時を遡った、昭和16年3月2日。


 第二艦隊は未だ明石艦が到着していない馬公湾に在って、特有の常夏の気候に浸っている。日本本土なれば草木にようやく緑の色が滲んでくる季節なるも、暖かい台湾にあっては海と空の青と陸地の濃緑が絶える事も無い。もちろん台湾にだってちゃんと四季自体は存在するのだが、色彩豊かな内地を想えばこれはこれでなんだか寂しい物である。

 ただ、これまでの艦隊訓練で相応に疲労を貯めた第二艦隊の各艦では乗組員も艦の命もそれを意識する事が皆無であり、ポカポカと心地良い陽光と潮風に当たってそれぞれが極楽気分に酔いしれていた。


 だが艦隊訓練という名を掲げて行動する第二艦隊であるから、わざわざこの馬公くんだりまで来て日がな一日中お休みとする日々を続ける事はない。英気を養ったならすぐさま練度向上に励むべく様々な任務に服さねばならないのであり、ましてや内地巡航ではなく未だ硝煙の香りもほのかに漂う支那沿岸を活動の場としている現在では尚の事である。

 故にちょうど全ての所属艦にて上陸と現地での整備補修を終えた頃合を見計らい、高雄(たかお)艦上にて艦隊を司る古賀司令長官からは各戦隊単位にまで細分化された多様な任務が早速言い渡される事になる。次いでまごう事なき戦地として区分される本海域においての任務は、新鋭艦揃いの第二艦隊では普段の訓練とは趣を異にした物ばかりとなって、新米の艦魂達に貴重な経験を積ませてくれるのだった。






 まだ馬港湾の測天島付近の波間に第二艦隊の各艦がその身を休めている中、艦隊で最も速くそんな任務を仰せつかったのは、第二艦隊屈指の大所帯にして帝国海軍最強の部隊を自負している第二水雷戦隊。戦隊旗艦である神通(じんつう)艦の上甲板は既に出港用意を控えての各種準備作業の為、白い事業服姿の乗組員達が汗を流す模様もアチコチにて散見されるが、彼等が気づかぬ中で艦の命達もまたその場所に集っている。


『あ。お〜い、戦隊長が来られたぞぉ!』

『ほら並べ! はやくはやく!』

『きをつけー!』


 元気も良い若い声を上げて艦尾の甲板に大急ぎで列を作るのは、すぐ傍にある旗竿にてはためくこの神通艦の軍艦旗に続いて波間を駆ける隷下の駆逐艦の艦魂達である。最年長の朝潮(あさしお)でもようやく20代を迎えたくらい、つまり明石と同じくらいの顔つきで、(かすみ)(あられ)、そして大問題児の雪風(ゆきかぜ)の如き10代半ば程の幼い少女達がその大半を占めるも、彼女達は帝国海軍最新鋭級の駆逐艦16隻である事に変わりはない。加えてそれはそれは厳しい事で知られるこの人が上司とくれば、人間から見れば年端も行かぬ少女達であっても号令一下で騒ぎもせずにきちんと整列してみせるなど、その見事な様子は各々がよく訓練された艦魂である事を示していた。

 同時に神通もまた吊り上げた目と不機嫌そうな表情を今日も浮かべ、居並んだ部下達がほのかにその横顔に慄いている前面を脇目も触れずに進んでいく。毛先も不揃いな髪を首の後ろで短く結い、暖かい潮風に乱れる前髪の隙間から刃の如きひし形の眼光を放ち、細身で長身な身体にヤマの折り目も美しい真っ白な第二種軍装と指揮刀を纏って歩くその姿は、厳格と恐怖の意識が誰しも抱いてしまう彼女独自の人柄がよく滲み出ている。常日頃から堂々と張って歩くその胸には奥に人並み以上の度胸も備えられ、上官だろうが先輩だろうが怒ると食って掛かってしまうという困った性格の根源でもあるのだが、ある意味では神通のそんな一面こそ少女達が最も頼りがいを感じる部分でもあった。


『先日から言っておったように、艦隊旗艦より布達が有った。私達二水戦は福州周辺の海域で、戦務として沿岸哨戒と警備の任に就く。各駆逐隊毎に個別の海域での行動を実施する事になるから、司令駆逐艦の者も含めて各自がちゃんとやるべき事を周知しておけ。いいな。』


 どこか張り詰めた様な感も有する高めの声も普段と変わらず、男のような言葉遣いが少女達の抱くほのかな恐怖心をさらに煽る。至って普段どおりの神通は別に怒っている訳でもなんでもないのだが、良くも悪くもこの辺が上司格の艦魂たる彼女の大きな特徴。皆の前で正対した後にこうして声を発すれば、いとも簡単に上司とその部下達という構図を設ける事ができる。

 もちろんその具合は圧倒的な代物で、さしものやんちゃ娘である雪風だって胸に秘める感情は周囲の仲間達とちっとも変わっていない。やがて上司が今回の任務に関する諸注意を話し始め、その合間に皆の前で自分に対するささやかなお叱りを与えられても、持ち前の鼻っ柱の強さは鳴りを潜める以外の選択肢を持たない程にだ。


『16駆も初風(はつかぜ)がそのまま指揮を執れ。平海湾の沖合いが持ち場だが、ここは泉州といった港湾都市も程近い。それだけ船舶の往来も激しいから、航行状態や位置には気をつけろ。それとそこの犬にもだ。国際航路の貨客船から笑われないとも限らんからな、その頭は。』

『ぐひ・・・。』


 戦隊構成員全員の前で苦言を呈されてしまった雪風。

 大きな釣り目や柔らかく波打ったクセ毛など、140センチ台の非常に小さな身の丈に似つかわしくなく人物としての大きな特徴を持っている彼女だが、なんと言ってもそれ以上に目立つのはビールに漬けて脱色しているそのリノリウムを思わせる茶色い髪である。神通には日々この頭を叱られながらも当人は大変気に入っており、上手く元の黒い髪が伸びてくる頃合を見計らっての再脱色や入浴時のお手入れなんかにはとても手間隙を掛けている代物なのだが、怖い怖い上司はそれを中々認めてはくれない。おかげさまで毎日の教練ではすっかり目の敵とされて散々にシボられ、今日の様に妹や後輩がその場にいる中にあっても問題児扱いされている始末。これでも彼女が属する第16駆逐隊での最先任はこの雪風なのだが、神通はそんな事を屁とも思っていないようであった。


 ち、ちっくしょ〜・・・!


 奥歯を噛んで恥辱に耐えつつ、雪風は人知れずそんな言葉を胸の奥で呟く。

 もちろんそれはすぐ隣の列にて『ぷくく・・・!』と微細な笑い声を漏らし、傍から見ても一目瞭然な嘲笑を浮かべている霞の存在も手伝っていて、麻色の肌のおかげでやたらと目立つ白い歯を始めとするその笑みに雪風はギラリと鋭くした眼光でもって応えた。


『確かに帝国海軍の艦魂にこんな土佐犬みたいなのがいたら馬鹿にされるなぁ・・・。ぷふふふ・・・!』

『く、くっそ〜・・・! 猿めぇ・・・!』


 笑いを堪えながら霞が漏らす台詞が、雪風の鬱憤をさらに一層厚くする。何かにつけて喧嘩してばかりのこの二人は本日も例外なく隣同士の位置関係にあり、神通の前に並ぶ少女達の列の中にあっても二人の居る場所だけにはどす黒い空気がもやもやと渦を巻いているようだった。




 やれやれ。また隣か、こいつら。


 神通もそれに気づいて無言のままでこの奇妙な犬猿の仲に首を捻るも、内地巡航ではまず実施されない極めて希有な今日の任務の実施を進捗する為、時を置かずに再び諸注意を語って霞と雪風を含めた全員の意識を己に誘引する。

 事前の説明がこうも必要な本日からの行動は各駆逐隊単位での別動となる為、戦技訓練の時の様に部下全員を己の視界に捉えて励む事こそできないものの、実は一つの水雷戦隊がこうして分散して活動するのも立派な部隊としての行動なのであり、何時か戦場で実施するであろう際の貴重な予行として神通は今日の戦隊行動をなんとしても進めたいと考えている。だからいつもの様にこの二人でまたぞろ蹴る殴るの大喧嘩を始め、せっかく戦隊全員が参集した一時を騒動とされるのを防ぎたいと思った故だった。


『いいか。水雷戦隊というのは帝国海軍では一番隻数が多い部隊だ。人間の指揮権限上は各駆逐隊単位で縦割りだが、実質一隻の艦艇で勘定するのならやれる事は私も含めて17隻分。質はともかくとして、戦艦や一等巡洋艦なんかで構成される戦隊よりは結構小さな所にも手が届くんだ。船のサイズだって小さいしな。今日から始める支那沿岸での行動もそれゆえだ。この人数で付近一帯に展開すれば海域としての哨戒、それから追跡なんかでも高密度、高確率で、しかも効率良く行える。いわば面制圧だな。せいぜい4隻どまりの戦艦や一等巡洋艦の戦隊では、とかく広範な圏内での行動というのは意外に穴だらけなモンなんだ。それに喫水なんかの面でもお前達駆逐艦には制約が緩和される。事実、支那事変から続く支那への派兵に際し、揚子江なんかでの上陸作戦は水雷戦隊が輸送から上陸援護まで実施してるくらいだ。一昨年の海南島上陸、それから去年の仏印北部上陸でも水雷戦隊がその担当になっている。高速で走り回って魚雷をぶっ放すだけが水雷戦隊ではない、という事を今回は各自が学ぶように。解ったな?』


『『『 はい! 』』』


 詳細にして理論的な物言いでの上司のお言葉を受け、彼女の部下達は一斉に表情を律した後に元気良く返事を返す。霞も然り雪風も然り、最新鋭駆逐艦で揃う二水戦は経験の足りなさを始めとして未熟さ、拙さ、そして幼さがどうしても目立つ物であるが、それと引き換えに得ている若さが返事にはなんとも満ち満ちている。元気の良さと明るさは誰にも負けないとさながら自己主張するが如くで、その威勢の良さがいつもムスっとしている神通にも自然と笑みを与えていく。もっともすぐに彼女はやや俯いて両端が吊り上りかけた口元を正し、『ふん。』と短い口癖を吐いて自らの微笑を打ち消してしまい、いつも通りの怖い上司として早速部下達に任務の開始を令達。

 時を同じくして神通艦の艦橋より座乗する五藤戦隊司令官の命令も飛び、二水戦所属の駆逐艦らは錨を下ろしたままの旗艦と馬公の湾を背にして旅立って行った。




 ただ、帝国海軍水雷戦術の尖兵である二水戦において日々の任務の9割方は魚雷を用いた戦闘教練なので、本日の様な警備とか哨戒任務というのはやっぱり珍しい事に変わりはない。ましてや何時如何なる時でも必ず自分達の先頭に立ち、常日頃から反抗は絶対に許さんと厳しく言い聞かせてきた唯一人の上司がその場に一緒に居ないままで任務に就くというのは、まだまだ生まれて数年の身である二水戦の駆逐艦の艦魂達にとっては極めて希な職場環境でもあった。

 だから彼女達は馬公湾を出た頃より各々の司令駆逐艦の甲板に集まって綿密な打ち合わせを独自に実施し、自分達の力だけで切り抜けなければならない本日に理解と心の備えを改める。




 だがしかし、神通が居ない事をこれ幸いと、違う意味で笑みを浮かべる者もそこにはいた。もちろんそれは二水戦随一のヘソ曲がりである雪風である。


『フヒヒ・・・。おっしゃ、こんだけ離れりゃ双眼鏡でも見えねーだろ。』




 台湾と支那沿岸を結ぶ台湾海峡の蒼海に、一条の航跡をなぞって駆ける4隻の駆逐艦の姿がある。それぞれ艦首乾舷の錨も程近い部分には軍艦色の地肌に白抜きで「16」の数字が描かれており、この4隻をもって帝国海軍第16駆逐隊である事が示されていた。先頭にて白波を蹴っている司令駆逐艦の初風艦以下、雪風艦、天津風(あまつかぜ)艦、時津風(ときつかぜ)艦の一糸乱れぬ航行は、新鋭にして新米と言えどもさすがに帝国海軍中最強を自負する二水戦の部隊と言った所で、艦魂達にしても散々に怒鳴られ、げんこつをもらい、尻をぶっ叩かれて教えられたこれまでの経験が実を結んでいると言えそうな代物でもあった。


 もっとも今日はみんなの指揮官役である初風はそんな自らの勇姿に意識を傾ける事無く、他の同僚の駆逐隊と同じように自身の分身に皆を集めて打ち合わせを実施。快晴で風も穏やかな上甲板にてこれから赴く平海湾とその周辺の海図の写しを用意し、神通より申し渡された行動の諸注意の確認を行おうとするのだが、あの神通ですら手を焼く雪風が同じ部隊であったのだから不幸である。

 皆が甲板上に集まったかと思いきや、雪風は上司の目が届かない事を察して早速ポッケから煙草を取り出し、八重歯を覗かせた悪戯小僧の如き笑みで自前の空き缶を煙草盆代わりとしてぶがぶがと一服し始めたのだった。


『雪風姉さん、今から打ち合わせやるんだよ。それにまだ煙草盆の時間じゃないし、ちゃんと乗組員の人達みたいに決まった所で吸わなきゃダメだよぉ。愛宕(あたご)大佐が松島(まつしま)さんのお話してたじゃん。』

『うるせーな。こんな何にもねえ艦尾甲板の端っこでなあ、燃えるモンなんて軍艦旗ぐれーだからいーだろ。それにちゃんと打ち合わせはアタイも聞いとくよ、・・・吸いながら。』


 なんとも不真面目で規則無視も甚だしい奴である。

 帝国海軍の、それも艦船勤務における喫煙の時間、そして場所が決められているのは、火薬や燃料を始めとした火気厳禁の物品を数多く艦内に搭載しているからに他ならず、まかり間違って引火でもしたらどうなるかはついさっきまで過ごしていた馬公湾にて周知された筈だが、愛宕や上司の訓話もこの雪風のやんちゃぶりにはさして効果がなかったらしい。一応は気を遣っているのか、雪風は艦尾旗竿の真下にどっかと胡坐をかき、煙草から落ちる火の粉が海へと流れるように風向きを確かめるべく左右に視線を配っているも、こうもまた決まり事を守ろうとしない所に初風は呆れてため息が出てしまう。

 人間の海軍軍人の中でもまず見つける事ができない程に、極めて不良な水兵さんである雪風。長姉の陽炎(かげろう)や二水戦の駆逐艦では最年長にして最先任である朝潮の忠告も耳を貸さず、同期の様な間柄の霞とは常に喧嘩ばかり、上司のお叱りも誤魔化して通り抜けるなどという問題児っぷりなれば、目下に当たる妹達に規律なぞから逸脱しない己を演じてみせる訳が無い。彼女や初風よりもまだあどけない顔の妹らが恐る恐る諌めてもみても、またぞろ雪風は大きな釣り目と眉をしかめつつ悪態をついて応じてくる。


『ゆ、雪風姉さん。せ、戦隊長も気を抜くなって言ってたし・・・。』

『そ、そうだよ。私達の駆逐隊は私や時津風みたいに新兵ばっかりだもん。最先任の雪風姉さんが初風姉さんの補佐になんないとぉ・・・。』

『ケッ! 年寄りくせー事言ってんじゃねーよ。走り回ってドンパチやる訳でもねーから楽勝だっつーの。』


 なんとも困ったへそ曲がりぶりの雪風は、まったく妹達の忠告に耳を貸してくれない。おっかない上司がその場に居ないことを良い事に景気良く煙草の煙を口から巻き上げ、耳をほじりながら全く緊張感の無い表情を浮かべる彼女に、初風を始めとする少女達は再び大きな溜息をつくばかりだ。


 ただ、別に雪風は本日の変わった任務から手を抜くつもりは無いし、やる気が無い訳でもない。

 二水戦の中でも上司より尻をぶっ叩かれる回数はダントツの一位でありながら、それでいて呉鎮守府に籍を置く全駆逐艦の中では最も柔道の腕前が立ち、帝国海軍艦魂社会ではそれはそれは厳しい事で知られる「私立神通学校」を一年以上も過ごしてきた彼女にとって、怒号も轟かず砲声も鳴らず、30ノット以上の高速で切り裂く高波に艦体が震える事も無いという本日は、良くも悪くもあまりにも刺激が少な過ぎるだけなのである。散々に怒鳴られてげんこつを頂き、皆の見ている前で思いっきり竹刀で尻をぶたれるのは雪風としても大いに嫌な物だと捉えているが、元来がこんな性格の彼女を部下として使えるのは、やっぱり神通の如き猛々しい人柄でしっかり手綱を引ける人物。

 あらゆる意味で雪風はそんな日々にすっかり慣れてしまっているのだ。


 だからやがて初風がちょっと浮かない顔で海図の写しを甲板上に広げるや、いの一番でその海図に食いつく格好となって大きな釣り目を這わせるのは、相変わらず煙草を咥えたままの雪風であった。


『は〜ん。湾が多いけど大型船舶の出入りは大体ここだろ。んなら1万メートルで個別に布陣すりゃ、この湾口はアタイらの隊の視界に納まるな。んで往来船舶の監視ならなあ、ここの岬とこの小島の線を哨戒線に設定してだな・・・。』


 不真面目な事この上ない態度だった雪風が海図を見ながら呟く内容は、任務における部隊としての動きや展開状況を早速考察した物だった。

 まだまだ海軍艦艇としてのイロハも解っていない天津風、時津風に時折声をかけては理解を助長させ、ぶがぶがと煙を吹かすのと同じくらいに意外に緻密に考えた独自の論を並べていくその姿は、例え10代後半の少女の姿を容姿としていてもさすがは隊の最年長と言った所か。言葉遣いも口調も仕草も荒っぽいが、姉御肌な人柄を生かした姉として彼女は要所で機能できる程に確かな成長を積んでいる。

 加えて好き勝手に放つ側面の強い雪風の考察は、なんと初風の分身に座乗する島崎司令の指示と大筋でその内容は合致しており、ただ一人それに気付ける初風は雪風という姉の凄さを改めて意識するのであった。



 す、すごいな・・・。

 雪風姉さん、こんなんでお勉強も結構できてるんだから不思議・・・。



『バカ、時津風。海図よく見ろよ。そこの水深は急激に浅くなるくせに、まわりにゃ目印代わりの小島とか岩礁がねーだろ。気付かねー内に浅瀬に乗り上げて座礁しちまう典型じゃねーかよ、そこ。』

『あ。そ、そっか、なるほど・・・。』


『んじゃあ、こっちの海底の起伏が緩やかなところはどうかな? 時津風が言った区域とは間逆だけど・・・。』

『いや、遠浅んトコも近づかねー方が良い。ウロチョロする漁船がけっこー多いからなぁ。去年の艦隊訓練でも泊地設定とかでモメた事があんだよ。どこでも柱島と同じようなトコだと思ってたら事故になっぞ。』


 呆ける初風の眼前では意図してかせずか、あの雪風が自身の経験も踏まえて行動する海域のアレコレを語り、共に隊では最も年少な時津風と天津風がその声に耳を傾ける、という珍しい光景が広がる。髪を染めて煙草を吸い、霞との間で四六時中喧嘩騒ぎを起こしているいつもの雪風の実に意外な一面で、目の大きさの比率を除けば顔のつくりがほぼ同じである事も手伝って、奇しくも彼女の横顔は皆が頂く絶対的な上司、神通のそれを彷彿とさせる代物となっている。

 初風もようやくここに来て本日の任務が前途の明るい物となるであろう事に可能性を得て、皆の輪に混じるべく3人が集う海図へと歩みを進めて行った。





 そして後年、初風が目の当たりにしたこの雪風の意外な一面はまさにこの支那沿岸において、中華民国海軍の旗艦という形にて存分に発揮される事となるのであった。






 さて、こうして雪風ら第16駆逐隊は台湾海峡を舞台とした任務に取り掛かった訳であるが、わずか4杯の駆逐艦がただっ広い海域の一角で細々と行動する姿は、人間の海軍軍人の間ですら一目置かれるだけの第二水雷戦隊の物としてはやはりどうしても見栄えがしないと言えてしまう。


 日清戦争の威海衛や日露戦争での日本海海戦等、帝国海軍が成した海での勝利においてその末尾を飾ってきた魚雷による戦闘は、小をもって大を屠る戦術で苦心と苦慮を重ねた結果でこそあれ、その都度大変に大きな戦果を得てみせた帝国海軍自慢の戦術。それこそ海軍軍人の間では伝統とすら見なす人も決して少なくは無く、特型を始めとした重雷装の駆逐艦、青葉(あおば)型以来一貫して強力な雷撃能力を付与している一等巡洋艦等は、この辺の事情も大いに関わって誕生している。ほんの10年程前にはまだ戦艦だって魚雷発射管を装備していた過去もあり、帝国海軍の戦闘艦艇ではむしろ魚雷を装備していない艦艇を見つける方が断然難しいくらいであった。

 そしてそんな非常に大規模な具合となっている帝国海軍水雷事情が現代にて特に如実に姿を現すのは、言わずもがな二水戦を始めとする水雷戦隊の勇姿に他ならない。10隻以上の艦艇が密集して隊列を作り、一糸乱れぬ高速航行を時には信号も無しで行うという精強ぶりは、掛け値無しに世界トップクラスの実力。次いでそれを支えるのは昼夜を問わず激しい戦技訓練を日々の任務としているからで、戦艦や空母、そして特務艦艇に乗る乗組員達としてはそのイメージが非常に根強い物である。

 一方、水雷戦隊所属の者もまた己の本分を殆どを魚雷に置き、高い練度と技術に裏打ちされた実力や評価は相応に自負する所でもあるから、案外感覚としては他の者達とは違わなかったりする。


 とにかく海原を突っ走り、魚雷をぶっ放してなんぼ。


 そんな概念を自他共に抱き、水雷を専攻する者が大将や中将にまで登り詰める事が出来るほどに組織内で通用するのが、大日本帝国海軍の水雷における意識的な在り様であった。




 転じて船の命達にあってもそれは変わらず、雪風らの本日の心構えの中にも確かにその意識は存在している。派手なお仕事とならない点でどこか刺激に欠ける事を残念と受け止め、これも経験だと半ば受動的な意欲でもって台湾海峡を駆ける、彼女とその妹達。

 ところがやがて支那の沿岸の緑も薄っすらと水平線の向こうに望めるかという頃になって、先頭にて白波を掻き分けている初風艦の艦尾甲板からは少女達の仰天した叫び声が上がるのであった。


『えええっー! な、なにこれえ!』

『船籍に船型、針路と方位と速力、予想される航路・・・。』

『お、おいマジかよぉ!? 通過する船のこれ全部を記録すんのか!?』

『さ、さすが戦隊長が言ってただけある・・・。す、すんごい量になりそう・・・。』


 引きつった驚きの表情を一様に浮かべる雪風らの眼前には、馬公での出発の折に初風が神通より渡されていた台帳が開かれている。ご丁寧にも茶色い封筒に包まれて紐による封を施されて授かり、予定地周辺に到ってから開けろなどと封密命令書の如き扱いを指示された代物で、先程ようやく時を迎えて初風が取り出してみせたばかりであった。続いて一応はやる気のある雪風が持ち前の強引さで初風の手から早速ぶんどり、中身である台帳にどのような意思を上司が込めたのかを率先して読み取ろうと目を通し始めたのだが、パラパラとめくって行くページに有る記入を要する欄へと気づいた瞬間が、まさに今しがた4人が驚愕した状況となっているのだ。


 さすがに鬼と形容される事も多い神通だけあって、派手さが伴わない本日の任務において部下達に楽をさせる気なぞ毛頭無い。例え自身の目の届かぬ所にあっても私立神通学校の厳しい修学の日々を例外とせぬようにと、自身の分身の中に宿す作戦室にて戦隊司令部の人間達がこの支那沿岸における戦地戦務を検討した当初より、彼女は密かにそれに乗じる形で部下達の教育に繋がる様な事を企画していたのである。むしろ雪風達が目を丸くして想定していた物と違う任務内容に唖然とする姿は、ある意味では神通の思い描いていた通りの光景とも言えた。


 もっとも、差し向ける側はそうであっても、差し向けられた側はその正確な策を察して両手放しに喜ぶ余裕は無い。

 驚きの声の中にも挙げられていた船籍や航路、航行状態等は、大海原を活動するお船にとっては極めて基礎的にして身近な情報に他ならず、これを断片的に収集するのは別に本日の二水戦でなくとも、世界各国官民問わずどこの船舶でも実施している日常的な業務の一つに過ぎない。目印も無く道を訊く屯所すら無い海洋のど真ん中で自身の位置を知るのはもちろんの事、或いは真逆に複雑な入り江や湾、他のお船が密集した港湾で事故を防止する上でも、そして海軍艦艇として軍事的な意味での情報収集をするにあたっても、それらはまず一番に収集しつつ最も活かされる価値と頻度が高いのであり、事実、彼女達のそれぞれの分身で日夜頑張っている乗組員達はほぼ毎日実行しているお仕事と言っても差し支えない。

 ただ、だからと言って誰でもできる簡単な物という訳ではなく、実行するに当たっては実に様々な海洋知識、船舶知識に加え、高度な数学知識も必要とされる難解な側面だって持っている。

 転じてその難解さの餌食となるのは、弾ける若さと引き換えに身体も心も頭もまだまだ未熟となっている雪風達であった。





『転針はしてねーよな・・・。よし、3分15秒。そんで700メートル進んでるんだから、船足は7ノットか。方位は羅針儀の写して、っと・・・。次は船籍か。赤い旗だから〜・・・、あ、イギリス商船旗だったな。・・・ぐひ、ぁんだよ〜、植民地別でもちげーのかよぉ〜。』


 しばらく経って隊を解き、第16駆逐隊の各艦は個艦となって平海湾の緑を水平線に望む。暖かい南支沿岸は萌る緑が遥かに続く海岸一体に滲んでおり、サンサンと輝くお天道様の下に輝く蒼海の揺らぎはどこか揺り篭を思わせるかの如き安らぎを覚えさせてくれる。だが本日その雰囲気に酔えるのは残念ながら人間の乗組員達だけであり、艦の命である艦魂達にとっては非常に学を振り絞っての励むお時間となっていた。

 持ち前の悪ガキぶりを発揮して威勢を良くしていた雪風も例に漏れず、東洋でも一、二位を争う程に船の往来が盛んな海域を前にしては、もはや煙草を咥える余裕すらも無い。上海や天津に向かっているのか、雪風の分身である雪風艦の上甲板より望む一面には、貨物船、客船、油槽船等と実に様々な形、役目を負っているお船が右へ左へと白波を立て、波頭の揺らめきには相応の曳き波も混じっている有様。衝突を始めとする事故を回避すべく信号警笛を鳴らす船舶もいて、さながら銀座の街路の賑わいをお船が演じているようでもある。

 しかし雪風艦より一望できるその全てに対して航行状態や船舶の種類を探ろうとするのであるから、珍しく額に汗を浮かべて必死に記入用紙に向かって鉛筆を走らせているという雪風の様子も無理は無い。たかが目標とするお船の速度ですら、高等数学をふんだんに用いた数式を使って座標として捉え、次いで時間毎に座標の点の変化を計算せねば割り出せないし、船の大きさだってそこには関係してくる。


 故に雪風は羅針儀や測距儀、双眼望遠鏡等の航海用具が揃って備え付けられている羅針艦橋へと今日は足を運び、人間達の邪魔にならぬように通路へと陣取って、床に敷いた記入用紙と海図を睨みながらおつむをフル回転させていた。


『方位268度。基線長は大体宗谷(そうや)さんと同じくらいか・・・? 30分で相対距離は200メートル離れてっから、転針しないとすれば1時間で400メートル。てこたぁ・・・、この線のここがアタイに向けてる角度は〜・・・。あ〜、クソッ。』


 セルロイドで出来た定規や分度器で散らかる海図に、雪風はぶつぶつと思考を声に変えてぶつけ、時折難解さにむしゃくしゃする気持ちを小さく爆発させる。

 これでも雪風が今現在算定中の目標船舶は比較的距離が近く、ほぼ真横の姿で見えた事から船型や船影を捉えやすかったのでこうして色々な計算に専念できるものの、当然ながらどちらも意思に操られて動いている船舶であるからいつもこのような場合とはならない。ましてブレーキなどという制動装置を持っていないお船は、そもそもが衝突や接触を回避するべく遠距離でアクションを起こす必要が有る為に、お互いにその存在を察知したならば離れていく形での行動をとりがちである。だからお船からお船を見る時は大概斜め方向に捉える事が多いのだが、斜めに見た船影の把握は余程の経験を持つ者か船舶愛好家でもなければそう簡単に判別できる物ではない。マストの形状、煙突の位置、上甲板の高低の差、全長に対するそれらの比率、そして最も大事な船舶旗等、割合遠くからでも見て取れる形でお船の特徴を掴むのなら、その最も簡単な見方は目標を真横から見るのが望ましいのだ。




『う、うし。終わったぞぉ。次は、アレか。』


 やがて10分程も経った頃、ようやく難解な座標変換とその解読を終えて記入も済ませた雪風が立ち上がり、海図や用紙をそのままに駆逐艦長以下の乗組員らが汗を流している羅針艦橋の中へと足を進めていく。決して大きなお船ではない雪風艦であるから、艦橋内は140センチ台と小柄な雪風が立ち入るだけでも相当に狭苦しい印象を与えるのだが、まだ付近に居る往来船舶全ての調査を終えていない雪風は乗組員達の間を縫うようにして艦橋前面にある窓の所まで前進。航海科の倉庫より一時失敬してきた双眼鏡を構えて、波間の向こうへと視線を投げる。

 地道だが苦労の末に何隻かの調査を既に終えたのも有り、弾むような溜息を放って双眼鏡を覗き込む彼女の顔は、僅かな汗が光りつつも心なしか緊張が薄まって幾分リラックスした様な感も漂っていた。だが、双眼鏡からはみ出た大きな釣り目が瞬時に尖ると同時に、雪風は双眼鏡を両目に添えたままで突如プンスカと怒鳴り始めた。


『だあああ〜! ま〜た船首斜め方向に来やがって! 船舶旗見えねーんだよ、バカヤロー!』


 残念な捉え方となった目標に癇癪を起こす雪風。

 すぐ傍に居る駆逐艦長を始めとする乗組員は彼女の存在を感じる事が出来ない為に至って平然としているが、持ち前の鼻っ柱の強さからくる勘気に促されて雪風はその場でピョンピョンと飛び跳ねつつ、片手に持った双眼鏡をブンブンと振り回して相手に届かぬ文句と暴言を吐き散らしている。

 その様子は彼女の上司にしてお師匠様である神通のご乱心時と奇妙に重なるのであるが、おかげさまでそのお船における航行状態や船型の調査に、彼女は膨大な時間と手間隙を掛けられてしまうのだった。




『ちっきしょ〜。終わんねえよぉ〜・・・。』


 やがて夕闇が南支那海を包み、昼間の暖かさもお日様と共に影を潜めた頃合になっても尚、雪風艦の羅針艦橋からはやや泣きそうな音色も混じった雪風のそんな声が響く。

 同時にドンパチとは距離を置いた形式での水雷戦隊における任務と言えども、その中身は如何に過酷で大変であるかをこの日彼女は身をもって思い知る事になり、その仲間や姉妹達もまた場所こそ違えど、同じ時に同じ教訓を疲労困憊の中に得たのであった。


 神通の教育は大成功だった。

 

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