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12.一通目

 





 エレインの機嫌は最初っからあまり良くなかった。

 ……と、いうよりも、以前とちっとも変わっていなかった。

 

 あの日以来の再会を果たした時も結局喧嘩になったし、こうして旅を始めても会話は必要最低限。

 それは想像より大きく外れていて、少々残念だった。



 (……残念?)



 俺はその言葉を思い浮かべて頭を振った。



(別にいいじゃないか)



 俺はエレインと仲良くしたいわけじゃない。不当に扱われるのが我慢ならないだけ。


 そんなあいつは早々にバテて、宿に到着した途端、風呂に入りたいと言い出した。


 相変わらず自由すぎる発言と、その無防備さに呆れた。

 大体、風呂上りで人前に出ようなんて何を考えているんだか。


 他と比べ、いくらかマシな客層と言えど、ここは夜も店を開けている。

 そんな中、いい香りのする女が居たら、ロクでもない揉め事を引き込みそうな事ぐらい分かりそうなものなのに。


 そう考えれば、先日の早朝もやはり自業自得なんじゃないかと思う。

 現にあの時、俺が傍に居なかったら……結果は一つしかない。


 …………が。

 その結果は無性に苛立つものだった。



 (くそっ……! あいつら何発が殴っておけばよかった……!!)



 俺は早々にエレインを客室に閉じ込めると、情報収集の為、夜の街へと繰り出した。




 翌朝、王都へ定期報告を出し、(うまや)へ向かう。

 いつものように飼葉を与え、丁寧にブラシをかけ、そうして、鼻面を撫でてやる。

 真っ黒な瞳が嬉しそうに見つめるので、こちらも表情が緩んだ。


 俺は動物が好きだった。

 子供のころから侯爵家後継ぎとして領地を連れ回され、田舎の領民達と触れあう機会が多かったせいだろう。

 人手不足だとかりだされ、馬のみならず、牛や鶏、豚の世話まで手伝わされた記憶は今となっては良い思い出だ。


 結果として俺が領地を治める事は無くなったが、きっとミラーの方が上手くやるだろう。

 俺は領主ってガラじゃない。一介の騎士である方が気も楽だ。



 しばらく愛馬の漆黒の毛並みを撫でていると、ふと視線を感じて振り返った。

 道行く人が数人いるものの彼らではない事は分かり、そのまま目線を動かしてゆく。そしてすぐ、こちらを見る瞳を見つけた。


 エレインの愛馬だ。

 心なしか羨ましそうにしているように見え、そのまま視線を落とせば、散らばった飼葉が見える。

 どうやら主人の訪れがなく、寂しい思いをしているようだ。



「……しかたねぇなあ」



 俺は愛馬から離れ、隣の小屋へと向かった。



 エレインの馬は美しい栗毛の雌だ。

 主人の蜂蜜色の髪に負けないくらい艶やかな毛並みに、大きくつぶらな瞳。

 動物は飼い主に似ると言うが、この馬の性格はおとなしく、昨日エレインの代わりに水場へと連れて行く時も煩わしくなかった。


 ちょっとはこの馬を見習って、大人しくしていればいいのに。


 そんな事が一瞬頭を過り、そんなエレインを想像して首を振った。

 何故か顔に熱が集まった気がする。気持ち悪くて、青ざめるなら分かるのに。



 その後、身体を少し動かしてから宿へと戻ると、声をかけられた。


 給仕係の女だ。

 今朝、ここを出る前に街について尋ねたので、その結果が気になったのだろう。

 俺が情報についての礼を改めて言うと、女は機嫌よく笑い、他の客に聞こえない様耳元で囁いた。



「皆に内緒で大盛りにする?」



 有り難い申し出に俺は礼を言い、ニ階へと向かった。




 ◇◆◇◆◇◆




「エレイン。起きてるか」


 汗を軽く流した後、隣室をノックする。


 時間帯はまだ早い為、まだ寝ているかもしれない。

 ならばすぐに返事はないだろうと考え、壁に背を預ける。そうしながら、どれぐらいでノックを繰り返そうか、やはりノブを引っ張るのはマズイだろうかと考えを巡らせる。


 相手が男なら何も考えずに済むのに。


 煩わしさに眉を顰めると同時に扉が開いた。

 解錠の音もしなかった事に驚き、中から出てきたエレインを見て、眉間に刻まれるシワが深くなるのを感じた。



「……おはようございます、エメリー様」



 今日も機嫌が悪そうだった。

 口調が丁寧な時は機嫌が悪い。かと言って、砕けている時は大体喧嘩腰なので、やっぱり機嫌が悪い。


 何が気に入らなかったのか。


 宿の食事?

 ベッドの寝心地?

 それとも単に朝は機嫌が悪いのか?


 風呂はなかなかシャレている方だから、問題ないと思ったのだが……。


 考えてもその原因は分からず、やっぱり自分に下男は無理だと悟り。



「お前の侍女は大変だな」



 そうポツリと呟けば、エレインがキッとこちらを睨み、「貴方には関係ない事ですわ!」と、言い残して階段へと歩いていった。



「あーっくそ……一体何だっていうんだ」



 仲良くしたいわけじゃない。

 しかし、こんなのが続くのだと思うと、溜息しか出ない。


 それでも何故か案内役を変えてくれと手紙に記す事は無かった。




 ◇◆◇◆◇◆




 一通目の届け先は近かった。

 朝食後、街を後にした俺達は一度の休憩を挟んだ後、昼過ぎには目的地に到着していた。

 民家というには大きすぎるし、屋敷というには門構えもなく、敷地も何処までなのか境目すら分からない。そんな人里離れた小高い丘の上に、ぽつんと一軒だけ立つ家は奇妙だった。


 人嫌いの変わり者の家。


 そんな想像をしながら、獅子(しし)(かたど)った真鍮(しんちゅう)製のドアノッカーを叩く。



「あんたが、エルノー=カールソンか?」



 出てきた白髪の老人に尋ねれば、慌ててエレインが俺の前に立ちふさがる。



「不躾に失礼致しました。私はエレイン=アーサーズと申します。こちらは騎士エメリーです」



 名乗りながらエレインが淑女の礼を取るので、俺も少しだけ頭を下げる。



「私達、エルノー様に大切な用事があって参りました。是非お取り次ぎを願いたいのですが、お願いできますでしょうか?」



 そこまで言うと、白髪の老人は無言で頷き、扉を大きく開けて中へと目配せをした。



 老人は扉の脇に置いてあったランプを手に家の中へと入って行く。

 後に続いた俺達が目にしたのは、広い玄関ホールと、その両脇にある螺旋状の階段。そして、ニ階部分にある大きな窓に何故かカーテンが引かれているという事のみ。


 開かれていた玄関扉がパタンと音を立てれば、広い空間は途端に闇の中へと呑まれ、ランプの明かりでぼんやりと見える老人は、肝試しの幽霊のようだった。


 やっぱり、変わり者の家か。


 そう思った時、袖口に重みを感じた。


 エレインは無言で前を向いていた。

 表情はあまり見えないが、玄関先で挨拶をしていた時のような余裕は見られない。

 それどころか、袖口から伝わる気配は強張(こわば)っているように感じる。



「怖いのか?」



 老人には聞こえないよう、耳元で尋ねてみる。

 するとエレインはバッとこちらに顔を向けた。お互いの顔が近くにあったお陰で、彼女の瞳が潤んでいたのが分かる。



「そ、そんなことないわ」



 小さい声で反論するも声色は僅かに震えている。

 しかも一層強く袖口を握られたら、発せられた言葉に説得力の欠片もない。


 可笑しかった。

 いつも強気のエレインにこんな弱点があったとは。


 俺は意地悪く笑って、エレインの手を振り払う。

 「あっ……」と、細い声が聞こえそうなぐらい不安げな表情をする彼女をしっかりと瞳に映し、そしてすぐに手を掴んでやる。



「心配するな。必ず守ってやる」



 エレインはアメジスト色の瞳を揺らし、気まずそうに(うつむ)く。

 それでも握る手には少しだけ力が入った。俺は一人満足する。



 ニ階へと登り、いくつかの部屋を通り過ぎると、不意に老人が足を止めた。

 大きな扉の前で三度ノックをし、その後返事を待たず、またニ回ノックをする。


 不思議そうな顔をするエレインに、「決まりごとの合図だろう」と、説明してやれば、「それぐらい分かってるわよ」と、プイとそっぽを向く。なんだよ。可愛げのない奴。



「いいよ。入っておいで」



 中から声が聞こえたので、老人が扉を開けた。


 扉の先も薄暗かった。

 一体この屋敷はどうなっているんだと思いながらも、室内へと歩みを進めれば、途端に後ろの扉が閉められた。

 ビクッと身体をこわばらせ、手を握る力が強くなったエレイン。

 その手を同じように握り返してやりながら、周囲へと意識を巡らせる。



 (気配は一人、殺気は無い)



 大丈夫だ。

 そう思いながらも、万が一に備え腰に携える剣へと手を添える。


 と、その瞬間パッと視界が白んだ。

 急に当てられた光に目を細め、エレインを自分の後ろへと隠す。



「あっ! ごめんごめん! 眩しかったよね?」



 聞こえてきたのは――……やけに軽い、男の声だった。







いつもお読みいただきましてありがとうございます(*^_^*)

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