2.ディーン=エメリー
鍛錬を始めてから五分程度。
他の男共に混じり、ビリーと打ち合いを始めた俺は最高に不機嫌だった。
(一体何なんだよあいつ! いっつも俺をコケにしやがって!!)
「イラついてるなッ! ディーン!」
「うるさいぞ!! ビリー!」
鍛練用に剣先を潰した獲物でビリーへと仕掛ける。
左、右、正面、右……。
良い反応を示す奴と剣戟を繰り返しつつ、ようやく出来た隙へと獲物を滑り込ませる。
しかし、その場所は罠。
面倒な事をしてくる奴だった事を思い出し、慌てて体勢を立て直す。
そんな珍しく釣られかけた俺に、ビリーはクスクス笑う。
「そんなに、俺が、子猫ちゃんに、話しかけたのが、気に入らなかったのか? っと」
「そんなんじゃねえよっ!」
イラッとして、つい力任せにビリーの剣を弾き飛ばした。
その勢いで奴も後ろに吹っ飛び、「しまった」と苦い思いが頭を走る。
ただビリーは気にした様子もなく稽古着を叩き、剣を拾い上げるとヘラっと笑った。
「そうやってムキになるところが怪しいんだけどな」
「……残念ながら、お前が思っているような事はねえよ」
「いーや? ちっとも残念じゃないよ? 俺、また声をかけようかなあ?」
「やめとけ、ほんとに草の話を一日されるぞ」
「ヤキモチ?」
「違う!! ……ああもう! 勝手に誘えばいいだろ!」
折角、人が親切心で言ってやってるのに。この馬鹿ときたら聞きやしねえ!
俺はビリーに背を向けその場から歩き出す。
背後からは「じゃ、またな! ディーン!」と、気の良い声が聞こえ、同時にこちらに向けられていた視線が瞬時に逸らされる。
心地の悪い視線も、自分の通り道が不自然に開ける事にも、もう慣れた。
しかし、ボソリと聞こえる悪評には一瞬ムッとしながらも、俺はそのまま鍛練所を出た。
◆◇◆◇◆◇◆
王城の廊下を無言で歩く。
普段ならすれ違う騎士達も多い中、自身の靴音だけが響き渡っている。
高く、無遠慮に鳴るその音すらも煩わしく、俺の表情は、誰に会うか分からない廊下を歩く騎士としては、ありえない仏頂面だった。
(くそっ! イライラする!!)
思い出せば出すほど苛立ちで目がつり上がり、気が付けば、近くの壁に拳を打ち付けていた。
エレイン=アーサーズ
あの薬師にどうにかして自分の存在を認めさせてやりたい。
事あるごとに俺を馬鹿にし、雑に扱うあの女には本当に腹が立つ。
そこにビリーの言うような甘い感情なんて存在せず、ただ純粋に認めさせたいという思いのみ。
しかし、その為にはどうすればいいのか見当もつかず、エレインを見かけては声をかけるだけの自身にも苛立っていた。
(昔からあいつは……!)
エレインとはかれこれ八年を超える付き合いになる。
大人しそうな見た目とは裏腹に、言いたい事ははっきり言う奴で、自分がコレだと思った事に対しては他の意見など全く聞かない頑固者。
初めて会った八つの頃、ガキ大将だった俺にも物怖じせず喧嘩を仕掛けてきた姿は、今でも鮮明に思い出せる。
興味のある事をどんどん吸収して行く集中力と、自分の考えた事をすぐ実行する行動力。
それらが令嬢に必要なのかは知らないが、羨む奴は多くいる事だろう。
しかし、そんな事は関係なくて。俺を避けている事自体気に入らない。
(……あいつは他の奴らと違って、俺の事を怖いから逃げているんじゃない)
それが分かるから、余計に腹が立つ。
「――おや、こんな時間に鍛練所を後にしているなんてさすがですね」
「ほんとだ、噂に違わない身勝手な行動」
名前こそ言われていないが誰の事を言っているのかは分かった。
複数人で本人を目の前に嫌味を言うとは、同じ騎士として恥ずかしい。
ただ俺はとある件で悪目立ちしており、標的にしやすい事も知っていた。
こんな奴ら、相手にするだけ無駄。
そう分かってはいたが、俺は相当イライラしていた。
「――うるせぇなあ、お前らこそ、遅刻じゃねえか」
元々怒りっぽい性格な為、我慢の限界はすぐに来る。
この性格は損だと言われた事もあるが、損得で性格が変えられたら誰も苦労しない。
「酷い口のきき方だねエメリー。僕らは君より上の階級だけど?」
金で得た階級のくせに何を言ってやがる。
大体こういった因縁をつけてくる奴は、金持ちの下衆である場合が多く、金で一番下の階級を飛ばした奴らだ。
少しでも上に行きたいという考えはいいとして、そのやり方は気に入らない。
「……お偉いさんは鍛錬に遅刻してもいいと言う気か?」
「僕らは鍛練などしなくても、優秀だからね」
俺はニヤニヤ笑う男を頭の先からつま先まで、ざっくりと眺める。
恐らく甲冑を着たら動けなくなりそうな細い身体と、古傷一つない、色も貴族令嬢の様に白い肌。
腰に佩いた剣は無駄に装飾品が多く、式典の時に使う飾り剣のよう。
まるで騎士ごっこをしている子供のような姿に、つい笑みが零れた。
「……君。何がおかしいの」
「いーや。お偉いさんは何の為に騎士になったのかと」
思ったままを口にすると「そんなのは陛下と殿下達を守る為に決まってるじゃないか!」と鼻息荒く返して来たので、思わず大笑いしてしまった。
「鍛練もしないで、誰を守るって? いざって時には、テメエを守ることすら危うい奴が?」
「な、なんだと!!」
「失敬な!」
口々に怒る奴らを鼻で笑い「なんなら、ここで試してみるか?」と挑発する。
すると、奴らの一人が「いいだろう!」と食いついてきた。
「じゃあ、すぐに始めるか」
「随分余裕だな」
男はニヤニヤ笑いながら他の奴へと目を向ける。そうしてから、「当然、エメリーは僕らを同時に相手してくれるんだろう?」と、言い出した。
卑怯な提案だが、それを通り越して呆れた。
複数で戦えば単純に戦力が増えると思っているのだろうか?
もちろん数が多ければ有利になるが、それはその優位さを上手く使えて成立する話。
ロクに鍛練も積んでいないやつらが、複数で戦い始めても互いの足を引っ張るだけだ。
「好きにすればいいさ。どの道、結果は変わらない」
「なんだと!!」
今にも飛びかかってきそうな奴らをニッと笑い「来いよ」と誘う。
少しは気晴らしになってくれるか。そう思いながら、仕掛けてくるのを待っていたら、奴らの一人が急に姿勢を正した。
「お前達! 廊下の真ん中で何やってる!!」
不意に聞こえた声に舌打ちした。
この声は第二部隊長の確か……だめだ。名前は思い出せねえ。
「はっ! 申し訳ありません!!」
「申し訳ありませんじゃないだろう! 今から喧嘩でも始める気だったのか!?」
「いえ、めっそうもありません!」
「ウソを言え。複数人で俺をボコる気満々だったじゃねぇか」
「な、何を言ってるんだエメリー!!」
ついそのまま口を開けば、奴らは揃って俺を睨みつける。
「鍛練所から身勝手に出ていったエメリーを注意していただけです!」
「何言ってるんだ? そもそもお前らは鍛練所にすら来ていなかったくせに?」
「上官!! こいつの言っている事は嘘です!!」
「ウソってお前ら……」
「耳を傾けてはなりません!!」
俺はこの会話が意味の無いものだとようやく気が付いた。
事実を言ってもこいつらは認めない。
認めないという事は、上官は判断が出来ない。
それに。
(結局俺が何を言おうと、何も変わらない)
なんせ、俺は。
「そうなのか? エメリー?」
こちらの言い分も聞こうと上官が尋ねてくる。しかし俺はもう口を開けなかった。
すると奴らは「上官がお尋ねだ! 早く答えないか!」「そうだぞ!!」と命令口調で言ってくる。
言ったって無駄じゃないか。
「……ああ。本当に面倒だ……いっそまとめてぶん殴ってやりたい」
黙っていようと思ったのに、考えが声になった。
それが完全にこちらの旗色を悪くする物だった為、奴らは調子に乗るし、上官も俺を黒だと決めたようだ。
「エメリー! 騎士というのはだな……」
俺は罵声と説教が終わるのを今度こそ無言で待ち続ける。その中には言われ続けた悪評が時折混ぜられていたが、その言葉自体にもう苛立つ事はなかった。
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