【041】ルーク王の名が響くとき
ルーク王子が率いる四千の兵は、薄暗い闇の中を王都へと進軍していた。
その内訳は、騎馬隊二百と正規兵千八百と徴募兵二千。
王都奪還という大任に臨む彼らは、王子を守る最も重要な役割を担っていた。
兵たちの表情は緊張にこわばっていたが、それは戦への恐怖からではなかった。
自分たちがルトニア王国の新たな歴史を築くという誇りと使命感が、その胸を強く締めつけていたのである。
誰もが静かな自信を抱き、黙々と歩を進めていた。
無駄口を叩く者は一人もなく、行軍の速度は早すぎず遅すぎず、まさに作戦どおりであった。
焦る理由は、どこにもなかった。
そんな中、緊張の色を隠せないラルフ子爵に、ルーク王子が声をかけた。
「ラルフ、緊張しすぎだ。やれることはすべてやった。
今さら考えるべきことなど、もう何もない」
「ですが、我々には余剰戦力がありません。
この王都奪還にすべてを注いでいる以上、失敗を想像すると、どうしても気が張ってしまいます」
「ラルフ、ここまで準備を整えられるのは、お前しかいない。
ここから先は、私の役目だ。安心して見ていろ」
ラルフ子爵が横を見やると、そこには自信に満ちた表情でこちらを見つめるルーク王子の姿があった。
今さらながら、ルーク王子は果たしてこのようなお顔をされる方であっただろうか、と不思議に思わずにはいられなかった。
心境の変化があったのだろうか。そう考えれば、思い当たる節はいくつもあった。
ルーク王子は、ついに王となる覚悟を定められたのだ。
そして今、この一度きりの作戦に、必勝の決意をもって臨んでいることが、はっきりと伝わってきた。
その顔を見たことで、ラルフ子爵は気づかされた。
自分は緊張のあまり、周囲が見えなくなっていたのだ。
自然と肩の力が抜け、周囲を見渡す余裕が戻ってくる。
「ご心配をおかけしました」
晴れやかな表情でそう告げると、ルークは満足そうに頷き、ゆっくりと前方へ視線を移した。
その先には、王都の城壁が見えていた。だが、西門はいまだ閉ざされたままである。
ラルフ子爵は、王都内で予定されていた暴動が失敗に終わったのではないかと焦り、別の手を打つべきかと頭を巡らせた。
その様子を見ていたルーク王子が、静かに声をかける。
「ラルフ、落ち着け。まだ失敗と決まったわけではない。
城壁の内側には、内側にしか分からぬ事情もある。
王都内の部隊も、今まさに動いているはずだ。もう少し待とう」
その落ち着いた口調に、ラルフ子爵も次第に気持ちを静めていった。
そして彼に率いられる兵四千もまた、浮き足立つことなく、城門突入に備えて着実に陣形を整えていく。
その待ち時間が、永遠に続くのではないかと思われた、そのとき。
「城門が開かれた!」
前方の兵が大声で叫んだ。その声を聞いたラルフ子爵は、喜びのあまり涙がこぼれそうになった。
「突撃!」
ルーク王子の大音声が、四千の兵に響き渡った。号令と同時に、兵たちは一斉に城門へと殺到する。
本来であれば城門を守るべきサイサリス公国軍は、わずかな兵しか残されていなかった。先陣を切った騎馬隊が、その少数の守備兵を瞬く間に蹴散らし、王都内へと突入する。
そして、王都に響き渡るかと思うほどの大声で、
「ルーク王が戻って来た!皆の者、立ち上がれ!新しいルトニア王国の始まりである!」
王子であったルークが、初めて「王」と呼ばれたのは、この瞬間であった。
それを叫んだ兵士は、もしかすると無意識だったのかもしれない。
だが、「ルーク王としてこの王都に戻ってきた」という事実は、王都の民が誰よりも待ち望んでいたものであった。
先に侵入した騎馬隊は、王都内を駆け巡りながら繰り返し叫ぶ。
「ルーク王が戻って来た!皆の者、立ち上がれ!新しいルトニア王国の始まりである!」
その言葉は予想を超える効果をもたらした。
家々から民衆が続々と姿を現し、口々に開放を喜びながら「ルーク王万歳!」と叫んでいる。
そして兵たちとともに戦おうと、手近にあった武器や農具を手にし、サイサリス公国軍に襲いかかっていった。
だが、サイサリス公国軍も黙ってはいなかった。
西門からの侵入を察知すると、すぐに隊列を組み直し、反撃に出る。
王宮からの増援も、いずれ到着するはずだ。
その最中、城門を少し遅れて通過したルークは、なおも落ち着いていた。
彼の姿を見つけた城門近くの民たちは、その場に跪き、感極まって涙を流す。
やがて、ルークを囲むように次々と民が集まってきた。
そして、集まった民衆に向かって、ルーク王子は高らかに声を上げた。
「皆の者! 私は、ルトニア王国に帰ってきた。
王として、この国を統治する為に戻ってきた。
今日ここから、新しいルトニア王国が始まる。
皆は、その歴史の瞬間に立ち会うのだ。
武器を取れ! 立ち上がれ!
そして、その手で、ともに新たなルトニア王国を築こう!」
民衆は、ルーク王の言葉を聞いて立ち上がった。
これまでは、「与えられる」ことが当たり前だと思っていた。
しかし今、この瞬間は違った。
新しいルトニア王国には、自分たちが必要なのだ。
自分たちにも、「やるべきこと」がある。
ルーク王の言葉が、それに気づかせたのだ。
そして気づいた民は、すぐに行動を始めた。
四千の兵と共に、武器を手に取って戦う者。
迫り来るサイサリス公国軍に向かって、家の二階から物を投げつける者。
王宮へ急ぐ敵の伝令を足止めする者。
女子供を、安全な場所へ避難させる者。
皆が、思い思いの手段でルーク王のために動き始めた。
王都内に展開していたサイサリス公国軍は、ルトニア王国再興の象徴たるルーク王が西門にいると察知し、そこへ戦力を集中させてきた。
その勢いは凄まじく、まるで「ルーク王さえ討ち取れば勝てる」と信じているかのようだった。
その動きは、ルトニア王国軍の目にも明らかだった。
だが、ルーク王はすでにそれを見越していた。
あえて自らを囮とし、サイサリス公国軍の注意を西門に引きつけていたのである。
敵は今、ルーク王の軍だけでなく、蜂起した民衆とも戦わなければならない。
過酷な戦いが、ここに始まった。
その様子を見ていたルーク王は、西門を入った位置から一歩も動かなかった。
王都全体の戦況を把握するため、自らの位置をあえて変えなかったのだ。
そして、傍らのラルフ子爵に向かって静かに声をかけた。
「ここまでは予想通りだな」
「そうですね。サイサリス公国軍は、ルーク王を目指して進軍してきています。
それに今や、王都全体と戦っているような状況です。
そろそろ王宮からの増援も到着する頃かと思いますが、火を放っての徹底抗戦となれば厄介です。
もう少し、揺さぶってみましょうか?」
「いや、このままでよい。どのみち、もうしばらく様子を見よう」
時が経つにつれ、西門の戦局は次第に膠着し始めていた。
サイサリス公国軍は、ルークやラルフ子爵の予想以上に善戦していた。
四千もの増援が西門に投入されており、激しい攻防が続いている。
もちろん、ルトニア王国軍も無傷では済まされなかった。
ルークは、戦況を冷静に見極めながら、静かに口を開いた。
「そろそろだな」
「かしこまりました」
ラルフ子爵はすぐさま傍らの伝令に向き直り、低い声で命じた。
「北門、南門、それぞれの部隊に伝えよ。突入を開始せよ。作戦通りだ」
伝令は頷くと、素早く馬を駆って走り去っていった。




