人造妖神の見る夢
ある日、ダンウィッチ伯爵の所で働いているマリーアが家に帰って来た。
家には夫のダリオが居なかったので、妻のロザンナが対応した。
運転手の話では、体を悪くしたので家に帰されたと伝言があったという。そして、マリーアの手には金貨のたくさん入った袋が握られていた。
ロザンナはマリーアを家に迎え入れると、夫のダリオの帰りを待った。
マリーアは家を出て、働きに行った前より、かなり太っていた。
ロザンナはある事に気がついた。それはマリーアのお腹だった。
ただ単に太っているのではない事に気がついたのだ。
ロザンナはいてもたってもいられず、あちこちに電話をし、夫のダリオを探した。しかし、見つからなかった。
夜遅くにようやくダリオがひどく泥酔した状態で帰って来た。
「ただいま!今、帰ったぞ!ロザンナ!水をくれ!水だ!」
ロザンナは呆れた様子で水を出した。
「ねぇ、あなた…。」
ロザンナは娘のマリーアが帰って来た事、それから妊娠してるかもしれない事を告げた。
ダリオは水を吹き出した。
「なんだって!マリーアが?どこだ?どこにいる!」
「静かにして!二階で寝てるわ。あの子は何も言わないけど、きっとそうよ。伯爵のところで何かがあったのよ。」
「あのスケベ爺め!明日になったら屋敷に乗り込んでやる!」
ダリオは水が入ったグラスを割れそうな勢いでテーブルに叩きつけた。
翌日、ダリオとロザンナはダンウィッチ伯爵の屋敷に怒鳴りこんだ。対応したのは執事のロナルドだった。
「やい!ダンウィッチ伯爵を出せ!出さないならこっちにも考えがあるぞ!出てこい!ダンウィッチ!」
「お静かに願います。さっきから申していますようにご主人様は大変、お体が悪く寝たきりです。お引き取り願います。」
「ふざけないで!うちの娘に何をしたの!出てきなさい!ダンウィッチ!出てこい!」
二人は辺りに聞こえるくらいの大きな声で怒鳴った。
二人は執事のロナルドを振りきると屋敷の中に勝手に入った。
そしてあちこちの部屋のドアを開けては閉めるを繰り返した。
ようやく二階の部屋の前で話声がする部屋を見つけた二人は部屋の中に乗り込んだ。
「やい!ダンウィッチ!うちの娘に何をした!」
「お静かに願います!」
ベッドの脇には医師と看護師がたっていた。そしてローブをきた老人もベッドの脇に立っていた。
医師が言った。
「ダンウィッチ様は、かなり重症です。お静かに願います!」
「ふざけるな!こんなの芝居に決まってる!やい!ダンウィッチ!うちの娘に何をした!」
「静かに!もう意識もほとんどありません。話かけても無駄です。」
執事のロナルドが部屋に入ってきた。
「先生…。申し訳ありません。何度もお止めしたのですが…。」
ダリオとロザンナは寝ているダンウィッチ伯爵を見た。
確かに痩せ細り、頭は白髪で真っ白、点滴が施されている。
ダリオとロザンナは頭の中が混乱した。娘に手を出されたと思って乗り込んで来たが、この弱りきった様子は芝居ではない。
確かに重症だ。いつ死んでもおかしくない。
二人は顔を見合わせた。
すると執事のロナルドが言った。
「ここでは何ですから、別の部屋で…。こちらにどうぞ。」
二人はロナルドに案内され、別室に入った。
「すみません。こんなに重症だとは知らなくて…。私はてっきりうちの娘が何かされたのかと…。」
ダリオは頭をボリボリ掻きながら申し訳なさそうに言った。
ロザンナも申し訳なさそうにしていた。
執事のロナルドが言った。
「ご覧になった通りです。ご主人様は三年前からお体を患われまして、寝たり起きたりの生活です。お宅のお嬢様になにかできるような状態ではありません。もう…腕には点滴が刺せなくて足に点滴をしているほどです。」
「そんなにお悪いのですか?」
「はい。金貨を渡して暇をお宅のお嬢様にだしたのは、ご主人様は長くないとの判断からです。」
「そうなんですか…。私は娘が…その…何て言うか…手を出されたのかと…。」
「奥様、あんな状態のご主人様が何か出来ると思いますか?無理です。食事でさえ、なかなか喉を通らないのに…。」
そう言うとロナルドは声を詰まらせた。
二人はロナルドに尋ねた。
「あの…。うちの娘にちょっかいを出しそうな男性はこの屋敷で働いていませんか?」
「この屋敷にはお宅のお嬢様に手を出すような若い男性は働いていませんよ。私もお宅のお嬢様のお腹の事が気がかりなのですが…。決してご主人様が何かをしたから家に帰したのではありません。」
「そうですか…。困ったな…。この先どうすれば…。」
「冷たいようですが、私は今、ご主人様のお世話で精一杯で…。お宅のお嬢様の事まで考える余裕はありません…。」
「はぁ…。」
ダリオとロザンナは意気消沈した。
正直に言って、ダンウィッチ伯爵を締め上げ、金をしこたま、ふんだくってやるつもりだった。しかし、あの状態ではとてもそれは無理だ。二人は家に帰るしかなかった。
家に帰ったダリオとロザンナは娘のマリーアを問い詰めた。
一体、誰との子供なのかと。
しかし、マリーアはボーッとしたまま宙を見つめ、何も言わない。
二人はその様子に何があったのか想像する事さえ出来なかった。
夜になった。
ダンウィッチ伯爵の屋敷では夕食の時間になった。
執事のロナルドがスープをダンウィッチ伯爵のところまで持ってきた。
ダンウィッチ伯爵は目を覚ました。
「ロナルドか?今日の昼間は随分とうるさかったな。何があったのか?」
「申し訳ありません…。マリーアの両親が勘違いから、怒鳴りこんで来まして…。」
「愚かな…。こんな体で何が出来るというのか?死期も近いというのに…。」
ダンウィッチ伯爵はスープを必死ですすった。
「年頃の娘だ。どこかで私達に内緒で男と会っていたのだろう…。違うかね?ロナルド?」
「はい。左様かと。金まで持たせたのですが…。」
「ふん!意地汚い奴等だ。どうせもっとよこせと言いに来たのだろう!」
「はい…。」
「ロマーニはいるか?」
「はい…。ここに。」
「ロナルドと先生たちは席を外してくれ。私はロマーニと話がある。」
「かしこまりました。」
執事のロナルドと医師と看護師は部屋を出た。
「ロマーニ!どうなんだ?順調なのか?事は上手くいっているのか?私はこのまま死にたくない!本当に生まれ変われるのか?」
「勿論でございます。伯爵様。マリーアの体の中には、あなた様が生まれ変わるための準備がすでにしてございます。あと、少しの辛抱でございます。」
「本当だろうな!お前を高い金を出して雇ったのは、お前の魔術を信じたからだ!本当に生まれ変われのだな?」
「勿論でございます。伯爵様、事は順調に進んでおります。ご心配には及びません。」
「うむ!頼むぞ!最早、私には生まれ変わりが最後の望みだ!くれぐれも頼むぞ!」
「はっ、かしこまりました。お任せ下さいませ。」
そう言うとロマーニは部屋を出ていった。
ダンウィッチ伯爵は大きく息を吸うとゆっくりと吐いた。
ある日の病院では、ダリオとロザンナが娘のマリーアの検査結果を待っていた。
もし、妊娠していないのならマリーアの体は病気で浮腫んでいる事になる。二人は心配してマリーアの検査結果を手を握りながら待っていた。
そうだ。最悪の事態は避けて欲しい。そんな願いをこめてだった。
検査の結果が出た。
医師が告げた。
「お嬢さんの体は産まれた時のままで、心配されている事態は避けられました。綺麗なお体ですよ!」
「本当ですか?それではうちの娘は?」
「純潔です。ご心配には及びません。」
「おぉ!神さま!」
ダリオとロザンナは医師の言葉を聞き安心した。
暴行されたわけではなかったのだ。
「しかし…。」
医師は顔を曇らせながら言った。
「安心は出来ません。お嬢さんの子宮の中に腫瘍のような物が見受けられます。」
「え?それでは?娘は?」
ロザンナが尋ねた。
「子宮癌の可能性があります。詳しく検査をしてみないとわかりませんが、良性の腫瘍ならよいのですが…。」
「なんて事だ!ウソでしょ?先生!」
「お願いします。あの娘はまだ、二十歳にもならないんですよ!この先、子供が産めなくなるのですか?」
「わかりません。とにかく、詳しく検査をさせて下さい。すぐに入院しましょう。よろしいですね?」
「わかりました。今日は準備がありますので、明日になったら私が娘に付き添ってきます。いいわね?あなた?」
「わかった。先生、よろしくお願いします。」
「わかりました。病院でも準備をしておきます。」
「よろしくお願いします。」
ダリオとロザンナは医師に挨拶をすませると、部屋を出て家路についた。
ダリオとロザンナは絶望しかかっていた。まさか娘が子供が産めなくなるのかもしれないなんて。まだ、結婚もしていないのに!
そう思うと二人の頭の中に暗い影がよぎるのだった。
家に着いたダリオとロザンナはマリーアを椅子にそっと座らせた。そして、明日、検査があるから入院する事などを簡単に告げた。
マリーアはボーッとしていたが、一言、尋ねた。
「何の検査なの?」
「あなたのお腹の検査よ。」
「心配ないぞ!マリーア!きっと良くなるからな!」
「私は大事な体なの。伯爵様の為に働かなきゃならないの。だって伯爵様は私にとても良くしてくださったのだから!」
「おぉ!マリーア!」
ロザンナが娘のマリーアを抱き締め大粒の涙を流した。
ダリオもそれを見ていると泣けてきた。
こんな時にまで、ダンウィッチ伯爵に忠誠を誓うとは!
二人は娘が子供が産めなくなるかもしれないなどと言う事は出来なかった。
マリーアは眠いから寝たいと言った。
二人はゆっくりと休むといいと額にキスをして、娘を見送った。
ダンウィッチ伯爵の屋敷の地下室では怪しげな装置が唸りをあげていた。
中には動物の内臓の入った容器や、怪しげな装置、それから部屋には祭壇が二つあり、その祭壇の周りには見たことがない記号や呪文らしきものが書かれていた。
二つある祭壇のうち、一つにはダンウィッチ伯爵が寝ていた。
そして、部屋の中にはロマーニが何かを一生懸命にいじっていた。
ダンウィッチ伯爵が言った。
「おい!ロマーニ!マリーアはどうなんだ?本当に来るのか?来なかったら、私はどうなる?あぁ!」
「ご心配には及びません。マリーアはきっときます。なんせ、もう、種付けは終わってますので!ダンウィッチ伯爵、あなたは今夜、新しい体に生まれ変わるのですよ!何も心配はいりません。全て、私にお任せ下さい。」
「本当だろうな?もし、失敗したらただではおかんぞ!」
そう言うと、ダンウィッチ伯爵は大きく咳き込んだ。かなり苦しそうだった。
「ほら、来ましたよ!救いの女神が!」
ダンウィッチ伯爵が地下室の入口を見ると、そこにはマリーアが帰って来ていた。走ったのか、息がきれている。
「ダンウィッチ伯爵、お待たせしました。」
「おぉ!マリーア!待っていたぞ!救いの女神よ!もう来てくれないかと思っていたぞ。」
「何を仰います。私が今まで、何も不自由なく暮らしてこれたのはダンウィッチ伯爵のお陰です。今度は私がお役に立つ番です。
ダンウィッチ伯爵!私を使って生まれ変わって下さいませ。ロマーニ!頼みましたよ!」
「はいはい。マリーア様。では始めますか?」
「うむ。頼むぞ!」
ロマーニはマリーアをもう一つの祭壇に寝かせると、呪文を唱え始めた。
「時を超えるものよ!空間を超えるものよ!偉大なるあらゆる次元に存在するものよ!今、ここに二つの魂を一つにしたまえ!エルーラ・ラール・ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ・ニェンテ・ラルゴ・コギト・ラルゴ・スム・クトゥルフル・フタグン!」
ロマーニは長い詠唱を始めた。すると床に書いてある黒い文字が赤く光だし、祭壇がガタガタと揺れ始めた。
部屋の中にある血が入った容器などは中がぐるぐると回り始めた。そして、地下室であるにも関わらず、風が何処からかびゅうびゅうと吹き始めた。
「おぉ!我が願いを聞き届けよ!全知全能なる時空を越えた神よ!エルーラ・ラール・ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ・ニェンテ・ラルゴ・コギト・ラルゴ・スム・クトゥルフル・フタグン!」
いよいよ風は強くなり、地下室では怪しげな煙が充満していた。
その時だった。マリーアの体が宙に浮き、お腹が赤く光だしだ。
「おぉ!いよいよ魂の連結がなるのか?エルーラ・ラール・ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ・ニェンテ・ラルゴ・コギト・ラルゴ・スム・クトゥルフル・フタグン!」
するとマリーアの体が赤い光に満ち溢れた。
しかし、ダンウィッチ伯爵の体にはなんの変化も見られなかった。
「おい!何をしている!私には何の変化もないぞ!どういう事だ!」
すると床の魔法陣から黒いいばらの蔦が飛び出てきてダンウィッチ伯爵を縛り付けた。
「痛い!痛い!痛い!ロマーニ!何をしている!私がなぜこんな目に!痛い!痛い!ロマーニ!何をしている!痛い!」
「ダンウィッチ伯爵、どうやらあなたは全知全能の神に嫌われたようだ!そこで、黒い蔦に生気を吸われて死ぬがいい!ラルベル・ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ・ニェンテ・ラルゴ・コギト・ラルゴ・スム・クトゥルフル・フタグン・アビラ・ダドヴェイ・テスカ・ウルゴ・スム・クトゥルフル・フタグン!」
するとダンウィッチ伯爵の体に巻き付いた黒いいばらの蔦がダンウィッチ伯爵の血を吸いとり赤くなった。すると、マリーアの体はいよいよ燃えるように赤くなった。
「来たれ!全知全能の神よ!この女の体の中にある邪神に宿るがいい!」
「ロマーニ!き・さ・ま!」
ダンウィッチ伯爵はカラカラに干からびて死んだ。
そしてマリーアのお腹の中はいよいよ大きくなり、何かを産もうとしていた。
「わっはっは!来るぞ!全知全能の神が!偉大なるあらゆる次元に存在するものよ!ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ・ニェンテ・ラルゴ・コギト・ラルゴ・スム・ダヴィド・ヴィエント・ビエント・ナーレ・クトゥルフル・フタグン!」
「きゃあ~!」
マリーアが叫び声を挙げた。
マリーアのお腹は激しく波打ち、いよいよ何かが産まれようとしていた。
「さぁ!きたれ!ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ・ニェンテ・ラルゴ・コギト・ラルゴ・スム・ダヴィド・ヴィエント・ナーレ・クトゥルフル・フタグン!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
マリーアの両足の間から、触手のような物が出てきた。
「来たぞ!偉大なる神が!さぁ!出でよ!ヨーグ・ソルトゥス・ムグルナフ!」
すると触手の後に続いて、昆虫の複眼を持ったようなイカのような体が出てきた。明らかにこの世界の生物ではなかった。
その体は羊膜に包まれヌルヌルしていた。触手がピチャピチャと音を立てながら動き回っていた。体が全て出た。頭はイカのような三角形の形をしていた。それはまだ、マリーアの体の中と繋がっていた。
マリーアの体が空中から、祭壇に降りた。
マリーアの両足の間からは複眼を持ったようなイカのような化け物がピチャピチャと暴れていた。
それを見たロマーニは叫んだ。
「くそっ!また失敗か!どうやらこの呪文も異世界の神を呼ぶには力が足りなかったようだ!せっかく、処女が手に入ったというのに!くそっ!これでも駄目か!また、やり直しだ!この!忌々しい雑魚め!」
そう言うとロマーニはイカのような化け物にナイフを突き立て去って行った。
残されたマリーアは笑っていた。ゲラゲラと笑っていた!
「赤ちゃん!私の赤ちゃん!おぉ!可愛そうに!私が大切に育てますよ!だってあなたはダンウィッチ伯爵の生まれ変わりなんですから!あっはっはっは!」
「マリーア!」
「マリーア!無事なの?返事をして!」
ダリオとロザンナは部屋に娘のマリーアが居なかったので、ダンウィッチ伯爵の屋敷にマリーアを探しに来たのだ。
「おぉ!なんて事!神よ!」
ロザンナはナイフを突き立てられたイカのような化け物を抱き締めているマリーアを見つけ、言葉がなかった。
ダリオもそれに気付き言葉を失った。
「マリーア!早く!早くここから出ましょう!マリーア!早く!」
「駄目よ!私はここでダンウィッチ伯爵の生まれ変わりを育てるんだから!あっはっはっは!あっはっはっは!あっはっはっは!」
「おぉ!神よ!なんて事だ!酷い!あまりに酷すぎる!」
「マリーア!急ぐのよ!早く!早く!ここから出ましょう!早く!マリーア!」
ダリオとロザンナは気持ち悪いイカのような化け物をマリーアから奪い取ると床に捨てた。
屋敷はグラグラと揺れ始め、今にも潰れそうだった。
ダリオとロザンナはマリーアを強引に引っ張って、何とか外に連れ出した。
その途端、屋敷は崩れた。まるで三人が家を出るのを待っていたかのように。屋敷は轟音と共に崩れ去った。
三人は呆然とそれを見ていた。
事件から三年の月日が流れた。
マリーアは自宅の自分の部屋で車椅子に座って窓の外を見ていた。
「マリーア!ご飯よ!」
ロザンナが食事を運んできた。
「マリーア。少しは食べないと体が弱るわよ!今日はちゃんと食べてね!」
「お母さん!私ね!赤ちゃんを産んだの!ダンウィッチ伯爵の生まれ変わりなのよ!ダンウィッチ伯爵を私が育てるの!お母さん!赤ちゃんはどこにいるの?私が世話をしなきゃ!」
「おぉ!マリーア!可哀想な娘!赤ちゃんなんかいないのよ!ダンウィッチ伯爵も、もう居ないのよ!忘れなさい!おぉ!神よ!マリーアを救いたまえ!」
マリーアの乗っている車椅子の車輪がギシギシと音を立てた。