34.気が付く気持ち
愛馬を預け、ふらりと城下を歩いた。
鍛練する気にもなれず、かと言って屋敷に戻るつもりもなく。
なんの当てもなく、ただ人ごみに揉まれながら足を動かす。
俺にはエレインを引き止める力はない。
彼女にとって俺など渡航を告げる相手でもなく、ましてや、今生の別れになるかもしれないのに、『どうして言う必要があるのですか』と冷たく言われる存在。
酷く空しかった。
一緒に旅をして、少しでも改善されたと思いこんでいた関係。
例え喧嘩の絶えない間柄だったとしても、これからも友人だと思っていたのに。そんなのは気のせいなんだと、正面から叩きつけられてしまった。
――どれぐらいそうしていたのだろう。
ふと、顔を上げれば、小さな薬店の前に辿りついていた。
何を思ったのか俺は、ふらりと店内へと足を向ける。
カランとベルの音が鳴り、その音に反応して店員の挨拶が聞こえた。
目的なく、ぶらりと歩く。
店内は少し薄暗く、昼間だというのにオレンジ色の明かりが所々に点いており、外とは別の空間に迷いこんだような感覚があった。
普段こういった店に立ち寄る事はないので、独特の雰囲気が珍しい。
「お客様、何をお探しですか?」
そう問うてきた店員に首を振り、商品をただぼんやりと眺める。
エレインが手に持っていた小瓶を始め、様々な形の容器が規則正しく並んでいる。
中には地味目な色から鮮やかな色まで多種に渡る液体や粉末が入っており、瓶の上部にはラベルが貼られ、封はリボンで閉じられていた。
陳列された商品のいくつかはリボンがかけられていなかった。
一番手前に置いてあるそれらの品は、他の同じ品よりも少し量が減っているように見える。
(見本品……か?)
俺は近くにあった小瓶を手に取る。
コルクで栓のされた蓋を取り去り、スッと鼻から空気を吸い込み。そしてすぐに咳き込んだ。
「大丈夫ですか! お客様!?」
心配そうに声をかけてくる店員に苦笑いをすると、女性はニッコリと笑い、親切にも香りの嗅ぎ方を教えてくれる。
情けなかった。
エレインのしている事を理解しているつもりで、それをバカにしていた自分が。
今日ここに来るまで香りの嗅ぎ方も知らずにいたくせに、彼女の何を理解していたつもりだったのか。
彼女が愛してやまない薬草を『草だ、草』と言い、ずっと不快な思いをさせ続け、先程の失言で完全に拒絶された。
全面的に自分が悪い。
だから謝らなくては。
そう考える半面、どの面を下げて彼女に会いに行けばいいのか分からない。
(途方に暮れる……って、こういう時に使うんだよな)
以前エレインが教えてくれた言葉を思い出し、気の抜けた笑みが漏れる。
「よお。ディーンじゃないか」
聞き覚えのあるだみ声に振り返った。
恰幅の良かった身体は少し引き締まり。愛嬌のある顔をそのまま大人にしたような男。
「ブルース」
久しぶりに顔を合わせた悪友にフッと笑った。
「おいおい。なんだ、そのシケタ面は?」
「それはないだろ? 久しぶりに会った友人に」
「友人? ははは! 俺とお前は友人だったか!」
「最近店はどうだ? 顔を出せなくて悪いな」
「はっ!! 不良騎士様が来たら商売あがったりだ!」
だったら話しかけてくる訳ないだろ。
そう言い返せば、ブルースはそっぽを向き「お前は心の内で留めるって方法を覚えるべきだ」と、くしゃりと髪を掴んだ。
「……で、どうしたんだ?」
「『どうした』か……俺にも分かんねえんだよ」
「はあ? だったら俺には余計分かんねえよ」
ブルースは呆れたような声を上げつつ、店内のカゴを手に取る。
「……買い出しか?」
「ああ。店で使う分と、頼まれ物だ」
「そうか」
それ以上は何も言わず、ただブルースの動きを眺めた。
一つ一つラベルを確認し、小瓶をカゴに入れてゆくブルース。
カゴはジャムや果物を少量入れる程度の大きさで、持ち手とカゴの淵にレースがあしらわれている。
普段酒樽を担ぎ上げるような男が、花でも摘みに来た乙女が持つようなカゴを持っている。正直似合わない。それでもこうやって商品を選べるという事は、彼女のしている事を俺よりも理解しているのだと思う。胸が苦しかった。悔しい。と感じた。
そうして品を選んでいたブルースがこちらを振り返った。
その手にはいくつかの小瓶が握られている。
「知っているか、ディーン? これ、エレが作ってるんだぜ」
エレ。
何の躊躇いのなく、その愛称を呼んだ奴に掴みかかった。
「ブルース、どうしてお前はエレインを愛称呼びしている?」
「はあ? なんでって、俺ら馴染みじゃん。ずっと呼んでるぜ?」
衝撃だった。
俺はずっと前に愛称呼びするなと言われていたのに、目の前の奴はその呼び方を許されていたなんて。
「俺だけじゃないぞ? マーティンだって、ハンスだって、ずっとエレって呼んでるぞ?」
「……本人の前でか?」
「当たり前じゃないか。それ以外にいつエレを呼ぶんだよ」
あいつだってお嬢様だからなあ……そう滅多に会う事もないけど。
続けられた言葉は何の意味もなかった。
「……まさかディーン。お前、エレを怒らせたのか?」
「…………」
「馬鹿だなあ……あいつも女なんだから、上手く褒めてやれば許してくれるさ」
「……褒める?」
「ああ。女は褒めて育てる! それが一番!」
エレだって、悪い気はしないさ!
そうケラケラ笑うブルース。
思いつきもしなかった事に俺は光を見た。
「……おい、ディーン! 一体どうしたっていうんだ?」
「悪い。ブルース。でも助かった……ありがとう」
「っ!! お前はそういう所がずるいよな!!」
「は? 何が?」
「くそっ! もういい! さっさと何処へでも行け!」
俺は今仕入れた情報を生かす為、すぐさま薬店を出た。
◇◆◇◆◇◆
エレインを褒める。そして、許しを乞う。
ブルースのお陰で光の差した方法はすぐさま行き詰った。
「お前は美しい……えっと、道端に生える草、のように……??」
絶対褒めてない。
それだけは自分でも分かり、俺は自身のバカさに頭を抱えた。
「ちょっと待ってくれよ……そもそも褒めるってなんだ? 俺に嘘を言えって事か?」
そりゃ無理だ。
思った事ならすぐ言えるが、思ってもない事などどうやって言えというのだ。
そもそも、思ってもいない事が一体どこから出てくるのかさえ分からないのに。
「こ、こういう時は、本だ。 まず、図書館へ行こう」
俺は未だかつて一度も足を踏み入れた事のない本の城へと向かった。
――結果から言えば散々だった。
人を褒める本の場所を聞き、その本を捲れば、明らかなお世辞のオンパレード。
もっと違うのは無いかと聞けば、文庫本の場所を教えてもらい、臭すぎるセリフに撃沈した。
こんな言葉を並べたてて、エレインは喜ぶのだろうか?
そもそも聞いてくれるのか? 最後まで?
聞いてくれたら奇跡。
だが、何も言わず、扉を閉めらる可能性の方が……
思ってない事は言えない。
お世辞も臭すぎるセリフも無意味。
そうなれば出来る事は一つ。
俺自身がエレインをどう思っているのかを考えるしかなかった。
(エレインは花っていうより、女神みたいなんだよな)
可憐というより、キリリとした立ち振る舞いは美しい。
(だけど、笑うと可愛いし)
一緒に寝転んでいたあの時、素直で可愛かった。
(それにあの柔らかい唇。本当に、甘くて美味かった)
出来る事ならもう一度。
もう一度と言わず、何度でも。
それを味わえたらどんなに良い事だろう。
唇だけじゃない。
蜂蜜色の髪を指で梳いてみたいし、華奢な身体は抱きしめてやりたい。
もちろん、愛称で呼びたいし、俺も名で呼ばれたい。
だから、謝るだけじゃダメで、どうにかしてノーティス行きを止めさせなくては――……
そこまで考えて、俺は口元を押さえた。
みるみるうちに体温が上がってゆくのが分かり、思わず周囲に誰もいない事を確認した。
「待ってくれよ……」
何で俺はこんな事を考えている?
相手はエレインで、友人だぞ?
友人。
俺はずっと彼女の事をそうだと思っていた。
だから雑に扱われるのは我慢ならないし、無視されると腹が立った。
彼女が傷つけられたと思った時は、なんとかしてやりたいと心の底から思ったし、寒がりな事を知っていたから、冷たい頬を温めてやりたいとも思った。
じゃあどうして。
どうして乱暴に馬を走らせ、彼女を必要以上に抱きしめた?
切り分けた野菜を口元に運んだ時、どうしてあんな事を考えた?
彼女が親書を受け取った途端――……その中身が気になった?
エレイン。
彼女が自分を頼らないから乱暴に走り。
彼女の唇が本当に美味そうだったから、思ったままを口にし。
彼女に関わる物だったから内容が気になった。
こんな事……ただの友人には、思わない。
くしゃりと前髪を掴み、苦笑いが零れる。
人目を憚らず、大声で自分を嗤ってやりたかった。
「バカだな……俺」
思ったままを口にするくせに、自分が何を想っているか、ちっとも気付いていなかったなんて。
「こうしちゃ、いられない」
俺は今知った自分の心に惑いつつ、図書館を後にした。
いつもお読みいただきましてありがとうございます(*^_^*)




