#2.学園組の令嬢と
「やばいって! マズいって!!!」
近くで浮いていたぬいぐるみが、焦燥を隠せない声で叫んだ。
半透明の魔力障壁がひび割れ、耳障りな軋みと共に粉のように砕けて消える。
「クラリッサ! 魔力も限界どころかオーバーしてんのっ!もう撃てないって!」
少女は返事をしない。
杖を握ろうとした指先が震えたまま、力なく止まっている。
白い息が細く吐き出され、足元の氷片が微かにきしんだ。
氷魔法で敵の足を絡め取った直後、雷撃を立て続けに放った負荷が、全身から力を奪っているのが見て取れた。
「アルス!!」
ラガンさんの声が遺跡に響いた。
「俺がやる!お前はあの子を守れ!」
指示と同時に俺の身体は動いていた。
脚に魔力を叩き込み、風を集めて一気に加速する。
「間に合えっ!」
飛び込みざま、グローブに仕込まれた魔石を起動。
淡い光が弾け、魔力障壁が目の前に展開される。
魔物の爪が障壁に叩きつけられ、金属を引き裂くような音が遺跡に反響した。
弾き飛ばされた魔物が体勢を立て直し、低く唸って俺を睨む。
全身の毛が逆立ち、唾液が床に垂れて黒い染みを作った。
「どけっ!犬っころ!」
その声と同時に、ラガンさんが横合いから駆け抜け、細身の長剣を叩き込む。
刃が肉を裂き、赤黒い体液が扇状に飛び散った。
踏み込みの一撃だった。返す刀で喉を切り裂かれた魔物は、その場で崩れ落ちた。
荒い息を吐きながら、俺は少女へ向き直る。
彼女はその場に座り込み、杖を膝に抱えたまま俯いていた。
息は浅く、肩が小刻みに揺れている。魔力の気配は、ほとんど残っていなかった。
それでも——倒れようとはしない。まっすぐな背筋は崩れていなかった。
「…誰だか知りませんけど、無茶しすぎです!」
思わず声を荒げると、少女を守っていたぬいぐるみが跳ねた。
「ほら見ろぉ! 言ったじゃん! クラリッサ、氷も雷も撃ちすぎなんだって!
ボクがいてもあんなの連発したらすぐに限界来るの分かってるでしょ!?」
「…っ、うるさいわね」
掠れた声。それでも瞳の奥に光は宿ったままだった。
仕立ての良い服に、どこか冷ややかで隙のない所作——
(話に聞いていた学園からの新人さん…なのか?)
「…無理しないでください」
そう言って手を差し出す。
少女はその手を一瞥し、目を細めた——そして何も言わず、自分の力だけで立ち上がる。
足元の氷片がきゅっと鳴った。
その時、ラガンさんがじっと彼女を見た。
「……その制服、王都学園のヤツだな。だとしたら今日からギルド研修に来るって話の……」
視線を俺に移し、
「こいつが、その新人だろ」
「…クラリッサ・オルドレイン。本日より、学園の授業により参加することになっている者です」
礼儀正しいけれど、必要最低限の言葉。まっすぐな姿勢、そして崩れない口調。
戦いで魔力を使い果たしているはずなのに、氷のような気品を纏ったままだ。
(…やっぱりこの人が、新人さんか)
俺の予想とはだいぶ違った。というか、予想の斜め上をいっていた。
「俺はアルスです。あっちにいる人はラガンで、一緒に遺跡の巡回任務を受けてたんです。
…助けに入ったのは、勝手な判断だったかもしれませんが」
一拍。
「……助かりました」
クラリッサは小さく、でもはっきりと言った。
その瞬間、ラガンさんがこちらへ歩いてくる。
警戒を解きながら武器を下ろし、ふうっと肩を回している。
「やっぱ、貴族だな」
ぽつりと、でもどこか苦笑混じりの声だった。
「どれだけしんどくても、しゃんと立って、言葉も丁寧で……まあ、立派っちゃ立派だ」
そう言って俺の横に来ると
「お前もよくやったじゃねぇか」
ぱんっと背中を軽く叩かれた。
「飛び出すタイミングも悪くなかった。おかげで俺も動きやすかったぞ」
「ありがとうございます」
背筋が自然と伸びたそのとき、陽気なぬいぐるみがぴょこんと跳ね上がる。
「ていうかさ!クラリッサ、ほんとにもう!
魔物の数も地形も把握しないままいきなり高出力で魔法使って!
授業と実戦は違うって、いつも言ってるじゃん!?」
「……うるさい」
クラリッサはぴしっと答えたけど、目を逸らした。
その仕草は否定しきれなかった答えに見える。
「それにさ、街に魔物が近づきそうだったからって
わざわざ街から離れるなんて無茶にもほどがあるってば!」
「…別に私の勝手じゃない…」
「勝手だけどさ!ボク、命に関わる無茶は止める主義だからね!」
(…このぬいぐるみがいっているのが本当ならこの人…魔力が尽きるのをわかってて、それでも街の方を優先してたってことか)
「嬢ちゃんのツレ、よく喋るけど悪かねえな」
ラガンさんの声は、さっきより少しだけ柔らかかった。
「では、帰りましょう。報告も必要ですし」
ふらつきながらも、クラリッサはまっすぐな背筋のまま出口へ向かう。
その背に、雷の焦げ跡と氷の破片が静かに並び、彼女の戦いを物語っていた。
「ちょい待ちだ、嬢ちゃん」
ラガンさんの低い声が、それを制した。