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【003】俺は王になりたい

その若者の物腰には、相手が誰であろうと意に介さぬ気配が漂っていた。


大公家の人間に対する最低限の礼すら感じられず、ビアトリクスは眉をひそめた。

サイサリス公国の公女に対する挨拶ではない。ましてや客人に向けるものでもない。

まるで近しい知り合いに向けるような仕草で、丁寧さは欠片もなかった。


「あなた方は、私を不愉快にするために来られたのか。ゼインと言いましたね。

あなたの挨拶は失礼にも程があります。そのような挨拶しかできない方とは、話をする気になれません。

すぐに部屋を出て行ってください。出て行かないのなら、人を呼びます」


ビアトリクスに叱責されたゼインは、慌てて跪き、丁寧に挨拶すると思われた。


だが、全く違う反応だった。


「あんたは良いな。流石はサイサリス公国の元公女だ。

俺はルグルスの大森林で盗賊をしていたから、言葉遣いや礼儀は勘弁してほしい。

これでも丁寧に話しているつもりだぜ」


無遠慮な口調で言葉を投げかけながらも、ゼインの眼は相手から片時も離れなかった。


ビアトリクス公女。

その表情の揺れや感情の起伏を、一瞬たりとも見逃すつもりはない。


軽く挑発すれば怒りに身を任せるのか。

冷たく突き放せば顔を歪めるのか。


だが、この女は矛先を真正面から受け止めつつも、表情ひとつ乱さない。

冷静で、芯がある。

少なくとも、ただ守られて育っただけの箱入りではなかった。


やはり、聞いていた通りか。

政治や軍事にも通じ、部下を思いやる気概もあるという評判は、嘘ではなさそうだ。


けれど、俺は貴族という存在を信用していない。

これまで何人か見てきたが、ほとんどが自分本位で、誰かに支えられて当然という面構えばかりだった。


もちろん例外もある。

今、目の前の女がその例外に該当するのか、それを見極める必要があった。


サイサリス公国を再興するために、この女を連れ出す価値があるかどうか。

それを確かめるのが、今日ここに来た理由だった。


「そうか。であるならば、私は盗賊風情と話す言葉を持たぬ。

早々に立ち去るがよい」


ゼインの名は、ルグルスの大森林の周辺国家で知らぬ者がいないほどの悪名を帯びている。

ビアトリクスはその事実に内心では驚いたが、顔には出さずに答えた。


「その態度は見上げたものだが、俺らが立ち去った所であんたの問題は何一つ解決しないぜ」


「そのような心配をされるほど、私は落ちぶれていないつもりだ。

私が大きな声を出して人を呼ぶ前に立ち去るがよい」


ビアトリクスの言いようを聞いて、黙って聞いていたモーゼルが口を開いた。


「ゼインが言った通り、我々がこのまま立ち去るのはたやすいことです。

ですが、それでは何も解決しません。


先ほども申し上げました通り、私たちはあなたの境遇をどうにかしたいと考えています。


ではお尋ねします。シュール大公、あるいはその公子たちの子を身籠もるおつもりですか。


いや、そうではないでしょう。


もちろん、私たちがシュール大公の差し金である可能性も捨てきれない。

ですので、その問いにお答えいただく必要はありません」


モーゼルは淡々と続けた。


「ただ、今後の道筋はすでに定まりつつあります。

アンドラ公国の子を産み、育て、その子にサイサリス公国の名を託す。


それが、彼らの描く理想的な未来です。


あなたを快く思っていない者が少なからずいるのも事実ですが、だからこそ、道具として確保しておきたいのでしょう。


つまりあなたには、シュール大公の側室か、公子の正妻となる以外に選択肢が残されていない。

もし、それを受け入れるおつもりならば、商人としてできる限りの協力を惜しむつもりはありません」


「しかし、いまだアンドラ公国を受け入れておられない。

それが、何よりの答えではないでしょうか」


「本当にあなたが望んでいるもの。

それは、サイサリス公国の再興。

それ以外にあり得ないと、私は考えています」


ビアトリクスは途中で目を伏せ、黙って耳を傾けた。

モーゼルの言葉は、誰にも明かしたことのない心の奥に、容赦なく踏み込んでくる。


このままでは、自分の未来が他人の手で決められてしまう。

それは、彼女自身も薄々わかっていた。


アンドラに捕らわれた今、その野心を誰にも悟られることはないと思っていた。

そう信じていたのは、彼女の側だけだった。


一つ、静かに息を吐いた。


「なぜ、今、この場でそのような事をあなたたちに言わなければならないのか」


ビアトリクスは慎重だった。

ここで安易に野心を見せれば、早ければ明日にもシュール大公から身体を求められることになるだろう。

それが暴力による強制であることは、想像に難くない。


「そんなつもりはない」と、いまこの場で否定することはできる。

あるいは、シュール大公にモーゼルと話しをしたとだけ伝えれば、それで済む話でもある。


だが、それでは何も変わらない。


この状況をどうにかしたいという思いは、確かに自分の中にある。


モーゼルは、今の回答に危うさを感じていた。

なぜ「そのような事は無い」と断言しないのか。

本心から思っているならば、即座に言い切るべきところだ。


それを初対面の自分にも本心が透けて見えるような答えをする若さに、彼は不安を覚えた。


しかし、自分の内面を指摘されたくないであろうビアトリクスに対し、そのことには触れなかった。


「そうですね。なぜ私たちに言わねばならないのか。

私たちは、あなたをサイサリス公国に戻すことができる。

そして、サイサリス公国再興の手助けをしたいと考えているからです」


少し間を置き、モーゼルは静かに言葉を継いだ。


「ひとつお尋ねします。

元サイサリス公国の関係者から、手紙の一通でも届いていますか?」


「現在のサイサリス公国は、完全にアンドラ公国の統治下にあります。

アデイラ公妃は、アンドラ公国の出身で、シュール大公の妹君にあたられます。

サイサリス建国当時、アンドラの支援があったことは広く知られていますので、

そのご縁によるご婚儀だったと聞いております。


また、大陸で名を馳せるダレル団長率いる傭兵団もアンドラに対して明確な反感は示していません。

むしろ積極的にアンドラ公国の支配を支援しています

表向きには公国の秩序は保たれているように見えます。


しかし実際には、旧貴族たちの多くが幽閉され、行動を厳しく制限されており、

互いに連絡を取ることすら困難な状況です」


「私どもも商売の関係上、サイサリス国内の貴族とも接点があります。

そこであなたの名が話題にのぼったことは、ただの一度もありません。

むしろ、街の市井の人々の方が、あなたの安否を案じています」


ビアトリクスは愚かではなかった。

元サイサリス公国の誰からも接触が無いことを、その意味ごと理解していた。


今さらモーゼルに言われなくても、わかっていた。

ただ、理解したくなかっただけである。


モーゼルに痛いところを突かれ、思わず本音がこぼれた。


「しかし、それは私が捕らえられて、まだ間がないからではないのか」


思わず本音がこぼれたことに、モーゼルはすぐに気付いた。


「そうです。あなたがヴィクセル川でザルファ第二公子に捕らえられてから、すでに一か月。

そして、公都に移されてからはまだ一週間ほどしか経っていません。


時間が経っていないのは、紛れもない事実でしょう」


モーゼルは言葉を選びながら、静かに続けた。


「ですが、それだけで説明がつくでしょうか。

いまのサイサリス公国には、それほどの余裕は残されていないのです。

あなたがご存じないだけで、私たちは現地の状況を把握しています」


「果たして、救いの手が差し伸べられるまで、どれほどの猶予があるのか。

そして、アンドラ公国がその時を黙って待ち続けてくれると、お思いになりますか」


「ゼインという名前は、お聞きになったことがあるかと思います。

「ルグルスの大森林の盗賊団のゼイン」と言えば、話が早いでしょうか。


私はここにいるゼイン様によって命を救われ、生きる価値を与えられ、さらに元手をいただき、いまのサイラス商会を築き上げました」


「今の私があるのは、すべてこの方のおかげと言っても過言ではありません。

この方であれば、ビアトリクス様をお助けできると考えています。

そして、この方以外にビアトリクス様をサイサリス公国にお戻しできる者はおりません」


「なるほど、私には時間がない、その為に、あなた方に手伝ってもらった方が良いと言うのですね。」


ビアトリクスは、あくまで慎重だった。


モーゼルも、もとは盗賊団の一味なのか。

だが確か、ルグルスの大森林に拠点を置いていた盗賊団は、最近になって壊滅したと聞いている。

となれば、彼もその生き残りか、あるいは、もっと得体の知れない存在なのか。


モーゼルの言葉通り、あの若者の名は広く知られている。

ゼイン。悪名すら付きまとうその名と共に事を起こせば、「盗賊に助けられた公女」として世に知られることになるだろう。


それよりも、まずは目の前の人間を信用してよいのかが問題だった。

元サイサリス公国の人間が動いてくれるなら、それが最も望ましい。


しかし、現実的に考えれば、この状況から抜け出すためには、ゼインと行動を共にするのが最も可能性が高いことも理解できた。


「あなた方の目的は何ですか。

私を救い出し、サイサリス公国を再興したとして、褒美として何を望むのですか」


彼らが自分の救出に命を懸けることは理解している。

私に同情している、とも言っていた。


だが、サイサリス公国にゆかりのない彼らが、なぜ自分のために命を懸けるのか。

その理由がどうしても腑に落ちなかった。


金か、名誉か。

もしそれが望みなら、サイサリス公国を再興した後にいくらでも与えることはできる。


ビアトリクスの問いに対して、ゼインが答えた。


「俺は王になりたい」

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