1.犬猿の二人
新連載です(*^_^*)
よろしくお願いいたします!
あたし、エレイン=アーサーズはあいつと反りが合わない。
顔を見ればお互いムッとし、眉を吊り上げるのは日常茶飯事。
うっかり会話などしてしまえば口論になり、そのまま物別れになる。
それなのに、何故か出くわす事が多くて頭を抱える日々。
一体それがいつから始まったことなのかはもう思い出したくないし、やっぱり顔を見たら言い合いになってしまうこの関係はもうずっと続いている。
犬猿の仲。
この言葉はあたし達のような間柄を指すのだろう。
そんなあたしも今年で十七になり、そろそろこういった事は止めたくて、なるべくあいつに会わないように努力している…………って、いうのに!
「……そこを、どいて下さらない? エメリー様」
「なんで俺がどかないといけないんだ? エレイン」
「馴れ馴れしく呼ばないでください。エメリー様」
時にはシンっと静まり返る程の睨み合いを、時に激しくぶつかり合う剣戟を。
場内では皆の掛け声や雄叫びが絶え間なく響いている。
ここはアスタシア城内鍛練所。
およそ千人は収容できるこの場所は城内の東側一階にあり、通常の部屋よりも三倍以上はある高い天井が特徴だ。
横一列に十人は通る事ができそうな正面扉に、鍛練の様子を上からも見る事が出来る観覧通路。縦に長く造られた窓は太陽の光を多く取り入れる為に考案されただけあって、早朝である今も多くの光を取り込んでいる。
そんな中、薬品の補充に来ていたあたしは自分が場違いである事を自覚しつつ、早々に立ち去ろうと考えていた……と、その時。立ちふさがる大きな影が邪魔をした。
黒に近いミッドナイトブルーの髪に、アーモンドのような茶色の瞳。
隙のない整った顔立ちに、背も高く、騎士の姿は様になっている。
このまま壁画のように動かなければ、さぞ女性達の人気を集めただろうこの男の名は、ディーン=エメリー。
そう。
あたしの天敵だ。
「なんだ。昔のように、『エレ』と呼んでほしいのか?」
「余計になれなれしくなってるじゃないの」
この男の思考回路は理解できない。
行動が意味不明である事はもちろん、加えて会話が成立しない。
ほんとに人の話を聞いているのかと突っ込んでやりたいと、もう何度思った事か。
しかしあたしは心の中で首を振る。
この男とまともに会話出来た記憶はここ数年皆無である。
突っ込んだところで、生産性のある会話ができるとは思えない。
「とにかく、どいてくださらない? 私急いでおりますの」
「……ふん。どうせまた、本でも読むのだろう?」
いいじゃない。
あたしが本を読んで迷惑をかけた事がある?
そんな事は訊ねるまでも無く、もちろん「いいえ」。あたしが本を読んで、この男に迷惑をかける事などあるわけがない。
「あんな暗い所で本ばかり読んでいるから、性格がねじ曲がるんだ」
がまんがまん……。
落ち着いてエレ。こんな事で怒ってはだめ。
「いつか大事な『エドガー』にも見放されるぞ」
「……なっ!! あの子は関係ないじゃない!!」
「お前みたいな暗い所を好む奴に飼われるより、自由を選ぶのも時間の問題だろ」
エドガーは街に捨てられていた子猫で、もう三年は一緒に居る大事なパートナー。
それを、こんな風に言うなんて……!!
「貴方って本当に意地悪ね!!」
「はっ、自己中な女に言われたくないな!」
「な、なんですってぇ!!」
いわれのない暴言につい、声を荒げる。
すると周囲から視線が集まるのを感じ、慌てて口をふさいだ。
(ほんと、最悪!)
会いたくないのに、どうしてこうも遭遇してしまうのだろうか。
やっぱり鍛練所に来るべきではなかった。そしてやっぱり、話しかけなければ良かった!
そんな事を考えている間にも目の前の男は道を開けようとはしない。
全く譲る気などない様子が、エラそうに腕組みしている事でひしひしと伝わって来る。
(邪魔になるかもしれないけど、正面扉から出よう……)
皆の鍛練の邪魔をしたくない一心で、目の前に立ちはだかるこの男に話しかけたけど、もう無理。
だって、話通じないんだもん。
あたしは短く溜息をつく。
続いて進行方向を変えようとし、横から近づいてくる人影が目の端に映った。
「ディーン……。こんな可愛い女性をいじめるなんて、趣味が悪いな」
そう言いながら男性がディーンの肩をポンと叩く。
その気安さから知り合いなのだろうと分かったが、ディーン本人は怪訝な顔つきですぐに手を払った。
「うるさいぞビリー。大体こいつのどこが可愛いんだ!!」
「ん? 全部じゃないか。ふわふわで、やわらかそうで。アメジスト色の瞳がキュートだ」
いきなり手放しで褒められ、顔が熱くなる。
ビリーと呼ばれた男性は身長も体格もディーンと殆ど変らず、今に限って言えば稽古着である為、服装までも同じ。ただ、彼の持つ雰囲気は羽毛のような軽さがあり、力強く荒々しいディーンとは全く違う。
暖かみのあるオレンジ色の髪は猫っ毛のように、細く、ふんわりとしていて、淡いグリーンの瞳は穏やかな光を湛えている。そんな彼が眼元を柔らかく細め、微笑む様は女性の黄色い声が上がりそうだった。
「ねえ、アーサーズ嬢? 今度、俺とお茶でも……」
「やめとけ。一日中、草の話になるぞ」
「草? 花じゃなくて?」
「ああ。草だな」
フフンとせせら笑うように口角を上げるディーンに、不思議そうな顔をするビリー。
もはや草ではなくて薬草だと弁解するのも億劫で、あたしは反論しかけた口をギュっと引き結ぶ。
そう、いつもこうなのだ。
人の事をバカにしたように、余計な事ばかりを相手に吹き込む。
たしかに薬草の事になれば一日中でも話していられるけど、それをディーンから言われるのは納得がいかない。
「……すみません、ビリー様。私急いでおりますので……」
ビリーへはニコリと微笑み、もう片方は無視。
あたしは二人の横をすり抜ける。ビリーの登場で出来た隙間はあたし一人が通るには十分だった。
「あっ! おい待てよ!! エレイン!!」
この期に及んで、待つ義理など微塵にもない。
あたしは呼びとめる声を無視して、さっさと工房へと戻った。
◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ、もう。ほんと朝から災難だったわ」
我が城――工房へと戻り、あたしは深く息をついた。
折角秋晴れの心地よい朝に、気分良く登城したのに。
思い出すのはあの意地悪そうなディーンの顔。もう、最悪。
「……エドガー。お前はいなくなったりしないもんね?」
「にゃあおん」
「うん、そうだよね。あんなバカの言う事なんて気にする必要ないもんね」
愛猫エドガーの鳴き声を聞き、その小さな身体をギュっと抱きしめる。
伝わって来る心地の良い温かさに癒されつつ、もう一度「はあ」と、溜息をついた。
薄暗い部屋で猫を抱きしめ、溜息をつくあたし。
たしかに胡散臭い状態ではあるが、コレにはれっきとした事情がある。
あたし、エレイン=アーサーズは薬師だ。
薬師とは大きく分けて二つの役割がある。
実際の用途に合わせて様々な薬を作る調合師と、そのレシピを編み出す創薬師。
前者は城下で薬店を開いている事が多く、後者は王城内の研究部門に所属している場合が多い。
ちなみにあたしは、自身の店は持っていないけれど薬を作っており、研究部門には非常勤という形で所属しているという、少々珍しい形態を取っていた。
そして今、あたしのいる工房は、薬や香の原料の保管および調合する為の場所であり、室内の環境は常に一定に保たれている。
つまり、室内環境を日々の天気によって左右されるわけにはいかず、年中遮光のカーテンを引き、必要最小限の光のみで活動しているわけだ。
あたしはエドガーを手放し、工房の奥へと続く扉を開ける。
そこで着替えを済ませ、手洗いなどをしっかりと行った後、また、奥の部屋へと進む。
今日は薬店より注文を受けていた品を調合しなくてはならない。
壁際にずらりと並んだ書物を指で追い、その中から使用する本を取り出す。
慣れ親しんだ紙の香りに自然と顔が綻び、そっと表紙を撫でた。修繕を繰り返した本はその分だけ愛着がわき、手に取る動作も優しくなる。
あたしは分厚い本を捲る。
何度も読みなおしたレシピ本は、今なお、あたしの興味を惹いて止まず、つい読み耽ってしまいそうになる。
そんな気持ちを押さえながら目的のページを探し、ふと先程の事を思い出した。
『あんな暗い所で本ばかり読んでいるから、性格がねじ曲がるんだ』
気付かないフリをしていた傷が、小さく疼いた。
見えない痛みで本を捲る手が止まり、そっと目を伏せる。
(……いいじゃない、別に。あたしの性格がどうなろうと)
少しずつ増え続ける傷は一向に治る気配はなく、その数だけを増やしてゆく。
傷が治る日は、来ない。
その事実は十分過ぎるほど理解していて。だから、あたしは。
「あ、これこれ! うーんと、材料足りたかなあ……」
一人しかいない工房で、誰に語った訳でもない声が壁に吸い込まれてゆく。
あたしは余計な事を考えないよう、一人ごとを言いながら調合作業に没頭した。
お読みいただきましてありがとうございました(*^_^*)