~愚者は掌で踊らされる2/4~
頬をさすりながらクレアツィオーネは歩く。何人たりともアウルの身長を馬鹿にするものは許されないのだ。その中でもクレアツィオーネは質が悪い。例え手を出したとしても、彼のアウルへの身長いじりは終わることを知らない。セリオスのように素で言っているのも質が悪いと感じていたが、やはりクレアツィオーネの方がよほどか悪質であった。しかし彼は嫌な奴だが、悪い奴ではないため、二人の関係は今も続いている。
「ごめんよ、アウル。そろそろ機嫌を直してくれないかな?」
「遅刻してきた挙句、他人を小馬鹿にするような男にかける情はありません」
二人は今、九番隊街の検問所にいる。エクスピアシオンは城下町と九つの隊下街で構成されている。城下町は日々、多くの物や情報が飛び交う国の最も重要な土地だ。いわば国の心臓と言えるだろう。そしてその他に国家兵の各隊に治安維持を任された街、隊下街が存在する。隊下街における国家兵の役割は治安維持以外に、政治に関する助言や警備兵のサポートなどがある。そして国と国民を繋ぐパイプ役を務めている。当然、市長や警備兵など本職を差し置いた行動は許されない。そのような行動は治安を乱す行動とみなされ、相応の処罰を受ける。そして二人が今並んでいる検問所。これも治安維持のために施行された体制の一つだ。特に九番隊は研究や開発に用いられる試料や材料を売りに来る商人の出入りが頻繁なため、検問の存在はかなり大きい。商人は検問済証を検問所で貰わないと隊下街内での商売は規制対象となる。二人の前にも多くの商人が並んでいた。
「随分と列が長いようだが、いつもこれくらい人の出入りが激しいのかい?」
「正確に把握しているわけではないけれど、今日は少し人の出入りが多い気がするよ。こんなにも商人が集中したら、揉め事も増えそうだなあ」
「もしかしたら売る側ではなくて、仕入れる側なんじゃないかな?」
「うーん。まあ、そうだと思うよー」
たとえ小規模であったとしても戦争が起これば、物価は上がる。安いときに仕入れ、高く売れるときに売る。商売の理想の形だ。二番隊街は商人の出入りが比較的少ないため、アウルは見慣れない光景に少しばかり興味を示す。検問員は一人に対して二人で検査をしているようだ。大きな荷物を持っている者に対しては三人の検問員がついている。
「お次の方どうぞ」
アウルとクレアツィオーネは検問員の傍へ寄った。検問員に事前に記入した書類———氏名、生年月日、住所、職業、訪れた目的など簡単な情報をまとめたもの———を渡した。検問員は資料にざっと目を通し、
「それでは荷物の確認をします」
そして一人はボディチェックを、一人はアウルの持っていたナイフケースなどを確認した。ボディチェックは二人とも特に何も身に着けていなかったため簡単に終わったが、どうやらナイフケース、というよりもナイフの持ち込みが規制に引っかかるようだ。
「職業に国家兵と書かれていますが、何か身分を証明できるものを持っていますか?」
「えーと、このバッチでいいですか?」
「階級章ですか?できれば国家兵手帳があれば、そちらの方が良いのですが」
「あ、すみません」
そう言って、アウルは胸ポケットに入れていた国家兵手帳を検問員に見せる。検問員はアウルの顔と手帳にある写真を数回見比べる。その後、書類に書かれている情報と手帳の内容を見比べ、ようやくアウルに手帳を返す。
「確認がとれましたので、ナイフの持ち込みを許可します。ナイフケースの方に検問済証を貼っておきましたので、街を出るまでははがさないでください」
「わかりました。ありがとうございました」
そして二人はようやく九番隊街に足を踏み入れることが出来た。検問所を出ると、目の前に広がるのは先進的な技術により、かなり発展した街。科学的という言葉が似合うだろう。街の道はコンクリートで整備され、その上をクリム工学による自動二輪が走っている。まだ多くの街では馬車が使われているのと比べると随分と近代的であると言えるだろう。家は木製のものが多い。しかしかなり造りがしっかりしていて、数も多い。建築技術の発展と住民の豊かさが伺える。また他のどの街と比べてもガラスの使用率が高いことも分かる。
「あんなにガラスを使って安全性もだが、資金とか大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だよー。実験に用いたガラスを融接して、脱色した“硬化”のクリム鉱を混ぜれば出来上がり。ウチは研究や開発でよくガラスを使い古したり、割っちゃったりするから、再利用できれば環境にも優しいしねー」
「なるほど、街の外での販売は考えてないのか?」
「そこまでの数は作れないしね。商品化するには、材料になるガラスそのものがまだ全然普及してないから、考えてないねー」
妙に穏やかな、ゆっくりとしたクレアツィオーネの話し方は、考えながら話をしているときの彼の癖だ。目に軽くかかる銀髪を少しよけ、どこか違うところを見ている。髪の奥に隠れていた黄金色の瞳は微かに揺れた。その後、科学の街を歩いていくと突然、誰かの怒鳴り声が聞こえる。どうやら商人と客が値切り交渉で熱くなりすぎているようだ。
「クレアツィオーネ、どうする?」
「そうだなあ、放っておいてもいいと思うよ」
その後しばらく様子を見張っていると、どうやら交渉はまとまったようだ。二人とも満足そうな笑顔で別れを告げた。クレアツィオーネが言うには今の商人はよく熱くなって怒鳴ることがあるが、一度たりとも客を逃したことは無いらしい。必ず売ると商人内でそれなりに名の通った人物らしい。クレアツィオーネは彼に少し挨拶をした。彼は薬を売り歩いているらしい。
「こんにちはー。ゲインさん」
「おや、こいつは賢者さん。どうも、こんにちは」
「商売は上々のようですねー」
「いや、まあそれなりにですがねえ」
「ところで最近何か変わった話を聞きませんか?」
後でクレアツィオーネが紹介するが、この商人、ゲインはどうやら他国でも商売をするというかなりのやり手らしい。本人が言うには罪人であるということを隠しきれば、案外やり過ごせるという。流石にアンセトール帝国では何人か商人仲間が捕まったらしいが。クレアツィオーネはそんな彼によく外の情報を聞いている。戦争間近ともあってゲインも、格安ですよ、と話してくれた。
「どうやら商人内の噂なんですが最近、怪しいクスリが出回っているらしいですよ。帝国の貧民街の方ではもうだいぶ中毒者も出ちまって、クスリを売ってるやつらを調査してるんですけど、どうやら全く足が掴めないらしいですよ」
「怪しいクスリ・・・」
「ゲインさん、その噂っていつ頃聞きましたー?」
「そうですねえ。結構最近ですよ。前に帝国郊外の町に稼ぎに出たのが一か月くらい前だから」
「いやー、ありがとうございます」
そしてクレアツィオーネは情報量としてアウルからはよく見えなかったが、コインを何枚か渡していた。次もよろしくお願いしますよ、と一言添えながら。
「それにしても一か月前から出回っているクスリか。二番隊街の方では何も報告はなかったな」
「九番隊街の方でだってないよ。罪人が悪意的に流行させたか、それとも周辺国が帝国の弱体化を狙って流行させたかってところだろうねえ」
アンセトール帝国はエクスピアシオンの北部に位置するパグーマ大陸最大の国で、最古の文献の頃には既にあったようで、最も罪人差別が激しく、罪人の迫害や奴隷化などは他の国の追随を許さない圧倒的な多さで古くから恐れられていたと記録が残っている。エクスピアシオンが建国する前には多くの罪人が集結し、反帝国運動を各地で繰り広げていた。しかしその運動に参加していた者のほとんどは悲しい最期を迎えることとなった。語る事すら躊躇うほどに、地獄と変わらぬ光景が記録として残っている。建国の王フィア=ディバイもかつては運動に参加していたが組織解散後、僅かな生存者と共にエクスピアシオンの土台を作り上げた。しかし建国後もアンセトール帝国による迫害は弱まるどころか、報復、復讐などの感情を孕み、さらに粛清の意味を強く持ち、より苛烈になって罪人を襲った。三年前の大規模戦争以来、アンセトール帝国の侵略は徐々に弱まっていった。この機を狙い、帝国周辺国が帝国に対して反逆を企んでいるというのが、この噂の正体ではないかと二人は考えた。とは言え帝国の目を潜り抜け、今も正体が判明していないというのは罪人の関与も疑わしいところだ。今回の侵略とも関係があるかもしれない。
「そろそろ、見えてきたよ。あそこの豆腐屋根のコンクリートでできた建物が研究棟だ」
近未来的な街並みの中でも、さらに際立った存在感を放つ。後の刑務所とよく似た外観を持った建物にアウルの足は止まり、目を奪われる。クレアツィオーネは、気に入ってもらえたようで何よりだ、と笑顔を零す。