【018】ルーク王子とオーウェン丞相
ここからは、これまで語られることのなかった物語、後に「黒蜘蛛戦争」と呼ばれる戦いについて。
なぜ、サイサリス公国の公女であったビアトリクスがアンドラ公国に捕らえられるに至ったのか。
時計の針を四か月ほど戻し、舞台はルトニア王国へと移ります。
大陸で最も古い歴史を持つルトニア王国が、なぜ一晩にして崩壊の道を辿ることになったのか。
ルトニア王国、サイサリス公国、アンドラ公国の三か国。そして大陸の経済を牛耳る商業都市ハンザ。
それぞれの思惑が交錯し、それぞれが「正しい」と信じた道を選択した結果、ルトニア・サイサリス両国の滅亡という結末を招くことになります。
しばらくの間、物語はこれら諸国の興亡を主軸として進みます。
本日(十二月二十八日)は、この物語を順次更新してまいります。
黒蜘蛛戦争の記録を、どうぞ最後まで見届けてください。
その時代、ルトニア王国は第十七代ファルジュ王の治世にあった。
唯一の後継は三十歳となったルーク王子。
国政を実際に動かしていたのは丞相オーウェンである。
ある日、ルトニア王宮の一室にて、王子は丞相から、国のこれからについて相談を受けていた。
「丞相、やはり父上とはうまくいっていないのか」
「うまくいく、いかないという問題ではございません。
私が国のためと思って進めることが、王にはどうにもお気に召さぬようでして、なかなか骨が折れます」
オーウェンは苦笑を浮かべ、言葉を続けた。
「たとえば、我が国の北にある商都ハンザを王国に取り込もうという話がございますが、それはあまりに無理がありましょう。
もともとルトニア王国は、建国当初からルグルスの大森林を切り拓き、街道を整備してドライゼン帝国をはじめとする北方諸国との交易路を開いてきました。
その中継地として発展したのがハンザであり、我が国は長年、その交易によって莫大な利益を得てきたのです。
そんなハンザを、いまさら力ずくで併呑したところで、彼ら商人が我らの支配に甘んじるはずもありません。
むしろ別の地へ移り、我が国は交易路と利益の双方を失うことになるでしょう」
「なぜだろうな。父上は、やけにハンザにこだわっている」
「確かに、表面的にはハンザを手に入れれば国が潤うように見えるかもしれません。
ですが、取り込んだからといって、これまで通りの利益が得られるとは到底思えません」
オーウェンは声を落とし、淡々と語った。
「ハンザは単なる交易都市ではございません。自ら傭兵を抱え、評議会によって自治される都市国家です。
いずれの国家にも属さず、戦争にも中立を保ち、独自の外交と経済政策を行っております。
その存在が成り立つのは、あの都市ならではの信用と安定があるからなのです」
ルークは小さくうなずいた。
「つまり、力で支配しようとすれば、その信用を壊すことになるのか」
「その通りです。かつてハンザを一時的に占領した国がありましたが、商人たちは資本も物流もすべて移し、経済的に干からびた都市だけが残されたと伝わっております。
いま軍を差し向ければ、同じ結果を辿るだけでしょう」
「それほどまでにか」
オーウェンは深く頷き、言葉を続けた。
「あの都市の力の本質は、誰のものでもないことにあります。
王の命令も、他国の干渉も受けぬからこそ、世界中の商人が集うのです。
その独立性が崩れた瞬間、ハンザはただの街に成り下がり、商人たちは他国へと去ってしまう。結果、我が国には何も残りません」
「確かに、敵としては危うく、味方にしても手に余る存在というわけだな」
「さらに言えば、ルグルスの大森林を越えた北側、ドライゼン帝国領内の都市リフラントもまた、商業活動の拠点です。
ハンザの混乱が広がれば、リフラントを通じた交易にまで悪影響が及び、我が国の経済基盤そのものが揺らぎかねません」
ルークの言葉に、オーウェンは静かにうなずいた。
「政治と経済は密接に結びついております。
だからこそ、安易に商都ハンザへ手を伸ばすべきではないのです。
ひとたび介入すれば、その影響は我々の想像を超える規模に広がるでしょう」
少し間を置き、オーウェンは続けた。
「この懸念は、これまでも丁寧にファルジュ王へ申し上げてきましたが、耳を傾けてはいただけません。
そこで、王子からご進言いただければと考え、本日の場を設けさせていただいたのです」
ルークは腕を組み、静かに考え込んだ。
丞相の言葉を受け入れることは簡単だ。
だが、現実として父王がハンザへの執着を捨てるとは思えない。
その理由は不明だが、彼が固執しているのは疑いなかった。
しかも、王の周囲にいる王族たちもまた、ハンザ併呑を進言している。
丞相をはじめとする家臣たちが頭を抱えるのも無理はなかった。
正式な発表はしていないはずだ。
にもかかわらず、王国がハンザを併呑しようとしているという噂はすでに各地で広まっている。
先日、ハンザの商人と会った際も、その件を問われた。
あの時は否定したが、相手の表情から、すでに噂が根を下ろしているのは明らかだった。
おそらく王族の一部が意図的に流しているのだろう。
本来であれば、内輪もめをしている場合ではない。
それでも今日この場が設けられたのは、丞相をはじめとする家臣たちが王子としての自分に行動を期待している証だった。
いずれにせよ、この問題を放置するわけにはいかない。
ルークは考えを切り上げ、オーウェンに向き直った。
「わかった。明日、父上に話をしてみよう」
そう言ったルークだったが、すぐに声の調子を落とした。
「だが、あまり期待はするな。
私にできることといえば、なぜ父上がそこまでハンザに固執しているのか、その理由を尋ねる程度だ。
もし理由が分かれば、対策を立てることも、代案を示すこともできるかもしれない」




