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01

 実に爽やかな目覚めだった。



 ここずっとうすぼんやりしていた意識は実に明朗だ。厚いカーテンのおかげで太陽光などはみじんも入り込まない薄暗い寝室ではあるが、朝日の力など借りずともここまで冴えわたるのだなと感心するほどにギンギンである。


 一転の曇りのない晴天のように晴れやかな気分でベッドから身を起こそうとしたが、気分とは逆に体の方は全く目覚めていなかったらしい。背骨から盛大な音が鳴った。余りにも怠けた体に失笑が漏れる。

 

 顔を上げると荒れた室内が目に入った。


 汚い。とても汚い。まるで何年も人がいつかなかった廃屋のように煤け、寂れている。

元から整理整頓が行き届いた部屋というわけではなかったが、これほどまでではなかった。天井から床まで埃や蜘蛛の巣のオンパレードだ。そこらの棚を指でなぞろうものなら、さぞかし大量の戦利品が得られることだろう。


 おかしいな。俺はそんなにも寝ていただろうか。




 手ひどい裏切りを受けた衝動のままに辞表を叩きつけた帰り道、近所の酒場で大量の酒を買い込み、帰宅して後は怒りを鎮めるべく一人やけ酒を煽って、バカヤローなどと叫んでベッドにたおれこんだ記憶はある。

 半覚醒する意識の中、世の中の理不尽へ悪態をつき、絶食も辞さない気概で世界の破滅を神へ奏上し奉るなどなかなかに罰当たりのこともした。



 この世の俺以外のすべての男女は滅ぶべし。そもそも男だの女だのあるからいけない。人間が単性生殖可能な種でさえあればこんな悲劇は起きなかった。だが人間に単性生殖は無理だ。従って悲劇は起こった。

 愛だの恋だの、そんなものに全力を注いだ俺が愚かだったのだ。好かれたいばかりに、身の丈に合わない服を着て気取ったマナーを覚えることに専心した。その時間を全て仕事にあて、何か功績を立てて男爵位でも頂ければ、後は悠々自適な独身貴族を気取れただろうに。

 孤児であるからして血縁者はいない。一代貴族だろうから跡継ぎも必要ない。領地と地位を振りかざして一夜限りの女性を侍らせ左団扇としけこむ未来もあったろう。


 それが、女などという悪魔に魅入られ、家庭だとかいう空想の産物に希望を持ったばかりにこんなことになった。悪魔の手先の男にそそのかされて。


 馬鹿らしい恋の結末が、周囲の信頼をすべて失った上での失業だなんて全く笑える話だ。

女は駄目だ。無論男も駄目だ。腹の奥で何を考えているか分かったものではない。だがそんなことを言ったら人類全てがもう駄目だ。


 俺は思考の袋小路に入りかけていた。女も男も信用できない。もう俺は一人で孤独に生きていくしかないのかと絶望しかけた時、フッと天啓が降りてきたかのように光が瞬いた。


 …では、幼い子供であればどうだろう?幼い、純朴な子供であれば裏切ったりしないのでは。


 これは中々いい考えだと思えた。そうだ、俺は、これから子供を愛することにしよう。神様どうかお願いします、見目良く純朴で穢れのない8歳以下の少女ないしは少年を与えてくださいませんか。そのためなら何だってします、国だって滅ぼすし何なら主君だって殺してみせよう何より人間など根絶やしにあっいやいけない子供は除外しますでも成長したら殺す 



 大体こんな具合の呪詛だった。寝ぼけておまけに酒のまわった頭で、それでも万感の想いを込めて俺は世界を呪った。

 何度か太陽を見た気がしたが、全ては寝惚けた記憶のなかで、夢か現実かも分からない。ただ、一日二日では済まなかったのは確かだ。ぐらつく頭と空腹に痛む腹、水に餓え枯れた喉に耐え、時には気絶するように眠りながらも、俺はそれでも布団から出ずに悪態をつき続けていたのだから。

 幸いにして時間は腐るほどにあった。やるべきことは何もなかった。自らの生命活動を維持することさえ二の次にして、思う存分呪いのために時間を費やすことができたのだ。





 それでも、ここまで部屋が荒れる程に時間が経過していた実感はなかった。





 何かがおかしい…とは思いつつも、取り敢えず居間へ行くべく立ち上がる。


 体がきしんだ音を立てた。

油を指し忘れた機械のように、ぎこちない関節に違和感が膨れ上がる。


 そういえば、そういえば、この首筋にまとわりつき背中へと延びる頭髪らしきもの。


 俺はこんなに長い髪をしていたか?

 短く切り揃えてなかったか?


 震える手で顎に手をやった。

毎朝剃っていた髭。無精ひげ程度だろうと思っていたのに、まるでお貴族様のようにワッサリとした感触にギョッとし、手を放す。



 一体どうなっているんだ?



 動揺のままベッドから降りると、足元に転がっていた大量の酒瓶に躓いて転んだ。

激しい痛みが体の全面を襲う。鈍った体で、起き抜けにこれは辛い。


 痛みに呻きながら顔を上げると大量の埃が舞っていた。

僅かに存在する光に反射して白く輝いている。これは、並大抵の日数で蓄えられるものではない。

 床に突いた手を見ると真っ黒に染まっている。どこか褪せた服も、直視できないほどに埃に塗れていた。


 何とか立ち上がり、閉ざされたドアまで歩く。

ゴロゴロと埃を巻き上げながら瓶が転がった。




 この、ドア。

 ドアの向こうはいつも通りの居間のはずだ。

 これは誰かの嫌がらせに違いない。


 そうでなければ俺は。




 ドアノブに手をかけ、軋む扉を押し開けると――――――――





「おはようございます、魔王様」





吹き抜けのホールに、誰かの声が響いた。




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