第一〇七話 「自分を知ろう」
白い塗装の隔壁に緑色のカーペット、そしてテーブルクロスやカバーの隙間より輝きを放つ椅子や長机の木目模様。愛宕艦の長官室はさしもに最新鋭にして、艦隊旗艦を約束された艦艇である事を有無を言わさずに理解させるのに十分な色彩を豊かに持ち、濃紺一色という地味な色合いの第一種軍装を着た艦魂達が集まっていようとも、高級感溢れる室内の色は褪せる事が無い。
次いでようやく加賀による空母の授業も一段落して室内に居る第二艦隊の艦魂達は活発な意見を飛び交わせた事で、その雰囲気もまた暗いとか静か等といった制動的な感覚を持っていなかった。もちろん今しがた覚えたばかりの知識に色々と考察をしての意見のやりとりであるから、決して彼女たちは笑い声の類を放っていた訳ではなかったが、誰に遠慮するでも無く各々の考えた事、思った事を述べ合っているその様子は新米の明石であっても声を上げ易い環境にも繋がる。
おまけに明石は今は十分にやる気が漲っている状態でもあったので、大きく手を上げて張り上げた声は室内の仲間達にも決して音量の面では劣っていなかった。
『ぐ、軍隊区分ってなんですか?』
『そっかあ。まだ明石は軍隊区分って良く解んなかったんだね。じゃあ今度はあたしが説明したげようか。』
明石の声に応じてくれた高雄は調子の良さそうな声でそう言うと加賀に手で合図し、先程まで空母のアレコレを熱弁してくれていた彼女を自身の席へと戻るように促す。自分が代わって教えるというその姿勢は加賀への労わりでもあり、生来が無口な事から今日はすっかり舌と顎の感覚が薄くなってしまった加賀は浅く一礼すると席へと戻っていく。高雄は少しの間そんな加賀の後姿を目で追うもすぐに明石の方へとその朗らかな笑みを向けて、明石が思わず釣られて笑顔を作る前に持ち前の明るく気さくな声で教示を始めた。
『おっしゃ。明石、じゃあ始めるよ。』
『あ、は、はぁい!』
『う〜んとね、どう言うのが良いかな。とりあえず軍隊区分ってのは別に海軍だけじゃなくて陸軍にもある物なんだけど、まあ艦隊に例えた方が解り易いか。有り体に言っちゃえば、艦隊編成のさらに上に位置する部隊編成ってトコなんだけど、明石、解るかな?』
『う? ぶ、ぶたいへんせい?』
なんだか良く解らない二つの編成という言葉が、明石の頭の中にある貧弱な知識の棚をひっくり返す。艦隊編成のさらに上にある編成とは言われても、そもそもが特務艦で戦隊や駆逐隊といった部隊に所属しない分身を持つ明石には意味がサッパリ解らない。一応は神通の様に艦隊隷下に旗艦として戦隊を束ね、その下に複数の駆逐隊を置くという者達の姿も見てきたが、明石を含む第二艦隊の上に位置する部隊名なぞ余りにも有名な一つを除いてはちっとも出てこなかった。
『う〜ん・・・、それって、連合艦隊って事ですかぁ?』
『ん〜、ちょっと違うんだよねぇ。ほらあ、あたし達みたいな第二艦隊の事を〝前進部隊〟とか、第一艦隊を〝主力部隊〟って呼んだりするだろ? それこそが軍隊区分だよ。ん〜〜と、そうだなぁ・・・。』
次第に質問の声色がおっかなびっくりになり始める明石を、高雄はまるで元気づけようとするかの如く笑みと弾む声でもって応えてあげている。ピンと伸ばした指を頬に添えて首を捻り、自慢の餅肌に浮べた大きめな黒い瞳を天井へと向けて明石への言葉を選んでいるその様は少しだけ大袈裟な素振りにも見えるが、明るく騒ぐ事が好きな高雄はいつもこんな感じのお人である。その内に肩にかかるウェーブの軽く入った黒髪をなびかせると、軽く手を叩いて弾みの度合いがより一層顕著になった声色で明石に向けて口を開く。
どうやら良い教え方が思いついたらしい。
『艦隊編成よりも、もう少し部隊としての役目が強調されてるのが軍隊区分さ。例えば、第二艦隊が南洋方面の島々の防備を仰せつかったとしよう。明石はまだ南洋方面に行動した事は無いと思うんだけど、いくら天下の第二艦隊って言っても、さすがに南洋の島全部を面倒見きれる程に戦力は持ってない。日本列島が真横になってもまだ足りないくらい、南洋の海ってのは東西南北に広いんだからね。』
まだまだ駆け出しである明石が未だ南洋に行った事の無い事情を気遣い、高雄はまず簡単に南洋の地理を説明しつつ軍隊区分を教える上での例題も示す。高雄の言った通り明石は南洋に行った事はこれまで一度も無いが、とりあえず四方八方に広がる海面に要衝たる島嶼がポツポツ点在しているという姿だけは人伝に聞く事もあったのでなんとなく理解はしており、自らも属する第二艦隊がそこの守備をするとの仮想をさっそく脳裏にて描いてみた。
『広い海域・・・、やっぱり本拠を中央に置いて構える・・・?』
『お、さっすが軍医中将の教え子。うん、もしやるなら活動拠点は中央。どの島嶼にも一番近い所が便利だね。そこに艦隊旗艦のあたしと四戦隊がデンと腰を据えて、あっちこっちの島の守備や奪還の為の攻略、それから敵の跳梁がある様なら、海域を通過する輸送船や味方への護衛といった具合に、その時々で出る色んな任務を配下の戦隊に命じて行くんだよ。ここまでは解るかな?』
『は、はぁい!』
尊敬する師匠と重ねられて褒められるのは、明石にとっては大きな喜び。特徴的な間延びした返事は嬉しい時の彼女のクセで、手にした鉛筆を折ってしまいそうな勢いで無意識の内に強く握る。もちろん自分の気持ちにお顔の筋肉が極めて正直な彼女であるから、高雄の瞳には元気一杯の笑みに大きくした丸い目を爛々と輝かせる明石の顔が映った。
すると高雄の声の明るさもさらに相乗し、仲間達が見守る二人の姿は上司と部下というよりも姉妹の様な感じすら漂わせていく。
『はは、よおし。じゃあ、ここで問題。これから南洋の端っこに浮かぶとある島の攻略を行うんで、あたしの艦に乗ってる艦隊司令部の人間達は、明石とも仲が良い神通中尉の二水戦に攻略部隊という名の軍隊区分とお役目を与える事にした。ところがどっこい、ちょうど行き先の島付近を哨戒してた飛行機から、一等巡洋艦を主力とした3個戦隊くらいの敵艦隊がうろついてるって情報が舞い込んだ。でも敵の妨害も予想されるくらいで攻略任務を諦めるくらいなら、最初からこんな島の攻略が命令として発せられる事も無い。つまり敵の反撃も想定した上で、二水戦はなんとかこの攻略部隊たる任をこなして貰う必要がある。さて明石クン、果たして二水戦はこのお役目を無事にこなす事ができるでしょうか?』
高雄が例え話として掲示したのは、なんと明石のすぐ隣に座っている神通の事。年齢の面でも容姿の面でも明石とは10歳以上は離れているものの大の仲良しである神通は、明石が知人の中でも最も遠慮無く物を言える間柄であり、高雄の声を受けるやふと明石はそんなお隣さんに視線を流す。神通は相も変わらず不機嫌そうな表情に鋭い釣り目を浮かべ、思いもかけぬ所で自分の名を話題に混ぜられた事とそれ故の明石の視線に、人知れず湧いた僅かな戸惑いを誤魔化そうといつもの短い口癖を放っている。
『う〜ん・・・。いくら神通でもぉ、一等巡洋艦の戦隊が一杯だったら分が悪い、よねぇ・・・?』
『ふん。』
明石が呟いた考察を耳にして神通は怒る様な素振りは見せないが、仮想とは言え格が下がると批評される事に彼女の短い導火線はすぐさま反応してしまう。ちょっとだけムカっと来たのか明石と視線を一瞬だけ合わすと、神通は明石とは逆の方へとプイっとそっぽを向ける。全く気の強いお人だなあと今更ながらに明石は思うが、そうであっても今しがた高雄より出された問題における明石の解答が覆る事は無かった。
実際にそのような状況になったら神通であれば、『上等だ!』の一声で手塩に掛けて育てた手勢を引き連れて自慢の水雷戦で派手な突貫を実施しちゃうかも知れないが、やはりどう足掻いても戦力の差は如何ともし難い筈。記憶に新しい呉での柔道大会でも垣間見せた、常に厳しく鍛えつつも誰よりも部下思いである彼女の人柄を勘定すれば、その意気込みは別にしてもとても不本意な状況でのお仕事になってしまうのは明白だ。
では、そんな状況でどうやったらこの友人が無事にお役目をまっとう出来るかを考える明石だが、そう時を置かずして彼女の思考には最も基本的にして一般的な答えが浮かんでくる。そしてそれは正解だった。
『・・・誰かに手伝ってもらえれば、大丈夫ですよね? 高雄さんとか那智さんみたいな、一等巡の人達に。』
『おお。ナイスだよ、明石。その通りだ。単独の戦隊で無理があるなら、攻略部隊という括りで任務に当たる戦力を増強すれば良いのさ。それに一つの戦隊は平時から運用目的別に特化して編成しておく事で、より限定的だけどより専門的に各々の運用に専念して錬度を維持、向上できるし、逆にいくらお助けが必要だって言っても普段から組んでない味方を同じ戦隊で一緒にしたら、いつもの勝手が利かなくなって結局は中途半端にしか部隊の力を発揮できないで終わっちゃうからさ。指揮の勝手だって違う訳だしね。例えばあたしは小回りの利く水雷戦隊の動きなんて殆ど解んないし、神通中尉や那珂中尉が加賀さんや飛龍、蒼龍みたいな航空戦隊を指揮するなんてのも想像がつかないだろ。戦隊の司令官を務める人間も同じさ。だからその時々の情勢と任務の内容に応じて、適当な部隊を上手く組み合わせて任務に当てるんだ。一個戦隊をまるっとくっつけちゃう方が解り易いけど、時には戦隊の中の小隊単位で分派したりもするんだよ。そしてその違う部隊同士を繋ぐ大きな括りが、明石が知りたかった軍隊区分って奴だよぉ』
『おおお〜〜。』
普段から顔も知る者達を例とした高雄の教え方は、しっかり明石に自分で考えさせた上で答えを導いてみせる優しい教え方。げんこつとお叱りを大いに用いて行う神通とは大違いで、どこかおふざけ気味な物言いながらも垣間見せた高雄の姿は中々に良い先生像である。明石から見れば神通や加賀よりもずっと容姿の上での年頃は近い存在であるが、伊達に艦隊旗艦としてこの道10年近いキャリアを持っている訳ではないらしい。
やがて、今しがたようやく得た知識を応用しての明石の素朴な質問が再び高雄に向けて放たれるが、高雄は唯の一瞬も後輩の質問に悩む素振りを見せずに即座にその回答を述べてくれた。
『ぬぅう〜・・・。あのぉ、これもさっき加賀さんが言ってましたけど・・・、えと、金剛少将の三戦隊が第二艦隊に、その、ぐ、軍隊区分で派遣されて来るんですよね? でもどおして今から派遣が決まってるのに、恒久的な艦隊編成で加賀さんみたいに来ないんですかぁ? 軍隊区分だと臨時の意味合いが強いみたいですし、一緒に行動するのが解かってるなら今から同じ艦隊に居た方が連繋もとり易いんじゃぁ・・・?』
『お。良いねぇ、明石。その通りだよ。三戦隊が第二艦隊に来る事だけを考えれば、明石の疑問は間違いじゃないよ。ただ金剛さんの三戦隊は、第二艦隊への出張だけがお仕事じゃないのさ。詳しく言うとね、金剛さんの三戦隊はなんつってもあの戦艦特有の主砲を武器に第二艦隊を支援してくれるんだけど、それが終わったら終わったで三戦隊はすぐに主力部隊に戻って決戦兵力に合流しなきゃいけないんだよ。長門中将率いる戦艦部隊によるドンパチは負けが許されない上に、帝国海軍の戦艦は言っちゃ悪いけど旧式ばかりで数も多いとは言えないからね。だからこそ三戦隊は第一艦隊配備での運用を本業としつつ、その上で快速を生かして先に戦闘行動をとる前進部隊のあたしらを援護してくれるのさ。言わば副業ってトコかな。ついでに言うなら、金剛さんが姉妹揃って新造工事にも近い内容で大改装を受けながら戦列に加えられてるのは、今言った軍隊区分で行う第二艦隊支援の任務に最も必要な速力が出せる艦型だからなんだ。金剛さん達の分身は、今は類別から無くなってるけど元々は巡洋戦艦って言ってね。どっちかって言えば長門さん達みたいな戦艦よりも、あたしらみたいな巡洋艦に近いんだよ。』
さすがに第二艦隊を率いるだけある高雄の、教養豊かな詳しい説明。こういう部分に全く知識を持てていない明石とは極めて対称的で、明石は軍隊区分という物への理解と疑問を全て解決。相も変わらず愛想良く微笑んでいる高雄と仲間達が見つめる中で、一人思わず拍手を打って声を上げる。
『なるほどぉ〜。そういう事かぁ。』
空母に続く軍隊区分という制度も良く学べた明石は、鉛筆を握る手の動きを更に一層軽やかにする。本日に限らずお勉強の際は必ず学んだ事を記すノートは、文字の羅列が並んで既に数ページ目。先が丸くなった鉛筆を取り替えるのもほぼ無意識状態で、それだけ明石が今日のお勉強会に集中している事を物語っている。時折ノートに書いた文をちょっと読んでは何度か頷いている様子も、彼女が理解をしっかり得ている事の証明だ。
するとそんな明石の頑張る表情に仲間達と供に笑みを向けていた愛宕が声を掛け、今しがた高雄が教えてくれたばかりの軍隊区分がなんと明石にも大いに関わりのある事なのだと告げた。
『うん。軍隊区分、ちゃんと解かって来たようだね、明石。でもこれは、ちゃんと明石にも適用されてる事だよ。』
『え? わ、私、ですかぁ?』
『そうだよ。ほら、明石の分身の正式な所属は第二艦隊付属じゃなくて、連合艦隊付属の艦艇だろ? 指揮権限上なら連合艦隊司令長官直卒なのに、今は第二艦隊司令長官の指示を受けて一緒に行動してるじゃないか。その理由は軍隊区分。つまり前進部隊って括りで、第二艦隊と明石は一緒になってるんだ。』
『おお! そうだったのかぁ!』
明石はどこかはしゃぐような声色を上げながら、去年より第二艦隊へと付随してきた自身の分身の事情を知る。とにかく好奇心が旺盛な彼女特有の姿で、黙ってお勉強に勤しむ事が少ないのはいつもの事。師匠である朝日より教えを授かる時もこんな感じが多く、まだまだ未熟な身の程を知って落ち込む事はあっても学んでいる最中は結構楽しそうにしているのだ。
『ふんふん、私もなのかぁ・・。』
そう呟きながら早速メモを取っていく。隣の席の友人がまたぞろ意地悪な物言いをして来ても意にも介さない。
『お前なぁ、自分の事だろう? ちゃんと勉強しておかんか。』
『うるさいなぁ〜、もお。今書いてるんだからぁ。』
帝国海軍の艦魂社会では指折りの嫌われ者であると同時に気性の激しさを恐れられる神通にも、仲良しである明石は一歩も退かずに抗う言葉を放ってみせる。第二艦隊の艦魂の中でもこんな物言いを神通に返せるのは明石ぐらいで、滅多に見れない神通が言い返される様子を目にして二人以外の仲間達は静かに笑い声を上げ始めた。おかげさまで神通は舌打ちをしながら眼光一閃すると明石とは逆の方へとそっぽを向いてしまい、ちょうどその方向で笑っていた何名かの仲間がすっかり転覆したご機嫌の神通におっかなびっくりとなる中、明石は筆記を終えたノートを読み返して我関せずの勢いで復習へと勤しむのだが、ここでまたまたふとした疑問が明石の中には湧き出てくる。
それは単純にとある目的の為に編成されるという軍隊区分の観点でアレコレと見た時、自分の分身に一体どのようなお役目が期待されているかという事で、その大元は明石の分身たる明石艦が帝国海軍艦艇の中でも数少ない工作艦という類別をされている所にある。戦艦の様に巨大な主砲を持つ訳でもなければ、巡洋艦や駆逐艦の様に快速と魚雷を武器としている訳でもないし、空母の専売特許である飛行機なんかは一機も明石の分身には装備されていない。損傷を被った艦艇を修理するという漠然としたお役目なら明石にも解かるが、その観点だけならばこうして高雄以下が一同に会している第二艦隊の者達だけに適用されるお話ではない筈で、第一艦隊や第四艦隊、果ては連合艦隊と双璧を成すもう一つの帝国海軍大海上部隊である支那方面艦隊だって同じ事である。そこに帝国海軍艦艇の艦影がある限り、明石の分身である明石艦の出番はどの艦隊でも必ずある筈なのだ。
仲間を助けるのがお仕事だけど、それでは何故に第二艦隊に軍隊区分で配属となっているのか?
高雄の例え話で出てきた神通、加賀が教えてくれた龍驤や金剛といった者達の様に、自分もまたより詳細で練りこまれた運用方法を根拠に軍隊区分の対象となっているかが、自分の事ながら明石には全く解からなかった。
『う〜〜ん・・・。別に怪我した艦魂って、第二艦隊だけに出る訳じゃないしなぁ・・・。』
『おやあ、明石クン。まだ解からない事があるみたいだねえ。』
ついつい難しい顔で疑問を呟いてしまう明石に、長机の上座の部分で席に着いている高雄が何やら悪戯っぽい口調でそう言った。軍隊区分の説明を自らしてあげた手前もあるのか、どうやら彼女は明石という後輩が自分の教えに対して抱いた疑問を放置するつもりが無いようで、頬杖をついて送るその笑みには明石に解答を与えてやろうという高雄の心意気が傍から見ても一目瞭然であった。
『あ、はい。あの高雄さん。私にも第二艦隊のお手伝いの為に来る金剛さんの三戦隊とか、その三戦隊の出張を直衛する龍驤さんみたいな詳しい役目って、その、やっぱりあるんでしょうか・・・?』
『もっちろんだよ。』
ついさっきは邪険に遮った神通の指摘を思い出し、少し明石は声の勢いを抑えて高雄に質問する。他の誰でもない自分の事を他人に聞くというのだから無理も無かったが、意地悪な友人とは大違いの優しい先生である高雄は、そんな明石のちょっぴり恥ずかしさを滲ませた上での質問に懇切丁寧に答えを示してくれる。
軍隊区分の件で明石に教えてあげたように多種多様な役目を担う艦艇、及び戦隊を取り纏める艦隊旗艦という役目を、高雄は20代前半の容姿を持ちながらも生まれて此の方ずっとこなして来た一端のベテラン艦魂。個々の詳しい運用に精通するまでの知識が無くとも、艦隊内のどの艦艇がどういう理屈で第二艦隊という大所帯に関係してくるのかを彼女は常にお勉強しており、当然それは昨年から部下であると同時に後輩として可愛がってきた明石の分身の事にもしっかり及んでいる。
この辺が愛宕と共に仲間内からも一目置かれる高雄の凄い所であった。
『そうだなぁ。こう言ったらアレなんだけど、明石の艦には前線を高速で暴れまわる第二艦隊に対して追従できる程の速力はさすがに無いから、三戦隊や龍驤さんみたいな戦闘行動の面でのお役目はちょっと難しいだろうね。でも、それは明石も望んでないと思うし、あたしらもドンパチやる海域に明石が居て欲しいなんて、正直考えてないよ。ただね、それは戦術の意味での戦闘海域であって、もっと大きな戦略の意味での戦闘海域では全然違う。むしろあたしはそういう観点なら、長門中将と喧嘩してでも明石は欲しいって言うつもりだよ。』
高雄の語りの最初の辺りはちょっと明石の必要性を否定するかのような物言いであったが、その後に続けた部分では逆に彼女は絶対に明石が必要だという言葉を放つ。その基準は戦術の観点、戦略の観点などというなんとも小難しい考え方で線引きされているようで、明石は高雄の言いたい事が良く解からずにゆるくしかめた顔をカクンと捻ってしまう。ふと隣を見ると神通や那珂も高雄が述べる明石の事に上手く理解が及んでいないようで、二人とも明石と目が合うや同じ様にして首を傾げる始末。そしてこのようによく解かっていない思考をジェスチャーへと変えているのは、この仲良し3人だけでなく長官室の中に集った殆どの仲間達にあっても同様だった。唯一、この10年近い経歴を高雄と共にしてきた愛宕だけは深く頷いているくらいで、高雄と二人で室内の部下達の様子を静かに笑っている。
だがそう時を置かずして高雄は再び解かり易さを重視した例題を語り始め、明石だけではない第二艦隊の仲間達全員に向けて、この明石という仲間がどういう風にして我らが第二艦隊に関わってくれるのかを説いてくれるのだった。
『例えばだ。米海軍のような特大規模の敵性艦隊が太平洋方面から日本に来寇してきたとして、あたしら第二艦隊は前衛として事態に対処する為に、恐らく内地から遠い南洋や小笠原諸島なんかを集結地として待機する事になるんだ。もしも待機地点が内地だと、そもそもあたしら第二艦隊の各艦は燃料搭載量に戦艦並の余裕なんか無い艦艇ばかりなんだから、前進部隊として第一艦隊よりも進出するとなると、敵と接触する頃には燃料を使い尽くしちゃって満足に作戦行動できない恐れがある。それに燃料をケチっての進出だと、接敵する頃には第一艦隊が待ち受ける海域と重なっちゃって、主力部隊が接敵する前に漸減するっていう根本的なお役目が果たせない。だから例え機動力のある第二艦隊であっても、艦隊を留める拠点が暴れる海域と近い事に越した事は無いのさ。ここまでは、みんな解かるかな?』
しっかり段取りを踏んでお話を進めようとする高雄の言葉が響くと、明石を含めた仲間達は一様に首を縦に振る。次いで高雄は室内を一瞥して各々が理解を得られずに難しい表情となっていない事を確認し、得意の例題の続きを述べ始めた。
『だけどね、そんな第二艦隊の待機地点特性を勘案して、仮にどこかの環礁や離島に平時から目処をつけたとしても、内地から物資を輸送してまず港湾設備を設営する所から始まるんだから、いつ始まるか解からない戦に対してこれだけの大艦隊の艦隊保全を喫緊にできるって訳じゃあ無いんだ。それに平時からの事前の準備が必要になると、当然の如く敵に目をつけられる。ただでさえ南洋の島は内地から見れば発展が遅れてるんだ。そんな所でとある一箇所の島にモリモリ資材を送って立派な港湾が出来たとしたら、アソコは艦隊の根拠地になって、その周りの海域ではきっと何か仕掛けてくるんじゃないか、ってな具合で敵に気取られる公算が大きい。そして、例えば米国みたいな規模で優勢な海軍から見れば、こういうヤバそうな地点は避けちゃえば事足りる。そもそもの戦力で既に勝ってる米海軍は、帝国海軍と一戦交えるにあたって正攻法の横綱相撲ができるから、あたしらみたいに漸減要撃なんて小細工をする必要がないのさ。もしあたしらが暴れる海域を迂回されたりでもしたら、これまた前進部隊たる役目を第二艦隊は果たせなくなる。つまり、あたしらが出番を控えて進出を予定する待機地点ってのは、下手したら電気すら通っていない僻地かも知れないし、ほぼ船を浮かべる波間が有るだけだと思うんだ。各艦の整備補修なんて、現地の陸上設備では到底不可能な物ばかり。内火艇やカッターに開いた穴を塞ぐくらいか関の山だろうねぇ。』
随分と先行き不安な物言いで南洋を語った高雄だが、彼女の言葉が正しい事はこれまで大演習に参加して南洋方面に行動した経歴を現実に持つ那智らが、一切の異議を唱えずに黙って頷いている事で証明されている。
南洋方面は色々な国際事情、国内事情もあって桟橋や飛行場の整備が本格的になり始めたのはここ二年程のお話で、空路による定期便も陸攻のような双発の飛行機ではなく飛行艇によって成り立っている航路が多い。トラック諸島やサイパン、パラオといった海上交通で要となる場所ではそこそこの発展こそあるものの、南洋全体で言えばそこに在る殆どの島嶼は満足な曳船どころか、繋留の為のブイや浮標すらも無い地域が大部分を占める。もちろん呉や横須賀といった海軍工廠などは影も形も無く、帝国海軍最新鋭の艦艇で構成される第二艦隊が根拠地とするにしては、なんとも設備面で貧弱な地域が南洋と呼ばれる島々の実情なのだ。
だがこの事情こそ、例え上官にして帝国海軍の現総大将たる長門と喧嘩してでも明石を欲すると口にした、高雄の心意気の源であった。
『だからあたし達第二艦隊は、例えそんな僻地であっても戦闘前には在泊の艦艇に十分な整備補修を施して、戦闘後には満身創痍の身で岸壁すらない波間であっても、そこに帰るしか道は無い。そして這々の体で帰って来た損傷艦に対して、ろくに陸上設備も整ってないそんな僻地の波間でさらにそこから内地へと帰れるだけの応急的な修理をしてあげられるのは、帝国海軍最新鋭の工作艦である明石艦以外には存在しないんだ。これは上海の陸上設備の補助を得て任務に励んでた軍医中将とかじゃ、絶対に不可能。帝国海軍の全艦艇の中でも、明石だけにしか実現できないお役目なんだよ。』
『ほえぇぇ・・・。そ、そうだったのかぁ・・・。』
さしもに自身の知られざる運用方法の実態を聞き、明石は先程の様にはしゃぐ様な口調ではなく心底驚いたようにして高雄の説明を受け止める。明石にとって耳にするのは初めてであった我らが第二艦隊という部隊の事情が、自身のお役目の詳細には非常に深く関与しているらしい。
そしてこの時、工作艦としての陸上設備への依存度が同じ工作艦でもある師匠の朝日とでは違うのだという言葉に明石はふと、毎日見慣れている明石艦の一角にある倉庫に収納されたサイズの大小も様々な錨やバラスト、鋼索、次いでいつもはシートに包まれている13基に及ぶ移動排水ポンプの事を思い出す。どちらも明石艦単独で見た場合、その運用にあっては使用する機会がほぼ皆無で、排水ポンプに至っては定期的な可動試験の時以外は使用されている所を明石はこれまで一度たりとて見た事が無い。錨もまた艦首に装備している艦固有の主錨2つと艦尾にある小錨1つでこれまでの運行に支障を来たした事は無く、一体何の為に積載されているのか常々疑問に思ってきたのだが、高雄の説明を受けてようやく明石はこれらの設備が本領発揮する時を理解し、同時にその時こそが自分の本来の役目を果たす時なのだと確信した。
今しがた教えてもらった南洋のお話にもあった通り、第二艦隊が戦の際に赴かねばならない所は科学技術の最先端を行く内地の工廠など影も形も無い波頭の果て。ロクに曳船や繋留の為のブイすらも整備されておらず、下手をしたら電気や水道といったごく当たり前の陸上設備すらも存在しない地。上手く環礁に囲まれて波が静かな自然の泊地があるだけであろうそんな僻地で戦に臨む第二艦隊の仲間達は、同期の飛龍が属するニ航戦も然り、大の仲良しが率いるニ水戦も然り、反撃されるのを覚悟で強襲という強引な戦法でもって戦った結果が、実際に戦が始まればその艦体に必ずや反映されているだろうと否応無く予想される。
これまでの艦隊訓練でも希に発生していた鋼索が切れただの、砲の閉鎖器が壊れただのといった程度の被害ではなく、よくもこれで沈まなかったなと思える程の大損害の筈。機関は水に浸かり、艦体は中程からもげ、煙突は引き裂かれ、隔壁は焼け爛れ、発電機も止まって艦内の照明すら維持できていないかもしれないその姿は、もはや艦艇としては完全な死に体だ。
しかしそんな死に体の仲間達を陸上設備の支援を満足に受けられない中でも治療してやるのが、工作艦としての、そして艦魂における軍医としての明石の戦なのである。
甲板の傾きすらも復元できない中でもしっかり洋上で船位保持させてやる為の多くの錨やバラスト、鋼索なんかは、さしずめ四肢を伸ばしてもがき苦しむ患者を治療の為にベッドの上で安静にさせる拘束具。13基全てが全力稼動すれば1時間で3000トンもの海水を排水できるポンプは、まさに患部に溢れ出る血と膿を治療の為に除去するスポイト。加えて明石艦の艦内を占める多くの工作設備は、火傷であっても裂傷であっても打撲であっても、満足に対処できるだけの医療技術その物なのであった。
『・・・・・・。』
そこまで考えた明石だが、彼女はようやく明確になった自分のお役目の詳細に喜びを覚える事は無い。そんな感情が胸の奥から湧き出る前に、明石の脳裏にはいつか師匠が口にした言葉が過ぎっていた。
『明石が受け持つ戦線は、帝国海軍工作艦である明石艦の艦魂という名の戦線。そこは明石独りの力でなんとかするしかない。みんな一生懸命に生きている事を忘れず、明石にしかできない戦いをしなくてはダメよ。』
自分にしか出来ない戦い。自分の戦線。
決して師である自分では代わる事の出来ない戦いなのだと常々口にしていた朝日の言葉は、南洋のような僻地であってもその最新鋭艦内設備を駆使して任務に当たるという、明石の分身だけが実現できる運用方法の知識とピタリと符合していく。
それは決して明石の思考が飛躍した訳ではない。工作艦たる明石艦は、まさにこの為に建造されたのだった。
やがて今までは漠然と怪我した仲間を治療するだけだった明石のそんな戦の意識には、遥かな大洋の果てに望む僻地と、そこで今にも命の灯火が消えかけている血塗れとなった仲間達という輪郭が備えられていく。脳裏に浮かぶその光景に立ち向かえるのは、相応の工作設備を持ちながらも旧式で全力わずか10ノットにも及ばない低速と、多様なポンプや繋留艤装品を明石と同等にまで搭載できない分身の持ち主である師匠ではない。現代帝国海軍の一隻にして、最新鋭工作艦である明石しかできない戦だった。
『工作艦としてもお船としても、明石は私なんかよりももっともっと上を目指せる筈よ。』
そんな言葉を放った際の師匠は既にあの時、教え子たる自分の事情をここまで見抜いていたのだろうか?
思い出してみれば、英語を教えてくれと懇願した時に受け取った朝日の言葉もまた、今の明石には妙に今しがた教えてもらったばかりの自分の知識に上手く重なっているような気がする。さすがにその真相と答えは当の朝日に聞かねば解らないであろと思いつつも、明石はようやく自分が担うべき戦場の絵を脳裏の向こうにだが垣間見る事ができた。
それは戦闘艦艇たる仲間達にも決して劣らない、自分の全てが試される戦。もっともっと現実的に、そして明確に考えようとして、そんな自分の戦に今この長官室にいる仲間達の顔を当てはめるのは辛かったが、それこそがいつか聞かされた逃れられない自分の戦なんだと、明石は一人俯いて声も自分に無く言い聞かせる。
これが、私の戦なんだ。乗組員の人達も含んだ、明石艦の戦なんだ。
『お〜い、明石ぃ〜? ・・・なんだか自分の世界に入っちゃったぞぉ。』
『おい、明石。どうした?』
『あ、うん、ごめん。何でもないよ。高雄さん、有難う御座います。おかげで私、今年はもっと頑張ろうと思いました。本当に有難う御座いました。』
『お、そうか。そりゃ良かった。』
すっかり元気な声が聞こえなくなった明石を心配して高雄や神通が彼女の横顔を覗きこんでくるが、明石は愛想笑いにも近い笑みをちょっとだけ見せて応じつつ、ついに全容を掴んだ自分だけの戦に向けて静かに、そして激しく改めた意気込みを募らせていくのだった。
既に明日で終わる昭和15年。
でもこのお勉強会は明石に、あさってより始まる昭和16年の海における明確な目標をちゃんと提示してくれた。なんと有意義だったと思う反面、より一層の軍医としてのお勉強に励もうと早速心を改める明石だった。
その後、お勉強会は空母の話の最中に出た戦策としての主力艦隊の位置づけ、次いで抜けた方である加賀ら一航戦は今後どうなるのかといった話に及んで行き、帝国海軍が日本海海戦の様な白昼での艦砲戦ではなく戦艦部隊も巻き込んだ一大夜戦を主に据え、その前座たる昼間はなんと空母を一個艦隊の編成で集中運用した航空攻撃を行うという、二本槍での戦策が最近では考えられている事が話題に上った。
長年夜戦の主役と位置づけられてきた水雷戦隊を率いる神通と那珂は大いに驚き、他の艦魂達も空母を主とした戦隊ではなく艦隊を創設するという前代未聞のお話に仰天してしまう。
『馬鹿な・・・。親方の三戦隊を支援につけた上で行う第二艦隊総出での夜戦は、帝国海軍の戦策の大元である海戦要務令に盛り込まれてまだ5年かそこらだ。それ以前は、そもそも夜戦という物は視界も悪く相互連絡も難しい事から、基本的に大部隊での夜戦は極力回避する方針だった筈だぞ。それを戦艦部隊も巻き込むとは・・・。おい、那珂。お前はどう思う?』
『そうねぇ・・・。実施するとなれば、私達みたいな水雷戦隊は主力部隊の露払いとして、敵の警戒部隊の進出を阻止する役か、逆に主力部隊に支援をさせての強襲雷撃をする役になると思うけど、・・・でもそれだと、これまで以上に主力部隊と近接した行動になるわよね。・・・美保ヶ関みたいに・・・。』
『うむ・・・。よほど連絡と各部隊の状況把握を確立せんと、とてもじゃないが実現は無理だ。下手したらあの時の繰り返しになる・・・。軍令部の連中はどうするつもりなんだろうか・・・。ふうむ・・・。』
さすがにこの二人は夜戦のお話には敏感で、何も水雷戦隊旗艦を長く務めた経歴だけの事ではなく、戦艦もひっくるめた夜戦の実例を悲劇として各々がこれ以上無くよく知っている身の上である事にも大きな理由が有るようだ。もちろんその内容を知っている明石も含めて、仲間達は誰も那珂が口にした美保ヶ関の言葉を追求しよう等とはしなかったが、残念ながら神通と那珂の首を傾げる事案に対して答えを授けれる者もその場には誰一人としていない。
故に神通は艦隊旗艦として長門や陸奥といった艦魂社会のお偉方とも割りと話す機会の多い高雄と愛宕に、この懸案ばかり夜戦に対してどのような推移で話が進められているのか問い合わせて欲しいとお願いし、高雄もそれを了承。連合艦隊司令部を分身に宿している長門なら何か知っているだろうと高雄は告げ、本年度の演習にて合同した際に打診する事を確約してくれた。
その一方、空母を主力とした艦隊という前代未聞の艦隊編成も長官室の一角では大変な盛り上がりを見せており、幸いにも空母に関しては専門家にも等しい艦魂がこの場に居る事もあって、その詳細を明石を含めた第二艦隊の仲間達は即座に耳にする事ができた。
言うまでも無く、語り手は相も変わらずのどんよりとした声色でゆっくりと話す加賀である。
『・・・なんでも、何百機にも及ぶ航空機で編成された攻撃隊を指揮するのは、軍隊区分による臨時的な指揮系統では不足があるのだそうで、仮に飛行機の大集団で攻撃するのなら、計画作成時に普段から指揮下に入っていない各隊の錬度や余剰部品、欠乏部品等の事情を把握し難いらしいんです。・・・故に空母を平時より一個艦隊に集約して運用し、所属の攻撃隊事情を完璧に指揮官が把握した上で、より高精度の航空戦を展開するという意見具申が以前から上がっていましてね。・・・私も驚きましたが、つい最近にはなんと山本連合艦隊司令長官をすっ飛ばして、直接軍令部や海軍省に上がったとの事です。』
空母に関してのお話は人間達の間でも推移しているらしく、加賀が語った直属の上司を跨いでの意見具申という話題に愛宕が思わず声を上げる。艦隊司令部を去年まで分身に宿していた彼女にとって、どうやら切羽詰ったように職制を通り越す意見具申というのは随分と珍しく思えたようだった。
『そんな意見具申とは珍しいな。しかもまた、上司を無視して上層部に意見をぶつけるとは。その豪傑はなんという人間なんですか、加賀さん。』
『お? 強いオトコに興味があるの、愛宕?』
『うるさい。』
愛宕の質問に茶々を入れたのは、すぐ近くの席に座っている高雄。陽気でひょうきんな高雄らしい台詞はどこかどう見ても妹をからかう冗談の類であったが、姉と大違いで真面目な愛宕はちょっと怒ったようにそれを一蹴する。中々実の姉に向かってこんな邪険にするような文句を吐く輩は艦魂社会でも割と少ないのだが、愛宕の方がほんの僅かに高雄よりも歳を重ねているような感もある容姿を持ち、加えてその人柄の差もある故か、高雄はわざとらしく『ぐえ。』等と短く悲鳴を放つと黙ってしまう。神通の部下である霞と霰と同じく、この二人は姉妹の上での関係と艦が誕生した時である進水日の前後が逆であり、その事も少しは関係しているようだ。
だがやがて、そんな高雄と愛宕のやりとりに笑い声がそこかしこで舞上がっている長官室の中には、いつの間にか朱色を帯び始めてきた舷窓より注し込んで来る陽の光と共に、対称的な加賀の沈むような音色の声が木霊して愛宕への回答となる。
それは加賀が属する一航戦をついこの間まで指揮し、現在は三戦隊司令官へと転勤した小沢治三郎少将というらしく、聞く所によると先々月の観艦式にて明石も含めてこの場にいる者達の多くが見た527機に及ぶ海軍航空隊による航空機の大編隊はその小沢司令官が指揮しており、この際に各空母や陸上基地所属の飛行隊で編成したあの大集団の統一指揮はとんでもなく懸案だらけだったとの事で、その経験とこれまでの空母部隊運用の実績を元に海軍省の航空本部等とも意見を調整した上で意見具申に至ったのだという。
『・・・恐らく私と一航戦が第二艦隊に来たのは、この辺の事情もあるんじゃないかと考えているんですが・・・。・・・まあ、それ以上の情報は今の所は無いですかね。』
『なるほどねぇ。さしずめ航空艦隊ってトコかあ。』
『本当に空母だけで編成すんのかな? 戦艦クラスじゃないと赤城さんや加賀さんなんて、もしもの時に曳航できなさそうだけど・・・。』
『う〜〜〜ん。どうだろうなぁ。』
進み行く帝国海軍の思惑に加賀も含めた多くの仲間達が首を捻る。前代未聞の空母による艦隊の姿はそれだけ彼女達の思考には中々イメージとして浮かんでこない代物で、加賀と愛宕との間でのやりとりから聞き取れた断片的な情報では到底全容を掴む事は出来ない。
艦隊旗艦たる高雄にとっても残念ながらそんな空母艦隊の構想の詳細は謎に包まれたままであったが、同時に自らが率いる第二艦隊がそれに付随する形で大きな変化を迎える事は無いだろうと告げる。もし仮に第二艦隊にも関連するお話であれば、古賀長官を始めとする第二艦隊司令部を宿した彼女の耳にも必ず入ってくる筈なのだ。
故に突然明日から第二艦隊が白昼堂々の水上戦闘を行うとか、全艦艇をもって空母護衛を専門にした運用になる訳でもないので、これまで通りで頑張りつつ今後の航空部隊の戦策には十分に気をつけて行こうという指針を仲間達に示し、明石を始めとして新年に向けた目標を各々が見出す事が出来た本日の有意義な勉強会はお開きとなるのであった。
そしてこの勉強会で出た空母による艦隊の影響が後に神通を主とする一波瀾へと発展する事は、この時まだ誰も知らなかった。