お母さん
それはもう、十数年前のことです。
小学生になったばっかりの千里にはお母さんがいました。
彼女は美人で気立てがよく、理想のかみさんだ、と近隣では専らの評判でした。そんなお母さんはその頃の千里にとってやっぱり尊敬の対象であり、将来の目標にもなっていました。家は裕福でもありませんが酷く貧乏でもありません。けれど千里は幸せでした。厳しくも優しいお父さんがいましたし、やっぱりお母さんがいたからでしょう。お母さんは千里のことを本当に大事にしてくれていました。けれど、そんな幸せは長くは続きませんでした。
お父さんが重い病にかかりすぐにぽっくりと逝ってしまったからです。
それから、生活は大きく変わりました。
赤貧と呼ばれることも多くなり、質素な食材しか食卓には並びませんでした。
時には梅干し一つをお母さんと分けあったこともあります。それでも千里が挫けなかったのはお母さんがいたからでしょう。お母さんは働き者でした。朝から夜までずっと働きずめでも、疲れたの一言ももらしません。家に帰るとただいまの言葉を忘れず、本当に時々ある休みの日はずぅっと千里と一緒に遊んでくれました。お母さんの背中はとても広く見えました。
小学3年生の頃でしょうか。あんなに美人だったお母さんは日に日に陰りを宿していきます。けれどその時にはお母さんの努力のかいあってか貧乏の上でも食事には満足出来るようになっていました。
あんなことがあったのはそんな時です。
「千里。来月旅行行きましょう。心積もりしときなさいね」
その言葉を聞いたとき、千里はうっかり箸に持っていたほうれん草を落としてしまいました。千里はどうして、と聞きました。そしたらお母さんは嬉しそうな顔で、「社内ビンゴで一等賞とったのよ」と言いました。行き場所はなんと外国でした。それから待ち遠しい日々が訪れました。先生に何をそんなにやけているんだと失笑されたこともあるほどです。1ヶ月後、その日はやってきました。千里とお母さんははやる気持ちで家をでました。初めて乗る飛行機や車内弁当。その全てが真新しく見えました。
「お母さん、見て。見て! すごい、雲さんがあんなに近くに」
「本当にね。今なら触れられるんじゃないかしら」
そんな楽しそうな会話を繰り広げながら母子2人、初めての海外旅行に嬉々していました。
ガイドさんによると旅行先の国は昨年独立したらしく、まだまだ町はお祭りといった雰囲気でした。そして、ストリートチルドレンで溢れていました。ストリートチルドレンとは、家無し子のことです。
旅行は2泊3日でした。初めの1日も、次の日も、いろんな観光地や名産品を見て回り、とても楽しく新鮮でした。
そしてその国にいるのも最終の日、最後の自由時間がきました。その日もパレードが行われていました。パレードには沢山のストリートチルドレンが混ざっていて、時々観光客にお菓子をもらっていました。
その時です。お母さんが言いました。
「あの子たちを連れてきてくれないかしら」
千里はどうしてか理由も聞かずに頷き、彼らの所までとんでいきました。言葉も通じませんでしたが、身振り手振りで伝えると分かったように頷きついてきてくれました。
お母さんは千里たちを先導すると、ある雑貨店まで行き、お菓子を手にとって英語で「OK」とだけいいました。すると子どもたちは喜んで選びはじめ、お母さんの手元へ持っていきました。お母さんはにこりと笑ってお菓子を買ってあげています。子どもたちは何やらお礼らしきことを言って、満面の笑みで去って行きました。
「お母さん、これいーい?」
そんな子どもたちの様子を見て今なら少しくらい高いものを買っても許されると思い千里はその当時では高級な値段の、可愛らしい歯ブラシに手をつけてお母さんに持っていきました。けれど、お母さんは本当に申しわけそうな顔だけしてごめんねとだけ言い、さっきの子達と同じようにお菓子を買って渡しました。千里は悲しくなりました。どうしてあんな知らない子たちにはお菓子を買ってあげてしまうお金があるのに、私が頼んだものはいけないのか。
それからはもう散々でした。
私はいらない子なんだと。あの知らない子どもたちよりもお母さんにとってどうでもいい存在なんだと。
旅行が終わってからもそのことに悩んで、悩んで、今になってしまいました。
今、千里は3歳の子どもを持つ母親です。今から考えてみるとお母さんがあんなことをした理由が分かってきました。今なら、お母さんに謝れそうです。