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【034】オリバー大公の暗殺

その頃、ルトニア王都の王宮では、ルトニア王国の動きを察知できぬまま、静かな日常が流れていた。

サイサリス公国軍は周辺の接収を進めていたが、その静けさは嵐の前触れにすぎなかった。


嵐とは、二日前にルーク王子とラルフ子爵が決定した計画である。

準備はすでに整っていた。


夜半にオリバー大公を暗殺し、翌朝に王都で暴動を起こし、その混乱の中でルーク王子が王都へ突入する。


その二日後の夜半。


オリバー大公は寝室の机に置かれたグラスの酒を一気に飲み干した。

ベッドには行為を終えたばかりの馴染みの娼婦が、乱れた髪を整えている。

大公はアルコール度数の高い酒で喉を潤し、酒では理性を乱されぬことを示そうとした。


これまでもそうだった。若い頃から失敗らしい失敗はなく、自分を見失うこともなかった。

だが、この夜ばかりは胸の奥に不吉なざわめきが広がっていた。


グラスを空けた直後、激しいめまいに襲われる。

おかしい。この程度の酒で酔うはずがない。


ベッドにいる娼婦へ水を頼もうと視線を向けた瞬間、女の顔が変貌していた。

恍惚とした笑み。吊り上がる両目の端。口元に浮かぶ狂気。


その表情を見て、大公は酒に毒が盛られていたことを悟った。


吐き出そうとしたが、毒はすでに全身を巡り、舌も動かず声も出ない。

思考は濁り、感覚は遠のいていく。やがて瞼は重く閉じ、身体は力なく床に崩れ落ちた。


その顔は苦痛に歪み、二度と動かなかった。


見下ろした娼婦は静かに呟く。


「ルトニア王国の兵士だった夫を殺され、両親も傭兵団に奪われた。その恨み、思い知るがいい」


胸に二か月抱き続けた言葉だった。

彼女はもともと娼婦ではない。深い恨みを抱く女をラルフが探し出し、娼館に送り込んだのだ。


満足げに微笑むと、彼女は静かに寝室を後にした。


いつもは日の出前に起きているはずの大公が姿を見せない。

不審に思った衛兵が寝室を訪れ、異変はすぐに露見した。


衛兵は報告のため、ローガン侯爵のもとへ駆ける。


執務室で報告を受けたローガン侯爵は愕然とし、自ら寝室へ急いだ。

だが望みは潰え、床に横たわる大公の亡骸を目にすることとなった。


彼は衛兵に命じ、大公をベッドに戻し、数名に寝室の警護と死の秘匿を命じる。

まだ占領から二か月。表面上は治まっていても油断できる状況ではない。


ビアトリクス公女の即位と方針が固まるまでは、大公の死は隠さねばならない。

サイサリス公国は彼の威光で支えられているのだ。死が露見すれば統治は崩壊する。


しかも、この暗殺は不気味なまでに状況を突いていた。

二十日前の傭兵団の撤退、四日前からのビアトリクス公女の不在。

その隙を狙い澄ましたようなオリバー大公の死。


まるで蜘蛛の糸に絡め取られているかのようだ。

すべては最初から計画されていたのではないか。


そんな作戦を練り、実行できる者が本当にいるのか。

もしそうなら、これは始まりにすぎない。


何が起きるのか想像もつかない。

いや、これまでの出来事すら理解できていないのだ。


目に見えぬ敵が迫っている。

サイサリス公国は、手を出してはならない相手に触れてしまったのではないか。


彼は謁見の間に赴き、主を失った玉座の前で軍議を招集した。

異例の早朝の呼び出しに、十五名の将軍たちが集う。


重苦しい沈黙の中、ローガン侯爵は告げた。


「昨夜、オリバー大公が暗殺された」


初めは誰も信じず、冗談だと笑う声すらあった。

だが、ローガン侯爵の顔がすべてを物語っていた。

将軍たちは次第に事実を受け入れ、怒号が飛び交い始める。


「誰がやった」「誰の仕業だ」

玉座の間は怒りに満ち、ローガン侯爵の声はかき消され、軍議は収拾を失った。


その時、将軍の中で最も古参のアーロン将軍が静かに手を上げ、場を制した。

普段ほとんど口を開かぬ将軍の発言とあって、皆の視線が一斉に集まった。


「皆の者、静まれ。騒ぎすぎではないか」


沈痛な面持ちで投げられた問いに、ローガン侯爵は即座に応じる。


「はい。衛兵の報告を受けた直後に寝室へ向かい、間違いなく大公がお亡くなりになっているのを確認しました」


「なるほど。そして衛兵に警備と死の秘匿を命じたのだな」


アーロン将軍は静かに頷き、将軍たちへ視線を巡らせた。


「我々が今、大勢で寝室へ向かえば、兵たちは何事かと騒ぎ出す。

大公に拝謁したい気持ちはやまやまだが、それは後にしよう」


感情を押し殺しつつ、衝動に駆られる将軍たちを制し、重く問いかける。


「ローガン侯爵、この後どうするつもりだ」


ローガン侯爵は一礼し、低く答えた。


「先ほど、ビアトリクス様、ダレル団長、そしてコンラッド侯爵に大公の訃報を伝える伝令を出しました。できる限り早く戻っていただきたいと。


それまでは我々でこの事実を隠し通すしかないと考えています」


「なるほど。正しい判断だと思う」


アーロン将軍は一息つき、しかし声に怒気と疑念をにじませた。


「だが、この状況を見よ。ビアトリクス様も、ダレル団長も不在。そして大公はすでに亡き者となった。

もとは反乱を抑えるための人質だったはずだ。

だが今、彼を生かしておく理由はまだ残っているのか」


将軍たちは息を呑む。アーロン将軍の言葉の先を誰も予想できず、ただ耳を傾ける。


「本国、ビアトリクス様、ダレル団長への責任は私が取る。

この場でルーク王子を処刑しよう」


重苦しい沈黙が玉座の間を覆った。あまりに突然で、あまりに重い提案だった。


ローガン侯爵は政務を預かる者として即座に反論した。


「流石に、それは独断が過ぎます。王子の命をこの場で奪うなど、あってはならないことです」


だがアーロン将軍は答えず、静かに衛兵を呼び寄せて命じた。


「ルーク王子を連れてこい」


そしてローガン侯爵に向き直り、穏やかな口調で語る。


「なるほど、あなたの考えは理解できる。立場の違いゆえ、感じ方が異なるのも当然だ」


短い沈黙の後、アーロン将軍は声を低くした。


「しかし、厳密に言えば、あなたには私に命令する権限はない。そうではないか」


その言葉にローガン侯爵の表情が強張る。命令権という言葉は、この場で口にすべきではなかった。


ローガン侯爵は権力争いを望んでいない。ただサイサリス公国のために最善を考えていた。

それでもアーロン将軍の言葉に怒りを抑えきれず、顔を紅潮させた。


アーロン将軍は静かな声で続けた。


「私は、この場でルーク王子を処刑するのが正しいと信じている。

もし大公が存命なら、生かす意味もあっただろう。

だが今となっては、彼の存在はあまりに重すぎる」


苦渋をにじませながらも断固とした声。


「万が一、取り逃がせばどうなるか。だからこそ、今ここで決断すべきなのだ」


そして周囲を見回し、静かに言葉を重ねた。


「確かに、独断かもしれん。

だが、この問題をビアトリクス様に委ねれば、あの方に余計な重荷を背負わせることになる。

それでよいのか」


アーロン将軍は小さく肩をすくめ、口元にわずかな笑みを浮かべた。


「少し話しすぎたな」


その直後、王子を呼びに行った衛兵が玉座の間へ戻ってきた。

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