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第一二二話 「再会と憂慮/其の一」

◆拝読に当たって◆

 読者皆様、いつもご拝読を有難う御座います。


 さて今回より佐世保における朝日艦のお話を書かせて頂きますが、朝日艦はどうもこの時期、第一艦隊付随の工作艦として行動していたとの情報もありまして、史実のこの時期に佐世保に居る事は今回のお話では完全に創作であります。

 また、同様にこの時期の敷島艦と金剛艦の繋留位置も、海兵団や設備の位置も考えて恐らくこの辺だったのではないかと設定した次第ですが、こちらも上記と同じく創作である事をお知らせさせて頂きます。


2011/8/22 明石艦物語作者・工藤傳一

 昭和16年2月26日。

 九州は西北端に位置する、長崎県の佐世保湾。


 「琴の海」なる美しい別名を頂く大村湾の入り口に位置し、リアス式海岸特有のもみじの葉っぱを思わせる入り組んだ入り江を持つこの湾は、大海へと通じる水道が非常に狭隘な上に、海岸から僅かに陸地に進むだけで連なった山々に包囲される格好となっており、良港としての地理的要因を相当に高い次元で備えた場所である。

 加えて古くは鎮西と呼称された頃より連なる九州の歴史も合わさり、この辺一帯は日本史の上ではとりわけ異国との関係が深い所でもある。


 それはもちろん戦国時代より盛況となった南蛮貿易、つまり西洋との会合がその主役と一般的に見られる物であるが、もともと日本の中では最も大陸に近い場所ゆえに支那、そして朝鮮との関りは、そのさらに昔より続いてきた歴史がある。日本人なれば誰しもが歴史の授業で習い、一般に九州の物を指す太宰府なんかも、その設置の大きな要因には大陸との交通の玄関口として九州が非常に大きな役割を果たしていたからで、日本書紀にも記される遣隋使なんかもこの九州北岸を経由して大陸へと渡っていた、と言われるくらいである。

 だが他国とのお付き合いに付き物の諍い、争いもまたこの地は日本では最も多く、そして激しく経験しており、日本史にその名を轟かせ続けて明治の頃には軍歌としても詠われた元寇もまた、その舞台は九州北岸だ。

 まだお馬に乗ってパッパカパッパカと駆ける騎馬武者が花形であった当時の日本軍と、なんと既に火薬を用いた爆破兵器を装備していたという元と高麗の連合軍が、それぞれ数万の兵力でもって九州北岸の浜辺にて激突したこの戦。明治の終わり頃ですらこの日本は人口4000万ほどであったのだから、1000万もいるかどうかも怪しい当時においては、まさに史上希に見る大戦争である。隠岐、対馬では辛酸を嘗めた当時の日本であったが、自分の国が他国に蹂躙されるという危機に立ち上がった彼等は、ついに敵軍の九州上陸を機として兵装の差や対外戦争の経験の薄さも跳ね除けての反撃を開始し、必死に奮闘する日本男児の姿が九州の海岸に一斉に花咲くのであった。

 その際の物として、矢を受けて血まみれになる馬を駆りながらそれでも尚、馬上にて弓を片手に元軍に向かって突進せんとする竹崎季長(たけざき すえなが)の絵巻物は、つとに有名である。


 皮肉にもそんな祖国防衛の姿が現代では支那における支那人達によって再現されている訳であるが、とにもかくにも古よりの国防の最前線の地であったのが九州なのだ。


 それは現代においても、そして海を守るという観点においても変わっておらず、明治19年に呉と同じ時期にこの佐世保湾に軍港を設置する事が決定されたのも、ここに大きな理由が有る。日本地図のスケールで見るならば、大陸方面の海域に対する前線基地と言っても過言ではなく、事実、日清、日露の戦役、そして昭和に入ってからの上海事変、支那事変においては、この佐世保軍港は前線に最も近い物資生産と整備補修の根拠地として真価を発揮してきたのだ。




 さてそんな佐世保軍港であるが、呉や横須賀と同じでその境域というのは佐世保湾の全ての入り江を含む非常に広大な物である。一般に軍港という言葉で連想される光景は、軍艦が何隻も連なるのと同時に大きな起重機や倉庫も並ぶ桟橋や岸壁、そしてその付近の波間、という具合になり易い物だが、厳密に軍港と帝国海軍が定める区域は民家もある集落や山林、所によっては沖合いの島なんかにも及んでいた。


 この佐世保にあっては佐世保湾とそこに浮かぶ針尾島全部は勿論、大崎半島周辺に当たる大村湾の北側僅かと、西彼杵(にしそのぎ)半島の中部付近までを南端とし、佐世保市を包囲する山々が北端。次いで東側は大村湾に注ぐ川棚(かわだな)川の河口辺りまで広がり、西の境界線に至っては佐世保湾から五島灘に抜けて10キロ近くも沖合いにある黒島にまで伸びているのだ。

 ちなみにこの黒島から南東側にある大島と寺島もまた佐世保軍港境域の南端を構成しており、なおかつこの大島の南東、寺島の南側に位置する海域は、三方を陸地に囲まれた地形を見込まれて最寄の艦隊泊地、または錨地として機能している。言うなれば佐世保の柱島泊地だ。


 そして佐世保軍港の中枢となるのが帝国海軍の太宰府たる佐世保鎮守府と、明石(あかし)雪風(ゆきかぜ)なんかの生まれ故郷でもある佐世保海軍工廠である。

 佐世保湾の北側に伸びた入り江の最奥部にして、ちょうど佐世保川の河口がある付近に位置する佐世保工廠は、北岸一体は綺麗に整備された大きな岸壁が3本も伸び、その岸壁に囲まれた2箇所の大きな波間は係船池と呼ばれる艦船の待機場所として機能し、なおかつ呉に負けないくらいの船台や船渠も周囲に複数完備する等、帝国海軍の拠点としての威容が山々に囲まれる中にあっても一際目立つ姿である。

 その造船、及び補修施設群の中には、つい先月に完成したばかりの第7ドックと呼ばれる特大の船渠も含まれるが、これは今現在、ここから遥かに南に位置する三菱長崎造船所で艤装工事中の、武蔵(むさし)艦の為に作られた船渠であった。


 このように佐世保工廠はその施設においても常に時代の最先端を捉えて設定されており、帝国海軍の数ある要港の中でも指折りの存在である事は論ずるに及ばない。艦隊訓練が始まって本籍を置く艦の殆どは皆出払っている状態であるが、工廠の係船池や艤装桟橋に繋がれる少数の艦船が、西海の城郭たる佐世保の威容をまだまだ保たせていた。




 その主な艦影はやはり艦船の待機場所たる2箇所の係船池に多く、特に平瀬地区の係船池などは海上側からの玄関口である第一上陸場と第二上陸場にも程近い上、僅かに陸地を歩けば鎮守府庁舎や佐世保海兵団の施設に行く事ができる等、非常に立地条件が良い事から係船を求める艦船からはそこそこに人気の係船ポイントである。面白い事に係船池東端を構成する岸壁のさらに東は海ではなく、そこにあるのは佐世保北側に連なる山々より注ぐ佐世保川であり、工廠内に居ながら打ち寄せる波の囁きと川のせせらぎが一緒に堪能できてしまうお得な地帯。

 釣り好きな者には中々に魅力的な所である。







 今日もそんな2つの調べを耳にしながら平瀬地区の係船池には数隻の大小艦艇が浮かんでいるのだが、最東端に位置する右埠頭の第一上陸場近くに、一際大きな割に見た目の古風さもまた一際、という奇妙なお船が岸壁に繋留されている。


 喫水はそこそこ深そうでケースメイトを持つ故にやたらと舷側の高さが目立つその艦だが、全長は一等巡洋艦より2回りは小さく、それでいて艦幅は20メートル以上は有りそうと、さながら真上から見るとどんぐりの実を髣髴とさせる形の艦体。転じて真横から見ると角ばったラインが多い艦体は箱型に見えるが、それに変わって今度は甲板から一直線に空へと伸びた2本のマスト、次いでマストの間にてこれまた一直線に聳える3本の煙突が目を引く。マストも煙突も艦首方向より見れば艦体首尾船に沿って綺麗な縦並びで、その高さもマスト同士、煙突同士で揃えられている所は、何か見る者に整然や規律といった言葉を連想させる不思議な魅力を持っており、木甲板や隔壁の一部にやや汚れが目立つ古いお船であっても決して失われない、その艦独自の雰囲気という物が滲み出ていた。

 もちろんこの艦は、佐世保軍港の最重要区画たる第一区内の係船地に在泊している事からも解るとおり、帝国海軍の艦艇である事は一目瞭然で、錆びも僅かに浮いたスタンウォークを備える艦尾にては旗竿にしっかり十六条旭日旗が掲げられている。ただし第一線からは完全に身を引いたお船である事には変わりなく、もう何年も岸壁に繋がれているのであろうその経歴が、岸壁と艦を繋ぐホーサーの色褪せ具合によって物語られていた。


 まさに海軍軍人で言う所の予備役が適用された艦であり、往時はその身に帯びていたであろう多くの砲門も既に全部取り去られている。ケースメイトもかつて砲が備えられていた所に窓だけが残るのみで、艦首と艦尾の甲板に有った砲塔に至っては一階建てでやや横広な形の小屋へと取って変わられているが、かつてこの日本周辺の海にその名を轟かせた本艦の名は、今も艦尾のスタンウォークに掲げられた4文字の平仮名によって明確に示されている。


 「しきしま」


 この艦こそ明治37、8年の役と呼ばれる日露戦役において、四方の海を護るべく遠き英国より渡って来た4隻に及ぶ大戦艦のネームシップ。貧乏島国が臥薪嘗胆を合言葉にして耐えに耐えた末に調達し、その歓喜を原動力に個艦ながら特有の行進曲まで作られ、後の戦ではその巨大さを以って敵国海軍の艦隊に、世界水路史上屈指の難所たるローリングフォーテーズをも含めた3万キロにも及ぶ旅路を強要させてみせた殊勲艦であり、当時の日本の運命をその舳先の菊花紋章にて照らし出してくれるようただひたすらに願われ、そして見事に叶えてみせたという、神の如きお船。

 まさに明治の大和(やまと)艦たる、敷島(しきしま)艦であった。





 するとそんな敷島艦の艦首甲板にある小屋の真ん前。ちょうど屋根の軒下にできる影が色褪せた木甲板の上に境界線を敷く辺りに、折り畳みの椅子に腰掛けた非常に大柄な女性が何やら本を読んでいる姿がある。


『・・・・・・。』


 熱心に読んでいる彼女は吐息以外の声を漏らさず、時折頬や視界にかかるその白浜の砂の如き色をした髪を手で跳ね上げる。1ページが二の腕程もあり写真も併載された大きな紙面に青い瞳を這わせ、高い鼻と奥まった目で構成された30代半ばくらいの顔でうっすらと笑みを浮かべている所を見るに、ずいぶんとこの古ぼけた老艦の上にてくつろいでいるようだ。

 帝国海軍に属する者における一張羅にも等しい、濃紺の第一種軍装を身につけている手前もあり、この女性が帝国海軍艦艇の艦魂である事は疑いようもないが、実は彼女はこの敷島艦の命ではない。

 その分身は甲板上で椅子に浅く腰掛けて読書している彼女の横顔の向こう、つまり位置にすると係船地のある工廠東側の逆側に在り、工廠西側の船渠や船台が密集している地区の艤装岸壁に繋がれている。一際高い山のような艦橋と、天蓋を外して露天に晒されてる356ミリの主砲を持つそのお船は、昨年11月に発布された昭和16年度艦隊編成で改装の為に艦隊から除かれた金剛(こんごう)艦であった。


 もっともおかげさまで改装の真っ最中である金剛艦は、重機械の駆動する音が四六時中鳴り響く状況に陥っており、4月の工事完了を目指してその作業は日を追う毎に激しい様相になりつつある。工事を担当する人間達はお仕事に一生懸命に励んでくれているのだが、如何せんお船の命たる艦魂にあっては騒音に包まれる中での生活が続く事になってしまう。おちおち本も読めない程にうるさいのは勘弁と皆一様に思ってしまうのも無理は無く、その例に漏れなかった金剛はたまたまそこから程近く、なおかつ自身の分身とは違って工事とは無縁の敷島艦の艦上へとやって来て日々を過ごしているのだ。

 それに今現在、椅子に座って読書を続ける金剛の周りに姿こそ無いものの、敷島艦の命である敷島は金剛にとっての唯一の師匠である事は周知の事である。金剛が英国から渡って来て以来、もう20数年来の付き合いで、戦艦としての先輩格とかの理由で過剰に遠慮を必要とする仲でもないから、彼女は特に断りもせずにやってきて、腰をかけている折り畳みの椅子も勝手に敷島艦の艦内より引っ張り出して使っている有様であった。


『ん〜〜〜〜・・・、くぁっ・・・。』


 その内に長時間の同じ姿勢にやや疲れを覚えた金剛は、おもむろに頭上を見上げて本を持ったままの両手を上方に伸ばし、肩や首の辺りに溜まった凝りの解消を図る。女性ながら身の丈180センチ以上と非常に恵まれた体格でのその姿は、ともすればまるでヒグマが立ち上がって威嚇するような格好となり得なくも無いのだが、長身ながらも痩せ型で西洋人独特の非常に脚が長い体つきを持つ故か、それともクセが無くサラサラとした流れが途絶えないサンディブロンドの髪が姿格好に相当の補正を加える故か、金剛が大きな伸びをするに当たっては長身の美しい女性像が崩れる事は最後まで無かった。

 多少は老いも意識し始めてくる30代半ばの容姿を持つ金剛だが、音に聞こえしその豪放磊落で気性の激しい人柄に反し、外見だけを見れば実はスラリと長身で髪も顔立ちも非常に美しい艦魂である。美人の形容に付き物の言葉で「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という物があるが、遥か遠くであっても軍艦旗と同等に目立つ髪も含めて極めて容姿端麗な金剛は、かつて第一次大戦の頃、持ち前の美貌で東洋に派遣されていた英国海軍艦艇の艦魂達の度肝を抜かせた事も有る程で、『ライムジュースの飲みすぎか? それとも足りなくて壊血病ぎみなのか? 我が王室海軍はドイツ海軍との戦で錯覚が随分激しくなっている。あれほどの艦魂を女王陛下の下の海軍でなく、東洋の海軍へと嫁に出す余裕なんか無いだろう。』とは、当時エムデン艦を始めとするドイツ艦隊を追っていた英国東洋艦隊における、艦魂達のささやかな母国への愚痴であった。

 もちろんそれは天から金剛に与えられた、つまり生まれながらに持てた固有の特徴で、日本にやってきた当時もその美貌は他を圧倒。おまけに体格も恵まれていて分身は当時の世界最強の艦艇とくれば、これを放っておける先輩艦魂は存在しない。特に生きる術を教えるべく師弟の間柄を結ぶという艦魂社会であるからその傾向は非常に顕著で、今は横須賀にて分身を係留されている富士(ふじ)なぞは、この金剛を自分の弟子にしたいと珍しく駄々をこねた過去だってあるのだ。


 帝国海軍、否、世界の海軍艦艇の艦魂社会において、希に見る超絶な美人艦魂。そんな金剛の羨ましい限りの容姿の特徴は年齢相応の老いを重ねつつも、生誕から20数年以上経た今でも全く変わってはいないのであった。


 ただし、それは「黙っていれば」との注釈付きでのお話だ。




『だあぁぁ〜っ・・・。毎度の事やが、改装っちゅうんは暇やあ。』


 そうこうしない内に金剛は再び先ほどと同じく腰掛けたままでの伸びを行うも、大きく開いたその唇の隙間より漏れてくる関西訛りの荒い言葉遣いが、再び現れようとしていた彼女の姿の美しさを木っ端微塵に砕いてしまう。帝国海軍で言う所のドカタ型と呼ばれる人柄の中にあって、現代の帝国海軍艦魂社会ではその典型とみなされる彼女の性格は、金剛の数少ない、そして致命的な欠点である。

 これでもおっかない師匠の教えと年齢を重ねた事で随分と人柄は丸くなった方で、若りし頃は面白がって火気厳禁とされる甲板上で火酒を口に含んで火を吹いたりするわ、改装の為にと人間達が手にしたドリルに凄絶な跳び蹴りをかまして何本もへし折ってみせるわ、元々の荒っぽい性格故に肌が合わなかった富士を始めとする大人しめの先輩達に対し、暴言と唾を吐いた上に突き飛ばしてみせるわと、無礼千万にして傍若無人な所業は枚挙に暇が無いくらいの、筋金入りの問題児であった。

 もちろん根っからそんな暴れん坊だった性格が完全に矯正される筈も無く、語気の荒さは昔とちっとも変わっていない。読書は別に嫌いではない金剛だがじっとしている事に不思議と苛立ちが募ってしまい、その内に肩や首を捻って身体の奥から響いてくる鈍い音にささやかな鬱憤を晴らすのだった。


『くああ〜あっ・・・。』


 大きく丈夫な身体には2月も暮れる頃の寒さなぞ染みないのか、やがて僅かに白い色を浮かべて四散していく息も伴っての大あくびを金剛は放つ。自分の事を羨望も激しい美貌の持ち主だと自惚れる事も無ければ、むしろ艦魂の容姿における評判なんか糞食らえくらいに思っている彼女だから、恥や外聞も忍ばずに大きく口を開ける様はまるで獲物に噛み付かんとする虎の如く。歯茎や犬歯が覗くのもまったく気にせず、身体の奥から起こる衝動をホイホイと行動や仕草に表していた。




 しかしあくびを終えて涙も溜まった鋭角の目を金剛が擦っていると、ふと彼女の背後、すなわち主砲塔跡に建てられている小屋状の建築物の方向から、なにやらこの艦を訪ねて来たらしい者の声が聞こえてきた。


『ごめんください。』


 まるで弦楽器の音色を思わせるかのような優雅さと重みを持ち、金剛にしては最近ではちょっと聞きなれない声だった。ただ、明らかに女性の声であるのと同時に、背中越しとは言え完全にそれは金剛に対して話し掛けられた物である事から、声の主はきっと自分と同じどこぞの海軍艦艇の命たる者であろうと察するも、面倒くさそうに歪めた顔を背後へと向ける事は無い。

 その理由はつい先日に第一艦隊の面々がこの佐世保へとやってきており、長門(ながと)陸奥(むつ)を始めとする艦魂達がこの敷島艦へと挨拶に来た記憶が新しいからで、艦隊訓練や巡航には珍しくない時間差を置いての回航により、再び誰かが現代帝国海軍における長老格の敷島へと挨拶回りに来たのだろうと考えた故である。もっともどうせ自分宛の挨拶じゃないと思うとちょっと不貞腐れたくなる気持ちが湧いてしまい、彼女は振り向きもせずに右手を顔の横でヒラヒラと翻し、師匠でもあるこの艦の主が現在取り込み中である事を教えてやった。


『あ〜あ〜。帰りや。親方は今、身体鍛えとる最中や。ほれ、一番煙突見てみい。』

『一番煙突?』


 金剛の後ろでは応答に疑問を呈す一言が放たれる。どうも何かその声には心当たりがあるような気もするが、暇で暇で仕方ない倦怠感と僅かに瞼に残っている眠気が、金剛の脳裏にて行われる記憶の検索を阻害する。声質からするに若い艦魂では無いようだが、どうせ艦隊の補給に携わってる古い運送艦とかの艦魂だろうと深く詮索はせず、またしても顔と視線を手中の本に向けたままで今度は頭上の空を指差しながら言った。


『せや。真っ黒い煙がぎょうさん昇っとるやろ。今日は海兵団の四等水兵供が機関の実習やってるさかい、親方はスチーム使(つこ)て名物の一汗かきや。・・・あの歳でよおやるでホンマ。まったく、何食うとんのや、あのオバハン。』


 話題の張本人がいま甲板に居ないのを良い事に、金剛はちょっとした愚痴を溢す。もうとっくの昔に引退した敷島艦の命、敷島は、金剛と比べて容姿の上でも艦齢の上でも10年以上も時を重ねた艦魂で、ハッキリ言って若いとは言い難い。後は余生を穏やかに過ごすだけという、人間の世界でも往々にしてある年寄りの日々を過ごせば良い筈なのだが、さすがは帝国海軍艦魂史上でも超が付く程の大問題児であった金剛を育てただけの事はある。

 なんと敷島は40余年の生涯を経た今でもなお、その健全な身体と運動能力を鍛えており、それどころか愛弟子の金剛と武技教練を行って勝ってしまう程の強健さをも備えているのだ。

 おかげさまで未だに師匠に面と向かって抗えず、喧嘩自慢、度胸自慢が売りな筈の自分にとって超えられない壁であり続ける敷島が、時に金剛にとっては小さな悔しさの矛先になる。弟子入りして20数年、現代の帝国海軍艦魂社会では第一線組みの親分として君臨するのに反し、敷島にだけは金剛の頭が上がらないのだった。


 それが転じてか、負けず嫌いで鼻っ柱の強い金剛が僅かに不機嫌そうな表情となって本のページをめくる中、彼女のサラサラと流れる金髪の隙間より来訪してきた者の応じる声が通り抜けて来るのだが、その声の中にあった言葉を耳に入れるや、金剛のページをめくろうとしていた指が止まる。


『そう。敷島姉さん、相変わらずなのね。元気そうで何よりだわ。』

『ね・・・、ねえ、さ、ん・・・!?』


 その瞬間、金剛の身体に纏わり付いていた暇が生む倦怠感と眠気は引き波の如く去って行き、変わって脳裏の奥底にあったとある大きな存在の記憶が、寄せ波となって金剛の意識の中に押し寄せてくる。


 金剛は知っている。

 長い時の流れの中で一人、また一人と失われてきたという、師匠の敷島を姉さんと呼べる者が、今もこの世にたった一人だけ生きている事を。師が全幅の信頼を置いていた故に幼い頃より世話を焼いてもらい、鬼の様に厳しい修行の日々においてその慈愛心が溢れた人柄にどれだけ救われただろうか。まだまだ荒んでいた心をあの美しい微笑と忘れ得ぬ紅茶の味で癒し、それでも道を踏み外した自分を柔道をもって再び歩かせてくれた恩人。


 かつては4名居た内、敷島のすぐ下の妹に当たる者。


 そこまで記憶が蘇るや、金剛は持てる素早さの全てを用いて身体を捻り、背後にて往時のあの微笑を浮かべている人物へと視線を流す。そしてそこに在ったのは、決して見間違う事無き琥珀色のカールのかかった髪を持つ女性。

 刹那、金剛は僅かに瞳の端を光らせて、その名を叫ぶのだった。


叔母御(おばご)・・・! あ、朝日(あさひ)の叔母御やないですか!!』

『ふふふ。貴女も相変わらず元気そうね、金剛。』

『叔母御ー!!』


 砲声の如き絶叫を上げた後、金剛は椅子を蹴り、手にしていた本を放り投げて朝日の傍へ駆け寄ると、その大きな身体と両腕を広げて朝日へと抱きついてくる。160センチ台の身の丈しか持たず、しかも老いが目立ち始めた40代の女性像を持つ朝日にとって、そんな金剛の抱擁は勢いの点でも強さの点でも相当に過激な代物であり、朝日はもんどりうって後ろに倒れそうになるのを堪えながら、自身の肩に顔を乗せる様にして抱きついてきた後輩に声をかけた。


『ふ、ふふ・・・久しぶりね。うぐ・・・。ちょ、ちょっと・・・、く、苦しいわよ、金剛・・・!』

『叔母御ー! ハーハッハハ! ひっ〜さしぶりやないですか! いつコッチ来とったんですか! ハハハ!』


 もはや一種の絞め技にも等しい金剛の抱擁。当の金剛は数年ぶりとなる朝日との再会を心底喜んでいるだけなのだが、180センチ以上もあるその身体と四肢に込められる力は生半可な物ではない。朝日も決して後輩に攻撃の意思があるとは思っていないし、日本へとやってきた頃から彼女を見てきた故に手に取る様に理解できたその歓喜の心を否定するつもりなぞ毛頭無いのだが、老体にはちと苦しすぎる行為である。

 無理も無い。金剛は朝日の温もりを感じる今、その胸の内を完全に童心へと返らせてしまっているのであり、年甲斐も体面も忘れて朝日の左右の頬に何度も唇を押し当てるばかりであった。


『わ、わかったから・・・! もう離してよ、金剛・・・! く、くるしいってば・・・!』

『おおぉ、っと。こらあ堪忍やで、叔母御。はっはっは、ホンマ、えろう久しぶりやったさかい。たはぁ〜っ、叔母御はいつ見てもべっぴんやなあ〜。』


 後輩の激しい歓迎に朝日が困って手を振り回し始めると、ようやく金剛は理性を取り戻して朝日の身体に巻きつけていた四肢を畳む。全く加減が無い抱擁により朝日の美しい髪は外側に飛び跳ねる毛が何本も生まれ、ヤマが揃っていた濃紺の軍装も一瞬にしてしわだらけとなり、ろくに近況も話さない内から身嗜みの再構築を行わねばならなくなってしまった。


『んもう。ああ・・・、服がシワだらけになっちゃったじゃない。』


 僅かに腰を折って胴回り、袖周りの辺りを白い肌も輝かしい手で払う朝日からは、ちょっと声色に怖さを滲ませた上での愚痴が漏れて来る。もともと非常に社交や礼節という物を大切に考える彼女であるから、例え付き合いの長い後輩と言えどもそこにあった無作法はささやかな怒りの矛先へと変化しやすい。同時にその気持ちは早速朝日のちょっと鋭角ぎみになった青い瞳に浮かんでいるのだが、金剛はそれに対して臆する様な様子は無く、常夏の南国の海を思わせる鮮やかなブルーの瞳を輝かせながら、その人柄に合う些か下品な感じもする賛辞を朝日に対して投げてきた。


『や〜、ホンマに堪忍やで、叔母御ぉ。5年ぶりくらいに会うたんやから、嬉しくてつい、・・・おほ! ワハハ! 叔母御〜、相変わらずええ尻してまんなぁ〜!』


 嬉々とした表情で平謝りするかと思えば、次いでその口から出てくるのは朝日の流麗な身体の輪郭に対しての絶賛。二人とも同じ艦魂、そして同じ女性である中で、出会って間もない内にお尻に視線を投げているという金剛は、艦魂も人間も共通にして持っている世間一般の常識から見ればちょっとその気がありそうな人物に見える。だが、この言動には金剛なりの独自に視点がある事を朝日もよく知っている手前、声を大にしてより一層眉を吊り上げるような気は微塵も起きていない。

 現代の帝国海軍艦魂社会でも指折りの鬼教官、徹底的に弟子を虐め鍛える師匠筋として名が通った金剛は、特に体力練成や武技習得においては専門家にも等しい教育理論と着眼点を会得した艦魂であり、その観点から他人の程度を見定める際に最も注視する部分が彼女にとってはお尻なのである。今しがた褒めちぎった朝日も然り、いつぞや散々に尻を引っ叩いてみせた朝日の弟子の明石や雪風も然り、自らが行った教育の日々において歴代最優秀の成績を収めた弟子という神通(じんつう)も然りで、金剛は軍袴越しに認める相手の尻の具合によって、その持ち主が持つ体力や武技の強さをほぼ正確に把握できてしまうのだ。

 


『そういう言い方はみっともないわよ、金剛。それに私はもう、昔みたいに柔道なんて出来るほど若くないのよ。』

『なぁに言うてんか。きょうびの若いモンらはブリキ缶と違わん尻ばっかで嘆かわしいモンですわ。あないなクソ垂らすだけの尻、見とるだけでけったくそ悪い。やっぱし叔母御みたいに立派で綺麗な、テーパーアーマーみたいな尻持たななぁ。はっはっは!』


 ここに至って、金剛と朝日はようやくまともに声のやり取りを交える。

 5年ぶりに目にした尊敬する先輩の姿か、それともその尻の見事さが発端だったのか、強面の親分と明石や神通の世代の艦魂達から見られる金剛は極めて爽快な高笑いを伴って、朝日の一挙手一投足や微細な表情の変化を見て笑みを浮かべっぱなしである。濃紺の服と琥珀色の髪の乱れを撫で終えた後、生来が大人しい人柄の朝日は金剛の話にただただ微笑を頷かせて耳を傾けているだけなのだが、両足でその場に立つ中で片足に体重を掛けたり、不意な潮風に髪を掻き揚げたりする彼女の何気ない動作が、金剛に楽しさを連続で生んでくれる起爆剤となっていた。


『おーおー。そういや観艦式の時、明石に会いましたで。なんや、叔母御が教えてやっとるそうやないですか。羨ましい限りやで。せやけどあんまり身体は丈夫そうにゃ見えへんかったさかい、叔母御、柔道の初歩ぐらいでも教えてやった方がええんとちゃいますか? ガタイも叔母御と同じくらいやし、吉法師(きっぽうじ)・・・、あ、いや、神通どついてんも相当に度胸が有るいう証拠や。あないな薄っぺらい尻にしとくんはもったいないやないですかぁ。』

『ふふふ。あの子はまだまだ勉強中の身だけど、先代と同じであれでとっても聡明な子よ。自分に足りないと気づいた時、きっと自分で考えての自分の力でちゃんと励める子よ。まあでも、もしその時に傍に居たなら貴女も手伝ってあげて、金剛。』


『おっほ! 叔母後のお墨付きなら喜んで任されたっちゅーもんや。はははは。おうし、そん時は徹底的にシバいたろうやないですか。こら楽しみが増えたでぇ。』

『ふふふふ。でもほどほどにね。あの子はまだまだ未熟で泣き虫なんだから。』


 人柄とその品格の差異が非常に目立つ二人であるも、金剛が持つ朝日への絶対的な信頼と親しみ、そして逆に多くの後輩達を持つ中にあって特別な愛情と真心を金剛へと傾ける朝日の心により、そこに現れるのは極めてほのぼのとしている、とある艦魂の談笑する自然な光景だ。

 お互いに今現在の弟子の名を話題に上らせるや、もともと親分肌で年下の者を鍛える事に楽しみを覚えている金剛にとっては棚からボタ餅的な内容へと話が変化し、朝日からすれば20センチも見上げた所にあるその顔に白い歯を輝かせて金剛は笑みをまた一段階明るくするのだった。

 おかげで金剛の脳裏には朝日との会話をもっともっと続けたいという意思が大滝の如く注いでくるのだが、やがて朝日が静かで優しげな笑顔を二人が居る甲板のアチコチに流している事に気づくや、彼女の思考の中にあった大滝は一瞬にしてその流れを止める。

 それは勿論、いま自分達が居る敷島艦の艦上にて朝日が視界に捉えようとしている存在が、金剛にあってはすぐに察しがついたからであり、金剛は朝日にその内容を確認する事無くその場を駆け出すのだった。


『おわ! アカン、こないな立ち話しとる場合ちゃうわ! 叔母御! すぐに連れて来るよってに、ちょい待っとってやあ!』

『あははは。お願いね、金剛。』


 金剛はその大きな体躯の中に抜群の運動神経を秘める。

 生誕から30年にも迫る程の時間を艦齢として重ねた今でも尚、金剛は全力疾走すれば100メートルを11秒台で突っ走る事も出来るほどで、朝日の真横を通り過ぎて上部構造物の有る艦中央へと走っていく最中、帝国海軍中最速の戦艦という分身に相応しいその俊足ぶりを披露してみせた。

 その後に残るのは極めて健康で元気な後輩にただただ微笑む朝日と、遠くなっていく革靴が木甲板を蹴る小気味の良い音。そして駆け抜ける途上で艦のアチコチに放る、金剛の特徴的な叫び声だけだ。


『親方ぁー! 親方ー! どえらいこっちゃ! 親方ー!!』


 砲声をも思わせる音量で叫ぶ金剛の背中にはお淑やかさなぞ微塵も無く、あの長くて綺麗な脚線をがに股にして走る様子にも、女性の観点から持つ恥じらいという物がまるで感じる事が出来ない。粗野で乱暴でちょっと下品な上に、そんな自分を変える事には傲慢とも取れる程に拒絶の意思を抱く金剛の人柄は、至極当然の如く朝日が教え子を育てるに当たって金科玉条とする「一流の淑女(レディ)」という在り方からは大いに逸脱する代物だが、それは朝日にあって金剛を嫌悪する理由にはちっともならない。10代後半の少女の顔を持って英国よりこの日本へとやってきた当時より、最後の外国製、しかも朝日と同じ英国生まれの戦艦という出自を持つ金剛は、同じ英国生まれ、同じ戦艦、そして同じように帝国海軍に嫁いで来た、という共通の境遇を持つ事で、朝日にすれば人間で言うところの血族の如き特別な親愛を注げる艦魂であった。

 艦魂独自の師弟の壁も越え、個人の人柄や相性なんかも通り越した愛娘のような存在であり、時には大事件を巻き起こしてしまうそのやんちゃさも問題児っぷりも、無意識に抱く親愛の情と可愛がる気持ちが全て覆いつくしてしまうのである。


『ふふふ。あの子は本当に変わらないわね。走り方も昔のままだわ。』


 昔日と変わらぬそんな金剛の後姿に朝日はそう呟くと、ゆっくりとした足取りで金剛が突っ走っていく後を追い始める。姉妹艦である故に当たり前の事だが、自身の分身と同じように現代では特別広い訳でもない敷島艦の艦上では、いくら金剛の脚力が抜きん出ていても歩くだけで簡単に追いつける事が出来るし、あれだけ大きい声で呼ばれればお目当ての人物がそろそろ姿を現すだろうと朝日は考えていたのだが、それはやはり正しかった。


『親方ー! おやか─!』

『えーい、騒々しいな。何をギャーギャー騒いでいるんだ、キサマ。』

『イテッ・・・!』


 朝日の眼前で艦橋構造物のウイングデッキの下を潜り抜け、ケースメイトへの入り口も近くなった所まで足を進めていた金剛であったが、突如として金剛のすぐ傍にあった鉄製の防水扉が開いたかと思われた刹那、その扉からは白いズボンに包まれた一本の脚が真横に伸びてくる。くるぶしから先に軍艦乗組みの水兵さんが今でも使用する事もある地下足袋を履いたその脚は、なんとも綺麗な直線で宙を突き進むや朝日のみぞおちの高さくらいにもなる金剛のお尻を弾き、その際の鈍い音ともんどりうって倒れる金剛の悲鳴が、やや遠くから目にしていた朝日の耳にもハッキリと聞こえてくる。


 それと同時に朝日の足が進むのを止めて顔の笑みを深くするや、倒れこんだ金剛の傍の扉からは、真っ白な長袖の服を身に纏った人物が姿を現した。

 よく見ればそれは粉塵や機械油の臭気も強い環境で働く機関兵が着る煙管服であり、目深に被ったフードによってその人物の肌が見えるのは顔の一部のみ。朝日の視界はその人物をちょうど真横から捉えており、認める事が出来るのはフードの下側に覗く顎と唇くらいであるが、その懐かしいやや高めな音域を持つ女性の声と自分より僅かに大きいだけの身の丈が、突如として現れてあの金剛をぶっ飛ばしたという人物の正体を朝日に対して明確に教えてくれる。


 やがて朝日は胸に深い感慨の念と嬉々とした気持ちを一杯にし、その気持ちが作り出したであろう薄っすらと涙も滲ませた笑みを浮かべながら、眼前の煙管服姿の人物と金剛の下へと再び歩みだすのであった。


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