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紡ぐ世界が罪ならば  作者: 布団の中のタケノコン
一章 愚者の名を背負う者
9/13

~愚者は王の前に跪く~

紅い炎が視界を埋める。耳障りな悲鳴、大地を穢す血肉の海、骸の山。崩れ落ちる家屋の中でもがき苦しむ家族たちの姿。彼の表情は微動だにせず、紅い瞳が目の前の惨劇をただ映すのみ。風に靡く黒い前髪、全身を覆い隠すような黒衣、その姿を見た人たちは、死神だと表すことしかできなかった。彼が自分たちと同じ人間であると気づいた頃には、既に骸の山の一角と成り果て、忌々しき罪人らに踏み砕かれていく。つい昨日まで、彼らは人々よりも遥か下に位置する存在だったのだ。ある者は罪人を奴隷として扱い、ある者は罪人同士を殺し合わせることを趣味とし、またある者は罪人を自らの手で殺すことに愉悦を感じていた。それら全ては選ばれたる帝国民の権利であり、義務であるはずなのだ。穢れた罪人どもを裁き、この神聖なる世界から排除すること。もう何年も続いてきたそんな日常が、ただ数人の罪人が反乱を起こしただけで崩れ去る。彼らは知ってしまったのだ。いや、思い出してしまったのだ。自分たちの持っていた引綱の先に繋がれていたのは、自分達と同じ人間ではなく、 人間の皮を被った化け物だということを。それから帝国は周辺国と団結し、罪人達の徹底排除を目指し、後に第一次聖戦と呼ばれる大規模戦争が始まった。もう終わった、過去の話だ。そして話は再び、現在に戻る。


———「アウル」


聞き覚えの無い声に呼ばれたアウルはハッと目が醒め、そこが記憶にない鬱蒼とした森の中であることを確認すると同時に、それが夢の中であることに気付く。木々一本一本がまるで意志を持つ怪異のように感じ、微かに鳥肌が立つ。異様な不気味さ漂う森の中を反響するようにアウルは再び呼ばれる。声の主を探すと木の奥から、まるで影が立ち上がったかのような人間が出てきた。影は一冊の大きな本を持っていた。アウルは本を見ようとすると、本は消えてしまう。影は軽くせせら笑ったように見えた。また影を見据えると、本は確かに影に抱えられている。


「アウル。真実を見ようとすればするほど見えなくなってしまうものだよ」


例えそれが夢だと思っていても胸の奥から湧き上がる懐疑の念を抑えることが出来ず、アウルはそれの正体を訊ねようと声を出そうとしたが、声が出ないどころか、口が開かない。そして更なる違和感に気付く。見覚えのない影を彼は知っていた。自分の肉体であるはずなのに、何故かその肉体は違う誰かのもののように感じる。


「アウル。もしも君がそのまま過去に溺れていくというなら。僕はここで、君を———


突然、影の背後から世界を飲み込む、夢を覚ますような光が広がる。影は光に呑まれながら、まだ何か伝えようと話していた。そしてアウルは、微かにだが、影の奥に明るい茶髪の少年の顔が見えた。

僅かに陽の光がアウルの顔に当たる。小鳥の囀りが彼を優しく起こす。目を開いた彼の視界に見えるのは見慣れた隊長室だ。相変わらず、自分でも面白みのない部屋だと感じてしまうほど何もない部屋だ。彼は少し足の長い椅子に腰かけ、一枚の毛布に身を包み、眠っていたようだ。普段より長い時間眠った彼は視界が少しぼやけているように感じた。軽く目を擦り、毛布を剥がし、椅子に座ったままアウルは大きく伸びをした。机に置かれた時計を見ると、午前4時30分。いつもより少しだけ遅い起床に、頬を軽く叩き、気持ちを切り替える。

セリオスが研修の報告をしに来るのは5時00分。まだ少し時間があるので多少書類に目を通す。しかし一枚の書類を手に取った瞬間、彼は頭の中にモヤがかかるような感覚を覚え、


「・・・何か夢を見ていたような気がするけれど。どんな夢だったか」


彼の頬を覚えの無い涙が流れる。忘れてしまった過去と共に涙を拭う。拭われた頬には、汚れた血がついているように感じた。そして思い出したのは血で染まった己の両手。どれだけ月日が経とうと決して拭うことのできない、過去の惨劇の跡。かつて黒衣の死神が築いた骸の山と共にその両手は汚れていくだけだ。窓の外を見ると、ストリックが日課のランニングをしている。その後ろを見慣れない影が追いかける。セリオスだ。どうやら朝早くからストリックが修練を励んでいるのを聞き、それに参加させてもらっているようだ。隊長室は、二番隊兵舎の玄関の大体真上に位置しているので、玄関でストリックとセリオスが別れたのを見た。ストリックはそのまま走り始めた。セリオスは汗をぬぐいながら玄関に入った。アウルは自分の隊長室が好きだ。部屋は簡素でつまらないが、ただ一つ誇れるものがある。それがこの隊長室唯一の窓だ。この窓は例えるなら一枚の絵画だ。一枚にして流れゆく時を描いた史上最高の絵画だ。例えどのような歴史に名を遺す芸術家の描いた絵画であろうと、この窓ほどアウルの心に寄り添える絵画はないだろう。その窓からは二番隊街が一望できる。そして少し遠くを見れば、うっすらと城が見える。国民の暮らしが見える。太陽と月が昇るのが見える。自分たちの守ってきたものが見える。彼の心を蝕む骸の幻想を、ほんの少しの間だけ忘れさせてくれる。多くの人を殺してきた日々に、自分勝手ながら意味を与えてくれる。だから彼はその窓をとても大切に思っているのだ。そして扉からノックの音がする。窓から視線を移し、


「どうぞ」


すると扉は弧を描いて開かれる。扉の死角から現れたのは先ほど窓から見下ろしていた長身金髪の男、セリオス=イエリナ。一日、目を離していただけだが黙っていれば白馬の王子のような見目で、帝国の有力貴族のような気品を感じさせる。しかししかし一度口を開けば、


「セリオス=イエリナ!昨日の研修の結果をご報告に参ったっす!」


犬だ。それもかなり人懐っこい。先日の研修の際、敬語が一切使えないというわけではないと分かり安心したが、どうしても気の置けない相手となると砕けた態度になってしまう。隊長室に来たというのに彼の表情は穏やかで、緊張という言葉とは完全に縁のない様子だ。豪胆なのだと言ってしまえばそれまでだが、兎にも角にも、彼の表情は隊長に報告に来た新兵のそれではない。古くからの友人と久々に出会ったのかと思うような穏やかな目元にアウルは忠告する。


「度々言っているけれど、目上の相手にあまり砕けすぎた態度は改めた方が良いと思うよ」

「ああー、申し訳ないっす」


反省したような顔を見せるも相変わらず口調は変わらない。アウルは時計を確認すると、午前4時55分。ちょうど小鳥の囀りがハッキリとし始め、さながら小さな合唱会のように

なってきた頃、商店街の方では、段々とシャッターが開いていく。シャッターの奥では店主らしき人物が大きく欠伸をしながら、伸びをしている。普段から大きな声で商店街を盛り上げている大男たちがみんな揃って子供のように目を擦りながら、朝の作業やら他の店主さんと談話やらしているのだ。もしもその窓に題名をつけるのなら彼はきっと“平和”とつけるだろう。そしてアウルはセリオスからの報告を促す。


「昨日の研修内容は国外の治安維持活動だったっす。ストリック大佐にご同行していただき、国の周囲には特に悪人や兵器などの危険な存在は見られなかったっす。ただ・・・」

「ただ?何があったの?」

「いえ、はっきりと確認したわけではありませんが、リーテ山の頂上で少し火が見えたっす。ただストリック大佐と望遠鏡で確認したところ火はすぐにおさまり・・・」

「人為的な火事の可能性があると?」

「そうっす」


リーテ山とはエクスピアシオンの北部に位置する小さな山で、大陸中心に位置する巨大な山、霊峰に比べると、とても小さいが、なだらかな山容が広がっており、山の中でも比較的暮らしやすい気候であり古くから住み着いている人も少なくない。そんな彼らを人は、山の民と呼ぶ。山の民の中でもリーテ山のエクスピアシオン側に住んでいる人は、あまり帝国の影響を受けておらず、罪人に対して過剰なまでの差別意識はない。九番隊街ではよく買い物をしに山から下る若者も何人か見かけている。三年前の大規模戦争後は山の民をエクスピアシオン内で保護していたこともあり、また帝国の監視が弱くなり、その数は一層増えたように感じる。しかし、そんな山の民だからこそ、いつ帝国に狙われるかは分からないのだ。クレアツィオーネの言葉を思い出し、胸に滲み出るような不安感を覚えながら、机の引き出しから一枚の報告書を出した。


「報告ありがとう。このことは他の隊長にも伝えておくよ」

「・・・」

「どうしたの?まだ何かあった?」


セリオスは珍しく遠慮がちに言葉を躊躇った。しかし、アウルが先に促すとセリオスは口を開いた。


「もし良かったら、自分も九番隊街に連れて行って欲しいっす」


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