第二話 渡し舟
以前、その川には渡し船があった。これは船頭をしていた老人の話である。ある日の夕方。簡素ながら窓も戸もある小屋の中で、老人は夕日を眺め一息ついていた。と、向こう岸で木板を激しく叩く音がした。渡し船を寄越して欲しいときの合図である。老人は急いで外へ出た。すると、奇妙なことに外は土砂降りなのである。面食らっていると木板の音がより激しく鳴った。耳を聾さんばかりに、まるで耳元で叩いているかのようにコーン、コーン、コーンと鳴ったのである。
「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」
老人は急いで小屋へ戻ろうとする。が、近づこうとすればするほど、小屋は遠くへ遠くへと彼との距離を離していった。泡を食った彼はひたすらに念仏を唱えながら走る。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……!!」
するうちに、土砂降りの雨は止み、彼は小屋の戸の前に立っていた。ほっとため息を吐いたその瞬間、耳元でバァァン、と木板が割れた音がした。割れた「ような」音ではない。事実、割れたのである。
というのも、翌日向こう岸の木板を見に行くと、鋭い何かで一撃を受けたのであろう、板が二つに割れていたのだった。
過疎化で廃村となってからは、誰もその川を渡るものはいない。