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第一〇五話 「空母を知ろう/前編」

 肌寒い気温の中でも陽光も眩しい防府(ほうふ)市沖の波間。

 雲も少ない青空を映し、穏やかな風はゆらゆらと揺れる小波を周防灘(すおうなだ)一帯に広げる。時折この海域を通り過ぎていく大小の船舶による曳き波の方が今日は目立つくらいで、防府市沖合いにて群れを成しながら錨を下ろしている帝国海軍第二艦隊配下の艦艇達にあっても、本日の足元の揺れ具合はすこぶる少なくて快適であった。その上で風も少ないのだから各艦の煙突より上げる煙もほぼ垂直にゆっくりと天へ昇り、艦尾旗竿やマストに掲げられる軍艦旗は旭日の丸が殆ど見えぬくらいの元気が無い靡き方で陽光に照らされている。

 加えて第二艦隊の一部の艦では年越しの為にと乗組員達によって餅つきが行われていたりと、長閑な風景はねずみ色の軍艦色のみで染まった海軍艦艇の甲板であっても繰り広げられていた。


『おお、みんなやってるか。』

『あ、艦長! どうです、艦長も餅つきされませんか?』

『ははは。いやあ、オレはぁ・・・。』


『艦長! ここは一つお願いします!』

『そうですよ! 艦長、是非に!』

『ははは。よしよし、解った。どれ、杵を貸せ。』


 去年までは将旗を翻していた四戦隊の愛宕(あたご)艦の甲板上でもそんなやりとりと供に、白い歯も見せた笑みを並べる多くの水兵さん達に見守られつつ、肌寒い師走の暮れにも関わらず袖を巻くって杵を手に取る艦長さんの姿がある。初老の艦長さんはもう既に若い青年士官だった頃のように甲板を走り回るような仕事からは距離を置いた身で、まだまだ20代の若い盛りの者が多い水兵さん達の如く何度も連続で杵を振れるだけの体力が無いらしい。5、6回も大上段に構えた杵を振り落とすや大きく肩で息をしてヒイヒイ言い出す始末で、気の良い彼の人柄を知る水兵さん達の中の古参の者はちょっと意地悪な感じの笑い声を上げる。


『いやあ、艦長殿にはいつも厳しく鍛えて頂いております。きっと艦長殿は私達以上に多く餅をつけるに違いない。』

『わははは。あたりめーだ、我らが艦長殿だぞお。』

『む、貴様等オレをバカにしてるなぁ。はは、よし見てろぉ。そぉら! ほっ!』


 大晦日も目の前となれば、さしもの帝国海軍も日本の家庭によく在る様な温かい雰囲気と光景に満たされる。日本の正月に不可欠なお餅はもちろんお雑煮として下級の立場の者達にも振舞われ、ちょっと偉い海軍軍人達ならおかしら付きの盛り皿が希にだが艦内での食事で出てくる事もある。お正月くらいは美味しい物を食べ、号令やラッパの音色に追い回されずにのんびりと過ごす事が、帝国海軍の生活にもちゃんと組み込まれているのだった。






 その一方、長閑で笑い声も響く愛宕艦の甲板の下にある長官室では、第二艦隊の艦隊旗艦である高雄(たかお)と供に、長机の両脇で明石(あかし)神通(じんつう)といった第二艦隊の戦隊長級の艦魂達が至って真面目な面持ちで席に着いている。今日はみんな揃っての一からのお勉強とあって明石でなくともその表情には真剣さが見て取れ、年長も若輩も関係なく加賀(かが)が述べる帝国海軍の航空母艦についての知識へと耳を傾けていた。

 だがしかし明石が先程思ったように、空母という艦種はそも大同小異なお船であって、傍から見るとそれぞれの艦に対する違いという物が良く解らないのは皆同じである。明石や神通のような呉鎮籍の艦魂達には記憶に新しい柔道大会の会場となった龍驤(りゅうじょう)艦、現段階では帝国海軍最新鋭の空母である蒼龍(そうりゅう)艦や飛龍(ひりゅう)艦、逆に最古参にして人類史上初めて実戦に投入された加賀艦等々、世界的に見ても帝国海軍はその新旧大小を含めてよりどりみどりな状態で空母を保有している海軍でもあるが、その一隻一隻に対してどのような責務を負ったお船であるのかは明石達には皆目見当がつかない。


 車輪の付いた飛行機を飛ばす以外の特徴とは何なのか。

 一体、第二艦隊に対して、空母とはどう関わってくる艦種なのか。


 誰と言わずにそんな疑問を浮べつつ加賀の語りに学び始める第二艦隊の面々であったが、この時代に飛躍的な発達を遂げている飛行機に関わるお船はやはり奥が深い。加賀先生の授業が始まって数分もせぬ内に、長官室の中は大きなどよめきが渦巻き始めた。


『ええ!?』

『3種類・・・? 空母って3種類あるんですか?』

『うそ・・・。だ、だって形なんて全部同じじゃないか・・・。』


 たちまち湧き上がる本日一番のどよめき。

 加賀と、彼女に現在弟子入りしている二航戦の飛龍と蒼龍以外の者達は、手近な者達を顔を見合わせて今しがた耳にした空母のお話に驚いていた。それは明石を挟んだ神通と那珂にあっても同様で、第二艦隊の艦魂達の中では互いに古参であるにも関わらず、艦艇としての大小は別としてその艦影が殆ど同じな筈の船が、なんと3種類に類別できるという加賀の言葉に目を丸くしている。

 だがやがて加賀は室内の喧騒が僅かに弱まったタイミングを上手く見計らって説明を再開し、後輩達の驚きを解消してやるべく今しがた話したばかりの知識についてその詳細な理由を述べ始めた。


『・・・正確には運用の形態から3種類であって、別に艦艇類別標準で明確に重空母とか二等空母と定義されてる訳ではありません。・・・たまに私の所に乗っている一航戦司令部の中では、他艦種から改装した空母を改装空母等と呼んだりもするんですが、これもまた便宜的に呼んでいるだけです。・・・ただ、諸外国の海軍はどうかは解りませんが、帝国海軍は私が空母として竣工した頃、・・・つまりワシントン海軍軍縮条約に参加した頃より研究した海軍軍備の延長として、現在の空母という艦艇の運用方法を大きく3種類に分けて考えています。』


 そこまで言うと加賀は席から離れて高雄が座る上座の方へと歩いて行き、高雄の隣の椅子に座っている摩耶(まや)が勉強会の前に用意していた小さな黒板へと手を伸ばす。ちょうど人の肩幅くらいの黒板は三脚イーゼルによって胸の高さ程に固定され、長机の両脇に列を作って視線を向ける第二艦隊の艦魂達は遮蔽される事無く黒板を見る事ができる。おかげで170センチも後半に迫る身長を持つ大柄な加賀がチョークを黒板へと走らせる様子を全員が目に映し、何が書かれるのだろうかと明石も座ったままでちょっと背伸びをする様にして注目した。

 すると加賀は何やら枠で囲った中に聞き慣れた艦艇の名前がいくつか書いた黒板を皆に見えるように高雄の真横辺りへと進め、一度小さく咳払いをすると黒板のあちこちを指差しながら皆が驚いた空母のお話を続ける。


『・・・まずはみんなが解り易い種類としては、飛龍や蒼龍みたいな快速で相応の艦載機を積んでる新鋭空母群。・・・これは主力部隊による決戦に先立って前進部隊たる第二艦隊と供に、果敢に前線を走り回って敵艦隊の捜索、次いで攻撃を敢行し、敵水上艦艇、特に敵性空母の制圧を主目標にして行動する空母です。・・・便宜的に、機動攻撃型空母・・・、とでも言いましょうか。・・・この種の空母が最近はかなり重要視されている様で、現在横須賀と神戸川崎造船所で建造されている新型空母2隻、それから今年より空母改装に取り掛かっている一部の潜水母艦なんかも、既にこの機動攻撃型空母として配備される予定になっています。』

『機動攻撃型・・・。』


 ゆっくりとした低いトーンの加賀の声は普段は何かノロノロとした物言いで声を交えるのがちょっと一苦労でもあったりするが、本日のお勉強に際しては理解が遅れている者を置き去りにして話が進む事は無い為に都合が良い。おかげで第二艦隊の中では最も戦闘艦艇の知識が貧弱である明石も今しがた加賀の述べた事をひとまず理解できたが、そのお話にあった飛龍や蒼龍等の分身には随分とまた大層にして無茶気味にも思えるお役目が課せられている物だとちょっと驚く。自分達の事であっても元々明石はあんまり海軍艦艇の運用にはこれまで接した事が無い為にその驚きは当然の感情で、その分だけ誰も聞かないような素朴な疑問が色々と彼女の脳裏には浮かんでくる。

 そこで明石は思い切って片手を高々と上げ、室内にいる仲間達に理解が遅れない様に質問してみる事にした。


『あ、あの。か、加賀さん。今のせ、せいあつってどういう意味なんですか? どうしてその、撃沈とか言わないんですか?』

『・・・ほう。』


 多くの先輩方、お偉方も居る前での発言という事もあり、ちょっとおっかなびっくりで声を上げた明石であったが、それに対して何やら加賀は前髪で隠れて影に浮かんでいるような鋭い瞳を怪しく光らせ、至って短い感心の声を上げる。どうも人柄としてどんよりとしていてクセのある加賀の言動は明石にはとっつき難い感じがあるも、そんな加賀は少しだけ怯んだ明石に対してなんとお褒めの言葉を投げてきた。


『・・・ふむ、良い質問だ、明石。・・・そう、さっき果敢に攻撃すると言ったけど、この機動攻撃型空母というのはただ敵の艦艇の撃沈を狙ってやみくもに攻撃する訳じゃない。』

『え・・・?』


 些か詭弁めいた加賀の返答に明石は目を丸くしてしまい、両隣に座っている神通や那珂(なか)を始めとした他の艦魂達も加賀の言葉の意味がさっぱり解らなかった。


 撃沈を企図せずに攻撃を行うというなら、一体その目的はどこにあるというのか。


 明石達は思考の迷宮に囚われた頭をカクンと傾げるが、加賀はそれ自体が帝国海軍の戦策と密接に関わってくるプロセスの一環にして、本日のお勉強における空母の運用方法の特徴だという事をすかさず教えてやる。


『・・・飛行機という物は、最近では400マイルも遠くまで飛んで帰る事ができる。・・・戦艦の主砲に比べても抜群に攻撃圏が長い上、せいぜい4門程度の斉射でもって敵と長時間の殴り合いをする必要も無い。・・・相応の編隊で攻撃隊を出せば、短時間での飽和攻撃を仕掛ける事も出来るし、実際に魚雷や爆弾を放つ直前まで人間が誘導するから命中率の上でも中々の物だ。・・・ただ、戦艦の主砲の威力はやはり絶大で、発射された砲弾の貫通力は分厚い装甲を貫く最も効果的な攻撃手段でもある。・・・富士山と同等か少し高いくらいの高度から爆弾を放る飛行機では、戦艦のような主力艦には艦の内部まで到達するような攻撃は不可能だろう。・・・それと最近の戦艦の射程は16マイル、3万メートルでの射撃も可能なくらいに引き上げられていて、当然こうなると艦自体からの照準や観測は困難を極める。・・・誤差も大きい。・・・だから観測機として常時艦隊の上に常駐させ、戦艦による射撃面での精度向上に寄与する任務も与えられているのが飛行機。・・・そしてそんな多様な飛行機を扱うのが空母なんだが、敵もまたそうやって空母を使ってくる。・・・特にアメリカ海軍は、我が帝国海軍と同等かそれ以上の空母戦力を持つ油断ならない相手だ。』


 普段はから言葉数の少ない朴訥とした人柄の加賀は、無口な自分を意識せずに仲間達へと空母のお話をした為か、ちょっとしゃべり疲れたように溜め息を小さく吐いてふと上げた手の甲で頬を一度撫でる。いつも使わない分お口周りの筋肉に疲労を溜めたらしく、仲間達が視線を集中させている面前でその内に手を添えた顎を動かし始めた。


『だ、大丈夫ですか、加賀さん?』

『・・・・・・。』


 歯の噛み合わせを確かめるように加賀は何度も顎を上下させ、長い沈黙に我慢しきれ無くなった高雄の問いかけにも僅かに頷くばかり。短くても良いので一言ぐらいの返事を返しもせず、ここに来て加賀独特の間の悪い無口ぶりが現れてしまった。




 そこで高雄は加賀の回復を待ちつつ誰も発言しない今の瞬間を何とか取り持とうと企図し、先程質問を投げた明石と目を合わせるや自分もまた率直に感じた疑問を声へと変えてみる。


『い、いやあ、しかしアレだね。観測機のお役目まで空母が担うってのは驚きだ。これじゃあたしらが積んでる水上機の搭乗員は商売あがったりだねえ。一回ポンと飛びゃあ6円も手当てが付くのに。』

『『『 はははは。 』』』


『いえ、あ、あの、それが懸案の部分なんです。』


 持ち前の冗談と面白おかしく物事を話題に挙げる高雄の声で、長官室の室内には緊張の糸も随分緩んだ笑い声が木霊する。しかし立て続けに皆の笑い声を制したのは、明石と同じくちょっと戸惑いながらも若さが溢れる声。見れば高雄や加賀がいる上座とは逆側である長机の端で、先輩方の視線が集まってきた事に少し顔色を変えている飛龍が席から立ち上がっていた。


『ん? どういう事だい、飛龍?』


 意を決して上げたであろう先程の飛龍の発言について、皆の一瞬の笑い声と供に気を楽にした高雄が尋ねてくる。大人しくて人当たりも柔らかい飛龍の事を同期として知っている明石は、今の今まで長机の端っこにちょこんと座っていたそんな彼女がいきなり声を上げたのでちょっとビックリしつつも、焦りと緊張の色合いも濃い表情の中で飛龍が加賀へと何度も視線を配っている事にふと気付く。先月の艦隊編成以来良き師弟の間柄として接している故か、飛龍は人前であんまりベラベラと話す事になれていないお師匠様の様子を心配し、ちょうど話題が中断した部分を自身が知識として蓄えていた事もあって発言したようだ。

 すると明石が視線を流した長官室の上座では、加賀がそっと喉を擦りながら飛龍の視線に無言で頷く姿がある。前髪に隠れ気味の鷲を思わせる鋭い瞳は声には変わらぬ言葉を教え子へと運んだようで、飛龍は思い切って並居る先輩方の前でお仕事における発表をする事に決める。弟子入りから僅かに2ヶ月だがどれ程の成長をしたのかを、加賀は高雄の様なお偉方や自分や神通等といったベテランもいるこの場で見極めようとしたのだった。


『そ、それでは。え、えと、艦艇搭載の水上機は確かに観測や偵察を最初から狙って作られた飛行機なんですが、飛行性能の面ではやはりフロートの無い空母艦載機の方が優れています。同じ二座以上でしたら九七艦攻なんかの方が速度も早いですし、航続距離も長いです。それと一番の欠点は、水上機は運用に対しての制約が艦上機よりも多い事です。高雄少将を始めとした巡洋艦の皆さんも経験があると思うのですが、艦艇搭載の水上機は基本的に露天繋止で維持と整備の点は天候の影響も大きく、その上で搭載したままだと主砲の発砲で損傷する事も割と頻繁にあります。また、実際に飛ばすに当たっての連続発艦では単艦辺りだと2機が限界ですし、任務を終えて収容する時なんかは艦を停止する必要があります。さっき加賀さんが仰ったように艦砲の撃ち合いを十分な時間で実施するにあたっても、連続使用においては余り向いていないのが水上機なんです。ある程度の設備を備える艦なら海上でも使える点では確かに便利なのですが、まさか撃ち合いの最中に艦を停止したり、陣形を崩したりもできませんし・・・。』


 明石と同じやっと20代になったくらいの若い容姿を持つ飛龍も、さすがに1年以上の時間を最新鋭空母として励んで来ただけはある。先輩方の前で語ったその内容は、中型以上の海軍艦艇の間では当然のように搭載されている水上機の現実を懇切丁寧に説いた物で、水上機を見た事はあっても自身の分身の装備品として所有はしていない明石は、知られざる飛行機事情を学べて感心してしまう。加えて加賀のお話の補足の役目を飛龍はちゃんとまっとうできた様で、明石の隣では神通が飛龍の言った事を肯定する声を放ち始め、その後にこの場では最も立場的に偉い艦魂である高雄と愛宕も続く。


『むう。確かにずっと以前から水上機の運用による懸案は出ているな。艦砲の衝撃波による損傷は空中に退避させたりして何とかする事もあるが、収容の時は穏やかな海面でほぼ停止状態にならないと起重機による揚収はまず不可能だ。・・・私は特に水雷戦隊の旗艦でもあるから、その間に子隊(ねたい)の奴らを単独で前進させる訳にも行かなくてな。演習でも困った事が何度も有ったモンだ。』


『あ〜、そう言えば、あたしとか愛宕も水上機の回収に手間取って艦隊の前進を遅らせちゃった事、何回かあるよね?』

『ああ。特に前進部隊たる私達、第二艦隊の持ち味はとにかく快速でとび抜けた機動性を有する事。それなのに途中で何度も休憩になってるぞと、少し前には随分と問題になっていたね。当時の艦隊司令部の人間達も、随分と夜遅くまで頭を捻っていたりしたな。』


 室内に木霊するお偉方の会話は、今まで明石がなかなか触れる事のできなかった単なる飛行機の知識である以上に、実際の経験も加味された水上機のお話。おかげさまで明石は水上機という代物の側面に理解を深くし、早速自前のノートに今しがた耳にした内容を記していく。時折重要だと明石が思った所には下線を引いたりして平坦な箇条書きにはなっていない文字の羅列がノートの紙面を埋めていくが、どうもその内容を要約するに海軍における飛行機という代物は、水上機よりも陸上機の延長である空母艦載機の方が現場に当たる艦隊での運用にはあっては色々と好都合らしい。もちろん板を渡した桟橋一つあれば砂浜が飛行場に早変わりする水上機独自の魅力も有るが、お船の集団たる艦隊にあっては性能、運用供に空母艦載機は段違いに使い勝手が良いとの事だ。


『ほう、ほう・・・。』


 そもそも飛行機についての知識が皆無に等しい明石。おかげで変に先入観を持たない彼女の思考は、仲間達が声に乗せる飛行機のアレコレを至ってスムーズに知識へと変換して蓄えていく。同時に空母の存在価値という物が艦隊の中でそれほど小さくない事を段々と解ってきた矢先に、突如としてそれまで酷使した喉を休めていた加賀が先程よりも幾分暗さが増した声を上げ、なんとも重苦しい彼女の語りに思わず明石の鉛筆を握った手が止まる。


『・・・艦艇搭載の水上機を使って行う物よりも、更に優れた航空作戦能力を艦隊行動に組み込むに当たっては、いま飛龍が言った様に空母という艦の価値は少なくは無い。・・・そもそも水上機に円滑な観測をやらせるには、せめて艦隊周辺空域の制空権を戦闘機でもって確保しなければならないですからね。・・・だが、それは私達が戦うかもしれない敵だって同じです。・・・特にその面で最も私達のような空母の艦魂、そして人間の海軍軍人達が目を光らせているのは、太平洋を挟んで居を構えているアメリカ、そしてその海軍である米国海軍です。・・・飛龍、もういいぞ。』


 いつの間にか腕組みをして鋭い瞳を細める加賀はそう言って手で合図して飛龍を座らせた後に、簡単に米国海軍がなぜに今の話題である空母のお話において重要なのかを説明し始める。




 彼女の言葉によれば昨年よりの欧州戦線の情勢により、アメリカは躍進凄まじいドイツがフランスを制圧した事によって大西洋の覇権を維持する海軍力の必要性を見出したらしく、今年の7月に「両洋艦隊法」なる対予算成立を目した国内法律を制定して海軍艦艇の大増産に乗り出しているらしい。もちろんさすがの大金持ちであるアメリカも金食い虫である海軍艦艇を増やす事に議会は紛糾し、その情報は太平洋を越えて日本にも届いていた。


 だがその内容がとんでもない代物だった。


 なんとたった一つの増備計画に綴られている数字は、戦艦2隻、大型空母7隻、駆逐艦100隻以上を始めとする総トン数およそ130万トンにも及ぶ大勢力で、これは今現在の帝国海軍の正面戦力とほぼ同等の数である。必死に食い下がってやっとこ対米7割を確保できるかどうかが関の山の貧乏島国に対し、このアメリカという国はそんな島国の一個海軍に相当する艦艇を作るに際して、とにもかくにもその計画書に認可のサインを現実に綴ってみせたのだった。




 そしてそんな大増勢計画の中にある空母7隻という数字は、多少は空母と海軍艦艇としての知識が身に付いている中堅の艦魂達に、すぐさま先程までの空母のお話とこの米国海軍の増勢との間に存在する繋がりという物を直感させる。今しがたの加賀が放った『敵も同じ。』の一言も、まさにここを示していた。


『・・・米国は途方も無く国力が豊かで、その上で欧州戦線に加勢していない事から軍備の整備がやりやすい環境に一応はあります。・・・恐らく米国海軍も我々と同じように海軍軍備としての方向性の重要な部分に、艦隊での航空作戦という物を置いているのでしょう。・・・この空母7隻建造という数字はその表れだと思います。・・・それだけ空母という艦種は、現代では注目されているのです。』


 日本だけに留まらない現代海軍軍備の風潮を語る加賀。日米供にまだ運用し始めて10年そこそこのこの艦種が注目される理由はこれだけでは無く、彼女は咳払いを放って声色を整えなおすや、今度はつい先月に欧州戦線のタラントという軍港を英国の空母艦載機隊が攻撃し、停泊中の戦艦も含めたイタリア海軍が大損害を被ったという話も持ち出して、艦隊としての航空兵力が示す戦闘事例を皆に教えてやる。

 ましてタラント軍港での戦闘は、現代海軍事情の艦隊航空作戦における動かしようの無い現実その物。それだけ日米に関わらず世界各国の海軍の中で敵としても味方としても最も注目されているのが、艦隊航空戦力のプラットフォームたる空母という艦種なのであり、明石を含めた第二艦隊の艦魂達が空母の重要性を改めて思い知るのには十分なお話であった。



 だがしかし、ここまでの空母のお話は加賀や飛龍、蒼龍らにとっては初歩のお話で、彼女達3人はそんな空母の将来を予測して既に優秀な帝国海軍の男達が対抗策を見出している事をも知っている。 大正の頃よりよちよち歩きの中で空母を扱ってきた経験があったればこそ、帝国海軍は空母の運用に関して世界的にも一歩リードするだけのノウハウを持っており、もちろんそれらは自分達における空母の使い方と供に、敵の空母に対しての有効打を研究する為の大事な土台となっているのだ。その結果、空母や飛行機の発達と米国という大洋を挟んだ大国家の事情を総合して編み出した物が、ついさっき加賀が皆に説明した飛龍と蒼龍の分身の事である。

 加賀は再び喉を擦りながら持ち前の野太く低い声でもってその事を教え、よく将来も見越した上で帝国海軍の人間達が編み出した空母の運用を仲間達に説明するが、ここまで彼女の話を真面目に耳にしてきた第二艦隊の艦魂達はここに至ってようやく、ついさっき話題に上った飛龍や蒼龍の分身が「機動攻撃型」等と呼ばれ、随分と無茶気味にも思える役目を課せられている事の真相を悟る。


 明治の頃より帝国海軍は仮想敵として米国海軍を対象としてきたのは周知の通りだが、当時より大金持ちの裕福な国であった米国の海軍はその保有する戦力が帝国海軍とは比べ物にならない。良質な鉄資源、飛行機や魚雷も含んだ近代工業製品には不可欠な高級潤滑油、様々な機関の燃料となる為に最先端技術で精製された優れた発燃用の油資源、正確に物を作る為に一級の精度が求められる工作機械等、その殆どを未だに日本は他のどの国でもないアメリカから買っており、自動車に代表される工業力の凄さはそのまま海軍艦艇の世界にあっても適用されている。余談ながら飛龍達や加賀の分身に搭載されている降下爆撃隊の戦法、すなわち飛行機による急降下爆撃も、そのルーツはアメリカで実用化された急降下爆撃を帝国海軍が取り入れた事に始まるのである。

 そんな米国の海軍なればこそ、仮に戦争となったなら帝国海軍がいくら背伸びしても届かない規模でもって来寇する事は明白であり、彼等の様な大国の海軍は帝国海軍の総力と真正面から殴り合いを演じても打ち負かせるだけの兵力でもって太平洋を進撃してくる。逆に帝国海軍はいくら頑張ったってそんな大国級の海軍を持てないお財布事情なのだから、負けると解っている足を止めての殴り合いはせず、ボクシングで言う所の足と細かいパンチを使った精巧な戦いをせねばならない。

 国家を人間と見た際、資源という名の体力を持たないお国柄なのだから、仕方の無い事である。

 故に帝国海軍は明治の頃より、秋山参謀の名でも名高い「七段構えの戦策」がそうであるように防御と迎撃に特化した戦策を研究し、正面からストレートを打ってくる敵に対して一撃ダウンには繋がらないボディーへの攻撃や遠目からのジャブでもって体力を消耗させ、ようやく条件が同じになった頃合を見計らって強烈なカウンターを打ち返して一挙に形勢を逆転させる戦略を採用し続けてきた。

 それこそが現代の帝国海軍の必勝戦法たる、「漸減要撃」構想なのである。


 その観点で見た際、まず一番に気をつけなければならない長距離から飛んでくる敵の最初のパンチが、いわゆる飛行機であった。

 先程加賀が言った通り、飛行機は視界や戦艦の主砲の射程距離よりも遥か向こうまで活動できる能力が有るのだから、優勢な航空戦力を保持する側は姿も見えない長距離から完全なアウトレンジでの攻撃を仕掛ける事が出来る。そうなると米海軍の優勢な艦隊航空戦力は待ち構える側の帝国海軍には非常に脅威で、下手をしたら帝国海軍が漸減される側になってしまう危険性が相応にある。唯でさえ規模の面では既に劣勢なのに、開幕一番でいきなりハードパンチャーの一撃を受けたら規模の小さな帝国海軍にはもはや勝機は絶対に無い。

 そこで栄えある帝国海軍の優秀な人間達が考え出したのが「まずはそんな厄介なパンチを打てない様にしてしまおう。」という作戦であり、決戦の初動として敵性空母を先制攻撃して制圧する事に特化した飛龍艦や蒼龍艦の様な空母は、まさにこの事情から生まれた存在なのだった。




『・・・二航戦の二人は快速を生かして機先を制し、貫通力は低く威力がそこそこであっても命中率の良い降下爆撃を主にして空母を攻撃します。・・・それに対してさっき明石は、何故に撃沈とは言わずに制圧と言ったのかと質問したな?』

『あ、は、はい。』


『・・・その質問が関わってくるのは、まさにここ。・・・重要なのは敵の艦隊航空戦力が活動できない状況にする事だ。・・・もちろん撃沈できれば儲け物だが、・・・艦首から艦尾まで広がっているあの大きな飛行甲板に大穴を開けてやったり、普通の船に比べて飛び抜けて多く積んでる航空機用の揮発油に火をつけてやれればそれで十分だ。・・・飛行機の発着が出来ない空母なぞ、棺桶か自走の重油タンクでしかない。・・・その後の夜に予定されている夜戦では、神通中尉達の様な水雷戦隊の恰好の標的になるだろう。』


 加賀のそんな語りによってようやく明石の質問が完全な解答を得、彼女は思わず『おおぉ〜。』等と感心の吐息を漏らしてしまう。今までは艦魂として同期だからと割と親しく交流してきた飛龍と蒼龍に、まさかこれ程までに深く考えられた上での運用が考えられているとは思ってもみなかった。

 このお勉強会が始まる前に挨拶した高雄の言葉から察するに、これらの空母の運用はまだ計画とか予定の側面が強い様で、いよいよ今年から本格的な訓練の実施がされていくという事であったが、艦魂として年頃も近い蒼龍や飛龍がそんな構想によって生まれたならば、今しがた脳裏に刻み込んだばかりの空母の運用は実に5年以上も前から考えられていた事になる。

 昭和一桁にして、まだまだ明石の分身が図面の上でようやく生まれていたかどうかの時期だ。


『すんごいなぁ。』


 なんともありきたりな言葉でちょっとした感動を示す明石。純真無垢なその感動は明石の思わず放った声の音量を殆ど抑制せず、長官室の中には彼女の目を輝かす表情を目にした仲間達の笑い声によって僅かに明るくなった雰囲気が満ち始めていく。

 するとその最中、明石とは長机を挟んで反対側へと座っている五戦隊の那智(なち)が、明石と同じ考えの下に質問の声を上げた。


『加賀さん。飛龍達のような空母の事はよく解りました。ただ、艦隊旗艦のようなお偉方も含め、それって人間の海軍軍人達の間でもまだちゃんと把握しきれていないんですよね? 今年から本格的な訓練を始めるって話ですけど、準備は進んでるんですか?』

『・・・もちろん。・・・この話は軍令部や海軍省の人間達も含め、下準備自体は既に今から3年ほど前より始まっています。』


 ちょっと心配するような物言いの那智の質問に対して加賀は大きく頷くと即座にそう答え、すぐ傍にあるイーゼルに掛けられた黒板に再びチョークを走らせ始める。乾いた小気味の良い音を放って記されていくのは2桁の数字の羅列で、飛龍や蒼龍の分身における空母としての特徴を説明する際に書いていた二人の名前の横には各々3段づつに分かれて数字が記され、それを書き終えて振り向きながら加賀は那智への回答の詳細を述べた。


『・・・これは昭和12年に作られた〝艦船飛行機搭載標準〟という名の軍令部の書類に書かれていた数字でして、蒼龍がようやく就役間近であった頃に搭載を予定していた艦載機の編成です。・・・上から戦闘機9機、爆撃機33機、攻撃機8機の順です。・・・言うまでも無く、降下爆撃を行う爆撃機が最も多く搭載されています。・・・もちろん専門では無かったでしょうが、この8機の艦攻隊も、攻撃よりは偵察や哨戒を主任務にしていたと思います。・・・ここ最近では、飛行機搭載の照準器や対艦攻撃方法が発達したので艦攻隊による編隊水平爆撃の精度も上がってきましたし、戦闘機が少ない事による攻撃隊の損害が支那戦線で問題となった事もあって、搭載機の編成はもっとバランスの良い物になっています。・・・ただそれでも戦闘機12機、爆撃機27機、攻撃機18機という構成で、飛龍と蒼龍が帯びている、敵性空母に対する先制攻撃による制圧、という役目は今でも確定しています。』


『なるほど。既に刀の準備は出来てて、あとは剣術の腕前を磨くだけって事か。』


 予期できぬ第三者からの疑問を受けても動じぬ加賀は、人間達が用いる資料の名前と内容を記憶から示して那智の理解を得てみせる。これでもう少し愛想と愛嬌があれば素晴らしいのだが、どんよりと曇ったような人柄と物言いにも関わらずちゃんと根拠となる資料を明示し、しかもまたその内容をしっかり記憶しているという加賀の姿は、やはりさすがはベテランと言った所。

 既に30代も控えたくらいの女性像を容姿としている事もあり、愛弟子の飛龍や蒼龍に限らず明石もまたその立派な仕事振りに溜め息を漏らした。


『ぬぅ〜〜・・・。加賀さん、よくお勉強してるんだなぁ・・・。』

『・・・ふん。ま、あの人は確かに凄いな。さすがに横須賀で富士(ふじ)さんの英才教育を5年間も受けてただけの事はある。』

『ふふふ。加賀さんは努力家なのよ、明石。恐らく帝国海軍の中で、最も艦艇の運用に精通している艦魂(ひと)が加賀さんよ。私も見習わなくちゃね。』


 小さな声で感心の言葉を呟く明石の両脇から、神通と那珂が同調する声を重ねてくる。この二人はお互いに20代後半の女性の容姿を持っている事からも解る通り加賀とはほぼ同世代の生まれなのだが、僅かに1年ほど加賀が艦齢の面で上回っている事と階級の差もあって加賀の事を語る際はかならず「さん」と付け、なおかつ加賀の寡黙ながらも仕事が出来る所を素直に尊敬している。気軽に相談できる姉妹もおらず、空母という海の物とも山の物とも解らない艦艇を分身とする中で、それだけ加賀は何事にも頑張ってきて仲間内にも認められている人物なのであった。

 その上で姉妹の有無と分身における艦艇としての珍しさという二点は、明石にも共通する所でもある。むしろ工作艦として朝日という大先輩が手取り足取り教えてくれる自分と比べ、生まれた頃は運用の面で謎だらけだった加賀はもっともっと辛く厳しい環境の中で生きて来たのだろうと明石には思えた。


『ぬぅう・・・。勉強だぁ。』


 何か自分に言い聞かせるようにして明石はそう呟くと、ついさっきの那智と加賀のやりとりを忘れぬ内にノートへと記していく。まだまだ自分は新米である事を加賀の姿に見せつけられた様でちょっと悔しいとも思ったが、同時に皆の前で腕組みしたまま黒板の脇に立ち、那智に続いてチラホラと上がってくる質問に『知らない。』とか『解らない。』等と一言も発せずに応じてみせる姿は、これまで朝日ばかりを目標だとしてきた明石の瞳には中々新鮮な艦魂としての理想像の様にも映った。

 そしてその為に今の自分に必要なのは一にも二にも勉強なのであると明石は察し、加賀の姿に見惚れもせず、落込みもせずにひたすら鉛筆をノートの上に走らせる。

 大体が今日の空母に関するお勉強会は、まだ終わっていないのである。


『よし、みんな質問は無いようだね。じゃ、ここで10分の休憩いれようか。加賀さん、この後も引き続きよろしくお願いしますよ。』

『・・・はっ。』

『よし。ちょうど厠行きたかったんだ〜。』


 あらかた加賀への質問が終わったと見るや高雄は休憩を宣言し、いの一番で椅子から腰を上げると長官室のドアを勢いよく開けて走り出す。ふと室内の隔壁にて絶えず時を刻んでいる時計を見た明石は、夢中になって勉強していた長官室での時間が既に2時間も経っている事に驚きつつ、ドアの向こうの通路から木霊する高雄の悲鳴のような声に頬を緩めた。

 どうやら高雄はかなり我慢していたらしい。


『漏れる、漏れる〜!』

『『『はははは。』』』


 真面目なお勉強会のお時間は、こうして和やかな空気を残した上での休憩を迎える。

 艦の主である愛宕はすぐさま摩耶と一緒にお茶と保存期限間近で余り物となっていた乾パンを長机の上に用意してくれ、厠や喫煙の用が無い者達は長官室にて疲労した頭脳を休め始めた。明石も大きな溜め息を一度放って椅子に浅く座りなおし、用意してもらったお茶を飲みながらこれまで記してきたノートの記述を読み直してみる。


 飛行機にも水上機と艦載機という物があり、空母にも考えられたお役目があり、その為にこうして集う第二艦隊の編成もまた、それはそれは上手に考えられて作られている。例え艦魂達の顔ぶれであっても実に多くの知識と研究がそこには反映されており、こんな複雑にして巧妙な物事を編み出した人間達は本当に凄い存在なんだなと明石は改めて感心し、この後に再び加賀が説明してくれるであろう空母のお話を心待ちにしながら、明石は僅かな休憩時間を仲間達と過ごすのだった。

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