第一〇四話 「仲間達を知ろう」
◆お詫び◆
読者皆様、いつも拙作をご拝読下さり誠に有難う御座います。
さて、前回掲載しました一〇四話「お仕事の使者」において、防府沖合い在泊の第二艦隊に対し第三戦隊旗艦として金剛艦が来訪しておりますが、金剛艦は作中でも記載した11月15日付けの昭和16年度艦隊編成で三戦隊配備とされた10日後の11月25日、整備補修と改装の為に特別役務艦とされて艦隊から外れておりました。それに伴い明石艦が所属の呉鎮に戻ったのと同じ様に、観艦式が終わった後は金剛艦も所属の佐世保鎮守府に戻っておりまして、そのまま佐世保で改装作業に入っております。
ですので作中の12月下旬も近い頃に、金剛艦が第三戦隊旗艦として海上に在る事はありえません。
拙作の執筆において過去最大のミスで御座います・・・(つД`)
大変申し訳御座いませんでした。
これに伴いまして104話の後半から内容の改定を行わせて頂きます。
次話更新が遅れるのと同時に既存のお話も変更致します事、大変に申し訳ない限りですが、ご理解とご了承の程をお願い致します。
ただ蛇足ながら、前回のお話にて盛り込んでいた金剛と神通、そして未だ作中には名前だけの登場である敷島に関しての人物関係は小生の設定からは少しもブレていないお話でして、今回勇み足で記載しました内容は現在は修正してしまいましたが、今後変更する事は絶対にありません。
前回の内容に関して覚えている部分が御座いましたら、何卒裏話的に垣間見れたと思っていただければ幸いで御座います。
2010年12月10日 明石艦物語作者/ 工藤 傳一
昭和15年12月22日。
第二艦隊は雪もちらつく柱島泊地で未だ錨を下ろしている状態にあり、そう日を置かずに予定されている艦隊訓練への出動準備に乗組員達は汗を流していた。もう残り一週間で大晦日、次いでお正月であるが正月明けにはすぐさま昭和16年度の第一回応用教練、続いて第一回基本演習の予定が入れられており、艦長さんから兵下士官も含んだ乗組員達と同じく艦魂達にあってもまた予習に余念が無い。
時代と供に進歩する帝国海軍の諸事情を追いかけるのが艦魂達の勉学の主な物で、そも最先端技術の結晶たる物が兵器であるのだから、その難解さは結構馬鹿にならない物でもある。微分積分に始まる数学の知識は勿論の事、兵学校を終えて励む士官の乗組員達にも負けぬくらいの語学力も必要だし、歴史の意味ではこれまでの帝国海戦史も学ぶし、地理のお勉強だって海に共通する部分は必要である。その上で果てしない座学を楽しいと感じる事のできる存在が稀有な人間達と同じ感覚を持つ艦魂達であるのだから、やっぱりそこに在るのはついつい呻き声を上げて頭を捻りながら机に齧りつく女性達の姿であった。
しかしそんな中、お勉強ですっかり頭脳を酷使しきって疲弊していた彼女達にも一時の救いがあった。
柱島泊地にて所属の全艦艇が集結している状態の第二艦隊では、なんと寒さも派手になり始めた時期にも関わらず、新年度の艦隊訓練の一環として短艇競技会が催されたのである。
帝国海軍の短艇競技会は明治の海軍創設期より行われてきた伝統有る催しで、各艦対抗の形式をとっている為に出場する選抜の者にあっても応援する者にあっても、一際熱が込められる場。各々が所属とする艦の名と名誉を掛けた戦が繰り広げられ、戦国時代ほどに顕著ではないものの家柄や血統等を重んじる気質が強い日本人にとってはなんとも胸踊る一大イベントでもある。『あの艦に負けるな。』とか、『この艦には絶対に勝て。』といった艦長さんからの指示も時には出る始末で、まさに選抜された短艇乗組員達は自分の艦の全てを背負う事になる。
だがそんな艦長さん達みたいなお偉方と同じように自身のメンツを懸けているのは、この場にあっては何も一部の人間だけのお話ではない。一応は階級や役職を模倣している艦魂達にとってもそれは同じで、普段は絶対に逆らえない目上の者を見返す、或いはその逆に圧倒的な実力の差を見せ付ける絶好の機会ともなるのだ。
別に艦魂達が浮標で区切られた洋上の競争区間で競い合うそれぞれの短艇に対し、とりたてて何をするという訳でもないのだが、それでもカタカナで自分の名前が舳先の辺りに記された短艇が優秀な成績を納めてくれるのは彼女達にとってはなんとも嬉しい結果である。
『おっしゃ! 連覇~!』
『ははは。残念だ、今年も高雄の短艇が一着か。』
『あらら。二位は五戦隊の那智じゃない。これじゃまた私のトコの艦長、今晩辺りは怒りそうだなあ。』
『うげ。三隈の短艇、速いなあ。てっきり私が七戦隊じゃ一番だと思ってたのにさあ。』
第二艦隊内の巡洋艦戦隊である第四戦隊、第五戦隊、第七戦隊、第八戦隊による合同競争は、参加する短艇の数が最も多い本日の短艇競技会のメーンイベント。スタート地点にて横一列に総勢12艘の短艇が並ぶ様は圧巻で、短艇に乗組んだ水兵さん達が握る幾重ものオールはさながら戦国時代の槍衾の様だ。
もちろんそんな勇壮な姿に第二艦隊各艦の甲板からは士官と兵下士官が入り混じった乗組員達の応援の声が放たれ、見晴らしが良いと艦魂達が一同に集まった加賀艦の甲板でも歓声の度合いは同じである。
明石も当然のその場にて仲間達と同じ時間を過ごしており、例に漏れずここ最近のお勉強で疲弊気味の心身を眼前の短艇競技会で得る一喜一憂で癒す。
どうも周りの歓声を耳にするに、第二艦隊での短艇競技において艦隊旗艦である高雄の短艇とそのクルー達は毎度毎度の好成績を叩き出す常勝チームらしく、年上で艦隊旗艦の艦魂を務める者としては先輩格である那智や羽黒に対しても一位の座をここ数年は譲っていないらしい。おかげで高雄は出雲というお師匠様から与えられたその陽気な人柄に上機嫌という油で火をつけ、真面目な性格の愛宕や寡黙で強面の加賀らがいる甲板の上で一人小躍りを始める始末。
ほとんどの者はその様子を見て笑っていたが、今期より第二艦隊へと加わった高雄の実の妹の鳥海だけは悔しそうに唇を噛みながらそれを眺めている。高雄型一等巡洋艦4姉妹の末っ子ながらも、姉達と離れて長く単身で支那方面艦隊で励んできた意地が相当に有るらしい。明石よりも年齢を重ねた20代前半くらいのその容姿は艦魂の世界では一人前の物だが、大人びていても隠し切れない負けん気の強さを辺りに放っていた。
その一方、巡洋艦同士での短艇競争が有れば駆逐艦同士、または空母同士といった間でも競技会は行われており、先程の巡洋艦で構成される戦隊での競技大会に出て目立たない成績で終わってしまった明石は、特に気落ちする事も無く仲間達における短艇競技会を楽しく見物する。
するとやがて行われた水雷戦隊の部では、明石のすぐ隣に集まっていた二水戦の艦魂達から予想通りと言うべきやりとりが聞えてくきた。
『うっへえ。戦隊長の短艇、速いですねえ。』
『すげー、ぶっちぎりで一位だぁ。』
『ふん、当たり前だ。私の乗組員はな、お前達のキールがまだやっと船台の上に据えられた頃には、もう既に支那で私と供に作戦に就いてた者ばかりなんだ。根性が違うんだ。』
一個戦隊としては結構な大所帯である二水戦は戦隊内対抗という形式で競技会が組まれ、彼女達の眼前では今しがたそんな自分達の短艇による競技が終わった所なのであるが、10艘以上の短艇による競技会が舳先に「ジンツウ」と記された短艇の圧勝で終わった事に驚きの声を上げている。もちろんそんな短艇と乗組員の持ち主である神通は平然とした表情で部下達の声に応じ、絶対的な上司像をこんな時であっても崩さない事に成功する。
そしてその神通と仲良しという事からちょうど隣に座っていた明石も素直にその功績を褒め、自分とは違って乗組員も含めて経験豊富である神通に拍手を送りながら感心の声を漏らす。
『あはは、神通、すごいじゃん。』
『ん。まあ乗組員の奴ら、最近の教練ではよく頑張っていたからな。大した連中だ。でもお前のトコの短艇も、今回が初参加にしては上出来だったじゃないか。明石。』
『えへへ。ありがと。』
彼女達が居並ぶ加賀艦の飛行甲板は師走の潮風が吹き放題で、外套を着ていても寒いの一言に尽きる環境であるが、今日はみんな機嫌の良さとささやかな娯楽が有るためか不平不満の類は口に出ず、普段はとても不機嫌そうな表情を絶やさない神通にあってもそれは同じらしい。加えて親友にして第二艦隊でも一番の年長者である彼女に自分の短艇の成績を褒められた事は、明石にとっても素直に嬉しい事であった。やがて二人は白い息を小刻みに上げながら笑みを合わせ、ここ最近はお互いにお勉強漬けで疲れた心を解し合う。
だがしかし、こんな神通と明石の二人に対し、のどかな一時なぞ全くもって共有できないあの二人が、加賀艦の飛行甲板上の一角にてまたぞろ騒動を巻き起こし始めた。
『アンタの短艇のオールが当たったから私の短艇が遅れたじゃない!』
『ぁんだと! テメエのボートクルーどもが木の枝みたいにオール振り回してっからアタイの短艇にからまったんじゃねーか! 木の枝とオールの区別もつかねえのか!』
『歩いて棒に当たるような犬が艦なら、乗組員もワン公揃いか! 口で咥えてオール使えよ、バカヤロー!』
『なにを、猿め!!』
ちょうど明石と神通の背後の辺りで喧嘩をしているのは霞と雪風。どうやら先程の短艇競技会にて不幸にも両艦の短艇の間でオールが絡み合ってしまった事への責を求めているらしく、周知の通り犬猿の仲である事からお互いに自分の非を認めずに罵り合いとなってしまっている。次いで時間を置かずに二人は蹴る殴るの取っ組み合いとなり、甲板の上をゴロゴロと転がりながら交互に馬乗りになって相手の顔に鉄拳をお見舞いし始めた。
『バカ犬め! てえりゃあ!』
『この猿! おるあ!』
若さを喧嘩に爆発させるのは別に珍しい事ではないが、毎度毎度こうして飽きもせずに喧嘩できる二人の姿は明石にはちょっと微笑ましく思える。何故なのか理屈は解らないがこうして喧嘩するのが日常茶飯事の二人は、いつも居場所や喧嘩の発端が同じ時間や場所に共有されるのが通例で、あれほど参加した短艇が多かった先程の競技会でも二人の短艇が隣同士であった事はもはや偶然とは思えない。本当はその相性は抜群に良いのではと思わず笑いながら考えてしまうのは明石だけではなく、第二艦隊中にも知れ渡る問題児2名に高雄らは朗らかに笑っている有様だった。
『馬鹿者があ!!』
そしてそんな二人の大喧嘩を止めるのは、その場に居る高雄ら第二艦隊のお偉いさん達による自分達への嘲笑でも、持ち前の低くハスキーな声で『こらこら。』と宥める那珂による抑止の心遣いでもない。ただ一人の上司である神通の烈火の如き怒号とげんこつが加賀艦の飛行甲板上の空気を切り裂くや、頭に乗せた軍帽がベッコリとへこんだ霞と雪風が苦悶の表情で甲板の上に大の字となった。
『あ~あ、またやった。』
艦隊旗艦の高雄が居る前ですらもいつもと変わらぬ二水戦の騒動を繰り広げた事に、明石はケラケラと笑いながらそう言った。もっともその笑い声を耳にした刹那、神通は持ち前の刃先のような形の目を研ぎ澄まして明石の顔を睨みつけ、親友と慕いながらも一向に慣れる事の出来ないその怖い顔に明石は笑い声を封殺される。こうなっては「鬼の戦隊長」との異名をとる神通を止める事は出来ず、『お偉方が居る前だから・・・。』と霞や雪風を止める際と同じ様にそれとなく宥めてみた実の妹の那珂に対してもその怒りは矛先として向けられる。ある意味では非常に公平な神通独特のご立腹ぶりは、そんな中で妹に返した憤怒の勢いも凄まじいその言葉に如実に表れていた。
『黙れえ! 二水戦の事には口を出すな、那珂ぁ!!』
やれやれとその怒号に苦笑いする明石。今年もどうやら親友達にあっては在り方に変わりが無いようで、みんなが見ている前でお尻をぶっ叩かれる霞と雪風を可哀想に思いながらも彼女はどこか安堵してしまう。新年度という区切りを迎えた時間に至っても尚、自身が知るままの者達がそこに在る事に安らぎを覚えたからだった。
『何回言わせれば気が済む! 艦隊旗艦が居られる前で騒ぎおって、馬鹿者が!!』
『ぎゃあ!!』
『ぐああ!!』
辺りに起こる失笑の渦に参加してクスクスと明石が笑っている間に早くも加賀艦の飛行甲板で繰り広げられているのは、鬼教官たる神通の前にうつ伏せとなり、その小さなお尻に竹刀を何度も振り下ろされてベッチンベッチンと響きの良い音を悲鳴と供に放っている霞と雪風の姿。まさに何時もの二水戦の日常である。
『あははは!』
本来なら今日の様な短艇競技会というイベントでなくとも見れる筈のその光景が、明石にはこれまでに無いくらい暖かで楽しく見えて仕方が無い。足元では霞と雪風がまだまだ顔に比して大きいその両目に大粒の涙を流してビービーと泣いているが、もはや見慣れている上にどんなに怒っていてもしっかり体罰はお仕置きの範疇に収めようとしている神通の事を知っている手前もあって、明石は憂う事無く湧き上がる可笑しさを笑い声へと変えていく。
それはここ最近のお勉強尽くしの日々では久しぶりとなる、楽しくて嬉しくて可笑しいとなんとも明るい感情を昂ぶらせる事のできた一日の一幕であった。
昭和15年12月30日。
大晦日も控えた世間一般では、如何に繁盛するお店でもお休みとされるのが普通であろうこの日。柱島泊地にて来たる新年度艦隊訓練の準備を全く完了した第二艦隊は、中将旗を翻した高雄艦上の古賀長官の号令一下、続々と抜錨を開始。栄えある帝国海軍に土日が無いのは「月月火水木金金」の語句で周知の事であり、大小の各艦は雪もちらほらと舞い散る空の下で一際黒い煤煙を煙突から巻き上げ、冷たい師走の潮風にも巻けずに颯爽と靡くそれぞれの軍艦旗を柱島西方の海域へと進めて行った。
昨年よりも遥かにその数を増した第二艦隊は「指揮官先頭」の伝統に則り、高雄艦を先頭にして狭い瀬戸内を長く連ねた単縦陣で静かに進む。例え内海と言えども冬の海の表情を垣間見せる瀬戸内はやや荒れた波が満ちており、ただでさえ交通量も多く漁船等の往来も盛んなこの海を進むのは帝国海軍艦艇にとっても中々に気を使う物でもある。速度に任せて突破したりするのは衝突事故を誘引する為にもちろん出来ないし、海軍艦艇としては小型快速が身上の駆逐艦とて漁船や一般的な民間船から見れば大型艦艇となるから、小回りの面でも段違いに分が悪い。だから事故を起したくないのならゆっくりノロノロと波を掻き分けるしか手段は無く、栄えある第二艦隊のお仕事始めの姿はなんとも勇壮さが掛けた大名行列と化してしまう。
しかもまたそんな状態で第二艦隊が移動したのは、柱島泊地を出て瀬戸内を僅かに西進した所に在る山口県の防府市沖で、南国のそよ風と陽射しも懐かしい沖縄行きを期待していた明石はちょっとがっかりしてしまう。
もっとも防府近海は随分と艦艇の数も増えた近代帝国海軍にとっては結構重要な地で、北九州の航空基地と密接に連繋した艦隊訓練を行うに当たって艦隊を待機させる場所に度々選ばれているのがこの海域である。豊後水道が瀬戸内海の玄関なら、周防灘とも呼ばれる海である防府市沖合いの海域はさしずめ瀬戸内の土間といった所。本州西端と四国と九州の間を縫うようにやや広くなった海で、古くから本州と四国、九州を繋ぐ海の道の中継点としても栄えており、文明開化も著しい明治の頃から近辺の港湾に相応の規模での発達が見られた。しかもこの防府の特色として「東洋工業」なる有名な製造企業が居を構え、次いで製造した工業製品の積出港として機能している点がある事から、その港湾設備は本格的な起重機や桟橋、岸壁などを備えてもいる。おかげさまで帝国海軍の使用頻度もそこそこに多いのがこの地なのであり、瀬戸内の眺めが変わらず沖縄の常夏な気候が味わえずに残念がる明石の様子に反して、愛宕や神通といった比較的お仕事に真面目な艦魂達は久々の防府沖合いでの停泊となって自らの心持を改めている程だった。
ちなみに後年、この東洋工業という企業は、世界でも唯一のロータリーエンジンを用いた自動車を量産する自動車メーカーへと成長していく事になるのだった。
さてさてそんな中。
呉より多少は気温も暖かいような感じもある防府市沖合いに投錨する第二艦隊。
その中の四戦隊所属の愛宕艦の長官室では、大晦日を控えても尚お仕事から距離を取らない艦魂達の打ち合わせが催されていた。毎月の月初めにいつも行っている様に各戦隊長級の艦魂達が集まるのは同じであったが、その日に行われたのは小難しい議題に対してみんなで頭を捻る会議ではなく、明石のような新米や神通のようなベテランも含めた中で一緒に新たな知識を探求するお勉強会であった。しかもお勉強の対象は先日の魚雷や大砲、飛行機といった小さな物ではなく、自分達を含めた「とある海軍艦艇と、帝国海軍としてのその運用方法。」との事で、何やらこれまでに無くスケールの大きなお話に明石は持ち前の好奇心を沸き上がらせる。 大変に珍しい事に明石の親友にして、第二艦隊では那珂と供に古参の顔でもある神通ですらも、このお勉強会で学ぶ題目に関してはまだ理解が及んでいないらしく、これまでに何度もあった周りはみんな知ってるのに自分だけが知らないという教養の格差が、本日のお勉強会では適用されていない事に明石はちょっとだけ喜んだ。
『そうか、那珂もやはり詳しい事はよく解らんか。』
『ええ。私が第一艦隊にいた時は、まだ手探り状態の運用だったの。逆に第二艦隊所属の神通姉さんの方が、その事に関しては知ってるんだと思ってたわ。』
『えへへへ。みんな同じだねえ。』
『ふん。何を嬉しそうに。』
愛宕艦長官室に向かうべく、愛宕艦の甲板へと転移してきた後に艦内通路を歩く仲良し3人。それぞれが自前のノートと筆記用具を片手にし、歩きながら交える声の中で各々がこれから始まる勉学のお題目において見識が浅い事を確認し合っている。これも艦魂達におけるお仕事の一環でもある故か、神通と那珂は至って真面目な表情で早速今日のお勉強はどういう物になるのかとお互いに考えを述べているが、寄り添って歩くそんな姉妹の後ろをついて行く明石は、ようやくこの二人とスタートラインが同じになった事が嬉しくてならず一人ニヤニヤとしながら歩いていた。
気心知れた神通と那珂は明石と知り合ってもう1年以上の付き合いで、艦魂としては同期の間柄である二航戦の飛龍や八戦隊の利根と比べてもずっとずっと明石とは親しい者達である。ただ一つだけ明石がこれまで残念であったのは、そんな神通と那珂は既に帝国海軍艦艇の命として15年以上も励んできた年長者であった事で、まだまだ艦の命としては駆け出しである自分とはその容姿においても教養においても雲泥の差が有るという事であった。決して自分の知識の無さ、教養の浅さに僻みを持って憎む等という気持ちは微塵も無いが、自分だけが出来ないという境遇を明石は内心ではとても嫌う傾向にある。親しい友人である二人が自分の理解が全く及ばない会話をしている場を目にするだけでも、まだまだ自分がお師匠様より教わった艦魂たる者の理想像とはかけ離れているのだと思えてしまい、決して涙を流したり落ち込んだりする素振りは見せずとも心の中ではそんな自分が残念で残念でならないのである。
ダメだなぁ・・・。もっともっと立派になんなくちゃ・・・。
その度に脳裏を駆け抜けていくのはそんな言葉。もちろんその根底と想いの果てには、帝国海軍でも屈指の厳しさと耳にした砲術学校や水雷学校での日々を終えて戻ってくるであろう、大事な大事なかつての相方の存在があるのは言うまでも無い事である。
そんな事からまだ理解が及んでいない物事が神通と那珂にあっても同じであるという本日は、第二艦隊の戦隊長級の艦魂達の中でも最も若輩な自分をさほど気にせずに過ごせる為に明石の心はなんとも軽やかであった。自分の部屋で勉強会の為にとノートと鉛筆を準備する段階から笑みがこぼれていたくらいで、愛宕艦の甲板でこの二人と落ち合った際も明石は元気一杯の挨拶を投げてみせる有様。那珂は相も変わらず慈愛心溢れる笑みでもって応じてくれたが、神通は逆になんとも上機嫌の明石を気味悪がっている程だった。
『・・・お前なぁ、今日の勉強会は私や那珂ですらもまだよく解っていない事を学ぶんだぞ。下手すれば帝国海軍の戦策だって出てきかねない話だ。そんなヘラヘラした顔で大丈夫なのか?』
『あはは、みんな解んないから勉強会やるんじゃん。それに笑ってたってムスっとしてたって、解んない事には変わりなんかないよ。それとも神通みたいに気張ってれば解るの?』
『いや、そういう事じゃなくてだな・・・。』
『ふふっ、ふふふ。』
すっかり仲の良い神通と明石。最近ではこうして明石が10歳以上も年長の神通をしてちょっと困らせる様な物言いを頻繁に放ち、他の仲間内からは顔を見るのも嫌だとまで嫌われている姉のそんな困った顔が那珂には可笑しくてならず、ちょっと顔を逸らして気取られないように静かに笑ってしまう。那珂自身もその場にいたあの美保ヶ関の惨劇以来、10年以上も見る事の出来なかった神通の豊かな表情。当の本人は年下で天真爛漫、無垢な人柄である明石の声を受けて少しムッとしている様だったが、湧き上がる怒りに任せて手を振り上げる真似をする訳でもない。二言三言の文句をブツブツと口にし、せいぜいそんな自分の姿を笑っている那珂と明石をギラリと睨んでやるくらいだった。
そうこうしている内に3人は愛宕艦長官室へと到着し、いつも戦隊長会議の際に陣取る席へとそれぞれ腰を下ろす。隔壁にある舷窓を背にしてテーブルクロスの白さも際立つ長机のちょうど真ん中辺りで自身の軍帽を机上に置き、上座の位置から神通、明石、那珂と順に座るのが彼女達のお決まりの席順である。嫌われ者の神通の隣に誰も座りたがらない中でも明石は仲良しであるからさも当然の様に席を隣にし、その鋭角によって構成された眼光鋭いお顔に臆する事無く彼女は解らない事があればすぐに隣の神通へと自分の疑問を投げれるので、色んな意味でも都合が良いのだ。
そして明石達が既に何名かの同僚が待機していた長官室へと入って数分もした頃になると、ようやくこの艦の主の愛宕と艦隊旗艦の高雄が集う顔ぶれの最後として長官室に足を踏み入れ、長机の上座側の端っこで小さめの黒板などの教材を準備していた摩耶がいつもの声を上げる。
『艦隊旗艦に、敬礼。』
『ほおい、ご苦労さま。』
摩耶に続いて立ち上がった明石達が一斉に右手を額に添える中、やや緊張感も欠けたゆるい声色で答礼と挨拶を返す高雄。柔軟性を重視する彼女の人柄はどこかヘナヘナとした印象が常に消えない感じもするが、連合艦隊旗艦を都度経験している第一艦隊所属の戦艦の艦魂達が一様に褒める仕事ぶりはちゃんと健在で、席に着くなり早速高雄は本日のお勉強会の趣旨を説明し始める。
むしろこの切り替えの早さには逆に傍から見ている立場の明石が追従しきれない事が多く、この時もまた突如としてスイッチが入ったかのような高雄の声と表情の移り変わりを受けて慌ててノートをめくり、ポッケに忍ばせたままであった鉛筆を手に取る有様だった。
『大晦日前だってのに悪いね。ま、休み前、それと実地訓練前の最後の機会だから、今日はちょっと無理を承知で集まってもらったんだ。逆にそれだけ価値のある勉強会になると思ってるから、みんな一つよろしく頼むよ。』
朗らかで明るい高雄の声は開幕から長官室の空気を声と同じ雰囲気に沿わせてくれる。明石や飛龍、利根といった若年の面で底辺を充当する艦魂達はまずここで安堵と張り詰めた緊張感が解れた事による溜め息を漏らし、毎度の事ながら至って楽な気分と面持ちで10歳以上も歳が離れている先輩達がいる中での話し合いに参加することが出来る。上官としての高雄のとっても有難い一面であり、明石などは思わず小さく短い笑い声を放って指の上で鉛筆を回す余裕をも与えてもらった。
もっとも高雄もどうやらそういう効果を狙って声を放っているらしく、長官室に集った10名近い部下達が老若の差異無く肩から力を抜いた事を確認した後、本日のお勉強のお題目を述べる。
『一昨年からうちの第二艦隊は蒼龍を基幹として二航戦が配備されて、いよいよ帝国海軍の前進部隊にも航空戦力の投入が本格化してきたってのは、みんなも感じてるだろう。なんたってこれまでずっと第一艦隊専属だった加賀さんとこの一航戦が、先月にはついに第二艦隊に来たんだからね。でもね、私達第二艦隊の在り方は昔通り、快速を生かして敵艦隊に対する接触、捕捉、先制攻撃、夜間奇襲が主軸なんだ。じゃあなんでここに加賀さんや、蒼龍と飛龍みたいな空母って呼ばれる艦種が関わってくるか。・・・この辺は昨今の帝国海軍の戦策の変化も絡んでくるんだけど、どうやらこの昭和16年度からは本腰をいれて航空戦力の運用を明確にしていくらしい。これは柱島を出発する時に、長門中将からの連絡で知ってね。今のうちにある程度の理解を深めておこうって話になったんだよ。ましてやあたしら第二艦隊は、帝国海軍最新鋭の部隊だからね。』
高雄の語りを聞くに、本日のお勉強の対象はどうやら空母の事らしい。
大正の末頃に研究の側面で姿を現し、昭和に入った頃にようやく部隊としての配備もされ始めてきたこの艦種は、明治の建国と同時に誕生して伝統も培ってきた帝国海軍にあっては割りと新しい艦種である。その艦影もまた既存の軍艦事情から見ればなんとも風変わりで、艦体の上に乗っているのは箱型の構造物と飛行甲板という名の大屋根。見る者の視線を釘付けにする大きな砲塔も無ければ、天を衝く勢いのマストも見られない。艦影の不可思議さを言うのなら林立する起重機が目立つ明石は他人の事を言えた義理ではないが、明石も初めて空母というお船を目にした際、『あれはなんぞや?』と素直に思ったのが率直な所であった。
そもそも明石の分身がそうである様に、荷揚げ荷降ろしの為の装置として起重機を沢山持っているのは海軍艦艇では珍しくても、世間一般のお船の間ではさほど変な在り方ではない。そんな事を言って回ったら、海に生きる船舶の中では最も多い種族でもある貨物船の艦魂達に石を投げられてしまう。明石の分身が時に人間の海軍軍人にすらも奇妙な目で見られるのは、戦うお船が集う海軍艦艇の中にあっては珍しいというだけの事であり、そもそも波頭の果てに舳先を進めて積み荷を運ぶという本来のお船の在り方に対しては、むしろ明石の分身の方がより近い存在でもあるのだ。
失礼しちゃうな!
その事をよく考えると思わず自分の周りに対して一言申したくなる明石であったが、同時にでは空母はどちらに近いのだろうと考えると皆目その答えが思いつかない。一応物資積み込み用の起重機は持っているがその艦影にある数本のマストよりは小さいし、そのマストもまた戦艦や巡洋艦に比べるとなんとも心細い太さと大きさしか無い。海軍艦艇の間では侍が刀を腰に差すのと同じ感覚でもある大砲の類も特に目立つような姿ではないし、駆逐艦が持つ大きな魚雷発射管はそもそも装備もされていない。とにかく四方八方のどこから見ても空母とは大きな屋根を持った箱型のお船で、食いしん坊の明石にとっては決して口には出さないが大きな鉄製の羊羹の箱が水に浮いているようにしか思えなかった。
『う〜ん、くうぼ・・・? 飛龍とか蒼龍とか、かあ・・・。』
あんまり容姿にケチをつけるのは良くないと思いつつも、外見からは全く差異が認められない空母という艦種。よくよく考えてみればこれまで一緒に頑張ってきた二航戦の飛龍、蒼龍と、先月から加わった一航戦の加賀の分身に対し、明石は艦としての大きさや年代は別として全く差異を見つける事が出来なかった。同じ巡洋艦とは言え、今しがた声を放った高雄と隣に座って何か考え事をしている神通の分身が海軍艦艇としてまったく運用方法が異なる事は明石もなんとなく解っているのだが、その反面、これまで第二艦隊の端くれとして励んできた1年半くらいの時間の中、艦魂どころか人間達の間ですら飛龍や加賀らの分身を「重航空母艦」とか「二等空母」等と呼んだりしない事に、彼女はこの時初めて気付いた。
『ぬぅ〜・・・、やっぱ・・・ひこうき・・・?』
なけなしの空母というお船の知識を漁ってみると、出てくるのはそんな空母最大の特徴でもある飛行機の事。とりあえず飛龍であっても加賀であっても海軍艦艇として行う事は、その大きな飛行甲板から何十機にも及ぶ飛行機を次から次へと飛ばし、次いで着艦させて艦内奥深くの格納庫に収容するという物である。もちろん細かく言うのなら何という型式の飛行機にどんな武装を施し、何機飛ばしてどの目標を攻撃するか等、明石がまだまだ知らない空母なりの考えられた使い方、運用方法という物があるのだろう。だがしかし、今しがた思ったそんな空母の事情が、同期にしてこれまで同じ第二艦隊の仲間として頑張ってきた飛龍と、10年以上も第一艦隊専属であったという加賀との間で何が違うというのか、明石には全然解らなかった。
『あ〜らら。みんな難しい顔になっちったなぁ。いやあ、まあ、あたしも良く解ってないんだけどね。・・・ってことで、加賀さん。教示を願いま〜す。』
『・・・はっ。』
相変わらず考え事とは無縁そうな気の抜けた物言いの高雄の声と加賀の短く重い返事が響き、明石はちょっと答えが出そうに無い思考の迷宮から一時的に我に返って周りを見る。どうも高雄が述べた空母関連のお話に対して頭を捻ったのは室内のほぼ全員のようで、先程長官室へと向かう際にお互いによく解らないと述べていた神通と那珂は勿論、前艦隊旗艦の愛宕や、その先輩格でもある五戦隊の那智や羽黒にあっても同様に、眉間にしわを寄せた顔を斜めに傾けていた。
そっかぁ。やっぱりみんな解らないんだぁ。
室内の一瞥して改めて自分と同僚達がこの話題に対しては同じスタートラインに立っている事を改めて確認し、明石は胸を撫で下ろしつつちょっとだけ口元を緩ませる。先程の高雄の申し出と加賀の言動を見るに、さすがにもう十年以上も帝国海軍の空母としてメシを食ってきた加賀は室内の全員に対する答えを既に持っているようで、首の後ろで一本に纏めた長い黒髪を一度縛りなおしてから音も無くその場に立ち上がる。当然、それはこれから加賀がその重苦しく低い声とどんよりとした物言いでもって空母のアレコレを説明せんとしている為で、明石はいよいよ加賀を教官に迎えてのお勉強会が動き出す事を察知して加賀の真似をするかのように自分の首を後ろに手を伸ばし、髪を結う紐をギュッと縛りなおしてみた。自慢のクセの無い髪にちょっと跡が残るので普段はこうしてきつめに縛る事は無い明石なのだが、不思議となんだかお勉強に対する意欲と気概が髪の感覚が研ぎ澄まされるのと同時にグンと高まる。
『いよっし・・・。』
その勢いと同じスタートラインである先輩方、友人に一気に差をつけるべく、明石は加賀の口が開くと同時にノートの上へと鉛筆を走らせる。
いつか工作艦の自分の分身が修理補修に当たるかも知れない、艦魂における軍医としての自分が治療に当たるかも知れない、空母という艦艇に対してのお勉強がこうして始まったのであった。
坂の上の雲、色々と面白くてみてます。
一応は原作も読んでおるのですが個人的に司馬遼太郎に関しては多少歴史に対する色眼鏡が滲んでる人間であると思っているので、あくまで歴史題材の作品としてしか見ておりません。が、確かによく調べられておりまして、ドラマは本当に楽しく見させてもらい、色々とニヤニヤしております。
米問屋先生辺りはマカロフの海軍戦術論とか、ウィッテさんのくだりで『フヒヒ・・・。』とか言ってるんジャマイカと思って見てましたw
あと、今日のは何気に朝日さんが大活躍www
ついでに拙作の朝日は赤毛で碧眼なので、アリアズナ役の役者さんに軍装着せたら、あ~ら不思議、朝日艦の艦魂になりそう等と思って見てましたwww