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第一一九話 「合流」

 昭和16年2月15日。

 見える陸地はほとんど全てが真っ白な小松島の波間を、これまで設営応援に当たっていた明石(あかし)艦が後にする。艦尾旗竿に掲げた軍艦旗も久々に見る紀伊水道にご満悦なのか、まだまだ寒さも強い潮風によって靡く様子は一際映える。

 今日は天気も良く、流れる雲は遥か洋上の空に僅かに見えるばかりで、甲板上から見上げる分には澄み渡った青い空が一面に広がっている。第二艦隊の仲間と合流すべく沖縄県中城(なかぐすく)湾へと向かう明石艦の旅立ちを、まるで快く迎えているようでもあった。




 まして一路南へと針路をとる明石艦では、時間が経てば経つ程に甲板上の気温が上昇していく。それに伴い、ついこの間の遭難騒ぎの時のような猛吹雪なぞまるで嘘だったかの様に、明石艦の中にも外にも暖かさという物が満ちていた。

 そんな過ごしやすい気温の中での船旅は3日間であるが、小松島にてこれでもかと寒さに襲われていた乗組員達にとっては、もちろん大好評の旅路である。


 天候に恵まれる海原を駆けるのは明石艦としても約一ヶ月ぶり。頬を撫でていく潮風はまるで絹の如き心地良さも感じれるくらいで、課業の合間を縫って甲板上で休憩を楽しむ乗組員は非常に多い。

 そしてその中には乗組員の男達と供に、先日の吹雪の夜を戦い抜いた彼女の姿もある。


『う〜〜ん・・・、くあぁ〜! やっぱ寒いより暖かい方が良いよねえ。』


 明石艦中央の最上甲板にて大きく頭上に両手を伸ばし、女性にしては長身ながらも細身であるその身体を弓のようにしならせつつ、明石は嬉々とした表情で明るい声を放つ。あの遭難事件の翌日から高熱に悩まされた彼女だが今では全快し、猛烈な頭痛と吐き気、倦怠感に襲撃され続ける日々は、もはや彼女にとっては10日以上も前の思い出でしかない。

 それに極度な寒がり体質である明石は、陽光もポカポカと暖かい快晴が特に大好きなお天気である。向かう先はそんな温暖が更に増した海域にある沖縄で、いつぞやその地で食べた「さーたーあんだあぎぃ」なるお菓子の甘さも、立て続けに明石の記憶にはよみがえってくる始末。

 中々に希望溢れる航海となって、彼女の両頬は緩みっぱなしとなった。


 そしてもちろん明石の抱くそんな希望には、暖かい潮風と甘いお菓子以上に重要な物が含まれている。

 忘れもしない昨年四月、桜舞い散る有明湾で喧嘩別れにも等しい形で相方と離れてしまった彼女だが、早い物で今月で既にあれから10ヶ月以上の時間が経過した。順当に行っていれば明石のかつての相方、すなわち(ただし)は新米の海軍士官としての教育課程の8割近くを踏破している筈で、1年に及ぶ修業期間は残り2ヶ月程である。

 行くと言い出した際には最後まで自分に黙っていた相方に腹を立てた末、謝る事も制する事も出来ずに去って行ってしまったその背は、明石の瞳に焼きついた光景としては文句無しで最も見るのが辛い絵でもある。その上で最後にお互いの顔を見て、最後にそれぞれの声を聞いて、最後に言葉のやりとりをしたのは、明石にとっても忠にとっても別れる直前にした言い争いの時。お互いに頑張ってと励ましあった末に再会を誓った訳ではなく、言いたい事も自分の気持ちも全く伝えられないままであった。


 あと2ヶ月かぁ・・・。


 いつの間にか甲板の上で一人となって立ち尽くし、首の後ろで束ねた髪を暖かい潮風に靡かせながら押し黙っていた明石の脳裏に、まるで静かな水面に前触れ無く浮かんでくる泡のようにポツリと出てきた言葉。その言葉に込められる自分の気持ちは焦りなのか、それとも待ち遠しいのか、当の本人である明石自身にもよく解らない感じであった。

 ただ、待ち遠しいのはそのままで良いとしても、焦りが有るという事は、相方との再会に対して明石の中の何かが憂いを抱いているからに他ならない。次いでそれは、きっと自分がまだまだお師匠様からの教えを体現できていない身の上だから、という部分に問題があるのだろうと明石は声も出さずに一人納得。

 すると自分の至らぬ点を胸の内側で感じたにも関わらずその顔には微笑が浮かんでおり、やがて顔を上げて甲板上を歩いていく彼女の足取りもまた、何がしかの自分の短所を思い知った直後にしては極めて軽やかな物となっていた。


『中城湾まではあと2日か。じゅーぶん! 英語と看護術のお勉強やろっと!』


 目標と自分の位置が解れば、目の前の階段を上る事に頑張れる明石。ある意味では極めて短絡的な思考と言えなくも無いが、明石が誇る最大の武器とも言えるのがこの頑張り屋さん気質。「一流の淑女(レディ)」に近づかんが為、甲板でのひなたぼっこを早々に切り上げて自室へと戻り、苦手な英語を始めとするお勉強に打ち込むのであった。






 2月18日。

 明石艦は南国の地、沖縄県は中城湾に到着。空と海のどちらにも広がる澄み渡った清涼な青色と、まだ冬である2月にも関わらず陸地一面に望める沖縄の新緑が、ここまで旅してきた明石艦の乗組員達を出迎える。鮮やかな花も相応に沿岸の緑に混じっており、海岸から見える田園では既に田植えは終わっている等、すっかり春の様相を呈していた。


『あ、アレは明石だよ。お〜い、明石〜!』

『お、戻ったんだね。明石ー、おかえりー。』


 やがてそんな中城湾の一角には、艦の命達の元気な声が上がる。

 広大な中城湾の中央部は昨年の艦隊訓練でも使用した艦隊の錨泊地で、少し前より第二艦隊の各艦が来航してその身を休めている波間である。連合艦隊に数ある艦隊の中でも比較的所属艦艇数が多い第二艦隊であるから、湾に並んだ艦影と軍艦旗の連なる様は中々に格好の良い光景となっており、今からその一角に参加する事になる明石艦では、乗組員にあっても艦魂にあっても士気が自然と向上するという物だ。


『ただいま〜! 今日からまたお世話になりま〜す!』


 久々に見た中城湾の光景と仲間達の姿。艦隊訓練の合間の休暇中なのか、在泊の艦艇の中には洗濯物を甲板上に翻している艦もチラホラと見え、停泊艦と陸地の合間の海上には上陸の兵員を乗せた短艇も確認できる。次いで艦隊各艦の甲板から望む湾内の砂浜でも、地元の子供達が元気な声を上げて走り回り、風に揺れるソテツの木々の隙間からは、民家の屋根にて今日も破邪の視線を周囲に投げているシーサーの勇姿を覗く事が出来る。

 訪問した第二艦隊も沖縄の人々も、極めてのんびりとした一時を送っているようだ。




 やがて明石艦が指定の位置へと錨を降ろすと、艦尾旗竿の軍艦旗と供に艦首旗竿には日章旗一旒が翻される。艦首旗とも呼ばれるこの旗は停泊中の艦艇のみに掲げる一種の信号旗のような物で、これまた軍艦旗と同様に午前8時に掲揚し、日没時に降ろすように規則で決められている物である。

 おかげでまだ主錨の諸作業で忙しい艦首甲板は、そんな艦首旗を掲げる作業に携わる乗組員も合流して活気に溢れるが、艦橋を挟んだ艦中央部、そして艦尾側でも賑やかさが段々と増していく。

 その理由は明石艦の左右両舷へと群がってくる数多くの短艇に有った。


『おいおい、有明湾で随分派手に訓練したんだな。修理部品の山だ。』

『うあ、なんだこりゃ? 舷窓の覆い? 波浪で割れたのかな?』

『いや、特務艦長が話してるの聞いたんだけどよ。何でも偏弾射撃で夾叉判定が出ちまったらしい。』

『おう、俺も聞いたぜ。よほどスレスレの至近弾だったみたいだ。水柱の衝撃で長官室の舷窓がぶっ飛んじまったんだと。確か四戦隊の鳥海(ちょうかい)艦だったかな。』


 大小様々な大きさの短艇がまるでカルガモの親子の様に連なっている明石艦の乾舷を、甲板上の手摺より乗組員達が見下ろしながら声を交える。

 その会話の中にあったように第二艦隊中から集まってきた多くの短艇は、明石艦への客人を乗せて集まって来た訳ではない。しばらくお留守にしていた間に艦隊内で溜まった要修理部品を、ここぞとばかりに運び込んできたのであり、室積沖で明石艦と別れて以来行ってきたという訓練が如何に激しい物だったかを、声も無く明石艦の乗組員達に物語る。だが同時に、ようやく沖縄へとやって来て合流したというのに、しばらくは明石艦では満足な休養に浸る事が出来ないであろう事もまた示していた。

 羅針艦橋内でも錨を降ろして間もない内に群がる修理部品の山を受け、ちょうど艦橋内に居た工作部長と主計長が思わず残念そうな声を漏らしている。


『や〜れやれ。こりゃ工作部はしばらく上陸は無しだな。せめてウマいメシくらいは世話してやらんとな、主計長。』

『はっはっは。ごもっともです。沖縄菓子か黒砂糖でも買ってきますかね。』


 いくら整備補修任務を専門にこなす明石艦ではあっても、ついこの前までの小松島での設営応援に引き続く形での工作任務に直面した事は、この明石艦幹部両名にあってもちょっと面食らうような感も有る状況であった。




 もっとも彼らが些か面倒そうに呟いた言葉の裏は、何も乗組んだお船が工作任務専門のお仕事を引き受ける艦艇だった事を呪い、休む間も無い中でお仕事に励まねばならない事に憂鬱を覚えた、という事では決して無い。


 そもそも海軍艦艇に限らずお船という物は、その船体の中にある程度の修理や補修を行う為の工作力を有しているのが一般的であり、それは船体の大きさに比例してより顕著になって行く傾向にある。漁船の様な小さな船舶では望むべくも無いが、人智を超越した大自然の猛威を常に孕む海洋を生きる場とするお船は、それ相応に波浪や強風、予測不能な潮流に流されたり、暗礁に乗り上げての座礁等で、古来より普通に航行してても損害を被る事が非常に多い代物だ。しかも超長距離の旅路の最中にそんな事故と遭遇してしまうのだから、母港に戻るどころか満足な修理補修を行うだけの陸上設備が無い海域で窮地に陥る事が、至極当然の様に予想される。

 それ故に特に海で活躍するお船に対しては自己完結能力の大きな部分として、ある程度の工作力が必ず付与されるようになっており、なまじそんな海を駆けてさらに銃砲での撃ち合いを演じるという海軍艦艇にあっては、別に帝国海軍に限らずに民間船とは比べ物にならない程の高い工作力が与えられている。艦搭載の短艇の一部分が壊れたり等した場合でも、いちいち工廠に戻ったりしていてはとてもドンパチなぞ実施できないし、ほんの僅かな損傷ぐらいで戦力としてカウントできない状態となる艦艇なぞ、戦うお船としてはハッキリ言って致命的な欠陥を抱えていると断じても過言ではない。

 とにかく損傷や故障に対して堅牢な事、すなわちお船としてのタフさが、一隻の海軍艦艇にとっては非常に重要な能力の一つである。人間に例えれば、自己治癒能力に優れている点が特徴なのだ。


 そしてそんな海軍艦艇事情を栄えある帝国海軍が知らない筈は無く、組織内で用いる規則の上でもなるべく各艦固有の工作力を発揮して対処する事が、日常的な運用の上でもちゃんと定められていた。

 仮に一隻の艦艇で故障、または損傷が発生した場合、具合の程度にもよるが一番最初に想定する事になっている工作力は、当該艦艇の持つ個艦工作力なのである。ただ、一隻のお船の工作力と言っても設備も人数も限られているから、より大きな規模での工作力が必要な時には当該艦艇の所属する戦隊司令部に上申し、同戦隊内の僚艦に協力を仰いでの連合工作力でもって対処するのだ。

 だがしかし、厄介な事に海軍艦艇は時代の最先端の技術を結集して作った科学力、技術力の塊であり、鉄板を切った張ったするくらいで修理補修を完了できる側面は、殊に現代であっては非常に希である。転輪羅針儀、機械式計算機を埋め込んだ管制装置、特殊な工法で製作した金属部品、そして魚雷や艦砲に付属する精密機器なんかは、グラインダーや鋳造釜程度の工作設備ではどだい修理なぞ不可能な物ばかり。気合と根性でハンマーを振り回して何とかなるほど、近代の科学力は甘くは無いのだ。

 そしてここに求められる高精度の工作力を提供するべく活動するのが、明石艦を含めた帝国海軍の工作艦という艦艇なのである。

 工作力発揮の選択肢において優先順位は3番目に当たり、連合工作でも手に負えない規模の修理補修、もしくは精密機械や特殊構造の物品の修理補修にその真価を発揮するのであり、「壊れたから工作艦で修理」等という単純な理論でお仕事が回って来る事は無い。損傷や故障の具合をちゃんと査定し、その度合いの深刻さを判断した上で工作艦の工作力が用いられる様に、ちゃんと帝国海軍では法令に則って決められているのである。


 ついでに蛇足ながら工作艦の能力でもっても不足がある場合は、最後の手段として工廠の工作力を頼む形になる。竜骨(キール)まで及んだ大損傷や武装にまで渡る改装など、大きな起重機や重量物の取り扱いを含んだ工作力は、やはり陸上設備として備えている工廠が最も優秀なのだ。





 さて、そんな艦隊における工作力の事情を知る工作部長であるから、デリックで明石艦の甲板上へと次々に運ばれてくる要修理部品の山に、些か疑うような色合いもある目で視線を這わせていく。先程まで居た羅針艦橋は風の通りが些か悪く暑さが目立つ所であったが、甲板上へと足を運ぶとそこには涼しげな南国の潮風が緩やかに流れており、僅かに靡く鼻下の髭に彼は心地良さを覚える。おかげで疑いの眼差しといっても彼は寄せられた修理品に対し、工作艦たる明石艦の利用に相当しない物を粗探しした末に、送り返してやろう等と考えたりはしない。せいぜい目に留まった多様な修理品に愚痴を吐き、これから始まる多忙な日々で溜まるであろう鬱憤を事前に発散してやるのが関の山であった。


『むう。こりゃ、内火艇の煙突か。ははぁん。取り外すの忘れて、艦砲の爆風でぶっ壊れたんだな。まったく、最近だらしねえな。』




 こうして明石艦の激務は小松島から延長される形で実施される事となり、ここ3日間に渡って静かだった艦内には、再び工作機械による合唱が響き渡る事になった。




 一方その頃、艦の命である明石もまた、白い砂浜と空色の海、そして待ちに待った温暖な気候に浸る間もなく、到着早々に第二艦隊旗艦である四戦隊の高雄(たかお)艦へ来るようにと指示を受けていた。

 もっとも彼女は何がしかの失態によって、怒られる為に呼びつけられた訳ではない。およそ一ヶ月の間、艦隊を離れていた明石の事を、優しく心配りも細やかな上官である高雄が気遣ってくれ、明石のいない間に起こった艦隊内での情勢を個人教授してくれる為であった。まして根っからの冗談好きで非常に陽気な人柄を持つ高雄は、賑やかな空気が好きである明石が非常に好感を持っている先輩艦魂の一人。

 ゆっくりと暖かい沖縄の気候に癒される時間も良いが、それに代わって話す時間を設ける価値があると明石が思えるのが、天下の第二艦隊旗艦の命である高雄という艦魂であった。


『あ、高雄さん! ご苦労様です、本日戻りましたぁ。』

『お〜う、明石。おかえり。呼んだのに待たせちゃってゴメンね。』


 高雄艦艦橋の艦長休憩室へと通されていた明石は、ドアを開けるや手を振りながら近づいてくる高雄に笑みを見せる。

 司令長官や艦長も揃って愛宕(あたご)艦へと出向いている間、大きな高雄艦の艦橋構造部の中は非常に静かな物で、人の気配が無い高価な内装を施したお部屋は艦魂達が憩いを得る最高の空間。艦橋の中層艦首側に位置する艦長休憩室は士官室なんかに比べると非常に狭い一室だが、艦長さん用に豪華な調度品が揃えられており、清潔な純白を基調とした舷窓のカーテンやテーブルクロス、椅子のカバーの色合いが、床一面にしわも無く敷かれた緑色のカーペットに良く映える。

 そんな艦長休憩室にて顔を合わせた二人は、腰が沈むような感覚すらもあるふかふかの椅子に腰掛けての会話を弾ませた。


 話す内容の大きな物は、南支方面行動となって第二艦隊から分派されていった二航戦、七戦隊の事で、まったく知らなかった明石は同期の仲であった飛龍(ひりゅう)が居なくなった事にちょっぴり驚く。しかしすぐに高雄はそんな明石の僅かな心の変化を読み取り、仲間との一時の別れを明石自身のお勉強熱へと上手く結び付けてみせた。


『二航戦も七戦隊も所属は第二艦隊のまま。他に第一艦隊からも部隊は派遣されてて、あの辺を作戦海域にしてる第二遣支艦隊の足柄(あしがら)少将指揮下に今は入ってるんだ。向こうも所属はそのままだから、さしずめ連合艦隊と支那方面艦隊との合同編成ってとこさ。さて、この部隊編成がどういう事か解るかな、明石クン?』


『あ! こ、これ、前に習った軍隊区分での編成って事ですか!?』

『そう、ご名答〜。第二遣支艦隊は艦隊編成の立場の上ではあたしら第二艦隊とドッコイだけど、持ってる戦力は外戦部隊の連合艦隊に比べればずっと少ないし、艦隊航空戦力なんて艦搭載の水上機くらいが関の山。水雷戦隊も駆逐隊が2個あるくらいなんだ。そこで増強の為にあたしらから部隊が抽出されたって寸法さ。作戦期間が終わればまた原隊復帰するよ。』


 容姿の上では明石より5歳くらい年上の女性像を持つ高雄。艦魂社会でも断然に若い方に分類される彼女だが、竣工以来ずっと第二艦隊旗艦をこなして来た経験のせいか、それとも持って生まれた人柄がそうなのか、常に明るい口調で極めて解り易く物事を語ってくれるその様は、まだまだ尻の青い新米艦魂である明石にとっては大変に有難い部分である。軽くウェーブの掛かった肩を覆うくらいの長さの黒髪を靡かせ、ニコニコと笑みを浮かべながら先生ぶった様な言い方をする高雄のおかげで、そも勉強熱心な一面を持つ明石は心の欲求を意図せずとも晴らしてもらえたような物だった。


『ぬぁるほどぉ〜。こういう風に部隊って編成されるんですね〜。』

『そうだよ。ま、そうは言っても寄せ集めた分には変わりは無いから、艦長打ち合わせ、補給打ち合わせ、通信打ち合わせ、航海打ち合わせ、錨泊地打ち合わせってな具合に、事前整合の為の会議はかなり重点的にやるモンなんだ。だから足柄さんトコの長官室は人間達の会議ですし詰め状態だし、七戦隊の戦隊旗艦やってる熊野(くまの)辺りでも、たぶん艦魂達(みんな)で会議をやってるだろね。もう一部の部隊は仏印沿岸に出てるって話だけど。』


 さすがに経験豊富な高雄が言った内容は、実際に軍隊区分での編成が成された後に生じる初歩的な業務の事。小松島到着初日に明石も実際にその目と耳で知った、職域が違う多くの部署と同じ目標に向かって進む為に意見を合わせる話し合いで、整合という名のお仕事である。明石の分身の中ですらあれだけ発見の有った打ち合わせだったのに、それが部隊規模にまで発展するというのだから、仲間達の大変さを明石はひしひしと感じた。

 ただ、それは今現在の明石や高雄にとっても他人事ではない。高雄は些か大げさな感じもする動作で組んでいた足を組み直すと、自身のノートに何やら書き込んでいる明石に再び声を放ってそれを教えてやった。


『第二艦隊も最近は同じさ。ほら、七戦隊は二水戦と組んで夜戦隊を編成してたし、二航戦もしばらく第二艦隊専属の航空部隊みたいなモンだっただろ? それが欠けちゃってるんだから、水雷戦隊の襲撃教練や対空戦闘教練に結構影響があってねぇ。』

『あ、なるほど。残ってる一等巡の戦隊って那智(なち)さんと羽黒(はぐろ)さんの五戦隊ですもんね。攻撃側と防御側に別れてもたった一隻づつじゃ、支援役にはならないんですね?』


『ああ、その通〜り。一応あたしんとこの二小隊を付けてあげたんだけど、あたしら四戦隊は司令部持ちの基幹戦隊だから、今まで夜戦隊に入った事なんかなくってさ。打ち合わせはしたんだけど成績がボロボロで、神通(じんつう)中尉が怒って怒ってもうた〜いへんだったよぉ。ははは。』



 どうやら第二艦隊でも有ったらしい部隊規模での打ち合わせだが、実施したからといって必ずしも成功の結果に終わるとは限らない。十分に気をつけて行った最近の訓練だったが残念ながら成績不良となり、艦隊主力の水雷戦隊においての訓練では短気な神通の爆弾が大爆発。上官でも怒ると食ってかかる彼女の言は熾烈を極め、階級の上下なぞ無視して『このガキが!』と発言するなど、教練終了後の反省会は一触即発の空気が支配する大混乱の様相となってしまったらしい。


 今に解った事ではないが、20代後半の完全な成人女性の容姿ながらも、大変な癇癪持ちの神通は第二艦隊きっての大問題児。殊に彼女のお仕事の最重要項目である水雷戦に関しては非常に強い自尊心を剥き出しにし、相手の面目や体面など屁とも思わずに暴言を吐いてしまう。それが部下に向く分には「怖い上司の勘気」で済むのであろうが、短過ぎる導火線に火をつけたら最後、艦隊旗艦である高雄や愛宕にだって突っかかってくるのであるから質が悪い。

 もし彼女が艦魂ではなく人間の海軍軍人なら、間違いなく謹慎か譴責処分を食らっている代物だ。


『あ〜もぉ。神通はすぐ怒っちゃうんですよねぇ。ホント、なんかすいませぇん・・・。』

『あっはっは。那珂(なか)中尉もそうやって必死こいて頭下げてきたよ。ま、神通中尉が言ってた砲撃成績の不良は別に間違いではなかったからねぇ。その辺を上手く加賀(かが)さんが纏めてくれて、とりあえずは殴り合いにはならなかったよ。いやあ、しかし参った参ったぁ。あはは。』

『あははは。』


 自分が居ない間にまたぞろ諍いを起こしていた親友だったが、明石は高雄の言葉についつい笑ってしまう。真っ向から神通の毒舌を受けた方々の苦労は察しつつも、まるで人物として成長しない彼女の姿は、明石にとってはちょっとだけ同じ艦魂として、同じ女性として、自分との距離を縮める事ができたかのように思えたのだ。

 そして高雄もまた、神通という年齢の上では先輩にあたる艦魂の困った所を明石と一緒に笑うだけで、別段責めるような台詞も吐かなければ、そんな気持ちも微塵も無い。


 しばらくぶりの第二艦隊の近況を伝えると同時に明石の勉強意欲に応え、さらには笑みをも浮かべさせる事に彼女は終始し、久々である明石の第二艦隊勤務を気持ち良く再開させてやったのだ。




 おかげでその翌日より、さっそく明石は仲間達の健康診断、次いでお勉強へと元気に励めたのであった。


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