【029】ビアトリクス公女の懸念
ルトニア王都を攻め落としてから三十日が経過した。
旧ルトニア王都の王宮内では軍議が開かれ、各地の情勢が報告されていた。
サイサリス公国軍による王都周辺の制圧は順調に進んでいた。
この日の軍議には、コンラッド侯爵を除き、傭兵団のダレル団長も含め十五名ほどが出席していた。
それぞれが担当する情勢について、順に進捗の報告が行われていった。
その最中、ビアトリクスが立ち上がり、毅然とした声で詰め寄った。
「王都内の治安が著しく悪化しているという報告が上がっている。
ダレル団長、そなたの傭兵団の振る舞いは、もはや目に余る。
住民からは、陳列された商品を勝手に持ち去る、食事をしても支払いをしない。
そうした苦情が相次いでいる。この現状を、どう受け止めているのか」
鋭い口調の詰問が、静まり返った軍議の場に響いた。
しかし、ダレルはどこ吹く風といった様子で、いつもの調子で答えた。
「ビアトリクス様、申し訳ありません。奴らにはよく言い聞かせます」
傭兵団の規模はおよそ五千名。
内実はならず者や荒くれ者の寄せ集めで、他国で罪を犯した者でも、サイサリス公国の傭兵団に逃げ込めば何とかなるという風評すらあった。
実際、どのような素性の者であっても受け入れており、たとえ犯罪者であっても例外ではなかった。
その代わり、戦闘時の規律は極めて厳格で、命令に背いた者は容赦なく処断される。
しかし、戦闘中でなければ振る舞いに関しては見逃されることが多く、それが原因で王都の民は日常的に迷惑を被っていた。
さらに、ダレル団長はオリバー大公と苦楽を共にしてきた古参の仲間であり、極めて近しい関係にあった。
ゆえに、オリバー大公から公然と叱責されることも少なかった。
その状況に、ビアトリクスは堪えきれず、机を強く叩き、改めて声を上げた。
「その説明は、すでに先日伺った。
にもかかわらず、まったく改善の兆しが見られないからこそ、何度もこのような話をしているのだ。
我々が王都を占拠して、すでに一か月が過ぎた。
だがその間、ずっと、王都の住民はそなたの傭兵団に怯えながら暮らしているのだ。
この現状を改めようという気持ちは、少しもないのか」
ビアトリクスの声は、静かでありながら明確な怒りを帯びていた。
対するダレルは、肩をすくめて答えた。
「ビアトリクス様。そうおっしゃられても、傭兵たちにも息抜きは必要です。
多少行き過ぎたとしても、そこは、どうか大目に見ていただけませんかね」
砕けた口調での返答だった。
それを聞いたビアトリクスは、鋭く言い返した。
「行き過ぎること自体は、まだ良い。
だが、それが自国の民に迷惑をかけ、怯えて暮らさせているとなれば、どう考えても行き過ぎなどという言葉では済まされないのではないか」
そのやり取りを黙って聞いていたオリバー大公が、静かに口を開いた。
「ビアトリクスよ、傭兵たちは確かにやりすぎる傾向はある。だが、彼らは貴重な戦力だ。
ダレル団長を責めるのは、それくらいにしておけ。
それとダレル団長、お前はいつまで傭兵たちを好き勝手にさせておくつもりだ。
あまりに度が過ぎるようであれば、いったんサイサリス公国に戻ってもらうことになるぞ。
この王都には酒も女も揃っているはずだ。
傭兵たちには、ここに残りたいなら少しは自重しろと、そう伝えておけ」
そう言って、オリバー大公は場をまとめた。
その一言であれば、ダレルも逆らうことはない。
実際、大公の言う通り、今さらサイサリス公国に戻されるよりも、この地に留まった方がうまい汁を吸えるのは明らかだった。
話が一段落したのを見計らい、ローガン侯爵が口を開いた。
「現在、旧ルトニア王国西部では、リアム侯爵とフランク王国がにらみ合いを続けております。
南部のベネット侯爵にはコンラッド侯爵が対応しており、こちらも膠着状態です。
いずれも、我々の思惑通りに推移しております。
西のリアム侯爵、南のベネット侯爵のもとには旧王族の残党が徐々に集まりつつありますが、
それぞれフランク王国やコンラッド侯爵の圧力を受けているため、大胆な行動には出られないはずです。
また、王都の北三百キロ、商都ハンザの南に位置するエデッサ地域でも、生き残った王族の一部に謀反の兆しが見られますが、現時点で大きな勢力に成長する見込みはないと判断しております。
なお、ビアトリクス様からご指摘のあった通り、王都内の一部では住民の不満が報告されています。
しかし、今回我々が接収した全領域全体を見渡せば、民衆からの大きな不満の声は今のところ上がっておりません」
「ローガン侯爵。
少しでも謀反の兆しがあるのなら、それが広がる前に対処を講じるべきではないか」
ビアトリクスが静かに問いかけた。
「ご心配には及びません。
説明が至らなかったことはお詫びいたします。
エデッサ地域の反乱は二百ほどの小規模なものです。
これに対し、正規兵二百、徴募兵八百、合わせて一千を派遣しております。
万全を期すため、戦闘力を重視し徴収兵は外しました。
現状、皆様のお心を煩わせるほどの規模ではございません。
昨日出立したばかりですので、二十日以内には鎮圧完了の報が届くはずです」
「そうであるなら、ひとまず問題はない。
だが、小さな芽でも、放っておけばやがて大きく育ち、収拾がつかなくなることはよくある。
まだ、ルトニア王国を手に入れてから一か月しか経っていない。
ルーク王子を手元に置いているとはいえ、油断は禁物だ。
決して隙を見せることのないよう、心してもらいたい」
と、釘を刺すように言い切った。
ローガン侯爵は、一定の判断力と冷静さを備えた人物である。
そのため、彼の言葉にはそれなりの信頼を寄せることができた。
しかし同時に、その冷静さゆえに、人間が感情で動く場面までは読み切れないのではないか。
それが、ビアトリクスの抱いた懸念だった。
損得を冷静に計算して動く者であれば、ローガン侯爵の見立て通りにことが運ぶだろう。
だが、国を失い、家族や財産までも奪われた人々の行動には、時に損得を超えた激情がある。
その怒りや絶望からくる衝動は、理屈では測れず、予測もつかない。
そうした思いを、今の自分が言葉にして伝えるには、まだ力が足りない。
理路整然と反論できるだけの知識も経験も、自分にはまだ備わっていない。
そのことを、ビアトリクスは誰よりも理解していた。
軍議はそのまま続けられた。
サイサリス公国が得たばかりのルトニア王国を真に吸収し、治めていくには、なお多くの課題が残されている。
そもそも、サイサリスそのものが若く、未成熟な国であった。
前途は決して平坦ではなく、一歩誤れば、たちまち土台から揺らぎかねない状況だった。




