40.解ける魔法
『俺にもメリット……あるから』
そう続けたディーンは口元を隠しそっぽを向く。
その横顔は困っているような、言い出しにくい様な、そんな表情をしている。
あたしは意味が分からず首を傾げた。
そんなあたしをチラリと確認し、ディーンは目を瞑り、息を吸い込んだかと思うと、再び口を開いた。
「……結婚すれば……さ。エレインをエレって呼べるし……エレインだって俺の事、ディーンって呼んでくれるだろ……?」
控え目に、だけどハッキリと紡がれたセリフに言葉を失う。
呆れた。
なんなの、その理由は?
「……そんな事の為に?」
思わずついて出た言葉に、「それだけじゃ、ない」とディーン言う。
「……結婚すれば今よりもエレインは俺を見てくれる。髪を梳く事もできるし、抱きしめる事も出来る。あと……キスも。誰にも、邪魔されない」
頭が真っ白になった。
何を言ってるの、ディーン?
あたしと貴方は犬猿の仲で、喧嘩友達で。いままでそんな様子、全く無かったのに――……
そんなことが頭に浮かんできて、あたしははたと我に返る。
――そう。今までそんな事、一度だって無かったじゃない。
「……いい加減にして。そんなウソにあたしが騙されると思っているの?」
「なっ!? なんで嘘になるんだよ!?」
「だって、あたし達は喧嘩友達でしょ? そんな気持ちが無いのは十分分かってるじゃない!!」
「お、おまえはそうかもしれないけど!! 俺は嘘なんてついてない!!」
そんな事言われたって、何を信じればいいの?
素直に彼の言葉を受け取りたい。
そう思う反面、今に至るまでの過去があたしに勘違いするなと叫ぶ。この言葉がまた勘違いなら、あたしはもう立ち直れない。
ディーンは目を吊り上げたまま胸元のポケットに手を突っ込んだ。
何を取り出す気なのだと、あたしはその様子を睨みつけるようにして見る。
スッと胸元から引き上げられ、手の中に隠れていたモノがコトリと机を鳴らし。その姿を見て目を見開く。
「な……なんで……?」
目の前に現れたのは最近目にした物。色褪せた青いリボンのかかる、手のひらサイズの小瓶。
「あの日の夕方、また工房へ行ったんだ」
その時見つけて。と、ディーンは続ける。
「エレインが名を呼んでくれなくなった頃の事、ずっと考えていた。俺には突然そうなったようにしか思えなかったが、この瓶を見て気付いたんだ。
あの時、折角作って来てくれたお香の事、俺がバカにしたからだろ? あの時は悪かった。――気が利かないガキで、ごめん」
もう七年も前の事なのに……気付いてくれた。
それだけで、涙が浮かぶ。
困ったように眉尻を下げ、謝罪を口にするディーン。
色褪せたリボンをそっとなで、大事そうに小瓶を握りしめる。その仕草はまるで、愛おしいモノに触れる様に優しく見え。それは、当時して欲しかった姿と重なる。
「なあ、そんなに嫌か? 俺のところに来たら、ここにも帰りやすくなるし、ほら、他にもさ……」
ディーンがあたしを引き止めようとしてくれている。
こんなにも、一生懸命。
嘘の魔法が、解けてゆく。
拍動に乗り、身体中を駆け巡るように。幸せが全身を満たして。
子供のころと違うと知られ、彼を困らせたくなくて。何気ない行動で、自分が傷つきたくなくて。
真実を知る事を避け、ずっと隠れていた、臆病な自分をようやく見つめる。
「ああもう! どうしたらいいんだ!! たくさん話して、また喧嘩したくないんだ!」
席を立ち、ディーンがこちらへとやって来る。
テーブルを回り込み、正面へ跪くと、腰かけているあたしと目線を合わせる。
意図せず、涙が頬を伝う。
するとディーンは益々困った様な顔をし、手を伸ばして涙を拭ってくれる。
「エレ……」
困り果てたようにあたしを呼ぶ。
そうしてから両手を伸ばして来て、そのままぎゅっと抱きしめてくれた。
「……こうやって話したら、喧嘩しなくて済むよな? なあ、エレ……お願いだ。ノーティスなんかに行くなよ」
「どうして、急に……」
「――すぐ伝えたかったから。だから、急になった」
ごめん、エレ。
そう言ってディーンは腕に力を込めた。
何も言えなかった。
ディーンがあのお香の事思い出してくれた。
ディーンが一生懸命引き止めようとしてくれる。
ディーンがあたしを――……抱きしめてくれている――
信じられない。
これは夢? あまりにも都合がよすぎやしない?
そんな事をぐるぐる考えている間に、「もし……さ」と、囁く声が届く。
「……急すぎて無理なら……その、こういう事は我慢するから」
でも……あんまり我慢できないと思うから、なるべく早く、俺を見て。
そう続けたディーンがフッと息をついた。
耳を掠める吐息が熱くて、あたし自身も熱くなる。
高鳴る鼓動と、包まれた体温に、じわじわと心が追いついて来る。
「で、でもね……」
「まだ、何か足りないのか? だが、これ以上は出てこねえ……」
ディーンが慌ててあたしから身を離し、こちらを見る。
それは、しまったって顔と、不安が混ざったような表情で。
口悪く話した事で、喧嘩になってしまわないかと、心配しているように見えた。
だけど。
あたしは頑固で、意地っ張りだから。
そんな風に見られたらとても素直になれなくて。あたしはディーンの視線から逃れるように下を向いた。
「……ねえ、それじゃあさ……まるで、エメリー様があたしの事……好きみたいだよ?」
あたしは卑怯だ。
どうして、自分の気持ちを言わずに相手を試す様な事。
わかってる。
あたしは怖いんだ。
魔法が解けだした今、また傷つく事が。
「……そうだ、と言ったら?」
「エメリー、様?」
「エメリーじゃない、俺はディーンだ」
「ディーン?」
「……エレ。俺はお前をノーティスには行かせない」
代わりにファンシルへ行こう。俺と一緒に。
続いた言葉にあたしはディーンの胸を叩いた。ぽかぽかと力の入っていない拳で何度も、何度も。
「どうして、いつも、そんな、勝手な事……!!」
「エ、エレイン?」
「あたしが、どんな思いでノーティス行きを志願したと思ってるのよ!! 知らない土地で、一人きりで……!!」
詰るあたしをディーンは驚いた顔で見る。
それでもあたしの溜め込んだ気持ちは止まらない。
「どうして、今更、根幹を揺るがすような事言うのよ!! あたしは……あたしは! 貴方の瞳に映りたくないから……!!」
「そ、そこまで……嫌われていたのか」
「違うわよ!! 顔を合わせればいつも、喧嘩になって……時々優しいのに、全然意味はなくって……」
ディーンの行動にはその事実以外、何の意味も無い。
喧嘩になるのは仲が悪いから。
不意に優しいのは、あたしに優しいんじゃなくて、ただ、その行動を取っただけ。
どれだけ傷ついて、勘違いして、もっと傷ついて。
伝える勇気もあの時、使いきってしまって。
こんな風にしていたら、浮かれるあたしも、傷ついたあたしも、いつか全て分かってしまう。
だから、離れるしかないって思ってた。
なのに。
ディーンはあたしの魔法を解いた。
もう、嘘の魔法は必要ないってあたしには聞こえた。それなら!
「……ごめん、エレ。これからは、もっと、ちゃんと。だから」
「だから?」
お願い。
勘違い出来ない言葉を聞かせて。
もう間違いだなんて、思わせないで。
滲む視界をそのままに、ディーンを見上げる。
きっと酷い顔になっている。
でもこれもあたしだから、そのまま受け止めて。
「――傍に居てくれないか? エレがいない毎日なんて考えられない」
瞼を閉じて、瞳に映ったディーンを閉じ込める。
赤みがさした頬、強い光を宿す瞳。そして、勘違い出来ない言葉を紡いだ唇。
全部全部あたしの物。
勘違いじゃない。これはあたしに向けられたディーンの気持ち。
「……ディーンの、バカ……」
「……それ、返事じゃないだろ?」
「……断る気なら、もう蹴飛ばしてる……」
あたしはどこまでもずるくて、最後までディーンに自分の気持ちを言葉にしなかった。
でもそれは、いままで意地悪してきた仕返しなのだと言い訳する。
ディーンの温かさを身体全体で感じ、抱き返す力を少し強めた。
トクトクと早く鳴る鼓動は、今、あたしを抱きしめているからだと自惚れる。
「……もっと、強く抱きしめようか?」
あたしは恥ずかしかったので、顔を上げずに頷いた。
――しかし。その直後あたしは後悔する。
「いったたたたたた!!!」
「は? もう、痛いのか??」
「痛ったいに決まってんじゃない! この馬鹿力!!」
「バカって……お前、俺をバカにするのも大概にしろよ!!」
「バカをバカって言って何が悪いのよ!!」
「なっ! お前黙ってきいてりゃあ調子に乗りやがって!!」
「ふーん。誰が黙って聞いてたのよ? しっかり言い返してるじゃない!!」
「なんだと!!」
近距離で言い合っているのでディーンのプレッシャーがすごい。
ちょっと後ずさろうにも、抱きしめる腕は背中に回されたままだから、あたしは身をよじる。
離してよ! って態度で示すくせに、本当は離してほしくない。
矛盾したまま精一杯睨めば、ディーンも負けじと睨み返してくる。
素直にならなきゃ、また喧嘩になっちゃう。
そう思ったのに、事は思わぬ方向へと転がる。
ディーンが「くそ!!」と悪態つき、そして。
「……甘い言葉が言えるようになるまで…………」
その唇、塞いでやる。
声と同時だった。
ディーンがキスしてきたのは。
驚きで目を瞠る。
近すぎて、ディーンが目を閉じているのかさえも分からず、あたしはそのキスを受け止める。
力強く、押し付ける様なキスはあたしの怒りを鎮静化させるには覿面で。
なんて現金なんだろうと思うけれど、怒りがすっと消えてなくなってしまったのだから、しょうがない。
優しく甘いキスにも憧れるけど、強く求められるのも嬉しい。
本当はどっちでも幸せで。
ディーンがあたしを見てくれるだけで、溶けてしまいそう。
ただ、口論になったら唇で塞ぐというのはどうなんだろう?
そう思っているとゆっくりと唇が離れていったので、思わず「ディーンのバカ…………」と、呟いた。
するとディーンは「ん? まだか」と、言い、また唇を重ねてきた。
さっきよりも優しく。味わう様に求められ、頭がぼんやりとしてくる。
また同じ事を言ったら、キスは続くのだろうか?
そんな事を平気でするディーンは……。
再び唇が離れたので、思ったままを口にする。
「ディーンって結構むっつりなんだね」
そう言ったあたしにディーンは驚愕って顔だったけど、すぐ甘い表情になって。「エレの唇が甘いからいけないんだろ?」と、またキスをする。
――――いつも自信に充ち溢れているディーンがずっと好きだったよ。それに、こうやって優しくしてくれるディーンはもっともっと大好きになれそう――――
そう言える日がきっと、もうすぐそこまでやって来ているのだと思いながら、あたしはディーンのキスに応える。
一生忘れる事のない、秋の午後だった。
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます(*^_^*)




