きっと誰かが貧乏くじを引いている
今回はちょっとだけホラーチックです。楽しんでいただければ幸いです!
「ここの近くになぁ、変な噂話があってのぅ」
ご老体は誰もいないのにそう切り出した。
「ほれ、そこの、なんじゃぁ、ほいっ、えっと、それ。そう、石に模様が入っとるやつじゃ」
乱暴に杖をブロック塀の方に向ける。そして私にもたれかかるように、中心の細い部分を手に持った。その手はしょぼしょぼで、血管が薄緑に変色している。歯が少なく、息をするたびにスースーと音がなる。
「それんとこでな、ほれ、この前、死んどっちゃだろ。お前さんも見ていたんじゃないのか?」
私は返事ができずに、ただ風に流されていた。私のそばにある木と、ご老体の手が震えた。
「その若いもん、実は拷問のような虐待をうけとったそうじゃ。まったく可愛そうだのぅ。それでじゃ、その後から妙な噂話があってのぅ」
続きを話そうとするご老体の目は輝いていた。ただ、バスという四輪の大型自動車がご老体の前に止まって、そのままさらっていった。
そのバスをブロック塀の隙間から見ている女の子がいた。女の子は左手の袖をはためかしながら、バスが見えなくなると、踵を返し、どこかに消えた。
私の使命はバスに乗車されるお客様をもてなすこと。それだけをただ淡々と行っていった。
ある日、お客様がいないにも関わらず、バスが止まった。
おいおい、何やっているんだ、と必死に訴えかける。バスはクラクションを鳴らす。礼砲は、澄み切った空の元、何度も何度も反響した。
下品な笑い方をするお客様が来た。その方々は二人組で、男性の方は左手があらぬ方向に曲がり、肘から下が270度の方向を向いていた。右手の指は何かを掴むように丸められているが、人差し指だけはどこにも見当たらなかった。
もうお一方の女性は、革製の平べったいものを右肩から左の腰にくっつけ、彼の話を頷いて聞いていた。
「でさぁ、ここやべぇんだ。この近く通るとみんな死ぬんだって」
「ぎゃはは、なにそれウケる」
「そうだ俺、見たんだよ。夏の日にそこのブロック塀に手袋があったのをさぁ」
「ぎゃはは、まじウケる」
お二方の位置はずっと等間隔で、隣同士で歩いている。バスの開閉口が無くなって、窓は黒に染まった。お客様は揃ってバスに乗られると、もう一度クラクションが鳴った。
ブロック塀に目を凝らすとまた少女がいた。その少女はお客様をずっと見ていた。そして目線を一瞬だけ下げると、そのままどこかにいってしまった。
次のお客様はひどかった。身長は私の半分か、それより少し高いかぐらいの男の子。左手は肘から下が完全になくなっていて、左足はまるで生まれたての子鹿のように震え、左の眼窩は深淵を覗いているように真っ暗だった。右手はしっかりとあって、水玉模様の手袋がはめられていた。
「うぇん、うぇん。あんな、あんな」
引きつけを起こしながら、男の子は続けた。
「家の近くのな、道路を歩いてたんよ。したらな、木が倒れてな。左手が動かなくなったんよ。いつのまにか涙も赤くなってな…」
男の子は続けようとしたが、目の前の光景に少し戸惑ったようだった。あの、少女がブロック塀から出てきた。髪はおかっぱで、前髪は目にかかるくらいに長い。ふらふらとしている足は華奢で、右手の指が一本なくて、左手は手首から下が完全になかった。
あはは、と彼女は笑った。その笑顔は失礼ながら醜悪なようで、満面の笑みは白い歯が下の方が左から奇数の数、上が左から奇数の数しか生えていなかった。
男の子は完全に固まっていたが、少女の方は、スキップをしながら、空を見上げた。男の子もつられて空を仰ぐ。お二方の吐息はいつのまにか白くなっていて、上空から白いものが落ちてくる。
彼女は右手を皿のようにして、白いものをとった。
それは、直径8ミリほどのギザギザした四角のものや、形が台形のものなど。それを14個ほど取ると、紫色に変色した小さな手で握りしめた。人差し指の隙間から、ポロリと白が落ちた。代わりに空から人差し指が降ってきた。
「あはは」
彼女はまた楽しそうに笑った。
「あと少し…」
聞こえるか聞こえないかというか細い声で呟く。すると男の子が我に返ったように、木を指差した。
「あっ、あれ、あの手袋!僕のだ!!」
水玉模様の毛糸は、少し赤黒く、ところどころほつれている。その手袋は、男の子が手を皿にすると、ボトンと音を立てて落ちてきた。
その衝撃に耐えきれず、右手の皿からこぼしてしまう。少しだけ積もった雪は赤く染まり、手袋の形に変形する。
手を入れる部分にはすでに先客がいた。まただ、また少女が笑い出した。
「これで揃った。これで、やっと」
いつのまにか彼女の歯は右から左、綺麗に揃えられて、左右の手が自分の顔を確かめていた。右の手の甲には水色の手袋があしらわれていた。
男の子は何も言わずに一目散に駆け出した。とめどなく流れる涙を拭こうと左手で支えるも、すでに原型は無くて、抑えられなかった。そのまま男の子は左手探しの旅に彷徨った。
「ふふ」
年相応の、小さな笑みを浮かべる。
「ねぇ、バス停さん」
少女がこちらを見る。
「私、行くよ、もうここにいる必要はない」
遠くでバスの音が聞こえる。黒いタイヤをチェーンでぐるぐる巻きにしていて、思ったよりスピードは出ていない。
少女は決意を固めた表情でもう一度白の吐息と共に吐き出す。
「色々くれてありがとう」
そう言い残すと、彼女はバスに乗った。それをブロック塀の隙間から、羨ましそうな目をして、誰かが少女を見つめていた。
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