32.中身
視点変更あります。
ディーン ⇒ エレイン
「親書の中身は派遣依頼証だ」
「派遣依頼……? どこへ?」
「ノーティスだ」
「はあ、そりゃまた遠いな」
アスタシアの王都は国の中心から少し南側にある。
ノーティスは隣国だが国の北側に位置しており、そちらへ向かうには山や道も悪い場所がある。その為、行くには一カ月ほどかかる近くて遠い国だ。
「元々、技術交換派遣といって国の研究者を交換する事が決まっていてね。それを誰にするかずっと協議していたのだよ。それがこの度決まったので、当人へと伝えたってわけ」
「ふうん。そんな話だったのか」
自分とは全く縁の無い所で、そういう事もやっていたのか。
……いや無関係とは言えないか。俺も騎士としてもっと政策を知るべきだな。
「交換って事は、代わりに誰か来るのか?」
「そうだね、同じ人数を交換する事になっているから予定では五人かな」
「そうか」
なるほど。
それにエレインが選ばれたって事か。
やるじゃないか。
「……で、どれぐらいで帰って来るんだ? 一カ月ぐらいか? 三カ月ぐらいか?」
そう言った俺にアルフレッドは「それじゃあ、行って帰るだけじゃないか」と言う。
たしかに……でも、そんなに長い訳ないじゃないか?
だってエレインが行くんだろ?
「そうか、半年か。まあちょっと長い気もするが、それぐらいは仕方ないのか」
これまでちょくちょく顔を合わせていたが、それもなくなるのか。
少々寂しくなるな……でも、待てよ?
行き来に日数がかかる以上、安易に帰ってくるとも思えない。
期間は移動の日数も加えたら、およそ八カ月。季節によってはノーティスで足止めを食らう可能性もある。となると――……
そんなに長い間、全く顔を見られない。
そう気が付いてしまった瞬間、心臓を鷲掴みにされたような苦しさに襲われた。
「――アル、もちろん休暇には……帰ってくるんだよな?」
「それは当人たちが決める事だから僕には分からないよ」
「だが、そんな事を言っていたら……!!」
「国としては派遣を依頼するだけで、細かな日程を縛る事は出来ない」
「しかし!! 半年なんだったら、ちゃんと半年で帰ってくるようにするべきだろ!!」
そう声を荒げると、アルフレッドは困った表情を浮かべた。
「……ディーン。半年、じゃないよ」
アルフレッドは続ける。
「技術交換派遣っていうのは、技術の交換だけがその使命ではなく、その先――……技術の融合にある。つまり、新しい技術の開発だ。よって……」
……後に続く言葉が、全く頭に入ってこない。
何言っているんだ、アル。
新しい技術なんて簡単にできるわけないじゃないか。
なのに、なんで……?
「――恐らく派遣期間は十年単位。……いや。それこそ一生かもしれない」
「バカな!!」
「技術交換師の使命は、一生をその研究に捧げるんだ」
「じゃあ、エレインは………!!」
バンッと机を叩きつける俺に、アルフレッドが目を伏せる。
「……彼女がこの依頼を受けるなら――……」
とても長い間、ノーティスで過ごす事になるだろうね。
俺はアルフレッドの言葉を最後まで聞かず、部屋を飛び出していた。
◇◆◇◆◇◆
あたしはディーンと別れ、屋敷に戻った。
「またな」と言った彼に「おやすみなさい」としか返せないあたしは、彼の姿が見えなくなっても、その方角をしばらく眺めていた。
その後、旅の疲れを癒す為、湯浴みをし自室へと戻る。
「ついに、この日が来たのね……」
あたしは一人呟き、封筒を両手に持った。
何の飾り気もない封筒は、本当にこれがあたしの人生を賭けた親書なのか疑いたくなる。
もちろん配達に係わった自分は、それが全くの杞憂である事を知っているけれど。
封筒にナイフを当て、スッと上部を切り開く。
中から出てきたのは、明るい黄色――カナリア色――の便箋が数枚と、手のひらサイズのカード。待ち望んでいたはずの通知は、少しだけ重たくて――……寂しい香りがする。
――違う。
一人で異国に行くのだから、ちょっと傷心になっているだけ。
あたしは自分にそう言い聞かせ、中身を確認する。
内容は想像していたものと同じで、技術交換師としての派遣依頼証で間違いなかった。
交換師として志願をしたのは一年前。
自分の薬草研究をもっと高める為に新しい土地へと旅立とうと決心した。
その間も書物を読む事に時間をかけ、より多くの知識を吸収する傍ら、研究にも精を出した。
途中、古代文字の読めないディーンの補佐として、国中を回ったのは予想外だったけれど。
とにかくあたしは、今のように薬草の研究ができればそれでよかった。
たとえそれが、アスタシア王国内じゃなかったとしても。
ううん。
むしろあたしは、出て行きたかったのだ。
(これで、ようやく消える事が出来る)
研究一筋の人には後ろめたいけれど、役目はきちんと果たすのでそこだけは目を瞑ってもらいたい。
「さてと。忙しくなるわね」
一人呟き、ベッドへと向かう。
久しぶりのベッドは広くて、なんだか悲しい。
明日から忙しくなるので、もう登城はしない。
室長にも話は通っているし、薬品補充の為、鍛練所へ行く事もない。
準備があるから図書館にも行かないし、城下を歩く事もない。
旅を終え、帰宅した今。
もう二度と彼に会う事はないのだ。
(さよなら、ディーン)
望んでいた事がやっと果たされる。
そう思って眠ったのに、翌朝、枕はしっとりと濡れていた。
◇◆◇◆◇◆
早朝、工房へと向かい室内の整理を始めた。
愛猫エドガーをアリアに託し、上から順番に埃を落としてゆく。マメにとは言えない頻度で掃除をしていた為、外から近い部屋はそれ自体が大仕事になりそうだ。
あたしは慣れ親しんだ品を手入れしながら、品々の行き先を考える。
愛用している道具は全て持って行くつもりだし、完成した香水やお香は買い取ってもらおうと考える。
沢山ある書物は……お気に入りを除いて王立図書館へ寄贈しようか。そうすればお世話になった図書館への恩返しになるだろう。後、他には……
「……わっ! これ、いつ調合したお香だろう……?」
埃まみれになっている瓶をつまんで日付を確認し、一人ギョッとした。
「ほぼ七年も前じゃないこれ……」
その年は丁度あたしが薬草に興味を持ち始めた頃だ。
図書館で借りて来た本を参考に、見よう見まねでお香を作った。でもたしか、足りない材料を野草で代用したから……
「臭っ!!」
ありえない!
自分で作っておいて、なんて物を生成してしまったんだろう? 材料が勿体ないわ!!
あたしは小瓶を廃棄ケースに入れようとし――……やっぱり、やめた。
手に持っているハタキで丁寧に埃を払い、そっと机の上に置く。
見慣れすぎた、よくある形の小瓶。
手のひらに収まる大きさは便利で、香水やお香、薬までいろいろなものを詰めてきた。
最初はうまく中身を入れる事が出来なくて、瓶の口が小さい事を愚痴ってたっけ。
それもだんだん慣れてきて。今では口広の瓶は邪道だなんて思ってたりする。
お香も香水も薬も。
もう本当に沢山作って、時間があればすぐに調合して。
今度はあれを入れてみよう。その次はこの花を入れてみよう。
毎日が充実していて、本当に楽しかった。
時が経って、大人になって。こんな風に楽しんで作った物が、今度は人の役に立つ事を知った。
それは同時に自分をも満たしてくてれ、薬師という仕事が大好きになった。
誰かに使ってもらって、喜んでもらったり、楽しんでもらったり。
時にはプレゼントとして贈る事もあり、そんな時は可愛くリボンをかけた。
あたしはそっと色褪せたリボンを撫でる。
その色は、ブルー。
『なんだよこれ、くっさいなー!! ゴミを渡す気かよ、エレ!』
匂いと共に思いだされた、苦い記憶。
心の奥底にずっと隠していた、触れたら今でも痛い、想い。
もちろん匂いがありえないぐらい臭かったのは事実なので、言われた事に間違いはないのだけれど。
でもあたしは……この言葉ですごく傷ついた。
どうしてって、考えれば、やっぱり。
(一番言われたくない相手に言われたからよね)
以来、あたしは少しずつ彼を避けるようになった。
それでもふとした瞬間に傷つく事が増え、自分の心に魔法をかけた。
あたしは、気が強くて頑固なエレイン=アーサーズ。
何を言われても言い返せるだけの強さがある。昔と変わらない。
あたしと彼は犬猿の仲。
顔を合わせれば喧嘩ばかりする。昔と変わらない。
あたしは誰の事も想ってはいない。
今感じているこの気持ちはすべて気のせいだ。昔と、変わらない――……
この魔法が解けてしまえば、あたしは彼の一挙一動で飛び跳ねたり、涙を流してうずくまってしまうだろう。
そんな姿を見せたくはない。
昔からの喧嘩友達が、自分の些細な言葉でこうも変わるのだと、彼に気付いてほしくない。
いつしかあたしは彼を家名で呼び始め、自分の事を愛称で呼ぶなと伝える。
愛称で呼ばれる事で、また勘違いなどしたくは無かったから。
そうして年を重ねるにつれ、彼もあたしを愛称呼びしなくなり、同時に遊びに誘ってくる事も無くなった。
表面上は縁が切れように見えた。
喧嘩しながらでも、毎日のように話していた日々はもう帰ってはこない。
自分でやったことなのに、寂しくて寂しくて、沢山泣いた。
そんな中、唯一の誤算があった。
彼は不当な扱いに納得がいかなかったのか、あたしを見かけるたびに、必ず声をかけてくるようになった。ただし、用事があるわけではない。
苛立っているのか不機嫌な顔をしている彼。
口調もどこか棘があり、嫌われたのだと分かった。
話すのが辛かった。
棘のある言葉をかけられる度に、泣かないでいるのに必死だった。
あたしは魔法に頼り、キツイ口調で言葉を返す。
もう話しかけないで。
それなのに、彼は声をかけてくる。
迷惑。
嘘。本当は嬉しい。
その度にあたしは嘘の魔法をかける。
自分の気持ちを悟られない様に。
傷ついた自分を、優しい彼に知られないように。
「……いかんいかん、早く片付けなくっちゃ」
あたしは一人首を振り、色褪せたリボンのかかる小瓶を廃棄ケースへと収める。
――こうして人生初のお香は、本日をもって本当のゴミになった。
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます!!(*^_^*)




