#9.近隣の農場
馬車の揺れに合わせて、木の車輪がぎしりと鳴る。
窓の外には秋の陽を浴びた丘と黄金色の草原が続いていた。
「こうして馬車に乗るの、意外と久しぶりかも」
クラリッサさんが軽く背伸びをしながら呟く。
「学院通いだと、移動はもっと楽だったんじゃないんですか?」
俺がそう返すと、彼女は肩をすくめた。
「ええ、魔導車か飛竜便ばかりでしたから…
馬車は速度がゆっくりで少し退屈ですけど景色は悪くないですね」
「えぇ~?こういう時間が大事なんだよ!」
ラビオンが前足で座席をちょんと叩き、偉そうに言う。
「退屈を楽しめるのが、一流の冒険者ってやつ!」
「そんなの聞いたことないけど…」
そういいながらもクラリッサさんは小さく笑っている。
次の瞬間、馬車が大きく揺れる。
「きゃっ…!」
反射的に彼女が俺の肩にもたれかかる。
近くで見た横顔はまつ毛がやけに長くて…思った以上に華奢だった。
一瞬息が止まった。
—こんな顔をしてたんだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
「…気にしないでください」
なんとか答えるが、視線は自然と外へ逃げた。
ラガンさんが横でニヤニヤと笑っている。
「おいおい、道中で芽生えちまったてか?」
俺は咳払いで誤魔化すとラビオンは「おやおや?」と言わんばかりに耳を動かしている。
ちらりとクラリッサさんをみたが、何の話なのか理解していないようだ。
ラガンさんは空気を変えるように話題を切り替えた。
「そういえば、この辺りは燻製肉とチーズが名物だ」
「ラガンさんいっつも酒場で頼みますもんね」
「おうよ。あの濃厚なやつを厚切りにして、麦酒と一緒にやると―」
「それっておつまみじゃないですか」クラリッサさんが呆れ気味に返す。
「いいや、葡萄酒にだって合う! 騙されたと思って試してみろ」
朝しっかり食べてきたのに腹が減ってくる。
そんな俺の顔を見ながら彼女が質問してきた。
「そういえば、お二人はどういう出会いだったんですか?」
どう話せばいいのか迷っていたら…案の定、ラガンさんが先に暴露した。
「ああ? こいつな、ギルドの受付でオロオロしててな!」
「ラガンさん!」
思わず声が出た。
確かに右も左もわからずに立ち尽くしていたのは事実だが、皆の前で言われると恥ずかしい。
「でもな?素直なヤツでよ。わからねぇことはちゃんと聞いてくるし、覚えも早い。
こういうヤツは放っとけねぇ性質でな!」
真正面から褒められると、ますます気恥ずかしい。
「…そんなこと、面と向かって言わないでください」
ラガンさんは豪快に笑い、ラビオンまで「いい師匠じゃないか」と得意げに頷く。
クラリッサさんは楽しそうに微笑んでいた。
そんなやり取りをしていると、馬車は緩やかな下り坂を進み丘の向こうに瓦屋根の集落が見えてきた。
陽に焼けた土壁の家々、畑には作業する人影。
だが放牧地の柵は一部が壊れており、板には大きな歯形のような跡が刻まれている。
抉れた土には、乾きかけた黒い染みが点々と残っていた。
「あれは血…?」クラリッサさんが小さく呟く。
馬車を止め、事情を聞けそうな人を探そうと視線を巡らせた。
牛たちは小屋の近くに集まっており、落ち着きなく短く鳴いている。
少しすると離れたところにいた作業着姿の男が俺達に気が付き駆け寄ってくる。
「ギルドの方ですね! お待ちしておりました!」
その顔には安堵と切迫感が混在しているようだった。