19.あたしの決意
ここ数日。ディーンとの距離が近い。
それは物理的な距離だけど、あたしの心はパンク寸前だった。
『寒かったか?』
『街でも見て回るか?』
言葉通りの意味でしかないのに、その中に何か隠されていないかと期待してしまう自分が居る。
(昔っからそうじゃない。ディーンはそういう遠まわしな事はしない)
むしろ、『出来ない』という方が正しくて。
だから隠れている意味など絶対にないのだ。
◇◆◇◆◇◆
夕食の時。初めてディーンがお酒を飲んだ。
元々飲むという事は知っていたけれど、任務中だから控えていたのだろう。
それを当然だと思っていたし、残念だとも思っていた。
こんなチャンスは最初で最後かもしれない――
あたしは寝巻を脱ぎ棄て、動きやすい服装へと着替える。
ファンダムの夜はとても寒く、でも外套を羽織る訳にもいかないので、寒さから身を守る香を纏った。
香りなんて本当はしない方がいいけれど、自身の香りを誤魔化す意味もあるから良いだろう。
そうして準備を終えたあたしは、隣室へと向かった。
『扉は開けっ放しにしておく。何かあったらすぐに来い』
そう言ってくれた事があたしにとって幸い。
難なく彼の部屋へと侵入し、暗がりの中、目を凝らした。
ぼんやりと見えてくるのは自分の休んでいる部屋と同じ間取り。
向かって右手に荷物を収納する戸棚と、書き物用の机と椅子。
窓際に置かれた丸いテーブルには水差しと、コップが置かれている。
そして左手側にはシングルのベッド。
窓から柔らかに注ぐ月明かりが、仰向けになって眠るディーンを照らす。
うすぼんやりと光を受ける髪は、ほぼ黒に近い真夜中の青。
時に本当の黒よりも黒らしい色を放つ青は、まだ 黒 じゃないのに、殿下を安心させてあげたいと、思ったままを発した貴方に相応しい色だとあたしは思う。
だけど青は黒じゃないから、周りからは理解されにくく、要らぬ苦労してしまう。
(……だから『損な性格』って教えてあげたのに)
もちろんそんなところが、貴方の良い所だってわかってる。
でも同じだけ……ううん。あたしにとっては、悪い所でもあるって……気付いてる?
嘘はいらない。本当の気持ちだけが知りたい。
そう思っているのに、自分にとって知りたくない真実だったらやっぱり――……優しい嘘が欲しい。
でも思ったままを口にする貴方から、優しい嘘なんて絶対に出てこないと分かっている。
(――傷は癒される事無く、増え続けるだけ)
だから。
あたしはディーンの枕元まで歩みを進めると、そのサイドテーブルに置かれているザックを掴む。
彼が片時も離さない、大事な物。
その中身へと手を伸ばす。
これは、あたしが持っているべき。
そう考えて、ザックから親書を抜き取ろうとし――……息が、止まった。
「何をしているんだ」
低い声が背後から響いた。
気が付けば後ろから身動きを封じられ、首元にはナイフが突きつけられていた。
「その親書はアルから預かった大事なものだ。たとえお前でも、中身を見る事は許さない」
「ち、違うわ。そうじゃないの、エメリー様」
怒気を含む彼の声色に、あたしはウソをついた。
本当に親書を抜き取ろうとしたなんて知られたら、殺されてしまう。そう思ったから。
しかしディーンはあたしを離してはくれない。
無理に動けばナイフが当たる。
馬上で自分を抱きかかえてくれていた時よりも強い力は、どうやっても跳ね退けられそうにない。
「ふうん。じゃあ、こうか?」
ちゅっと音がすぐ側で聞こえ、首筋に口づけされているのだと気がついた。
思考が停止しそうになるのをどうにか留めて、「な、なにするの!」と声を上げれば、「俺が休んでいる間に、こうやって寝室に忍び込む。それは、こういう事を期待しているんだろ?」と、くつくつ笑った。
普段と違う彼が怖かった。
「ち、違うわ!!」
「じゃあ、なんでこんなとこに来た?」
再び、低い声で問われる。
大事な親書に手を出した事を、猛烈に怒っている。
それを正しく理解して、あたしは震えあがった。
「答えろエレイン。どうしてここへ来た?」
今ここで、すべてを言ってしまおうか。
言ったら、ディーンはどんな顔をするのだろう。
驚くのだろうか。それとも、興味ないと言うのだろうか?
この件は本当に知らせるつもりなんてなくて、その反応を自分の目で見る心構えなんて出来ていない。
伝えれば彼はきっと正直にその思いを口に、そして表情に出すだろう。
それが自分の望む言葉ならとてもうれしい。
それこそ、なんでもっと早く伝えなかったのだろうと、後悔すらするだろう。
しかし、今までの間柄を考えれば、そんな嬉しい想像は出来ない。
自身の望む言葉が出てくる可能性なんて、ゼロと言っても過言ではないだろう。
だから、伝えるのは無理。
やっぱり直接反応を見るのは怖い。
ディーンが腕に力を込めた。
馬上で自分を温めてくれていた体温と同じハズなのに怖くて、震える。
触れるか触れないかギリギリのところにあるナイフも現実味がなく、彼の問いに返事が出来なかった。
「……言わないなら、さっきの続きをするぞ」
声と共に拘束されたままベッドの上に倒れた。
ディーンが体勢を変え、あたしはいつの間にか彼に見下ろされている。
「……このまま、黙って奪われるか。それとも白状するか。どっちにするんだ?」
本気だ。
そう感じて、恐怖で体が震える。
事実を伝える勇気も無く、このままディーンに奪われるのも怖い。
どうしてあたしはディーンから親書を抜き取れるなんて思ったのだろう?
抜き取れるわけないじゃない。
大事な親書を殿下自ら託されるような人なのだから。
「ごめん、なさい……」
泣くな。どう考えても自分が悪いんだから。
震える声を必死で堪え、切れ切れに伝える。
「――エレイン、正直に言え。この親書を奪って、誰かに通じている。という事はないんだよな?」
ディーンの問いにコクコク頷く。
「今回の事はエレインが、興味本位で親書を見たかっただけだよな?」
再び、頷く。
するとディーンは「はぁ……」と息をついて、そのままあたしの上に倒れ込んできた。
「……脅かすなよエレ。俺はお前を尋問しないといけないのかと思ったんだからな……」
「ご、ごめんなさい」
蚊の鳴く様な声で謝罪すると、ディーンが顔を動かしたのか耳元で吐息が聞こえた。
「……もう二度とするなよ?」
今までが怖ろしい言葉が多かったせいだろうか。耳の傍で聞こえた声は酷く甘ったるかった。
(――不意打ち、よ)
意識してしまったら最後で。
手も、足も、身体も。
彼に触れられている全ての場所が熱くなり、心臓が息苦しいほどに鳴り響く。
場違い過ぎる緊張で顔が火照ってきて、こんな顔、ディーンに見られたらと思うと、また顔が熱くなる。
あたしは今、ディーンの逆鱗に触れて、危うく酷い目に合うところだった。
なのに、彼があたしに危害を加えないと分かった瞬間、こんなにも彼の声は心を震わせる。
「……エレ。お前、良い匂いするな」
ディーンがスンと鼻を鳴らし、再度香りを確かめる。
それだけでまた心臓が跳ねた。
「そ、そお? 今日買った、防寒香のおかげかな……」
「ボウカンコウ? なんだ、それは?」
「ほ、ほら、アスタシアの冬は寒いでしょ? 外を旅するのに寒くならないよう、香りを纏うの」
「ふうん。おもしろいな。香でそんな効果があるのか」
うんと返事をすれば、「それはいいな。荷を少なくできるのは便利だ」と、感心してくれる。
「エレは自分で作れるのか?」
「もちろんよ」
「へえ。そりゃすごい」
褒められて心が温かくなる。
嬉しくて、声の聞こえる方へ少しだけ視線を向けると、彼が柔らかく笑っているのが見えた。
そこでまた胸が締め付けられるような気持ちになって、あたしは慌てて、天井へと視線を戻す。
「……ディーンも、いる?」
「そうだな。もっと寒くなったら……」
「うん。わかった」
なんだかすごく久しぶりに喧嘩にならなかった気がする。
普通の話をしている時なんて、いつも数回言葉を交わすと喧嘩腰になってしまうのに。
顔が見えないから、うまくしゃべられるのかもしれない。
それに今のディーンの声。すごく心地いい……。
「なあ、エレ」
「なあに、ディーン」
「俺達……話をする時、いつもこうやって話さないか?」
「え?」
「だって、この方がちゃんと話せている気がする」
ディーンも同じ事考えてたんだ。
そう思うと笑みが零れる。
やっぱり喧嘩ばっかりするのは疲れちゃうもんね?
普通に話せたらそれが一番良い気がするし、それなら――……
「こうやってエレを下敷きにしていると、俺の征服欲が満たされる」
……はい?
今、なんて?
場違いな単語に疑問符が飛んだ。
その間にもディーンは「……そうしたら、多少エレに嫌な態度を取られても、すぐにこうやって下敷きにすれば……」などと、意味の分からない自論を続けていた。
ええっと。つまり。
「……あたしが平身低頭していたら、良いって事?」
「ヘイシン……?? まあ、そんなとこか?」
「…………」
あたしは足を上げ、そして角度を変え振り降ろした。
ゴンッと踵がぶつかる音がして、攻撃が決まった事を確信する。
「痛ってぇ!!」
「『痛ってぇ』じゃない、退け。ヘンタイ」
体勢を少し起こしたディーンがあたしを見下ろす。
しかし、あたしは怯む事なくギロリと睨み返し、「退け、ヘンタイ!」と、もう一度罵った。
「な、なんだよ!! エレ!! さっきまではあんなに大人しく……」
「愛称で呼ばないでください、エメリー様。迷惑です」
「なんだと!!」
やっぱり喧嘩になった。
甘い声とか心地よいとか、さっき思った事は全て気のせいだ。うん。間違いない。
あたしは自分自身にそう言い聞かせる。
あれほどディーンの言葉に他意はないと分かっていたはずなのに、自身の望む言葉に変換してしまっていた自分を殴ってやりたい。
そう。殴って、忘れて、こんな想いはなかった事に。
これを無理やりだなんて誰にも言わせない。
たとえこれが自分に向ける嘘の魔法だとしても。
「はやくどいてください、重くて潰れます」
「くっ!! このまま潰してやろうか!!」
「叫びますよ。騎士様が不埒なまねをすると」
ディーンは「クソ!!」と、悪態つくと、ようやくあたしの上から退いた。
「金輪際、あたしに触らないでください。でないと不埒な騎士だと触れまわりますから」
「な!! さっきのは、お前が親書を!!」
「済んだ事を蒸し返すなんて男のする事じゃありません」
「あー!! もう!! なんだっていうんだ!! 俺が何をした!!」
「あたしをペタンコに潰そうとしてました」
「違う!! あれはそういうんじゃ……」
「ペタンコじゃないならやっぱり不埒な……」
「ああっくそ!! もういい!! さっさと出て行け!!」
「言われなくても出て行きます」
あたしはひらりとベッドから降り、扉へ近づく。そして「ごきげんよう、エメリー様」と、いつものように厭味ったらしく言い残し、部屋を後にした。
いつもお読みいただきましてありがとうございます(*^_^*)