詩音と人々 1 宏との日々
草に埋もれたブランコ。祖父だろうか、壮年の男が、童女を抱えながら漕いでいる。海への風が草を揺らし、早い秋の訪れを告げている。
童女は男の腕を見つめながら何かを話している。
「パパさんじゃないの?。じゃあ、おじいちゃんなの?。」
男は苦笑しながら、ただ首を振っている。
「じゃあ、パパになってよ。」
「リサ、なぜだい?。」
「おじいちゃんだとすると、ママのお父さんでしょ?。」
「そうだね。昔は君のママのお父さんだったこともあった。」
「じゃあ、またママのパパになってよ。」
「でも、君のママはダメって言うよ。」
「どうして?。」
「血は繋がっていないし、君のママが僕をもう『ママのパパ』とは思っていないもの。」
「なんで?。」
「君のママが小さい時に僕と離れ離れになったんだ。ママが14の時に再会したんだ。その時にはもう、パパと思ってくれなかった。」
「どうして?。」
「ママはたった一人だった。もう、家族はいない、と思ったんだろうね。」
「会えたのに?。」
「そうだね。ママが大人になりかけたとき、周りは地獄だっだんだろうね。」
「地獄?。」
「そう。君のママは……産みの母に虐め抜かれていた。たべものも、お金も全て奪われ、呪われ、命さえも危なかった。でも、僕が見つけ助け出すのが遅すぎた。君のママにとって僕は単なる見知らぬ歳上の男だった……。」
風が止んだ。夕日に照らされて、天高く雲が流れていく。
「じゃあ、リサのパパになってよ。」
「それは……。」
童女にどう説明したものか。
「それは、いけないことなんだよ。」
「どうして?。」
「君のママは僕から引き離されたから。その時も、今も僕が女の子の心が分からない傲慢な人間だったから……。。」
「傲慢?。悪い人だったの?。」
「そうだね。今でも僕がそばにいるから、君のママが苦しむんだ。」
「おじいちゃん、でもなくて、パパでもない。それで悪い人なの?。」
「うーん。僕は悪い人だから、君のおじいちゃんにもなれないし、君のパパにもなれないんだ。それに病気を持っているから、君のママに迷惑をかけるし……。」
二人の首筋に落ちてきたものがあった。涙だった。男のすぐ後ろに女の立つ気配があった。
「ママァ。」
リサは嬉しそうな声を上げた。しかし、男は後ろを見ることもなく、虚空を見つめていた。若い母親は、リサの肩に手を伸ばしながら、男の少し白くなった頭を見つめている。
「ママ、どうしたの?。」
リサは長く続く二人の沈黙を不思議そうに眺めていた。まだ若い女は男を睨みつけている。男は動けなくなってしまった。
男の首筋に女の涙なのか、男の汗なのか、光る雫が流れる。
「貴方がいると、私が苦しむの?。貴方が私に迷惑をかけるの?。あなたが悪い人だから?。あなたが病気だから?。」
男は黙っていた。
「ねえ、答えて。やっぱり私は一人なのね。」
「違う!。」
「でも、あなたは応えてくれない。」
「君はわかってくれないのか?。」
「分からないわ。」
「僕はいつも君や、リサの側にいるじゃないか。」
「確かにね。でも、私にとってはとても遠い。超えられない谷の向こうに貴方はいる。」
「いや、素直に見てくれば、僕は君の側にいるのがわかるのに。」
「分からない、分からないわ。貴方はとても遠い。」
「君は民生君のものだ。リサも彼の子だ。思い出してくれ。君は僕のところから、飛び立ったはずだ。」
「貴方が私を無理に巣立ちさせたのよ。そして、今はリサも貴方の方に行ってしまう。貴方は側にいるだと言いながら、離れていて何もかも奪っていく。」
「僕はそうやって君を苦しめている……側にいると。君の父親にもなれないんだ。それに病気を持っているから、君に迷惑をかけるし……。だからこそ君を大切に守っているのに。」
「守っている?。違う。そう言って、触れてもくれない。私は人形なの?。」
「君はかつて僕の娘だった。今は……。」
「今は?。」
「分からない。」
「それなら、分かってもらうわ。」
詩音は宏の襟元を掴んで身を任せる。宏はリサを抱えながら詩音を受け止めた。反動でブランコが揺れる。宏はリサを抱えながら、詩音をささえて立ち上がった。
「行こう。」