~愚者は王の前に跪く4~
そして二人は警備兵本部に辿り着いたアウルとセリオス。問題のこともあってかエントランスはやけに人が少ない。帝国での前例があるおかげか、警備兵は今回の問題をとても重大視しているようだ。大陸最大にして最強の国、帝国アンセトール。当然のことながらエクスピアシオンの総人口を何倍にもしたような人間がその地で暮らしている。そこに老若男女、貧富、文化、歴史、肌の色の差別はなく、この大陸の大多数の人間が帝国と言う枠の中に納まっている。そんな国だからこそ悪人は簡単に忍び込むことが出来てしまう。葉を隠すなら森の中とはよく言ったもので、あの海の水のような人混みの中、数人の悪人を見つけ出すことは例え罪の異能があったとて困難だ。だがしかし、それが本当に困難だとしたら。今頃帝国は他国からの間者で溢れ、極悪人が街を闊歩し、法はただの塵と化し、王座は簡単に朽ち果てるだろう。そしてこの何百年間、一度たりとも帝国の絶対的地位が脅かされることはなかった。間者が容易く入れるほどの隙間はなく、極悪人が胸を張って歩けるほど警察機関は落ちぶれていなかった。法は絶対的なもので、王座は永遠的なもの。国民の誰一人がそう疑わない。人を統率するのに必要なのは多くの味方ではなかった。ただ一つ、一つでいい。絶対的な敵があるだけで良かったのだ。そして罪人は帝国にとって絶対的な敵となった。そんな帝国に忍び寄る影。形も分からなければ、大きさも分からない。それはまるで影の中の影のようだった。ただ一つの薬物で帝国の土台が崩されるなど、敵対している罪人でさえ未だに想像出来ないことなのだ。
「本日はどのようなご用件でいらっしゃいましたか」
一見すると人当たりの良い優しそうな女性だが、その半袖の制服から伸びる腕はかなりしなやかに鍛えられた筋肉だった。手もよくよく見れば、一般の女性と比べると、少し厚みがある。髪は短く整えられていて、背後から髪を掴まれる恐れもない。なるほど全身が戦闘仕様の女性かと判断し、
「私は国家兵二番隊隊長のアウルというものですが。こちらの新入りをしばらくの間預かっておいて欲しいのです」
「それは何故ですか?」
アウルは女性の顔を引き寄せ、耳元で小さく伝える
「彼には秘密ですが、彼には今、反逆罪の疑いがかかっています。私はこれから王城に用があるので、その間監視しておいてほしいのです」
「反逆の?・・・わかりました」
女性は少し焦った様子を見せたが、すぐに平静を取り戻し、自分に与えられた任務を受け入れる。やはり見た通り、ある程度経験のある人物のようだ。このような緊急の場面だからこそエントランスに熟練者を配置するのは本部が冷静さを欠いてないという証拠でもある。
「アウル・・・大胆なことするんすね」
「違う」
「隠さなくてもいいんすよ。アウルも見た目は可愛くても中身はケモ・・・
アウルの蹴りがセリオスの臀部に入った。セリオスの大殿筋も生半可なものではない。それは鍛え抜かれた兵士のそれであったが、アウルの蹴りはもはや達人の域に達していた。アウルの蹴りを受け止めようと構えた尻を容赦なく蹴り抜いた。セリオスの脳はその蹴りを極限に至った居合と錯覚するほどの痛みを訴え、その当人はその場で叫び崩れる。そして伝説の居合を右足に備えた男は自身の足下に転がる男を冷静な目で見下し、無慈悲に指差し、
「今のうちに連れていってやってください」
「・・・は、はい!」
国家兵のアウルと言う男の背丈を馬鹿にするものは何人たりとも許されない。その噂が真実であり、そして思った以上に命の危機を感じるということをその両目で確認した女性は戸惑いを隠しきれずも、セリオスを奥へ運ぶ。少し重そうに抱える彼女に向かってアウルは言った。
「ああ、いいですよ。いくら鍛えているとはいえ、成人男性の身体は重いでしょう。どうぞ引きずってやって下さい」
「え、でも・・・」
「大丈夫です。どうせ戦地に行けばもっと酷い目にも、理不尽な目にも、合うので、先に教えておいてやって下さい」
「あ、はい」
ズルズルとセリオスを奥に運ぶのを見届け、アウルは王城へと向かおうと振り向く。すると、アウルの後ろには珍しい黒髪をたなびかせる少女が立っていた。アウルとそう変わらない身長なので、振り向くとパチッと目が合った。
「ああ、受付のお姉さんならすぐ帰って来るからね」
アウルが少女にそう伝えると少女は自分に指を指した。アウルがそうだよ。と頷くと、少女は驚き、目を広げ、もう一度、自分のことか確認する。
「そ、そうだよ?」
少女はアウルに思いっきり顔を近づける。どことなく石鹼のような香りがして、アウルはドキッとした。そんなこと気にもせず、少女はアウルの顔をペタペタと触り。
「わたしのことが見えるんだあ」
と小さく呟く。どことなく嬉しそうな表情で。真っ直ぐで純粋な瞳でアウルを見つめる。
「あの放してくないかな?僕これから急ぎの用があるんだけれど」
「あ、ごめんね。結構しっかり異能を使ってたのに見られちゃったから、びっくりしちゃって」
「え・・・」
その灰色交じりの黒髪がもう一度揺れたかと思うと、目の前の少女は消えていなくなった。
あまりにも突然のことだったので幻覚だったのかと疑うが、触れられた感触はまだ顔中に残っており、石鹸の香りも鼻の奥に残っている。そしてようやく頭がはっきりとしてきた頃、受付の女性が戻ってきた。
「どうかされましたか?」
と聞かれるが、アウルは上手く言葉にできない。ただ姿を消す異能には気を付けてください。と一言残し、その場を後にした。
王城は警備兵本部からそう遠くない。それこそ走れば5分とかからないくらいだ。王城は豪華な建物というイメージはなく、どちらかと言うと強固な、まるで巨大な檻のようなイメージの建物だ。門の前には二人の警備兵が立っている。警備兵の中でも近衛兵を任されるのは一握りの優秀な人物だけだ。国家兵と同等かそれ以上の実力を持っている。アウルは門番の一人に見覚えがあった。彼はトータスという男で、もう何年も近衛兵の役を任されていてエクスピアシオン建国の時から警備兵として国に尽くしている男だ。全盛期には反帝国運動に参加し、最前線で戦っていたのだが、彼ももう若くない。今は若い世代の教育も行っているらしい。アウルを見つけるとトータスは少し瞼を上げ、肩をこわばらせ、一礼する。一人の若い門番がアウルに訊ねる。
「ご氏名とご職業をお願いします」
「アウルです。国家兵の二番隊隊長をさせていただいています」
「家名を教えて頂けませんか?家名が無い方でしたら、元奴隷の証拠を見せて頂きたいのですが・・・」
アウルが少し答えるのを躊躇っていると、トータスが若い兵の肩を掴み、その人は良いんだと首を横に振る。
「しかし・・・」
「アウル様、どうぞ中へ。他の隊長も既に中でお待ちしております」
「すみません。トータスさん」
「いえいえ、これまた借りを返しているだけですので」
とアウルが中へ入っていくと、やはり若い門番はトータスに訊ねる。
「あの人は一体何者なんですか?家名を持たないのであれば、それを証明してくだされば良いのに」
「お前はまだアウル様とは面識がなかったか」
「知識としては知っていますが、何しろ資料にも家名がありませんので」
と若い男が言う。トータスはそんな彼にアウルの家名を伝える。男はその家名を聞いたとき、顔を真っ青にし、肩を畏怖で震わせた。樹を覆う葉の間をすり抜ける風が、何故か不気味に感じた。
王城の建物内に入ると、燕尾服を纏った一人の男がいた。この男も以前から面識がある。メトルドテルという年老いた白髪で長身の男だ。老人のはずだが背筋は真っ直ぐで、顔も皺が刻まれているというのにまだ若さを感じさせる。そして死んだ魚のような目も相変わらず変わらない
「お待ちしておりました。アウル様」
「少し遅れてしまってすみません。メトルドテルさん」
「まだ時間には余裕がありますので、お気にせず」
メトルドテルは低くも力のある声で、ゆったりとした喋り方だ。聞いている側に緊張感を与えてくれる。
「それでは、応接室へご案内します」
燕尾服の男と小さな兵士はゆっくりと進んでいった。城内はあまりにも静かで、まるでそこだけ違う世界に切り取られているような感覚に陥りそうだった。