番外編2.共に歩む道 3
早朝からの告白練習を終えたあたしは、重い足取りのまま廊下を歩いていた。
のろのろと、本当にゆっくりと。
自身の気の重さを体現したかのような足取りは、淑女に有るまじき歩調で。ほぼ摺り足のようなその歩き方は、ここが自身の屋敷なら間違いなくアリアの雷が飛んでくる。
情けない。だけど、まだ部屋に籠っていたい。
部屋へと戻りたがる足を何とか前へと進め、皆のいるダイニングを目指す。
と、奥の曲がり角にディーンの姿が見えた。
「エレ!!」
ディーンはあたしの顔を見るなり、廊下を駆けてくる。
「おはよう、エレ。昨日はすまなかった。俺……」
「おはよう、ディーン。……ううん。あたしこそ、急にパーティーを抜け出してしまってごめんなさい」
あたしが気持ちを伝えていないせいで、貴方にあんな事を言わせて。
なのに彼は「いや。心配ない」と、目を細めて微笑む。
――その笑顔は、あまりにも優しい。
胸が疼いた。
心臓を甘く掴まれた様に。呼吸まで奪われる様に。切なさが身体全体を痺れされる。
ずっとずっと想っていた。
伝える勇気を失ってからも。自分から避けるようになってからも。
あのままノーティスへ行っていたとしても、あたしの気持ちはきっと変わらなかった。それぐらい、強く想っている。
「あ、あのね、ディーン……」
伝えたい。この気持ちを。
こんなにも貴方の事を想っているのだと。
熱い想いを抱いているのはあたしも同じなのだと。
早く。早く。今、すぐに。
ディーンの瞳が揺れた。
少し照れたように、はにかむように。
熱っぽい瞳であたしを見つめ、こちらへと手を伸ばしてくる。
嬉しくて、思わず一歩前に出る。
次に起こる力強い抱擁を期待して、胸が躍る。
だけど彼はハッとしたように息を呑むと、すぐに手をひっこめてしまった。
その仕草は高鳴りを解くには十分で。あたしもヒュッと呼吸が楽になる。
「……皆が、待っている」
ディーンは腕をスッと前に出した。
腕につかまる様にと、エスコートすると。
目を細め笑顔を浮かべる彼に、もう熱っぽさは窺えない。
――そうか。
と、ここにきて、ようやく腑に落ちた。
同時に、どうしてこんな事に今の今まで気付かなかったんだろう。と、自分の考えの無さに嫌悪した。
この半年間、ずっと気になっていた。
ディーンはこんな風にエスコートしてくれる様になった。
昨夜みたいにあたしを追いかけてくれるし、問題があると思ったら一生懸命改善しようとしてくれる。以前の様に言い合いになっても、喧嘩別れをしたくないと、言葉を重ねてくれる様にもなった。
だけどあの日以来、無い事がある。
それをもどかしく思い、久しぶりに会った時はディーンを見上げたりもしてみた。それでも効果はなくて。自分から言い出す事も出来ず、今日に至る。
(……これも。あたしがいけないんじゃない)
婚約しているというのに。
好きだと。俺が惚れてと、皆に言うくせに。
あの日以来、キスもしてくれないのは。
◇◆◇◆◇◆
ダイニングへと向かえば、屋敷の主人であるベルフリートを始め、他の世話役三人がすでに着席していた。
「おはよう、みんな」
ディーンの横であたしも挨拶をする。
皆からも次々と挨拶があり、あたしは昨日の非礼を詫びた。
「いいのいいの~。だって、ディーンが悪いんだもの」
「この件に関しては弁解の余地はないかと」
「同感ね」
「ガハハハ! 今日もボロクソだなぁ! ディーン!!」
皆の言葉を受け「もう勘弁してくれよ」とディーン。
こちらを見て、「な? みな、エレの味方だろ?」と、優しげに微笑む。
あたしはチクリと傷む心を隠して、首を縦に振る。
「さあ、今日からディーン新領主様と、その麗しの婚約者エレイン様には、たんと働いてもらうんだ! 早く飯にしようぜ!」
「お前は早く食事にありつきたいだけだろう?」
「気の利かない誰かさんの代わりに、音頭を取ったまでよ」
「なっ! この屋敷の主人は私だぞ!!」
「だったら早く飯だ! 飯!!」
「また始まった~」と、ケラケラ笑うリーゼロッテと、「もう少し落ち着く事は出来ないのか」と、溜息をつくラウラ。
幼馴染みでもなく、生まれ育った地域も違うのに、ずっと昔からの馴染みの様な雰囲気を醸すこの四人を、あたしは好きになった。
ディーンを支える仲間が、この人達で本当に良かった。
「さあ。食事にしましょう」
並べられた温かな料理を前に、あたしとディーンは席に着いた。
◇◆◇◆◇◆
「――すでにご存じかと思われますが、今日から領地視察を行います」
食事を終え、客室へと移動したあたしとディーンは、ベルフリートが広げた地図へと視線を落とした。
小規模の森と街で構成されている北部。
広大な森を有す南部。
高い山々の連なる西部。
平原と湖が多い東部。
ファンシルの地図はほぼ緑色で覆われており、自然の薬草庫と謳われる全容が、緑豊かな土地である事をしっかりと示していた。
「まず、ファンシル北部であるこの地から、西部、南部、東部へと、順番に回ってゆきます。北部の案内はこの私、ベルフリートが致します。西部へ到着致しましたら、リーゼロッテへと案内役を引き継ぎます。同じように南部、東部へと回り、最終的にこの屋敷へ帰還します。途中、領主様のお屋敷にも立ち寄りますので、なにか希望等ありましたら、ご遠慮なくお申し付けください」
「たしか屋敷は東部にあると言っていたな」
「ええ。ファンシルは昔から重要な土地でして。領地内を一望出来、且つ、交易都市であるルーブン寄りの方が何かと便利との事で。かなり昔からこの地にお屋敷があったと聞いております」
「ふうん。なるほどな」
「もし……ディーン様が他の場所を望まれるのであれば、なんとか場所を用意したいと思っております。しかし、ファンシルは基本的に開発を望みません。ですから……」
「大丈夫だ、ベルフリート。俺達も開発など望んではいない」
なあ? エレ?
そう言いながら、黙って聞いていたあたしに話題を振る。
「――そうね。あたしたちはその意見に賛成よ」
「そうですか。よかった」
ベルフリートは肩の荷が下りた様に微笑んだ。
「きっとお二人なら、そう言っていただけると思っていました」
たとえ歳が下であっても、領主はディーンだ。
それは世話役全てが理解していて。だからベルフリートも彼が無理を言ってこないか、心配していたのだろう。
「俺達は、皆の意思を無視する様な事は絶対にしない」
「それを聞いて、安心しました」
「ああ。その辺は心配ない。皆が望むものを得られるよう努力するのが、領主の役目だからな」
「心強いお言葉です」
「その為には、皆の協力が不可欠だけど」
「お任せを」
ああ。やっぱり。
ディーンはおっきくなったなあ……
それに比べてあたしは。
今まで喧嘩しながらでも、隣を歩いてきていたつもりだった。
同じモノを目指していたわけではないから、技術的にお互いを高め合う事は出来なかったけれど、それでも一緒に成長しているつもりだった。
だけどディーンはいつの間にか駆け足になっていて。あたしをぐんぐんと引き離してゆく。
「ずるい……」
思わず呟いた言葉に、二人が首を傾げたのが見え。ハッと我に返る。
「あっ……と、何でもないの」
「……エレ。言いたい事はハッキリ言って良いんだぞ?」
「ううん。何でもないの。ちょっとぼんやりしていて……」
ごめんなさい。大事なお話中なのに。
そう続ければ「なら、是非このままで行きましょう」と、ベルフリート。
その表情は何故か喜々としており、対照的にディーンは少し戸惑った表情を浮かべる。
「ディーン様。心配は要りませんよ」
「心配しているわけじゃない。ただ、俺は……」
言い淀む彼に、ベルフリートが微笑む。
「この領地視察は、一石二鳥なんです」
自信満々に。それでいて、愉快そうに。
眼鏡を押し上げながら口角を上げるベルフリートに、ディーンはあたしの顔を見る。
その視線は『お前、意味が分かるか?』と言っており。
回答を持ち合わせていなかったあたしは、首を横に振る。
「――まあ。直に分かりますから」
そう言ったベルフリートは、やはり愉快そうにしており。あたし達二人はますます疑問が深まるばかりだった。
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