4.草博士
「エレイン、今日はファンシルから仕入れがあったぞ」
「えっ!! 本当ですか!?」
ここは王城内第三研究室。
数ある研究室の中で薬関係についての研究を担っている組織の根城であり、あたしが所属している研究室でもある。
間取りは大部屋が一つに、そこから繋がる小部屋が五つ。あと、素材置き場が一つ。
大部屋では大まかな方向性を示した研究を行い、小部屋では特定の素材を実験する事に使われている。
今あたしがいるのは大部屋で、自身の研究の為、登城したところだった。
室長はあたしの返事に「ウソついてどうするんだよ」と苦笑いを浮かべながら、自分の後ろを指差した。
丁度今、開梱したばかりなのだろう。
箱は折りたたむ部分が天を向いており、隣には荷づくりに使われていたと思われる麻紐が置かれていた。
「室長! あたし検品したいです!」
「はいはい。言うと思ったよ」
「ありがとうございます!」
むふふ。やったわ。
今回は何が入っているのだろう?
「顔が緩みまくってるぞ」と指摘する室長を気にする事無く、机へと向かい箱を覗きこむ。
中には真新しい布に包まれた品々がいくつも入っており、その一番上に封筒が乗っていた。
中身は当然納品書。
確認せずとも分かる封筒を箱から取り出し、脇に置く。
そうしてから一番上に乗っている品を優しく掴んだ。
第一感触で葉のようなものだと感じた。
あたしはこの瞬間を堪能しつつ、頭の中でこの品は何だろうかと考えを巡らせる。
手に取った感触、送られてきた地域、今の季節、そして今年の気候など……。
様々な要因を考えながら、手で品を仰ぐように風を送る。すると、スッキリとした柑橘系の香りがふわりと漂ってきた。
「……これはキリッシュの葉ね」
夏、その果実を収穫した後、役目を終えた葉を採取したものだと予想する。
包みに触れるとカサリと音がする事から、しばらくの間は天日に干したのだろう。
しかし、布から香りが漏れ出ているところをみると完全な乾燥状態ではない。
この葉は半乾燥状態と、完全な乾燥状態では香りも成分も変わってくる。
今の時期、ファンシルの湿度はとても低く、すぐに葉は完全な乾燥状態になってしまう為、香りが漏れ出るこの品――――半乾燥状態の葉は貴重であった。
「さてと、次は……っと」
こんな風に一つずつ品を手に取り、検品を進めてゆく。
利き酒ならぬ、利き薬草。
もちろん最終的には納品書と品を照らし合わせてゆくのだが、始めからそうしてしまうと出会った時の感動が薄らいでしまう気がして、あたしは好きじゃなかった。
時間がかかっても中身を想像してから開封するはその為だ。
「これは……ミーディア草……?」
もしそうなら眠気を催すから気をつけないと。
あ、でも、ファンシルには自生していないハズ……?
「……室長。エレインに検品させちゃだめでしょ?」
「いやあ……いつも嬉しそうにするから、つい」
部屋に誰かが来たのか、室長が会話をしている。
でもそれが誰かなんて確認するのは後でいいや。
今はこの甘い香りのする薬草の正体を……。
「はあ。こうなったらエレインは使い物にならないね」
「たしかに」
「もう。それでなくても今日は新しい材料での研究があるのに」
「まあ、いいじゃないか。こっちは俺達でやろう」
「全く……室長はエレインに甘いんだから」
温かな笑い声を背に受けながら、あたしは心行くまで検品作業を続けた。
◇◆◇◆◇◆
無事検品を終えたあたしは、自身の研究に取り掛かっていた。
昨日までは調合師として薬や香を作っていたので、この研究を再開するのは三日ぶり。
いくつも並んだ細いガラス管の中に、先程煎じた薬草を一滴ずつ加える。
緑の液体は不透明で、少しだけ臭う。でも作業は素早く、量は均等に。
そうして同じモノをいくつも作り、次に違う薬草を加えてゆく。
すぐに反応があるもの、また少し遅れて反応が起こるもの。そして、全く起こらないもの。
その全てを記録し、成分の変化を確認する。
観察期間も入れて時間を要すこの作業は、一日では当然終わらない。
「……じゃあ、今日はここまでだな」
「え? もうですか?」
暗に早すぎない? と、言う意味で返したら、室長は苦笑しながら、「もうって……エレイン。それはあれを見てから言ってくれないか?」と、時計を指差す。
時刻はもう十九時を回っていた。
「もう夏は終わったんだ。早く帰らないと暗いし、寒いぞ~?」
「うっ……寒いのは嫌かも」
ブルリと身を震わせ、両手で身体を抱くと、「まだ香を使うには早すぎるしな」と、室長が笑う。
「今からあの暖かさに頼ったら、冬に凍死しちゃう」
「ははは、大げさな。でも、季節の変わり目だ。体調には十分注意しろよ?」
「はい、ありがとうございます。室長」
でも、もう少しだけ。
すると室長は「そう言うと思った」と、フッと笑い、「でも、あまり遅くならない様に」と、念押しして部屋を出ていった。
それからあたしは自分の手掛けている研究に没頭した。
今日は新しい材料も入ったお陰で、今までと違う組み合わせで実験する事が出来、とても有意義な一日となった。
ただ集中するという事は時間を忘れるという事で。
気が付いた時には、もう深夜に及んでいた。
「あちゃ……、またやっちゃったよ」
翌日……というか、今日、「あれほど言っただろう!」と、怒る室長の顔が思い浮かぶ。
普段温厚な彼が怒るととても怖く、それは苦手なお化けとはまた別の意味で怖ろしい。
しかもなお悪い事に、時間の事で怒られるのは初めてではなかった。
(あたしだって、反省していないわけじゃないのよ? でも、集中しちゃうと……)
ごにょごにょごにょごにょ……
誰もいないのに、言い訳を考えてしまう自分が情けない。
室長が自分を心配してくれているのは十二分に分かっていて、それを守れない自分が悪いのも分かっている。
しかし、怒られると分かっていてこのまま手を拱いている訳にもいかない。
必ず、研究室を出る必要がある。
ならば、いつ出るのか。
今すぐ?
あたしは自問し、手元の素材を見て首を振る。だって、コレ途中じゃない。
それじゃあ?
(……早朝まで研究して、明るくなったらダッシュで帰る?)
それなら外は明るくなってるし、この半端物も終わるし……?
そう思いついた瞬間、あたしは一人声を上げる。
「そうじゃない! 今帰るよりとっても良いハズ!」
尤もらしい理由を思いついき、指をパチンと鳴らす。無意識にどんな表情を浮かべたのかも知らず、ふと目の前のガラス管を見て、笑みを深める。
「さてと、次は……っと!」
真夜中の研究室に浮かれた声が響き渡る。
すぐ傍にあるガラス管には、したり顔の自分が映っていた。
◇◆◇◆◇◆
あれから数時間後。
今度こそ研究室を後にしたあたしは、外に出てすぐ両腕を抱いた。
昨晩、雨が降ったのだろう。
少し湿っぽい足元が冷え込む空気で靄となり、視界を悪くしていた。
そんな冬を感じさせる気候に思わず引き返したくなるが、怒れる室長の顔を思い出し、意を決して歩き始める。
早朝の城下は人通りが少なく、新聞やミルクを配達する人、あとは見回りの衛兵が出歩いていた。吐く息はまだ白くは無かったが、皆、昼間より厚着になっている。
何も後ろめたい事は無いけれど、上着も来ていない女の一人歩きは目立つ。そんな雰囲気がなんとなく居心地悪くて、あたしは足を速めた。
(屋敷の方が近いけど……やっぱり工房へ行こう。湯浴みをして、仮眠を取ったらすぐに登城しなくっちゃ)
歩きながらそんな事を考えつつ、耳に障るのは自身の靴音。
低いとはいえ、ヒールのある靴を履いているせいだったが、その度に、狭い路地で身を丸め眠っている酔っ払いが身じろぎするので、申し訳ない気持ちになる。
(ごめんなさい! 起こす気はないから、そのままで!)
気持ちゆっくりと足を着く様に心がけ、なんとか彼らの安眠を守る。
同時に、こんな寒い中眠ってしまって大丈夫だろうか。と、心配になりつつ、今が暖かかったら自分も……と、思う程、急速に眠気が襲ってきた。
(……これから、先にお泊りの許可を貰おうかしら)
心配性の室長の事だ。
予め伝えておけば、許されるかもしれない。
ならば、本とか着替えとかを持ちこんで――……。
(……だめだ。そんなことしたら、あたしは研究室に住む事になっちゃう)
工房をほったらかしてしまいそうだ。
しかも、エドガーはどうするの?
それこそあいつが言った通り、あたしを置いて外の世界へ行ってしまうかもしれない。
「…………」
……どうして、ここであいつが思い浮かぶわけ?
全く関係ないじゃない。
あたしは眉を顰めて、歩き続ける。
脳裏に浮かんだ顔を追い払い、心を落ち着かせようと深呼吸する。
――あと十分もあれば停留所に着く。そこで馬車を拾って工房へ帰ろう。
そう思考を切り替えて、一人頷いた――――その瞬間。
急に腕を掴まれ、強い力で引っ張られた。
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