17.子供の頃
ある春の日、一組の家族が引っ越してきた。
その家族は親父の知り合いのようで、「やっとこっちに来る気になったかデブショウめ」と、デブと悪口を言っておきながら、顔はニヤニヤしていたのが気持ち悪かった事を覚えている。
とりあえず詳しく聞いてみれば、俺と同じ年の子供がいるらしい。
この辺りを取り仕切る俺としては、そいつがどんな奴なのかテーサツに行くしかないだろう。
屋敷から歩いて三十分。
ずっと人気のなかった屋敷に慌しく人が出入りし、荷物が運ばれて行く。
(そういえば最近、やけに手入れをしていたな)
城下の事は何でも知っている。
俺は一人頷き、越して来た家族が出てくるのを待った。
そうして目にしたのはハチミツ色の髪を持つ子供が二人。
一人は背も小さく、トテトテともう一人――姉だろうか?――の後をついて歩いている。
その様子はとても同い年には見えないので、姉の方が俺と同じ年なのだろう。
日に照らされた髪は綺麗だと思った。
濃い赤みがかった紫の瞳はお袋の持っているナントカって宝石みたいだった。
大人しそうな雰囲気を持つ姉弟を見て、俺は遊び相手というより『守るべき対象』と位置付けた。
(引っ越しが終わって少し経ったら、みんなに紹介してやろう)
俺は一人頷き、家に帰った。
◇◆◇◆◇◆
しばらく経ったある日。
いつものように遊びに出かけた俺は、聞き覚えのない声を背に受け振り返った。
そこに居たのはあのハチミツ色の姉。
フリルのついたドレスに何故か両手を腰に当て、体を反っている。
さらに、宝石のようだと思っていた目はつり上がり、膨らんだ頬はほんのりピンク色に染まっていた。
「貴方。許さないんだから!」
「は? なんだよ、いきなり!」
俺は反射的に言い返した。
彼女の顔を見て、『そうだ。そろそろ紹介しないと』と思っていたのに、急にぶつけられた怒りでその思いはどこかに吹っ飛んでいた。
「分かってるんだから! 貴方がこの辺りのガキ大将なんだって事!」
「だったら、なんだっていうんだ!?」
「まだしらばっくれる気!? 情けない男ね!」
「なんだと!!」
侮辱された。
その事だけは正しく理解した俺は距離を詰める。
背は俺の方が高い。もちろん体も俺の方が大きい。
でも俺は対等な喧嘩相手としてハチミツ女を見下ろす。
彼女は怯まなかった。
瞳に揺るがない意思を宿し、こちらを睨みつける様は、大人しそうだと思ったあの日の印象を完全に覆す。
「リックにイジワルする貴方を、あたしは許さない!!」
「お前に許される必要なんてない! 大体リックって誰だよ!」
「まあ!! 自分がイジワルした相手の名前も覚えていないの!?」
「バカな!! 友達の名を忘れるわけないだろ!?」
「友達だと思ってないから忘れてるんでしょ!?」
強気で言葉を返してくる相手に「この辺りで友達じゃない奴はいない!!」と、言い放つ。すると彼女の目が真ん丸になり――……そして。
「よお! ディーン! お前もやってんのか?」
聞き慣れたダミ声に振り返れば、自分より一回りほど大きい男がニタニタと笑っている。
奴の名はブルース。
以前からつるんでいるが、ある一点に対しては意見が合わず、喧嘩ばかりしている友達だった。
「ブルース。俺もやってんのか。とは、どういう意味だ」
一点だけ意見が合わない――
それは弱い者にとっては良い気分のしない遊びの事だ。
「何言ってんだ、ディーン。現に今、お前もシンザンモノを教育してたんだろ?」
「何の事だ? 俺はいきなり文句をつけてきたこの女と話をしているだけだ」
「そうは見えなかったぜ。やっぱりお前も俺と同じで、弱いヤツは強いヤツに……」
「そんな気はない!!」
ニタニタと笑うブルースを睨みつける。
「その話に関して、俺とお前は意見が合わない」
「そうかぁ? お前は絶対俺側だと思うけどな」
「弱い者を好きに使ったって楽しくないだろ?」
「いや? 俺は楽しいけどな」
高らかに笑うブルースに、俺は胸倉を掴む。
「お前のデカイ態度は嫌いじゃない。だが、そういう所は大嫌いだ」
「嫌いで結構。俺は俺の好きにやるだけさ」
「そんな事はさせない」
「お前一人でみんなを守る気か? はははっ!! 無理無理!」
「無理かどうかはやってみないと分からないだろ!?」
その言葉が合図になった。
ブルースは俺の手を振り払い、ドンっと体を突き飛ばしてきた。衝撃に耐え、尻餅をつくのを回避した俺は突進するように奴の懐に飛び込む。
「前々からお前が気に入らなかったんだ! ディーン!」
「だったら、そう思った瞬間に言えよ! ブルース!!」
もつれるように地面に倒れ込み、髪や頬、襟元を引っ張り、転げ回るように手を上げる。
服が土で汚れ、頭や手のみならず、顔までも砂ぼこりに塗れた。
口に砂が入り、ザラリとした感触に顔を顰める。
それを自分の優位だと思ったらしいブルースがニヤリと笑う。
「威勢が良いのは口だけだったようだな、ディーン!」
「俺をバカにするにもいい加減にしろ!!」
のしかかっていたブルースの腹に片足を当て、もう片方の足で思いっきり地面を蹴飛ばす。
蹴り上げた反動で奴の体が浮き、背中から地面へと叩きつけられる。
「やったな! この!!」
「それはこっちのセリフだ!!」
お互い飛び起き、もう一度取っ組み合おうとしたその瞬間。
「いい加減になさい!! ブルース!!」
聞き覚えのあるガラガラ声にブルースが反応し、そちらへと視線を走らせる。ほぼ同時に、奴の顔が世にも恐ろしい物を見たように引き攣った。
「げえっ! かーちゃん!!」
俺も肩で息をしながら振り返れば、ブルースより更に五周りほど大きい女が湯気でも出るんじゃないかと思う程、顔を真っ赤にしていた。
「いくら子供同士の喧嘩といえど、次期侯爵様になんて事を!!」
「コーシャク、コーシャクってそんなにコーシャク様が偉いのかよ!!」
「偉いに決まってんじゃないか!! このバカ息子!!」
ブルースの母さんは奴の耳たぶを引っ張り、耳の穴に向かって怒鳴る。
怒鳴られたブルースはと言えば、叩かれた教会の鐘のようにグラグラと左右に揺れた。
あれはかなり痛そうだ。
今まで喧嘩していた事も忘れ、ブルースに同情した。
「ディーン坊ちゃん、本当にうちのバカ息子がご迷惑をおかけして」
「いや。ただ喧嘩してただけだから、迷惑はかかってない」
それに坊ちゃんだなんて気持ち悪いから止めてくれ。
心の底から嫌そうな顔をして首を振れば、ブルースの母さんは「ディーンは正直すぎるねえ」と、表情を崩した。
「この馬鹿には良く言って聞かせておくから、これからも仲良くしてやってね」
「なっ!! なんでこいつと!!」
「おだまり!!」
鬼の顔でピシャリと怒鳴りつけた後、ブルースの母さんが微笑む。
それは同じ人だとは思えない程穏やかな笑みで、初めて見たわけでもないが、女は恐ろしいと思った。
「じゃあ、あたしらはこの辺で」
「あ、ああ……。さよなら、ブルースの母さん」
じゃあな、ブルース。
そう言って、片手を上げれば、奴はプイッと顔をそむけ返事をしない。そこをまた母さんに怒られ、ぶん殴られていた。
「……お前も懲りないよな」
「うっせーっ!! 覚えてろよ、ディーン!!」
忘れるわけないじゃないか。
俺らが喧嘩するといつもこのパターンなんだから。
俺は引きずられるブルースを見送り、自分は遊びに行こうと逆の方向を向く。
すると、そこにはハチミツの姉が居た。
「あ、あの……」
「何だお前。まだいたのか」
「ま、まだって!! ブルースのお母様を呼んだのはあたしよ!!」
「へえ。そうだったのか。ブルースは災難だったな」
「……何言ってるの貴方? 災難だったのは貴方じゃない……」
「?? そうか? どう考えても耳元で怒鳴られる方が災難だと思うけどな」
ハチミツの姉はポカンとしていた。
その表情はさっきまでの強い力を感じず、こっちの喧嘩は知らないうちに終わったのだと気が付いた。
なら、もういいか。
そう思った瞬間、みんなに紹介しようと思っていた事も同時に思い出す。
「なあ、お前――」
明日、暇か?
そう続けようとし、一歩前に出ると。
「貴方……ひょっとして、バカなの?」
ピシリ。と青筋が浮くのを感じた。
「だってそうじゃない? 誤解で喧嘩を売られた挙句、違う騒動にも巻き込まれてるのに、自分が災難だったって気付いていないんだもの」
ハチミツの姉が言った言葉は頭に入ってこなかった。
ただ俺には、この目の前にいる大人しそうな女が、自分を馬鹿にしたのだという事実のみを理解した。
(こいつは、『守るべき対象』じゃない――……)
こいつは。
こいつは……!!
「お前も俺をバカにする気か!? 女だからって容赦しねえ!!」
「バカにする気っていうか、ただ事実を!」
「それをバカにしてるて言うんだ! 表に出ろ!! このハチミツ女!!」
「ここはすでに表よ!! やっぱりあんたバカなのね!!」
本日二戦目になる喧嘩は殴り合いではなく、口喧嘩だった。
口の悪い俺に怯える事無く、ハチミツ女はハッキリと言い返してくる。
普通の女なら、もう泣いてしまっているだろうやり取りはしばらく続き。それを止めたのは通りがかった俺の両親。
両親の向かう先はハチミツ女の屋敷だったのだから、ある意味見つかって当然だった。
そうしてこっぴどく叱られた俺は、ツンとすましたハチミツ女に「覚えてろよ!」と、さっきブルースに言われたセリフをそのまま返し、ハチミツ女はハチミツ女で「もう忘れましたわ」なんて言いやがる。
許せない。
絶対俺を覚えさせてやる!
こうして俺は翌日から足しげく、エレインの屋敷に通い詰める。
最初、俺の顔を見たエレインは驚いた表情をして「本当におバカさんなのね」と、言い放ち、また喧嘩になった。
それはこの先ずっと続く喧嘩の始まりであったが、それでも俺の傍にはエレインがいたし、エレインの傍には俺がいた。
これは嫌な思い出ではない。
なんだかんだと言って、何でも言い合えるエレインの傍は心地が良かったのかもしれない。
いつもお読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)




