11.知らない優しさ
ニ頭の馬が野を駆ける。
春先ならば若草の香る草原は今や小麦色の枯野に変わり、かつては色とりどりに咲き誇っていた花々も、身を重そうにその頭を垂れる。
時折、向かい側から馬車が通り過ぎて行く。
乾いた道は砂煙を上げ、脇に生えるススキはゆらゆら揺れた。
城下と他の領地を繋ぐ街道は、馬車が行き交う程の道幅があり、他の何処の街道よりも整地されている。そのお陰か、駆ける馬は速度を落とすことなく、また、馬上に居るあたしも駆けている時間からみて疲れてはいない。
移動は順調だった。ただそれでも、定期的に休憩は必要だ。
「エレイン。そろそろ馬を休ませる」
「ええ。分かったわ」
必要最低限の会話をし、あたし達は馬を止めた。
あたし達が止まった場所は旅人の休憩所。
雨と強い日差しを凌げる丸太屋根のある小屋に、少し離れた場所には小さいながらも池がある。
小屋も池も王都から衛生兵が派遣されており、王都から出ているとはいえ、皆が安心して休める貴重な場所だった。
馬から降りたディーンは、池の方へと馬を連れて行く。
その様子をベンチに腰掛けたまま眺め、あたしは始まったばかりの旅の事を考えていた。
『この親書は本人に手渡しし、受領のサインを必ず貰う事。もちろん、家族に預ける事もダメ』
宛名も内容も古代アスタシア文字で書かれているけど、この文字を読める人間も少なくはない。
万が一、本人以外の手に渡り解読されてしまうと、その本人に危険の及ぶ可能性がある。
だから通常の配達人を使わず、信頼のおける騎士に任せる事にした。
殿下は受取人の危険を話す事で親書の重要性を認識させ、その護衛にディーンを選んだ。
彼が古代アスタシア文字を読めなかった事は計算外かもしれないけれど、逆にそれでも任せたいと思えるほど、信頼しているという事が窺える。
それはすごく名誉なことなのに。
『アル。案内役を変えてくれ』
しょっぱなからそう言われ、案内役が変わらないなら自分は降りると言った。
(そこまであたしと旅するのは嫌だったのかしら……)
そう考えるとやっぱりへこむ。
あたし達は顔を合わせれば口論になってしまうけど、あたしはディーンに嫌われたいと思っている訳ではない。
ただ気を強く持っていないと、また傷つきそうで。
しかしそういう態度でいると、どうしても喧嘩腰になってしまう現状は、抜け道のない迷路のようだった。
「エレイン。お前も水飲ませてやれよ」
突然聞こえた声に顔を上げる。
いつの間にか戻って来ていたディーンは自分の愛馬を大木に結び、革の手袋を外しているところだった。
あたしは短く返事をし、ベンチから立ち上がる。
すると何故か視界がブレ、そのままペタリと座り込んでしまった。
「……バテるのが早すぎやしないか?」
「だ、だって。最近、馬に乗ってなかったんだもの」
「そりゃあ、本ばかり読んでいればそうだろうな」
「……いいじゃない。別に」
『やっぱり足手まといだから、違うヤツに替えてもらおう』
そう言われる事を覚悟して、あたしは俯く。
ディーンに言われた通り、あたしが『ロクに馬に乗っていない奴』というのは事実で。
自分に長旅が出来るのか、なんて分からない。
ディーンにとって自分が足手まといだって事は分かっているけど……ただ、あたしは。
「……おい、気分も悪くなったのか?」
「え? そんな事ないけど……?」
「そうか。でも、もう少しここに座ってろ」
それじゃあ、馬にお水を……。
そう伝える前に、ディーンはあたしの愛馬の止め縄を解く。
主人が違う事に戸惑いを見せる馬を、軽くトントンと叩き、ゆっくりと手綱を引いた。
馬が誘われるように足を進める。
その行動を褒めるように優しい手つきで鼻すじを撫で、ディーンは目を細めて微笑んだ。
「――……」
ずるい。
あんな顔、あたしに向けてくれる事なんてない癖に。
あたしはプイと彼から視線を外す。
じっと見つめているなんて思われたら困るし、また何を言われるか分からないから。
でも脳裏には――……今見た、優しい笑顔がチラついて離れなかった。
その後あたし達は無事、街に到着した。
元より王都へ向かう為の宿場町なので、基本的に宿屋と飲食店が多く占めている。
宿屋の大半は食堂を併設。飲食店は夜も営業しているところが多いのか、日が暮れている今もそれなりに賑やかであった。
ディーンがざっと斜めに立ち並ぶ通りを見ながら馬を引くので、遅れない様について行く。
特に声かけもしてもらえず、目的の場所があるのかも分からない。
明らかに馬への扱いより、適当な態度にはムッとしてしまうが、ここで話しかけてしまってはまた喧嘩になる。
そう思うとやっぱり声をかけるのは躊躇われてしまって、黙って後ろを歩くだけになってしまう。
しばらく歩くと、ディーンが足を止めた。
その後、厩に愛馬を預け、建物に入る。
彼が選んだ宿も一階部分が食堂、ニ階以上から宿泊施設になっているところで、宿泊客は少しお値打ちで夕食と朝食の提供を受けられるらしい。
ディーンは迷うことなくニ食とも宿で取る事を伝え、部屋の鍵を受け取った。
「先に飯にするぞ」
「え。疲れたからお風呂に入りたいんだけど……」
我が儘だってわかってたけど、もう足はガクガクで食事なんかよりお風呂でゆっくりしたかったのだ。
しかし、そんなあたしの気持ちなど察していないディーンは心底嫌そうな顔をした。
「……そんな顔しなくてもいいじゃない」
「お前の無防備さに呆れる」
無防備って何?
そう考えた瞬間、その意味を理解してあたしは目を吊り上げた。
「べ、別にそういう意味でいってるわけじゃ……!」
「お前がそう思っていなくても、相手は分からない」
「だって! そんな事言っても足が……」
「足と自分の身と、どっちが大事なんだ」
ディーンは不機嫌なまま、ずいっと拳を突き出して来て鍵の一つを押しつけてくる。
「とにかくすぐ降りてこい。余計なトラブルは御免だ」
あんまりにもその態度がぶっきらぼう過ぎてムッとした。
「わかったわよ! すぐ降りて来ればいいんでしょ! すぐに!」
捨て台詞の様にそう言い放ち、あたしはひったくる様にして鍵を奪い取る。
そうした後、これがいけないんだと気付きながらも、荷物を持って足早に立ち去るしかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
夕食後、あたしはゆっくり湯船に浸かった。
思うように動かない足を丁寧に揉み、コリを押し流す様にさする。
お風呂は思っていた以上に良い感じだった。
もちろん大貴族が泊まる様な豪華絢爛とはいかないが、浴室内は洗練された雰囲気があり、ピカピカに磨かれた床材は鏡のように自分を映しこんでいる。
湯船自体は足を伸ばせるほど大きく、半身浴もできるよう段差がつけられていた。壁際には石鹸が三種類。ちょっと気になって試してみれば、香りと洗い上がりに違いがあるようだった。
他には湯に浮かべるハーブがいくつもあり、リラックスできる香りや、スッキリとした香り、そして甘い香りなど、どんなハーブを調合しているのだろうと目を瞑り想像するだけでも楽しい。
「こんなお風呂、あいつにはもったいないわ」
きっとディーンは適当に目に付いた石鹸を使い、ハーブなんて全て入れてしまうのではないだろうか? それよりも湯船には浸からず、身体を洗い流すだけで出てきてしまう可能性の方が高いかもしれない。
そう考えて、はたと気付いた。
足の伸ばせる広い湯船、洗い上がりの違う石鹸。女性が好きそうなハーブ湯……。
(まさか、そんな……)
『俺は下男じゃない。こいつの面倒はみられない』
そう言いながらも、少しはあたしの事考えてくれた……?
あたしは湯の中へと顔を半分つける。
膨らませた頬をからプクプクと息を吐きながら、しかめっ面をした。
湯に浸かっている身体は熱く、心臓も駆けた後のように高く鳴り続けていて。
それを気のせいと誤魔化すのはちょっと難しい。
でも。
それでもあたしは自分を守る為、こう考える。
これはお湯に浸かって、息を止めているせい。
それ以外ないんだから。
◇◆◇◆◇◆◇
「『ゆっくり休めたし、お風呂はとても良かったわ。ありがとうエメリー様』……よし。これでいこう」
王都を出発して二日目。
昨日に続き秋晴れのさわやかな朝を迎えたあたしは、一人セリフを練習し頷く。
簡素ながら洗練された部屋に、癒しを再現したお風呂。
食堂の客層は旅人や駐在している兵士などが多く、至って安全。
昨晩は食事の後、ディーンと顔を合わせる事がなかった。
けれどあたしは、このように気遣ってくれた事をきちんとお礼を言うべきだと思っていた。
あたしは身なりを整え、隣室のディーンの部屋をノックする。
もう朝だし、彼も起きているだろう。そう思って。
しかし中からは返事はなく、あたしは首を傾げた。
一階の食堂へ降りると、人は疎らであった。
まだ朝食には早い時間帯のせいだろう、腰かける客の前にはティーカップしか乗っていないテーブルが殆どで、皆がゆったりとした朝を満喫していた。
談笑しながらコーヒーを飲む衛兵達。
物憂げに地図を眺める異国の旅人。
その中へと視線を巡らせるが、やはりディーンはいない。
と、なると、まだ部屋で寝ているだけなのだろうか。
それならば一度部屋で時間をつぶし、また訪れればいいだろう。
そう思って、踵を返そうとした時。カランカラン……と、入口の方から音がし、そちらへと視線を向けた。
ディーンだった。
朝日を浴びるミッドナイトブルーの髪を右手でかきあげ、一仕事終えた様に息をついてみせた。
「お帰りなさい、ディーンさん。シーズの朝はどうだった?」
「ああ。さすが宿場町ってところだな。朝早くから街が動いていて助かったよ」
ディーンは語りかけてきた食堂の女性に穏やかな表情で返事をする。
それに気をよくしたのか女性は少し顔を赤らめ、「食事はすぐに取る? なんなら……」と、続きは耳元で何かを語り、その後ディーンは「ああ。頼む」と、引き続き穏やかな表情を返していた。
なんとなく、これ以上見ていたくなくて、あたしは部屋へと引き返した。
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